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オペラ映像「ドン・カルロス」「ドン・カルロ」「ファルスタッフ」「ラ・ボエーム」

 数日前に、2回目のワクチンを接種した。374度の熱が出て、しばらくかなり強い疲労感を覚えた。私は日常的に倦怠感をかかえて生きている人間なのだが(「面倒くせえなあ」「やれやれだなあ」「しんどいなあ」「(大分弁でいうと)よだきいのう」といつも思っている)、今回の疲労感はその比ではなかった。が、2日半ほどたって、突然、それが消えた。これこそが副反応なのだろう。とはいえ、これで少し安心して外出できる。

 オペラ映像を数本みたので、簡単な感想を書く。

 

ヴェルディ 「ドン・カルロス」(フランス語5幕版) 1996年 シャトレ座

「ドン・カルロ」ではなく、カルロスとエリザベートの出会いの場のある第一幕を含むフランス語5幕版の「ドン・カルロス」。手持ちのこの上演のDVDの画質・音質があまり良くなかったので、BDを見つけて購入。残念ながら画質・音質ともにBDになったからと言ってあまり変わっていないような気がする。しかし、改めてこの上演を見て、やはり素晴らしい。「ドン・カルロ」「ドン・カルロス」の四幕版、五幕版すべての中で私の知る限り、これがベスト映像だ。

 まず、ドン・カルロスのロベルト・アラーニャが、この役にふさわしい。ちょっと弱々しく、しかもしっかりした美声で不遇の王子を歌い上げる。ロドリーグのトーマス・ハンプソンが堂々たる正義漢を歌う。二人の二重唱は本当に感動的だ。フィリップ2世のホセ・ファン・ダムも悪辣な王ではなく、愛されずに苦悩する王を見事に演じる。

 女性陣も魅力的だ。エリザベートを歌うカリタ・マッティラは気品があり、透明な色気がある。そして、エボリ公女を歌うのがヴァルトラウト・マイアー。私はワーグナーを歌うマイヤーばかり聴いてきたので、ヴェルディを歌うのを意外に思ったが、どうしてどうして。この役にふさわしい迫力。「私の美貌が憎い」というセリフが素直に納得できる。

 指揮はアントニオ・パッパーノ。パリ管弦楽団を躍動感で率いていく。リュック・ボンディの演出もわかりやすく美しい。全体的に最高度に満足できる映像だ。

 

ヴェルディ 「ドン・カルロ」(4幕 1884年イタリア語版)2016年 パルマ王立歌劇場

 悪い上演ではないが、1996年のシャトレ劇場の映像のあとだと、どうしても色褪せて見える。まず、オーケストラに大きな差がありそう。パッパーノの指揮するパリ管と比べて、ダニエル・オーレンの指揮するオーケストラはかなり色彩感に欠ける。

 歌手陣については、ドン・カルロのホセ・ブロス、ロドリーゴのウラディーミル・ストヤノフ、フィリッポ2世のミケーレ・ペルトゥージは健闘しているが、今一つの輝きが感じられない。エリザベッタのセレナ・ファルノッキアとエボリ公女のマリアンネ・コルネッティはともにその役にふさわしい個性を表現できていないと思う。演出はチェザーレ・リエヴィ。簡素な舞台で、特に新たな解釈はなかったようだ。

 

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 2018年 ベルリン国立歌劇場

 ドイツの劇場でバレンボイムが指揮すると、ヴェルディのオペラがまるでドイツオペラのように聞こえる。深みがあり、渋みがある。ドイツオペラ好きの私からすると、これはとてもありがたい。

 演出はマリオ・マルトーネ。全員が現代の服装で現れる。ファルスタッフはジーンズに革ジャンスタイル。第1幕と第3幕は現代の場末の落書きだらけのパブ、第2幕のフォードの家はプール付きの金満家の庭。第4幕の森の場面は、仮装した秘密クラブめいた怪しい場所という設定。音楽との違和感はない。とてもおもしろい。

 歌手陣はオールスター。やはり、ミヒャエル・ヴォッレのファルスタッフが素晴らしい。ただ、あまり太っておらず、醜くもない。ノリのいいちょっと太り気味のおじさんといったところ。バルバラ・フリットリのアリーチェは本当に気品があってしとやかで、しかも色気があって実にすばらしい。ダニエラ・バルチェッローナのクイックリー夫人もさすがの歌唱。ナンネッタのナディーン・シエラの澄んだ美声はとても魅力的。アルフレッド・ダザのフォードもしっかりした声。全員が声楽的にも演技的にも文句なし。

 バレンボイムの指揮は抑制気味であまり派手に鳴らさない。しみじみと滑稽さをかみしめ、人生の悲哀を感じ、最後にそこから抜け出して、「すべては喜劇」と歌うような演奏になっている。

 バレンボイムが指揮者として活動し始めたころから、録音や実演で繰り返し聴いてきた。駆け出しの下手な指揮者だと思っていたら、とんでもない。大指揮者になり、今や円熟の指揮者になった。この人と同時代を生きたことをうれしく思う。

 

オペラ映画「ラ・ボエーム」2008年 ロバート・ドーンヘルム監督 (NHK放映)

 存在は知っていたが、プッチーニ好きではない私は、今回NHK放映で初めてこのオペラ映画を観た。

 とても良くできていると思う。プッチーニの時代のパリの雰囲気をうまく描いている。第二幕の街の様子はとてもリアル。舞台と異なって時間軸が自然で、室内と外の世界を自在に行き来できる。音楽の流れと映像がうまくマッチしている。

 やはりミミを歌うアンナ・ネトレプコが素晴らしい。容姿も含めて理想的なミミだと思う。ロドルフォのローランド・ビリャソンは声に関しては、絶好調なころのビリャソンであってすばらしいと思うが、この人の表情豊かな演技を映画というメディアで間近にすると、少なくとも日本人にはあまりに芝居じみて、鬱陶しく見える。ムゼッタはニコル・キャベル。当たり役だが、容姿的に私の考える小柄で可愛らしいムゼッタとは少し違う。そのほか、仲間たちのキャストと演技は理想的。ベルトラン・ド・ビリー指揮によるバイエルン放送交響楽団も文句なし。

 といいつつ、プッチーニのオペラを観るごとに思う。情緒たっぷりの歌が聞こえてくると私はなぜか居心地が悪くなる。難病もののお涙頂戴のメロドラマを見るときのような警戒感を覚える。そして、心から楽しめない。第二幕のさっぱりした部分だけ、素直に感動できる。

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METライブビューイング 「セヴィリャの理髪師」 圧倒的名演!

 METライブビューイング「セヴィリャの理髪師」をみた。2007324日に上演されたもの。リバイバル上映だが、私がこれをみるのは初めてだと思う。圧倒された。私の好きなオペラなのでかなりの枚数のDVDBDをみてきたが、これは圧倒的に素晴らしい。

 まずは指揮のマウリツィオ・ベニーニが素晴らしい。序曲も実にしなやかで躍動感がある。しかも、きちんと序曲としての役割をわきまえて、燃焼しすぎることもない。

 主役格の人々の歌と演技もすべてが最高。ペーター・マッテイのふてぶてしいまでに自信たっぷりのフィガロは、まさにこの人にしかできない。舞台全体を回すだけの風格がある。声の張りももちろん素晴らしい。フアン・ディエゴ・フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵も声の輝きに圧倒される。なんという華やかな声であることか。聴くものをワクワクさせる力を持っている。そして、ロジーナのジョイス・ディドナートも最高に美しい声と最高のテクニック。そして、おきゃんなこの役を見事に美しく演じる。この三人に関してはこれ以上考えられないほどのキャストだと思う。

 そして、もちろんバルトロのジョン・デル・カルロも声のテクニック、そして憎たらしくもユーモアにあふれた演技は魅力的だ。また、ドン・バジーリオのジョン・レリエがまたいい。若い歌手だが、この役にふさわしい太い声でエキセントリックに演じる。すべての歌にワクワクし、そのテクニックに驚嘆し、音楽の楽しさ、美しさを堪能する。

 そのほか、脇役、黙役に至るまで、実に見事。特に目新しい解釈があるわけではないが、おもしろく、楽しく、すべての役者の動きが自然でユーモラス。これらは演出のバートレット・シャーの功績だろう。

 こんな楽しいオペラがあるんだ! こんな名演があるんだ! と改めて思い、メトロポリタン・オペラのレベルの高さに目を見張った。

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「めぐろで第九」を楽しんだ

 2021620日、めぐろパーシモンホールで「めぐろで第九2020+1」を聴いた。曲目はベートーヴェンの「シュテファン王」序曲と交響曲第9番。演奏は、大井剛史指揮の日本フィルハーモニー交響楽団、東京音楽大学合唱団。気の重いこのごろ。気晴らしに第九を聴きたくなった。

 客席に子どもが多いのにびっくり。そういう売り方をしたのだろう。とてもいいことだ。ガサガサする子ももちろんいるが、熱心に聴いている子も多い。楽章の終わりに拍手が起こるのも含めて、ラ・フォル・ジュルネに雰囲気が近い。この子どもたちのうち、何人かはきっと激しく心を動かされていることだろう。少なくとも、第九を聴いたという思い出は強く刻まれることになるだろう。

 演奏については、精緻さを欠いたのは間違いない。縦の線がそろわず、音がきれいにハーモニーをなさない。大井の指揮も、かなり力がこもっているのだが、びしりと決まらない。力演ではあるが、名演とは言えないだろう。

 バリトンの加藤宏隆は力のある声だが、少し音程が怪しい気がした。テノールの宮里直樹、メゾソプラノの中島郁子、ソプラノの嘉目真木子は伸びのある美声。ただ、合唱団はマスクをつけたままであるせいか、声がまっすぐに届かず、私としては少し違和感を抱いた。

 とはいえ、そこはベートーヴェンの第九。やはり、苦悩から歓喜へと音楽が大きく展開し、歓喜の爆発が起こる。しっかりと感動した。ともあれ、十分に楽しんだ。

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オペラ映像「セルセ」「ボリス・ゴドゥノフ」「カルメン」

 東京都の緊急事態宣言は予定通り、620日で解除される方向だという。報道されている通り、私も「オリンピックありき」というあり方に強い疑問を抱く。私自身は1回目のワクチン接種は終えて(たまたまそのころに風邪を引いたということなのかもしれないが、接種後、37度の熱が出て喉が痛んだ)、2回目を待っている身なので、たぶんこれから大ごとにはならないだろうが、感染拡大、リバウンド、第五波といったことが起こりはしないか心配ではある。かくなるうえは、政府の目算通りになることを祈るしかない。

 家族の体調のためにコンサートをセーブしていたが、自宅で何本かオペラ映像をみた。簡単な感想を書く。

 

ヘンデル 「セルセ」 2017年 フランクフルト歌劇場

 先日、二期会の若手の歌手たちの公演でこのオペラをみて、大いに不満を抱いた。そのせいというわけではないが、「セルセ」のBDを見つけて購入してみた。

 さすがの上演。すべての歌手が素晴らしい。全員が音程の良い張りのある声でものすごいエネルギーで歌う。それぞれの歌手たちの華麗なテクニックに驚嘆する。

 どの歌手も素晴らしい。まずセルセを歌うガエル・アルケスが魅力的。女性的な顔立ちの美しい女性だが、わがままな男を迫力豊かに歌う。ロミンダを歌うエリザベス・サトフェも芯の強い美声で、起伏のある歌を見事に歌う。アルサメーネ役のカウンターテナーのローレンス・ザッゾ、アタランタのルイーズ・オールダー、アマストレのターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー、アリオダーテのブランドン・セデル、エルヴィーロのトマス・フォークナー。いそれも驚くほどの歌唱力と演技。

 指揮はコンスタンティノス・カリディス。オーケストラはフランクフルト・ムゼウム管弦楽団。エネルギッシュで、躍動感にあふれる演奏。

 演出はティルマン・ケーラー。人物は現代の服を着て縦横に歩き回る。もちろん普遍的なテーマなので、違和感はない。

 ただ、オーケストラも歌手陣も、ずっと一本調子の気がするのは否めない。野球のピッチャーでいえば、最初から最後まで150キロ台の直球を投げている感じがする。ゆるいボールもクセ球も変化球もあってよいと思うのだが、そうなっていない。だから、登場人物たちのキャラクターの違いも明確にならず、ちょっと退屈になってくる。それがなければもっと素晴らしい上演になっただろうと思う。

 

ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」(1868/9年原典版)2013年 バイエルン国立歌劇場

 原典版だとのことだが、ムソルグスキーのオペラにさほどのなじみのない私は、一般に上演される版とどう異なるのかよくわからない。いや、そもそもこれまでみてきたものとの違いが演出によるのか、原典版であることによるのかもよくわからない。

 演出はカリスト・ビエイト。現代を舞台にしているが、世継ぎを殺して自分がトップになって圧政を行うといったことはかなり普遍的なできごとだろうから、特に違和感はない。ただ、第二幕で、宿屋の女将(演出では、屋台の女?)がグリゴリーに味方して警官を殺し、第四幕では、シュイスキーに与えられたピストルによって子どもたちの一人が「白痴」を撃ち殺す。これらはきっと演出によるものだろう。赤の広場に集まる舞台上の民衆が世界各国の指導者の写真を掲げている(プーチン、ブッシュ、サルコジに交じって、安倍元首相も見られる)ところをみると、指導者の圧政、指導者と民衆の対立を強調しようとしているようだ。

 とはいえ、ロシアの皇帝の服を着ていないと、どうしても非日常感が出ないので、ムソルグスキーの音楽の得体のしれない大きさが感じられない。ケント・ナガノの指揮もあまりスケールが大きいとは言えないので、とても良い演奏ではあるが、卑近な感じはしてしまう。

 歌手陣は充実している。ボリス・ゴドゥノフのアレクサンドル・ツィムバリュクは豊かな声で、しっかりとこの大役を歌う。シャリアピンやボリス・クリストフやニコライ・ギャウロフには劣るのかもしれないが、十分にボリスの大きな苦悩が伝わってくる。シュイスキーのゲルハルト・シーゲル、グリゴーリのセルゲイ・スコトホドフなどの役もとてもいい。あまりたくさんは歌わないが、皇女クセニヤの役で中村恵理が出演し、周囲にまったく引けを取らない歌を聴かせてくれる。さすがというしかない。

 

ビゼー 「カルメン」 2009年 パリ、オペラ=コミック座

 実は「カルメン」は苦手なオペラだ。小学生のころに前奏曲を聴いて、「つまらん」と思って以来、現在に至るまで、このオペラを愛せずにいる。ただ今回、1875年のオリジナル版を初めてみて、これはなかなかおもしろいと思った。

 グランド・オペラ的要素を排して、オペラ・コミックで初演されたオリジナルの形での演奏だ。指揮はエリオット・ガーディナー。オーケストラは、オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク。エイドリアン・ノーブルの演出とあいまって、大袈裟でなく、等身大で、実にリアルな「カルメン」が現出する。セヴィリアの片隅の、私たちの日常的な目の前で起こった悲劇を目撃しているように感じることができる。言ってみれば、この上なく下世話な物語が下世話そのものに描かれ、そうであるがゆえに崇高な悲劇になっている。最初に聴いたのがこのような演奏だったら、もしかしたら私の「カルメン」に対する意識はずいぶんと違っていたかもしれない。

 カルメンを演じるのはアンナ・カテリーナ・アントナッチ。決して華やかではなく、我の強い、しかし魅力的なジプシー女を歌う。ドン・ジョゼのアンドルー・リチャーズが素晴らしい。これぞドン・ジョゼだと思う。一本気で愛に耽溺し、繊細さを失わない。声も美しい。最後の幕ではまるでホームレスのような格好でカルメンに愛を嘆願する。真に迫っている。ミカエラのアンヌ=カトリーヌ・ジレもこの役にふさわしい清純な声と演技。ただ私はエスカミーリョのニコラ・カヴァリエについては、もう少し線の太さがほしかった。

 合唱もとても活気があって、いかにも下町の庶民らしい。最後の場面では不覚にも感動した。そして、フランスでの上演なので当然と言えば当然だが、すべての歌手のフランス語がとても美しい。

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オペラ映像「アンドレア・シェニエ」「ロベルト・デヴリュー」「愛の妙薬」「ドン・パスクヮーレ」「劇場の都合と不都合」

 イタリア・オペラの映像を数本みた。簡単な感想を書く。

 

ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」201712月 ミラノ、スカラ座

 特に好きなオペラというわけではないが、マッダレーナを歌うアンナ・ネトレプコ目当てに購入。ただ、実は期待ほどではなかった。

 アンドレア・シェニエはユシフ・エイヴァゾフ。ネトレプコとのデュオを数年前にサントリーホールで聴いた。とてもいいテノールだが、私は高音に音程の不安定を感じる。ネトレプコの夫君であるための大抜擢という気がしてならない。そして、ネトレプコに対しても、私はいつもの凄味を感じることができなかった。これまでネトレプコを聴くごとに凄味を感じて感動してきたのだが、今回は、声域が本来のネトレプコと異なるのか、私の心に響いてこない。最後のデュオになってやっとネトレプコらしい美しく張りのある声が聴けたが、それ以前は不完全燃焼という感じだった。ジェラール役のルカ・サルシはもちろん悪くないのだが、これもあと少しの輝きを感じなかった。

 指揮はリッカルド・シャイー。今回の上演では、私はシャイーの緻密な指揮に最も感銘を受けた。知的な造形で静かにドラマを盛り上げていく。演出はマリオ・マルトーネ。映画のように緻密でリアルな装置だが、背景にゆがんだ鏡を置いて、登場人物たちがゆがんで映し出される。そして最後、この上なく美しい色彩の中で、この上なく残酷なギロチンの場面が進行する。新たな解釈はないと思うが、革命のありさまを的確に描いていると思った。

 

ドニゼッティ 「ロベルト・デヴェリュー」2015年 マドリード王立劇場

「ロベルト・デヴェリュー」という男性名がタイトルになっているが、もちろんイギリス女王エリザベスの物語。そんなわけで、やはりエリザベスを歌うマリエッラ・デヴィーアが図抜けてすばらしい。白塗りの顔によって容貌の醜さを表現しているが、その存在感たるや尋常ではない。最後のアリアの痛々しくも美しい歌は圧巻。

 ロベルト・デヴリュー役のグレゴリー・クンデはしっかりと歌っているが、デヴィーアほどの存在感を感じない。サラを歌うシルヴィア・トロ・サンタフェとノッティンガム公爵のマルコ・カリアはあと少しの魅力に欠ける。そのため、せっかくのデヴィーアの絶唱なのにやや盛り上がらない。

 指揮はブルーノ・カンパネッラ。しっかり歌わせて、特に不満はない。舞台監督はアレッサンドロ・タレヴィ。エリザベスを蜘蛛に見立てての演出。最初に蜘蛛の映像が現れ、エリザベスは雲のような複数の手のついた台座に座る。エリザベス自身情念の蜘蛛にがんじがらめになって動きが取れずにいるのだろう。きれいな舞台だが、ちょっとこの蜘蛛の暗喩は安易な気がする。

 十分に楽しめたが、素晴らしい上演というほどではなかった。

 

ドニゼッティ 「愛の妙薬」20066月 パリ、バスティーユ歌劇場

 ドニゼッティのオペラを集めたDVD3枚組の安売りセットを見つけて購入。

 現代(といっても、現在、50歳以上のオペラの主要な客層がノスタルジーを感じる3040年くらい前だろう)の農村が舞台になっている。納屋があり、麦わらが積まれ、人々が外でくつろいでいた時代。時代設定だけで演出のロラン・ペリの意図がわかる気がする。まさにノスタルジーの世界。村のきれいな娘と、人のいい、ちょっと頭の軽い単純な青年ののどかな恋の物語。そこでペリの演出らしく、軽やかに、楽しく物語が展開する。現代人すべての心の中にあるノスタルジーだ。

 ネモリーノを演じるのはポール・グローヴズ。いかにもネモリーノらしい、Tシャツ姿のちょっと太った青年。突出した声ではないが、見事に歌って雰囲気を盛り上げる。アディーナはハイディ・グラント・マーフィー。この役にふさわしく清純で可憐。澄んだ声が美しい。ベルコーレのロラン・ナウリ、ドゥルカマーラのアンブロージョ・マエストリ(この人がファルスタッフ以外の役を歌っているのを初めて見た!)、ともに実に芸達者で楽しい。

 エドワード・ガードナーの指揮するパリ・オペラ座管弦楽団、合唱団もしなやかで軽やかで文句なし。

 肩の凝らない娯楽オペラとして、私はドニゼッティがかなり好きだ。映画館に行って映画を見るのではなく家庭でテレビドラマを見るような感じで、ドニゼッティのオペラ映像をみる。そのなかでも、「愛の妙薬」はとびっきり楽しめる演目だと思う。

 

ドニゼッティ 「ドン・パスクァーレ」20075月 ジュネーヴ大劇場

 安売りのDVDセットに含まれていたものだが、とても楽しく、音楽的にも演劇的にも最高レベルの上演。

  演出はダニエル・スレイター。舞台は現代にとられている。第一幕は、フランス(たぶんパリ)の街角のカフェで繰り広げられる。黙役の客やボーイたちが登場して芝居に加わるが、みんなに演技力があるためにまったく違和感がなく、むしろとても楽しい。第二幕はドン・パスクワーレの邸宅内だが、ノリーナが家を牛耳るようになってからは斬新なデザインの家具であふれて、実におしゃれ。これまでのこのオペラの、むさくるしい老人が古びた家の中で周囲を困らせる物語ではなく、それなりに常識を持った現代の老人が誰もが落ちりそうな欲望に駆られてしまう物語になっている。

 ドン・パスクワーレはシモーネ・アライモ。この役にしてはあまりに知的で紳士的な風貌だが、そうであるだけに現代的になってとてもいい。現代の知的階層の人間にもこのような人物はいそうだ。ノリーナはパトリツィア・チョーフィ。相変わらずの素晴らしい声。蓮っ葉な演技も笑える。この二人の掛け合いは本当に見事。イタリア・オペラの楽しさとはこのようなところにあるのだと改めて思う。マルツィオ・ジョッシの演じるマラテスタはびしりとネクタイに身を固めた紳士。味があって、歌も見事。エルネストを歌うノーマン・シャンクルはアフリカ系のテノール歌手。ちょっと声が弱いが、この役ならこれで十分だろう。

  エヴェリーノ・ピドの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団も細かいところまで神経が行き届いており、鹿間躍動感があって実に楽しい。あっという間の2時間だった。

 

ドニゼッティ 「劇場での都合と不都合」200910月 ミラノ、スカラ座

 これも安売りセットの中の一枚。めったに上演されないオペラだ。私がこのオペラの映像をみるのも初めて。先日、新国立劇場オペラ研修所修了公演でみたチマローザ作曲の「悩める劇場支配人」を思わせるストーリーだ。舞台となっているのはオペラ劇場。

 誰がどの役を歌うかで第一ソプラノ、ダリア(ジェシカ・プラット)と第二ソプラノ、ルイージャ(アウローラ・ティロッタ)の争いになっている。そこにルイージャのステージママであるアガータ(ヴィンチェンツォ・タオルミーナ)が現れて引っ掻き回し、最後には自分が主役を歌ってしまう。そんな話だ。傍若無人で強引でどこまでも自己本位の女性(男性がテノールで歌う)がとても愉快で魅力的。

 ダリアとルイージャとアガータの三人の歌手が素晴らしい。第二幕でロッシーニのオペラなどが歌われ、楽しい歌の共演になっていく。このあたりは、ロッシーニの「ランスへの旅」の雰囲気。

 マルコ・グイダリーニ指揮のスカラ座アッカデミア管弦楽団もしっかりと演奏、アントーニオ・アルバネーゼの演出も、アガータの縦横無尽の活躍を描いて愉快だ。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 最終日

 2021611日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の最終日を聴いた。曲目は前半に第5番と第6番、後半に第11番「セリオーソ」と第16番。これまでの4日間は前期、中期、後期から1曲ずつ演奏されてきたが、もちろん16は3では割り切れないので、今日は変則的。最終日に短めの曲を4曲集めた感がなきにしもあらず。

 第5番は、まるでハイドンのような作品。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中では影が薄い。改めて聴いて、やはりベートーヴェンらしい起伏がなく、かといって初期の初々しさも感じられず、実は少々退屈だった。その点、第6番はとても魅力的だった。最初の楽章からとてもチャーミング。エルサレム弦楽四重奏団は美しい音でしなやかに初々しく演奏。リズムがとても自然で生き生きとしている。

 とはいえ、やはり後半が充実している。「セリオーソ」は、前半の曲のようなしなやかさや美しさよりも凝縮した緊迫感を表に出そうとしていたようだ。速めのテンポで音を畳みかける。だが、この団体の音はとても美しく穏やかなので、きつい音にはならない。「セリオーソ」というタイトルだが、決して厳粛にも深刻にもならない。深みのある音だが、根本的なところで音が美しいので、余裕を失わない。ベートーヴェンらしい激しい音で始まるが、終楽章は、これまでの深刻さを笑い飛ばすような、まるでロッシーニのオペラのような終わり方をする。それが実に鮮やか。最後の生の喜びの爆発を感じる。

 第16番は最高の演奏だった。

 私はベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で、第16番が一番好きだ。最後に到達した平明・単純の極致。至高の平明とでもいうか。とりわけ終楽章の浮き立つような平明さが素晴らしい。そして、エルサレム弦楽四重奏団は、それを見事に演奏してくれた。明るくて平明でワクワクするほどのリズム感があり、生の喜びにあふれている。終楽章の見事さに私は叫び声を挙げそうになった。

 5日間、この団体の弦楽四重奏曲を聴いて、初めのうち、後期の曲に厳しさ、激しさ、鬱積した怒りがなくあまりに穏やかなのに違和感を抱いた。だが、聴き進めるうちに、これがこの団体の持ち味であり、解釈であることに気づいた。第12131415番でも、彼らはこの第16番のような境地を描こうとしていたのだろう。最後に16番を聴くと、それが非常に納得できる。それはそれで説得力のある解釈であり、十分に感動的な演奏だと思う。

 このようなすばらしい弦楽四重奏曲全曲の演奏を聴けて、とても幸せだった。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 4日日

 2021610日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の4日目を聴いた。曲目は前半に第3番と第9番(ラズモフスキー第3番)、後半に第14番。素晴らしい演奏だった。

 第3番は、美しいメロディにあふれている。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で、いやベートーヴェンの全作品の中でももっともメロディの美しい曲といえるのではないか。モーツァルトと違ってベートーヴェンはメロディを作るのがうまくなかったといわれるがとんでもない。なんと初々しくなんと生気にあふれたメロディであることか。それをエルサレム弦楽四重奏団は、本当に美しく演奏する。一つ一つの音が繊細で、しかもアンサンブルがこれまた美しい。端正で余計なものがなく、ふくよかに響く。実に生き生きとして躍動感にあふれている。

 第9番も最高の演奏だった。第1楽章は曖昧な音楽に始まり、霧が晴れたように明快になって、生き生きとしてワクワクするような音楽が始まる。前期弦楽四重奏曲とは異なったダイナミックな躍動にあふれ、魂をゆすぶる。第2楽章のチャイコフスキーを思わせるようなロシア的な物憂げな情感も素晴らしい。第3楽章の気品にあふれてチャーミング。そして、第4楽章は大きく躍動する。感動の連続だった。

 第14番も素晴らしかった。この曲は、躓いてしまうと、破綻が破綻を呼んで惨憺たる結果になる難曲だと思うが、驚くべき均衡を保ち、精妙に、そしてしなやかに音楽を進めていく。後期のベートーヴェンにありがちな剛腕さはない。峻厳さもない。穏やかで端正。荘重なフーガで始まるが、それがしなやかに展開され、明快で生き生きとした世界に広がっていく。生きる喜び。それがエルサレム弦楽四重奏団のベートーヴェン解釈のエッセンスだと思う。苦悩の後に訪れる研ぎ澄まされた生きる喜び。ベートーヴェンが最後に到達した境地。それを真正面から穏やかに、しかし生き生きと表現する。肩の力を抜いて、様々な制約も捨て、面倒なものは脱ぎ捨てて軽やかになって生命そのものを味わう。それがこの音楽だと思う。第5楽章以降、私は音楽に夢中になり、音楽とともに魂が動き、わくわくし、ベートーヴェンのとらえる生きる喜びに触れることができた。

 今回のエルサレム弦楽四重奏団のベートーヴェン・チクルスはとても充実していると思う。毎回満足して来た。が、今回はとりわけ感動した。すべての曲が素晴らしかった。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 3日日

 20216月8日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の3日目を聴いた。曲目は前半に第4番と第10番「ハープ」、後半に第15番。今回も前期と中期と後期の弦楽四重奏曲を1曲ずつ演奏。

 第4番になると、表現が中期に近づいているのを感じる。初々しさというよりも、深みが増し、ベートーヴェンらしい強い表現が現れるようになる。それをエルサレム弦楽四重奏団は的確に音にしていく。これまでの初期の曲のようなしなやかで初々しい躍動ではなく、魂の奥から突きあがる躍動になっている。不自然に誇張するのでなく、流れるように自然なのだが、第一ヴァイオリンのアレクサンダー・パヴロフスキーの繊細な弓使いによって、深い感情が宿る。本当に美しい。すべての楽章がまったくスキなく構築されているのを感じた。

 第10番も本当に素晴らしい演奏だった。第1楽章の楽器の重なりの美しさに改めて驚嘆。ピチカートの響きにしびれた。第3楽章の「運命のモティーフ」に似た音形も躍動感にあふれ、エネルギッシュに音楽が進んでいく。緊密に構成され、端正で行儀のよい演奏だが、その奥に深い表現があり、魂を躍動させる。感動した。

 第15番は実をいうと、私のちょっと苦手な曲だ。この曲の、特に第一ヴァイオリンの技巧性が妙に鼻につく。まるでヴァイオリン協奏曲のような雰囲気で、この楽器だけが目立っているような気がする。が、今回聴いて、それはさほど気にならなかった。むしろ、これは「遊び」の境地の曲なのだと初めて気づいた。

 後期の弦楽四重奏曲は、形式にとらわれずベートーヴェンが自由に自分の精神を歌った曲だと思うが、とりわけこの第15番は何ものにも束縛されず精神の自由を楽しみ、仏教的な無の境地にも似た「遊びの境地」に達したものなのだろう。エルサレム弦楽四重奏団はそのことを意識しているのではあるまいか。すべての楽器が精神の自由を発揮して高い境地の遊びを行う。とりわけヴァイオリンはまるで翼がついたかのように高らかに遊ぶ。それがこの曲なのだろう。最初のうち、私は戸惑っていたが、後半、私も一緒になって音楽を遊んだ。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 2日目

 20216月7日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の2日目を聴いた。曲目は前半に第2番と第8番(ラズモフスキー第2番)、後半に第13番。

 毎回、前期と中期と後期の曲が演奏される。はっきりと特徴が異なるとされる三つの時期が、実は連続しており、成長と円熟の過程だというのが、このプルグラムの意図するところなのだろうか。

 第2番は素晴らしかった。古典主義的な均整を保ち、初々しくのびやか。若きベートーヴェンの素直な精神がこぼれ出ているのを感じる。とりわけ第4楽章の躍動は心が沸き立つ。弾むような精神とでもいうか。しなやかで繊細で躍動にあふれている。

 第8番はさらに素晴らしかった。第1楽章ではベートーヴェンの中期の短調作品に特徴的な宿命的な雰囲気が濃厚ではあるが、それが深刻になりすぎず、何よりも繊細でしなやか。そして、第3楽章のロシア民謡も実に美しく、第4楽章ではしなやかであかるくなって、まさに「苦悩を経て歓喜へ」を歌う。とても感動した。

 第13番もとても良かった。ただ、実をいうと、私はこの演奏には多少違和感を覚えた。後期作品も前期や中期と同じようなアプローチで演奏しているようだ。だが、そうなると後期のベートーヴェンの、一切の妥協を排して孤高の境地を刻むような雰囲気がなくなる。もちろん第5楽章のカヴァティーナは素晴らしかった。この上なく切なく、美しく、繊細だった。だが、大フーガは私の求める激しさがなかった。

 私は大フーガはそれまでのすべてに対する「否!」をたたきつける音楽だと思っている。すべてに否を言い、すべてを排除して、最後に残ったものを築き上げていくのが大フーガだと思っている。その魂の闘いの記録だと思う。が、エルサレム弦楽四重奏団の大フーガは、「否」ではなく、「諾」のようだ。攻撃的ではなく、剛腕でもない。4つの楽器がたたみつけあい、巨大な世界を作っていく。世界に戦いを挑んで否定を重ねていくのではなく、音を重ねて互いに築き上げ、肯定の世界を作り上げていく。

 なるほど、大フーガをそのようにとらえることもできるのだと思った。それはそれですばらしいと思った。だが、ないものねだりだとはわかっているが、私としてはちょっと物足りなかった。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏 初日

 202166日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の初日を聴いた。曲目は前半に第1番と第7番(ラズモフスキー第1番)と第12番。つまり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の前期と中期と後期のそれぞれ最初の曲。

 第1番の冒頭の音のなんとしなやかなことか。若きベートーヴェンの心のひだがわかるような演奏。しなやかで十分に繊細だが、決して弱々しくはない。ういういしくて、生き生きとしていてのびやか。音の重なりが生命の美しさをたたえるかのように聞こえる。

 第8番も基本的には同じようなアプローチだと思う。だが、曲の性格のためにもっとダイナミックでスケールが大きくなる。アンサンブルがとても美しい。近年の若いグループによくあるような緻密なアンサンブルによる切込みの強い激しい表現ではない。しなやかで柔和。だが、生命力にあふれているので、小さくならない。素晴らしい演奏だと思った。第3楽章の悲しみをたたえた曲想も実に美しく、終楽章の盛り上がりも素晴らしい。感動した。

 第12番については、実は初めの2つの楽章については少し違和感を抱いた。後期の曲までもしなやかな音楽に仕立てているような気がした。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の予定調和を拒否するような力感が弱いように思った。だが、聴き進むうち、きっとこの四重奏団は後期の四重奏曲の中に生命の賛歌をにじませようとしているのではないかと思った。肯定の世界。そう考えると納得できる。第34楽章は生命が飛躍する。何はともあれ肯定。終楽章は素晴らしかった。

 とても良い演奏だった。明日からの演奏も楽しみだ。

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