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オペラ映像「ワルキューレ」「雪娘」「死の都」

ワーグナー 「ワルキューレ」 2011年 ソフィア国立歌劇場

 先日発売になった「ラインの黄金」に続いて、ソフィア国立歌劇場の「指環」第二弾。「ラインの黄金」があまりよくなかったので、今回も期待していたわけではなかったが、やはり予想通り、水準以下の上演だと思う。

 やはり、私の耳には耐えられないほど、パヴェル・バレフ指揮のソフィア国立歌劇場管弦楽団の精度が良くない。情けない音を出すし、そもそも音程があっていない。これは本当にプロのオーケストラだろうかと疑ってしまう。

 歌手陣はそれに比べれば健闘していると思う。ジークリンデのツヴェタナ・バンダロフスカはしっかりした綺麗な声。ブリュンヒルデのマリアナ・ツヴェトコヴァは堂々たる声。ただ、それ以外のジークムントのマルティン・イリエフ、フンディングのアンゲル・フリストフ、ヴォータンのニコライ・ペトロフ、フリッカのルミャーナ・ペトロヴァは、いずれも声のコントロールが不十分なところを感じる。一生懸命歌っているのはよくわかるが、余裕がない。聴いているほうとすれば、少々苦しくなる。

 演出はプラメン・カルタロフ。コンピュータグラフィックスによって鮮やかな原色を多用した舞台。登場人物たちは突起物のたくさんついた宇宙服のようなものを着ている。フンディングにいたっては、服の上に貝殻のようなものがいくつも服についていてまるでウツボのよう。ワルキューレたちは宙づりされたカヌーのようなものの上に立って歌う。ゲームか漫画の世界。私としては、どういう世界観をこの舞台で現出させたいのかよくわからない。

「ラインの黄金」を見たときにも思ったが、凝った演出にして目立とうとするよりは、まずはオーケストラの精度を上げてワーグナーの音楽を聴かせてほしいものだ。

 

リムスキー=コルサコフ 「雪娘」 2017年 パリ、オペラ・バスティーユ

 私がリムスキー=コルサコフのオペラの真価を知ったのはごく最近のことだ。「雪娘」の映像が発売になったので早速購入。このオペラの映像はもちろん、音楽も初めて聴いた。

 初めてみるオペラなので、できれば台本通りの演出であってほしいが、どうもそうではなさそう。オリジナルでは、森の精やら太陽神やらの話だが、ドミトリー・チェルニャコフの演出では、高校生?くらいの雪娘が両親としばらくの別れを告げ、森にキャンプ(林間学校のようなものだ)に行く話になっている。そこで出会いがあるが、雪娘であるがゆえに心は冷たいままで愛を感じることができない。男女の愛のいさかいに巻き込まれ、ようやく愛を知るとき、春が訪れ、雪娘は溶けてしまう。そんな話になっていた。

 私としては、今回みただけでは、オペラ自体何がテーマなのかよくわからないし、演出意図もよくわからずにいる。もう少し勉強する必要がありそう。ただ、美しい森が再現され、生き生きとして人々が登場して、それはそれで退屈せずに見ていられる。そして、やはり音楽は素晴らしい。しなやかに音楽が流れ、美しいメロディがあり、音楽にもドラマにも無駄がなく、とても論理的。

 歌手陣は充実している。何よりも驚くのは雪娘役のアイーダ・ガリフッリーナ。高校生くらいの可愛らしい女の子にしか見えない。初めは黙役だとばかり思っていたら、なんのなんの。歌いだしたら、透明なしっかりした声で見事に歌う。この歌手を初めて知ったが、これは驚くべき逸材だ。レーリを歌うカウンターテナーのユーリ・ミネンコも音程の良い深みのある声、クパヴァのマルティナ・セラフィンも香りのある声で恋に破れ、新たな恋を見出す女性を見事に演じる。雪娘の母のエレナ・マニスティナも、娘に試練を与える複雑な役をしっかりと歌っている。ミズギールを歌うのはトーマス・ヨハネス・マイヤー。日本の新国立劇場にも何度も登場したおなじみの歌手で、もちろん悪くないのだが、少し声が伸びていないのを感じた。

 ミハイル・タタルニコフの指揮するパリ・オペラ座管弦楽団はとても雄弁。リムスキー=コルサコフの音楽らしくとても色彩的でしなやかで、じわじわと盛り上がる。とても良い演奏だと思う。

 改めて思う。リムスキー=コルサコフのオペラはとてもいい。実演の機会も、映像ソフトやCDも少ないのがとても残念。

 

コルンゴルト 「死の都」(NHKBS放映) 2019年 バイエルン国立歌劇場

 すべてがそろったすばらしい上演だと思う。

 まず、キリル・ペトレンコ指揮のバイエルン国立管弦楽団の音に惹かれる。しなやかでふくよかで妖艶な音。楽器の絡みも美しく、香りのある後期ロマン派の世界が展開する。まさに音楽だけで、現実と幻想が入り混じり、主人公が夢幻の世界で情欲と宗教的な祈りの世界に入り込む様子がよくわかる。

 歌手陣も最高度に充実している。とりわけ、パウルのヨナス・カウフマンとマリエッタのマルリス・ペーターゼンの二人が言葉を絶するすばらしさ。カウフマンは亡き妻と目の前の女の間で揺れ動き狂気の世界に入り込む様を見事に歌う。ペーターゼンは透明な美しい声で複雑なマリエッタと亡き妻を歌いわける。これ以上の配役は考えられない!

 サイモン・ストーンの演出も狂気の世界に入り込むパウルをリアルに描く。観客は亡き妻と、妻にそっくりの踊り子との間で揺れ動くパウルとともに狂気の世界に入り込む。舞台は動き、分身が次々と登場する。時代はおそらく1960年代から70年代に設定されているようだ。ゴダールの「気狂いピエロ」やアントニオーニの「欲望」の映画ポスターが飾られている(この二つの映画は、いずれもまさに狂気の世界に入りかけた人間を描いていた!)。パウルの部屋は趣味の良い色づかいの現代的な部屋であり、踊り子たちもスタイルの良い、決して品の悪くないので、とてもスタイリッシュな狂気といってよいだろう。亡き妻と距離をとろうとする最後のパウロの決意もとても納得できる。大いに感動した。

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