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ヴァイグレ&読響の「運命」 これぞ名匠の音楽!

 暑い。猛烈に暑い。しかも、コロナ禍真っただ中。人ごみの中に行くのを少しためらったが、少なくとも私にとって、ヴァイグレ指揮の「運命」は不要不急ではない。

 多くの人が言っていることであって、特に目新しいことではないが、コンサートについて書く前に少しだけコロナについて思うことを書く。

 昨日、渋谷で若者向けの予約なしワクチン接種が始まり、大混乱だったという。私は情報を詳しく知らなかったので、数千の接種がなされるのだとばかり思っていた。それでも大混乱だろうと思っていた。ところが、なんと200しか用意していないとは。大行列ができて、接種できない人が大勢押しかけて、むしろ密になって、場合によっては熱中症の人間が出るだろうとは、誰が考えてもわかりそうなものだ。まさか優秀な役人がそれも予想できないとは思えない。少なくとも、多くの役人が「それだと大混乱になりますよ」と口にしたと思う。それなのに強行された。きっと都知事のパフォーマンスにだれも反対できなかったのだと思う。

 昨日、大混乱したので、今日は行列を作って抽選券を配布して抽選だという。これだったら、予約をとるほうがいいではないか。わざわざ暑い中、感染と熱中症の危険を冒して渋谷まで行って抽選に外れたら目も当てられない。なんという無駄なことをしているのだろう。パフォーマンス政治を早くやめてほしいものだ。人命よりもパフォーマンスを重視する政治を即刻やめてほしい。

 では本題に入る。

 2021828日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ、曲目は前半にモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、戸澤采紀のヴァイオリンが加わってのドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲イ短調、後半にベートーヴェンの交響曲第5番(運命)。

 まず「フィガロの結婚」序曲の手際の良さに圧倒された。一気呵成。しかし、そこにワクワク感があり、ドラマがある。まったくスキがない。快速で飛ばしながらもしなやかでダイナミック。凄い。

 ただ、次のドヴォルザークについては、私はちょっと退屈だった。もちろん、読響メンバーはとてもきれいな音を出し、ヴァイグレはしっかりと構成を作る。戸澤のヴァイオリンものびのびとして感じのいい音楽を作っていく。ただ、戸澤のヴァイオリンはちょっと一本調子な気がする。とても「いい感じ」なのだが、音楽が深まっていかない。ドヴォルザークのこの曲はもう少し年を取ってからの方が味が出るのではないかと思った。

 後半のベートーヴェンは素晴らしかった。前半はやや抑え気味だと思う。やみくもに「運命の動機」を鳴らすのではない。いかにもヴァイグレらしく、しなやかで立体的。楽器と楽器が緊密に結びついているのがよくわかる。最高のタイミングでぴたりと音楽が決まり、音が重なり合っていく。第3楽章以降はまさに圧巻。徐々に音楽が高まり、高揚していく。苦悩から歓喜へというモティーフが、わざとらしくなく心の奥底に広がっていく。特に際立った仕掛けをしているようには思えない。テンポも動かさないし、何かを強調するわけでもない。ただ、しなやかな音が響き渡り、ホール全体に豊かな音楽のエネルギーが充満していく。これぞ名匠の音楽。とても感動した。

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芸劇ブランチコンサート「憧れのフランス音楽」 温かみがあって高貴

 2021825日、東京芸術劇場で第31回芸劇ブランチコンサート「憧れのフランス音楽」を聴いた。演奏は、MCも務めるピアノの清水和音のほか、竹山愛(Fl)、吉村結実(Ob)伊藤圭(Cl)。曲目はフォーレのファンタジー(フルートとピアノ)、プーランクのクラリネット・ソナタ、ドビュッシーの「シランクス」(フルート・ソロ)、サン=サーンス:オーボエ・ソナタ、サン=サーンスのデンマークとロシアの歌による奇想曲。私はプーランクのクラリネット・ソナタとサン=サーンスのオーボエ・ソナタを聴きたいと思って、コロナ禍の真夏、池袋の足を運んだのだったが、そのかいあった。とてもいいコンサートだった。堪能した。

 清水さんの音楽性なのかもしれない。いずれの曲も、温かみがあって高貴で、しかも余裕がある。ドイツ音楽のような、シャカリキにならない雰囲気がとてもいい。とりわけ、プーランクの曲はいろいろなものをそぎ落として残ったエッセンスのようなものが感じられて、とても感動的だ。クラリネットの伊藤さんも、肩の力を抜きながらも真摯なプーランクを浮き上がらせて見事。

 竹山さんの「シランクス」もしみじみとして美しい。サン=サーンスのオーボエ・ソナタは初めて聴いたが、吉村さんのオーボエは明快な音が美しかった。全員が登場しての最後の曲もおもしろかった。

 私は、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲やモーツァルトの数曲以外には、ふだんは管楽器を含む室内楽曲をあまり聴かない。が、今回聴いて、とても魅力的だと改めて思った。

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「コンバット」DVD・BOX 驚くべき傑作ドラマ

 私は決してテレビっ子ではなかったが、中学、高校生のころ(つまり、1960年代)、多くの人と同じようにテレビドラマを楽しんでいた。そして、きっと私と同世代の人がそうであるように、日本のドラマよりもアメリカのドラマのほうに夢中になった。そのころ大好きだったのが、「コンバット」と「逃亡者」と「0011 ナポレオン・ソロ」だった。この3つの番組に関しては初回から最終回まですべてみていると思う。しかも、その後の再放送も何度かみた。

 このほど、テレビ放映されたスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」を久しぶりにみて、「コンバット」を思い出した。「コンバット」もこんなふうに戦争のむなしさ、極限状況の中の人間模様を描いていたっけと思った。無性に「コンバット」を見たくなった。アマゾンで調べて、シーズン1のDVDBOXを購入した。第1話から24話まで収録されている。昔懐かしい、田中信夫、納谷悟朗、羽佐間道夫、山田康雄の吹き替え。多くの回をロバート・アルトマンが監督している。

 きっとまだ戦争の記憶が生々しかったのだろう。ここに描かれているのは、多くが実際の兵隊たちの体験なのだと思う。当時、PTAから「戦争を美化している」といった批判が寄せられていた記憶があるが、とんでもない。まともな読解力を持っていれば、これを戦争美化などとは解釈のしようがないはずだ。

 戦争の不条理、理不尽な命令、死が日常となり、殺すことが習慣になってしまった人間の苦悩、いかんともしがたい二律背反。アメリカ兵の怒りと悲しみだけでなく、フランスのレジスタンスや一般庶民、ドイツ協力者、そしてドイツ軍兵士の運命や心情もリアルに描かれる。

 サンダース軍曹(ヴィック・モロー)は分隊を率いて、ノルマンディに上陸し、激烈な戦闘の中、パリに向かってフランス各地でドイツ軍と戦う。部下を殺されないような一人前の兵士に育てるが、時に失敗して部下を死なせたり、上官に八つ当たりしたり、自分がドイツ軍の捕虜になったりする。みんなが生き延びるためにその時々の選択をし、そのしっぺ返しを受け、のっぴきならない状況に追いやられながら、何とか自分らしい道を選ぶ。そのようなドラマにあふれている。人間ドラマとしても見事、サンダースの部下掌握法はリーダー論としても興味深い。驚くべき傑作ドラマだと改めて思う。

 ドイツ兵の銃はなかなかアメリカ兵にあたらず(少なくとも、レギュラー陣にはよほどのドラマの展開が用意されているときを除いてあたらない)、逆にサンダースの銃はかなりの精度で敵を倒す。また、サンダースやヘンリー少尉(リック・ジェイソン)ばかりが毎回毎回、劇的な目にあって、たとえ銃撃されても運よく致命傷にならない。そのような不自然さはないでもないが、そうしないと連続ドラマが成り立たないのだから、そこは大目に見よう。それにしてもフランスの戦場をリアルに再現し、兵士たちの動きを見事に描いている。

 今見ても、兵士の機敏な動きはまさに戦場で生死の中で必死に戦う兵士にしか見えない。戦場となって無残な状態になったフランスの田舎町はまさにフランスの田舎町だし、そこに生きる、おびえていたり、したたかだったりするフランス人はまさしく当時のフランス人。ドイツ兵もドイツ兵そのもの。実際のフランス戦線の映像も使われているだろうが、ヨーロッパ戦線はこうだっただろうと思わせるだけの力を持っている。

 たとえば、第11話「一人だけ帰った」。サンダースは、一緒に偵察に出た全員が殺され、その一人が命と引き換えに得た情報を伝えようと必死に本部に戻るが、上層部はその情報をほかの手段ですでに得ており、サンダースの情報を少しもありがたがらない。

 第16話「小さな義勇兵」。家族をドイツ軍に殺されたフランスの13歳の少年がアメリカ軍の義勇兵になろうとして、復讐に燃えてドイツ兵を撃ち殺すが、そのドイツ兵は少し前、少年に優しく接して、亡くなった自分の子どもの写真を見せながらチョコレートをくれた兵士だったことに気づく。

 そのようなエピソードが毎回、無駄のないセリフと緊迫感あふれる映像によって描かれる。もちろん、たまには私にもおもしろくない回はあるが、よくもまあこれだけの上質の人間ドラマを毎週放送していたものだと思う。しかも、これほど重いテーマの戦争ドラマが家庭のテレビに届けられていたことに驚きを覚える。それにしても、10数年前まで「鬼畜米英」と呼び、二度の原爆を落とした米兵の物語を日本人が喜んでみていたことにも驚く。戦争経験のある父と一緒にこのドラマを見ていた記憶があるが、父はいったいどのような気持ちでいたのだろう。

 日本で「コンバット」が話題になっていたころ、戦争を扱う日本映画も盛んにつくられていた。日本の戦争映画にはきまって上官への絶対服従や部下への暴力、外地の人々への暴力や略奪が描かれた。だが、「コンバット」にはそのような要素はない。復讐心に駆られてドイツ兵を私情で殺そうとする兵士も描かれるが、それを止める兵士も多い。ドイツ軍も、意外とジュネーブ協定を守ってアメリカ軍に対して紳士的に振る舞っているように描かれている。実際にはもっと悲惨だったと思われるが、日本映画で扱われる問題がそれほど大問題ではなかったのも事実だろう。

 作劇にも日本との大きな違いを感じる。当時の日本の戦争映画は、涙を誘うものが多かった。登場人物たちは軍隊内部でもつらい目にあい、残してきた家族を思い、戦友たちの無残な死を目の当たりにする。そこに主眼があった。可哀そうな人に感情移入をして、観客を泣かせようとする映画だった。だが、「コンバット」では情緒に流されず、もっと冷めた目で個人個人の悲劇を描く。敗者と勝者の違いもあるだろうが、日米の文化の違いも感じざるを得ない。

 まだ20話ほどしかみていないが、25話以降の収録されているシーズン2のBOXも購入した。もうしばらく見続けることにしよう。

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オペラ映像「青ひげ」「戦争と平和」「サトコ」「皇帝サルタンの物語」「皇帝の花嫁」「金鶏」

 久しぶりにここに文章を書く。その間にオリンピックが終わった。私はオリンピック開催には反対だったが、もちろん開催されるとなったからには十分に競技を楽しむ。ただ、それにしても開会式と閉会式の演出にはかなり失望した。オリンピックを主導してきた人たち、そして政権の中枢にいる人たちの教養の低下を感じざるを得なかった。

 オリンピック開催中から、我が家にもいろいろなことが起こって、一時期はあまり精神的な余裕が持てなかった。今はのんびりした気持ちになれたので、時間を見つけてみていたオペラ映像についての感想を書く。

 

オッフェンバック 喜歌劇「青ひげ」2019年 リヨン歌劇場

 ロラン・ペリー演出(ただし、クリスティアン・レートとの共同制作とのこと)だけあって、実に楽しい。現代の田舎の権力者や巨大企業の権力者を揶揄したストーリーになっている。

 フルレット(ジェニファー・クルシエ)はそのあたりによくいるちょっと可愛らしいお嬢さん、サフィール王子(カール・ガザロシアン)は恋に夢中な、これまたよく見かけるタイプの青年、ブロット(エロイーズ・マス)は、これもあちこちにいる肉体自慢の恋に積極的な女性、青ひげ(ヤン・ブロン)は時々新聞をにぎわす猟奇的な中年男、ボベーシュ王(クリストフ・モルターニュ)は短気で横暴な権力者。現代にもよくいる典型として見事に描いてくれる。

 どの歌手も声楽的には圧倒的というわけではないが、むしろそうであるからこそ、いっそう身近でリアルに感じられる。全員の漫画的な演技が見事で、とても楽しい。最後には、猟奇的な殺人をもくろんだ青ひげも王も許される形になるが、それはそれで十分に楽しめる気持ちになるオッフェンバックの力量たるやすさまじいと思う。

 ミケーレ・スポッティの指揮によるリヨン歌劇場管弦楽団もまったく文句なし。躍動感があってとてもいい。

 

プロコフィエフ 「戦争と平和」 1991年 マリインスキー歌劇場

 久しぶりにこのオペラの映像をみた。4時間近い大作だが、やはりトルストイの原作の駆け足のダイジェスト版になってしまうのがつらい。実演ならまだしも、映像では、ストーリーの上っ面をかすめるだけで各人物の心の奥に入り込めない。それにプロコフィエフのオペラの中でも、「三つのオレンジへの恋」や「炎の天使」「賭博者」のほうがオペラとしての出来が良いような気がする。

 私は昔々読んだ原作小説や、その後見たボンダルチュク監督のロシア映画を思い出しながらこの映像をみたのだった。1991年の映像であるせいか、グラハム・ヴィックの演出はあまりに当たり前で、見慣れてきたままの舞台が続く。

 アンドレイのアレクサンダー・ゲルガロフとナターシャのエレーナ・プロキナ、ピエールのゲガム・グレゴリア、そして、エレンのオルガ・ボロディナはさすがの歌唱。とりわけ、ボロディナは虚飾の美女をほれぼれするほど見事に演じる。

 ただ私はゲルギエフの指揮に、いつものような魔術的な響きを感じなかった。以前、このオペラの実演やほかの映像をみたときには、もう少しこのオペラを傑作だと感じたような気がしたのだが、今回はあまり魅力を感じなかった。

 

リムスキー=コルサコフ 「サトコ」 1994年 マリインスキー劇場 

 3年ほど前からリムスキー=コルサコフのオペラに惹かれるようになった。かつてみたオペラ映像のいくつかももう一度みたくなった。

 音楽はとてもおもしろい。サトコはいわばロシアの浦島太郎のような存在らしい。海王の娘に招かれて海底の国に行って歓待を受けるが、妻の待つ現世に戻る。そのような愉快で魅力にあふれたサトコの冒険をダイナミックに夢幻的に描く。サトコの帰りを待つ妻の悲しみの歌もあって、オペラとしてとても良くできている。ストーリーの展開は単純だが、踊りやら様々の合唱やらがあって、ある意味で無駄が多いが、それはそれで楽しめる。

 ゲルギエフの指揮は、夢幻的な音楽がとても魅力的。前にこの映像をみたときにもブログに書いた記憶があるが、サトコを歌うヴラディミール・ガルーシンの音程が不安定なのが残念。

 

リムスキー=コルサコフ 「皇帝サルタンの物語」2013年 マリインスキー歌劇場

 この映像も久しぶりにみた。魔女のたくらみによって王に捨てられたお妃と王子が、王子の助けた白鳥の恩返しによって王と再会するおとぎ話。論理的に無駄なく構成された台本と、これまたスキのない音楽が見事。「熊蜂は飛ぶ」のオーケストレーションのうまさにも舌を巻く。ありそうもない話なのだが、台本と音楽の展開によってまったく不自然さを感じさせない。

 歌手陣はみんなとてもいい。ワレリー・ゲルギエフの色彩的な指揮も素晴らしい。ただ、外見的には王子と妃の容姿はそれらしく見えないが、声楽的には文句なし。とても楽しめた。

 

リムスキー=コルサコフ 「皇帝の花嫁」 2013年 ベルリン、シラー劇場

 改めてこの映像をみたが、これは正真正銘の大傑作オペラの見事な上演だと思った。

 まずオペラそのものが素晴らしい。台本もとても論理的に構成され、それぞれの人物のやむにやまれぬ欲望が悲劇へと収束するさまが見事に描かれる。美しくも宿命的な音楽もふんだんにあり、イワン雷帝の妃になることを強制されたマルファの悲しみと苦しみがひしひしと伝わる。世界各地でたびたび上演されるべきオペラだと思う。

 この上演ではやはりマルファを歌うオリガ・ペレチャトコが圧倒的だ。可憐な容姿と美しい声。この役にぴったり。ソバーキンのアナトリー・コチェルガも十分に感情移入できる悪役を演じて見事。リュバーシャを歌うアニータ・ラフヴェリシヴィリも恋を失って苦しむ敵役を見事に歌う。ダニエル・バレンボイムの指揮するベルリン国立歌劇場管弦楽団もさすがというか、ドラマティックで美しい音楽を作り出している。

 ドミートリー・チェルニャコフの演出は、イワン雷帝のいる宮殿を現代の放送局に置き換えたもの。皇帝の花嫁選びがテレビでの大イベントになっている。単に愛する者から引き離されて雷帝の妃になった悲劇だけでなく、自分であることを否定され、偶像として生きなくてはならなくなった現代人の苦悩も描かれる。緑にあふれ、清潔でセンスの良いマルファの家の室内も描かれて、マルファの可憐さを引き立て、宿命の過酷さを際立てる。同時に、大ロシアの大自然、そこに生きる人々の息吹も伝わる。改めて感動して観た。

 

リムスキー=コルサコフ 「金鶏」 2014年 マリインスキー歌劇場

 傑作オペラの素晴らしい上演。今回、この映像をみなおしたが、私にはまだこのオペラの寓意がよくわからない。ともあれ、人を食ったような不思議なおとぎ話であって、シュールな魅力があってとてもおもしろい。しかも、ユーリ・アレクサンドロフによるこの上演の演出もおもしろい。プロコフィエフの音楽を先取りしたかのようなときに調子っぱずれな表現も楽しい。

 絵本から出てきたようなロシアの建物や人物が現れ、幻想的な物語が展開する。愚かな王子たちは巨大な被り物を頭に載せ、原色のおとぎ話の世界が広がる。

 もう一つ、この上演で驚くのは、女性たちのあまりの容貌の美しさ。シェマハの女王を歌うアイダ・ガリフューリナも金鶏を歌うキラ・ロギノヴァもハリウッド映画の主要な役を演じてもおかしくないほどの美貌。そしてドドン王のウラジーミル・フェリャウエルもとても渋いし、もちろん指揮のゲルギエフも魅力的な男性ではある。外見重視に見えて、音楽的にもしっかりしている。ネトレプコを輩出したマリインスキー歌劇場だけのことはある。オペラは視覚芸術でもあるので、これはこれでとてもうれしいことだ。

「皇帝の花嫁」とともにこれも大傑作だと思う。

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鈴木秀美&神フィル ドヴォルザーク第8番に感動

 202183日、ミューザ川崎シンフォニーホールでサマーフェスタミューザの一環としての神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴いた。指揮は鈴木秀美。曲目は前半にドヴォルザークの序曲と「謝肉祭」、郷古廉が加わってのシューマンのヴァイオリン協奏曲、後半にドヴォルザークの交響曲第8番。とても良い演奏だった。

 鈴木秀美の指揮は明快で引き締まっていてダイナミック。しかも、十分に叙情的で美しい。「謝肉祭」はダイナミックな音響で祝祭感覚いっぱいに鳴らす。神奈川フィルも一昔前とうってかわって、とても洗練された音になっているのでびっくり。

 ただ、私はシューマンのヴァイオリン協奏曲については、実はちょっと退屈に感じた。この曲を説得力のある音楽にするには、この狂気じみた雰囲気を感じさせないようにうまく整合性をとるか、あるいは逆にいっそのこといびつな世界を最大限に表現するかのどちらかだと思う。ところが、郷古のヴァイオリンはとてもまじめでしっかりと音楽をとらえているのだが、そうであるがゆえに整合性をとることもなく、狂気を全開にすることもなく、結局真面目なアプローチで終わった気がした。

 後半のドヴォルザークの交響曲第8番は素晴らしいと思った。この曲はややもすると統一が取れなくなってしまうと思うのだが、鈴木の演奏ではそのようなことはまったく感じなかった。美しいメロディが続出するが、それがうまく重なり合って一つの楽曲をなしていく。木管楽器もさることながら、トランペットがとても鮮烈に響いて、しなやかな歌を織りなしていた。見事。まさにツボを得た演奏。

 このところ、鈴木秀美の指揮を聴くごとに感動する。今ころになってこのようなことを言うのも僭越だが、実に素晴らしい指揮者になったものだ。

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