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井上&宮田&読響のゴリホフのチェロ協奏曲 超時間、超空間の音楽!

 2021929日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は井上道義、曲目は、前半に宮田大を独奏に迎えて、ゴリホフのチェロ協奏曲「アズール」(日本初演)、後半にストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲とショスタコーヴィチの交響曲第9番。

 実は、チラシをみて、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲が曲目に含まれると勘違いして、チケットを購入、先日の読響のコンサートに出かけた際に改めてチラシを見てびっくり。ゴリホフという作曲家は1960年生まれだという。現代曲に関心のない私としては、退屈な時間を覚悟して出かけたのだった。

 だが、どうしてどうして。とてもおもしろかった。いや、それどころか凄い曲だと思った。様々のパーカッションやアコーディンが加わる。中央アジアの音楽を思わせる響き。鳥の羽ばたき、大気の動きの音が聞こえる。宇宙的な広がりを持っている。超時間的、超空間的とでもいうか。25分ほどの曲だが、まったく退屈せず、圧倒されて聴いた。チェロの宮田のとてつもないテクニックにも驚嘆。緻密にして壮大な世界を聴かせてくれた。

 後半のショスタコーヴィチの交響曲第9番もとてもおもしろかった。いったいショスタコーヴィチはこの曲をどんなつもりで作ったのか。ソ連当局に向かって「あかんべえ」をしているのか。韜晦なのか自虐なのか皮肉なのか。調子はずれの人を食ったような音楽が続き、グロテスクとさえいえるような身振りがある。だが、その中に純粋なものへの憧れのようなものも確かに聴きとれる。結局、よくはわからないが、ともあれそのようなごったまぜのようなショスタコーヴィチの特異な世界を井上道義の指揮する読響は見事に説得力を持って聞かせてくれた。なんだかよくわからないが、ともあれショスタコーヴィチの矛盾に満ちた世界が現前に広がる。なんだかよくわからないが、ともあれ凄い世界だ。何度か感動に震えた。

 私は実は音楽に関してはかなり偏狭な人間で、嫌いな作曲家がたくさんいる。嫌いというわけではないもののまったく関心のない作曲家も多い。いや、正確に言うと、7人の作曲家が大好きで、十数人の作曲家がかなり好き、それ以外は嫌いか無関心。だから、同じ作曲家の曲ばかりを聴いている。もういい加減トシだから、これから無理をしないで、好きな作曲家の曲ばかり聴いて過ごそうと思っていたが、今回のように知らない作曲家の曲を聞いて感動することもある。たまには幅を広げてみるのもいいものだと思った。

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レネス&松田&都響のプロコフィエフ 松田のピアノに驚嘆

 2021927日、東京文化会館で東京都交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はローレンス・レネス、曲目は前半にワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲と、松田華音の独創が加わって、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、後半にプロコフィエフの交響曲第5番。

 いただいたチケット。最前列(正確に言うと2列目だが、1列目は空けられていた)だった。いつもと違う音にびっくり。ワーグナーやプロコフィエフを最前列で聴くと、これは格別。

 松田華音のあまりのテクニックにも圧倒された。乱れなく、美しい強い音色で超絶技巧のこの曲を弾きこなす。そして、そこにまさにプロコフィエ フの突き抜けた個性が現れている。躍動し、羽ばたき、跳躍し、流動する。そこに抒情もあり、強い意志もあり、諧謔もあり、怒りもある。それを見事に音楽にしていく。凄い。この細腕からこんな音が出てくるなんて!

 レネスの音を作り出すテクニックにもとても感銘を受けた。都響サウンドをしっかりいかしてプロコフィエフの華麗で躍動的な音響を作り出している。颯爽とした音を作り、それぞれの音が濁らない。みごとなタクトテクニックだと思う。

 ただ、音楽の作りとしては私は少々疑問を持った。プロコフィエフはそれほど頻繁に聴いているわけではないので、偉そうなことは言えないが、どうもこの指揮は一本調子に思える。音響はとてもきれいなのだが、音楽の組み立てがよくわからない。私の頭の中でうまく構成されていかない。その点、不満に思った。特に交響曲第5番。私は時々音楽の方向感覚を失ってしまった。もちろん、私の聴き方が悪いのかもしれないが。

 とはいえ、松田華音の目覚ましいプロコフィエフを聞けてとても満足。

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スダーン&東響の「幻想」 ぞっとするほどリアリティのある音

 2021925日、サントリーホールで東京交響楽団演奏会を聴いた。指揮はユベール・スダーン、曲目は前半にフランクの交響詩「プシュケ」より第4曲「プシュケとエロス」、メゾソプラノの加納悦子(チケット販売時には、アリス・クートが予定されていた)が加わってショーソンの「愛と海の詩」、後半にベルリオーズの「幻想交響曲」。

 加納は、私の席のせいかもしれないが、フランス語の言葉がまったく聞き取れなかったのが残念。きれいな声で歌っていることはわかるのだが、やはり声がオーケストラにかき消されて、母音も子音も識別できなかった。もう少し狭いホールで、しかももう少しオーケストラの音量を小さくするほうが良かったと思う。

 東響の音は、フランスの色彩感があって、とてもよかった。フランクもショーソンもフランス的なイントネーションを見事に描いていると思った。

 後半の「幻想」は素晴らしかった。東響が研ぎ澄まされた音を出し、しかも時にそれが爆発した。ベルリオーズの情念というか、魑魅魍魎というか、そのような得体のしれない想念が音楽として乗り移ったかのような個所が何度かあった。ホラー映画をみてぞっと鳥肌がたつような感覚を何度か覚えた。ぞっとするほどリアリティのある音だと思った。

 ただし、決して暗い音ではない。おどろおどろしいわけではない。こけ脅しの不気味な音というわけではない。むしろ明るめの明瞭な音だと思う。だからこそ、余計にリアリティを感じる。前半、抑え気味にして最後に爆発するタイプの演奏がよくあるが、スダーンの演奏はそれとは少し違う。第一楽章から、かなりドラマが動き、激しい魂の音が押し寄せる。

 とても満足のできるコンサートだった。

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オペラ映像「劇場の都合、不都合」「絹のはしご」「試金石」「なりゆき泥棒」

 大学の後期が始まった。私は、大学の選任職を定年退職した後、非常勤として後期だけの講義を受け持っている。いよいよ開始。昨年は対面授業とオンライン授業のハイブリッドだったが、今年は全面的に対面。週に一日だけの勤務だが、なんと、一日に90分、3コマ。しばらくは少々疲れを感じそう。

 それに先立ってオペラ映像を数本みたので、感想を書く。

 

ドニゼッティ 「劇場の都合、不都合」 2017年 リヨン国立歌劇場

 先日、安売りのDVDセットでスカラ座のこのオペラの上演の映像をみたのだったが、今回みたのは、新発売されたリヨンでの公演映像。これも同じくらいに楽しい。声楽的には図抜けているのは、ダリア役のチョーフィくらい。プロコーロのチャールズ・ライス、ルイジアのクララ・メローニ、グリエルモのエネア・スカラもとてもいいし、まったく不満はないが、ほれぼれするほどではない。

 アガタを歌うのはロラン・ナウリ。オペラの稽古場に乗り込んできてすべてをぶち壊してしまうモンスター・ステージ・マザーをナウリが歌いまくる。ナウリはもちろん芸達者な名歌手だが、それにしてもうまい。しばしば劇場は笑いに包まれる。

 作曲家役のピエトロ・ディ・ビアンコは歌も悪くないので、とてもいい歌手だと思っていたところ、チョーフィがロッシーニのオペラアリアを歌うのをピアノで見事に伴奏をする場面があった。いったいこの人、何者? (いつだったか、「地獄のオルフェウス」でオルフェウス役の歌手が実際にかなり難しいヴァイオリンのパートを弾いているのを映像でみて驚いたことがあったが、それを思い出した)。

 そして今回もまた、ロラン・ペリーの演出が圧倒的に素晴らしい。リズミカルでコミックでしゃれている。人物の動きそのものがとても音楽的。第一幕は駐車場でのけいこという設定。ドタバタの様子が伝わっておもしろい。指揮はロレンツォ・ヴィオッティ。生き生きとしていい演奏だと思う。とても満足。素晴らしいオペラというわけではないが、堅いことは言わず、舞台を楽しむにはとても良いオペラであり、とても良い上演だと思った。

 

ロッシーニ 「絹のはしご」2009年 ペーザロ音楽祭

 これまでみてきたロッシーニのオペラを、もう一度作曲年代順に見直している。続きを書く。

「絹のはしご」は、序曲だけは60年ほど前からなじんできた。ついでに言うと、50数年前、大分放送OBS(当時、大分市には、NHKのほかには、この民放局しかなかった)の夕方の短いニュースのスタートの音楽がこの序曲の最初の数小節だった。今考えても、とても良いセンスだと思う。当時の担当者に脱帽!

改めて全曲をみて、やはりとてもおもしろい。ロッシーニの脂ののった時期に差し掛かったことがよくわかる。

 ダミアーノ・ミキエレットの演出もクラウディオ・シモーネ指揮の演奏もとても現代的。現代の服を着た登場人物たちの現代的な色づかいの部屋でてきぱきとスピーディに物語が展開する。躍動的でスリリングでユーモラス。

 ジュリアを歌うオリガ・ペレチャトコが申し分ない。チャーミングな容姿と音程のいい美しい声。それに比べるとブランザックを歌うカルロ・レポーレは、声はきれいだが、役としては少々物足りない。ルチッラのアンナ・マラファーシもとてもいい。ドルモンのダニエレ・ザンファルディーノとジェルマーノのパオロ・ボルドーニャは悪くないが、さほど魅力敵というわけではない。

 

ロッシーニ 「試金石」2007年 マドリッド王立劇場

 自分への愛情を試すために芝居を打って、ともあれうまくことが収まる物語。だから「試金石」というタイトル。本筋と関係のない登場人物が大勢出て、たくさんの歌が披露されるのは後の「ランスへの旅」を思わせる。リアリズムからするとあり得ない設定がたくさんあるが、これはこれでとても楽しい。ロッシーニの本領発揮の時代に入ってきたことがよくわかる。

 ピエール・ルイージ・ピッツィによる演出は、舞台を現代に置き換えて、プール付きのおしゃれで色鮮やかな豪邸を描き出している。第一幕では水着姿で歌う。歌手陣に突出した人はいないが、全員、容姿も含めてその役にふさわしい。アスドルバーレ伯爵役のマルコ・ヴィンコも、クラリーチェのマリー=アンジュ・トドロヴィッチも、十分にしっかりした声で歌っている。指揮のアルベルト・ゼッダも言うことなし。歌手陣全員がなかなかの美形で体形もとても魅力的なので、見た目にも楽しい。

 

ロッシーニ 「なりゆき泥棒」 1992年 シュヴェツィンゲン音楽祭

 90分ほどのオペラ・ブッファ。有名なオペラではないし、録音も少なく、入手できる映像は一つしかないが、とても楽しい。カバンを間違えられたのをきっかけに、その中にあった紹介状を使って他人に成りすましてうまく結婚しようとして、最後はめでたしめでたし。8作目となると、もう完全にロッシーニの世界。

 1992年の録画なだけにさすがに画質も音質もよくなく、演奏様式も今と異なる。ミヒャエル・ハンペの演出。貴族らしい服を着て、まさに昔ながらの上演。92年の録画だけに、画像ももちろん、演奏様式も少し現在のロッシーニ演奏と異なるように思う。指揮はジャン・ルイージ・ジェルメッティで、とてもいいのだが、最近のロッシーニほどの躍動感はない。歌手もとびぬけて感動的な人はいないが、全体的にそろっている。

 

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中村・辻本・佐藤のトリオ 個性の異なる三人が息を合わせた音楽

 2021921日、紀尾井ホールで「中村太地 × 辻本玲 × 佐藤卓史 PIANO TRIO」を聴いた。曲目は、前半にヘンデル(ハルヴォルセン編)の「パッサカリア」、ブラームスのピアノ三重奏曲 第1番、後半にシューベルトのピアノ三重奏曲 第1番。

「パッサカリア」は、ヘンデルの原曲をヴァイオリンとチェロによるかなり自由な変奏を加えた曲。中村、辻本の技巧に圧倒された。中村のきりりと引き締まった美音に惹かれる。辻本ののびのびとした音とある意味で対照的と言っていいだろう。そこがおもしろかった。

 ブラームスのピアノ三重奏曲第1番については、第1楽章は私はちょっと持たれ気味になった。チェロが少し目立ちすぎている気がした。チェロのほうが音が大きく、しかも辻本の音は豊かで深みがあるので、どうしても細い線できりりと演奏する中村のヴァイオリンはかき消され気味になる。そうなると、ブラームスの緊密な構築が揺らぐ気がした。だが、第2楽章以降は、あまり気にならなくなった。徐々に緊密さが増し、若きブラームスの抑制された熱情のほとばしりが聞こえるようになってきた。最終楽章はさすがの盛り上がり。

 シューベルトのトリオはとてもよかった。これがシューベルトなのだと思う。音楽そのものを楽しみ、慈しみ、生き生きと幸福感いっぱいに音楽を進めていく。躍動的でメリハリのある佐藤のピアノ、豊かで愉悦に満ちたチェロ、そこに音程のいい美音がぴしりと決まる。個性の異なる三人が息を合わせて音楽を楽しむ。

 アンコールはピアソラの「ブエノスアイレスの秋」(中村さんがそのようにマイクを通して語ったように思えた)。これもまさに音楽の愉悦。これも息がぴったり合って素晴らしい。

 これまで辻本さん、佐藤さんの名演奏は何度か聴いていた。中村太地さんのヴァイオリンを聴いたのはこれが初めてだった。が、素晴らしいヴァイオリニストだと思った。端正で、音程がよく、音に気品があふれている。これからもトリオを続けてもらえるとこんなうれしいことはない。

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鈴木雅明指揮、優人オルガン、読響によるプーランクの協奏曲に感動

 2021918日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団演奏会を聴いた。指揮は鈴木雅明。曲目は前半にカール・フィリップ・エマニュエル・バッハのシンフォニア ニ長調と、鈴木優人が加わって、プーランクのオルガン協奏曲、後半にメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。

 バロック音楽に疎い私がこのシンフォニアを聴くのは、たぶん初めてだったと思う。とても新鮮に響いて素晴らしい。すべての楽器が美しく響き、勢いがあり、豊かさがある。ヴィブラートを減らした古楽的なアプローチだが、それが実に美しい。直截的でまっすぐに私の心の音が響いてくる。これまでC.P.E.バッハの曲はほとんど聴かなかったが、こんなに魅力的な作曲家だったのか!と思った。

 次のオルガン協奏曲には心から感動した。かなり前、ヒコックス指揮のこの曲のCDを聴いて、プーランクという作曲家の奥の深さに驚き、それ以来、プーランクに関心を持ってきたのだった。宗教的な厳粛さと真摯さにあふれ、時に劇的な激しい響きが心を引き裂く。そして、しばしばしなやかで柔和で現代的な表情が現れる。そのような精神を今日の演奏は真正面から描き出してくれた。

 これはオルガンとオーケストラによる協奏曲というよりも、オルガンがオーケストラを従者としてよりいっそうオルガンの威力を拡大したような曲だと思う。ホール全体が教会の中のようになるが、しかし、それはかつての厳かな教会ではなく、ジーパン姿の若者も交じっているような現代人の持つ宗教世界といえそうだ。そうした精神を鈴木優人だからこそ出せたのではないか。私はしばしば感動に震えた。同時に、改めてプーランクという作曲家の魅力を認識した。

 オルガンのアンコール曲として、フォーレのエレジーのオルガン・ヴァージョン。プーランクにしてはあまりに真摯な曲から少し解放されてゆっくりと人生の悲しみを味わうにはとても良い曲だった。それにしても、天才親子というのは何ともうらやましい。

「イタリア」も素晴らしかった。メンデルスゾーンの気高い品性を持った生き生きとした感情を見事に音にしてくれた。生命が息づいており、すべての音に勢いがある。古典的なたたずまいだが、間違いなくロマンティックな精神がほとばしっている。読響の音の美しさも再認識。迷いのない明確で美しい音。第一楽章も素晴らしかったが、最終楽章のリズムの高まりも感動的だった。実に満足だった。

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チョン&東フィルのブラームス3番・4番 自然体の演奏 なぜか音が濁っていた?

 2021917日、サントリーホールで、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。指揮は名誉音楽監督を務めるチョン・ミョンフン。曲目はブラームスの交響曲第3番と第4番。7月の第1番と第2番に続いての、ブラームスの交響曲全曲演奏の後半だ。

 もちろん、悪かろうはずがない。かつてのチョンと違って、力まず、無理をせず、実に自然体。素直に音を出し、ここぞというところでダイナミックになり、力感にあふれてくる。ぞくぞくするほど素晴らしいところが何か所もあった。

 とはいえ、実は私はキツネにつままれた気持ちだった。席のせいだろうか。音が濁って聞こえる! 縦の線があっていない。そのため、リズムもしっかりと刻まれず、アバウトな感じがする。もちろん、時々素晴らしさに圧倒されるし、一つ一つの楽器の音はきれいに聞こえる。だが、右と左がずれて聞こえる。チョン・ミョンフンがこのような音楽を作るとは思えないし、第4番の演奏終了後、多くの人が立ち上がって大拍手をしていたので、きっと素晴らしい演奏だったのだろう。アンコールとしてハンガリー舞曲が演奏され、これも熱狂的な喝采が行われていたが、私の耳にはこれも音がずれて聞こえた。気のせいかもしれないが、私の周囲の人はあまり熱心な拍手をしていなかった気がする。もしかしたら、私のいた席の付近(1階前方の右寄り)には、あまりきれいに聞こえなかったのかもしれない。

 そんなわけで、欲求不満の残るコンサートだった。席のせいか、私の耳(あるいは健康状態)のせいか、それとも本当に演奏があまりよくなかったのか。実はきちんと判断できずにいる。

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オペラ映像「さまよえるオランダ人」「ひどい誤解」「幸せな間違い」「バビロニアのチロ」

 我が家には次々と心配事が舞い込んでいる。しかし、心配しても仕方がないので、仕事をしたり、音楽を楽しんだりしている。オペラ映像を数本みたので感想を書く。

 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 2021年 バイロイト音楽祭

 NHKBSで放送されたもの。コロナ対策のため、合唱は別収録というような説明があった。

 演奏は素晴らしい。指揮はオクサーナ・リーニフ。若い女性指揮者だが、その音楽はすさまじい。引き締まっていて緊迫感にあふれ、スリリングとさえいえる。私はモノラル時代のクレメンス・クラウスのバイエルン国立歌劇場の録音が大好きなのだが、あの凄まじい演奏を思い出させる。これまで聴いた記憶のない音もたくさん聞こえてくる。そして、それらが意味を持っていることがよくわかる。凄い指揮者の登場だと思う。

 歌手陣も充実している。特筆するべきは、何といってもゼンタを歌うアスミク・グリゴリアンだろう。サロメやクリソテミスを歌って評判の歌手だが、圧倒的というほかない。フラグスタートやニルソンやジェシー・ノーマンなどのこれまでのワーグナー歌手のような太い声ではない。澄み切った細い声だが、きわめて強靭。そして、なによりも20代の可愛らしい娘に見える美しい容姿を兼ね備えている。こんなワーグナー歌手はこれまでいなかったのではないか。バラードは本当に素晴らしい。ダーラントのゲオルク・ツェッペンフェルトも見事。エリックのエリック・カトラーもとてもいい。オランダ人のジョン・ルンドグレンはちょっと異様な風貌のため存在感はあるが、後半、疲れのためか声が荒れるのが残念。

 この上演で最も問題なのは、ドミートリ・チェルニャコフの演出だろう。噴飯ものとしか言いようがない。船も出てこないし、海も出てこないで、第一幕は町の居酒屋なのは、いいとしよう。しかし、ワーグナーが台本を書いて作曲した「さまよえるオランダ人」とはまったく異なる話をでっちあげるのはいかがなものか。

 私の理解したところによると、この演出家が作り出した物語をまとめると、こういうことのようだ。

「ワーグナーの台本ではゼンタの乳母として登場するマリーは実はオランダ人にあこがれていた(もしかしたら、かつての「女」だったのかもしれない)。そして、今ではマリーはダーラントの後妻として家に入り込んでいる。そのため、ゼンタは反抗し、家出娘同然でいる。オランダ人とゼンタが愛し合うようになるが、それがマリーニは気に入らない。マリーは嫉妬からオランダ人を撃ち殺す」。

 演出家は何が楽しくて、こんなつまらない話をでっちあげるのだろう。ワーグナーの本質を突く物語か、あるいは現代社会を鋭く突く物語、あるいはせめてもう少しおもしろい物語を作るのならまだしも、おもしろくない話を作るとは。バイロイトの品格を疑ってしまう。

 コロナ禍が明けたら、ぜひ、またバイロイトに行きたいと思っていたのだが、こういう演出だと、大枚はたいてバイロイトに行こうという気がうせてしまう。

 

ロッシーニ 「ひどい誤解」 2008年 ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル 

 ロッシーニのオペラ映像を時代順にみている。前回に続いて、簡単に感想を書く。

 ロッシーニの3作目のオペラということになるが、これはすっかりロッシーニの世界。とても楽しくおもしろい。愉快な歌にあふれている。「セヴィリアの理髪師」を彷彿とさせる。このオペラに登場する従僕フォロンティーノはまさにフィガロ。好青年に同情して、いけすかない軽薄男に「あなたが婚約しようとしている相手は去勢した男」とウソを吹き込んで、まんまと結婚をまとめる。

 エミリオ・サヒの演出は舞台を現代にうつしたもの。まったく違和感はない。ロッシーニの音楽の現代性をむしろ感じさせる。ガンベロットを歌うブルーノ・デ・シモーネはもちろん芸達者で歌も素晴らしい。エルネスティーナ役のマリーナ・プルデンスカヤもコントラルトの声で溌溂と歌う。とてもきれいな女性だが、確かに男性と間違われるほどの背丈で、リアリティがある。

 ブラリッキーノのマルコ・ヴィンコも、フロンティーノのリカルド・ミラベッリも声も演技も素晴らしい。エルマンノを歌っているのは、前に見たときには気づかなかったが、その後、日本でも大人気になったディミトリ・コルチャク。ハリウッド映画で主役を演じてよいようなイケメンだが、声はちょっと上ずっている。

 ウンベルト・ベネデッティ・ミケランジェリの指揮するボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団も文句なし。とても楽しめる映像だ。

 

ロッシーニ 「幸運な間違い」2015年 ドイツ、バート・ヴィルドバート

 ロッシーニの4作目に数えられているオペラ。不貞の濡れ衣を着せられて海に流された公爵夫人イザベッラが一介の鉱夫であるタルボットに助けられ、不正を暴いて公爵の愛を再び得るまでを描く90分程度のオペラだが、なかなかおもしろい。楽しい音楽にあふれ、あまりに都合よく話の進むストーリーでありながら、そんなことは忘れて十分に楽しめる。

 イザベッラのシルヴィア・ダッラ・ベネッタはきれいな声と容姿で見事に歌う。人の良いタラボット役のロレンツォ・レガッツォ、公爵役のアルタヴァスト・サルグシャン、悪役オルモンドのバウルザン・アンデルザノフ、悪役の手先でありながらどこか憎めないバトーネのティツィアーノ・ブラッチも実にいい。アントニオ・フォリアーニの指揮もはつらつとしている。ヨッヘン・シェーンレーバーの演出は舞台を現代に移している。公爵とその部下たちは警官のような服装をしているが、悪漢たちは顔と服の上半分が白く汚れている。リアルにするよりもこのような一つの寓話として描くほうが面白みが増すということだろう。

 ともあれ、ロッシーニらしさが増していく途中のオペラだと言って間違いないだろう。

 

ロッシーニ 「バビロニアのチロ」 2012年 ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティバル

 ロッシーニの5作目のオペラ。1作ごとに完成度が増していくのがよくわかる。これはもう立派なロッシーニ作品だ。本格的なオペラ・セリアで、ロッシーニらしい技巧的な歌が次々と登場。

 ただストーリー的には、イタリア・オペラによくあることだが、もう少し何とかしてほしいと思う。これだと単に、王であるチロが使者を装って、自分の妻と息子が捕らわれている敵地に乗り込み、妻が愚かにも夫のたくらみに気づかずに対応したために素性がばれてしまって捕らわれ、やっと最後になって味方の軍勢のために助かった・・・というだけの話になってしまう。ほんの少し頭を使えば、チロも妃も簡単にばれないようにできるだろうに、なぜそれをしないんだ!という思いにどうしても駆られて、私などイライラしてしまう。

 チロを歌うコントラルトのエヴァ・ポドレスが素晴らしい。声の威力もあり、音程もしっかりしている。これに接するまでこの歌手を知らなかったが、大歌手だと思う。アミーラを歌うのはジェシカ・プラット、バルダッサーレを歌うマイケル・スパイレスは、少し不安定なところもあるが、大健闘。指揮のウィル・クラッチフィールドもとてもいい。

 演出はダヴィデ・リヴァーモア。全編が無声時代の歴史映画のスタイルで通される。歌手陣は化粧や服装、動きも白黒の「活動写真」ふうにされて、フィルムの傷のようなものも再現されている。映画をみる観客も配置され、1920年代の服装で、それらしい動きをする。確かに、このオペラを素直に再現すると、大時代風のリアリティのないドラマになってしまい、しかも歌手陣が必ずしもその役にふさわしい容貌ではないので、余計のそうなる。それをカムフラージュするためにこのような仕掛けにしたのだろう。それはそれで大いなる才能を感じるが、しかし、私としては、ここまでお金と労力をかけて大掛かりにこんな仕掛けをしなくても、ロッシーニのオペラは十分に楽しいのに!という気持ちを拭い去れない。

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藤原歌劇団「清教徒」  とても良かったが、あと少しの緻密さがほしい

 2021911日、新国立劇場オペラパレスで、藤原歌劇団公演(共催:新国立劇場・東京二期会)「清教徒」をみた。合唱は藤原歌劇団合唱部、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は柴田真郁、演出は松本重孝。

 緊急事態宣言中のため、合唱団は全員マスク着用。声が聞こえてこないが、これについてあれこれ言っても仕方がない。全体的に大健闘の上演だったと思う。

 エルヴィーラを歌う光岡暁恵がとてもよかった。音程の良いしっかりした声。容姿的にもこの役にふさわしい。リッカルドの井出壮志朗も安定した声でしっかりと歌っていた。そのほかの歌手陣もかなり健闘している。声がよく出ているし、何より、みんながなかなかの美声。だが、細かいところでほころびを感じた。アルトゥーロの山本康寛は高音が少し苦しく、何度か声が裏返ってしまった。ジョルジョの小野寺光、ヴァルトン卿の安東玄人は、少し音程の揺れを感じた。ただ、歌う場面は多くなかったが、エンリケッタの丸尾有香は容姿的に誇り高い王女に見えて、とてもよかった。

 柴田の指揮する東フィルもなかなかよかった。数か所、歌と合わないのを感じることもあったが、全体的にしっかりとまとめていた。松本による演出もわかりやすく、歌手たちの動きも自然で、リアル。特に新たな解釈があるわけではないと思うが、私に不満はない。

 ただ、正直言って、全体的にとても良いのだが、すべてがぴしりときまっているわけではない。そうなると、ベッリーニの、あの背筋をしゃんと伸ばして気高く歌うような雰囲気が出てこない。みんなが頑張って、かなり良い演奏をしているのはよくわかるのだが、ベッリーニのオペラの魅力が立ち上ってこない。ベッリーニの凛とした魅力を出すためには、細部に至るまでおろそかにしてはならないのだが改めて思った。

 日本のオペラのレベルも随分上がったと思いつつ、あと少しの緻密さがほしいものだ。もしかしたら、その「あと少し」がとても難しいのかもしれないが。

 

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オペラ映像「画家マティス」「カプリッチョ」「デメトリオとポリビオ」「結婚手形」

 9月になって突然涼しくなった。新型コロナウイルス感染者は減少気味だが、もちろんまだ油断はできない。アフガニスタン情勢、そしてアフガンから退避できずにいる人々のことも心配だが、もちろんどうすることもできない。なるべく外に出ないようにして、自宅で本を読んだり、オペラ映像をみたり、テレビを見たりしている。

 オペラ映像を何本がみたので感想を記す。

 

ヒンデミット 「画家マティス」 2012年 アン・デア・ウィーン劇場

 交響曲「画家マティス」はこれまで何度か聴いたことがあるが、オペラを聴くのもみるのも初めて。ヒンデミットは初めにオペラを作曲していたが、その途中、フルトヴェングラーにアドバイスを受けて、交響曲として先に完成させ、後にオペラに仕上げた。イーゼンハイムの祭壇画を描いたマティアス・グリューネヴァルトを主人公としたストーリーだとは知っていたが、こんな大ドラマだったとは!

 ルター派とカトリックが対立し、農民戦争が起こっていた時代。画家マティスと彼を支えるマインツの大司教は両派の争いの中で苦しみながらも芸術による表現を信じようとする。

 ヒンデミット自身による台本はわかりやすくできており、とても面白くみることができる(ありがたいことに日本語字幕がある!)。キース・ウォーナーの演出も、全員が現代の服装をしているとはいえ、的確に農民戦争の状況やそこでの芸術家の苦悩も描いてリアリティにあふれる。

 歌手陣も充実している。マティスを歌うヴォルフガング・コッホ、大司教のカート・ストレイト、リーディンガーのフランツ・グルントヘーバー、農民の指導者を歌うレイモンド・ヴェリー。いずれもしっかりと歌い、ドラマを高める。ウルズラ役のマヌエラ・ウール、レギーナ役のカテリーナ・トレチャコワも容姿を含めてとても魅力的でその役にふさわしい。

 ベルトラン・ド・ビリーの指揮するウィーン交響楽団にもまったく不満はない。切れがあってドラマ性に富み、躍動のある演奏。

 つまり私は、演出、演奏面でこの上演は素晴らしいと思う。ただ、残念ながら、この映像をみて心躍ることはなかった。やはりこれは作品自体にあまり魅力を感じなかった。

 少なくとも一度聴いただけでは、音楽的に登場人物のそれぞれのキャラクターが描かれているようには思えない。調性のしっかりした美しい歌でもなく、人の心をえぐるような無調の音楽でもないために、すべての登場人物が同じように平板に歌っているように思える。音楽によってドラマに引き込まれていくことがない。あの強烈なイーゼンハイムの祭壇画を描いた画家の内面が十分に描かれているようにも思えない。

 以前、同じヒンデミットのオペラ「カルディヤック」の実演と映像をみたことがある。そちらのほうがピリリと引き締まってずっと刺激的だった。「画家マティス」のほうは、3時間を超す大ドラマを作ろうとしすぎて、むしろ冗漫になってしまった感がある。

 

リヒャルト・シュトラウス  「カプリッチョ」 2021年 ドレスデン国立歌劇場 (NHKで放送)

 NHKの放送でみた。コロナ禍の中、無観客で行われた上演。演奏が素晴らしい。まず、何といってもティーレマンの指揮するドレスデン国立歌劇場管弦楽団が圧倒的。ティーレマンらしい重層的で快刀乱麻で、しかもしっかりと陰影があり、深みもある演奏。

 そして、マドレーヌを歌うカミッラ・ニールントがまた素晴らしい。私は、たぶん20年くらい前になると思うが、武蔵野市民会館でリサイタルを聴いて以来のファンで、一度、居酒屋でご一緒して少しだけお話ししたことがある。凄い歌手だと思っていたが、その後の活躍ぶりには目を見張る。そのほか、ラ・ロッシュのゲオルク・ツェッペンフェルトもさすがの歌唱。大演説の歌はまさに見事。フラマンのダニエル・ベーレ、オリヴィエのニコライ・ボルチョフもよかった。

 イェンス・ダニエル・ヘルツォークの演出。初めに老いたフラマンとオリヴィエが登場して回顧するという設定。だが、それほど大胆な解釈があるわけではない。

 私はこのオペラには、サヴァリッシュ指揮のレコードの時代からなじんできたが、あれこれと細かいところで納得できないことが多い。いや、もっとはっきり言って、クレメンス・クラウス(私の大好きな指揮者だ!)とシュトラウス自身による台本がよくできているとは思えない。つぎはぎだらけで、まとまりがなく、結局何が起こっているのかいまだによくわからない。そんなわけで、中学生のころからのシュトラウス好きであるにもかかわらず、どうもこのオペラは謎のままだ。私のわからなさに今回の演出は何も与えてくれなかった。

 

「デメトリオとポリビオ」 2010年 ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル

 数年前から、盛んにロッシーニのオペラの映像をみるようになった。80枚以上のDVDBDがたまった。購入するごとにこのブログに感想を書いてきたが、全体像をつかめないままその時々の感想を書くだけだった。最近になってやっとロッシーニの全体像がぼんやりつかめたような気がするので、もう一度、ロッシーニのオペラをほぼ時代順にみて、頭の中を整理したくなった。

 ロッシーニの最初のオペラ。10代のころに作曲されたらしい。モーツァルトに勝るとも劣らない早熟の天才だと思う。十分に楽しめるし、後のロッシーニをほうふつとさせる生き生きとしたメロディにあふれている。とはいえ、やはり最初の作品だけあって、ぎこちないところはある。

 演奏面ではリジンガを歌うソプラノのマリア・ホセ・モレーノが圧倒的に素晴らしい。美しい声。そのほかの歌手たちもそろっている指揮のコッラード・ロヴァリスもとてもいい。

 ダヴィデ・リヴェルモアの演出は、オペラの登場人物はすべてオペラ座に住みつく幽霊という設定にしている。なるほど、ロッシーニのオペラのあちこちにまるで亡霊のように、この最初のオペラの片鱗がみられる。そのような演出意図なのだろうか。

 今、見直して、なかなかの上演だと思うが、やはりロッシーニの習作の上演としてはとてもレベルが高いという印象にとどまる。

 

「結婚手形」 2006年 ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル

 ロッシーニの2作目のオペラ。第1作と比べて、ずっと完成度が高いのを感じる。ロッシーニらしい躍動にあふれているし、楽しいメロディもふんだんに出てくる。女性をモノのように商取引の道具として扱うブルジョワ的な態度を揶揄し、そこにカナダ人が登場するといった近代性も、いかにもロッシーニ。ロッシーニが自分の目指す方向を見つけた様子がよくわかるオペラだ。

 この上演のレベルはとても高い。歌手陣は充実している。とりわけ、ファニーを歌うデジレ・ランカトーレがやはり魅力的。エドアルト・ミルフォートを歌うサイミール・ピルグもとてもいい。指揮はウンベルト・ベネデッティ・ミケランジェリ。演出はルイージ・スカルツィーナ。演奏も演出も取り立てて個性的なところはないと思うが、ともあれとても楽しめる。

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ミシェル・コルボが亡くなった!

 昨晩、ネットを見ているうちにミシェル・コルボの訃報を見つけた。

 私はクラシック音楽鑑賞歴60年になるので、クナッパーツブッシュやクリュイタンス以来、たくさんの大好きだった指揮者の訃報に接し、悲しい思いをしてきた。しかし、コルボについてこれまでと違った特別の想いを抱く。

 最初にコルボの演奏を知ったのはフォーレのレクイエムのレコードだった。1970年代前半のことだ。評判になっているので聴いたら、本当に素晴らしかった。それ以前に愛聴していたクリュイタンス指揮・パリ音楽院管弦楽団の演奏よりもずっと心にしみる演奏だった。いっぺんにファンになった。

 それから数年後の、1977年。フランス文学を学んでいた私は、2か月ほどのど貧乏なヨーロッパ一人旅に出かけた。サン・ジェルマン・デ・プレ寺院見物をしていると、翌日にその寺院でコルボ指揮、ラムルー管弦楽団によるバッハのヨハネ受難曲の演奏会が行われることを知らせるポスターを見つけた。あわててチケットを購入。ほとんど残席はなかった。

 素晴らしい演奏だった。初めて実演で聴くヨハネ受難曲だったこともあって、心から揺さぶられた。地域の少年合唱団が参加していたが、声が立体的に響いた。峻厳なバッハではなく、もっと人間的でしなやかなバッハだった。当時、コルボさんは50代半ばだったと思うが、すでに白髪でかなり高齢に見えた。

 その後、しばらくCDでコルボの指揮を追いかけていた。

 そして、2005年から日本でラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが始まった。当時、ベストセラー作家で(私の書いた『頭がいい人、悪い人の話し方』という本は250万部を超えた)、クラシック音楽の入門書も書いていた私は、この音楽祭のアンバサダーに任命され、何度かフランスのナントにも足を運び、日本の会場でも多くのコンサートを聴き、それについてあちこちに発信することが求められた。私は喜んでその役割を果たした。そして、この音楽祭にたびたび参加するコルボさんの演奏に接することができたのだった。

 ラ・フォル・ジュルネでは、モーツァルトのレクイエムやハ短調ミサ、フォーレのレクイエムなどの合唱曲をはじめとして、ロッシーニの「小荘厳ミサ曲」「スターバト・マーテル」、バッハのロ短調ミサ、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、メンデルスゾーンの聖パウロ、シューベルトのミサ曲第6番、ブラームスのドイツ・レクイエム、ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」、グノーのレクイエムを日本やフランス・ナントのラ・フォル・ジュルネで聴いた。コルボの主要レパートリーをすべて聴いたことになるだろう。柔らかく、しなやかで人間的で真摯で祈りにあふれた音楽だった。毎回、至福に包まれた。

 東京国際フォーラムに設営された大食堂で、しばしばコルボさんの一団のすぐ横で食事をとったこともある。私自身は畏れ多くて近づくことはできなかったが、ラフな服装に着替えて、音楽仲間と気さくに話をしているのを見かけていた。

 ただ、一度だけ「アンバサダー」として紹介された時、下手なフランス語で話したことがある。私は、「1977年にサン・ジェルマン・デ・プレでヨハネ受難曲を聴いて感動したことがある」といったのだったが、コルボさんは思い出せなかったのか、私のフランス語が下手すぎて通じなかったのか、特に反応を示さず、ただ強く握手をしてくれただけだった。ちょっと残念だったのを覚えている。

 体調がよくないとは聞いていたが、とても残念。親しかった人をなくした気持ちになる。合掌。

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神奈川フィルの名手による室内楽シリーズ 「幽霊」を楽しんだ

 202193日、横浜青葉台のフィリアホールで神奈川フィルの名手による室内楽シリーズを聴いた。

 曲目は、前半に崎谷直人のヴァイオリンと草冬香のピアノによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ 第22番と、崎谷に桜田悟(第2ヴァイオリン)、鈴木秀美(チェロ)、高野香子(ヴィオラ)が加わってのベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番、後半に崎谷、鈴木、草によるベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」。

 意図的なのだろう。前半は音楽をきわめて小さく作って、まるで盆栽のような世界を作り上げる。モーツァルトのソナタはそれがぴたりと決まらなかった。私にはあまりに縮こまった狭苦しい音楽に聞こえた。もっとのびのびした音楽を聴きたい。

 弦楽四重奏曲は繊細で親密で、小さく小さくまとまって、ひそかに息を合わせる音楽を作り上げていた。この頃、このタイプの弦楽四重奏をしばしば耳にする。ある種のはやりだろう。それはそれでよいのだが、私として最後までこれではちょっと欲求不満になる。大きな音でバリバリ引くのも困りものだが、これではあまりに縮こまって聞こえる。

 ところで、弦楽四重奏の並びにちょっと驚いた。左から、第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの順に並んでいたが、初めて見た気がする。何か事情があるのだろうか。

 その点、「幽霊」はとても良かった。最後になってやっと、小さな世界から少し広い世界に出た感じ。私は細かいことの苦手な人間なので、前半の音楽はあまり好まない。楽章によって盆栽のような部分があるのはいいが、全曲が細かいとどこかに閉じ込められたような気がして滅入ってしまう。「幽霊」になってやっと解放された気がした。

 草のピアノがとてもニュアンスがあって美しい。しなやかに全体をまとめる。鈴木のチェロもしっかりと低音を響かせて安定している。崎谷のヴァイオリンも美しい。三つの楽器がしっかりと結びついてとても良かった。

 今朝、菅総理が総裁選に出馬しないというニュースを知った。フィリアホールでもそのことを話題にしている声が聞こえた。日本のホールで政治について語られるのを耳にするのは実に珍しい。菅政権のコロナ対策をはじめとする様々な姿勢に強い不満を持っていた私としては、とりあえずは最悪の方向に進まないで済みそうだと一安心。ただ、これからどうなるのか大いに気になる。

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