オペラ映像「さまよえるオランダ人」「ひどい誤解」「幸せな間違い」「バビロニアのチロ」
我が家には次々と心配事が舞い込んでいる。しかし、心配しても仕方がないので、仕事をしたり、音楽を楽しんだりしている。オペラ映像を数本みたので感想を書く。
ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 2021年 バイロイト音楽祭
NHK・BSで放送されたもの。コロナ対策のため、合唱は別収録というような説明があった。
演奏は素晴らしい。指揮はオクサーナ・リーニフ。若い女性指揮者だが、その音楽はすさまじい。引き締まっていて緊迫感にあふれ、スリリングとさえいえる。私はモノラル時代のクレメンス・クラウスのバイエルン国立歌劇場の録音が大好きなのだが、あの凄まじい演奏を思い出させる。これまで聴いた記憶のない音もたくさん聞こえてくる。そして、それらが意味を持っていることがよくわかる。凄い指揮者の登場だと思う。
歌手陣も充実している。特筆するべきは、何といってもゼンタを歌うアスミク・グリゴリアンだろう。サロメやクリソテミスを歌って評判の歌手だが、圧倒的というほかない。フラグスタートやニルソンやジェシー・ノーマンなどのこれまでのワーグナー歌手のような太い声ではない。澄み切った細い声だが、きわめて強靭。そして、なによりも20代の可愛らしい娘に見える美しい容姿を兼ね備えている。こんなワーグナー歌手はこれまでいなかったのではないか。バラードは本当に素晴らしい。ダーラントのゲオルク・ツェッペンフェルトも見事。エリックのエリック・カトラーもとてもいい。オランダ人のジョン・ルンドグレンはちょっと異様な風貌のため存在感はあるが、後半、疲れのためか声が荒れるのが残念。
この上演で最も問題なのは、ドミートリ・チェルニャコフの演出だろう。噴飯ものとしか言いようがない。船も出てこないし、海も出てこないで、第一幕は町の居酒屋なのは、いいとしよう。しかし、ワーグナーが台本を書いて作曲した「さまよえるオランダ人」とはまったく異なる話をでっちあげるのはいかがなものか。
私の理解したところによると、この演出家が作り出した物語をまとめると、こういうことのようだ。
「ワーグナーの台本ではゼンタの乳母として登場するマリーは実はオランダ人にあこがれていた(もしかしたら、かつての「女」だったのかもしれない)。そして、今ではマリーはダーラントの後妻として家に入り込んでいる。そのため、ゼンタは反抗し、家出娘同然でいる。オランダ人とゼンタが愛し合うようになるが、それがマリーニは気に入らない。マリーは嫉妬からオランダ人を撃ち殺す」。
演出家は何が楽しくて、こんなつまらない話をでっちあげるのだろう。ワーグナーの本質を突く物語か、あるいは現代社会を鋭く突く物語、あるいはせめてもう少しおもしろい物語を作るのならまだしも、おもしろくない話を作るとは。バイロイトの品格を疑ってしまう。
コロナ禍が明けたら、ぜひ、またバイロイトに行きたいと思っていたのだが、こういう演出だと、大枚はたいてバイロイトに行こうという気がうせてしまう。
ロッシーニ 「ひどい誤解」 2008年 ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル
ロッシーニのオペラ映像を時代順にみている。前回に続いて、簡単に感想を書く。
ロッシーニの3作目のオペラということになるが、これはすっかりロッシーニの世界。とても楽しくおもしろい。愉快な歌にあふれている。「セヴィリアの理髪師」を彷彿とさせる。このオペラに登場する従僕フォロンティーノはまさにフィガロ。好青年に同情して、いけすかない軽薄男に「あなたが婚約しようとしている相手は去勢した男」とウソを吹き込んで、まんまと結婚をまとめる。
エミリオ・サヒの演出は舞台を現代にうつしたもの。まったく違和感はない。ロッシーニの音楽の現代性をむしろ感じさせる。ガンベロットを歌うブルーノ・デ・シモーネはもちろん芸達者で歌も素晴らしい。エルネスティーナ役のマリーナ・プルデンスカヤもコントラルトの声で溌溂と歌う。とてもきれいな女性だが、確かに男性と間違われるほどの背丈で、リアリティがある。
ブラリッキーノのマルコ・ヴィンコも、フロンティーノのリカルド・ミラベッリも声も演技も素晴らしい。エルマンノを歌っているのは、前に見たときには気づかなかったが、その後、日本でも大人気になったディミトリ・コルチャク。ハリウッド映画で主役を演じてよいようなイケメンだが、声はちょっと上ずっている。
ウンベルト・ベネデッティ・ミケランジェリの指揮するボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団も文句なし。とても楽しめる映像だ。
ロッシーニ 「幸運な間違い」2015年 ドイツ、バート・ヴィルドバート
ロッシーニの4作目に数えられているオペラ。不貞の濡れ衣を着せられて海に流された公爵夫人イザベッラが一介の鉱夫であるタルボットに助けられ、不正を暴いて公爵の愛を再び得るまでを描く90分程度のオペラだが、なかなかおもしろい。楽しい音楽にあふれ、あまりに都合よく話の進むストーリーでありながら、そんなことは忘れて十分に楽しめる。
イザベッラのシルヴィア・ダッラ・ベネッタはきれいな声と容姿で見事に歌う。人の良いタラボット役のロレンツォ・レガッツォ、公爵役のアルタヴァスト・サルグシャン、悪役オルモンドのバウルザン・アンデルザノフ、悪役の手先でありながらどこか憎めないバトーネのティツィアーノ・ブラッチも実にいい。アントニオ・フォリアーニの指揮もはつらつとしている。ヨッヘン・シェーンレーバーの演出は舞台を現代に移している。公爵とその部下たちは警官のような服装をしているが、悪漢たちは顔と服の上半分が白く汚れている。リアルにするよりもこのような一つの寓話として描くほうが面白みが増すということだろう。
ともあれ、ロッシーニらしさが増していく途中のオペラだと言って間違いないだろう。
ロッシーニ 「バビロニアのチロ」 2012年 ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティバル
ロッシーニの5作目のオペラ。1作ごとに完成度が増していくのがよくわかる。これはもう立派なロッシーニ作品だ。本格的なオペラ・セリアで、ロッシーニらしい技巧的な歌が次々と登場。
ただストーリー的には、イタリア・オペラによくあることだが、もう少し何とかしてほしいと思う。これだと単に、王であるチロが使者を装って、自分の妻と息子が捕らわれている敵地に乗り込み、妻が愚かにも夫のたくらみに気づかずに対応したために素性がばれてしまって捕らわれ、やっと最後になって味方の軍勢のために助かった・・・というだけの話になってしまう。ほんの少し頭を使えば、チロも妃も簡単にばれないようにできるだろうに、なぜそれをしないんだ!という思いにどうしても駆られて、私などイライラしてしまう。
チロを歌うコントラルトのエヴァ・ポドレスが素晴らしい。声の威力もあり、音程もしっかりしている。これに接するまでこの歌手を知らなかったが、大歌手だと思う。アミーラを歌うのはジェシカ・プラット、バルダッサーレを歌うマイケル・スパイレスは、少し不安定なところもあるが、大健闘。指揮のウィル・クラッチフィールドもとてもいい。
演出はダヴィデ・リヴァーモア。全編が無声時代の歴史映画のスタイルで通される。歌手陣は化粧や服装、動きも白黒の「活動写真」ふうにされて、フィルムの傷のようなものも再現されている。映画をみる観客も配置され、1920年代の服装で、それらしい動きをする。確かに、このオペラを素直に再現すると、大時代風のリアリティのないドラマになってしまい、しかも歌手陣が必ずしもその役にふさわしい容貌ではないので、余計のそうなる。それをカムフラージュするためにこのような仕掛けにしたのだろう。それはそれで大いなる才能を感じるが、しかし、私としては、ここまでお金と労力をかけて大掛かりにこんな仕掛けをしなくても、ロッシーニのオペラは十分に楽しいのに!という気持ちを拭い去れない。
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