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ミシェル・コルボが亡くなった!

 昨晩、ネットを見ているうちにミシェル・コルボの訃報を見つけた。

 私はクラシック音楽鑑賞歴60年になるので、クナッパーツブッシュやクリュイタンス以来、たくさんの大好きだった指揮者の訃報に接し、悲しい思いをしてきた。しかし、コルボについてこれまでと違った特別の想いを抱く。

 最初にコルボの演奏を知ったのはフォーレのレクイエムのレコードだった。1970年代前半のことだ。評判になっているので聴いたら、本当に素晴らしかった。それ以前に愛聴していたクリュイタンス指揮・パリ音楽院管弦楽団の演奏よりもずっと心にしみる演奏だった。いっぺんにファンになった。

 それから数年後の、1977年。フランス文学を学んでいた私は、2か月ほどのど貧乏なヨーロッパ一人旅に出かけた。サン・ジェルマン・デ・プレ寺院見物をしていると、翌日にその寺院でコルボ指揮、ラムルー管弦楽団によるバッハのヨハネ受難曲の演奏会が行われることを知らせるポスターを見つけた。あわててチケットを購入。ほとんど残席はなかった。

 素晴らしい演奏だった。初めて実演で聴くヨハネ受難曲だったこともあって、心から揺さぶられた。地域の少年合唱団が参加していたが、声が立体的に響いた。峻厳なバッハではなく、もっと人間的でしなやかなバッハだった。当時、コルボさんは50代半ばだったと思うが、すでに白髪でかなり高齢に見えた。

 その後、しばらくCDでコルボの指揮を追いかけていた。

 そして、2005年から日本でラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが始まった。当時、ベストセラー作家で(私の書いた『頭がいい人、悪い人の話し方』という本は250万部を超えた)、クラシック音楽の入門書も書いていた私は、この音楽祭のアンバサダーに任命され、何度かフランスのナントにも足を運び、日本の会場でも多くのコンサートを聴き、それについてあちこちに発信することが求められた。私は喜んでその役割を果たした。そして、この音楽祭にたびたび参加するコルボさんの演奏に接することができたのだった。

 ラ・フォル・ジュルネでは、モーツァルトのレクイエムやハ短調ミサ、フォーレのレクイエムなどの合唱曲をはじめとして、ロッシーニの「小荘厳ミサ曲」「スターバト・マーテル」、バッハのロ短調ミサ、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、メンデルスゾーンの聖パウロ、シューベルトのミサ曲第6番、ブラームスのドイツ・レクイエム、ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」、グノーのレクイエムを日本やフランス・ナントのラ・フォル・ジュルネで聴いた。コルボの主要レパートリーをすべて聴いたことになるだろう。柔らかく、しなやかで人間的で真摯で祈りにあふれた音楽だった。毎回、至福に包まれた。

 東京国際フォーラムに設営された大食堂で、しばしばコルボさんの一団のすぐ横で食事をとったこともある。私自身は畏れ多くて近づくことはできなかったが、ラフな服装に着替えて、音楽仲間と気さくに話をしているのを見かけていた。

 ただ、一度だけ「アンバサダー」として紹介された時、下手なフランス語で話したことがある。私は、「1977年にサン・ジェルマン・デ・プレでヨハネ受難曲を聴いて感動したことがある」といったのだったが、コルボさんは思い出せなかったのか、私のフランス語が下手すぎて通じなかったのか、特に反応を示さず、ただ強く握手をしてくれただけだった。ちょっと残念だったのを覚えている。

 体調がよくないとは聞いていたが、とても残念。親しかった人をなくした気持ちになる。合掌。

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