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オペラ映像「ジークフリート」「フィデリオ」

 新型コロナウイルスも、なぜか日本では鳴りを潜めている。不気味な状態だが、ともあれ社会生活は復活しつつある。そんな中、ともあれオペラ映像を時間を見つけてみている。感想を書く。

 

ワーグナー 「ジークフリート」 2012年 ソフィア国立歌劇場

 これまで、「ラインの黄金」「ワルキューレ」をみて、いずれもあまりレベルの高い上演ではなかったが、ついでだから最後までみようと思って、ソフィア国立歌劇場の「ジークフリート」BDを購入。やはり、かなり苦しい。

 歌手陣は健闘しているといえるだろう。しかし、やはりどの歌手も音程が怪しかったり、息苦しかったり、声が濁ったりで、聴き続けるのがつらくなる。

 ジークフリートのマルティン・イリエフ、ブリュンヒルデのバラスガラン・ダシニャム(顔に色を塗っているのでよくわからないが、たぶん、アジア系の女性だと思う)はともに、よいところはたくさんあるのだが、やはり西欧の一流の人たちと比べるとかなりの差がある。イリエフは発声が苦しいし、ダシニャムは低い音で音程が怪しくなる。その中では、ミーメのクラシミール・ディネフとアルベリヒのビセル・ゲオルギエフ、さすらい人のマルティン・ツォネフのほうが安定しているといえるかもしれない。だが、それでも感動して聴くほどには達しない。

 だが、私が何よりも気になるのは、パヴェル・バレフ指揮のソフィア国立歌劇場管弦楽団の精度の悪さだ。反応が鈍く、音が濁っている。音程もよくない。録音の仕方によるのかもしれないが、音がこもっている。

 聴き続けるのがつらくなって、ところどころとばしたことを告白しておく。

 

ベートーヴェン 「フィデリオ」2020年 英国ロイヤル・オペラ・ハウス

 NHKBSプレミアムの放送を録画して観た。

 まず、レオノーレを歌うリーゼ・ダヴィドセンのあまりの素晴らしい歌に圧倒された。もしかしたら歴代最高のレオノーレではあるまいか。フラグスタートやニルソンやルートヴィヒやジェシー・ノーマンなど伝説のレオノーレ歌いよりも伸びのある美しくて強い声。容姿的にも美しくありながらも十分に男性に見える。第二幕に登場するヨナス・カウフマン(決して、背の低い人ではない!)よりも背が高い! このフィデリオにぴったり。

 マルツェリーネのアマンダ・フォーサイスも潤いのある美しい声。これも素晴らしい。ロッコのゲオルク・ツェッペンフェルトももちろん最高に見事。ワーグナーやベートーヴェンのバスの役はこの人に匹敵する人は今のオペラ界にはいないと断言できる。そして、第二幕に登場するカウフマンの最初の声の凄さときたら! 最初の一声で誰もが虜になってしまう力を持っている。この四人に関しては、レコード、CD、映像、実演を問わず、これほどそろったものに接した記憶がない。

 指揮はパッパーノ。この指揮については好悪がわかれるだろう。パッパーノらしい明快でメリハリのしっかりした指揮。ただ、ここまで明快にする必要があるのだろうかという疑問を感じないでもない。もっと陰影や曖昧さや幽玄さのようなものがあってもいいのではないかと思えてしまう。とはいえ、ドラマの世界にぐいぐいと引き込まれる。

 何よりも驚いてしまうのが、トビアス・クラッツァーの演出だ。第一幕はフランス革命後のテロリズムの時代らしい。革命を主導した人たちもすぐに反革命の烙印を押されて告発されている状況が描かれる。つまり、どうやらピツァロも革命を推進した一人なのだが、いつのまにか抑圧する側になってしまっているということのようだ。だが、そこまではよしとしよう。問題はその後だ。歌の入らないセリフ部分は原作に基づかず、新たに作り替えられているが、そのような部分で、なんとマルツェリーネがすでにレオノーレが女性であることに気づく場面が挿入される!

 そして、第二幕に進む。突然、舞台の状況が変わる。フロレスタンのいる牢獄は舞台前方に置かれた黒い堆積物の上に設定され、現代の服を着た人々がその堆積物の周囲に椅子を置いて取り巻いている。それらの人々は面白がって苦しむフロレスタンをみているようだ。暴逆を傍観する現代人を揶揄しているのだろうか。レオノーレのフロレスタン救出が進んでいくにつれて、どうやら傍観者たちはことの深刻さに気付いて狼狽し始める。そして、ピツァロがフロレスタンを殺そうとし、レオノーレが助けに入る。しかし、レオノーレは助けられずに抵抗する。そこにやってきたのが、革命戦士の格好をしたマルツェリーネ。そして、マルチェリーネが銃でピツァロを撃つ! 革命の担い手となる階層に属し、レオノーレに同情したマルツェリーネがフロレスタンの解放を手伝ったということか。

 そこでようやくピツァロは敗北し、本来のあるべき自由を求めるフロレスタンとレオノーレ、そしてドン・フェルナンドたちが勝利し、それまで傍観していた人たちはそこでようやく力を得て、自由を高らかに叫ぶ。

 まあ要するに、現代の世論は今も行われている暴虐を傍観的に眺めるだけで何もできない、実際に世界を変えるのは虐げられた階層にいる人たちである、世論は決着がついた後で正義を叫ぶ・・・そのようなメッセージなのだろうか。

 私の解釈が正しいかどうかはわからない。だが、たとえこれが正しいとしても、私は納得できない。私はベートーヴェンのオペラの中にこのような要素があるとは思わない。これはクラッツァーの現代社会へのメッセージでしかない。ベートーヴェンの中にないものを、セリフを変えて無理やり押し込むのを、私は「演出」とは思わない。そう言いたければ、演出という形をとらずに、ほかの場所でもっとわかりやすく語ればいいことだ。

 というわけで、私はこの上演の演奏については素晴らしいと思う。とりわけ歌手陣に関しては伝説の歌手たちを超えていると思う。だが、演出については承服しがたい。

 私は引っ込み思案でおとなしい人間なので、実際にブーイングするようなことはないが、もし私が現場にいたら、ブーイングしたい気持ちになっただろうと思う。

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