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オペラ映像「シャモニーのリンダ」「アイーダ」「シモン・ボッカネグラ」「愛のあるところ嫉妬あり」

 2021年大晦日。この1年、家族の健康面でひやひやの連続だったが、大事なく終えることができそうで、大変めでたい。オペラ映像を数本みたので、感想を記す。

 

ドニゼッティ 「シャモニーのリンダ」 2020115日 フィレンツェ五月音楽祭

 コロナ禍の中の上演なので、おそらく無観客だったのだろう。合唱団は全員がずっとマスクをつけている。そのせいもあるのだろう。やはり、全体の印象が弱い。「シャモニーのリンダ」と言えば、どうしてもグルベローヴァが歌ったチューリヒ歌劇場の映像を思い出すが、グルベローヴァのものが鮮やかな色彩で描かれた油絵だとすると、今回のほうは水彩画のような印象とでもいうか。

 もちろん悪くはない。リンダのジェシカ・プラットはとてもきれいな声。容姿的にも、かなりふくよかではあるが十分に魅力的。カルロのフランチェスコ・デムーロは、ちょっと声の濁る部分はあるが、高音は素晴らしい。ボアフレリー公爵のファビオ・カピタヌッチもなかなかにかわいげのある悪役をうまく歌っている。私としては、司教のミケーレ・ペルトゥージの声が出ていないのを除けば特に不満はない。だが、それでも、グルベローヴァが歌う映像をみたときのようなパンチを感じない。

 ミケーレ・ガンバの指揮も少々緊密度が弱い気がする。これも、もしかするとコロナのための練習不足が原因かもしれない。演出はチェーザレ・リエーヴィ。きれいでわかりやすい演出なので、私としては十分に楽しめる。

 ただ、やはりストーリー的には、都合よくリンダが狂気になったり正気に戻ったりして、リアリティを感じない。やはりこのオペラは、グルベローヴァのような圧倒的な存在がいてこそ強い感銘を与えることができるのだと改めて痛感する。

 

ヴェルディ 「アイーダ」 2015年 ミラノ、スカラ座

 アイーダを歌うクリスティン・ルイスがとても魅力的。高音が透明で美しく、柔らかみのあるしっとりした声。多くの人物が顔を褐色に塗っているので、よくわからないが、きっとこの人はアフリカ系だろうと思う。次々と素晴らしいアフリカ系の歌手が出てくる。実に頼もしい。ラダメスのファビオ・サルトーリも強い美声。見かけはあまり英雄らしくないが、ともあれ声は素晴らしい。アムネリスはアニタ・ラチヴェリシュヴィリ。敵役を歌わせると、この人に勝る歌手はいない。そして、なんとラムフィスを歌うのは、マッティ・サルミネン。かつての圧倒的な声は失われたが、存在感はさすが。そして、アモナズロのゲオルグ・ガグニーゼもしっかりした歌。

 指揮はズービン・メータ。実は第12幕では、私はちょっと締まりがなくて、バランスが崩れているのではないかと思った。が、後半はぐいぐいとドラマを盛り上げていく。さすがの力量だと思う。演出はペーター・シュタイン。美しくてきわめて穏当。

 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 2007年 ボローニャ、テアトロ・コムナーレ

「シモン・ボッカネグラ」は好きなオペラなのだが、この映像は初めてみた。素晴らしいと思った。もっと前に観ておきたかった。

 ミケーレ・マリオッティの指揮がドラマティックで力がみなぎっていてとても良い。ただ、私はこのオペラに復讐と野望と怒りと憎しみと欲望の入り混じった低音の男たちのおどろおどろしいドラマを求めているのだが、その点では少し物足りない。清らかな愛やら純粋な気持ちなどの表現のほうを強調しているのを感じる。とはいえ、これはこれで見事。

 シモンを歌うロベルト・フロンターリがとてもいい。外見的にも善人に見えないのが素晴らしい。やはりシモンはこうでなくちゃ。フィエスコのジャコモ・プレスティアも高貴でありながらも心の憎しみをもつ老人を見事に演じている。悪漢パオロを歌うマルコ・ヴラトーニャも憎々しげで声もしっかりしている。

 ガブリエーレを歌うジュゼッペ・ジパーリが素晴らしい美声。ほれぼれする。アメーリアのカルメン・ジャンナッタージオも清純な澄んだ声。ちょっと声の硬さを感じるが、この役はこれでよいだろう。この二人の純愛の歌が今回の上演では大きな説得力を生んでいる。

 演出はジョルジョ・ガッリオーネ。特に際立った新しい解釈はないが、シモンの苦しみが伝わり、音楽に寄り添った巧みな演出だと思う。ご都合主義的なストーリーを不自然に感じさせないのも演出のおかげだろう。

 

ジュゼッペ・スカルラッティ 「愛のあるところ嫉妬あり」2011年 チェスキー・クルムロフ城バロック劇場(チェコ)

 スカルラッティのオペラだというので、ドメニコ・スカルラッティだとばかり思って注文。商品を開いてジュゼッペだと知った。バロック音楽に詳しいわけではない私は、アレッサンドロは知っていたが、ジュゼッペ・スカルラッティという作曲家がいることを初めて知った。どうやら、アレッサンドロの孫、ドメニコの甥らしい。

 この劇場では、バロック時代そのままのオペラを上演しているようだ。劇場そのものがバロック時代のもので、裏方も映像に映し出されるが、当時の扮装で力仕事をしている。指揮者もオーケストラ団員も当時の扮装。オーケストラボックスはあるが、指揮者は舞台に向かって指揮をするのではなく、左側(つまり上手)の隅にいて、舞台と直角の角度で指揮をする。

 オペラはとてもおもしろかった。愛し合いながらも嫉妬しあう貴族の男女と召使の男女。愉快で美しい音楽が続く。90分ほどの短いオペラ・ブッファで、退屈しない。

 歌手陣もきわめて充実。素晴らしい。とりわけ、侯爵夫人を歌うレンカ・マチコヴァが素晴らしい歌を聴かせてくれる。潤いのある声だが、芯が強く、この役にふさわしい。ヴェスペッタのカテジーナ・クニェジーコヴァもとても美しい声で小間使いを歌う。二人とも容姿も申し分ない。伯爵のアレシュ・ブリスツェインは低音が苦しくて不安定だが、頼りない伯爵の役なのでさほど気にならない。パトリツィオのヤロスラフ・ブジェジナはフィガロ風の機転の利く従者を見事に歌う。しかもこの四人、芝居がめっぽううまい。演出のオンドジェイ・ハヴェルカがよいのだろうが、軽妙で、しかも十分にリアルで、バロック時代そのものの世界を描きながらまったく古さを感じさせない。ヴォイチェフ・スプルニーの指揮する シュヴァルツェンベルク宮廷管弦楽団も時代色を出して素晴らしい。

 バロック・オペラはなかなかいいんだけど、長くて、聴いているうちに退屈してくるからなあ・・・と敬遠していたのだったが、これはそんなことはなかった。存分に楽しめた。

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オペラ映像「なりゆき泥棒」「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「ホフマン物語」

 オミクロン株が再び蔓延して、またまた悪夢の再現になるのではないかという不安があるが、ともあれ平穏に2021年最後の週になった。何本かオペラ映像をみたので感想を記す。

 

ロッシーニ 「なりゆき泥棒」 20177月 バート・ヴィルトバート、王立クア劇場

 発売されたばかりのBDだが、しばらく前に観た「ひどい誤解」の1年前に同じヴィルトバート・ロッシーニ音楽祭で上演されたもの。「ひどい誤解」もとてもよかったが、これもとてもいい。

 まずオペラの音楽そのものが本当に楽しい。ストーリーはちょっと無理があるが、音楽は最初から最後までこの上なく充実している。くわしくは調べていないが、ほかのオペラで聞き覚えのあるメロディがいくつも出てくるような気がする。きっとロッシーニは、このオペラの後にほかの作品に次々と転用したのだろう。

 歌手陣は高いレベルでそろっているが、とりわけベレニーチェを歌うヴェラ・タレルコが素晴らしい。声、テクニック、容姿、演技ともにとても魅力的だと思う。勝気なこの役にぴったり。若手の多い中で、ドン・パルメニオーネを歌うロレンツォ・レガッツォだけがかなりのベテランだが、声と演技はさすがというべきか、芸達者なところを見せる。アルベルトのケネス・ターヴァーはおそらくアフリカ系の歌手だと思うが、この役にふさわしい高貴な美声。エルネスティーナのジャーダ・フラスコーニも、チャーミング。パトリック・カボンゴはアフリカ系の若い歌手なので、ドン・エウゼビオを歌うには少し違和感があるが、しっかりと役をこなしている。

 演出、舞台美術はヨッヘン・シェーンレーバー。オリジナルでは、ドン・パルメニオーネが間違えてアルベルトのカバンを自分に者と思って開けてしまい、中に女性の肖像画を発見したことから、アルベルトに成りすまして結婚をしようという気になるという設定のはずだが、この演出では、ドン・パルメニオーネはいくつもの国をまたにかける悪漢ということになっている(複数のパスポートを持ち、ピストルをカバンに忍ばせている!)。カバンを故意に取り違え、悪辣な意図をもってアルベルトに成りすまそうとする。最後もめでたくエルネスティーナと結ばれるのではなく、裏切って出ていくそぶりを見せる。確かに現代においてこのオペラにリアリティを持たせるには、このような話にするしかないのかもしれない。ただ、こうなるととぼけた面白さが薄れてしまう。

 アントニオ・フォリアーニの指揮はメリハリがあってとてもいい。

 

モーツァルト 「魔笛」2017920日 コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 とても充実した上演だと思う。歌手陣については、私はザラストロを歌ったミカ・カレスについて、なぜこの人がほかの素晴らしい歌手たちに交じって歌えているのか納得できなかった。恰幅はいいが、声が出ていないし、音程も怪しい。この日だけ絶不調だったのだろうか。タミーノのマウロ・ペーターは高貴で美しい声。パミーナのシボーン・スタッグは高音が驚くほど透明で美しい。パパゲーノのロデリック・ウィリアムズも声が美しく、しかも歌いまわしが正確なのに自在に歌っている雰囲気があってとてもいい。夜の女王のザビーヌ・ドゥヴィエルも素晴らしい。少し癖のある声だと思うが、音程もいいし、声の透明さも格別。透明な美声なのに魔女的な凄味がある。パパゲーナのクリスティーナ・ガンシュ、モノスタトスのピーター・ブロンダーも役柄になりきっての熱演。

 指揮はジュリア・ジョーンズ。女性指揮者だ。メリハリのはっきりした明確な指揮だと思う。くっきりと音楽が浮き立つ。ただ、第一幕の最後の部分など細かいところで乱れがあったように思うが、それは致し方ないだろう。

 デイヴィッド・マクヴィカーのオリジナル演出、再演演出がトーマス・ガットリーとなっている。覚えのある演出だが、とてもセンスがよく、観客から大きな笑い声が起こる。異様に反応の良い観客なのだが、なぜか一度も画面に客が映し出されない。まだコロナは流行していなかったはずなのに、何か事情があるのだろうか。

 ともあれ、「魔笛」のスタンダードとしてとても楽しめる高レベルの上演であることは間違いない。

 

フンパーディンク 「ヘンゼルとグレーテル」 2009年 ザルツブルク・マリオネット劇場

 ザルツブルク・マリオネット劇場劇団員による人形劇による「ヘンゼルとグレーテル」。ザルツブルク・マリオネット劇場に行ってみたことはあるが、公演はみていない。映像が販売されていたので購入してみた。

 音楽はとてもいい。イン・ボッカ・アル・ルーポ管弦楽団&少年少女合唱団、アンドレアス・シュラーの指揮だという。

 ヘンゼルのクリスティーナ・ナウデ、グレーテルのアネッテ・ダッシュ、父親のイェルク・ゴットシック、母親のマルティナ・ハンベルク=メビウス、魔女のギードレ・ポヴィライティテ、眠りの精の林田明子、露の精のビニ・リー。すべてそろっている。いずれもあまり芝居に没入した子供劇風の歌い方ではなく、明るい雰囲気のきれいな歌い方でとてもすっきり、あっさりと音楽が進んでいく。

 もし、日本でこのようなことをするとすれば、魔女はもっと魔女らしく、子どもたちはいかにも子供らしく歌うと思うのだが、そのような配慮はない。そのこと自体は私としてはうれしいのだが、確かにそうなると、表情の動かない人形に対して、大人としてはやはり感情移入できなくなる。遠くから見るのなら、観客一人一人が心の中で人形の表情を想像できるが、映像に大写しされて、それが無表情では、少なくとも私のようなひねくれものには音楽が届かなくなってしまう。

 どうやら私は子供向けの人形劇をリアルに感じる心性は持っていなかったようで、最後まで少々退屈だった。

 ところで、ヘンゼルとグレーテルの家の壁にワーグナーの肖像画がかけられている。遊び心ではあるだろうが、それにしても音楽家の肖像画がこのような貧しい家にあるなんて!と思わないでもない。しかし、ワーグナーはフンパーディンクの師匠なので、まあ言ってみれば、このヘンゼルとグレーテルにとっては「おじいちゃん」みたいなもの。おじいちゃんに肖像画がかかっていると思えば不自然ではない。しかし、こうして聴くと、「マイスタージンガー」と雰囲気の似たメロディがたくさん出てくる。

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」2021年9月1922日 ハンブルク国立歌劇場

 NHKBSで放送されたもの。指揮はケント・ナガノ、演出はダニエレ・フィンツィ・パスカ。素晴らしい上演。指揮もいいし、演出も幻想的で美しい。

 まずなによりも、ホフマン役のバンジャマン・ベルネームと四人のヒロインをすべて歌うオルガ・ペレチャツコがあまりに素晴らしい。

 ベルネームについては今回初めて知った。かつてこの役で鳴らしたニール・シコフを思い出すようなしなやかでのびやかなホフマン。繊細な心の動きが伝わってくる。ペレチャツコも美しい声と容姿で四つの違った役も申し分なく歌う。とりわけアントニアの歌が美しい。

 ミューズ/ニクラウスを歌うアンジェラ・ブラウアーは、少し演技が硬いが、この役にぴったりの声で、まったく不満はない。ただ、リンドルフなどを歌うルカ・ピザローニについては、あまり声も出ていないし、フランス語の発音もあまりよくない。

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尾高&N響の第九 オーソドックスな理想の第九

 20211225日、東京芸術劇場でNHK交響楽団第九演奏会を聴いた。

 指揮は当初ファビオ・ルイージが予定されていたが、新型コロナウイルス感染防止策としての外国人入国停止措置のために尾高忠明に変更。独唱も日本人勢に変更になって、森麻季(ソプラノ)、加納悦子(メゾ・ソプラノ)、櫻田亮(テノール)、三原剛(バリトン)。合唱は東京オペラシンガーズ。

 尾高忠明の第九はこれまで何度か聴いたことがあるので、ルイージの指揮が聴けないのを残念に思って出かけたのだったが、素晴らしい演奏だった。

 これぞ私が理想としている第九だと思った。

 きわめてオーソドックスな演奏だと思う。驚かせるような音は一切出てこない。テンポもいじらないし、何かの楽器を特に強調することもない。これまで多くの指揮者が盛り上げようとしたところを盛り上げるし、多くの指揮者がテンポを速めたところで速める。私がこれまで聴いてきた500種類くらいの録音や実演や放送の第九(私は第九のCD300枚以上所有している!)のすべてを平均したような展開。だから、ここに取り立てて語るべき言葉も見つからない。だが、それが素晴らしい。

 すべての音が最も適切に、そしてあるべき勢いをもって響き渡る。NHK交響楽団の音も実に美しい。オーボエもフルートもホルン(ただ、出だしでちょっと躓いた感があった)も本当にきれいな音を出す。弦楽器もみごと。特に私はヴィオラの音にしばしばうっとりした。すべての音が自然に重なって、ベートーヴェンの精神が目の前に現れる。これこそが指揮者が主観でゆがめることのない本当のベートーヴェンだと私は思った。

 第1楽章は人間の存在としての苦悩を抉り出すような音楽、第2楽章は壮大なる心の躍動、そして第3楽章は高い境地への上昇。私は特に第3楽章に感動した。なんという静かで穏やかで純粋なる境地であることか。上昇し上昇して、雲が晴れて新たな世界が見えてくる。そして、祝祭の第4楽章がそれに続く。

 独唱陣もよかった。当初予定されていた外国人勢にまったく劣らないと思う。私は特に、森麻季と櫻田亮の声に惹かれた。森さんはこれまで何度か聴いて、その美声はよく知っていたが、櫻田さんはほとんど初めて聴く。この難しいパートを格調高く歌って素晴らしいと思った。

 何度も感動に震えた。ああなんという名曲だ、ああなんと音楽は素晴らしいんだと、今日もまた改めて思った。

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オペラ彩 「カルメン」 今年も見事な上演

 20211218日、和光市民文化センターサンアゼリア大ホールでオペラ彩第38回定期公演「カルメン」をみた。

 オペラ彩は特定非営利活動法人。これまで37回の自主製作オペラを公演してきた。私は一昨年、「ナブッコ」をみて驚嘆。昨年はコロナのために「カルメン」プレコンサートということになって本公演ができなかったが、今回めでたく「カルメン」上演が成った。今回も私はこの団体の実力のほどに目を見張ったのだった。

 18日と19日のダブルキャストだが、歌手陣の知名度においてはかなり差がある。18日のメンバーのほとんどは私がこれまで何度も大劇場でみききした有名歌手たち、19日はあまり知られていないメンバーだった。

 しかし、カルメンを歌った丹呉由利子は素晴らしい美声。第一幕の前半こそ、緊張した雰囲気で声が伸びなかったが、徐々に本調子になって、第一幕後半からは見事だった。ヴィブラートの少ない澄んだ声で、声量もたっぷり。容姿も含めて素晴らしい。ただ、演技の面については少し物足りなさを感じた。これでもう少し演技力がついたら、本当に素晴らしいカルメン歌手になるのではないか。

 ホセの小野弘晴、ミカエラの東城弥恵、エスカミーリョの原田勇雅は大健闘。音程が怪しくなるところはあったが、しっかりと歌って見事にドラマを盛り上げていた。私はほかにフラスキータ役の本松三和とメルセデス役のはやかわ紀子にも魅力を感じた。しっかりした声で音程も安定していて心地よかった。小さな役の人たちも、そして合唱もみんながしっかりと歌って役をなしている。

 ただ、かつてフランス文学を専攻していた私としては、フランス語の発音がかなり気になった。私のフランス語能力のせいもあるが、多くの人のフランス語を聞き取ることができなかった。歌の部分はもちろん、台詞の部分もフランス語らしい発音になっていないところもあり、それどころかフランス語ではありえない発音も聞こえてきた。きっと、上演がなされるのかどうかわからない、上演が決まってからも時間がない、ということでフランス語を覚えるのに十分な時間が取れなかったのだろう。時間内でできる限りの努力はしたのだろう。しかし、オペラや歌曲の基本は言葉の美しさを聴かせること、つまりは美しい発音を聴かせることだと思う。もう少しその点を重視してほしかった。

 指揮は佐藤正浩。演奏はアンサンブル彩。初めのうちこそ、ぎこちなさを感じたが、歌手をしっかりとフォローしながら、ドラマを盛り上げていくところはさすが。第四幕はドラマを最高度に盛り上げた。演出は直井研二。オーソドックスでわかりやすいが、それぞれの幕の初めに天井から降ろされた赤い線の下でダンスを挿入。カルメンとホセの運命を暗示するような踊りがとても魅力的だった。

 これほどまでのレベルのオペラを非営利団体が上演するのは並大抵の努力ではなかっただろう。とりわけ、コロナ禍の中、総合プロデューサーの和田タカ子さんは途方に暮れることの連続だっただろうと思う。その中での公演の成功を私自身うれしく思う。この団体の来年以降の活動が楽しみだ。

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鈴木秀美&新日フィルの第九 すべての音に勢いがある

 20211218日、すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏で「第九」特別演奏会を聴いた。

 当初、指揮はシモーネ・ヤングが予定されていたが、新型コロナウイルスのオミクロン株感染拡大に伴う外国人の入国停止措置の影響で、鈴木秀美に変更になった。ヤングの指揮を聴きたかったが、やむを得ない。鈴木秀美は大好きな指揮者なので、それはそれでとてもうれしい。

 曲目は前半に序曲「レオノーレ」第3番、休憩後にベートーヴェンの交響曲第9番。

「レオノーレ」の前半は、客席がしっかりと落ち着いていない影響もあってか、少しバタバタした感じだったが、後半からはぐいぐいと音楽が推進していった。緊迫感にあふれる名演になった。

 第九は素晴らしかった。ただ、これも時々オーケストラが乱れるところはあったが、それでもすぐに立て直されたし、小さなことは気にならないほどに大きな音楽のうねりができた。かなり古楽器風の演奏と言ってよいのだろう。朗々と音楽が引き伸ばされるのではなく、むしろ勢いのある音の重なりによって音楽が展開していく。

 第1楽章が特に素晴らしいと思った。音の一つ一つが生きているのを感じる。ちょっと前のめりの感じで音楽が進む。一般的な演奏よりも、ほんの少しフレーズの出だしが早いのかもしれない。それがいっそう緊迫感を生む。楽器の音の重なりが力感にあふれている。ベートーヴェンに切羽詰まった精神的な苦悩が目の前に迫り、まさに苦悩そのものを追体験している気がした。それが第3楽章で昇華されていくのもしっかりと感じられた。

 第4楽章もよかった。独唱は森谷真理、中島郁子、福井敬、萩原潤。本当に日本の歌手陣は第九がうまくなった!とつくづく思う。4人ともしっかりした音程の美しい声。合唱は二期会合唱団だったが、30人程度であるせいか、少し声の迫力が不足している気がした。

 一昨日、兄上である鈴木雅明指揮によるBCJの第九を聴いたのだったが、もしかしたら、演奏の完成度としては、BCJのほうが上だったかもしれないが、私は、現代楽器に慣れているせいか、今日のほうにいっそう感動した。今日は、一昨日のような耳慣れないメロディもなく、これまで親しんだ通りの演奏だった。特に目新しい解釈はないと思う。しかし、すべての音に勢いがあり、非常に理詰めに音楽が進んでいくので、ワクワクするような気持になっていく。そして、最後には歓びが爆発する。

 繰り返すが、シモーネ・ヤングの指揮する新日フィルを聴けなかったのは残念だが、鈴木秀美の第九を聴けて満足だった。

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鈴木雅明BCJの第九 自由な雰囲気の第九 見事な終楽章の盛り上がり

 2021 1216日、東京オペラシティ コンサートホールで、鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の演奏による「第九演奏会」を聴いた。私にとって今年最初のベートーヴェンの第九のコンサート。

 鈴木雅明指揮のBCJの第九を聴くのは二度目だと思う。前回聴いたときには、実はあまり感動できなかった記憶がある。古楽器によるこの曲の演奏に私が慣れていないせいかもしれない。どうしても音の響きが良くないので音楽がうねりを作らない。そうすると、私が第九の最大の魅力だと考えている、第1楽章の幽玄たる雰囲気の激しい苦悩の表現が浅く感じられてしまう。第2楽章も壮大な世界が浮かび上がらない。BCJの音は実に美しい。鈴木のコントロールも見事。しっかりとアクセントをつけ、きびきびと、まったくスキなく音楽を作っていく。だが、第2楽章まで感動が爆発しない。

 そして今回も同じような印象を持った。だが、第3楽章以降、私はかなり感動して聴いた。古楽の美しい音の重なりにうっとりした。ひなびたホルンの音が天国的に響いた。オーボエとフルートが何と美しいのだろう。そして第4楽章。日本人指揮者はこの曲の第4楽章の演奏が実にうまいと思う。激しい苦悩から歓喜への向かい、最後に祝祭が爆発する。鈴木もそれを見事に立体的に描いていく。

 第12楽章を「苦悩」というキーワードで考えると、BCJの演奏には不満を覚えるのかもしれない。BCJの第九演奏は、「苦悩」は前面に出されず、かなり自由な雰囲気に音楽が作っているようだ。とりわけ、ティンパニの菅原淳さんはかなり自在な雰囲気で音を刻んでいく。私が前半に感動できないのは、もしかしたら、私が第九=苦悩と思い込んでいるせいかもしれない。

 第4楽章のチェロのパートに初めて聴くメロディ線が出てきたように思った。あれ?と思ったが、すぐに音楽が通り過ぎて行ったので確かめようがなかった。あれは何が起こったのだったか。いずれにせよ、様々な楽器がかなり自由な雰囲気で歌っていた。

 歌手も素晴らしかった。第4楽章が始まってすぐに上手のドアからバリトンの大西宇宙がひとりだけすっと入場し、隅っこの椅子に座って、出番を待つ。そして、バリトン独唱が始まると、歩きながら歌って舞台中央に移動する。そして、そのころになってほかの歌手たちも登場する。なるほど、このような登場の仕方が最も合理的だと思った。第3楽章の前に登場しても第4楽章の前に登場しても、どうしても拍手が起こってしまって、音楽が中断される。これなら中断されることなく、自然に音楽が続いていく。

 大西は深みと強靭さのあるしっかりしたバリトンの声。聴きなれない自由な歌い方だった。これもどういう楽譜に基づくのだろうか。少し気になったが、とても魅力的な節回しだった。

 テノールの宮里直樹も難しいソロを見事に歌う。張りのある声が見事。ソプラノの中江早希も柔らかくて美しい声。アルトはカウンターテナーの藤木大地。これも見事。そして、さすがに合唱が素晴らしい。人数は多くない(たぶん30人)が、しばしばほかの楽団の第九で使われる100人を超す大合唱団に少しも負けていない。しっかりした発音で美しく歌う。最後、まさに祝祭的に盛り上がった。第3楽章以降は私は心から感動して聴いた。

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オペラ映像「ルサルカ」「サトコ」

 新しく購入した2本のオペラ映像をみた。いずれも素晴らしかった。感想を書く。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」202011月 マドリード、テアトロ・レアル

 音楽面では圧倒的だと思う。なによりもアスミク・グリゴリアンが凄まじい。なんという声の威力! 美しく、しかも強靭な声で、表現力もある。容姿もこの役にふさわしい。そのうえ、バレエを踊り(ポワントというのだろうか、つま先で立って踊る!)、動き回るが、声はまったく乱れない。これまで、この人がサロメ、クリソテミス、ゼンタを歌うのを聴いてきたが、どれも圧倒的。凄い歌手が現れたものだ。これから先、ワーグナーとシュトラウスの多くのソプラノの役はこの人を中心に回っていくだろう。

 王子役のエリック・カトラーも強い美しい声、水の精のマキシム クズミン=カラワエフも深みのある柔らかい声。理想的な歌唱だ。外国の公女はなんとカリタ・マッティラ。この役にしては少々「年増」で、微妙な声のコントロールができていない気がするが、圧倒的な存在感。なるほど、王子を熟女の手練手管でたらしこむというわけだろう。なかなかに説得力がある。イェジババのカタリーナ・ダライマンも豊満な胸を突き出してエロティックに押し迫る。

 指揮はアイヴァー・ボルトン。私が初めてこの人の指揮を聴いたのは、2012年にザルツブルク音楽祭の場だったが、酔っぱらった田舎のおじさんといった風貌と動きにもかかわらず、出てくる音はドラマティックでしかも繊細なのにびっくりした記憶がある。今回の演奏も一瞬のゆるみもなく、緻密にドラマを作り上げていく。

 演出はクリストフ・ロイ。メルヘン性を薄め、ルサルカという女性の物語として描いているようだ。どうやら、ルサルカは足を怪我したクラシックバレエのバレリーナ、イェジババは継母という設定らしい。ルサルカはクラシックバレエに象徴されるような清純で美しい世界を夢見ている。ところが、ルサルカは別の世界の人間を愛してしまう、つまりは、クラシックバレエではなく、モダンバレエの世界で活躍したくなるということを意味するようだ。足をくじき、クラシックバレエをうまく踊れなくなるが、それを克服しようとする。だが、王子の世界(=モダンダンスの世界)では、「愛」は肉欲を伴いエロティックな欲望に基づき、クラシックバレエではなく、体と体を寄せあうエロティックなダンスが幅を利かせ、王子はルサルカに性的関係を求め、外国の公女は肉体的な魅力で王子に迫る。王子は杖を突いているが、霊界(=クラシックバレエの世界)に触れていながら、それをできずにいる状況を象徴しているのだろうか。ルサルカはそのような男女の赤裸々な求めあいに辟易して、逃げ出すが、王子は追いかけてくる。二人は命を失うが、愛を成就しようとする。つまり、クラシックバレエとモダンダンスの合体をめざす。狩人の歌を歌う歌手や第2幕でコックとその老いとして現れる二人が道化の姿をして現れるが、それらは二つの世界の間を行きかう存在なのだろう。

 一応そのように読み取ってみたが、自分で納得しているわけではない。意味ありげなことが次々とおこなわれるが、それを的確に読み取るのはかなり困難で、しかも、直観的な私の感想としてはあまりセンスが良いとは思えない。近年の読み替え演出にありがちな、ただ目立ちたがりで、演出家本人による何らかの注釈がなければ意味不明の自己満足演出だと私は思う。

 が、繰り返すが、音楽的には素晴らしい。とりわけグリゴリアンが驚異的。演出があれこれと邪魔をするが、ともあれそれだけで十分に満足。

 

リムスキー=コルサコフ 「サトコ」 20201月 モスクワ、ボリショイ劇場

 豪華絢爛な上演。ロシア人にとってこのオペラがどれほど大事なものなのか、これを見るだけでよくわかる。大勢の合唱隊が豪華な服を着て、舞台装置も見るからに大がかり。リムスキー=コルサコフのオリジナルでは、ヴォルホヴァ河ができてノヴゴロドという土地が出来上がる神話を描いているが、今回の演出では主人公がテーマパークに紛れ込んでその施設が出来上がるのを目の当たりにするという設定のようだ。だが、それでも十分に大掛かりで、センスがよく、色彩感も抜群。民族色豊かで実に楽しい。

 歌も素晴らしい。サトコ(字幕ではサドコとなっている。SADKO、どちらがロシア語に近いのだろう)を歌うナジミディン・マヴリャーノフが美声で自在に歌って、実に素晴らしい。お気楽で運のよい男を嫌味なく歌う。ヴォルホヴァ王女を歌うのはアイーダ・ガリフッリーナ。先日みた「雪娘」で驚いたが、今回もまたその美しい声と容姿に驚く。いや、それだけではない。今回は見事に踊り、走り回り、そのあとに息も切らせずに歌う。踊りは、少なくとも、まったく素人の私の目には、本職のダンサーと大差なく美しく見える。このところ、アスミク・グリゴリアンやリーゼ・ダヴィドセンといった驚異的なソプラノ歌手が出てきているが、このガリッフリーナもその一人だ。 サトコの妻を歌うエカテリーナ・セメンチュクもしっとりしたメゾが心を打つ。ただ、それ以外の脇役は声楽的にはあまり満足はできなかった。

 指揮はティムール・ザンギエフ。リムスキーコルサコフのオーケストレーションの冴えを存分に味わうことができる。手際よく楽器を整理して、豪華中なにも繊細に音楽を進めている。とてもいい指揮者だと思う。演出・舞台美術はドミトリー・チェルニャコフ。豪華絢爛ではあるが、それに負けずにしっかりと芯があって楽しめた。

 私がリムスキー=コルサコフのオペラ作曲家としての真価を知ったのは、つい1、2年前。改めてすごい作曲家だと思う。突然、賢者が現れて主人公を正気に戻すところなど、「魔弾の射手」を思い出すが、それよりずっと手慣れた展開で、オペラ的な飛躍を残しながらも、比較的自然に受け入れられるようにできている。センスが現代的で、民族的な物語を描きながらも実はきわめて普遍的な精神を持っているのがわかる。おそらくそこがこの作曲家の魅力であると同時に、弱点でもあるのだろう。俗な言葉でいえば、頭がよすぎて、器用貧乏に陥っているところがある。不器用であるがゆえにほかの誰とも異なる世界を作り出したムソルグスキーと対照的だ。リムスキー=コルサコフはどこか冷めた部分があり、客観的でしかいられない部分がある。そうして知的に対象に迫っていく。私にはそこがとても魅力的に思える。

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デスピノーサ&N響 「展覧会の絵」 繊細に絵を描き分けている!

 20211210日、東京芸術劇場 コンサートホールでNHK交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はガエタノ・デスピノーサ。曲目はチェロの佐藤晴真が加わって、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲 作品33」とムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」。休憩なし。

 当初の予定では同じ曲目をワシーリ・ペトレンコの指揮、ダニエル・ミュラー・ショットによる演奏ということになっていたが、新型コロナ ウイルスによる外国人の入国制限のために変更。私の好みの曲ではないが、ダニエル・ミュラー・ショットを聴いてみたいと思って購入したのだった。チェリストが代わってしまったら、あまり聴きたいという意欲がなくなって、あまり気のりせずに聴きに出かけた。が、結果的にはとてもよかった。

 デスピノーサという指揮者、素晴らしいと思う(この人の顔、誰かに似ているとずっと思っていたのだったが、やっと思い出した。ブルガリア出身の元大関・琴欧州によく似ている!)。無理をせず、しなやかに音楽を盛り上げ、自然にニュアンスを豊かにしていく。しかし、時に激しく音楽を動かす。それがびしりと決まる。

 チェロの佐藤もふくよかでのびのびしていて、これもとてもよかった。縮こまらずに朗々とロココ風の主題と、いかにもチャイコフスキー風の戦慄を奏でる。音程もすごく良くて音も美しい。アンコールは「鳥の歌」。

「展覧会の絵」は、私が実演を聴くのはたぶん、二度目か三度目くらい。記憶が定かではないのだが、40年ほど前だろうか、チェリビダッケの指揮で聴いて驚嘆したことがあるような気がする。そんなわけで、実はよく知っている曲ではない。

 デスピノーサの語り口が実にうまい。一つ一つの「絵」を巧みに描き分けていく。繊細だったり、大胆だったり。それがことごとくぴたりと音楽の展開にはまっていく。N響の音も実に美しい。明るい音色で、ヌケがよく、繊細で時に華麗な音が出てくる。

 それにしてもラヴェル編曲の巧みさに舌を巻く。ピアノ版の演奏も何度か聴いたことがあるが、ラヴェル編曲のオーケストラ版と雰囲気が異なる。ムソルグスキーのオリジナルのピアノ曲は、不器用でいびつで素朴で、しかし鬼気迫るものがあるのに対して、オーケストラ版は華麗でしなやかで洗練されている。まさにラヴェルが自分の曲にしてしまっているところがある。

 そのラヴェルのオーケストレーションをデスピノーサが理想通りの音にしていく。「キエフの門」のところでは、壮麗な光景が目に見える気がして、感動に震えた。N響の実力が十分に発揮された。

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フォーレ四重奏団のフォーレとブラームス 密度の濃い音での強い感情を歌う

 2021129日、トッパンホールでフォーレ四重奏団演奏会を聴いた。曲目は前半にフォーレの歌曲「ゆりかご」「われらの愛」「月の光」のピアノ四重奏ヴァージョン、そして、フォーレのピアノ四重奏曲第2番、後半にブラームスのピアノ四重奏曲第3番。素晴らしい演奏だった。興奮した。

 単に「合わせる」室内楽ではなく、丁々発止に攻め合い、表現しあう室内楽。室内楽はこうでなくっちゃ。強い音で4つの楽器が混じり合い、重なり合い、絡み合い、奏で合う。音の密度が濃く、聴く者の魂を揺さぶる。高貴で抑制的で、いかにもフランス的な優雅さのあるフォーレの心の奥底に強い感情が楽器から浮かび上がってうねっていく。ブラームスのほうは、いかにもブラームスらしい抑制されたロマンティックな感情が湧き上がってくる。チェロを除いて、全員が立って演奏する。そのためもあるのかもしれない。全身での演奏になり、表現が強まる。フォーレもブラームスも、本当に素晴らしい。音楽とともに魂が揺れ動くのを感じた。

 私は日本の室内楽団の演奏を聴くと、しばしばあまりに合わせようという意識が強いことに不満を覚える。自分を抑えて相手に会わせようとして、結局、合わせるだけの自己主張のない音楽になる。日本人の特性として語られていることが音楽にも表れる。その点、やはり西洋の室内楽団は強い表現をおこなうところが多い。まさにこのフォーレ四重奏団がそうだ。メンバーのそれぞれの自己主張が絡み合って一つの大きな世界を作る。その醍醐味を感じる。

 大喝采に答えてのアンコールはシューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調の第3楽章とフォーレの歌曲「マンドリン」と「夢の後に」のピアノ四重奏ヴァージョン。いずれもしみじみと美しく、密度の濃い音楽になっていた。幸せな気持ちになった。

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ノット&オピッツ&東響 ブラームスの協奏曲第2番 まさに本格派!

 2021125日、ューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はジョナサン・ノット。曲目は、前半にゲルハルト・オピッツが加わってブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半にルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲。

 チケットを購入した時点では、ピアノはニコラ・アンゲリッシュの予定だった。アンゲリッシュが来日できなくなって、代わりに演奏することになったのがオピッツだった。

 私はピアノ独奏曲をほとんど聴かないため、ピアニストに関心を持つことはまずない。だが、30年近く前だったと思うが、だれだったかのヴァイオリンを聴きにゆき、ヴァイオリン以上に伴奏者のピアノに感動したことがあった。それがオピッツだった。どっしりと安定した、いかにもドイツ的なピアノは素晴らしいと思った。

 久しぶりにオピッツを聴いたが、やはり実に安定した音。重心の低い味わい深い渋い音。横で力いっぱい押しても微動だにしないような安定。まったくリズムが崩れない。小細工もない。正攻法でがっちりと弾く。ただ、独特の解釈なのだろう、ところどころ今まで私の聴いたことのないような力点の置き方がなされる。しかし、それによって新鮮な音楽にはなるが、もちろん安定した世界が揺らぐことはない。これがオピッツの持ち味だろう。まさに本格派。

 それに対して、ノットの指揮はとても色彩的でしなやか。かなり対照的な音楽づくりと言えるかもしれない。しかし、むしろそれがうまく合致して、素晴らしい音楽になっていく。なるほど、これがブラームスの世界だとつくづく思う。

 ただ、ちょっとだけ告白すると、素晴らしい!と思いつつも、オピッツほどにテンポを動かさずに安定して演奏されると、ちょっと退屈するのも事実だ。この本格的演奏に退屈してしまう自分のほうが修行不足だろうと思いながらも、ほんの少しでいいから観客サービスをしてほしいなと思ってしまう。

 だが、ともあれまさにドイツ音楽の正統を行く見事な演奏だった。

 後半のルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲については、まさにタイトル通り、「オーケストラの皆さんこそが主役です!」というモットーとでもいうべき演奏。すべての楽器を存分に吹かせ、弾かせて、すべての楽器を主人公にする。音の交通整理をするノットの手際の良さたるや凄まじい。おそらく、全員が気持ちよく演奏しているのだと思う。だが、それぞれの楽器が見事にアンサンブルをなし、全楽器の爆音であっても透明感をもって鳴り響く。ヌケがよく、爽快な音が響き渡る。民族色も心地よい。私はこの曲をけっして名曲だとは思わないが、ともあれこのような演奏で聴くと、圧倒され、終わった後に喝采を叫びたくなる。

 とても充実したコンサートだった。

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デスピノーサ&N響 「浄夜」 何度か感動に震えた

 2021124日、東京芸術劇場 でNHK交響楽団演奏会を聴いた。指揮はガエタノ・デスピノーサ、曲目は前半にブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」作品56aと、小林海都が加わってバルトークのピアノ協奏曲 第3番、後半にシェーンベルクの「浄められた夜」。

 とはいえ、実はチケットを購入した時には、山田和樹の指揮で佐々木典子のソプラノによる「四つの最後の歌」が予定されていた。ところが、新型コロナウイルスの影響で演奏者も曲目も変更。「四つの最後の歌」を目当てだった私としては大いに落胆し、実は行こうか行くまいかと迷っていたのだった。

 だが、実際に聞いてみると、とても良い演奏だった。デスピノーサという指揮者、私はたぶん初めて聴いたと思う。音楽にさりげなく陰影をつけ、しかも自然に音楽が流れていく。ブラームスの変奏曲も、変奏ごとに見事に聴きどころを際立たせてくれる。全体が一つのドラマのように起伏を持っていることがとてもよくわかる演奏だった。

 バルトークの協奏曲については、私はこの曲をよく知らないので、何かを語る資格はない。ただ、小林海都という若いピアニスト、とても魅力的な音色の持ち主だと思った。一つ一つの音になんだか芯があるような印象を持った。そのため、一つのメロディが新しい響きを持って聞こえる。ピアノのアンコールが演奏された。シューベルトのアレグレットD915だという。帰宅して、所有しているだけでおそらく一度も聴いていないCDを引っ張り出して聴いてみた。シピリアン・カツァリスの演奏だが、まったく印象が異なる。小林の音はもっとずっと現代的に聞こえた。現代的でありながら不思議な陰影と哀愁を持つ曲に思えた。

「浄夜」も素晴らしい名演奏だった。N響の弦のメンバーの実力が存分に発揮されたといっていいだろう。心の中に蠢く官能と悶えと歓びがうねる。デスピノーサのコントロールも見事。音が自然に重なり、うねり、ささやく。魂の潮が押し寄せてはまた静まり、また押し寄せる。昔々(おそらく、40年ほど前)、まだレコードの時代、この曲のオーケストラ版が好きでよく聴いていたが、この2、30年、六重奏版ばかりを聴いていた気がする。久しぶりにオーケストラ版を聴くと、それぞれの楽器のソロが胸のざわめきのようなものを掻き立て、六重奏版とは異なった魅力があるのに気付く。迫ってくるものがあった。N響弦楽器群のメンバー、そしてそれぞれの楽器のトップの独奏陣に脱帽。何度か感動に震えた。

 客はかなり少なかった。真ん中のブロックはほぼ埋まっていたが、左右のブロックはガラガラ。演奏者と曲目の変更のせいもあったのかもしれない。私も、行こうかどうかと迷って、せっかくの名演奏を聞き逃すところだった。短気を起こさなくてよかった。

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オペラ映像「ひどい誤解」「ジュリエッタとロメーオ」「村の結婚式」「タイス」

 やむを得ない措置であって、私もこの決定を支持するが、とはいえ、オミクロン株の感染拡大を防ぐための外国人の入国停止は私にはかなりの痛手だ。大学を定年退職した後、日本人の文章指導とともに、日本に留学する外国人への日本語文章指導をライフワークにしたいと思っていたのだったが、計画はもろくも崩れつつある。そのほか、ヨーロッパの音楽祭にも行きたいと考えていたが、もちろんそれも難しい。そして、何より、外来演奏家が入国できないのがつらい。年内に、あと8回コンサートを聴く予定にしているが、そのうちの5回は外来演奏家が指揮をしたり、ソロを演奏したり、そもそもが外国人の団体だったり。ファビオ・ルイージが来日できず、第九を振らないことになったという通知が先ほど届いた。あといくつ変更があるか・・・。

 オペラ映像を数本みたので、感想を記す。

 

ロッシーニ 「ひどい誤解」 2018年 ヴィルバート・ロッシーニ音楽祭

 ともあれロッシーニのBDの新譜なので購入したのだったが、知らない劇場での知らない団体の上演であり、指揮者も歌手陣も知っている名前がない。どんなものかと恐る恐るみてみたが、これがなかなかいい。確かに小さな劇場での簡素な舞台。登場人物の服装も現代の普段着に近いもの。しかし、これぞ本来のロッシーニの世界ではないかと思わせるだけの力がある。

 指揮はホセ・ミゲル・ペレス=シエーラ。ヴィルトゥオージ・ブルネンシスという名称が出ているが、これがオーケストラ名だろうか。出てくる音は、躍動感があり、若々しくてとてもいい。

 歌手陣もそろっている。すべてかなりの若手のようだ。ガンベロットのジュリオ・マストロトータロは、ふだん芸達者なベテランが歌うこの役を見事に歌っている。フロンティーノ役のセバスティアン・モンティとロザリア役のエレオノーラ・ベロッチも、原作の従僕と小間使いというより現代社会のアルバイト学生といった風情。

 ヒロインのエルネスティーナを歌うアントネッラ・コライアンニはとてもいい。容姿もきれいで声も美しく、音程もよく見事に歌う。エルマンノを歌うのはアフリカ系のパトリック・カボンゴ。外見的には、正直言ってこの役にふさわしくないと思われるが、いざ歌いだすと、この役にふさわしい柔らかくて甘い美声。素晴らしい。ブラリッキオのエマヌエル・フランコも感じの悪い軽薄男を好演。すべての歌手が音程のしっかりした美しい声。

 演出はヨッヘン・シェーンレーバー。合唱団の男性たち女装している。去勢男と疑われるヒロインのひどい誤解の物語の時代錯誤性を弱めるための工夫だろう。確かに、今の時代、かつての女性差別、宗教差別、少数者差別の題材を扱うときには何かしら緩和させるための工夫をしなければならない。

 ザルツブルク音楽祭などでの大御所たちの名舞台もいいが、このような才能ある若手のういういしい舞台もいい。小さな劇場で、目の前でこれほどの名演奏を繰り広げられると、ザルツブルク以上の感動をおぼえるだろう。ロッシーニ19歳のオペラであるこの作品はむしろ、このような若々しい演奏家によって演奏されるにふさわしいのではないかと思った。

 

ヴァッカイ 「ジュリエッタとロメーオ」 2018 第44回 ヴァッレ・ディトリア音楽祭

 コロナ禍のために中止になったが、昨年だったか、藤原歌劇団が確かこのオペラを上演する予定だったと思う。それまでヴァッカイという作曲家の名前も知らなかった。1790年に生まれて1848年に没したというから、ロッシーニとほぼ同時代。「ロミオとジュリエット」とほぼ同じ物語。ロメーオを女性が歌う。

 現在上演されなくなったオペラを観ると、だいたいいつもそう思うが、それなりに美しいメロディが続く。しかし、とびっきり美しいメロディや、とびっきりぐっとくる場面がない。確かに長い歴史を潜り抜ける魔力を持っていないなあと思う。これも同じように感じる。ただ何しろストーリーが劇的で見せ場があるので、このオペラは歌手の力によっては十分に楽しめるといえそうだ。

 ジュリエッタのレオノール・ボニッラが素晴らしい。澄んできれいな高音にうっとりする。ロメーオのラファエッラ・ルピナッチもとてもいい。もちろん想定されているロミオとジュリエットの年齢とはかけ離れているが、外見的にもとても見栄えがする。カペッリオのレオナルド・コルテッラッツィ、アデリアのパオレッタ・マッロークもしっかりした声。

 ミラノ・スカラ座アカデミア管弦楽団を指揮するのはセスト・クアトリーニ。まさにロッシーニの時代を彷彿とさせる音。しかも、しなやかで繊細。とてもいいオーケストラと指揮者だと思う。演出はチェチリア・リゴーリオ。穏当な演出といってよいだろう。わかりやすくて、初めてこのオペラに接する者にはありがたい。

 

ドニゼッティ 「村の結婚式」 2020年 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 コロナ禍の中の無観客ライブ。演出はダヴィデ・マランケッリとなっているが、本来の意図からはかなり異なったものになってしまったのだろう。歌手たちは、舞台上ではなく、椅子を取り払われた観客席で歌い、演じる。舞台上ではどうしても密になるので、それを避けるためにはこうするしかない。自分が歌うとき以外はマスクをつけ、かなり距離をとって行動する。このような状況を知らずに見たら異様に思うだろうが、今、これを見る私たちは、これほど苦労して上演しようとする姿勢にある種の感動を覚える。

 ドニゼッティの初期のオペラ・ブッファ。もちろん、私がこのオペラを観るのは初めて。存在自体も知らなかった。だが、そこはドニゼッティ。爆発的におもしろいわけではないが、楽しい歌が存分にあり、ある意味でお決まりのストーリー、お決まりの人物のキャラクターなので、とてもわかりやすく、それほど上演時間も長くないので、ともあれ楽しめる。そう、私にとってドニゼッティのオペラは、吉本新喜劇のようなもの。他愛のない話なのだが、ともあれとても楽しくオペラを味わうことができる。

 演奏もとてもいい。ステファノ・モンタナーリの指揮も生き生きしていてまったく不満はない。最も目を引くのはクラウディオ役のジョルジョ・ミッセーリだ。とてもきれいな声のテノールで、音程もよく、外見的にも「イケメン」を十分にこなせる。村娘ザビーナのガイア・ペトローネもとてもきれいなコントラルトの声で好感が持てる。そのほか、ドン・ペトローニオ役のオマール・モンタナーリ、トリフォリオのファビオ・カピタヌッチもしっかりとした演技と歌。ただ、この演出では、広い空間で、歌手同士の絡みがないままストーリーが展開するので、やはり芝居の醍醐味が不足するのは致し方ないところだろう。逆に言えば、音楽というもの、オペラというものがいかに「密」によって成り立っていたのかを再認識させられる。

 

マスネ 「タイス」 2021年 アン・デア・ウィーン劇場

 おそらく無観客上演だろう。観客は一切映し出されない。

 タイス役のニコール・シュヴァリエは妖艶な娼婦というこの役にふさわしい容姿で、声も美しい。しっかりと歌って好感が持てる。アタナエルはヨーゼフ・ワーグナー。ちょっと声が硬いが、生真面目な修道士でありながらタイスにほだされてしまうさまをしっかりと歌う。ニシアスを歌うロベルト・ザッカはさすがの歌唱で、この天真爛漫な女好きの金満家を造形している。

 演出はペーター・コンヴィチュニー。そのわりには、大きな読み替えはない。時代は、オリジナルではもちろん古代ローマの時代なのだが、おそらくマスネが活躍していた時代、つまり、19世紀後半に設定されている。アタナエルをはじめとする修道士たちが背中に黒い羽根を付けており、むしろニシアスが白い羽をつけている。宗教者たちの偽善性を表現しているのだろう。

 指揮はレオ・フセイン。来日したことがあるらしいが、私は初めてこの名前を知った。前半はオペラそのものの性格なのか、一本調子で音楽に広がりがなくて少々退屈した。しかし、後半、徐々に官能的になり、「タイスの瞑想曲」あたりからぐんぐんと魅力を増してきた。

 全体的にかなりレベルの高い上演だと思うが、とびきり引き込まれるほどのことはなかった。

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