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オペラ映像「ルサルカ」「サトコ」

 新しく購入した2本のオペラ映像をみた。いずれも素晴らしかった。感想を書く。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」202011月 マドリード、テアトロ・レアル

 音楽面では圧倒的だと思う。なによりもアスミク・グリゴリアンが凄まじい。なんという声の威力! 美しく、しかも強靭な声で、表現力もある。容姿もこの役にふさわしい。そのうえ、バレエを踊り(ポワントというのだろうか、つま先で立って踊る!)、動き回るが、声はまったく乱れない。これまで、この人がサロメ、クリソテミス、ゼンタを歌うのを聴いてきたが、どれも圧倒的。凄い歌手が現れたものだ。これから先、ワーグナーとシュトラウスの多くのソプラノの役はこの人を中心に回っていくだろう。

 王子役のエリック・カトラーも強い美しい声、水の精のマキシム クズミン=カラワエフも深みのある柔らかい声。理想的な歌唱だ。外国の公女はなんとカリタ・マッティラ。この役にしては少々「年増」で、微妙な声のコントロールができていない気がするが、圧倒的な存在感。なるほど、王子を熟女の手練手管でたらしこむというわけだろう。なかなかに説得力がある。イェジババのカタリーナ・ダライマンも豊満な胸を突き出してエロティックに押し迫る。

 指揮はアイヴァー・ボルトン。私が初めてこの人の指揮を聴いたのは、2012年にザルツブルク音楽祭の場だったが、酔っぱらった田舎のおじさんといった風貌と動きにもかかわらず、出てくる音はドラマティックでしかも繊細なのにびっくりした記憶がある。今回の演奏も一瞬のゆるみもなく、緻密にドラマを作り上げていく。

 演出はクリストフ・ロイ。メルヘン性を薄め、ルサルカという女性の物語として描いているようだ。どうやら、ルサルカは足を怪我したクラシックバレエのバレリーナ、イェジババは継母という設定らしい。ルサルカはクラシックバレエに象徴されるような清純で美しい世界を夢見ている。ところが、ルサルカは別の世界の人間を愛してしまう、つまりは、クラシックバレエではなく、モダンバレエの世界で活躍したくなるということを意味するようだ。足をくじき、クラシックバレエをうまく踊れなくなるが、それを克服しようとする。だが、王子の世界(=モダンダンスの世界)では、「愛」は肉欲を伴いエロティックな欲望に基づき、クラシックバレエではなく、体と体を寄せあうエロティックなダンスが幅を利かせ、王子はルサルカに性的関係を求め、外国の公女は肉体的な魅力で王子に迫る。王子は杖を突いているが、霊界(=クラシックバレエの世界)に触れていながら、それをできずにいる状況を象徴しているのだろうか。ルサルカはそのような男女の赤裸々な求めあいに辟易して、逃げ出すが、王子は追いかけてくる。二人は命を失うが、愛を成就しようとする。つまり、クラシックバレエとモダンダンスの合体をめざす。狩人の歌を歌う歌手や第2幕でコックとその老いとして現れる二人が道化の姿をして現れるが、それらは二つの世界の間を行きかう存在なのだろう。

 一応そのように読み取ってみたが、自分で納得しているわけではない。意味ありげなことが次々とおこなわれるが、それを的確に読み取るのはかなり困難で、しかも、直観的な私の感想としてはあまりセンスが良いとは思えない。近年の読み替え演出にありがちな、ただ目立ちたがりで、演出家本人による何らかの注釈がなければ意味不明の自己満足演出だと私は思う。

 が、繰り返すが、音楽的には素晴らしい。とりわけグリゴリアンが驚異的。演出があれこれと邪魔をするが、ともあれそれだけで十分に満足。

 

リムスキー=コルサコフ 「サトコ」 20201月 モスクワ、ボリショイ劇場

 豪華絢爛な上演。ロシア人にとってこのオペラがどれほど大事なものなのか、これを見るだけでよくわかる。大勢の合唱隊が豪華な服を着て、舞台装置も見るからに大がかり。リムスキー=コルサコフのオリジナルでは、ヴォルホヴァ河ができてノヴゴロドという土地が出来上がる神話を描いているが、今回の演出では主人公がテーマパークに紛れ込んでその施設が出来上がるのを目の当たりにするという設定のようだ。だが、それでも十分に大掛かりで、センスがよく、色彩感も抜群。民族色豊かで実に楽しい。

 歌も素晴らしい。サトコ(字幕ではサドコとなっている。SADKO、どちらがロシア語に近いのだろう)を歌うナジミディン・マヴリャーノフが美声で自在に歌って、実に素晴らしい。お気楽で運のよい男を嫌味なく歌う。ヴォルホヴァ王女を歌うのはアイーダ・ガリフッリーナ。先日みた「雪娘」で驚いたが、今回もまたその美しい声と容姿に驚く。いや、それだけではない。今回は見事に踊り、走り回り、そのあとに息も切らせずに歌う。踊りは、少なくとも、まったく素人の私の目には、本職のダンサーと大差なく美しく見える。このところ、アスミク・グリゴリアンやリーゼ・ダヴィドセンといった驚異的なソプラノ歌手が出てきているが、このガリッフリーナもその一人だ。 サトコの妻を歌うエカテリーナ・セメンチュクもしっとりしたメゾが心を打つ。ただ、それ以外の脇役は声楽的にはあまり満足はできなかった。

 指揮はティムール・ザンギエフ。リムスキーコルサコフのオーケストレーションの冴えを存分に味わうことができる。手際よく楽器を整理して、豪華中なにも繊細に音楽を進めている。とてもいい指揮者だと思う。演出・舞台美術はドミトリー・チェルニャコフ。豪華絢爛ではあるが、それに負けずにしっかりと芯があって楽しめた。

 私がリムスキー=コルサコフのオペラ作曲家としての真価を知ったのは、つい1、2年前。改めてすごい作曲家だと思う。突然、賢者が現れて主人公を正気に戻すところなど、「魔弾の射手」を思い出すが、それよりずっと手慣れた展開で、オペラ的な飛躍を残しながらも、比較的自然に受け入れられるようにできている。センスが現代的で、民族的な物語を描きながらも実はきわめて普遍的な精神を持っているのがわかる。おそらくそこがこの作曲家の魅力であると同時に、弱点でもあるのだろう。俗な言葉でいえば、頭がよすぎて、器用貧乏に陥っているところがある。不器用であるがゆえにほかの誰とも異なる世界を作り出したムソルグスキーと対照的だ。リムスキー=コルサコフはどこか冷めた部分があり、客観的でしかいられない部分がある。そうして知的に対象に迫っていく。私にはそこがとても魅力的に思える。

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