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オペラ映像「ひどい誤解」「ジュリエッタとロメーオ」「村の結婚式」「タイス」

 やむを得ない措置であって、私もこの決定を支持するが、とはいえ、オミクロン株の感染拡大を防ぐための外国人の入国停止は私にはかなりの痛手だ。大学を定年退職した後、日本人の文章指導とともに、日本に留学する外国人への日本語文章指導をライフワークにしたいと思っていたのだったが、計画はもろくも崩れつつある。そのほか、ヨーロッパの音楽祭にも行きたいと考えていたが、もちろんそれも難しい。そして、何より、外来演奏家が入国できないのがつらい。年内に、あと8回コンサートを聴く予定にしているが、そのうちの5回は外来演奏家が指揮をしたり、ソロを演奏したり、そもそもが外国人の団体だったり。ファビオ・ルイージが来日できず、第九を振らないことになったという通知が先ほど届いた。あといくつ変更があるか・・・。

 オペラ映像を数本みたので、感想を記す。

 

ロッシーニ 「ひどい誤解」 2018年 ヴィルバート・ロッシーニ音楽祭

 ともあれロッシーニのBDの新譜なので購入したのだったが、知らない劇場での知らない団体の上演であり、指揮者も歌手陣も知っている名前がない。どんなものかと恐る恐るみてみたが、これがなかなかいい。確かに小さな劇場での簡素な舞台。登場人物の服装も現代の普段着に近いもの。しかし、これぞ本来のロッシーニの世界ではないかと思わせるだけの力がある。

 指揮はホセ・ミゲル・ペレス=シエーラ。ヴィルトゥオージ・ブルネンシスという名称が出ているが、これがオーケストラ名だろうか。出てくる音は、躍動感があり、若々しくてとてもいい。

 歌手陣もそろっている。すべてかなりの若手のようだ。ガンベロットのジュリオ・マストロトータロは、ふだん芸達者なベテランが歌うこの役を見事に歌っている。フロンティーノ役のセバスティアン・モンティとロザリア役のエレオノーラ・ベロッチも、原作の従僕と小間使いというより現代社会のアルバイト学生といった風情。

 ヒロインのエルネスティーナを歌うアントネッラ・コライアンニはとてもいい。容姿もきれいで声も美しく、音程もよく見事に歌う。エルマンノを歌うのはアフリカ系のパトリック・カボンゴ。外見的には、正直言ってこの役にふさわしくないと思われるが、いざ歌いだすと、この役にふさわしい柔らかくて甘い美声。素晴らしい。ブラリッキオのエマヌエル・フランコも感じの悪い軽薄男を好演。すべての歌手が音程のしっかりした美しい声。

 演出はヨッヘン・シェーンレーバー。合唱団の男性たち女装している。去勢男と疑われるヒロインのひどい誤解の物語の時代錯誤性を弱めるための工夫だろう。確かに、今の時代、かつての女性差別、宗教差別、少数者差別の題材を扱うときには何かしら緩和させるための工夫をしなければならない。

 ザルツブルク音楽祭などでの大御所たちの名舞台もいいが、このような才能ある若手のういういしい舞台もいい。小さな劇場で、目の前でこれほどの名演奏を繰り広げられると、ザルツブルク以上の感動をおぼえるだろう。ロッシーニ19歳のオペラであるこの作品はむしろ、このような若々しい演奏家によって演奏されるにふさわしいのではないかと思った。

 

ヴァッカイ 「ジュリエッタとロメーオ」 2018 第44回 ヴァッレ・ディトリア音楽祭

 コロナ禍のために中止になったが、昨年だったか、藤原歌劇団が確かこのオペラを上演する予定だったと思う。それまでヴァッカイという作曲家の名前も知らなかった。1790年に生まれて1848年に没したというから、ロッシーニとほぼ同時代。「ロミオとジュリエット」とほぼ同じ物語。ロメーオを女性が歌う。

 現在上演されなくなったオペラを観ると、だいたいいつもそう思うが、それなりに美しいメロディが続く。しかし、とびっきり美しいメロディや、とびっきりぐっとくる場面がない。確かに長い歴史を潜り抜ける魔力を持っていないなあと思う。これも同じように感じる。ただ何しろストーリーが劇的で見せ場があるので、このオペラは歌手の力によっては十分に楽しめるといえそうだ。

 ジュリエッタのレオノール・ボニッラが素晴らしい。澄んできれいな高音にうっとりする。ロメーオのラファエッラ・ルピナッチもとてもいい。もちろん想定されているロミオとジュリエットの年齢とはかけ離れているが、外見的にもとても見栄えがする。カペッリオのレオナルド・コルテッラッツィ、アデリアのパオレッタ・マッロークもしっかりした声。

 ミラノ・スカラ座アカデミア管弦楽団を指揮するのはセスト・クアトリーニ。まさにロッシーニの時代を彷彿とさせる音。しかも、しなやかで繊細。とてもいいオーケストラと指揮者だと思う。演出はチェチリア・リゴーリオ。穏当な演出といってよいだろう。わかりやすくて、初めてこのオペラに接する者にはありがたい。

 

ドニゼッティ 「村の結婚式」 2020年 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 コロナ禍の中の無観客ライブ。演出はダヴィデ・マランケッリとなっているが、本来の意図からはかなり異なったものになってしまったのだろう。歌手たちは、舞台上ではなく、椅子を取り払われた観客席で歌い、演じる。舞台上ではどうしても密になるので、それを避けるためにはこうするしかない。自分が歌うとき以外はマスクをつけ、かなり距離をとって行動する。このような状況を知らずに見たら異様に思うだろうが、今、これを見る私たちは、これほど苦労して上演しようとする姿勢にある種の感動を覚える。

 ドニゼッティの初期のオペラ・ブッファ。もちろん、私がこのオペラを観るのは初めて。存在自体も知らなかった。だが、そこはドニゼッティ。爆発的におもしろいわけではないが、楽しい歌が存分にあり、ある意味でお決まりのストーリー、お決まりの人物のキャラクターなので、とてもわかりやすく、それほど上演時間も長くないので、ともあれ楽しめる。そう、私にとってドニゼッティのオペラは、吉本新喜劇のようなもの。他愛のない話なのだが、ともあれとても楽しくオペラを味わうことができる。

 演奏もとてもいい。ステファノ・モンタナーリの指揮も生き生きしていてまったく不満はない。最も目を引くのはクラウディオ役のジョルジョ・ミッセーリだ。とてもきれいな声のテノールで、音程もよく、外見的にも「イケメン」を十分にこなせる。村娘ザビーナのガイア・ペトローネもとてもきれいなコントラルトの声で好感が持てる。そのほか、ドン・ペトローニオ役のオマール・モンタナーリ、トリフォリオのファビオ・カピタヌッチもしっかりとした演技と歌。ただ、この演出では、広い空間で、歌手同士の絡みがないままストーリーが展開するので、やはり芝居の醍醐味が不足するのは致し方ないところだろう。逆に言えば、音楽というもの、オペラというものがいかに「密」によって成り立っていたのかを再認識させられる。

 

マスネ 「タイス」 2021年 アン・デア・ウィーン劇場

 おそらく無観客上演だろう。観客は一切映し出されない。

 タイス役のニコール・シュヴァリエは妖艶な娼婦というこの役にふさわしい容姿で、声も美しい。しっかりと歌って好感が持てる。アタナエルはヨーゼフ・ワーグナー。ちょっと声が硬いが、生真面目な修道士でありながらタイスにほだされてしまうさまをしっかりと歌う。ニシアスを歌うロベルト・ザッカはさすがの歌唱で、この天真爛漫な女好きの金満家を造形している。

 演出はペーター・コンヴィチュニー。そのわりには、大きな読み替えはない。時代は、オリジナルではもちろん古代ローマの時代なのだが、おそらくマスネが活躍していた時代、つまり、19世紀後半に設定されている。アタナエルをはじめとする修道士たちが背中に黒い羽根を付けており、むしろニシアスが白い羽をつけている。宗教者たちの偽善性を表現しているのだろう。

 指揮はレオ・フセイン。来日したことがあるらしいが、私は初めてこの名前を知った。前半はオペラそのものの性格なのか、一本調子で音楽に広がりがなくて少々退屈した。しかし、後半、徐々に官能的になり、「タイスの瞑想曲」あたりからぐんぐんと魅力を増してきた。

 全体的にかなりレベルの高い上演だと思うが、とびきり引き込まれるほどのことはなかった。

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