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サン=サーンスの弦楽四重奏曲第1番に感動!

 2022130日、第一生命ホールで、日本イザイ協会主催による「イザイとサン=サーンス」を聴いた。イザイとサン=サーンス、生前、交流のあった二人。今年はサン=サーンス没後100年。とてもうれしい企画だ。演奏は、加藤知子、戸田弥生(ヴァイオリン)、佐々木亮(ヴィオラ)、伊藤悠貴(チェロ)、津田裕也(ピアノ)という豪華メンバー。

 曲目は、サン=サーンス「ミューズと詩人」(ヴァイオリンとチェロ、ピアノ伴奏版 演奏は戸田・伊藤・津田)、イザイ「子供の夢」(戸田・津田)、イザイ「2台ヴァイオリンの為の無伴奏ソナタ 遺作」(加藤・戸田)、そして、サン=サーンスの弦楽四重奏曲第1番(加藤・戸田・佐々木・伊藤)。

 全体的にとても充実したコンサートだった。「ミューズと詩人」のヴァイオリンの最初の音にまずびっくり。なんという魂のこもった音であることか。生命が通っているというべきか。近年の演奏家たちの空疎な美音とまったく異なる。戸田弥生のヴァイオリンは私の心の奥にまで響き渡る。ジーンと感動する。曲によってはちょっと重すぎる気がする(今回の「子供の夢」は私にはちょっと重すぎる気がした)こともあるが、「ミューズと詩人」は伊藤さん、津田さんとの絡みあいも見事で実に素晴らしかった。

 弦楽四重奏曲第1番はサンサーンスがイザイに献呈した曲で、今回が日本初演だという。私はCDで何度か聴いたことがあるが、常々、この第2楽章には惹かれてきた。改めて聴いて、素晴らしい曲だと思った。演奏もとてもよかった。加藤さんの高貴でやさしさのある音と戸田さんの勢いのある音のバランスが絶妙。四人の勢いが崩れず、ぐいぐいと音楽を進めていく。やはり第2楽章がいい。スリリングで躍動的。堪能した。

 改めてサン=サーンスの偉大さをしることができた。

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新国立「さまよえるオランダ人」 田崎の素晴らしいゼンタ、デスピノーサの特異な指揮

 2022129日、新国立劇場で「さまよえるオランダ人」をみた。新型コロナウイルス感染拡大による外国人入国停止により、予定されていた出演者のほとんどが来日できなくなって、歌手陣はすべて日本人に変更されての上演。そんなわけで、私としてはあまり期待をしないで出かけたのだった。

 指揮はガエタノ・デスピノーサ。私は二度、N響の演奏を聴いて、素晴らしい指揮者だということはよく知っている。だが、序曲が始まって、やはり、ワーグナー好きの私としては「これはワーグナーではない!」と思わざるを得なかった。うねりがない。官能と形而上学的響きがない。てきぱきしすぎている。幕が上がってからも、舵手の鈴木准、ダーラントの妻屋秀和、オランダ人の河野鉄平はもちろん悪くないのだが、あわただしくて彫りの浅さを感じざるを得なかった。しかも演技が大げさで学芸会風に思えた。第一幕が終わった時点で、私はかなり不満を抱いていた。

 音楽が生き生きとしてくるのを感じたのは第二幕に入ってからだった。糸車の合唱が美しい。マリーの山下牧子もしっかりした声でドラマを盛り上げる。そして、ゼンタの田崎尚美が登場してから、ワーグナーの世界が広がるようになった。見事な声。日本人離れしたものすごい声量。ゼンタにふさわしい清純さと強靭さを持っている。今回の公演でずば抜けていると思った。エリックの城宏憲も強さのある明るい声でとてもよかった。ゼンタとエリックの場面はうっとりするほど素晴らしかった。

 第三幕になってからはもっと盛り上がった。三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団が本領を発揮。息を飲むようなダイナミックな合唱になった。そして緊迫感あふれるオランダ人とゼンタとエリックのやり取り。私は第三幕に大いに感動した。最後は魂が震えた。

 指揮については、確かに最後まで私が考えているようなワーグナーの音楽にはならなかった。むしろ、レオンカヴァッロのオペラのようなドラマの盛り上げ方だと思う。だが、それはそれでこれまでワーグナーの音楽では聴いたことがないような緊迫感が生まれる。これも素晴らしい演奏だと思った。東京交響楽団はホルンが時々裏返っていたが、全体的には緊迫感のある音を出してとてもよかった。

 シュテークマンの演出については、永遠に回転する円環運動と、それをとどめようとするオランダ人という構図を明確にしようとしているのは面白く思ったが、全体的にはあまりにオーソドックス。

 あまり期待しないで出かけたのだったが、田崎のゼンタ、デスピノーサの特異な指揮を聴けて満足した。

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ロッシーニのオペラ映像「セヴィリアの理髪師」「新聞」「オテロ」「泥棒かささぎ」

 新型コロナウイルス感染爆発が止まらない。オミクロン株は軽症で済む人が多いらしいが、これほど感染者が増えると、確かに専門家の言う通り、医療逼迫になって様々な面に影響が出るだろう。用心に越したことはない。

 このところ、作曲年代順にロッシーニのオペラ映像をみなおしている。感想を記す。

 

ロッシーニ 「セヴィリャの理髪師」20051月 マドリード、テアトロ・レアル

 以前観たつもりだったが、なんだか初めてみる映像のような気がする。

 エミリオ・サギの演出。白い壁の家々、白いスーツ姿のフィガロやアルマヴィーヴァ伯爵。セヴィリアは確か、このような光景が広がっていた。そして、第二幕になって色彩が増し、主要人物はピンクの服を着て、フラメンコふうの世界になる。そう、セヴィリアはまさにフラメンコの本場。面白くてわかりやすくて、おしゃれなとてもいい演出だと思う。

 アルマヴィーヴァ伯爵はフアン・ディエゴ・フローレス。この人、若い頃は音程が良くなかった。ここでも少し音程が不安定になる。だが、最後の歌は圧倒的。フィガロのピエトロ・スパグノーリも当たり役だけあって本当に役になりきっている。

 ロジーナを歌うのはマリア・バーヨ。きれいな澄んだ声。もう少し躍動感がほしい気がするし、ちょっと顔や表現がおばさんぽいが、それはそれで見事。バルトロのブルーノ・プラティコは演技派おもしろいが歌の技術はやや落ちる。ドン・バジリオはルッジェーロ・ライモンディ。さすがの存在感だが、かつての輝きはない。ベルタを歌うのはスザンナ・コルドン。ベルタのアリアがとてもおもしろい。軽妙で躍動感がある。歌手の力もあるが、指揮のジャンルイジ・ジェルメッティのおかげでもあるだろう。

 ジェルメッティはパッパーノに比べると、かなり一面的な表現で、深みにかける気がするが、しかし、軽妙でエネルギッシュで弾力性のある表現はさすがというしかない。

 

ロッシーニ 「セヴィリャの理髪師」20097月 コヴェント・ガーデン、王立歌劇場 

 久しぶりにこの映像をみた。冒頭、パッパーノが登場し、ロジーナ役のジョイス・ディドナートがリハーサル中に骨折したため、車椅子で登場することが告げられる。そして、実際、最初から最後まで、ディドナートは車椅子に乗って歌う。

 その点が残念と言えば残念。主役格の人々の歌は申し分ない。ディドナートが立って歌っていたら、最高の上演になっただろう。だが、逆に考えれば、これはこれで貴重な記録ではある。

 それにしても、ディドナートが凄い。しなやかで強くてチャーミングな声と演技と容姿。自在に歌いまくる。アルマヴィーヴァ伯爵のフアン・ディエゴ・フローレスも輝かしい美声で見事なテクニックを披露する。この二人を前にすると、ちょっとだけ影が薄くなるが、フィガロのピエトロ・スパニョーリも申し分のないタイトルロール。ユーモアにあふれ、余裕のある美声で歌う。

 そのほか、バルトロのアレッサンドロ・コルベッリ、バジリオのフェルッチョ・フルラネットもこの役にはこれ以上の人はいないと断言できるような見事さ。

 指揮のアントニオ・パッパーノも活気がありながらも、芸術的な香りの高い演奏を繰り広げる。演出はパトリス・コーリエ&モッシュ・ライザーとなっている。だが、きっとディドナートの骨折によってかなり演出の修正を迫られただろう。ずっと牢獄のような部屋で舞台が続く。おそらくロジーナの閉塞感を表現しているのだろう。

 

ロッシーニ 「新聞」20146月 ベルギー、リエージュ、ワロン王立歌劇場

 色彩的な舞台。現代の服装というよりもちょっと未来的な服装の人物たち。大胆な色づかいの装置と衣装。ギャグ(赤ん坊の真似をしたり、「プラシド・ドミンゴ」という言葉を出したり)はスベっている感じがするが、それはそれでにぎやかで楽しい演出(ステファノ・マッツォニス・ディ・プララフェラの演出)。ロッシーニの音楽は、どこかで聞き覚えのあるメロディが多出。それはそれで楽しい。

 歌手陣はそろっている。リゼッタのチンツィア・フォルテはちょっと声量不足を感じるが、美しい高音。アルベルトのエドガルド・ロチャはさすがのきれいな声。ドン・ポンポーニオのエンリコ・マラベッリはとても楽しい。ドラリーチェのジュリー・ベイリーもしっかりした声。

 ただいかんせん、ヤン・シュルツ指揮のワロン王立歌劇場管弦楽団がぱっとしない。もたついているし、盛り上がるべきところで盛り上がらない。せっかくのロッシーの高揚をオーケストラが盛り下げている感じがする。

 

「オテロ」 2012年 チューリッヒ歌劇場

 これをみるのは二度目。改めて、素晴らしい傑作だと思った。実は私は、多くの人が言うほどヴェルディの「オテロ」を傑作だとは思っていない。ロッシーニの「オテロ」のほうが好きだ。ドラマティックで技巧的でカラッとしていて、ヴェルディのオペラほどはオテロへの感情移入を強いられないところがいい。

 オペラそのものも素晴らしいが、この上演もまた素晴らしい。歌手は全員が見事だが、とりわけデズデモーナのチェチーリア・バルトリがやはり圧倒的。声の技巧には驚くしかない。そして、オテロのジョン・オズボーン、ロドリーゴのハビエル・カマレナ、イヤーゴのエドガルド・ロチャの3人のテノールの競演もこれ以上の配役は考えられないほどだ。エルミーロのペーター・カールマンもしっかりした声、エミーリアのリリアーナ・ニキテアヌも清純でいい。東洋系のムハイ・タンの指揮、ラ・シンティラ管弦楽団。チューリヒ歌劇場の座付きの古楽オーケストラで、ちょっとがさつなところがあるが、ちょっとしたことをものともしない勢いが素晴らしい。

 この名盤があまり知られていないのはあまりに残念。ロッシーニのオペラを代表する名盤だと思う。

 

ロッシーニ 「泥棒かささぎ」20078月 ペーザロ

 あまりレベルの高い上演ではない。代官のミケーレ・ペルトゥージとルチアのクレオパトラ・パパテオロゴウの二人は声が出ないで音程が不確か。ニネッタのマリオラ・カンタレロはかなり特徴ある声で、やや鼻につく。ジャンネットのディミトリ・コルチャクは声はきれいだが音程が不安定。とはいえ、十分に楽しめる。ロッシーニの音楽は素晴らしい。リュー・ジアの指揮するボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団も、ちょっとぎこちなさは感じながらも、古楽の良い味を出している。ダミアーノ・ミキエレット演出も、可愛らしいバレリーナのカササギが登場して、とても楽しい。

 満足とは言えないが、十分に合格点の上演と言えるだろう。ただ、もう少し音楽面でしっかりしたこのオペラの映像があると嬉しいなとは思う。

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スダーン&上村&東響 サン=サーンスの豊穣な音楽に酔った

 2022122日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の定期公演を聴いた。指揮はユベール・スダーン。曲目は前半に上村文乃のチェロが加わって、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番、後半に大木麻理のオルガンが加わってサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。

 私がこのコンサートのチケットを購入した際には、ピエール・ブリューズの指揮、ユリア・ハーゲンのチェロが予定されていたが、今回もまた、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外国人入国制限のために出演者変更。

 上村文乃はまさに音楽にとりつかれたかのような演奏。音楽の表情がそのまま顔に現れ、音楽に没入する。私は真正面の2列目で聴いたが、一度、上村が顔をゆがめてむせび泣くような声を出したので驚いていると、その後、激しい悲しみを表現する音楽が聞こえてきた。そのようにして音楽が展開していくが、音楽にのめりこんでいるだけでなく、しっかりと全体を見渡したうえでの感情移入であることがよくわかる。とてもいい演奏だった。

 この曲を聴くのは久しぶりだ。確かめてみたら、2013年のラ・フォル・ジュルネで宮田大のソロで聴いて以来。昔、ロストロポーヴィチのレコードをよく聴いていた。サン=サーンスらしい、技巧的な奏法を駆使して、構成もしっかりしており、豊饒な音が響く。素晴らしい曲だと改めて思った。

 無伴奏チェロのアンコールがあったが、私は何の曲か知らない。技巧を駆使した現代曲(あとで、藤倉大の「SweetSuites」だと知った)。楽しめた。

 交響曲第3番もとても良い演奏だった。スダーンはこの華麗な曲をうまく整理して聴かせてくれた。特に強く団員を統率しているようには見えない。きっと団員は気持ちよく演奏しているのだろう。しかし、自然にまとまりができて、しっかりした音が聞こえてくる。余計なものが一切なく、こけおどしもない。芯のある音を出しながら、それが豊穣な音楽になっていく。この曲は一つ間違うと、野放図でとりとめのない音楽になっていくが、そんなことはない。最後まで求心的な豊饒さだった。私は何度か豊饒な音にしびれた。東響の音も素晴らしいと思った。

 サン=サーンスは実はとても好きな作曲家で、昔からよくレコードやCDを聴いていた、そういえば、このごろあまり聴かなくなった。今年は没後100年。機会を見つけてもっと聴きたいものだ。

 アンコールは「ホフマンの舟歌」。香りのある美しい演奏だった。

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服部百音 ロマンティックな精神が乗り移ったようなブルッフ演奏

 2022122日、東京芸術劇場でNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はジョン・アクセルロッド、曲目は、ヴァイオリンの服部百音が加わってブルッフのヴァイオリン協奏曲 第1番とブラームスの交響曲 第3番。トゥガン・ソヒエフの指揮、ワディム・グルズマンのヴァイオリンを聴くつもりで購入したのだったが、新型コロナによる入国制限のために、出演者が変更になった。

 服部百音の名前はもちろん、よく知っていたが、初めて演奏を聴いた。少し音は小さめだが、とても情熱的な演奏だと思う。妖精を思わせるような外見もあって、ロマンティックな精神が乗り移ったかのような趣がある。ただ、ヒステリックだったり神がかり的だったりはせず、ヒラリー・ハーンのような怜悧さも併せ持っていて、とても魅力的な個性だと思う。透明な音色にも惹かれた。アクセルロッドの指揮もしっかりとヴァイオリンをサポートしてとてもよかった。

 服部のアンコール曲は、帰宅後、ネットで調べたところ、服部が得意としているエルンスト作曲の「夏の名残のバラによる変奏曲」のようだ。超絶技巧の曲。素晴らしかった。

 ブラームスについては、私は少し不満を抱いた。私はこれまで2度ほどアクセルロッドの演奏を聴き、とても良い指揮者だと認識していたのだが、第3番は少なくとも私の好きなタイプの演奏ではなかった。

 まず、第一楽章冒頭から違和感を覚えた。なんだか不思議な抑揚があるのを感じた。歌うような抑揚があり、そのためにロマンティックな雰囲気になる。そして、スケール大きく、大きなうねりを作っていく。好きな人には良いのだろうが、どうも私にはがっしりした構成をそいでしまい、かなり大味になってしまうような気がした。

 私はこの曲については、小ぶりでしっかりと構成されており、そうした中からロマンティックな香りが漂う名曲だと思っている。ところが、スケールが大きくて緩急の揺れがあって、少し構成に緩みのある曲になっていた。

 が、ともあれ服部百音の音を初めて聴くことができ、私としてはとても満足。

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辻井伸行演奏の三枝成彰作曲のピアノ協奏曲の初演に驚嘆!

 2022117日、サントリーホールで「三枝成彰 80歳コンサート」を聴いた。演奏は大友直人の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。曲目は前半に、露木茂のナレーション、三枝成彰傘寿記念混声合唱団(合唱指揮:初谷敬史)が加わって、「最後の手紙~The Last Message」(混声合唱版初演)、後半に辻井伸行のピアノが加わってピアノ協奏曲~辻井伸行委嘱作品(世界初演)。

「最後の手紙」を聴くのは、3度目だと思う。戦争で亡くなった13人の最後の手紙による管弦楽付き合唱曲だ。これまでの2度は六本木男声合唱団の演奏で聴いた。今回は女声が加わっていっそう戦争の嘆き、哀しみが伝わる。ただ、今回、字幕が出たので何とか詞を理解できたが、女声では聞き取れないところが多かった。これまで男声で聴いてそのような記憶はないので、男性の方が聴きとりやすいのだと思う。

 とはいえ、やはりこれは名曲だと思う。ひとりひとりの無念、残してきた家族への愛情が伝わる。

 後半のピアノ協奏曲は、私は稀代の傑作だと思った。まず、あまりの疾風怒濤ぶりにびっくり。辻井さんの委嘱による曲だというので、もっと穏やかで抒情的な曲だとばかり思っていたら、冒頭から大太鼓などの打楽器が大活躍し、ピアノも最後の最後をのぞいて、猛烈な勢いで弾きまくる。プロコフィエフやラフマニノフやバルトークのピアノパートよりももっと激しく技巧的なのではないか。心の中の疾風怒濤、それに打ち勝とうとする意志のような音楽とでもいうか。そして、最後の最後で穏やかでシンプルな楽想になる。この部分は、通常のピアノではなく、ピアノの反対側に据えられたトイピアノ(?)によって演奏。辻井さんがピアノを学ぶきっかけになったお母様に与えられたおもちゃのピアノを模しているのだという。このシンプルで美しいメロディも素晴らしい。

 私は現代曲をあまり聴かないので、批評めいたことは言えないが、ともあれ、私が現代のピアノ協奏曲でこんなに感動したのは初めてだった。素晴らしい曲だと思った。そして、辻井さんのテクニックもすさまじいと思った。目が不自由なのに、これほどの難曲をどのようにして暗譜したのだろう。これを暗譜し、これだけ弾きこなすこと自体、とてつもない才能だと思う。スタンディングオベーションが起こった。私ももちろん立ち上がって拍手喝采した。

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反田恭平「ポーランド幻想曲」  強靭で柔らかく躍動感にあふれたピアノ

 2022115日、東京芸術劇場でNHK交響楽団定期公演を聴いた。指揮は原田慶太楼、曲目は、前半にショパン(グラズノフ編)の「軍隊ポロネーズ」(管弦楽版)、ショパン(ストラヴィンスキー編)「夜想曲」変イ長調 作品32-2(管弦楽版)、そして反田恭平のピアノが加わってパデレフスキのポーランド幻想曲、後半にストラヴィンスキー「火の鳥」(1910年版)。

 実は私好みの曲が1曲もない。なぜ、このチケットを購入したのか、今となっては定かでないのだが、ショパン・コンクール第2位の反田恭平が聴けるとあって、楽しみにして出かけた。

 初めの2曲は、私がショパン好きでないためもあって、あまりおもしろいとは思わなかった。オーケストラ版で聴くと、ドニゼッティやベッリーニを思わせるような曲想だと思った。原田の指揮も威勢よくやるだけで、ニュアンスが伝わらないような気がした。大味の単純化された音楽になってしまっているのを感じた。

 反田が加わってのポーランド幻想曲は、やはり反田のピアノの威力に圧倒された。曲としては、あまりおもしろいと思わなかったが、一つ一つの強靭で柔らかく、しかも時に華麗。音の粒立ちがよく、躍動感にあふれている。ピアノのアンコールはショパンのマズルカ作品56の第1とのこと。

 後半の「火の鳥」はとてもよかった。原田の指揮は、前半はニュアンスに欠ける気がしたが、後半はオーケストラをうまく整理し、音の爆発を作りだし、ニュアンスの変化も見事に作りだしていた。N響メンバーも色彩的で勢いのある音を出していた。この指揮者、20世紀の音楽を得意としているのだろう。

 とはいえ、繰り返すが、私の好きな曲ではないので、あまり突っ込んだことは言えない。ともあれ、反田恭平のピアノを聴くことができたのはうれしかった。

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メンデルスゾーンとブラームスの弦楽五重奏曲を堪能

 2022112日、王子ホールで「銀座ぶらっとコンサート」を聴いた。演奏は岸本萌乃加、三原久遠(ヴァイオリン)、鈴木康浩、中恵菜(ヴィオラ)、辻本玲(チェロ)、曲目はメンデルスゾーンの弦楽五重奏曲第2番とブラームスの弦楽五重奏曲第2番。いずれも素晴らしい演奏だった。

 勢いのある演奏。音の一つ一つが生き生きとしている。しばしば、日本人の室内楽の演奏を聴くと、合わせているだけといった印象を受けることがあるが、今回はまったくそんなことはない。室内楽の場合、よく「丁々発止」という言葉が使われるが、まさにそれ。遠慮しすぎずにバシッと音をだし、ほかの楽器がそれに応える。音楽がどんどんと深まり高まっていく。5人のすべての演奏家のテクニック、音が素晴らしい。常設の、いつも顔を合わせているわけではないこの5人がこれほど息の合った演奏をすることに、むしろ驚きを覚えた。

 メンデルスゾーンは高貴で若々しくて伸びやかな感性が広がった。メンデルスゾーンはそこ浅い作曲家だと誤解されてきたが、これを聴くだけで、大作曲家なのがよくわかると思う。滾々と湧き出る美しいメロディ、きわめて論理的な知性で感覚的なメロディを支えていく。それを五人の演奏家は見事に作りだしていく。

 ブラームスのほうは、晩年の沈潜しながらも高揚していく世界が展開していった。これも素晴らしい。若い演奏家たちなので、渋くなりすぎないで、勢いがある。生命にあふれ、ロマンティックな気分がみなぎっている。

 アンコールはモーツァルトのハ長調の弦楽五重奏曲のメヌエット。これものびやかで落ち着いていて、とてもよかった。このメンバーで、ト短調とハ長調のモーツァルトの二つの弦楽五重奏の名曲を全曲演奏してくれると、こんなうれしいことはない。

 8日にはヤマハホールで弦楽六重奏版の「浄夜」を聴いたが、チェロの辻本さんはその時と今日の両方に参加。素晴らしいチェリストだと改めて思った。

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ロッシーニのオペラ映像「イタリアのトルコ人」「シジスモンド」「イギリスの女王エリザベス」「トルヴァルドとドルリスカ」

 正月明けの新型コロナウイルスの感染拡大の勢いが止まらない。オミクロン株は軽症で済むことが多いようだが、今の規定では感染していると、ほかの病気で治療が必要でも病院に受け入れてもらえない。濃厚接触者は出勤停止になる。多くの人がそのような目に合うと、社会は大打撃だ。一刻も早いコロナ就職を祈るしかない。

 本日の午後、悲しいニュースを知った。岩波ホールが閉館になるという。最終決定なのだろうか。私の青春は岩波ホールとともにあったといってもそれほど誇張にはならない。サタジット・レイの三部作をはじめ、1970年以降、多くの映画を岩波ホールでみて、感動に満たされてきた。一般の映画館ではみられない、静かな感動を呼ぶ映画をたくさん企画してくれたのがこのホールだった。これからもずっと世界の佳作を上映してくれるものと思っていただけに、とても悲しい。閉鎖決定を覆すことはもうできないのだろうか・・・。

 正月中、ロッシーニのオペラ映像を時代順にみかえしていた。簡単に感想を記す。

 

「イタリアのトルコ人」  2002年 チューリヒ歌劇場

 2002年の映像。特筆するべきは、やはりフィオリッラを歌うチェチーリア・バルトリ。圧倒的な歌唱。トルコ人を歌うのはルッジェーロ・ライモンディ。痛々しいほどに声が出ないが、存在感はさすが。この役はこれで乗り切れる。そのほかの歌手陣もとても素晴らしい。指揮はフランツ・ヴェルザー=メスト。この人らしい、ツボを得たしっかりした演奏なのだが、やはりこの頃流行しているロッシーニ演奏に慣れた耳からすると、ちょっと平坦すぎる気がする。もっとアクセントを強めて躍動感を強調してもよいのではないかという気がする。

 浮気女が最後には改心する話だが、男である私としては、この浮気女に感情移入して楽しむ気になれないのが残念。男の性(さが)というべきか、浮気男の話だったら、それはそれで十分に感情移入してみることができるのだが。詩人が登場して狂言回しの役をするというこのオペラのつくりも、まるでピランデッロ劇のようで斬新だが、なぜこのような必要があったのか、少々疑問に思う。

 もちろんロッシーニらしさがふんだんにあって、とても楽しめるのだが、ロッシーニのオペラとしては特に傑作とは言えないのではないかと思った。

 

ロッシーニ 「シジスモンド」ペーザロ・ロッシーニ音楽祭2010

 この映像の演出にもよるのかもしれないが、やはりおもしろいオペラとは言えないだろう。部下の陰謀で、愛する妻の不貞を疑って処刑してしまったと信じている王の前に、妻とそっくりの女が現れる・・・というところはおもしろいのだが、ありえない設定であるうえ、多くの人がたやすくだまされるので、少々イライラし、しかもなかなか話が進まない。

 とはいえ、演奏面ではこの上演はきわめて充実している。シジスモンドのダニエラ・バルチェッローナはみごとに神経症の王を歌う。そして、何よりもアルディミーラのオルガ・ペレチャツコが可憐で健気で美しい。悪役ラディスラオをアントニーノ・シラグーサが歌うが、この硬質な声によく似あう。ミケーレ・マリオッティの指揮するボローニャ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団も素晴らしい。序曲から圧倒的な力演。

 演出はダミアーノ・ミキエレット。最初から最後まで現代の精神病室を舞台にしている。精神を病んだ人々が黙役で大勢登場して動き回る。シジスモンドに見えているはずの亡霊の姿も見える。だが、あまりに安易な設定だと私は思う。病んだ人々の動きも鬱陶しく、退屈に思えた。

 

ロッシーニ 「イギリス女王エリザベス」201510月 サッサリ、コムナーレ劇場

 2015年の録音・録画のはずだが、異様に音がよくない。こもった感じがする。

 フェデリコ・フェッリ指揮の「マリアリーザ・デ・カロリス」コンサート協会管弦楽団も薄っぺらな音を出すので、安心して聴いていられない。どんな指揮者、どんなオーケストラなのか私はよく知らない。

 それに比べれば、歌手陣は健闘している。エリザベッタのシルヴィア・ダッラ・ベネッタはきれいな声でしっかりと歌う。レイチェステルのアレッサンドロ・リベラトーレも低音は少し弱いが、全体的にきれいな声。そのほかの歌手たちも悪くない。だが、オーケストラが頼りないとどうにもならない。

 演出はマルコ・スパダ。現代の服装で、かなり簡素な舞台。現在のエリザベス1世を意識した服装なのかもしれない。

 

ロッシーニ 「トルヴァルドとドルリスカ」20068月、ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル

 久しぶりにこの映像をみた。最初にみたとき、まだロッシーニのオペラ・セーリアはほとんどみたことがなかったので、衝撃を受けた。改めてみて、やはりとてもいい上演だと思う。

 トルヴァルドを歌うのはフランチェスコ・メーリ。高貴な声で凛々しくしなやかに歌う。容姿も含めてこの役にふさわしい。ドルリスカのダリーナ・タコヴァも安定している。あと少しの可憐さがほしいが、ないものねだりをしても仕方がない。悪役オルドウ公爵を歌う ミケーレ・ペルトゥージはいかにも悪漢でなかなかよろしい。善人ジョルジオのブルーノ・プラティコもよい味を出している。

 ヴィクトール・バプロ・ペレス指揮のボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団はちょっともたつき気味で、音がこもりがちな気がするが、これは録音のせいだろうか。演出はマーリオ・マルトーニ。わかりやすくてきれいな演出だと思う。

 それにしても、トルヴァルドはフロレスタン、ドルリスカはレオノーレ、公爵はドン・ピツァロ、ジョルジオはロッコと重なる。意識的なのだろうか、それとも時代的にそのような劇が流行していたのだろうか。

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伊藤亮太郎と名手たちの「浄夜」に感動!

 202219日、ヤマハホールで「珠玉のリサイタル&室内楽 伊藤亮太郎と名手たちによる弦楽アンサンブル」を聴いた。曲目は前半に、伊藤亮太郎(ヴァイオリン)、柳瀬省太(ヴィオラ)、横坂(チェロ)によるフランセの弦楽三重奏曲と、伊藤亮太郎・横溝耕一(ヴァイオリン)、柳瀬省太(ヴィオラ)、横坂源、辻本玲(チェロ)によるグラズノフの弦楽五重奏曲、後半は、ヴィオラの大島亮が加わって、マルティヌーの弦楽六重奏曲とシェーンベルクの「浄められた夜」。私がこの六人の演奏を聴くのは二度目。前回同様、今回も素晴らしかった。

 実は、「浄められた夜」以外は、今回初めて聴く。だが、どの曲もとてもおもしろかった。

 フランセの曲は軽妙。フランス的なエスプリにあふれていて、プーランクの軽めの曲を思わせる。グラズノフの曲はロシア的なメロディが印象的。グラズノフという作曲家については、もちろん名前だけはよく知っているが、実はほとんど音楽を聴いたことがない。とてもいい曲だと思った。マルティヌーの曲もまさしく名曲だと思った。躍動感があり、音楽が極めて論理的に、しかしスリリングに展開していく。マルティヌーも実は私にはほとんど無知な作曲家なのだが、これから少し聴いてみたい気になった。

 演奏は本当に素晴らしい。最近ではすべて男性の室内アンサンブルは珍しいが、それが見事にプラ氏に働いている。これぞ男のリリシズム。深い思いが音にこもっている。

 しかし、やはり圧巻は「浄められた夜」だった。官能が渦巻く。一つ一つの楽器の音が濃い。黒光りしているような印象を持った。緊密なアンサンブルだが、常設の団体ではないせいだろう、それぞれの奏者が別の個性を持っているので、完璧なアンサンブルというわけではない。だが、それがプラスになっているのを感じる。別々の個性の人間たちがたまたま思いを一つにして、音楽の情念に身をゆだねているのがよくわかる。官能がほとばしり、悲しみや祈りが駆け巡り、魂が浄化されていく。だんだんだんだんとすべての楽器の魂が一つになって高まっていく。私は何度も感動に身を震わせた。

 アンコールはダンディの弦楽六重奏曲の第2楽章だとのこと。少し軽妙な雰囲気。これも素晴らしかった。

 この六人の演奏をこれからもぜひ続けてほしいものだ。

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「人間の声」「アルルの女」を楽しんだ

 202218日、東京芸術劇場でプーランクのモノオペラ「人間の声」とビゼーの劇音楽「アルルの女」をみた。指揮は佐藤正浩、オーケストラはザ・オペラ・バンド。とても良い上演だった。

「人間の声」を歌うのは森谷真理。フランス語の発音もかなり正確だと思う。声も美しいし、音程もとても良い。オーケストラも微細に心理を描き、ドラマを盛り上げている。佐藤の指揮もしなやかでドラマティック。とても高レベルの上演だと思った。しかし、仕草なしのスコアを見ながらの歌唱だという点で、私は少々不満を抱いた。

 このオペラは、歌である以上に演劇だと思う。やはり、森谷さんには演技を交えて歌ってほしかった。そうしないとヒロインの微妙な心の動きが伝わらない。恋心、焦燥、何とかして男の心を取り戻したいという絶望的な努力、打ちひしがれた自尊心、精いっぱいの見栄、そして諦め・・・そうした様々な感情が入り乱れ、重なり合う。そのような一筋縄ではいかない言葉と音楽がこのコクトーの歌詞とプーランクの音楽には詰まっている。それを見事に表現できた時、20世紀前半の大人のフランスの味わいが生まれ、退廃とエスプリにあふれた世界が現出する。それが残念ながら、演技と歌から伝わってこなかった。せっかく素晴らしい歌であっただけに残念だと思う。

「アルルの女」は、4人の役者がいくつかの役を語りとして演じ、それに音楽が付随する形で上演された。組曲以外の「アルルの女」を聴くのはじめて。日本語で語られるので、感情移入がしやすかった。そして、起伏に富んで、しなやかで美しい音楽だった。こちらも佐藤の指揮に脱帽。

 語りとバルタザールなどの役をこなした松重豊はさすがというほかない。人物を演じ分ける力も見事。世界を作り上げていく。フレデリの木山廉彬、ヴィヴェットとフレデリの母の役の藤井咲有里、白痴の的場祐太については私の知らない役者さんたちだったが、皆さんとてもうまい。

 ただ、私は実は少し違和感を覚えた。もちろん私はビゼー好きではないし、ドーデ好きでもないので、自信を持っていうわけではないが、私はこの作品をプロヴァンス地方ののどかな農村での話だとこれまで思っていた。二度ほどアルルを訪れたことがあるが小さな田舎町だった(Wikipediaで調べたら現在、人口6万人に満たない)。そのアルルの女を「町の女」とみなすのだから、舞台となっている場所がどれほど辺鄙な土地かわかろうというものだ。これは、ゆっくりとした時間が流れるのどかな土地で起こった純朴な青年の悲劇なのだと思う。

 ところが、今回の演者はいずれも激しく語る。しかも、フレデリの母親もまるでロシア文学か何かに出てくる貴婦人のような口調で語る。指揮の佐藤正治さんの翻訳だというが、どのような意図なのか私にはよくわからなかった。もし私が翻訳・演出をするとすれば(もちろん、そんな才能はないが)、もっと粗野な言葉をえらび、朴訥とした語り口でしゃべらせるだろう。私はそのほうがずっと悲劇性が高まると思う。

 オーケストラは美しい音を出していた。武蔵野音楽大学合唱団も健闘。ともあれ、とても楽しき味わうことができた。後になって気づいた。そういえば、あの有名なメヌエットがなかったような気がする。なぜだろう。もしかして、気づかないうちに私は寝ていたのか?

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