イラン映画「英雄の証明」 のっぴきならない中で生きる人々の人間模様!
コロナ禍は続き、ウクライナはますます深刻な状況になっている。憂鬱な日が続く。今日は、東京春音楽祭のブリン・ターフェルのリサイタルに行く予定だったが、数日前、本人が新型コロナウイルスに感染して公演中止との知らせが届いた。数日前に中止決定ということは、もしかして、ターフェルは日本の検疫で陽性が判明したということだろうか。そうだとすると、本人も含めてどれほど残念であることか。あれこれのことについて、何とかならないものかとつくづく思う。
代わりにというわけではないが、アスガル・ファルハディ監督の映画「英雄の証明」をみたので感想を書く。素晴らしい映画だと思った。名作だと思う。大いに感動した。
私が初めてみたファルハディ監督の映画は「ある過去の行方」だった。あまりの凄さに驚嘆して、その後、「彼女が消えた浜辺」や「別離」をみてますます心酔した。「セールスマン」や「誰もがそれを知っている」にはさほど感動しなかったが、今回の「英雄の証明」はこれまで以上の感動を覚えた。
イランの古都シラーズでの話。借金のために投獄されていたラヒムは、婚約者が金貨の入ったバッグを拾ったため、それを使って借金を返そうとするが、思い直して、姉を通して落とし主に返却する。ところが、それが美談としてテレビで放送され、英雄扱いされたために大ごとになり、ついにはSNSで、それはすべて作り事だと攻撃されるようになる。ラヒムは誤解を解こうと懸命になるが、金貨を落とした女性が消息不明のために、自分の行為が事実だと証明できない。努力すればするほど、誤解が深まってしまう。金貨を落とした女性を探すが、訳ありの女性のようで、正体が知れない。刑務所や慈善団体の思惑に吃音の息子も巻き込まれる。そんな物語だ。
実は金貨の落とし主は、死刑判決を受けた夫を助けようとして奔走する女性だった。ラヒムと女性は何度かすれ違っているが、互いに気づかない。結局、全面的に理解してもらうことは諦めて、息子や婚約者を大事にして生きていくことを決心したラヒムが再び刑務所に収監されるのと同じとき、その横で、その夫が刑務所を出て女性と久しぶりに顔を合わせているところで映画は終わる。
ファルハディの映画の多くがそうであるように、今回も、登場人物たちのそれぞれの言い分のいずれにも理がある。ラヒムを刑務所に追いやった男性もラヒムの元妻も刑務所職員も慈善団体職員も囚人たちも決してめちゃくちゃなことを言っているわけではない。私が同じ立場なら、きっと同じように主張するだろう。ラヒムの婚約者も姉夫婦も子どもたちも、善良に必死に生きている。みんながのっぴきならない状況で、やむを得ない決断をする。だが、そのためにしわ寄せができて、誰かが苦しむ。とりわけ苦しみが集中するのは、吃音症のラヒムの息子だ。父も母も別の人と再婚しようとしており、しかも大人たちは、世間の同情を引くために、吃音でしゃべるこの子の訴えをSNSで流すことを計画する。
のっぴきならない状態に引きずり込まれて、それなりに誠実に生きていこうとする人たち。彼らが必死に生きれば生きるだけ悲劇が拡大する。SNSの社会では、それが一層加速度的に拡大していく。そうした人間の心の奥、社会の仕組みがサスペンスタッチで暴き出される。観客の一人である私としては、ファルハディの人間観察、社会観察の目に驚嘆しながら、その人間模様を追いかけるしかない。ラヒムはひどい目に合ったが、別の女性が救われただけ、この事件には救いがある。
それにしても、ラヒムを演じるアミル・ジャディディはちょっと愚かで善良で、しかもけんかっ早いこの主人公を見事に造形。吃音の子ども役の少年も素晴らしい。姉夫婦、債権者の男性もまた、実に素晴らしい演技。脚本も見事な出来もさることながら、ファルハディの演出力にも圧倒される。
ただ、この映画を見ながら、戸惑うことも多かった。借金で服役し、しかも服役中の囚人が「休暇」と称して、一時期、社会に復帰している! それに、そもそも、今の世の中で、「金貨」ってどういうこと?と思うし、金貨を落とした女性は、死刑囚の夫をお金の力で出所させられたようだ! どういう制度なのだろう! ラヒムの息子がラヒムの姉一家とともに暮らしており、ラヒムが服役中も元妻は親権を主張していないようだったが、それにどんな事情があったのだろう。イラン特有の事情があるのだろうか。
いや、そもそも私は上に書いたようにこの映画を解釈し、ネットでも同じように思った人が多かったことを確認したが、本当のことを言うと、ちょっと不安が残る。なにしろイランの女性は私たちから見ると、みんなよく似ているし、みんなチャドルを身にまとっているので顔の区別がつかない。金貨を落とした女性と死刑囚の夫を救おうとしていた女性、そして、最後の場面で刑務所の外で男性との再会を喜んでいた女性を、映画の流れから、私は同一人物だと思ったのだったが、本当に同一人物であるかどうか百パーセントの自信はない(DVDが発売されたら、何度も巻き戻して、この点を確認したい!)。
とはいえ、何はともあれ素晴らしい映画だった。刑務官が吃音の子どもに親の無実を訴える動画をSNSに配信しようと企て、子どもはたどたどしい言葉で必死にカメラの前で真実を訴えようとし、家族はそれを見ていたたまれない気持ちになっていく場面は涙なしにはいられなかった。
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