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ひばり弦楽四重奏団 ベートーヴェンの第7番に感動

 2022629日、Hakuju Hallでひばり弦楽四重奏団のベートーヴェン全曲演奏の第5回を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、後半のベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番(ラズモフスキー第1番)。

 ひばり弦楽四重奏団は漆原啓子・漆原朝子・大島亮・辻本玲から成る四重奏団。私はこのメンバーのそれぞれのコンサートはたびたび聴いているが、ひばり弦楽四重奏団として聴くのは初めて。

 第1番については、まだ少しこの団体特有の表現になっていない気がした。何をしたいのか、何を言いたいのか、私には伝わってこなかった。四人が何となく様子をうかがっている雰囲気。ショスタコーヴィチについても同じ印象を抱いた。もちろん、難があるわけではない。アンサンブルはきれいだし、一人一人の力量も確か。しかし、とりわけ第1楽章の独特の雰囲気が醸し出されない。第2楽章以降は強い感情が表出されるが、それもどのような感情なのか、私には合点がいかなかった。前半については、心から感動することはできなかった。

 が、後半は素晴らしかった。言葉にするのは難しいが、4人で共通の世界を作ろうとしているのがよくわかった。この曲特有の、のびやかでスケールの大きな音楽が広まった。辻本さんによるチェロの出だしのメロディの歌わせ方が素晴らしく、それに乗って全曲がうまく流れた気がした。第4楽章の高揚も素晴らしかった。四人の心が合致すると、素晴らしい音楽になる。豊かな音が広がり、強い意志の音が響き渡る。忙しいメンバーなので、なかなか時間が合わずに、もしかしたら、前半の2曲についてはリハーサル不足のままだったのではないかと思った。

 アンコールはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第5番の第2楽章メヌエット。とても良い演奏だった。様々なコンサートに引っ張りだこのメンバーなので、なかなかひばり弦楽四重奏団として活動するのは難しいと思うが、ぜひとももっとしばしばコンサートを開いてほしいと思った。

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カルテット・アマービレ BRAHMS PLUS ブラームスに感動

 2022624日、Hakuju Hallで、カルテット・アマービレBRAHMS PLUSを聴いた。曲目は、前半にプッチーニの弦楽四重奏曲「菊」とブラームスの弦楽四重奏曲第2番、後半に、山崎伸子(チェロ)と鈴木康浩(ヴィオラ)が加わって、ドヴォルザークの弦楽六重奏曲イ長調。

 プッチーニの曲は、何かの曲を聴きたくてCDを購入したら、この曲が入っていたために聴いたことがあった。改めて聴いたが、やはりこれは私には聴くに堪えない。単にメロディをなぞっているだけの曲。もともと私はプッチーニ嫌いなのだが、これを聴くと私の感覚はきわめて正しいと自信を持つ。

 ブラームスは素晴らしかった。日本には、柔和で、ただ「合わせているだけ」といった弦楽四重奏団が多いのを感じるが、このカルテット・アマービレはまったくそんなことはない。

 第一ヴァイオリンの篠原悠那が知的な音で鋭く切り込んでくる。第二ヴァイオリンの北田千尋もしっかりと合わせるが、それにとどまらず、篠原に畳みかける。ヴィオラの中恵菜は知的でありながら、ちょっと甘美な音。鋭くなりすぎるのを抑えているかのよう。チェロの笹村樹も知的に支える。四人が、とても知的に音楽を作っていき、刺激しあう。そうして、緊密なアンサンブルが成り立っていく。しかも、四人のバランスがいいので、鋭くなりすぎず、甘くもなりすぎない。

 そうして出来上がっていくブラームスの世界は本当に素晴らしかった。終楽章に向かってすべてが流れ込み、最後に大きな流れになって高揚していった。私は大いに感動した。

 ドヴォルザークもとても良かった。二人の大御所のゲストが加わったが、6つの楽器がしっかりと溶けあって、これも素晴らしかった。弦楽器の絡み合いの中に、ドヴォルザークの叙情と情熱が描き出されていく。とはいえ、特にドヴォルザーク的哀愁が強調されるわけではなく、やはりこれもきわめて知的なアプローチだと思う。だが、音楽が生きているので訴えかけてくるものが強い。

 アンコールはチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」の第2楽章。これもチャイコフスキーの叙情がしっかりと聞き取れたが、これについても強調しすぎることもなく、感傷に堕することもなく、私にはとても心地よかった。

 とても満足だった。

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ヴァイグレ&読響のブルックナー7番に感動

 2022621日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期公演を聴いた。指揮はセバスチャン・ヴァイグレ。曲目は前半にルディ・シュテファン作曲の「管弦楽のための音楽」、後半にブルックナーの交響曲第7番(ノヴァーク版)。

 シュテファンは、第一次世界大戦で28歳の若さで戦死したという後期ロマン派のドイツの作曲家。この曲は初めて聴いた。部分部分はとても魅力的。美しい旋律があり、見事な音響がある。だが、構成に難があるのか、全体的には何のことやらわからなかった。ただオーケストラはしっかりと音を出し、指揮もしっかりと全体をコントロールしている印象はあった。

 ブルックナーの7番については素晴らしい演奏だと思った。第一楽章はかなり抑え気味。たぶん意識的に室内楽的にしているのだと思う。木管楽器の音などが鮮明に聞こえて美しい。第二楽章後半から盛り上がっていき、シンバルで爆発。そこから、音楽がこの上なく盛り上がっていく。まったく音楽に無理なところがなく、全体的に実に繊細。それでいて高揚していく。

 第二楽章は鎮魂の音楽として演奏されたようだ。だが、私にはこの曲はきわめてロマンティックに聞こえる。魂の奥底の人間の生命の本質を描くような音楽。タナトスとエロスが混在しているとでもいうか。これぞブルックナーの叙情だと思う。うっとりし、涙が出てくる。

 第三楽章のスケルツォも繊細でありながらも壮大。ヴァイグレが指揮すると、細かいところまで気が配られていて、野放図にはならない。そこがすごい。しなやかに躍動する。最終楽章もまさに魂が途方もない高みに導かれて昇華される。

 読響は金管楽器のちょっとした細かいコントロールミスはあったように思ったが、全体的にはしっかりした音響。日本のオーケストラもこれほどしなやかで深みがあり、しかも壮大な音を出すことができるようになったのだと、改めて驚く。

 年齢を重ねるうちに、ブルックナーをしんどく感じ始めていた。昔は家でもブルックナーの録音ばかりを聴いている時期があったが、近年は家ではめったにブルックナーをかけない。実演でもブルックナーを敬遠するようになっていた。だが、久しぶりに聴くと、やはりブルックナーには魂をゆすぶられる。

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NHK・BSプレミアム放送のオペラ「椿姫」「子どもと魔法」「金鶏」

 NHKBSプレミアムでありがたいことに、しばしばオペラが取り上げられる。最近みたものの感想を記す。

 

ヴェルディ 「椿姫」 2021年8月7・19日 ヴェローナ野外劇場

 ヴェローナ野外劇場での上演なので、やはり少し大味なのは否めない。特にフランチェスコ・イヴァン・チャンパ指揮のアレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団は、特に第一幕で少しぎこちない。だが、そんなことを言っても意味はなかろう。ともかく、野外劇場の上演としては見事というほかない。

 やはり、歌手がそろっている。ヴィオレッタのソーニャ・ヨンチェバはさすがの美声で、声のコントロールも見事。ただ、この人、もう少しヴィオレッタらしいか弱さを見せてくれるともっといいと思うのだが。アルフレードのヴィットリオ・グリゴーロもしっかりした美声。ただ、この人も、ちょっと棒立ちというか、声も演技もあと少しの繊細さが欲しい気がする。ジェルモンのジョルジュ・ペテアンについては、私は素晴らしいと思った。深い暖かい声で、子ども思いの父親を歌う。

 演出はミケーレ・オルチェーゼ。女性を描いた絵画やアール・ヌーヴォー調のステンドグラスなどが背景にコンピュータグラフィックス(?)で描き出される。とても美しく、しかもこれまで歴史の中で女性の置かれてきた状況を暗示している。

 

ラヴェル「子どもと魔法」 201911141519日 リヨン国立歌劇場

 リヨン国立歌劇場の上演とのことだが、舞台上ではなく、前もって撮影しておいたオーケストラと歌手陣の映像に、事後に加工を施したものだろう。光が動いたり、様々な映像が歌手たちを取り巻いたりする。さすがフランスのセンスというべきか。楽しくて芸術性が高い。

 動物をいじめたり、物を壊したりする悪ガキが一人でいる間、動物や物が子どもに対して反逆を起こして、最後には許すというファンタジー。ラヴェルの音楽も、エスプリが効いていて、精妙で、しかもユーモラス。まさに光によるファンタジーの世界が展開する。

 子どもを歌うのはクレマンス・プッサン。あまり子どもには見えず、明らかにおばさんに見えるが、まあ、それは致し方ないだろう。歌はとてもかわいらしくていい。そのほかの母親や王女様や動物たちもこの役にふさわしい。

 指揮はティトゥス・エンゲル。精妙で美しくて、私としてはまったく不満はない。

 

リムスキー=コルサコフ 「金鶏」2021年5月1820日 リヨン国立歌劇場

 西側の世界が反ロシアで結束しているので、残念ながらしばらくリムスキー=コルサコフのオペラ上演やソフトの販売は期待できないだろうと思っていたら、NHKで「金鶏」が放送された。好きなオペラなので、とてもうれしい。

 もっとはっちゃけた演奏が私としては好みなのだが、ダニエレ・ルスティオーニの指揮するリヨン国立歌劇場管弦楽団はちょっと気まじめすぎるように聞こえる。しかし、それはもしかしたらバリー・コスキーの演出のせいかもしれない。

 すべての幕が野原の中で展開される。ドドン王は、まるでホームレスのような薄汚れた下着姿で太った体をさらしながら歌い続ける。愚かな裸の王様ということか。あるいは、王様だということ自体、みすぼらしい男の妄想だということか。二人の息子は見分けがつかないように同じサラリーマン風のスーツを着て、同じような髪形、そして仕草。まさに「イエスマン」。兵士たちは馬の被り物かぶっており、ポルカン大臣もその一人として被り物をかぶったままで素顔を見せない。ポルカンは王に対しても遠慮することなく意見を言う忠臣のはずだが、ここでは影が薄い。つまりは、この世界には、王に物申す者はいない。シェマハの女王は一般の演出と同じように妖艶。

 で、結局、この演出が言おうとしているのは、イエスマンだけを近くに置き、むやみに権力をかざす愚かな王が自分の欲望を優先して結局は自分を滅ぼすということのようだ。

 この上演は20215月。ウクライナ侵攻よりもずっと前だということになる。その時点で、プーチンのご乱心を描くような演出をしていたということか。まさに予言的な演出。確かに、今のロシアの精神風景は、この舞台のように荒涼とした、文化のない野原にほかならないだろう。プーチンはこのドドン王のような愚かな裸の王様だろう。

 歌手陣は充実している。ドドン王のドミートリ・ウリヤーノフは情けない王様を見事に歌う。シェマハの女王を歌うニナ・ミナシャンもこの役にふさわしい神秘的な美声。占い師のアンドレイ・ポポフもこの役にふさわしい超人的な高音を披露する。

 私としては、ロシア・オペラをこれからも世界中で上演してほしい。ロシア・オペラの中にも、反権力的なもの、あるいは反権力を語るような演出にできるものはたくさんあるのだから。リムスキー=コルサコフの「皇帝の花嫁」、「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」、チャイコフスキーの「マゼッパ」「イオランタ」、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」、プロコフィエフ(ウクライナ生まれのロシア人らしい)の「戦争と平和」もやりようによっては十分にロシア人作曲家の反皇帝、反戦のオペラとして描くことができる。

 

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「オフィサー・アンド・スパイ」 とてもおもしろかった

 映画「オフィサー・アンド・スパイ」をみた。監督は、私が学生時代から親しんできたロマン・ポランスキー、原題は「J’accuse」(「われ、告発す」)。19・20世紀のフランス文学に関心のある人間にはこのタイトルはピンとくる。これは「ドレフュス事件」を扱った映画。J’accuseとはもちろん、文豪エミール・ゾラが国家スパイ罪で投獄されたユダヤ人の軍人ドレフュス大尉が無実であること、それを国家が隠蔽しようとしていることをロロール紙で告発したときに用いた言葉としてフランス文学史に残っている。

 私は大学院時代の指導教官である今は亡き渡辺一民先生がドレフュス事件に大きな関心を持っておられ、「ドレーフュス事件」という著書もあるので、45年ほど前から関心を持ってきた。

 初めに言わせてもらうと、それにしてもなんとセンスのない邦題だろう。「われ、告発す」でも「ドレフュス事件」でも、またはいっそのこと「ジャキューズ」でもいいのではないか。よりによって、いったい何のことかわからず、映画の内容を表しているわけでもなく、しかもまったくおもしろそうにも思えない「オフィサー・アンド・スパイ」などという題をつけるとは! 後で調べたら、これは映画の原作の英語タイトルだそうだが、そうだとしても、「オフィサー」を「士官」としなくて日本人には通じにくい。そのためもあるだろう、私は池袋HUMAXシネマズの午前の回で見たのだが、客は私を含めて4人だけだった! 

 映画はほんとうにおもしろかった。ゾラが参戦する前、ドレフュス大尉(ルイ・ガレル)が投獄され、その後、ピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)が情報局の責任者になって局内の刷新をするうち、ドレフュスの無罪の証拠を見つけるところが中心に描かれる。ピカールは事実を公表するように上層部に迫るが、周囲は隠蔽を求め、よってたかってピカールを迫害する。結局ピカールは逮捕され、私生活も暴かれる。そこにゾラが参戦し、やっと世論が動くが、フランス全体が反ユダヤ主義で凝り固まっており、ユダヤ人であるドレフュスの無罪はなかなか勝ち取れない。そのような状況が克明にリアルに描かれる。

 偏狭な反ユダヤ主義に凝り固まって、一方的に攻撃する人々、自分の保身ばかりに関心を持つ人、無関心な人。ピカールをとりわけ美化するわけでもなく、その弱みも含めて、ポランスキーは描く。きっとこの通りだっただろうと思わせるだけの説得力がある。軍人たちの態度、パリの街の様子などもまさにリアル。一人一人の演技も見事。

 ポランスキーはユダヤ人で、しかも小児性愛の罪で逮捕され、本人は無罪を主張している(ただ、新聞報道などを見る限りでは、ポランスキーの主張はかなり分が悪そう)。そうした自分の体験を織り込もうとしているのかもしれない。もしかすると、自己正当化のための映画なのかもしれない。だが、やはり映画としてとても素晴らしい。「水の中のナイフ」「反撥」「袋小路」「テス」「戦場のピアニスト」などの名作に匹敵する代表作だと思う。

 世論が一方的になって一人のスケープゴートを見つけて攻撃し、冷静な人間が真実を明らかにしようとしてもこぞってそれを迫害する。それはもちろん前世紀末に起こっただけの事件ではない。今なお世界中で起こっている事件だ。

 渡辺一民先生はこの事件を、国家犯罪に対して、国民は、そしてとりわけ知識人はどのような立ち向かうべきなのかというモデルとして取り上げておられた。確かに、この問題は今もまったく古びていない問題だと再認識した。

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日生劇場「セビリアの理髪師」 スローテンポに驚いたが、最後には感動

 2022612日、日生劇場でNISSAY OPERA2022「セビリアの理髪師」をみた。演出は粟國淳。6年ぶりの再演。今回の指揮は沼尻竜典、管弦楽は東京交響楽団 。とても完成度の高い上演だった。

 歌手陣は充実。アルマヴィーヴァ伯爵の小堀勇介は張りのある輝かしい美声。ロジーナの山下裕賀も音程のいい美声。オペラブッファの型を踏まえた演技も見事。フィガロの黒田祐貴も容姿、歌唱ともにこの役にふさわしい。ただ演技面ではあと少しこなれた動きがほしいと思った。バルトロの久保田真澄は早口の歌も演技も素晴らしい。ドン・バジリオの斉木健詞は立派な声に圧倒された。ベルタ の守谷由香は魅力的に演じていたが、肝心のアリアで音程が不安定だったのが残念。

 沼尻の指揮については、あまりのスローテンポに驚いた。近年の世界のロッシーニのオペラ上演に比べて、圧倒的に遅いと思う。日本でロッシーニのオペラをみると、ほとんど毎回、テンポが遅いのを感じる。なにか理由があるのだろうか。日本人の歌手はロッシーニの早口の歌を歌えないのか、あるいは何らかの独特の解釈があるのか。

 もちろん、さすがにマエストロ沼尻というべきか、しっかりとオーケストラをコントロールし、東響もロッシーニにふさわしい音を出して、とてもよかった。最後には感動させてもらった。だが、途中まで、やはり、もう少しロッシーニ特有のクレシェンドや疾走感を味わいたいと強く思った。

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ドゥネーヴ&N響 ラヴェルにふさわしい精妙な音

 2022年6月11日、東京芸術劇場でNHK交響楽団定期公演を聴いた。指揮はステファヌ・ドゥネーヴ、曲目は前半にデュカスのバレエ音楽「ペリ」(ファンファーレつき)と、メゾ・ソプラノのステファニー・ドゥストラックが加わって、ラヴェルの「シェエラザード」、後半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とフロラン・シュミットのバレエ組曲「サロメの悲劇」。

  数年前にドゥネーヴの指揮するN響を聴いてちょっとがっかりしたのを覚えている。フランス音楽らしい音が聞こえてこなかった。ところが、今日はしっかりとラヴェルやドビュッシーの音が聞こえた。精妙で繊細。弦のトレモロなど本当に素晴らしい。N響はこの指揮者の求める音を出せるようになったということだろう。これほどまでにフランス的な音をN響が出していることに、私はちょっとした感動を覚えた。ただ、これがこの指揮者の持ち味なのか、肩の力は抜けているが、音の輪郭はしっかりしている。やや硬めの音といっていいだろう。ドビュッシーよりもラヴェルにふさわしい音だと私は思う。

 最初の曲はデュカスの「ペリ」。デュカスは「魔法使いの弟子」ばかりが有名で、二流の作曲家扱いされているが、オペラ「アリアーヌと青ひげ」などは、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に匹敵する静謐で精妙な音による傑作オペラだと思う。「ペリ」も音の絡み合いは実に美しい。

「シェラザード」もオーケストラがとても美しい。ドゥストラックの歌は、とても知的で明晰。ラヴェルにふさわしい。力任せに歌うのではなく、きれいな発音で、言葉を大事にして訴えかけるように歌う。素晴らしいと思った。

「サロメの悲劇」の実演を聴くのは初めてだった。堅めの音で、しかし精妙に音楽を広げていく。そして、透明な音で盛り上がっていく。管楽器もとても美しい。

 フランス音楽にふさわしい音響が聴くことができて満足。ドイツ音楽好きの私はめったにフランス音楽を聴かないが、たまにこのような音響を聴くと新鮮な喜びを感じる。

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葵トリオのベートーヴェンとフランク 素晴らしかった

 202268日、サントリーホールブルーローズで、サントリーチェンバーガーデンの一環、葵トリオのリサイタルを聴いた。曲目は前半にベートーヴェンのピアノ三重奏曲第2番と細川俊夫のトリオ、後半にフランクの協奏的三重奏曲第1番。毎年、ベートーヴェンのピアノトリオを1曲と、そのほかの曲を演奏していくシリーズの2回目だとのこと。とてもいい演奏だった。

 鮮烈で明解で生命力にあふれた音。構成感もしっかりしている。ヴァイオリンの小川響子、ピアノの秋元孝介、チェロの伊東裕のいずれも素晴らしい。

 ベートーヴェンの第2番のトリオは作品1ということで、ごく初期の作品だが、やはりしっかりとベートーヴェンらしさを表出してくれた。くっきりして力にあふれている。なるほど、これが若きベートーヴェンだと思う。三人の強い感情表出が見事。まったく力みもなく、自然に音楽を高揚させていく。

 細川俊夫(ご本人が見えられていた)のトリオもとてもおもしろかった。プログラムによる奥田佳道氏の解説によれば現世と来世を結ぶシャーマンの世界だとのことだが、私は、高い弦の音がサイレンのように聞こえ、戦争や大災害の悲劇の場における生命の叫びのような気がした。

 後半のフランクの曲もとてもおもしろかった。この曲の実演を聴くのは初めてだ。録音についても、23枚組のフランク選集で一度聴いたくらいだと思う。CDで聴いたときにはあまり印象に残らなかったのだが、葵トリオで聴くと、やはり激しい感情の表出が描かれて、とても感動的だ。ヴァイオリン・ソナタや交響曲と同じように、中年男の秘めた情熱のようなものがこの曲からも聞こえてくる。

 先日のクヮルテット・インテグラや葵トリオなど、日本の若い団体が世界に通用する力をつけてきている。頼もしい。こうした室内楽の団体を育ててきたこのサントリーチェンバーガーデンの意義はとてつもなく大きいと思う。

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クヮルテット・インテグラ 素晴らしいバルトーク!

 202266日、サントリーホール ブルーローズでクヮルテット・インテグラリサイタルを聴いた。

 大ホールでは、クレメルとアルゲリッチのコンサートが開かれていた。もちろん、そちらにも心惹かれたが、この二人の演奏は実演も何度か聴いているし、CDもたくさん聴いているので、今回はパス。でも、横で演奏されると心が動く。そんな中での、クヮルテット・インテグラだった。注目の若い団体だ。

 曲目はモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番、デュティユーの「夜はかの如し」、後半にバルトークの弦楽四重奏曲第5番。

 モーツァルトを聴いた時点では、ゆるぎないしっかりした音の重なりに共感しつつも、ゆっくりとした一つ一つの音をかみしめながら進んでいく音楽には少し疑問を持った。くっきりと音が浮かび上がって素晴らしいのだが、四つの楽章がすべてそのような演奏だと、ちょっと退屈に感じた。

 だが、ディティユーはとてもよかった。なるほど、この四重奏団の音は現代曲に合う。鮮烈でクリアでゆるぎなく、音の重なりに濁りがない。それが生き生きと流動していくので、変化していく万華鏡を見るような思いがする。

 後半のバルトークは素晴らしかった。なるほど、これがバルトークだと思った。その昔、アルバン・ベルク・カルテットがバルトークの弦楽四重奏曲全集を録音した時、夢中になって聴いた。が、だんだんと興味が薄れていた。いつの間にか、バルトークは好きな作曲家ではなくなっていた。だから、この第5番を聴くのは実に久しぶりだった。だが、今回聴くと、やはりこの曲はすごい! 鮮烈な音の重なり、音のせめぎ合い。くんずほぐれつ、そこに生命が宿り、生きた音になっていく。これがバルトークの醍醐味だった!

 女性二人を含む若い四人がこれほどのエネルギッシュで情熱的な演奏をするとは。リズム感もいいし、音程もいいし、一つ一つの音も美しい。

 きっと、クレメル、アルゲリチもよかっただろうけど、こちらの演奏も負けていなかったに違いないと思った。

 ヴィオラの山本一輝さんがマイクを持って、謙虚な挨拶。今回のリサイタルの隠れテーマは「夜」だとのこと。へえ・・・と思った。アンコールはハイドンの「日の出」の第2楽章。これもよかった。

 頼もしい若手が出てきたものだ。世界に羽ばたく弦楽四重奏団になることだろう。楽しみだ。

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アトリウム弦楽四重奏団ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏初日 ちょっと期待外れ

 2022年のサントリーチェンバーミュージック・ガーデンが始まった。65日、アトリウム弦楽四重奏団ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の初日を聴いた。

 この団体はこれまで何度か聴いた記憶がある。そのたびに鮮烈な印象を受けた。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲では、チャイコフスキーらしい陰鬱な憂いなどかけらもなく、スピーディーでスリリングで挑戦的な音楽に驚いた。ベートーヴェンでも刺激的だった。今回は事情があって残念ながら1、2回しか聴くことができないが、大いに期待していた。

 ただ、初日の3番、16番、7番を聴いた限りでは、メンバーの間でまだ十分に演奏スタイルについて意思統一ができていないように思えた。合わせているだけ、というわけではないが、この団体のしたいことがはっきりと見えてこない。スピーディーにスリリングに演奏しているのはわかるのだが、そして、それはそれで素晴らしい音なのだが、ただ走っているだけに聞こえる。

 とりわけ16番。16曲中、私はこの曲が最も好きなのだが。苦悩の人生の先に訪れたこの上なく透明で平明な境地を聴きたかったのに、それが聞こえてこない。いや、そのような境地でなくてもいい。何かしら、ベートーヴェンの達成したエッセンスのようなものを示してほしい。だが、聞こえてくるのは、3番や7番と大差のない音楽だ。いや、そもそも3番と16番と7番の曲想の違い、それ以前にベートーヴェンの弦楽四重奏曲の初期と中期と後期の鮮明な違いが浮かびがってこない。

 7番についても、この曲らしい、スケールの大きさを感じない。スピーディーなのはいいが、それが一本調子になり、せせこましく感じられる。私は少し退屈した。

 アンコールは第一番の第一楽章。これはよかった。ちゃんと音楽を自分のものにしているのを感じた。

 もしかしたら、東京に到着したばかりで、直前のリハーサルの時間をあまりとることができなかったのではないかと思った。それを確かめるためにも、今回の全曲演奏をあと数回聴きたいのだが、あと1回聴けるかどうか微妙な状態なのが残念だ。

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オペラ映像「神々の黄昏」「カプレーティとモンテッキ」「こうもり」

 新型コロナウイルスもかなり落ち着いてきた。ウクライナ情勢は、厳しさを増しているが、敵の広い土地を長期間支配するのは難しい。今後、ロシアは大きな重荷を背負うことになりそうだ.

 オペラ映像を数本みたので、感想を記す。

 

ワーグナー 「神々の黄昏」2013629日 ソフィア国立歌劇場 

「ニーベルングの指環」のこれまでの3作をみて、かなりレベルの低い上演だということは十分に承知していたが、毒を食らわば皿までというか、怖いもの見たさというか、ついでだから最後の「神々の黄昏」までみてみた。

 これまでの3作よりはいくらか鑑賞に堪えるかもしれないが、やはり高レベルではない。ともかく、パヴェル・バレフ指揮のソフィア国立歌劇場管弦楽団とソフィア国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ヴィアレタ・ドミトローヴァ)の精度があまりに低く、音程が悪く、音が濁ってどうにもならない。それでも初めのうちは何とか食らいついているが、途中で息切れしたようで、プロの演奏とは思えないほどの響きになる。一つ一つの楽器の音も貧弱、縦の線もそろわない。昔のソフィア国立歌劇場はこのようなことはなかったはず。グローバル化によって、優秀な人材は国外に出てしまったということなのか。

 歌手陣はかなり健闘。ジークフリートのコスタディン・アンドレーエフは声のコントロールは甘いが、よく声が出ている。ただ、愚かなジークフリートを演じようとしているのだと思うが、それにしてももう少し演技力がほしい。「これではただの愚か者ではないか」と突っ込みたくなる。ハーゲンのペタル・ブチコフも悪役らしい声で悪くないが、音程が少し甘い。アルベリヒのビセル・ゲオルギエフとブリュンヒルデのヨルダンカ・デリロヴァはこのメンバーの中では突出している。とりわけ、デリロヴァは容姿もいいし、声も美しい。しかし、バックがあのオーケストラでは感動するのは難しい。「ジークフリートの葬送」も「ブリュンヒルデの自己犠牲」もオーケストラの音にげんなりする。

 プラーメン・カルタロフの演出は、奇抜な色遣い、トランポリンで飛びながら歌うラインの娘たち、抽象化され、いわば漫画のような大道具などが出てくるが、別段、目新しい解釈があるわけではない。

 このオーケストラの実力だったら、ワーグナーを上演するべきではないと私は思う。

 

ベッリーニ 「カプレーティとモンテッキ」 2015118日 フェニーチェ歌劇場

 発売されたばかりだと思うが、2015年の上演というから、コロナ前。

「ロミオとジュリエット」の別ヴァージョン。シェークスピアに基づかないので、少し話が違うが、まあ大筋は同じ。ベッリーニらしい凛として気高い歌が続くが、台本がよわいせいか、ドラマとしての盛り上がりには少し欠ける。

 演奏は悪くない。ロメオのソーニャ・ガナッシとジュリエッタのジェシカ・プラットはさすがのスターで、声も伸びており、美しい声で説得力を持って歌う。ただ、圧倒的な歌というほどではない。カペッリオのルーベン・アモレッティは深い声でとてもいい。テバルドのシャルヴァ・ムケリアは後半、疲れたのか声が出なくなる。ロレンツォのルーカ・ダッラミーコはやや存在感が薄い。

 指揮はオメール・メイア・ウェルバー。先日みた「パルジファル」の指揮者だが、「パルジファル」よりもこちらのほうがずっといい。起伏があり、オーケストラの掌握は見事だと思う。アルノー・ベルナールによる演出は、まるで泰西名画のような世界を作り上げている。額縁に入れておきたくなるような、まさにヨーロッパの絵画で何度も描かれてきたような場面が展開され、事実、最後に額縁に収まる形で幕が下りる。逆にいえば、このようなロメオとジュリエッタの物語は、あまりリアリティを持たず、過去の額縁の中の世界として意味を持つともいえるだろう。

 

ヨハン・シュトラウスII世 オペレッタ「こうもり」2003年 グラインドボーン歌劇場

 初めてのつもりでブルーレイディスクを購入したが、みているうちに既視感を覚えた。家のどこかにこの上演のDVDがあるのかもしれない。が、画質音質ともに向上しているだろうから、新たに購入してよかったことにしよう。

 とても楽しい上演だ。私はかつてカラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団のレコードでこのオペレッタを知り(シュヴァルツコップのロザリンデが最高!)、カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立歌劇場の映像でこのオペラを楽しんだ(クライバーが物凄い!)。それに比べると、指揮者も歌手たちも小粒だが、しかし、十分におもしろいし、十分に楽しい。

 ロザリンデのパメラ・アームストロング、アイゼンシュタインのトーマス・アレン、アデーレのリューボフ・ペトローヴァが実にいい。大人の芝居を見せてくれるし、声も美しい。そして、オルロフスキー公爵のマレーナ・エルンマンが声のテクニックを駆使してとても魅力的にこの不思議な人物を演じてくれる。ヨハン・シュトラウスが設定したよりはかなり年上になってしまっていると思うが、そうでなければこんな成熟したオペレッタは上演できないだろう。

 指揮はウラディーミル・ユロフスキ。あちこちにニュアンスを加えて、ちょっといじりすぎている気がしないでもないが、そうであるがゆえに深みと活力のある音楽が生まれているのだと思う。ロンドンフィルの音も素晴らしく美しくて繊細。

 フロッシュを演じるのはウード・ザーメル。歌なしの役なのできっと有名な役者さんだと思うが、最後、カーテンコールの際、オーケストラでラデツキー行進曲が演奏され、そこで指揮をするのがこの人。いったい、何者?

 グラインドボーンの出し物だけあって、芝居としても洗練されており、申し分ない。

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