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オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ワリー」「連隊の娘」

 猛暑はいったん和らいでいるが、熱中症、コロナ、台風と次から次にと厄介ごとがやってくる。まあ世の中そんなもの、人生そんなものではあるが。何本かオペラ映像を見たので、簡単に感想を記す。

 

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」20184月 ベルリン国立歌劇場

 新発売のソフトだが、コロナ前の上演。音楽的には満足。

 これまでバレンボイムの指揮した「トリスタン」には実演でも録音や映像でも何度か触れてきた。そのたびに感動してきた。これまでの演奏とどう異なるかは、きちんと聴き直していないので何とも言えないが、記憶に基づいていうと、今回の演奏は静謐さが増した気がする。高揚する部分については、これまでも素晴らしかったし、今回も本当に素晴らしい。魂の奥からうずくような興奮が聞こえてくる。ただ、今回は何よりも静謐さを感じる。

 第一幕の前奏曲の冒頭、本当に何気なく静かに静かに始まる。それを聴いた時点で、私はついのバレンボイムも老いて力をなくしたかと思った。が、そうではなかった。日常の時間のまま淡々と始まって徐々に高揚していった。静謐の部分がとても美しく、自然体で見事。

 歌手陣はやはり、イゾルデのアニヤ・カンペが素晴らしい。昔の大歌手のような太い声ではなく、細身の透明で美しい声。音程がよく、しっかりと伸びる。トリスタンのアンドレアス・シャーガーも、ちょっと声の輝きという面では弱いが、現在の最高のトリスタンであることは間違いない。マルケ王のステファン・ミリングも歴代の名歌手たちにまったく引けを取らない歌いぶり。ブランゲーネのエカテリーナ・グバノヴァは安定した美声でとてもいい。クルヴェナルのボアズ・ダニエルはちょっと声が出ていない気がするが、特に気にならない。

 やはり何といっても問題を感じるのはドミトリー・チェルニアコフの演出だ。完全な形で現代劇に仕立てている。マルケ王は大会社の社長という設定のようだ。男たちの全員がスーツを着てネクタイを締めている。

 第一幕は、どうやら豪華なヨットの中らしい。高級な家具を供えられたヨットで、会社の重役たちとともに、イゾルデとブランゲーネが移動中ということのようだ。第二幕はマルケ社長の大邸宅の一室。トリスタンとイゾルデはパーティを抜け出して一室で密会しているところを暴かれる。このあたりまでは、まずまずオリジナルの台本通りに進む。ワーグナーの楽劇から神秘性を奪い取り、現代劇に仕立てようとしているのだろう。まあ、それはそれでわからないわけではない。ところがこの後、私には意味不明の改変が次々となされる。

 第二幕でトリスタンは最後まで重傷を負うことはない。え? じゃ、いったい、なぜ第三幕でトリスタンは死にかけている? 第三幕に入って、瀕死のトリスタンを慰めるために、イゾルデが島に到着したわけではないのに、クルヴェナルが笛を鳴らすように仕向ける。なぜそんなことをする必要があるのだろう? トリスタンの父と母が登場?? マルケ王とブランゲーネが現れるが、ブランゲーネはイゾルデに対してよそよそしく、しかも、なんとマルケ王と手をつないでいる。王とブランゲーネは男女の関係になったということ? イゾルデは「愛の死」を歌った後、死んだはずのトリスタンの横たわるベッドの下に目覚まし時計を置いて、自分も横になろうとするところで幕が閉じる。トリスタンは死んでいないで寝ているだけということなのだろうか?

 マルケ王とブランゲーネの関係などに至っては、下種の演出としか思えない。この演出家は生と死の合一を歌うこの楽劇を下種のオペラに貶めて何がおもしろいのだろう。ワーグナーの形而上学性を否定して、日常のレベルに引きずり落としたいと思ってこのような演出にしたのかもしれないが、それにしても下品。いや、それ以前に、そうすると、かなり伝統的に魂の昇華と愛の陶酔を歌い上げるワーグナーの音楽、そしてバレンボイムの音楽と根本的に矛盾してくる。私には理解できないことばかりだった。

 この頃、ワーグナーの楽劇の映像を見るごとに覚える怒りを今回も強く覚えた。

 

カタラーニ 「ワリー」202111月 アン・デア・ウィーン劇場

 第一幕の終わりでワリーの故郷を思って歌うアリアばかりが有名で、このオペラはめったに上演されないが、ヴェリズモ・オペラの一つとしてなかなかおもしろい。ただもちろん、「道化師」や「カヴァレリア・ルスティカーナ」に比べると、台本は緻密さに欠けるし、音楽も甘ったるいところがある。だが、もっと上演されてしかるべきオペラだということは間違いないと思う。

 ワリーのイザベラ・マトゥーラはとてもよく歌っている。きれいな顔立ちの男勝りの女をうまく演じているとはいえる。ただ、演出のせいか、あまりに気性が荒く描かれており、殺気立っている雰囲気。これでは男はだれも寄り付かないと思う。何人もの男性が虜になるという設定が納得できなくなる。ハーゲンバッハのレオナルド・カパルボは適役。きれいな声で、ちょっと無防備な男をうまく演じている。ただ、これももう少し強いキャラクターがないとドラマが生きない気がする。ゲルナーのジャック・インブライロは歌はいいが、見た目があまりにおじさんっぽいのが気になる。もう少し化粧で何とかならないものか。

 なじんでいるオペラではないので、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮のウィーン交響楽団について批評めいたことは言えないが、しっかりとうたわせ、ドラマティックでもあって、とても良いと思った。演出はバルボラ・ホラーコヴァー・ヨリー。チロル地方の物語という点はあまり強調されず、むしろ「家」が大きく取り上げられ、最後の場面も崩壊している家の中で歌われる。故郷を捨て、自分のアイデンティティを捨てた人間としてワリーを描いているようだ。しかし、そうなると、最後の雪崩の場面など、物語展開が不自然になる。ちょっと無理のある演出だと思った。

 

ドニゼッティ 「連隊の娘」20211121日 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 コロナ禍の中の上演のため合唱団は全員がマスク。

 全体的にはなかなかの上演だと思うが、DVDで発売されていた英国ロイヤルオペラの、ローラン・ペリ演出、カンパネッラ指揮、デセイ、フローレス、フェリシテ・パーマー、コルベッリの出演した名舞台に比べると、やはりかなり劣るのはやむを得ない。

 マリーを歌うのはサラ・ブランチ。癖のないきれいな声。若いソプラノで容姿もこの役にふさわしい。歌い方がちょっとミュージカル風だが、それもこのオペラの場合には魅力の一つだろう。トニオはジョン・オズボーン。これもさすがの歌唱。高音が美しい。侯爵夫人はアドリアーナ・ビニャーニ・レスカ。アフリカ系の深い声のメゾなのだが、これは容姿も声も、私たちが聞きなれたこの役とはかなり異なる。かなりドスの効いた声というか。シュルピスはパオロ・ボルドーニャ。しっかりとこなしている。

 演出はルイス・エルネスト・ドーニャス。全員が現代の服装。遊びが多く、オリジナルにはない歌が加わったり、連隊の太鼓がアフリカ風のリズムで鳴らされたりする。舞台背景も、原色が多く使われ、フェルナン・レジェの絵画やアフリカの原始絵画を思わせるような絵が描かれている。ミュージカル風といってよいのだと思う。そう、まるで「ライオン・キング」のような雰囲気というか。そして、笑いを取ろうとするかのような、かなり大きな声でのドタバタがなされる。好みの分かれるところだろうが、そのためにバタバタして、少々下品になっているところがある。わたしはけっして上品な人間ではないが、どちらかというと上品好みではあるので、このタイプの演出はあまり好みではない。

 ミケーレ・スポッティ指揮によるドニゼッティ歌劇場管弦楽団は決して悪くはないのだが、やはり素晴らしいオーケストラというわけにはいかない。

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