オペラ映像「イェヌーファ」「パサジェルカ」「ドン・ジョヴァンニ」
妻の葬儀が終わって1週間ほどたつ。ふだんは少し離れたところで暮らす息子が、葬儀の後もしばらく一緒にいてくれたので気がまぎれたが、息子が去って一人になると、さすがにこたえる。これが弔うということなのだろうかとも思う。
だが、そうはいっていられないので、あれこれの手続きに出かけたり、買い物をしたり、音楽を聴いたり、テレビを見たりしている。そうこうするうち、かなり元気が回復してきた。
昨年、実演を聴いて感動したカヴァコスのヴァイオリンのCDを数枚、繰り返し聴いた。ロマンティックに盛り上がるのではなく、抑制的で知的で瞑想的な演奏はとても心地よい。
そんな中、予約していた数枚のオペラのディスクが届いた。簡単な感想を書く。
ヤナーチェク「イェヌーファ」2021年10月 コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス
なんといっても、タイトルロールのアスミク・グリゴリアンが衝撃的な凄さ。音程のいい透明な声でありながら芯が強く、まさに清純な声が響き渡る。容姿の面も含めて、まさにイェヌーファにぴったり。最終幕の、嬰児の死体が発見されたときの歌はとりわけ印象的。コステルニチカのカリタ・マッティラもこの役にふさわしい圧倒的な存在感。グリゴリアンと歌うとちょっとコントロールの弱さにおいて分が悪いが、この二人の場面は舞台に戦慄が走る思いがする。
シュテヴァのサイミール・ピルグ、ラツァのニッキー・スペンスも文句なし。ヘンリク・ナナシの指揮は、切れがよくドラマティックに鳴らす。とてもいいのだが、ただ、ヤナーチェクにはもっと悶々とした表情が欲しい。少し表現がまっすぐすぎる気がする。
演出はクラウス・グート。「囚われ」ということを強調しているようだ。イェヌーファは常に多くの人の視線を浴びており、コステルニチカの家で暮らすイェヌーファのいる場所は、まるで牢獄のような鉄格子でかこまれている。イェヌーファは視線という囲いの中で暮らし、がんじがらめにされている。
ローカル色は薄いが、このオペラの特色を見事についた演出と言えるだろう。大変満足な上演だと思う。
ヴァインベルグ 「パサジェルカ」 2021年2月 グラーツ歌劇場
先日、2010年ブレゲンツ音楽祭でのこのオペラの上演の映像を見てすばらしいと思ったが、このグラーツ歌劇場での上演もそれに劣らない。オペラそのものもいいし、上演もいい。ナチスを題材にした映画はそれこそ山のようにあり、オペラ演出にナチスの軍服を着た人物が登場するのはほとんど常套手段と言えるほどだが、ナチスの蛮行を真正面から扱ったオペラには、これまでほとんどで会わなかった。これはその大傑作だと思う。
ブラジルに赴任する外交官の夫人になったリーザは船の中で、かつて、リーザがSSとして看守を務めていたアウシュヴィッツの囚人マルタによく似た客を見かけ、収容所の残虐な現実がよみがえる…というストーリー。
ローラント・クルティヒの指揮によるグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だが、まずこれが見事。この指揮者については初めて知ったが、決して一流とは言えないだろうオーケストラを率いて、切れの良い鋭い音を見事に重ねていく。スリリングで重層的。厚みのある深い世界に導いてくれる。
リーザのシャミリア・カイザーは歌もさることながら、演技も見事。裏のある役をうまく演じている。ヴァルターのヴィル・ハルトマンも善良でありながらも一筋縄ではいかないドイツ男性を造形している。マルタのナージャ・ステファノフも澄んだ声で、絶望的な状況の中でけなげに生きるユダヤ女性をリアルに歌う。タデウスのマルクス・ブッターも収容所にいながらも自尊心を失わないユダヤ人をうまく演じている。そのほかわき役に至るまで、このオペラにふさわしい音程の良いシャープな声が選ばれている。まったくスキがない。
演出はナジャ・ロシュキー。老いたリーザの分身が黙役で登場(イザベラ・アルブレヒトという女優さんが演じている)して、様々な動きをする。一つ一つの動きについては私には意味の分からないところがたくさんあったが、ともあれ、これは現在(2021年)におけるリーザということだろう。最後には、老いたリーザはナチスの軍服を着て、自分のナチス性を認める。要するに、現在、だれでもがナチスの側に立って無邪気に弱者を残酷な目に合わせることができるのだというメッセージを示しているのだろう。それにしても、この女優さんの立ち居振る舞いの一つ一つが決まっていて、見事。日本の田中泯のような人なのだろうか。
ヴァインベルグという作曲家、この頃注目を浴びているようだが、確かにとてもいい作曲家だと思う。もっと聴いてみたい。
モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」 1987年7月 ザルツブルク祝祭大劇場
ヘルベルト・フォン・カラヤンによる伝説の映像がブルーレイ化されたので、購入してみた。画質・音質が向上していることを期待していたが、聴き比べてみたわけではないものの、おそらくDVDと大差ないと思う。これなら買い替えなくてよかったかな?と思った。
とはいえ、やはりすごい上演。カラヤンの指揮は、さすがというか、ほかの指揮者とはレベルが違うのをひしひしと感じる。豪華で繊細で手の込んだ高級絨毯のように一部の隙もなく、ドラマティックに音楽を作っていく。このオペラの性格に基づくのだろう、カラヤンにしては少し珍しいくらいにおどろおどろしさがある。時に音を小さくしてピアニシモの美しさを際立たせるなど、様々な工夫のすべてに説得力がある。ウィーンフィルの音も実に美しい。私はカラヤン好きではなく、どちらかというフルトヴェングラー派なのだが、この手腕には舌を巻かざるを得ない。
歌手陣ももちろん充実している。サミュエル・レイミーのドン・ジョヴァンニはすごみがある。チェザーレ・シェピに匹敵する悪の美とでもいうか。そのほかでは、フェルッチョ・フルラネットのレポレロとキャスリーン・バトルのツェルリーナがいい。フルラネットの芸達者ぶりとバトルの可憐さはうっとりするほど。ドンナ・アンナを歌うアンナ・トモワ=シントウもさすがの歌唱。ドンナ・エルヴィラのユリア・ヴァラディ、騎士長のパータ・ブルシュラーゼ、マゼットのアレクサンダー・マルタも悪くない。ただ、私はドン・オッターヴィオを歌うイェスタ・ヴィンベルイについては、少々不安定に感じた。
ミヒャエル・ハンペの演出は今から見るとあまりに当たり前。ただ、第二幕の騎士長が迫ってくる場面では、宇宙空間の映像が使われており、音楽の雰囲気を鋭く描いていると思った。
「ドン・ジョヴァンニ」は不朽の名作であり、カラヤンは大指揮者だという、だれもが知っていることを改めて強く感じた。
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