オペラ映像「ユダヤの女」「ファルスタッフ」「椿姫」
本ブログに時折コメントを寄せてくださるENOさんのブログ冒頭に「人生、何があっても、音楽を聴くと、自分を取り戻します」とある。
まさにその通り。私も、かつて絶望の中にいるとき音楽ばかりを聴いて暮らしていた。今また、苦難の時期だが、ともあれ音楽を聴こうと思っている。そうすると、自分に戻れる。オペラをみたり、映画をみたり、本を読んだりする気力がわく。
しばらくコンサートや映画館にはいかないが、ほとんどの時間、自宅で過ごしているので、これらのものに接して自分の気持ちを取り戻すことができる。
オペラ映像を数本みたので、簡単な感想を記す。
アレヴィ 「ユダヤの女」2003年5月 ウィーン国立歌劇場
このオペラの全曲については、実演でもみたことがないし、録音を聴いたことも映像をみたこともなかった。部分的にアリアを聴いたことがあるくらい。20年近く前の公演だが、この映像が発売されていることも知らなかった。初めてみて、素晴らしいオペラだと思った。
ウジェーヌ・スクリーブの台本がとてもよくできている。敵の子どもを炎の中から救い出して育てるという点では「イル・トロヴァトーレ」と似ているが、荒唐無稽なヴェルディのオペラとは説得力がまったく異なる。起伏にあふれ、各登場人物の心情に説得力があり、宗教対立、信仰と愛の相克などの大きな問題がしっかりと描かれている。音楽もすごみがある。
とりわけこの上演は演奏も素晴らしい。まず何よりも、父親を歌うニール・シコフに圧倒される。20年以上前のこと、ヨーロッパ滞在中、ホテルでテレビをつけてチャンネルを回しているうち、クラシック・チャンネルで「ホフマン物語」をみかけた。ホフマン役のあまりの凄さに驚いた。それがニール・シコフだった。日本での知名度はあまり高くなかったが、大テノール歌手だと思う。小柄で、まるでサラリーマンのような風貌だが、しなやかで張りのある声でその役になりきって歌う。この父親役も、まさにこの人のためのような役だと思う。演技も言うことなし。この人の歌を聴くと、真に迫っていて身につまされる思いがする。有名なアリアのところでは、観客といっしょに拍手喝采したくなる。
ラシェルのクラッシミラ・ストヤノヴァも申し分ない歌と演技。けなげな「ユダヤ女」を歌う。しっかりとした勢いのある歌声。枢機卿を歌うヴァルター・フィンクも安定していて、とてもいい。それに比べると、ウドクシーのシミーナ・イヴァンとレオポールのジエンイー・ジャンは少し弱いが、やむを得ないだろう。
フィエコスラフ・ステイの指揮もとてもいい。起伏のある演奏だが、緻密に組み立てているのを感じる。演出はギュンター・クレーマー。豪華な仕掛けがあるわけではなく、簡素な舞台だが、ユダヤ教徒とキリスト教徒の対立と不均衡を的確に描いている。
もっと上演してほしいオペラだ。
ヴェルディ 「ファルスタッフ」 2021年11月23日 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場
サー・ジョン・エリオット・ガーディナーの指揮による「ファルスタッフ」。さすがガーディナーというべきか、びしりと決まった演奏。リズム感にあふれており、細部にまで神経が行き届いている。
ファルスタッフ役にニコラ・アライモがとてもいい。体形も含めて、この役にふさわしい。よくもまあこれほど次々とファルスタッフ歌手が生まれてくるものだ! アリーチェのアイリーン・ペレスもとてもいい。高音が美しい。ナンネッタのフランチェスカ・ボンコンパーニも可憐な容姿と透明な高音にうっとりする。
フォードのシモーネ・ピアッツォーラ、クイックリー夫人のサラ・ミンガルドなど、ほかの役も充実。
演出はスヴェン=エリク・ベヒトルフ。シェークスピアの時代にはこうだったのだろうと思わせるようなリアリティのある服装で軽妙でありながらも時代に重みを感じさせる。ナンネッタとフェントンを夢幻的に描き、男たち、女たちと対比させている。作品の論理コクゾウを明確にしたような演出だといえるだろう。
ヴェルディ 「椿姫」 2014年6月 パリ、オペラ・バスティーユ
ディアナ・ダムラウのヴィオレッタはとても素晴らしい。もちろん、どんなにやつれた演技をしても、元気いっぱいの声なので、肺病で死んでいくヴィオレッタとしてはかなり違和感があるが、まあそれは大目に見よう。ジェルモンのリュドヴィク・テジエも悪くない。
だが、アルフレードのフランチェスコ・デムーロは声は出ていないし、音程は不安定だし、歌いまわしもぎこちない。
そして何よりもフランチェスコ・イヴァン・チャンパの指揮があまりに大味で安っぽい。オーケストラの責任もあるのかもしれない。大雑把で縦の線がきちんとあっていないのを感じる。黙って聞かされたら、フランスかドイツの地方都市の歌劇場のオーケストラだと思ってしまいそう。
ブノワ・ジャコの演出にも納得できない。ジプシーに扮するのが女装した男性たち、闘牛士が男装した女性たちとは! 悪ふざけとしか思えない。合唱もよくない。
近年のパリのオペラ座はこのレベルなのだろうか。
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コメント
ENOです。私の拙いブログの自己紹介が樋口様のお目にとまって恐縮です。大学を出てからひとつの職場で働き続けて、挫折と嫉妬と悔しさで悶々とする日々を過ごしました。そのときの実感があの自己紹介文です。数年前に完全リタイアしましたが、では、あの悶々とした日々を吹っ切れたかというと、そうでもなくて、時々夢に見ます。困ったものです。
私も樋口様の「すべての道が、ローマに通じるなら、ドン・キホーテよ、デタラメに行け!」という言葉が好きで、時々思い出しては、勇気づけられています。たしか大学のトイレに書いてあった落書きだと、いつかお書きになっていたように記憶しますが。
投稿: Eno | 2022年8月17日 (水) 09時22分
Eno 様
コメント、ありがとうございます。
そうですね、ブログの紹介文を読ませていただいて、私にとって音楽を聴くという行為が、まさに自分を取り戻し、自分の時間を味わうものであることを再認識しました。
先日、「彼は早稲田で死んだ」についての拙ブログに書いた通り、私は早稲田に入学してすぐに現代文学研究会に入り、そこが革マル系のサークルだったために、抜けるのに苦労したのでした。その現代文学研究会の初回の集会が開かれた教室の壁で見かけたのが、「すべての道が・・・」という落書きでした。これはアナキストの言葉ですので、革マル派の人が書いたものではないと思いますが、私はいたく感銘を受けたのでした。
投稿: 樋口裕一 | 2022年8月17日 (水) 22時33分