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野田一夫先生、ラルス・フォークト、ジャン・リュック・ゴダール 合掌

 9月3日に野田一夫先生が95歳、5日にラルス・フォークトが51歳、13日にジャン・リュック・ゴダールが91歳で亡くなった。私の妻が先月19日に61歳で他界して以来、お世話になった方、影響を受けた芸術家の訃報が続く。

 野田先生は多摩大学の初代学長であって、私が多摩大学で仕事をするようになってからお話を伺う機会が多かった。かなり前のことだが、雑誌「いきいき」で連載をしていた関係で、野田先生をお招きして「対談」をしたことがある。だが、「対談」というのは看板だけで、編集者が気を遣ってくれて、編集の段階で私の話した部分をたくさん残してくれたのであまり目立たなくなったものの、私はもっぱら聞き手。98パーセントくらい野田先生がお話になった。私が口をはさむ必要のない、野田先生がご自分の人生、人生観、その魅力を語る最高におもしろい「独演」だった。90歳を超えてからも矍鑠として、お会いするごとに面白い話を大声でなさってくれた。野田先生の理念は多摩大学に受け継がれている。私の中にも、少しだけかもしれないが、受け継がれている。偉大な教育者であり、偉大な経済理論先駆者だった。合掌。

 ラルス・フォークトの凄さを初めて知ったのは、2018年、日本のラ・フォル・ジュルネにおいてだ。ピアノの独奏曲をあまり聴かない私は、それまであまりこのピアニストには注目していなかった。日本でベートーヴェンの協奏曲を「弾き振り」した演奏を聴いて仰天。その後、注目していくつかのCDを聴いて、ますます好きになった。音楽に表情を付け、細かいニュアンスを強調するが、バランスが取れており、音楽に勢いがあるので、それがまったく不自然ではない。繊細にしてバランスがとれており、音楽が生きている。まさに魔法の音楽だと思った。近日中に来日が予定されているということで、楽しみにしていた。51歳、ガンでの病死だという。私の妻もガンだった。今でも、まだガンは見くびることができない恐ろしい病気だ。合掌。

 ゴダールは、言わずと知れたフランスの映画監督だ。私は高校生まで大分市で過ごしたので、ゴダールの名前を知り、批評を読んで憧れるばかりで、ゴダールの映画を見たことがなかった。1970年に東京に出て立て続けに「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」などの映画をみた。当時の映画青年としてはやはり衝撃だった。私はゴダール派ではなく、「パゾリーニ派」に属す人間だったが、ゴダールの映画は必ずみて、仲間たちと語り合った。ゴダールが映画の文法を変えたのは間違いない。いや、当時の若者の生き方を変えたのも間違いない。九州の田舎の権威主義に反発しながらも権威主義の中に生きていた私にもっとしなやかで自由な精神を教えてくれたのはゴダールだったといえるかもしれない。合掌。

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