« 日本を代表する演奏家たちのモーツァルト、フルート四重奏曲に感嘆 | トップページ | 笹沼&上田のシュトラウスのソナタに感動 »

ウォン・カーウェイの映画

 一昨日、両腕に赤い湿疹が30か所以上もできているのを発見。妻を亡くした後、部屋の掃除をろくにしていないので、ダニにでも刺されたのか、それともほかの虫なのかと気になって皮膚科で診てもらった。「虫ではなさそう。何か大きなストレスがあったのではないか。ストレスによって免疫力をなくすと、それが皮膚に現れることがある」と言われて納得。

 妻の死後、一日中落ち込んでいるわけではないが、なかなか元気が出ない。気晴らしをしようと思っても億劫になってしまう。これが、70歳を過ぎて妻に先立たれた夫のかなり普遍的な状況だと思う。こうして、陰鬱な気分が肌に出てきたわけだ。

 湿疹くらいならたいしたことはないが、このままでいると、からだを壊してしまうと思い当たった。免疫力を弱めていたら、コロナにかかって重症化することも考えられる。かくなるうえは、ストレス解消を最優先にするほうがよさそうだ。まあ、これまでもコンサートに出かけていたが、これから少し意識的に明るい方向の向こうと思う。

 先日、プーンピリア監督の「プアン 友だちと呼ばせて」を見て大いに感動。このタイの監督がウォン・カーウェイの影響を受けていると知った。そういえば、香港映画の巨匠ウォン・カーウェイの名前は知っているが、作品をみたことがない。この機会に何本かみることにした。簡単に感想を書く。

 

「欲望の翼」 1990年 ウォン・カーウェイ監督

 1960年の香港の裏町が舞台になっている。生みの親に捨てられ、育ての親に虐待されたという思いを抱いている青年ヨディ(レスリー・チャン)。投げやりな生活を送っているうち、サッカー場の切符売り娘スー(マギー・チャン)を口説き、付き合い始める。だが、ヨディはスーを捨て、踊り子のミミ(カリーナ・ラウ)に乗り換える。ヨディを愛してさまようスーの様子を心配して見守る警官タイド(アンディ・ラウ)、ミミを慕うサブがからんで、物語は進んでいく。最後、実の母を探しにヨディはフィリピンに行き、中国人街の闇社会とかかわりを持って殺されてしまう。

 ヨディがスーに語る「1960年4月16日の3時1分。君は僕といた。この1分を忘れない」という口説き文句は出色だ。そのほか、詩的な言い回しがたくさんあり、映像にも乾いた詩情が漂う。刹那的に生きるしかない若者たち。まさに1960年前後のイタリア映画やポーランド映画を思い出す。いい映画だと思う。

 

「花様年華」 2000年 ウォン・カーウェイ監督

「欲望の翼」と同じように、1960年代の香港を舞台にしている。チャウ(トニー・レオン)とチャン(マギー・チャン)はそれぞれ家庭を持っているが、配偶者とともにアパートの隣に住むようになる。ある時、それぞれの配偶者が行動を共にして不倫しているらしいことに気づく。裏切られていることを感じた二人は、絶望の意識を介して接近してゆく。愛を率直に表現できない二人は、それぞれの配偶者や作家志望のチャウの小説中の出来事に仮託して愛を告げあう。それぞれの配偶者は声だけで映像は出ない。そのために、親密で閉ざされた雰囲気が強調される。

 エロティックと言えるほどの美しいチャイナドレス、赤い色調の部屋、官能的な音楽。セリフは少なく、絵画のように美的で蠱惑的な映像が二人の世界を作り出す。トニー・レオンとマギー・チャンは、私のようなオールド・ファンには佐田啓二と山本富士子に見えてしまう。なんだか往年の日本映画のスターたちに雰囲気がよく似ている。

 ただ、いったい、このアパートはどんなシステムになっているのだろう? バルザックの小説や往年のフランス映画(「ミモザ館」など)に出てくるようなパンションのようなものなのだろうか。このようなシステムは今もあるのだろうか。そのあたりはよくわからなかった。

 とてもいい映画だと思う。ストーリー的に大きな展開があるわけではないが、この官能的で親密な雰囲気はとても魅力的だ。

 

「2046」  2004年 ウォン・カーウェイ監督

「欲望の翼」「花様年華」とともに三部作をなすとみなされる作品。とても良い雰囲気で、つい引き込まれるが、なんだか話はよくわからない。

 チャウ(トニー・レオン)は官能小説家となって退嬰的な生活をしている。かつて、ホテルの2046号室で女性と愛を交わしたことが忘れられずにいる。過去にこだわり、そこから抜け出して、新たな2046を求めて女性遍歴を重ねているが、SF小説「2046」を書き始める。2046に向かって進む列車にはアンドロイドの女性たちが客室乗務員として勤務しており、その女性たちの自分の遍歴してきた女性たちを投影させる。ざっとまあこんなふうにストーリーはまとめられるだろう。

 失われた愛を求めての渇望の物語といえるだろう。ミケランジェロ・アントニオーニの映画を思わせる。愛し合うことが不可能なので、不毛なセックスを求める。しかし、それでも満たされず、過去から抜け出せない。ベッリーニのオペラ「ノルマ」の有名なアリアが何度か流される(ゲオルギューが歌っているようだ)。一途に恋に生きるノルマの生きざまが浮かび上がってくる。

 チャウを愛し、チャウと同じように素直に愛を交わせない娼婦役のチャン・ツィイーが本当に魅力的。そのほか、フェイ・ウォン、コン・リー、カリーナ・ラウ、マギー・チャンらの中国人の女優たちが存在感にあふれていて、素晴らしい。日本人タクの役に木村拓哉が出演している。トニー・レオンらの中国人俳優たちの圧倒的な存在感に比べて、いかにも頼りなげだが、きっとこれが監督の意図なのだろう。一人異世界に紛れ込んだ感じが、それはそれでおもしろい。

 

「恋する惑星」 1994

 香港ヌーヴェル・ヴァーグというべき作品だと思う。失業した刑事(金城武)と勤務中の警官(トニー・レオン)の二人を基軸に、その恋の相手(ブリジット・リンやフェイ・ウォン)との突拍子もない行動を独特の映像で追いかける。説明が少なく、主人公や女性たちの行動の意味がよくわからない。だが、ポップな音楽、流れる映像が実に心地よい。そうした中、秩序からはみ出して生きるしかない若者の生の衝動が伝わってくる。金城武やトニー・レオンがとても魅力的に描かれている。

 

「天使の涙」 1995

「恋する惑星」と同じような雰囲気の作品だ。殺し屋(レオン・ライ)とそのエージェント(ミシェル・リー)、殺し屋がたまたま出会う金髪娘(カレン・モク)、口のきけない青年(金城武)などがそれぞれの行動をモノローグの形で語り、これらの人物が交錯していく。ゴダールらのヌーヴェル・ヴァーグ作品をもっと先鋭化させた感じ。それぞれの人物がマンガ的に行動し、詩的だが、意味を確定しがたいセリフが続く。ただ、映像が美しく、映像の動きも見事なので、まったく退屈することはない。とても良い映画だと思う。

 

「愛の神、エロス」 2004年 オムニバス映画

 ウォン・カーウァイ「若き仕立屋の恋(The Hand)」、スティーブン・ソダーバーグの「ペンローズの悩み」、ミケランジェロ・アントニオーニの「危険な道筋」の3編からなる。

 カーウェイの作品が最もおもしろかった。仕立て屋(チャン・チェン)は囲われ者の女性(コン・リー)の身体を手で探って寸法を取り、その虜になる。女性は仕立て屋をいたぶるばかりだったが、最後には零落し、娼婦に成り下がって難病にかかる。女性も仕立て屋を憎からず思っているが、すでにセックスはできず、手を使って満足させようとする。手を使っての性的関係であるだけに、一層フェティシズムを掻き立てる。映像も実に淫靡。

 ソダーバーグの作品は精神分析医(アラン・アーキン)と患者(ロバート・ダウニーjr)のやり取り。夢と精神科医とのやり取りと現実の交錯がおもしろいといえばおもしろいが、どこがエロスなのかよくわからなかった。アントニオーニの作品は、愛し合おうとしながら愛し合えずにいる夫婦の物語。海辺の映像と二人の女性の全裸は目を見張るほど美しいが、アントニオーニの映画としては物足りない。

|

« 日本を代表する演奏家たちのモーツァルト、フルート四重奏曲に感嘆 | トップページ | 笹沼&上田のシュトラウスのソナタに感動 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 日本を代表する演奏家たちのモーツァルト、フルート四重奏曲に感嘆 | トップページ | 笹沼&上田のシュトラウスのソナタに感動 »