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鈴木優人&BCJのモーツァルトのレクイエムはレクイエムらしくなかったが名演奏だった

 20221030日、東京オペラシティ・コンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を聴いた。指揮は鈴木優人、曲目は前半にモーツァルトの交響曲第39番、後半にモーツァルトのレクイエム。

 交響曲の演奏についてはあまりおもしろいと思わなかった。第2楽章があまりにゆっくりしたテンポで、私には平板に聞こえた。第3楽章にメヌエットもちぐはぐで、終楽章になっても生き生きとした感情が沸き上がってこなかった。勢いに欠け、ダイナミックさに欠けているように思った。

 だが、レクイエムになったとたん、オーケストラは生き生きとした音を出し、合唱も見事にそろった。情感豊かで、深い思いが重なり、しかも音の一つ一つが生きている。BCJは合唱が加わると本来の力を発揮できるのかもしれない。

 独唱陣も素晴らしかった。森麻季の透明な声は、とくに宗教曲に美しさを発揮する。藤木大地のアルトも、音程がよくて実に見事。テノールの櫻田亮も日本人離れした芯のある美声、バスのドミニク・ヴェルナールも安定した美声。

 今回の演奏は鈴木優人による補筆校訂版とのこと。モーツァルトの遺稿、アイブラーやジュスマイヤーの補筆に基づいて再構成したものだ。「ラクリモザ」の後にアーメンコーラスが入ったが、プレトークによれば、それはモーツァルトの自筆譜の中にあるとのことだった。

 ただ、私のような素人には、「あれ、こんな楽器、ここで出てきたかな?」「おや、聞き覚えのないリズムだな」と思われるところはいくつもあったが、それが補筆によるものなのか、指揮によるものなのか、よくわからない程度だった。が、何はともあれ、すべてに納得のゆく演奏。

 もし不満を言うとすれば、あまりレクイエムらしくなかったことか。プレトークでも鈴木優人さん自身が言っていたが、生き生きとした生の賛歌のようにこの曲をとらえているようだった。だから重々しさもあまりなく、人の死を前にした厳粛な気持ちも、愛するものを失った喪失もさほど感じられなかった。音楽としては素晴らしかったが、確かに、厳かな宗教的な気持ちにふけることはできなかった。

 アンコールは、アヴェ・ヴェヌム・コルプス(だと思う)。これもしっとりしたよい演奏。鈴木雅明はもちろん、先日の鈴木秀美と言い、今日の鈴木優人と言い、鈴木一家はとんでもない人たちだなあ!と改めて思った。

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鈴木秀美&シティフィルのハイドンとベートーヴェン 「生身」の音楽の感動

 20221028日、東京オペラシティ・コンサートホールで東京シティフィル定期公演を聴いた。指揮は鈴木秀美、曲目は前半にハイドンの交響曲第12番と第92番「オックスフォード」、後半にベートーヴェンの交響曲第7番。素晴らしい演奏だった。

 まずハイドンのおもしろさを堪能した。12番は20人程度のメンバーで演奏される曲らしい。3楽章のシンプルな構造だが、本当によくできている。メロディも楽しいし、オーケストレーションも創意にあふれている。音楽の展開も、とても自然でありながら、ハッとするようなところが多々ある。そして、演奏がとてもいい。生き生きとして、躍動感があり、わくわく感がある。ヴィブラートの少ない古楽器風の奏法がとてもいい。バシバシと音楽が決まってゆき、ぐいぐいと推進していく。

 92番の交響曲は第3楽章のメヌエットがとてもおもしろかった。確かに、これは舞曲だと改めて思った。鈴木秀美の演奏だと、それがとてもよくわかる。本来の舞曲が持つ味わいを残している。そのあとの終楽章も圧巻だった。鈴木秀美のタクトは、人間的な温かみを持ちながら音と音が重なって高揚していく。

 ベートーヴェンも素晴らしかった。このブログの中で何度か書いた記憶があるが、実はこの第7番は、私はちょっと苦手な曲なのだ。聴くたびに確かに感動はするのだが、こけおどしめいたところが鼻について居心地が悪くなる。が、やはり鈴木秀美の手にかかると、そのようなこけおどしめいた面をあまり感じない。生身で迫ってきながら、情緒に押されず、音と音に組み合わせだけによって高揚していく。前半はやや抑え気味だったと思うが、第3楽章以降、これ以上は考えられないほどに内面から高揚していった。シティフィルの演奏も見事。しっかりとした音で完璧にタクトの指示している音を作り出していると思った。

 鈴木秀美の演奏を聴くと、マエストロの人柄に起因するのか、あるいは古楽的な奏法の影響なのか、「生身」という印象を強く受ける。華美でありすぎない、機能的でありすぎない、こけおどしにならない。生身の人間の心がそのまま押し出されている印象を受ける。だからこそ、フォルテの部分がとりわけまっすぐに観客の心に響く。

 日本人で最も好きな指揮者は?と先日聞かれて、答えに迷ったが、考えてみると、今、私が最も惹かれる指揮者は鈴木秀美だといった間違いないだろう。素晴らしい指揮者だと思う。

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戸田弥生の入魂のバッハ

 20221026日、ルーテル市ヶ谷ホールで、戸田弥生「バッハへのオマージュ」を聴いた。曲目は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタより第3楽章、レーガーの「プレリュード ニ短調」、最後にバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番。

 バッハの無伴奏曲にはたくさんの名演奏がある。私もかなりの数の名演奏を聴いてきた。先日は、カヴァコスを聴いた。だが、戸田さんの無伴奏曲はほかの演奏家たちとまったく異なる。

 私は戸田さんのヴァイオリンにがっしりと魂をわしづかみにされた気がする。優しい手ではない。真実をつかんで離さないような激しい手でつかまれ、音楽の動きとともに振り回される気がする。ほかの演奏家ではそのようなことはない。

 私は戸田さんのヴァイオリンを聴くと、往年の名ヴァイオリニスト、シゲティの録音を思い出す。とはいえ、実は私はシゲティの演奏はけっして好きではなかった。あまりに音が汚いのだ。ものすごい集中力、ものすごい精神性、ただ音が汚くて聴いていられない。「このような演奏をもう少し音がきれいな音でやってくれれば最高なのに」とつくづく思っていた。そして、初めて戸田さんの演奏を聴いたとき、これぞ、シゲティと同じような精神で、シゲティよりもずっと音の美しい、理想の演奏だと思った。

 戸田さんも表面的な音の美しさを求めない。そんなものを通り越した、もっと奥にあるものを表現する。しかも、今回、あまりのスケールの大きさに驚いた。濃密で深い。途方もなく巨大な世界を描いている。人間の魂の全体を描くかのようだ。シャコンヌはまさに入魂の演奏。揺り動かされた。何度となく感動が体を走った。

 バルトークもレーガーもとても素晴らしかったが、やはり私はバッハに深く感動した。アンコールはバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番の「ガヴォット」。演奏によってはかわいらしい曲だが、戸田さんの手にかかると、チャーミングさを失わないままに、深い音楽になる。これも素晴らしかった。

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オペラ映像「神々の黄昏」「フィガロの結婚」「ナブッコ」「アルミーダ」「ブルゴーニュのアデライーデ」

 寒くなってきた。慣れぬ一人暮らしで寒さは大敵だと思う。寒いと体が縮こまってしまう。開放的にならない。ふさぎがちになってしまう。そんなわけで、自分を元気づける意味で、ちょっと意識的にオペラ映画を見ている。NHKで放送された3本と、ロッシーニを2本を見たので、簡単な感想を書く。

 

ワーグナー 「神々のたそがれ」2022年8月5日 バイロイト祝祭劇場

 NHKBSプレミアムにて視聴。

 終演後、ヴァレンティン・シュヴァルツの演出に対して大ブーイングが起こる。普段は、演出に対してブーイングが起こると、それと同じくらいブラヴォーの声が上がるものだが、今回は、ブーイングのみが聞こえる。私もその場にいたら、きっとそれに加わるだろう。これまで人生で一度もブーイングをしたことがないが、さすがにこれに対しては思いっきりブーを口に出すだろう。それどころか、生卵でも持っていたら、それを投げつけたい気持ちになるほどだ。観客を、そしてワーグナーをコケにするのもいい加減にしろと言いたくなる。

 現代に舞台を移し、神々ではなく市井の人々の物語にすると、100キロを超えた男女の演技は、厳かさなどみじんもなくなり、あえて言葉を選ばずに言うと、少々滑稽でマンガ的になる。まったく笑いの起こらない、ただ白々しいだけの吉本新喜劇とでもいうか。きっと演出家はそれを意識していると思う。ワーグナーの神々しさを否定して、滑稽で白々しいものにしようとしている。これは歌手陣に対しても失礼だと思う。

 しかも、場所はうらぶれた場末に設定されている。ジークフリートもブリュンヒルデも下層の家庭の人々のようで、二人の間には何と子どもがいることになっている。あれこれと観客を挑発するような動きなどがあるが、いちいち考えるのもばからしい。しかも、新しい解釈などありそうもなく、ただ、これまで見てきたあれこれのつまらない演出の寄せ集めに思える。

 演奏に関しては悪くない。ただ、残念ながら、これほど演出がひどいと音楽に感情移入できない。ジークフリートのクレイ・ヒリーはよくとおる声。ブリュンヒルデのイレーネ・テオリンは、前半、私はあまりに激しいヴィブラートが気になったが、後半は気にならなくなった。ハーゲンのアルベルト・ドーメンは見事な歌。ただ、演出のせいなのか、ドーメンの容姿のせいなのか、そこそこの善人に見えてしまう。

 指揮はコルネリウス・マイスターだが、これも演出のひどさに気持ちを奪われて、味わう気分になれなかった。今度、またこれを鑑賞する機会があったら、画面を消して音楽だけで聴く方がよさそうだ。

 コロナでしばらく外国に行けずにいる。久しぶりにバイロイト音楽祭に行きたいと思っていたが、こんな演出を見せられるのだったら、しばらくはいかなくてもいいかな、と思い返した。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」 2022年2月1, 3日 パリ・オペラ座 ガルニエ宮

 素晴らしい上演だと思う。初めて名前を見る歌手が何人もいるが、すべての歌手が素晴らしい。その中でも、私は特に伯爵のクリストファー・モルトマンに圧倒された。強い声で悪役にふさわしい。この人がドン・ピツァロを歌ったらどんなにすごいだろうかと思った。伯爵夫人のマリア・ベントソンも気品ある声と歌いまわしが素晴らしい。容姿もこの役にふさわしい。フィガロのルカ・ピサローニはよく知っている歌手だが、さすがの歌唱。文句なし。スザンナはイン・ファンという中国人歌手。かわいらしい顔。透明な声がとてもいい。ケルビーノのレア・デゾンドレもしっかりした声で可憐に歌う。マルッチェリーナのドロテア・ロシュマン(若手と思っていたが、ついに彼女もオバサン役をあてがわれるようになったか!)はもちろん、バルトロのジェームス・クレスウェル(なぜか、一人だけずっとマスクをつけて歌う。何か事情があったのか?)も、そして、バルバリーナのクセーニア・プロシュナもそれぞれとても美しい声で見事に歌う。まったく穴がない。

 パリ国立歌劇場管弦楽団を指揮するのは、グスターボ・ドゥダメル。実は私は、この指揮者が世に知られることになったころ、録音を聴いて、空騒ぎの空疎な音楽の感じがして敬遠していたのだが、今回聴いてみると、とてもいい。勢いがあり、音が生き生きしている。ただ、まだちょっと一本調子のような気がするのだが、私の偏見だろうか。

 演出はネイシャ・ジョーンズ。現代に時代を取って、最後、伯爵夫人は伯爵を許さずに離別を覚悟する。私が若いころのこのオペラの演出は、伯爵はちょっと浮気心を抱いてしまったしょうのないオヤジという扱いをしていたのだが、この頃は実に厳しい。時代は間違いなく変化している。

 

ヴェルディ 「ナブッコ」 201962123日 チューリヒ歌劇場

 NHKBSプレミアムで視聴。

 とても充実した上演だと思う。ナブッコのミヒャエル・フォレとザッカーリアのゲオルク・ツェッペンフェルトの男性二人が圧倒的。フォレは、自在な歌で傲慢な王、雷に打たれて気弱になった王、改宗した王を見事に歌い分ける。ツェッペンフェルトはフォレに劣らぬ男性的な美声でゆるぎないユダヤ教徒を演じる。アビガイッレのアンナ・スミルノワは澄んだ美しい声だが、演技に問題がある。フェネーナのヴェロニカ・シメオーニは安定している。

 そして、合唱が素晴らしい。黄金の翼の合唱のしなやかで強靭であることと言ったら。最後の音が美しいハーモニーのピアニシモでしばらく続く。

 演出はアンドレアス・ホモキ。現代的な服を着ているが、特に違和感はない。新し解釈は特にないと思うが、音楽に寄り沿っていて特に不満はない。ファビオ・ルイージの指揮は繊細にしてしなやか。申し分ない。

 

ロッシーニ 「アルミーダ」201511月 フラーンデレン歌劇場

 この映像をみるのは二度目。歌手陣については文句なし。アルミーダのカルメン・ロメウがとてもいい。体当たりの歌と演技で妖艶でエロティックなアルミーダを造形している。リナルドのエネア・スカラも、ちょっと低音に無理のある部分もあるが、全体的な高貴な歌唱と見事な容姿でこの役にぴったり。そのほかの歌手陣も見事。高い声のテノールの競演という趣があり、聴きごたえがある。

 ゼッタの指揮も躍動感があってとてもいい。ただマリアーメ・クレメントの演出についてはなんだかよくわからない。舞台は現代の競技場で、戦場の英雄を競技場の英雄に置き換えているようだ。つまり、古代の魔女アルミーダの話ではなく、妖艶な女性の虜になってしまったスポーツ選手の物語になっている。私には矮小化としか思えない。

 

ロッシーニ 「ブルゴーニュのアデライーデ」20118月 ペーザロ・ロッシーニ音楽祭

 とても充実した上演だと思う。堪能できた。王である夫を殺され、王国を敵に奪われた王妃が、敵将に妃になることを強いられるが、救いにきた英雄によって救われ、その英雄と結ばれる・・・というありがちなストーリーだが、音楽も充実。なかなか楽しめる。

 上演も見事。特に、オットーネのダニエラ・バルチェッローナとアデライーデのジェシカ・プラットが素晴らしい。バルチェッローナは相変わらずの迫力ある声と容姿。英雄役のメゾ・ソプラノはこの人に勝る人はいないと思う。太くてしっかりした声が申し分ない。プラットも可憐で芯が強い。そのほか、アデルベルトのボグダン・ミハイも切れの良いハイテノールが心地よい。こんなに痩せたオペラ歌手は珍しいので、それもこの人の長所だろう。ベレンガリオのニコラ・ウリヴィエーリもしっかりした美声で、容姿的にも申し分ないが、ちょっと低音に不安定なところがあったように思う。

 ボローニャ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団を指揮するのはドミトリー・ユロフスキ。ヴラディミール・ユロフスキと血縁関係があるのだろうか。勢いのある正統的な演奏だと思う。私は大いに共感を覚える。演出もわかりやすくて美しい。

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関西旅行  ~~ B級グルメ、ロートレック、なんば花月、美濃吉

 大阪で一つ二つのちょっとした用があったので、合間に観光をしようと、20222017日から19日にかけて関西小旅行をしてきた。8月に妻を亡くしてから初めての遠出。精進落としの旅とでもいうか。

 初日(17日)は娘と行動を共にして食べ歩きを敢行。大阪の四ツ橋地区に宿をとったので、ミナミで大阪らしものをたらふく食べようと相談して、昼は、「ゆかり千日前店」でお好み焼き、夜は、「串かつ だるま心斎橋店」で串かつ。18日の昼は鶴橋まで足を伸ばして「牛一」本店で焼肉。実にうまい。お好み焼きと串かつはまさにB級グルメだと思うが、大阪に食の文化の豊かさに改めて驚嘆。二人でたらふく食べても、財布はあまり痛まない。それにも驚く。

 さすがに食べるだけだと旅行としては寂しいので、18日の午前中、国立国際美術館に行ったら、なんと休館。が、すぐ近くにある中之島美術館は空いており、そこでは「ロートレックとミュシャ展」が開かれていた。ラッキーだった。

 私はミュシャにはあまり関心がないが、ロートレックには以前から惹かれていた。ムーラン・ルージュのけだるさと哀歓が大胆な構図からほとばしっているのを感じる。音声案内でもサティの音楽がときどきバックにかかっていたが、まさにサティと同じような雰囲気を感じる。日本で言えば、永井荷風とも同じようなものを感じる。夜の仕事をする人々に寄り添い、その欲望と絶望をじっと見つめている。かなりたくさんの絵画やポスターが展示されていた。とても楽しめた。

 18日に娘は帰ったので、19日は一人で行動。午前中に、前売り券を購入していたなんば花月で吉本のお笑いをみた。こう見えて、私は子どものころから、お笑いが大好き。ひところは新宿の末広亭に通っていたし、テレビで漫才があるとほとんど欠かさずみている。

 アインシュタイン、そいつどいつ、ミルクボーイ、月亭八方、ザ・ぼんち、タカアンドトシ、中川家。どれもおもしろかった。笑い転げた。

 とりわけ、ミルクボーイのラジオ体操ネタは最高だと思った。私は、M1グランプリの「コーンフレーク」と「もなか」に笑い転げて以来のファンで、その後、ユーチューブなどで追いかけてかなりのネタをみた。どれもおもしろかったが、今回のラジオ体操は別格。「コーンフレーク」以上におもしろい。

 アインシュタインもタカアンドトシも中川家も素晴らしかったが、意外にも、それに劣らぬくらい、もしくはそれ以上に面白かったのが、ザ・ぼんちだった。漫才ブームのころも、そして、再結成した後も、私はテレビでこのコンビを見てきたが、ぼんちおさむの「馬鹿さ」がシュールな域にまで達して、そのころよりも今回はおもしろかった。錦鯉の長谷川の馬鹿さもおもしろいが、それを超えていると思った。

 新喜劇にも笑い転げた。この荒唐無稽でハチャメチャで、あちこちつじつまが合わず、ナンセンスなギャグのつぎはぎであるのに、それが笑いを引き起こす。これはこれですごい文化だと思った。テレビで見ていると、「なんで大阪の人はこんなばからしいものが好きなんだろう」と思うが、実際に舞台を見ると、私も一緒になって笑い転げている。いやー、大阪の文化たるやすさまじい!

 午後は大阪の街をぶらぶらと散策。疲れたので、京都に移動。

 関西に来るからには、京都駅前の新阪急ホテル内の美濃吉で食べないわけにはいかない。大阪でB級グルメを堪能したが、やはり京料理はそれとは一味違う。最後は奥の深い京料理を食べたい。私は京都産業大学で仕事をしていたころから、この店のファンだ。

 少し早く着いたので、京産大で仕事をしていたころに寝泊まりしていたマンションを見に行った。当時、京都に腰を落ち着けようかと考えて、妻とともに家具をそろえ、あれこれと計画していた。妻を思い出したので、東本願寺まで足を伸ばして、「南無阿弥陀仏」を唱えた。

 美濃吉は先代の料理長のころからのファンだが、今も実においしい。土瓶蒸しはさすがのおいしさ。そして、私は何よりもこの店の「白みそ仕立て」が絶品だと思う。これが食べたくて、この店に寄る。じつにうまい。松茸ご飯もうまい。これぞ和食の奥深さだと思う。

 B級グルメ、ロートレック、なんば花月、美濃吉、すべてに満足。良い旅だった。

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ひばり弦楽四重奏団のベートーヴェン 晦渋な音楽の中の平明な魂

 20221011日、HakujuHallでひばり弦楽四重奏団のベートーヴェン全曲演奏会大6回を聴いた。ひばり弦楽四重奏団は日本を代表するソリスト漆原啓子、漆原朝子、大島亮、辻本玲が結成した弦楽四重奏団。今回の曲目は、前半にドヴォルジャークの弦楽四重奏のための「糸杉」から5曲とスメタナの弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」、後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番(「大フーガ」のつかないヴァージョン)。

 このプロジェクトの第5回のコンサートを6月に聴いて、とても感銘を受けて、今回も出かけたのだった。

 ドヴォルジャークについては、この作曲家らしいしみじみとした情感が現れていてとても共感が持てた。スメタナに関しては、たぶん私は今回初めて聴いたような気がする。まったく覚えがなかった。親しみやすいメロディがいくつも出てきたが、どうも私にはよく理解できなかった。もう少し予習していけばよかった。

 ベートーヴェンの13番の弦楽四重奏曲については、とてもよかった。とりわけ、最後の2つの楽章が素晴らしいと思った。近年、鋭く切り込んで激しく躍動する演奏が流行しているが、ひばり弦楽四重奏団はもちろんそのような方向は取っていない。だが、かといって、昔ながらの穏やかな演奏でもない。むしろ、ヒステリックに切り込むのを避け、魂の奥にまで届くような本質的に鋭い音を作り出そうとしているように聞こえた。そして、無理やり晦渋にするのでなく、平明な音楽を心掛けているように思えた。一見、晦渋に思える音楽の中から平明な魂が立ち上ってくるのを感じた。

 ただ、私の聴き方に問題があるのか、第3楽章までは、演奏家たちはまだ完全には心があっていないでいるように思えた。第5楽章カヴァティーナあたりから、全員の心がぴたりと合って、一つの魂を歌っているようだった。そして、最終楽章は生き生きとして躍動。ベートーヴェンが最後にたどり着いた軽みのある明るい世界に思えた。素晴らしかった。

 アンコールは、ドヴォルジャークの「糸杉」の中から、最初に取り上げられなかった1曲。やはりドヴォルジャークは美しい。

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カヴァコスのバッハの無伴奏曲 至高の音楽!

 20221010日、紀尾井ホールでレオニダス・カヴァコスのバッハ無伴奏ヴァイオリン曲全曲演奏の2日目を聴いた。曲目は、無伴奏ソナタ第1番とパルティータ第2番、パルティータ第2番。

 素晴らしい演奏! 魂の動きそのものが表現されたかのような音楽だと思った。ときどき、ミスをするのだろう。かすれたような音が出る。だが、それも含めて魂の表現になしていく。孤高の世界という表現がぴったりだろう。気高く、鷹揚で自由。一種、達観したかのような世界。従来のバッハのように堅苦しくない。端正な表現だが、折り目正しいわけではなく、自由で遊びの精神すら感じる。猛烈な速さで引きまくる個所もあるが、それもまた魂の高揚であったり、飛翔であったりする。細身の音程の良い音がびしっと決まってクリアでありながら、まさに自由。そのような音で人々を高見の世界にいざなう。

 しかも、音楽の組み立てが極めて理にかなっているのを感じる。シャコンヌなども、徐々に高まり、繰り返し、広がり、縮まり、飛翔し、移動していくのがとてもよくわかる。そして、音楽と同時に聴く者も同じように広がったり飛翔したりする。なんという至高の音楽であることか! 

 アンコールもバッハの無伴奏曲。いずれも素晴らしい。観客も見事だった。どの曲も、曲が終わってもすぐには拍手が起こらず沈黙が続いた。たぶん、最後のアンコール、ソナタ第2番のアンダンテを弾く前、カヴァコスが英語で「拍手しないで沈黙を守ってくれ」といったように思った(私の英語力では、席が後ろの方だったせいもあって、あまり自信がない!)が、やはり拍手が起こった。本当に「拍手しないでくれ」と言われたかどうか自信がないので、私も拍手した。

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ストラディヴァリウス・コンサート ちょっと行儀のよすぎる演奏

 2022108日、サントリーホール・ブルーローズで「ストラディヴァリウス・コンサート 2022 」を聴いた。

 日本音楽財団が所有するストラディヴァリの楽器による演奏。演奏するのは、ゴルトムント・クァルテット。曲目は前半にウェーベルンの弦楽四重奏のための緩徐楽章とメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第4番、後半にプッチーニの弦楽四重奏曲「菊」とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番。

 残念ながら、私はストラディヴァリウス・セットを聴き分ける耳を持っていないようで、ほかの楽器との違いはよくわからなかった。

 ゴルトムント・クァルテットについては、とてもきれいな音でアンサンブルもそろっているのだが、行儀のよい演奏というレベルにとどまっていると思った。もちろん、悪い演奏ではないが、私は強い魅力は感じなかった。

 メンデルスゾーンの第4番は名曲の一つだと思う。だが、もっと旋律を強調するのか、それとも弦の絡み合いを強調するのか、メンデルスゾーンをどうとらえているのか、演奏からはうかがい知ることができなかった。それをもう少し明確にすることで、この曲の魅力をもっと引き出せたと思う。

 ベートーヴェンの第6番についても、この捉えどころのない面を持つ曲を、どのように演奏しているのか、私にはよくわからなかった。中途半端なままで終わった気がした。もっと演奏者の解釈を明確にしてほしいと私は思った。

 客層も、私がよく出かけるコンサートと少し違うような気がした。何人も演奏が始まったとたんに眠り始める客がいた。私の斜め前に座っていた高齢の女性は、帽子をかぶったままで、前から2列目なのに、音を立てながらオペラグラスを何度も取り出し、身を乗り出して演奏者をみていた。確かに、演奏者の数人はかなり「イケメン」。もしかして、イケメン目当ての客もいたのだろうか。

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ラトル&ロンドン響のブルックナー7番 ちょっと期待外れ

 2022105日、サントリーホールでロンドン交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はサイモン・ラトル。曲目は前半にシベリウスの交響詩「大洋の女神」と「タピオラ」、後半にブルックナーの交響曲第7番。

 シベリウスの曲が始まったとたん、弦楽器のあまりに美しい音色にしびれた。日本のオーケストラではなかなか出せない音だと思う。木の味わいがあり、音の肌触りがある。北欧の冷気のような雰囲気も味わえる。両方の交響詩とも、私は何度かCDで聴いたことがあるが、あまりおもしろい曲だとは思わない。ただ、こうして聴くと、シベリウス特有の音色に惹かれる。音の美しさに酔う。ラトルはそれを的確に表現する。さすが!

 後半のブルックナーも、音そのものは素晴らしいと思った。冒頭のトレモロも美しい。弦楽器の質感のある音もいいし、金管もしっかりした音。盛り上がるところはしっかりと盛り上がる。だが、私はかなり違和感を覚えた。少なくとも、私の好きなブルックナーとは程遠い。

 この頃では宗教的で宇宙的なブルックナーはあまり好まれないようだし、そもそもラトルがそのようなブルックナーを演奏するとは思えないので、初めからそれは求めていなかった。しかし、新しい説得力あるブルックナー像を示してくれるかと思っていたら、それを感じなかった。

 そして、何よりも構築性を感じなかった。ラトルのことだから行き当たりばったということはないのだろうが、私の耳にはそのように聞こえる。がっちりした構築性がなく、浮足立ち、流動する。だから、第3楽章のスケルツォなどはとても躍動的で魅力的なのだが、そのほかの楽章では、足元が定まらないので、楽曲全体が揺らいでいる感じがする。ブルックナーでそのようになると、高揚しなくなり、魂の爆発が起こらない。

 そんなわけで、とても魅力的な個所もところどころあり、とても感動した部分もあるのだが、全体的にはブルックナーの魅力を存分に味わうことなく終わってしまった。

 ラトルのブルックナーは私の求めるブルックナーではなさそうだというのが、今日、聴いての結論だ。

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尾高&バンゼ&新日フィルのシュトラウスを堪能!

 2022103日、サントリーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮は尾高忠明。曲目はすべてリヒャルト・シュトラウス。前半に初期の作品「セレナード 変ホ長調」と最晩年の「四つの最後の歌」、後半に交響詩「英雄の生涯」。

「セレナード」は管楽器の中に1台だけコントラバスが加わるという編成。なぜコントラバスが含まれるのか、よくわからなかった。これまでCDで何度か聴いたことがあったが、ミミだけではコントラバスの音には気づかなかった。いや、それどころか、今回もコントラバスが演奏されていることは視覚的には確かめられたが、音ははっきりと認識できなかった。いずれにせよ、あまり名曲とは思わなかった。

「四つの最後の歌」を歌うのは、ユリアーネ・バンゼ。私は録音や映像で何度か聴いたことがあるので大いに期待していたが、まさに期待通り。ただ、あまりきれいな声とは言えないかもしれない。むしろ、「スッピン」の声とでもいうか。化粧なし、飾りなしに、生のままの声を出している雰囲気がある。オペラ的にベルカントで歌うというよりも、語るように、化粧っ気のない声で歌う。それが素晴らしい。死を前にした諦観、生と死への思いが深い思いを込めながら歌われる。生の声であるがゆえに官能的でリアルに感じる。何度か感動に震えた。これはリートの一つの歌い方の典型だと思った。素晴らしい。

 第3曲「眠りにつくときに」のヴァイオリン・ソロをコンサート・マスターの崔(チェ)さんがとても官能的に弾いて、歌と見事に合致した。オーケストラも官能的で色彩的で、見事にシュトラウスの世界を作り出した。

「英雄の生涯」も、マエストロ尾高らしい、丁寧でしなやかでツボを得た演奏だった。こけおどしがまったくなく、自然に音楽が流れる。細部までしっかりとコントロールできているのがよくわかる。ここでも崔さんのヴァイオリンが実に官能的。そして、音楽が高まるところで見事に高まり、しっかりと盛り上がりを作る。構成感もしっかりしていて、音楽が立体的に出来上がっていく。とても見事だと思った。

 ただ、やはりオーケストラの音が、きっと理想的ではないのではないのかとは感じた。音楽が素晴らしく高揚しているのだが、どうも音がクリアに響かない。あと少しの音の威力がほしいと思った。

 とはいえ、とても満足。セレナードでは若きシュトラウスの心を聴くことができ、「四つの最後の歌」では、シュトラウスらしい色彩的なオーケストラとバンゼのリアルな歌を聴くことができた。「英雄の生涯」では尾高指揮の力感にあふれ、知的で繊細な音を味わうことができた。シュトラウスを満喫できた。

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拙著「私は怒っている」発売

 拙著「私は怒っている」(バジリコ)が発売になった。帯にある通り。

70代、日々の生活は理不尽なことばかり。とかくこの世は腹立たしい」ということを書いている。「小論文指導のオーソリティにしてベストセラー作家ヒグチ先生がソンタクなしで書き下ろした、一読三嘆のスーパーエッセイ」という名物編集者に手になる売り文句もついている。

 そのように思っていただけると、うれしい。私としては、それなりに力を入れたエッセイ集だ。

 政治的なことについても、もちろん怒りはある。ウクライナ、国葬、欧米の選挙などなど。しかし、そのような大きな問題については書いていない。まさに日常の些細な出来事への個人的な怒りのみを書いている。

 どの年代の方にも共感してもらえる部分、反発を覚える部分があると思う。多くの人に読んでいただけると嬉しい。

https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AF%E6%80%92%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E8%A3%95%E4%B8%80/dp/4862382517/ref=sr_1_1?crid=39BOM2N7DK134&keywords=%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E8%A3%95%E4%B8%80+%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%B3&qid=1664490328&s=books&sprefix=%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E8%A3%95%E4%B8%80%2Cstripbooks%2C194&sr=1-1

 

 実を言うと、永井荷風の「断腸亭日乗」のようなものを書きたいと思って書き始めたのだったが、やはりそうすると、改めて荷風の偉大さを思い知るばかりだった。が、まあ、荷風とは比べようもないが、私らしい文章には、ともあれなっているだろう。

 ただ、コロナ禍のため、三密での行動、飲食、旅行などを書けなかったのが残念。狭い範囲の怒りになってしまった。

 今は亡き妻の様子を描いた部分がある。本書の発売時にすでにその妻がいなくなっているとは思ってもみなかった。感慨を覚えずにはいられない。

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