ラトル&ロンドン響のブルックナー7番 ちょっと期待外れ
2022年10月5日、サントリーホールでロンドン交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はサイモン・ラトル。曲目は前半にシベリウスの交響詩「大洋の女神」と「タピオラ」、後半にブルックナーの交響曲第7番。
シベリウスの曲が始まったとたん、弦楽器のあまりに美しい音色にしびれた。日本のオーケストラではなかなか出せない音だと思う。木の味わいがあり、音の肌触りがある。北欧の冷気のような雰囲気も味わえる。両方の交響詩とも、私は何度かCDで聴いたことがあるが、あまりおもしろい曲だとは思わない。ただ、こうして聴くと、シベリウス特有の音色に惹かれる。音の美しさに酔う。ラトルはそれを的確に表現する。さすが!
後半のブルックナーも、音そのものは素晴らしいと思った。冒頭のトレモロも美しい。弦楽器の質感のある音もいいし、金管もしっかりした音。盛り上がるところはしっかりと盛り上がる。だが、私はかなり違和感を覚えた。少なくとも、私の好きなブルックナーとは程遠い。
この頃では宗教的で宇宙的なブルックナーはあまり好まれないようだし、そもそもラトルがそのようなブルックナーを演奏するとは思えないので、初めからそれは求めていなかった。しかし、新しい説得力あるブルックナー像を示してくれるかと思っていたら、それを感じなかった。
そして、何よりも構築性を感じなかった。ラトルのことだから行き当たりばったということはないのだろうが、私の耳にはそのように聞こえる。がっちりした構築性がなく、浮足立ち、流動する。だから、第3楽章のスケルツォなどはとても躍動的で魅力的なのだが、そのほかの楽章では、足元が定まらないので、楽曲全体が揺らいでいる感じがする。ブルックナーでそのようになると、高揚しなくなり、魂の爆発が起こらない。
そんなわけで、とても魅力的な個所もところどころあり、とても感動した部分もあるのだが、全体的にはブルックナーの魅力を存分に味わうことなく終わってしまった。
ラトルのブルックナーは私の求めるブルックナーではなさそうだというのが、今日、聴いての結論だ。
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