12月も半ばを過ぎた。今年もあとわずか。ある意味で情けないと思うのだが、つい大量の音楽ソフトやら映画ソフトやら本やらを購入、テレビの放送も録画して、それを追いかけてみるのに必死になっている状況だ。まるでノルマをこなすような感じでオペラをみている気分になる。が、もちろん、みている間は、大いに心動かされる。
何本かオペラ映像をみたので感想を記す。
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」2007年7月29日、8月1,6日 グラインドボーン歌劇場
以前にみたことのあるソフトだが、今回、ブルーレイディスクが販売されていると知って購入。
なにはともあれイゾルデを歌うニーナ・シュテンメ(あるいは、ステンメ)が圧倒的に素晴らしい。張りのある美声で、気品があり、節度がある。トリスタンのロバート・ギャンビルも決して悪くないが、シュテンメと歌うと力量の差がはっきり出てしまう。シュテンメは、演技も見事。気位の高い、しっかりとした王妃を演じている。ギャンビルはちょっとよくわからないトリスタン像。
マルケ王のルネ・パーペはさすが立派な王様! ブランゲーネのカタリーナ・カーネウスは従順な侍女、クルヴェナールのボー・スコウフスは一本気の家臣を見事に歌う。
イルジー・ビエロフラーヴェクの指揮は緻密で繊細で知的。従来のワーグナー演奏とはかなり息遣いのようなものが異なる。初めのうち、私は少々違和感を抱いた。だが、さすがビエロフラーヴェクというべきか、ぐいぐいとドラマの世界に巻き込んで、聴くものを納得させるだけの力を持っている。演出はニコラウス・レーンホフ。昔、「ニーベルンクの指輪」の演出で見た覚えがあるような円環状のものが現れ、その簡素な背景の中で物語が展開する。男たちが甲冑姿で現れる。近年では珍しい台本の時代に忠実な演出といえそう。
ダルベール 「低地」 2006年、チューリヒ歌劇場
ダルベールの「低地」というオペラについては、音楽関係の本を読んでいるとしばしば出くわすし、CDは聴いたことがあった。DVDが以前から発売されていることに気づいて購入した。
とても充実した上演だと思う。演奏的には、まったく文句なし。ダルベールのオペラそのものもとてもおもしろい。山育ちの貧しいペドロは、村の支配者セバスティーノから妻としてマルタを与えられて喜ぶが、実は、セバティアーノは政略結婚をするために、自分の愛人のマルタをペドロに便宜上与え、その実、愛人関係を続けるつもりだった。しかし、ペドロとマルタが心から愛しあうようになり、ペドロは、邪魔をしようとするセバティアーノを殺す。そんな物語だが、手際よく話が進み、音楽もちょっとワーグナー風。最後には、私は大いに感動してみた。
ペドロのペーター・ザイフェルトはさすがの歌唱。マルタのぺトラ・マリア・シュニッツァーも揺れ動く女心をみごとに歌っている。二人とも設定された年齢よりもずっと年上であり、現代のリアルな服装をしているので、映像で見ると違和感をぬぐえないが、それを言っても仕方がなかろう。セバスティーノのマティアス・ゲルネもしっかりした声と邪悪な眼光で見事に悪役を演じている。
指揮はフランツ・ウェルザー=メスト。このオペラについてほとんど無知なので批評めいたことは何も言えないが、じわじわと各登場人物の思いを描きだして、とてもいい。
演出はマティアス・ハルトマン。こんなめったに上演されないオペラまでも読み替え演出をしているのにあきれる。山岳部で暮らすペドロが、低地の村にやって来て、息苦しさを覚え、再び「上」に戻ろうとする、というのがこのオペラのテーマだと思うが、普通に描けば、それがしっかりと感動的に描けるだろうに、舞台を現代の無機質なオフィスにとり、山岳地方をどうやら人々の脳内幻想として描いているようだ。なんだかよくわからないが、からだに電極をつけての人体実験のようなことが舞台上で行われ、背後の映像に山岳部が映し出される。変にいじくって意味不明な噴飯ものにするのはやめてほしいと切に思う。
スメタナ 「売られた花嫁」 1982年4月 ウィーン国立歌劇場
マジェンカをルチア・ポップが歌い、ハンスをジークフリート・イェルザレムが歌う往年の名舞台。ドイツ語による歌唱。VHSだったかLDだったか、この映像はかつてみた覚えがある。今みても、とてもおもしろい。
往年の名歌手たちの歌は最高度に充実している。ポップの独特の美しい声とかわいらしい歌いまわしが魅力的だ。いやあ、今更ながらポップは本当に素晴らしい歌手だった(三十数年前、息子の手術日と重なっために、バイエルン国立歌劇場の「アラベラ」来日公演を見られなかったのが、私の人生の心残りの一つだ!)。 イェルザレムも声の輝きには欠けるとはいえ、自在に歌って、この役になりきっている。私は実演を含めて、この人がワーグナーのいくつかの役を歌うのを聴いているが、とてもいい歌手だ。過小評価されていると思う。ケチャル役のカール・リッダーブッシュも実に楽しい。悪役になりきれない道化的な敵役を自在な美声で見事に歌っている。知的障害があって吃音のヴェンツェルの役をハインツ・ツェドニクが歌っているが、これが実にいい。滑稽だが、内気で純粋な愛すべき青年になっている。ツェドニクもオペラ界の偉大なバイプレーヤーだと思う。今回初めて思ったが、イェルザレムとツェドニク、外見がとてもよく似ている。異母兄弟の役にピッタリ。
カーテンコールの際、どうもイェルザレムに対して一部からブーイングがなされているようだが、どうしたことだろう。十分に素晴らしいと思うのだが。
指揮は若きアダム・フィッシャー。とてつもなく切れのよい音で切り込んでいく。序曲からして、信じられないほどの切れ味。ただ、録音のせいかもしれないが、合唱がちょっと雑なためか、音がうまく合わないところがある。
演出はオットー・シェンク。この演出家らしくきわめてオーソドックスだが、これがまたとても楽しい。チェコの片田舎はきっとこうだっただろうと思われるとおりの舞台が繰り広げられる。合唱団は、先ほど言った通り、ちょっと粗いが、演技については舌を巻く。村人たちになりきって、歌い、踊り、主人公たちを支えている。
もっと上演されていいオペラだと思う。私は、「わが祖国」などより、このオペラの方がずっと好きだ。
プーランク 「人間の声」2021年 パリ、ロンドン NHK BSプレミアムで視聴
ダニエル・ドゥ・ニースが「彼女」を演じる。ジェームス・ケントの演出、英国ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団、指揮はアントニオ・パッパーノ。
ドゥ・ニースの歌唱と演技に引き込まれる。なんという演技力! まさにこれを迫真の演技というのだろう。私はこれまで、もう少しプライドを保とうとしてやせ我慢をしながら、それが徐々に崩れていくモノオペラとしてこれをとらえていたが、今回の演出では、女は表面を取り繕って弱みを見せようとしないのではなく、最初から必死の形相で訴えかける。それはそれで説得力がある。これを可能にしたのは、まさにドゥ・ニースの歌と演技の力だろう。パッパーノも躍動感にあふれている。プーランクの「カルメル派修道女との対話」のギロチンの場面のような緊迫感にあふれている。
プッチーニ 三部作(「ジャンニ・スキッキ」「外套(とう)」「修道女アンジェリカ」)2022年8月5・9・13日 ザルツブルク祝祭大劇場 NHK BSプレミアムで視聴
プッチーニは苦手な作曲家なので、放送されると知ってはいたが、一応は録画しておくにしても、すぐにみるつもりはなかった。ところが、録画後、冒頭を再生してみると、なんと、三部作の三つのヒロインをアスミク・グリゴリアンが一人で歌っているというではないか。今、私が最も好きな歌手と言えば、まちがいなくグリゴリアンだ。サロメ、クリソテミス、ゼンタ、イェヌーファ、ルサルカを映像でみて、その圧倒的な歌唱に引き込まれた。先日は、東響のコンサート形式の「サロメ」で初めて実演を聴いて、改めて驚嘆。まれに見る名歌手だと思った。プッチーニであっても、ともあれみてみることにした。
私はザルツブルク音楽祭でネトレプコの「ラ・ボエーム」をみてもプッチーニには感動できなかったのだが、グリゴリアンの「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタ、「外套」のジョルジェッタ、「修道女アンジェリカ」をみると、これは感動しないわけにはいかない。清純で輝きのある強い声、しかも、下町のうぶな娘、夫と心を通わせられなくなって夫を裏切る女、子供の死を知り絶望する貴族出身の修道女を見事に演じる。オペラ全体に引き込まれた。
フランツ・ウェルザー・メストの指揮するウィーン・フィルも、あまり感情移入しないドラマティックな音で支える。こんな音楽だったら、プッチーニも悪くない。クリストフ・ロイの演出で、グリゴリアン以外の歌手たちも実に適役。若くて細身で美しいグリゴリアンが登場したことで、オペラがリアルになった。かつてのように、目に見えている歌手たちの外見を頭の中で若い美男美女に変換する必要がなくなった。この功績もまた大きい。そうであるがゆえに、ロイのリアルな演出も生きる。
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