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「寒い国のラーゲリで父は死んだ」感想

 基本的に、私はこのブログには書物についての感想は書かないことにしている。今では私はかつてほどの読書家ではないが、小論文指導に必要な書物は日常的に目を通すし、文学作品やミステリーも読む。月に10冊以上はコンスタントに読んでいるだろう。しかし、私の場合、読書体験は企業秘密に属するので、ここには書かない。

 が、山本顕一(ここではあえて呼び捨てにさせていただく)の「寒い国のラーゲリで父は死んだ」(バジリコ 12月22日発売)については、ひとこと語りたくなった。

 この著者は私の大学院時代の恩師のひとりであり、実話に基づく映画「ラーゲリより愛を込めて」の主人公・山本幡男のご長男でもある。映画の中でも、何度か、顕一は登場する。その著者が、父・幡男のこと、ご自身のこと、ご自身と父親との関係について赤裸々に語ったものだ。

 全体を貫くテーマは父・幡男との相克だ。戦争にとられる前、幡男は家庭では陰気で強権的であって、顕一はそんな父を嫌悪していた。ところが、父は捕虜となり、シベリアに抑留され、過酷な状況の中、高潔なリーダーとして活躍し、偉大な足跡を残し、悲劇的な死を迎える。そして、あまりに劇的で、あまりに説得力のある、そして家族への愛にあふれた遺書が家族のもとに届けられる。遺書によって道義を尽くして立派に生きるように強いられた著者は反発しつつ、それに沿おうとするが、プレッシャーを感じ、しかも父親へのわだかまりを捨てられない。そして、人生に挫折し、苦しむ中で、父の偉大さを再認識し、素直に尊敬できるようになる。

 山本先生をよく存じ上げているためかもしれないが、私はハラハラしながら、そして共感しながら、ちょっとだけ読むつもりだったのが、やめられなくなって、最後まで一気に読んだ。幡男という人物についても、映画「ラーゲリより愛を込めて」やその原作となった辺見じゅんのノンフィクション「ラーゲリ 収容所から来た遺書」に描かれていない部分を含めて知ることができた。

 私が最も感銘を受けたのは、この山本家の人々の言葉への信頼ということだった。

 幡男はロシア語が達者で通訳をしながら、シベリア抑留の中でアムール句会を主宰して、優れた俳句を自ら作り、仲間たちに句作を促す。故国から遠くに離れても日本語を忘れず、そこに誇りを持つためだっただろう。第13章に紹介される幡男の句は、私のような素人にも、その研ぎ澄まされた感覚によって深い思いを描く名句であることがわかる。顕一の母親(つまり、映画では北川景子が演じる幡男の妻)のモジミという珍しい名前は、その父親が「文字美」を意識してつけたという。顕一はフランス語、フランス文学という言語の専門家であり、この著書からわかる通り見事な名文家だ。そして、本書の中でひときわ文学的な色彩を持つ第11章に語られる弟さんは経済学者で、不遇の中で見事な言葉をつぐんでいたことを著者は死後に発見する。

 そもそも私は辺見じゅんの「ラーゲリ 収容所から来た遺書」は、ドーデの「最後の授業」(母語の大切さを訴えた短編として以前から取り上げられてきたが、近年、知られるようになった通り、これには、そう単純には解釈できない様々な問題がある)以上に、母語の大切さを語る名作だと思う。幡男はロシア語の達人でありながら、日本語を大事にしてシベリアの過酷な状況の中、句会を主宰し、句を詠む。それに感化された仲間たちが、幡男の紡ぐ見事な言葉から成る遺書を暗唱して遺族に伝える。言葉を大事にし、言葉の中で生きた幡男の人生を描き出している。(映画「ラーゲリより愛を込めて」の中で、言葉に対する愛という、原作の最大のテーマと思われるものがカットされていたのは、まことに残念だと私は思う)。

 そして、本書「寒い国のラーゲリで父は死んだ」は、幡男の遺書を受け取った顕一が、その一つ一つの言葉を吟味し、それを言葉として乗り越えていく物語だ。第7章に書かれる渡辺一夫の思い出も、この日本を代表する知識人の言葉に惹かれる著者の思いにほかならない。顕一はきっと渡辺一夫の中にもう一人の父親を見出したのだろう。そして、父親に対してと同じように、渡辺一夫の言葉に対して葛藤する。

 同じ構図は、先ほど触れた第11章、「弟の屁」にも表れる。これは一つの文学作品として素晴らしい。優秀でありながら、「屁」の持病のために実力を発揮できない、社会的活動ができない苦しみ、その中での葛藤が、兄の目から、愛情を込めたクールさで描かれる。それを語る言葉に中身が詰まっている。

 考えてみれば、弟さんは、顕一以上のプレッシャーの中に生きたのだろう。偉大な父親、そして優秀な兄。弟さんの心の中では、顕一が、顕一における父と同じ役割を果たしている。しかも、その二重のプレッシャーの中で、まるで父・幡男と同じように、言葉を紡ぎながらも、悲劇的な癌による死を迎える。このような父の遺書の成就の仕方に著者はある種の羨望を抱いているかのようだ。

 山本先生は、偉大な父親の遺書のプレッシャーの中で生き、ご自分は父親に託されたことを何一つ成し遂げていないという思いを抱いているとおっしゃっている。東京大学で学び、大学教授として多くの学生を教えたこと、まさにフランス語という言葉を教え、言葉を大事にする平和な世界の大事さを教えたことそれ自体で十分すぎるほどに遺書に書かれたことは達成していると、私は思うのだが、ご本人はそうは思えないらしい。

 しかし、そうした心の迷い、父との相克をここに描いたことは、間違いなく父親の意志を最終的に立派に達成されたということだと思う。ここに書かれるのは、前世代から宿題を課されて、その中で悪戦苦闘した人々のかなり普遍的な葛藤を見事な言葉で描きつくしているのだから。

 単に、今、話題になっている映画「ラーゲリより愛を込めて」のスピンオフ的な書物としてではなく、一つの著作として、「寒い国のラーゲリで父は死んだ」は見事な作品だと思う。映画に惹かれた人も(そして、もしかしたら、それに物足りなく思った人も)、原作の「ラーゲリ 収容所から来た遺書」とともに、この「寒い国のラーゲリで父は死んだ」を読んでほしいと思う。

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