デニス・ラッセル・デイヴィス&京響の第九 スケールは小さいが素晴らしい演奏
2022年12月27日、京都コンサートホールでデニス・ラッセル・デイヴィス指揮、京都市交響楽団の第九特別演奏会を聴いた。私は東京都に住んでいるが、評判が関東にまで伝わっている京響がデニス・ラッセル・デイヴィスの指揮で第九を演奏するとあれば、聴かずばなるまいと思って出かけた。まあ、もちろん、それ以上に、少し旅をして気晴らしをしたいという思いもあったので、これを機会に関西に出かけようと思ったのだった(久しぶりに奈良を見物した)。
合唱団が入場。全員が口から下に布をたらしている。アラビアンナイトか何かの挿絵に出てくる踊り子のような扮装。コロナ対策だと思うが、それにしても! 全員がP席に座って、出番までじっと姿勢を正していた。あの姿勢で40分近くじっとしているのはきっとつらいだろうと同情した。先回りして言うと、ソリストたちは第3楽章の始まる前に登場。その時、拍手を防ぐためか、コンサートマスターが立ち上がって調音を始めた。
ちょっとスケールの小ささは感じたが、素晴らしい演奏だと思った。
何よりも丁寧な指揮ぶり。低弦が雄弁で重心が低く、音がしなやかで繊細。一つ一つの楽器の出だしを指示して、構成を明確にしながら音楽を進めていく。第1楽章は、繊細でしなやかな部分と激しく切り込んでいく部分のコントラストを明確にしようとしているのを感じる。ただ、京響の力量によるものなのか、激しい音が指揮者の思っている通りには出ていないのではないかと思える部分もあった。
第2楽章はスケルツォのメロディをフーガ的に積み重ねていく。確かにベートーヴェンはそのように作っているのだが、それをデイヴィスは強調しているように思えた。そのため、音楽が躍動していった。第3楽章はヴァイオリンの最初メロディがとても美しかった。コンサートマスターの泉原の功績によるのかもしれないが、ニュアンスに満ちた心の奥から湧き上がってくるような音の流れだった。弦のピチカートからの静かな盛り上がりも素晴らしかった。第4楽章は、声が出てくる前のレチタティーヴォにあたる部分がしっかりと整理されていた。歌手陣は充実していたが、とりわけソプラノの安井陽子が素晴らしかった。メゾ・ソプラノの中島郁子、バス・バリトンの山下浩司、テノールの望月哲也もとてもよかった。ただ、私の席のせいか、4人の声がうまく溶け合わないのを感じた。
京響コーラスは、口の前のマスクのせいか、やはり声がくぐもっており、私としては少々不満を覚えた。
全体的に、とても良い演奏であり、デイヴィスの音楽の作りにも納得できた。私は何度も感動に身をふるわせた。ただ、ちょっと爆発力は弱かった。合唱の布のせいもあるかもしれない。あと少しの爆発が欲しかった。そうすれば、もっと感動しただろうと思った。
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