オペラ映像「ビアンカとフェルナンド」「マヴラ・イオランタ」「コジ・ファン・トゥッテ」「リゴレット」
多くの人が、以前と比べて新型コロナウイルスに対して無防備になっている。だが、このところ、感染したという友人、知人の話を聞く。死者も増えているという。現在、私は一人暮らしなので、ここで感染すると面倒なことになる。気を付けたいと思っている。私は、親中国の人間(中国政府には賛成できないが、中国の多くの人々には尊敬と親愛の情を抱いている!)なのだが、中国からの感染拡大があるのではないかと思うと恐ろしい。危険なことにならないように願うばかりだ。
オペラ映像を数本みたので、簡単に感想を記す。いずれもコロナ禍の中の上演だ。
ベッリーニ 「ビアンカとフェルナンド」 2021年11月30日 ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場
このオペラに初めて接した。ベッリーニは嫌いな作曲家ではない。オーケストレーションはあまりに稚拙だが、それを補って余りあるほどの歌の凛とした美しさがある。だが、このオペラは、確かにいくつかの歌はとても美しいが、全体的には退屈極まりなかった。
まず序曲が私の耳にはあまりにひどく聞こえる。その後も、オペラ的な盛り上がりがない。まさに歌芝居でしかない。台本もよくない。ご都合主義的なストーリー、登場人物の心の動きも不自然。駄作とは言わないにせよ、少なくとも傑作ではない。
演奏も演出も、あまりレベルが高いとは思えなかった。ただ、数人の歌手はとても良かった。ビアンカのサロメ・ジチアはとてもきれいな声。フェルナンドのジョルジョ・ミッセーリも高音が美しい。カルロのアレッシオ・カッチャマーニも高貴な声でとてもよい。ただ三人とも、ちょっと声の迫力に欠ける気がする。フィリッポのニコラ・ウリヴィエーリは悪役のわりには声が出ていないために迫力がなく、ほかの脇役たちも精彩に欠けている。
そして何よりも、ドナート・レンゼッティの指揮するカルロ・フェリーチェ劇場管弦楽団に切れがなく、音楽が進んでいかない。合唱もかなり粗さを感じた。
ウーゴ・デ・アナの演出も、私には納得できなかった。地球をかたどったような半球形が舞台中央に置かれ、しばしばその中で登場人物が歌う。鏡やロープや光る球体などの意味ありげな小道具が出てくる。だが、そのすべてが意味不明。長い間幽閉されているカルロの腹に6本の弓が刺さったままになっており、助けに来たフェルナンドがそれを抜く場面など、いくらオペラにリアリズムを求める必要がないとはいえ、あまりの非現実的な状況に笑うしかなかった。
もっと質の高い演奏と演出だったら、このオペラの真価がわかったかもしれないが、これでは、やはりベッリーニの、あまり成功しなかったオペラとみなされても仕方がないと思ったのだった。
ストラヴィンスキー「マヴラ」+チャイコフスキー「イオランタ」 2019年7月 ミュンヘン、レジデンツ宮殿、キュヴィリエ劇場
不思議な上演。アクセル・ラニッシュという演出家のアイデアなのだろうか。室内アンサンブル版によって演奏され、まるで「ナクソス島のアリアドネ」でオペラ・セリアと笑劇が同時に上演される趣向なのと同じように、ストラヴィンスキーとチャイコフスキーの二つのオペラが交互に上演され、入り混じる。「マヴラ」のほうは歌手が着ぐるみを着て歌う。しかも、マヴラとイオランタが同じ服を着ている。
何やらいろいろと意味ありげな行為があり、台本にはない黙役の人物が登場するが、残念ながら私には意味がつかめなかった。いや、それよりなにより、イオランタは結局目が見えるようにならなかったようで、イオランタを愛するヴォーデモンは春琴抄の佐吉のように、自分の目をくりぬいて盲目になる。これにもいったいどのような意味があるのか、舞台をみているだけではわからない。
あれこれいじくりまわして意味不明にする目立ちたがり自己満足演出の典型。無理やり二つのオペラを合体させるのも、あまりに無茶苦茶。「二つのオペラをぶっ壊す気か!」と怒りたくなる。
演奏はかなりいい。アレフティーナ・ヨッフェという女性指揮者。ちょっとインパクトには欠けるが、丁寧で繊細な演奏。イオランタを歌うミリヤム・メサックがハリウッド女優並みの美形で声も清純でとてもいい。ヴォーデモンを歌う東洋系のロン・ロンという歌手もとても美しい声。そのほか、端役に至るまで全員が美声で、しかも外見的にもその役にふさわしい。
まあ要するに、演奏はいいけれど、演出が噴飯ものという、最近よくあるパターンの上演だと思う。
モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 2021年3月28日 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場
コロナ禍の最中の上演だろうか。無観客のようだ。そのせいか、もう一つピリッとしない演奏。
ズービン・メータの指揮はゆっくりと、一つ一つの音をくっきりと浮き立たせるように確固と進んでいく。少し前までのメータはさすがにこれほど遅くなかったような気がするが、あまりにゆっくり。弛緩しているというよりは、美しくてしっかりした音なので、これはこれでとても魅力的だ。だが、そのためか、初めのうち、ところどころで歌手たちとテンポが合わない。歌手たちの重唱も声がそろわない。細かいところでほんの少しずれる感じ。リハーサル不足なのだろうか。それに、このようにゆっくりしたテンポだと、このオペラにふさわしい躍動感に欠けてしまう。
歌手陣では、ドラベッラのヴァシリサ・ベルジャンスカヤがとてもいい。美しい声としっかりした歌いまわし。フィオルディリージのヴァレンティナ・ナフォルニツァも、魅力的な容姿も含めてとてもいい。デスピーナのベネデッタ・トッレはこの役にしては容姿も歌いっぷりも上品すぎるが、とてもチャーミング。
それに比べると、グリエルモのマッティア・オリヴィエーリとフェルランドのマシュー・スウェンセンは、少し不調なのか、声そのものはきれいなのだが、音程が怪しくなる。ドン・アルフォンソのトーマス・ハンプソンは、さすがの迫力ある声だが、以前のように完璧に声をコントロールできなくなっているようだ。男性陣の重唱ではきれいなハーモニーにならない。
演出はスヴェン・エリック・ベヒトルフ。今どき珍しく、登場人物は舞台となった時代と思われる服装をしている。目新しい解釈はないと思うが、わかりやすく、音楽の雰囲気をしっかりと舞台に反映している。
ヴェルディ 「リゴレット」 2021年9月16,24日 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス
全体的には、なかなかの上演であるとはいえ、大喝采を受けるほどずば抜けた上演ではないと思う。リゴレットのカルロス・アルバレスはなかなかの演技と歌なのだが、もう少し凄味がないとこのオペラの魅力が伝わらない。マントヴァ公爵のリパリット・アヴェティシャンも、かなり地味で、声の輝きも不足。これらの歌手陣の中で最も注目すべきは、ジルダのリセット・オロペサだろう。驚くほどの美しい声で高音を歌う。それはそれで素晴らしいのだが、どうも線が細い。そのため、歌が少し平板になっている。
アントニオ・パッパーノの指揮は躍動感にあふれ、ドラマティックな音を鳴り響かせるが、オーケストラのダイナミックな音に比べて歌手陣が非力なために、少し空回りして聞えてしまう。
演出はオリヴァー・ミアーズ。第一幕、第二幕ともに舞台の背景に大きな絵画が掲げられる。第一幕はティツィアーノのヴィーナス、第二幕は、カラヴァッジョ?(美術に疎い私は、この絵をよく知らない)。登場人物たちの構図もしばしば西洋名画のよう。どなたか美術に詳しい人に解説してほしいと思うほど。まさに芸術的な舞台なのだが、むしろこれもオーケストラの躍動感とかみ合っていない気がする。
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