ベルリン・ドイツ・オペラ「ニーベルングの指環」 これまた演奏はよいが、演出が!
我が家にとって暗黒の年であった2022年が終わり、新しい年になった。心機一転といきたいが、今年も心配なことがある。とはいえ、もちろん新たな希望もある。希望をもって一日一日生きていきたいと思っている。
年末年始にかけて、先日発売になったベルリン・ドイツ・オペラの「ニーベルングの指環」四作のブルーレイディスクをみた。簡単な感想を記す。
ワーグナー 「ラインの黄金」2021年11月9,16日 ベルリン・ドイツ・オペラ
ステファン・ヘアハイム演出、ドナルド・ラニクルズ指揮の「ニーベルングの指環」の序夜。ヘアハイムなので、もちろんかなり大胆な読み替え演出。
音楽が始まる前に、難民らしいカバンを下げた男女のみすぼらしい集団が舞台に登場する。舞台の真ん中にピアノがあり、一人(のちのヴォータンの役を演じるデレク・ウェルトン)がピアノの鍵盤をたたく。それと同時にワーグナーの音楽が始まる。難民と思われた人々が役になって歌いだす。舞台中央のピアノはまさに異界とつながる通路というべきもので、そこからさまざまな人物が登場してくる。
ラインの黄金として、三人の娘が守っているのは、黄金のトランペット。つまり、世界の至宝は「音楽」ということだろう。愛をあきらめたアルベリヒがその黄金のトランペットを権力の道具としての指輪に作る。しかも、アルベリヒは道化者のヒトラーのような扮装と演技。つまりは、ニーゲルンハイムはヒトラーのような独裁者アルベリヒに支配される世界であり、アルベリヒに無理やり黄金からさまざまな道具を作らせられるミーメはベレー帽をかぶったワーグナーの肖像画にそっくり。「権力に奉仕させられる音楽」という構図だろう。
ローゲはメフィストフェレスのように悪魔的な扮装で登場して、しばしばヴォータンにも逆らって行動。巨人族は純朴な労働者で、フライアはどうやらファーゾルトを愛していた様子。
演出意図はよくわからないが、ともあれ歌手陣の演技があまりに達者であり、音楽と動きがぴたりと合っているのは間違いない。とりわけ、ローゲのトーマス・ブロンデル、アルベリヒのマルクス・ブリュックが素晴らしい。ミーメのヤー=チャン・ファン、ヴォータンのデレク・ウェルトンも一つ一つの動きが様になっている。
音楽的にはとても満足できる。ラニクルズの指揮はきわめて知的で繊細でまったく緊張感が途切れない。おどろおどろしいところはなく、壮大さよりも繊細さを重視している。
ワーグナー 「ワルキューレ」 2021年11月10,17日
「ラインの黄金」と同じように、舞台中央にピアノがあり、難民らしい、バッグを下げた着の身着のままの男女の集団がしばしば現れる。
第一幕では、フンディングの子どもとみられる青年が黙役で登場。突然現れたジークムントに敵意を示すが、父であるフンディングに虐待されているために、ついにはジークムントの味方をして、二人の逃亡に手を貸す。しかも、この青年は、第一幕の最後でジークリンデの殺される! ピアノに刺さったノートゥングはジークムントがそれまでに何度か引き抜こうとしても抜けなかったのだが、ジークリンデが青年を殺した後で引き抜ける。どうやら、ジークムントとジークリンデの二人は、殺戮という行為をしてこそ英雄性を発揮できるということなのだろうか。
登場人物たちはしばしば「ワルキューレ」のスコアを手にして、それを広げる。自分たちの行動の意味を確かめるようにスコアを見ているかのようだ。第三幕、ヴォータンの告別の後、ピアノの下に身ごもったジークリンデが現れ、子どもを産む。そのまま、ワーグナーの格好をしたミーメが子どもを取り上げて連れ去る。ただ、こういう行動が示されると、せっかくのヴォータンの告別の感動が冷めてしまう。
音楽的にはきわめて充実している。ブリュンヒルデのニーナ・シュテンメは以前ほどの声の威力はないが、やはりしっかりした声。ヴォータンのイアン・パターソンはちょっと癖のある声で、あまり神様っぽくはないが、この演出には適している。フリッカのアニカ・シュリヒトは容姿、演技を含めて、この役にピッタリ。見事というしかない。フンディングのトビアス・ケーラーも小物の悪役を見事に演じている。
ジークムントのブランドン・ジョヴァノヴィチはちょっと粗い気がするが、しっかりと声が出ている。ジークリンデのエリザベト・タイゲは、見た目は少しルチア・ポップを思い出させる可愛らしさ。健闘はしているが、後半声に疲れが出ているのを感じる。
ラニクルズの指揮はきわめて知的で繊細。そして、「ワルキューレの騎行」の部分など、ダイナミックな表現もしっかりしている。私はとても気に入った。
「ジークフリート」 2021年11月12,19日 ベルリン・ドイツ・オペラ
ワーグナーの扮装をしたミーメ。そのアトリエにはトランペットなどの金管楽器がかかっている。「ラインの黄金」や「ワルキューレ」と同じように舞台中央にピアノが据えられて、そこから人物が登場する。登場人物はしばしばオーケストラの音楽に合わせてピアノを演奏する仕草をし、またしばしば「ジークフルート」のスコアを参照する。
さすらい人は「ラインの黄金」や「ワルキューレ」に登場する難民と同じような格好で登場。そして、ここでも難民の持つトランクが周囲に重ねられている。
ジークフリート役のクレイ・ヒーリーは少し声の馬力はなさそうだし、ちょっと細かい処理が粗い感じがするが、高貴な強い声で、声の面では大きな不満はない。ただ、外見的に英雄とかけ離れているのがつらい。さすらい人のイアン・パターソン、アルベリヒのジョーダン・シャナハン、ミーメのヤー=チャン・フアン、エルダのユディット・クタシ、ファフナーのトビアス・ケーラー、いずれも素晴らしい。そして、もちろんブリュンヒルデのニーナ・シュテンメはまさに別格。「ワルキューレ」では少し声が出ていないのを感じたし、この「ジークフリート」も始めのうちは声が出ていなかったが、徐々に調子を上げたようだ。
ラニクルズの指揮は説得力を増してくる。「ジークフリート」の第1・2幕は、きっと私だけでなく、多くの人が、どうしても退屈に感じてだれてくるところだと思うが、ラニクルズの演奏はまったくだれるところがない。緊張感にあふれている。
森の小鳥をボーイ・ソプラノ(セバスティアン・シェーラー)が歌う。音程が不安定だが、特有の雰囲気がある。小鳥という役なので、これでもいいのではないか。
「神々の黄昏」 2021年11月14,21日
あまりおどろおどろしくない。知的で分析的で、ちょっと明るめの音。しかし、切れ味が鋭く、ドラマティック。緊張感にあふれており、私としては音楽的にはきわめて満足。歌手陣もそろっている。
ブリュンヒルデのニーナ・シュテンメはまさに圧倒的。ジークフリートのクレイ・ヒーリーは、声を聴く分には大きな不満はない。ハーゲンのアルベルト・ペーゼンドルファーは少し声の威力はさほどではないが、奥行きのある悪役をうまく演じている。グンターのトーマス・リーマンはこの演出にふさわしい紳士的でしっかりした声、ヴァルトラウテのオッカ・フォン・デア・ダメラウも文句なし。
ただ、演出面では、最後になって種明かしがされるのかと思って期待していたのだが、判然としないまま終わってしまった。伏線だけたくさんあって、回収しきれなかったとの印象を抱いたが、それはもしかしたら、私が読み取れていないだけなのだろうか。
ここでも中央にピアノが据えられ、そこからさまざまな人物が登場する。異界と舞台をつなぐ装置としてピアノが使われている。ジークフリートは中世的扮装、ギービヒ家は現代の洗練された服装。ハーゲンはアルベリヒと同じような道化師のような化粧をして、ジークフリートを殺した後、ジークフリートそっくりの格好をする。ジークフリートの道化としてのハーゲンという位置づけなのだろう。
すべてが終わった後、コンサート会場のように中央にピアノが置かれており、掃除婦が箒をかけている。結局、何もなかったかのように。いつものコンサートの始まりでしかないように。
つまりこの四部作は、ワーグナー(=ミーメ)が神々の至高の宝を盗みだした独裁者に命じられて、性欲や権力欲などのいびつな欲望を経て音楽という形で作り出したもの、というメッセージなのだろうか。そして、難民という現代を象徴する存在がたびたび存在し、そのスーツケースが舞台で積み上げられているのは、結局、ワーグナーの音楽も、苦しみ彷徨う難民である現代人を救うには至っていないというメッセージなのか。
演奏的には、少しスケールが小さめではあるとはいえ、細かいところまで神経が行き届いて、緊張感にあふれていて素晴らしいのだが、演出は、結局、意味ありげなたくさんの動きがありながら、説明なしには多くの人に意味不明という、最近のよくある上演だった。
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