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オペラ映像「パリの生活」「友人フリッツ」「夢遊病の女」

 2023年も3月の末日になった。明日から4月になって、新しい年度が始まる。

 自宅で音楽を聴いたり、オペラ映像を見たりする時間が取れない。ほんの少し体調がよくない(大病ではない!)せいもあるし、事情があって、平日のほとんど毎日、保育園に、あと少しで3歳になる孫を迎えに行っているせいもある。孫と過ごすのはとても楽しく、生き返る気がするのだが、これがなかなか大変。自分の子どもたちが小さかったころ、猛烈に忙しくてあまり面倒をみられなかった(私は、20パーセントくらい参加したつもりだったのだが、亡妻は、「あなたの育児への参加はまったくゼロだった」と強く主張していた)ので、その分、孫の面倒を見ることでいくらか評価を取り返そうと思っている。

 そんな中、時間を見つけて、少しだけオペラ映像をみた。簡単な感想を記す。

 

オッフェンバック オペレッタ「パリの生活」(パラツェット・ブリュ・ザーネによるオリジナル復刻版) 20211223,27日 シャンゼリゼ劇場

 パラツェット・ブリュ・ザーネ(フランス・ロマン派音楽センター)によるオリジナル復刻版上演の収録だという。そのせいかもしれない。とても良い演奏で、歌手たちの歌も演技も見事なのだが、21世紀の日本人としては、あまり面白さを感じなかった。笑いを取ろうとしての大袈裟な演技、少々下品な化粧や仕草。上流の人々や召使たちのばか騒ぎ。しかも、役の年齢よりもずっと年上の主人公たち(もちろん、オペラなんてものは、50代、60代の歌手が10代、20代の役を演じるのが当たり前のものではあるが、オペレッタはもう少し役柄の年齢に近づけてほしい)。これがホンモノのオペレッタなのかもしれないが、ちょっとディープすぎるというか。

 ただ、やはりオッフェンバックの音楽は本当におもしろい。これほどあっけらかんとして楽しい音楽はほかにない。人生を知り、才能にあふれた作曲家の肩の力を抜いたお遊びの世界。そこに辛辣な社会観察が入り、人生の知恵が含まれる。「パリの生活」は傑作だと思う。

 ギャルドゥフのロドルフ・ブリアン、ボビネのマルク・モイヨン、ゴンドルマルク男爵のフランク・ルゲリネル、ゴンドルマルク男爵夫人のサンドリーヌ・ブエンディア、メテラのオード・エクストレーモ、いずれも文句なし。

 ロマン・デュマの指揮も溌剌としていて切れがある。とてもいい指揮者だと思う。

 まあ要するに、オッフェンバックのオペレッタはとてもおもしろいが、実際に上演すると、やはり退屈なところがたくさん出てくる…という、これまで何度も感じたことを改めて感じたというわけだ。しかし、「地獄のオルフェ(天国と地獄)」のほか、たくさんの傑作がある。何らかの工夫をしてどんどん上演されたら、どんなに楽しいだろう。

 

マスカーニ 「友人フリッツ」 202231,3日 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場、ズービン・メータ・ホール

 このオペラに初めて触れた。CDでも聴いたことがなかった。「カヴァレルア・ルスティカーナ」や「イリス」と同じように充実したオペラだと思うが、ドラマティックな展開ではないので、ヴェリスモ・オペラとしては少々物足りない。単に、独身主義者だった地主のフリッツが、田舎娘に恋して結ばれるというだけの話。シュトラウスの「インテルメッツォ」のように日常的な場面をオペラにしたいという意図があったのだろうか。

 歌手陣はきわめて充実。フリッツを歌うチャールズ・カストロノヴォはまさにこの役にピッタリ。上品でしなやかで余裕のある歌と演技。スゼルのサロメ・ジチアもとてもいい。ただ、素朴な田舎娘という設定にしては、妖艶な雰囲気のある美人なので、役柄的には少し違和感がある。ベッペのテレーザ・イエルヴォリーノ、ダヴィッドのマッシモ・カヴァレッティも音程がよくて演技も見事。リッカルド・フリッツァの指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団。もちろん、悪くない。

 ただ、ロゼッタ・クッキの演出については、どうも意図がわからない。舞台はアメリカに設定されているのだろうか? 台本ではアルザス地方にあるフリッツの屋敷であるはずの第一幕と第三幕の舞台は、どうやら近年(2、30年前くらい?)のアメリカっぽい雰囲気のパブ。そこの客たちのやり取りという設定になっている。そして、ジプシー娘のはずのピッピは男装し、フリッツの友人として登場。そういうヴァージョンがあるのだろうか。ダヴィッドは牧師ではなく、ふつうのネクタイ姿の紳士。地方色がなく、都会の片隅で行われた恋の顛末という話になっている。きっとこのオペラの魅力の一つが地方色だと思うのだが、それを完全に消している。

 カーテンコールで歌手陣は胸にウクライナ国旗の色のリボンをつけている。イタリアの音楽祭でこのような意思表示をするのは、悪いことではないだろ。

 

ベッリーニ 「夢遊病の女」 20093月 メトロポリタン歌劇場

 しばらく前に、ナタリー・デセイのCDDVD合わせて52枚のボックスを購入。CDを少しずつ聴いているが、今回はDVDをみた。

 他愛なく、しかも深みのないこの話をなぜベッリーニが作曲したのか、私にはどうにも納得ができないのだが、ともかく歌は美しい。しかも、この上演については、アミーナのナタリー・デセイとエルヴィーノのフアン・ディエゴ・フローレスに関しては、これ以上考えられないほどのすばらしさ。デセイの美声、テクニック、演技力、すべてに圧倒される。そして、フローレスの声の輝き、瞬発力のある美声にも驚く。さすがメトロポリタン劇場だけあって脇役に至るまで、容姿の面も含めてその役にピッタリで、まるで映画のようにリアルに話が進む。

 ただ、メアリー・ジマーマンの演出は、舞台の作りはいかにも豪華だが、アミーナの清純さも強調されないし、夢遊病だとわかる場面の納得感もない。メリハリのない演出といえるだろう。指揮はエヴェリーノ・ピド。あまり知らない曲なので、指揮について批評的なことは言えないが、私としてはまったく不満はない。

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クオクマン&金川&東響 金川のコルンゴルトの協奏曲の音色に驚嘆

 2023年3月25日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の名曲全集を聴いた。指揮はリオ・クオクマン、曲目は、前半にヴァイオリンの金川真弓が加わって、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲、後半に、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲とラヴェルのラ・ヴァルス。

 冒頭から、金川真弓のヴァイオリンの音に驚嘆した。まさにコルンゴルトの曲にピッタリの、深い思いのこもった官能的でロマンティックな音! ちょっと妖艶とさえ言えそうな音。この音色で、微細に繊細に、しかもダイナミックに心の奥をくすぐるような音楽を作り出していく。凄い! 金川真弓の名前は聴いていたが、こんな音色を出すヴァイオリニストだったとは!

 クオクマンの指揮も、細かいところまで気配りされており、ニュアンス豊かにコルンゴルトの世界を作り上げる。素晴らしい演奏だと思った。クリムトの官能的な絵画のような世界が展開された。クオクマンも初めて聴くが、素晴らしい指揮者だ。

「ばらの騎士」組曲も、しなやかで色彩的な響きだった。すべての楽器に指示を与えているのだろう、ニュアンス豊かに演奏された。しかもダイナミックに盛り上がり、リヒャルト・シュトラウスの豪華絢爛な世界が広がった。舞台はないが、私の頭の中では、マルシャリンやオクタヴィアンやゾフィーやオックス男爵が動いていた。それほどまでに再現力豊かにオペラを作り出してくれた。東響のメンバーもこの複雑な音楽を見事に再現し、濁りのない音を作り出していた。

 最後の「ラ・ヴァルス」もとても良かった。音でできた生物がオーケストラの中で生まれ、それがホール全体を動き回るかのよう。東響の響きも美しく、しなやか。ここでも、一つ一つの音が見事に重なり合う。クオクマンはメンバーを厳しくコントロールしているようには見えず、むしろメンバーは自由に演奏しているように見えるが、それぞれしっかりしたニュアンスを伝えている。これも素晴らしかった。

 このところ、コンサートに足を運んで、席がそれほど埋まっていないのを感じる。「ホフマン物語」「マニンガーのリサイタル」「N響メンバーの室内楽」はいずれも空席が目立った。今日も、これほど見事な演奏なのに、後ろの方はかなり空いていた。雨にもかかわらず町の人出は驚くほどなのに、クラシック会場は人出が少ないというのは少々寂しい。

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WBC優勝、そしてN響メンバーの室内楽を堪能

 2023322日。午前中は、昨日の準決勝に続き、WBCの決勝に興奮した。日本中がわいているが、私も興奮しているひとりだ。テレビをつけながら仕事をしようと思っていたが、昨日も今日もそんなどころではなくなった。夢中になって感動しながらテレビにかじりついた。大谷すごい、村上すごい、投手陣すごい。必死に戦う全員の姿が素晴らしい。そして何よりも選手たちが力を発揮できるように場を整えている栗山監督の手腕に圧倒される。いやいや、それ以上に、野球ってすごいスポーツだな!と改めて思う。

 私は小学校に入る前からの野球ファン(ただ、まだテレビがなかったので、野原でボール遊びをしているだけだった。長嶋の巨人入団の年に私は小学校に入学した)だが、日本のプロ野球とアメリカ大リーグの大きな差はずっと見せつけられてきた。それなのに、今やアメリカの大スターたちを敵に回して勝利している。オールドファンとしては感激しないわけにはいかない。

 

 夕方、まだ興奮が残る中、東京文化会館 小ホールで、東京春音楽祭、N響メンバーによる室内楽を聴いた。出演は、白井圭、森田昌弘(ヴァイオリン)、中村翔太郎、村松龍(ヴィオラ)、藤森亮一、小畠幸法(チェロ)。曲目は、前半にモーツァルトの弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515とボッケリーニの弦楽五重奏曲 ホ長調 G.275、後半にブラームスの弦楽六重奏曲第1番。

 先日のベルリン・フィルのメンバーによる演奏には少し不満を覚えたのだったが、WBCの野球と同じで、やはり日本人の演奏はこまやかでチームワークがいい。ベルリン・フィルのメンバーの場合、一人一人が張り合って元気に演奏するあまり、陰影がなくなっているのを感じたが、さすがにN響メンバーはみんなでしっかりと一つの解釈を共有し、陰の部分もあり、深みのある音楽を作り出している。

 モーツァルトもとても良かった。白井さんのヴァイオリンと藤森さんのチェロによる様々な感情を含んだ美しい音にしびれた。ボッケリーニの曲は、第2楽章があまりに有名だが、やはりちょっと単調。しかし、それでも十分におもしろく聴かせてくれた。

 しかし、やはり圧倒的に良かったのは、ブラームスの弦楽六重奏曲だった。弦楽器が絡み合い、ロマンティックな情念が寄せては返し、それを繰り返すうちに徐々に大きく高揚していく。第2楽章はとりわけそのような心の中の欲動のうねりが素晴らしかった。終楽章も抑制していた情念が広がり、解放される。弦楽器の音の美しさを堪能した。

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東京春音楽祭 マニンガー&ベン=アリ 一本調子に感じた

 2023319日、東京文化会館小ホールで、東京春音楽祭、オラフ・マニンガーのチェロ・リサイタルを聴いた。ピアノはオハッド・ベン=アリ。曲目は、前半にストラヴィンスキーのイタリア組曲とベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番、後半にブラームスのチェロ・ソナタ第1番。

 昨日、この二人に、ヴァイオリンの樫本大進とヴィオラのアミハイ・グロスが加わった四重奏を聴いたばかり。昨日は、内向的な陰りのない演奏に疑問を抱きながらも、十分に感動したのだったが、今日は、昨日に輪をかけた陰りのない演奏にまったく感動できなかった。ベートーヴェンのソナタ第3番とブラームスのソナタ第1番は大好きな曲なので期待していたが、残念だった。

 二人はずっと同じ雰囲気で弾きまくる。達者に弾いているのだが、ずっとハイテンポで輝かしい音。これだと一本調子になってしまう。私は特にオハッド・ベン=アリのピアノに問題を感じた。チェロの方はフレーズによって音色に変化を加えて表現しようとしているが、ピアノはずっと同じように弾きまくる。

 ストラヴィンスキーもベートーヴェンもブラームスも同じような演奏になっていた。まるで機械のような演奏。

 アンコールはカザルス作曲の「鳥の歌」。これももう少ししみじみと演奏してほしかった。

 上野には大勢の花見客が押し寄せていた。5分咲きといったところだろうか。海外からの客も目に付いた。やっとコロナ前に戻ってきた

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ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽 陰りのないフォーレ、ブラームス

 2023318日、東京文化会館 小ホールで、東京・春・音楽祭 ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽を聴いた。

 いよいよ2023年の東京・春・音楽祭が始まった。久しぶりにコロナ感染をそれほど気にすることなく存分に音楽を味わえる。

 ヴァイオリンの樫本大進、ヴィオラのアミハイ・グロス、チェロのオラフ・マニンガー、ピアノのオハッド・ベン=アリによって三つのピアノ四重奏曲が演奏された。前半に、ベートーヴェンのピアノ四重奏曲変ホ長調、フォーレのピアノ四重奏曲 第2番、後半にブラームスのピアノ四重奏曲 第2番。

 ベートーヴェンの作品は14歳の時に書かれた習作なので、テクニック的にもかなり単純。まだベートーヴェンらしくない。しかし、初々しい感性にあふれており、叙情的なメロディが次々と出てくる。演奏ももちろん見事。

 フォーレについては、これはこれでよい演奏なのだが、フランス的な雰囲気がまったくないので、私としては少々不満を抱いた。それぞれの楽器の音が確信にあふれており、堂々たる構築性で迫ってくる。そうなると、フォーレ特有の弱さを含んだ抒情が消え去ってしまう。内向的でおずおずとした雰囲気がまったくない。私はフォーレの曲は、おずおずとした中から生まれてくる芯の強さが好きなのだが、どうもそうならない。

 ブラームスも同じような演奏だった。陰りがあまりなく、それぞれの楽器がものすごいテクニックと美しい音でスケール大きく演奏する。見事な音。アンサンブルもまったくスキがない。それはそれで素晴らしいし、もちろん聴いていて感動する。だが、いやいや、やっぱりもっと内向性がほしいと思ってしまう。

 今、WBCが大きな話題になっている。私も、同世代の人々同様、子供のころから野球好きなので、もちろん関心をもってテレビをみては、大谷、ヌートバー、ダルビッシュらに声援を送っている。WBCでも大スター選手たちが競い合って次々と大きな当たりを飛ばしたり、剛速球で三振を取ったりする。なんだか、演奏を聴いてそれを連想した。スター演奏家たちが競い合って自分の技を示す。そこには、犠打の専門家や敗戦処理投手はいない。みんなが自信たっぷりでみんなが輝いている。そんな人たちを見るのも気持ちがいいが、フォーレやブラームスの音楽の中には、普通にやっていては通用しないので心ならずもせこいことをしている人や、悲しい思いを抱きながらもなんとか奮起して生きているような人間の心も確かに存在していると思う。やはりフォーレやブラームスでは、そのような陰りを聴きたいと思った。

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新国立劇場「ホフマン物語」 名歌手たちが十分に力を発揮できていないのでは?

 2023317日、新国立劇場で「ホフマン物語」をみた。2003年から始まったフィリップ・アルロー演出のプロダクション。私もこの演出でみるのは、今回が3回目だと思う。

 ただ残念ながら、期待ほどの上演ではなかった。

 まず、マルコ・レトーニャの指揮する東京交響楽団がぱっとしない。たぶん、オーケストラの性能の問題ではなく、指揮者の力量だと思う。もしかしたら、このオペラを得意にしていないのではないかと思った。ドラマが盛り上がらないし、音がびしっと合わない。ずっとちぐはぐな感じがした。結局、私は最後まで音楽に魅力を感じないままだった。

 歌手陣にも惹かれる人は多くなかった。今回、私が最も納得できたのは、ジュリエッタの大隅智佳子だった。素晴らしい歌手だということはよく知っているが、しっかりと美しい声が出て、勝ち気で妖艶なジュリエッタを見事に歌っていた。ホフマンのレオナルド・カパルボもなかなかよかった。もちろん、映像でみてきたドミンゴやアラーニャやニール・シコフなどと比べると、自在さに欠けるし、声のコントロールも不十分な気がしたが、このくらい歌ってくれれば十分。

 だが、ニクラウス/ミューズの小林由佳、オランピアの安井陽子、アントニアの木下美穂子はいずれも日本を代表する歌手であり、私も何度となく感動して聴いたのだったが、なぜか今日は声が伸び切らず、音程が不安定になるのを感じた。これらの名歌手たちが実力を発揮できない何らかの要因があったのだろうか。もしかしたら、日本を代表する歌手たちが集まったために、つい肩に力が入りすぎたのか。それともフランス語が壁なのか。

 私が最も強い違和感を覚えたのは、リンドルフらの役を歌うエギルス・シリンスだった。ワーグナーを歌うと実に説得力がある歌手なのだが、これらの役は歌いこなしていない。いや、そもそもまったくフランス語になっていない。フランス語ではありえない音がしばしば聞こえ、そのためにフランス的な雰囲気がまったくない。そうなると、このオペラが成り立たなくなってしまう。誰かフランス語指導をしなかったのだろうか。

 アルロー演出では、最後、ホフマンがピストル自殺する。アルローの解釈なのか、それとも、このオペラのたくさんあるヴァージョンの一つに、このような場面があるのだろうか。

 実は、私はどうも「ホフマン物語」がよくわからずにいる。オッフェンバックは大好きなのだが、私が好きなのは他愛のないオペレッタであって、この深刻さを含む「ホフマン物語」ではない。ヴァージョンがたくさんあるせいもあって、私はこのオペラがどのような性格を持っているのか、そもそもこのオペラが言おうとしているのは何なのかをとらえきれていない。一つ一つのセリフの意味もわからないものがたくさんある。わかりたいと思って新しい上演を見ると、ますますわからなくなる。今回もますますわからなくなった。

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バッティストーニ&東フィルの「オルガン付き」に大満足!

 2023312日、オーチャードホールで、東京フィルハーモニー交響楽団3月定期公演を聴いた。指揮はアンドレア・バッティストーニ。

 曲目は、前半にベルリオーズの序曲「謝肉祭」とカゼッラの狂詩曲「イタリア」、後半にサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガンは石丸由佳)。私はガゼッラの曲については知識はなかったが、どうやらやりたい放題のド派手な曲を集めたのではないかとの予感がした。予感通りだった。

 バッティストーニが鳴らしまくる。放縦といえるほどの豊かな音響だが、全体的な構築もしっかりしている。躍動感にあふれて、まさに豊饒。ガゼッラの曲は、何でもありの音楽。最後には「フニクリ・フニクラ」が出てきて、狂喜乱舞というかディチュランボスというか、大音響の熱狂の音楽になっていく。とてもおもしろい。

 サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」は昨日のアルミンク&新日フィルの演奏に続いて、二日連続で聴くことになる。だが、演奏は正反対。アルミンク&新日フィルが抑制的で知的だったのに対して、バッティトーニ&東フィルは、前半の演奏に輪をかけた豊饒さ。昨日の演奏が痩せた「オルガン付き」だったとすると、今日は豊満な「オルガン付き」。ストイックなところは微塵もなく、思いっきり音楽を鳴らしている。各楽器が思いっきり鳴らしまくり、ホール中に轟音が響く。そこにロマンティスムが爆発し、祝祭感が広まっていく。もちろん第一楽章の後半は静まるが、最終部はまさに音の饗宴になる。オルガンありピアノあり打楽器あり。それらが色彩的に絡み合って巨大な音の万華鏡を作り出す。指揮ぶりも、まるで踊っているかのよう。しかし、音はけっして乱れない。力業といえば、力業だが、細かいところにも十分に神経が行き届いている。ここまでやってくれると、何も言うことはない。

 かつてバッティストーニ&新日フィルのベートーヴェンの交響曲を聴いた時には、私の体は拒絶反応を示したが、サン=サーンスでこのような演奏は願ったりかなったり。この曲はこうでなくっちゃ!

 昨日は痩せた「オルガン付き」を聴いて少々不満だった。今日はその分を取り返すことができた。

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アルミンク&新日フィル そっけない「オルガン付き」にやや不満

 2023311日、すみだトリフォニーホールで「すみだ平和祈念音楽祭2023」、クリスティン・アルミンク指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。東京大空襲のあった3月に墨田区で平和を祈念して行われる音楽祭。アルミンクが久しぶりに新日フィルを振るというので、出かけたのだった。

 曲目は、前半にルクーの弦楽のためのアダージョと、萩原麻未のピアノが加わって、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲、そして、後半にサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガンは室住素子)。

 前半はとても楽しめた。ルクーの弦楽のためのアダージョは初めて聴いたが、師であるフランクの死を悼んだというだけあって悲痛で哀愁にあふれており、ショーソンの詩曲のようなところもあって、なかなかの名曲。ラヴェルの左手のための協奏曲は、萩原麻未の思い切りのよいピアノが心地よかった。ただオーケストラのアンサンブルについては少々不満を覚えた。私はまったくの素人なので、よくわからないのだが、アンサンブルに何だかスキがあるような気がする。濃密なアンサンブルにならない。詩曲のようとは言ったが、詩曲ほどの濃厚さは感じられなかった。とはいえ、私としてはこの2曲にさほどの濃厚さを求めていたわけではないので、これはこれでまったく不満はなかった。

 ソリストによるアンコールは藤倉大の「Akiko's Diary for piano」だという。おもしろい曲だと思ったが、現代曲に疎い私としては何とも言えない。

 後半のサン=サーンスの交響曲については、私はかなり不満を抱いた。前半以上に濃厚さがない。アルミンクはきっと意識的にそのような演奏にしているのだろう。濃厚なロマン的な雰囲気を爆発させるよりも、もっと知的にアプローチしようとしている。力任せではなく、構築的に音を重ねようとしている。最後の最後にクライマックスを持ってきて、それまでは抑え気味にしようとしている。だが、そうなると、かなりストイックで、そっけない音楽になる。言ってみれば瘦せた音楽になってしまう。オーケストラがもっと精妙であれば、そのようなアプローチも説得力を持つのだろうが、残念ながらアンサンブルの濃密さがやや不足している。びしっと決まらない。最後はさすがに盛り上がったが、そこに至るまでの、この曲独特の心躍るような高揚の連続はなかった。

 アンコールは、フォーレの《ペレアスとメリザンド》の「シシリエンヌ」。もちろん悪くはないのだが、もう少しフランス的な優美さがあると嬉しいのだが、ちょっとそっけない感じ。これも少々不満が残った。

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東響の五重奏曲とセレナードを堪能した

 202334日、ミューザ川崎シンフォニーホールで、モーツァルト・マチネ第52回を聴いた。曲目は、東京交響楽団のメンバー(クラリネット近藤千花子。第一ヴァイオリン小林壱成、第二ヴァイオリン水谷晃、ヴィオラ西村眞紀、チェロ伊藤文嗣)によるモーツァルトのクラリネット五重奏曲と、小林壱成の小林壱成の弾き振りによってチャイコフスキーの弦楽セレナード ハ長調。どちらも素晴らしかった。

 クラリネット五重奏曲は、やや遅めのテンポでかなりくっきりと音楽を刻んでいく印象を受けた。クラリネットはふくよかな雰囲気の音のなかにモーツァルトらしい活気と悲しみが含まれて、とても美しかった。知的な感じの小林の第一ヴァイオリンと楽しげな水谷の第二ヴァイオリンのバランスもとてもいい。第2楽章のクラリネットと第一ヴァイオリンの繊細な掛け合いにしびれた。終楽章の変奏曲ごとの雰囲気の変わり方も素晴らしかった。

 改めて、なんという名曲だろう!と思った。あまりに美しいメロディに心を洗われ、その中に混じる悲しみやかすかな絶望に心から共感する。モーツァルトは交響曲も協奏曲もオペラもいいが、やっぱり室内楽がいちばんだな!と思う。このクラリネット五重奏曲と、ト短調とハ長調の2つの弦楽五重奏曲はモーツァルトの最高傑作だと思う。それを十分に感じさせてくれる演奏だった。

 チャイコフスキーの弦楽セレナードもよかった。東響のアンサンブルの美しさに改めて驚いた。チャイコフスキーらしい悲哀にあふれたメロディが、深い音でぐいぐいと心に迫ってくる。近年、びしっと音程のあったスマートな音でスピーディに演奏する団体が多いが、東響は、それとは少し違う。音程はいいと思うし、勢いもあるが、もっと潤いがあり、深みのある音が出てくる。まさに人間の律動に訴えかける音だと思う。しかも、思い切りよく、音が積み重なるので、ぐいぐいと引き込まれる。弾き振りの小林の功績なのか、全体の組み立てもドラマティックでありながら、実にスムーズ。心の奥の方の感受性を見事にくすぐる。チャイコフスキーの叙情が炸裂した。弦楽アンサンブルを堪能した。

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音楽の聞こえない国 ~~サウジアラビア旅行印象記

 2023年2月23日から28日にかけて、クラブツーリズムの3泊6日の弾丸ツアーに参加した。クラブツーリズムのカタログをパラパラめくるうち、サウジアラビアのツアーを見つけて参加を決めたのだった。新型コロナウイルス以後最初の海外旅行。そして、もちろん妻の死後の初めての海外旅行。

 サウジアラビアは長い間、観光客を受け入れていなかったが、2019年に受け入れを開始。ところが、すぐに新型コロナウイルスの感染が広まって、事実上ほとんど日本からの観光客は訪問しなかったという。今年に入ってから本格化しているようだ。

(なぜだか、私の技術ではこのブログに写真を挿入できなくなったので、文章だけの旅行記になる) 

・3月23日

 成田空港に集合。22時30分発の便で、20時集合だったが、早めに手続きを終えて、さて夕食でもとろうかと空港内のレストランを探すと、ほぼすべてがすでに閉まっていた。入国審査をしたら、ゲート付近にレストランがあるのかと思って行ってみたが、そこもなし。お土産物屋でおにぎりを食べてしのいだ。きっとコロナのために採算が合わずに今の状態になっているのだろうが、夜の客も多いのだから、何とかならないものか。

 飛行機に乗り込んでしばらくして、1日目は終わり。

 

・3月24日

 12時間かけてドバイに到着。朝7時発のリヤド行きに乗り継ぎ。1時間半ほどでリヤドに到着した。

 キング・ハーリド国際空港は白い現代的な建物で清潔感にあふれている。ドバイでも見かけたが、さすがにこちらは目だけを出して全身黒づくめの服(アバヤと呼ぶらしい)で歩く女性が多い。だが、もちろん、顔を出している女性もいる。ただ、やはりほとんどの女性がスカーフ(ヒジャブ)をしている。男性は白い服(トーブと呼ぶらしい)に赤みがかった布(シュマッグ)をかぶって、黒い輪っか(イガール)で頭に固定しているというスタイルの人が多い。どうやらこれが男性の正装のようだ。もちろん、日本人の同じようなシャツにズボン姿の男性も多い。頭に布をかぶらずに、白い服だけのカジュアルな服装の人も多くいる。歩いているのは、確かに男性の方が圧倒的に多い。

 外に出て車乗り場に行くと、青空の下にモスクが見える。その横には公園があって緑の木が続いている。とても清潔な雰囲気を感じる。気温は30度くらい。夜は15度前後、昼間は30度前後というのがこの時期の気温らしい。

 ツアーは私を加えて10名。添乗員付き。ツアーのメンバーの平均年齢はおそらく70歳は超えているだろう。80歳を超えている方もいたと思う。ご夫婦で来られた方を含めて女性は3人。あとで知ったが、多くの方がすでに100か国以上を旅している、まさに旅の達人といえるような人たちだった。45か国しか旅したことのない私はまさにひよっこ。

 バスでそのまま観光。きわめて的確に仕事をしてくれる添乗員さん(私たちとそれほど年齢差のない、かなりベテランの方)と現地ガイドさん(サウジの男性らしい服装の中年男性)の案内で行動。

 都市をバスで通りながら感じるのは、ともかく現代的な洒落た建物が多いことだ。遠くには奇抜なデザインの巨大な建物が数多く見える。上海やドバイの雰囲気に似ている。しかも、全体的に清潔さを強く感じる。ゴミが落ちていない。街の汚れがない。ポスターや宣伝のビラなどもない。ただ、緑が圧倒的に少ない。空港周辺には緑が見えたが、それ以外では、木々はほとんど見えない。道路は舗装されているが、空き地にはむき出しの土の場所も多い。ところが、そのような場所の多くは何らかの工事がなされている。重機が見える。

 要するに一言で言うと、まさに超現代的な大都市が、今まさに作られているという感じ。ドバイのような都市になろうとしているようだ。

 道路には車があふれている。ときどき汚れた車、塗装のはがれた車もあるが、全体的には真新しいきれいな車が多い。砂漠地帯ではすぐに土ぼこりがすると思うが、そのわりには車は汚れていない。私が東京で乗っている車(めったに洗車しない!)よりもずっときれいな車たちだ。トヨタなどの日本車も多いが、それと同じほどヒュンダイやKIAの車が目立つ。もちろんヨーロッパ車もかなり見かける。車間距離が短く、ウィンカーを出さないまま車線変更する車も多いが、混乱なくすいすいと進んでいく。何よりも静かさを感じる。こんなにぎりぎりの運転をしているのに、クラクションを鳴らす人はいない。町全体がとても静か。

 

 最初に世界遺産ディライーヤ見学。15世紀にサウード家が建設し、18世紀に都として栄えた地区だ。現在、発掘が進み、宮殿跡などの復興がなされている。土産物屋などがきれいに整備されたところから見学。

 その後、アルファイサリヤ・タワーのショッピングモールにも出かけた。ドバイや上海のショッピングモールと同じような雰囲気。真新しく清潔でセンスの良い建物に高級ブランド店が並んでいる。ただ客はそれほどいない。

 アルラジのグランド・モスクを見学。巨大なモスク。これも、私たちの持っている印象とは異なり、清潔に整えられている。突然、コーランの祈りの音が大音響で聞こえ、人々が清潔な服を着て三々五々、モスクに入っていくのが見えた。車できている信者も多そうだ。ガイドさんもその間、しばらく場所を離れて祈りに行った。

 

 どこをみても人が少ない。金曜日(キリスト救国の日曜日にあたるらしい)のせいかもしれないというが、ともかく人影を見ない。道路には車が走っているが、歩いている人影もめったに見ない。がらんとした雰囲気。超現代的な豪華な建物が並んでいるが、人気がない、という印象を強く受ける。

 その後、キングダム・センターのリヤドで最も高いという302メートルのビルに行って、スカイブリッジの展望台に上った。さすがにここには観光客が大勢いて、列を作ってエレベータに乗って上がった。

 高層ビルから見るリヤドは、全体に薄茶色の世界。建物も道路も薄茶色に見える。やはり何よりも緑の少なさに驚かされる。東京などとはまったく異なる光景だ。空気がかすんでいるのも砂のせいだろう。

 中心部に巨大な地区が建設されており、建設中の状態が見える。その周囲には個人の住宅が広がっているが、建物のほとんどが白茶色。碁盤目状というほどではないが、かなり整然とした街並みに同じような色の低層の建物が立ち並んでいる。そして、その向こうの果てには砂漠が見える。まさに砂漠の中に建てられた巨大な人工的な都市。

 その間にレストランで昼食。男性客と女性を含む家族客は場所が異なるとのこと。日本のマクドナルドのような雰囲気の店で、ケバブの類を中心にした肉料理。なかなかおいしかった。洗練された味。

 その後もリヤド観光をして、夕方、ホテルに到着。夕食はホテルにて。これもなかなかおいしかった。基本は羊と鶏の料理のようだ。

 

 初日のサウジアラビアの印象。

 ともかく清潔。もっと猥雑な街かと思っていた。石油で潤っている国であることは知っていたが、これまで私のみたアラブ人街のような猥雑さを想像していたが、全く予想外だった。

 ショッピングモールのすべてのトイレ、駅などのすべてのトイレに清掃員が常駐しているようだ。客が入るとすぐに掃除をする。ときに紙タオルを渡してくれる。道路にも清掃員を多く見かける。観光地では、道路について食べ物の汚れなどを取る清掃員が何十メートルかごとにいる。公園の草取りをしている人もいる。そして、その清掃員は顔つきが中東の人ではない。アフリカ系だったり、もう少しアジアっぽかったり。外国人労働者がそのような仕事についている。

 なお、こちらのトイレは男性も個室になっている。多くの人がスカート状のトーブを着ているために下半身をはだける必要があるせいだろう。そのため、男性トイレが混んでいてなかなか大変。レストランのトイレなどはさすがに担当者を常駐しているわけにはいかないので、あまりきれいではない。

 私は1995年に北朝鮮旅行をしたことがある。その時、ピョンヤンをみて「なんと人工的な都市だろう。まるで映画の書割だ」と思ったのだったが、今回も同じような印象を受けた。もちろん、1995年北朝鮮と違って、こちらはもっともっと高層ビルが立ち並んでいるが、人工的で生活臭がまったくないのは、北朝鮮とよく似ている。

 人があまり歩いていない。スーパーや小売店が見えない。ワイワイと騒いでいる人がいない。レストランも静か。アルコール類が完全に禁止され(観光客もアルコール類は一切持ち込むことができない)、女性が姿を見られるのを避ける社会では、どうしてもこうなるのだろうか。

 もう一つ気づいたことがある。

 音楽がほとんど聞こえない!

 ふつう、空港やお店、レストランでは音楽がかかっている。ショッピングモールでも小さな音でも音楽が聞こえる。作業員がラジオで音楽を聴きながら働いている姿もあちこちで見る。ヨーロッパでは日本ほどあちこちで音楽は垂れ流されないが、それでも道を歩けば、音楽が耳に入る。ところが、サウジアラビアではまったくの静寂。二度だけ、観光地でアラブ風の音楽が聞こえてきたが、それだけだった。ただ、コーランの声だけは、時間ごとに聞こえる。

 ホテルはセントロ・ワハ・バイ・ロタナ。満足というほどではないが、贅沢は言わない。まずまず快適。

 

 

225日 

 リヤド市内観光。

 まずは、ディラ・スークに出かけた。スークというのは、市場のことで、トルコ語のバザールにあたるらしい。前日にみた新市街のショッピングモールとは異なって、もっと庶民的な店だという。ファッションの店、香料の店、絨毯の店などが並ぶ。間口の狭い店が並んでいる。インドなどの途上国で見られるような作りの店なのだが、しかし、ここも清潔感があふれている。途上国と全く異なる。むしろ日本のアーケードなどのある商店街の雰囲気。しかし、それよりももっと清潔で整理されている雰囲気といってよいだろう。きれいに整理されて商品が並べられている。これらの店の店主はサウジアラビア人だというが、働いている人の多く、とりわけ下働きをしているのは外国人労働者だという。黒づくめの女性も歩いているが、人はそれほど多くなく、ごった返しているという雰囲気はない。音楽はまったくかかっていない。通る客は、もちろん黒い服を着た女性もいるが、男性が圧倒的に多い。日本の市場では女性の方が多いと思うが、やはりアラブ世界では外に出ているのは多くが男性だ。

 

 床に座って食べるサウジアラビア式の昼食(これもなかなかおいしかった)をとってから、マスマク城を見学。オスマン帝国に支配されていたリヤドを現在の王室につながるアブロゥル・アジズが取り返した要塞で歴史博物館を兼ねている。イスラム以前、イスラム以後のそれぞれの文化、歴史を伝える器具が展示されていた。

 

 その後、砂漠ポイントへ。高速を走る。しばらくたつと左右に空き地が見えるようになり、荒涼とした野原が続くようになる。1時間ほど走っただろうか。目的地に到着。本格的な砂漠かと思っていたら、むしろ砂漠体験遊技場という感じの場所だった。テントが並び、遊技場がある。リヤドに暮らす人々は、かつての砂漠生活を体験するため、ここにきて疑似砂漠体験をするのだという。そのような場所が広がっている。砂漠に沈む夕日をみて、ホテルに戻った。

 

2日目の印象

 ともかく静かで清潔。砂漠の中に人工的に作られた大都市。生活臭がない。きっと女性たちは部屋の中に閉じこもって料理をしたり、音楽を楽しんだりしているのだろう。だが、家の外ではそれが現れない。よそよそしくて現代的な街になっている。

 

226

 朝の9時に出発して、空港に向かい、国内線でジェッダへ。ジェッダは紅海沿いの都市でメッカへの入り口になっている。

 ジェッダ行きの飛行機の中に、バスローブのような白のタオル地のような布だけを身にまとった裸に近い男たちが何人もいた。これが巡礼の正式の服装らしい。日本のお遍路さんスタイルのようなものなのだろう。それにしても、日本人の目から見ると、バスローブ姿で街を歩き、飛行機に乗るなんてなんということだろうと思ってしまう。

 ハッジという大巡礼の時期ではないが、それ以外の時期に巡礼を行う信者も多いという。子どもを何人もつれた家族も多い。ほとんどが中東の顔をした人たちだが、ヨーロッパ人としか思えない人、アジア系の人(たぶん、インドネシア、マレーシアの人だろう)も大勢いる。アジア系の人は団体客が多い。さすがにそのような人はバスローブのような恰好はしていない。

 リヤドを出発して、陸地を見下ろすと、まさに荒野が続く。ところどころに山があり、ちょっとした草木が生えているが、全体的には不毛の荒野。砂漠といってよいのかもしれない。

 リヤドはまさに砂漠の真ん中のオアシスにできた都市であり、海水を真水に変える技術によって都市圏を増やしていった人工の街だということがよくわかる。言い換えれば、無尽蔵といってよい砂漠地帯を持ち、これから都市を増やしていけるのがサウジアラビアという国なのだろう。ただ、石油はそのうち枯渇するか、何らかの形で現在ほどの価値を持たなくなると考えられるので、その時どうするのか。それを見越して都市化を進めているのだろうが、果たしてそれは可能なのか。そんなことも考えてしまう。

 

 ジェッダ到着。空港は、リヤドに比べればこじんまりしているが、こちらも清潔で感じがいい。ただ巡礼客にあふれており、バスローブにしか見えない服装の人々があちこちで行列を作り、人並みができている。

 とはいえ、観光バスに乗って外に出ると、やはりこちらも人影はあまり多くなく、静かで落ち着いている。

 バスで空港付近のショッピングモールであるアラビアモールを見物。高級ブランド店や様々ん店の集まるモール。ここもそれほどの客はいない。他人事ながら、これでやっていけるのだろうかと心配になるほど。私たちにもなじみの世界的ブランドも見かけた。映画館もあってアメリカ映画も上映されている。ただ日本のブランドは、ダイソーしかなかったようだ(私はダイソーに気づかなかった。ツアーのメンバーに後で話を聞いた)。100円ではなく、ほぼ300円にあたる均一料金だったという。大きなスーパーがモール内にあった。整然と商品が並べられており、野菜やジュース、肉、魚、香料などが大量に並べられている。ヨーロッパのスーパーと似ているが、魚介類は真空パックで袋詰めにされており、においが漂うことはない。そして、もちろん音楽などまったくかかっていない。

 ほかの市場などと比べて、このような近代的なモールは女性客もかなり歩いているが、このようなモールの客は進歩的というのか、あまり信仰心の強くない人が多いのか、顔を出した人が多い。スカーフもかぶっていない女性もかなりいる。男性に至ってはジーパン姿の人もいる(ジェッダの現地ガイドさんはまさにTシャツにジーンズだった)。

 その後、紅海に海辺に建てられたフローティング・モスクに行った。ここもまたきれいに整備された海辺。ゴミひとつなく、清掃員があちこちに配備されている。セキュリティの担当者も大勢いて、海辺を巡回し、海に近づきすぎている人がいると注意をしている。

 日本の海辺だと、海鳥がいて、ゴミがあって、魚の死骸があって、単なる潮風といえないような臭気がするものだが、ここは海浜公園ともいうべき場所であって、完璧に整備されている。そのそばに白く美しいモスクがある。

 中に入らせてもらった。質素ではあるが、きれいな内部でじゅうたんが敷き詰められ、壁にはアラベスク模様のタイルがはめられている。

 モスクの横から紅海に沈む夕日を鑑賞。美しかった。

 その後、レストランで海鮮料理。エビ、イカ、白身の魚のフライ、蒸したムール貝、それにポテトと味のついた米。とてもおいしかった。一皿に大量に料理がのっているので、三、四人で分けて食べるのかと思ったら、それが一人前。デザートも大きなアイスクリームとチョコレートケーキ。高齢者ばかりのツアーであるためもあって、完食者はなし。おそらくほとんどの人が半分も食べていないと思う。

 ホテルに入った。ほかのメンバーは特に問題がなかったようだが、私の部屋はシャワーは水がほんの少し暖かくなった程度のお湯で、洗面所にタオルもコップも洗面道具もなかった。しかも、冷房が効いており、室温は19℃だった。もちろん、エアコンはすぐに消したが、寒かった。若いころから貧乏旅行ばかりしていたので、このような目にあうのには慣れているし、担当者を呼んで面倒なことをするよりも早く寝たいと思ったので、我慢して長袖を引っ張り出して、着たまま寝た。

 

2月27日

 朝9時に出発して、ジェッダの旧市街へ。

 これまで真新しい都市ばかり見てきて、ちょっと古い街を見たいと思っていた。猥雑な雰囲気を見たいと思っていた。やっと念願がかなったと思った。

 旧市街の建物の特徴として、出窓があるということだった。女性たちが外を見ることができるように、しかし、外からは女性が見えないようにするための出窓だという。美しく細工されていたり、緑色に採食されていたりする出窓が並んでいた。

 そのような旧市街の中に歴史あるアル・シャフィー・モスクがあり、19世紀から栄えた商家ナシーフ・ハウスがある。近くの由緒あるコーヒーショップで休憩。アラビアコーヒー(コーヒー豆を使っているようだが、ほかの薬草も混じっているようで、コーヒーの味は薄い。おちょこのようなカップで数回に分けて飲むのが礼儀のようだ)などを飲んだ。

 旧市街こそは猥雑なのかと思ったが、やはりここもそうではない。リヤドの店ほどには上品ではなく、狭い間口の店が並んでいる。肉屋があり、靴屋があり、洋服屋がありだが、比較的小ぎれい。日本の商店街よりももっと小ぎれいな印象。外国人労働者と思われる人が重い荷物を運んだりしているが、その人たちもさほど猥雑な感じはない。行きかう人々も白い民族服の人もいたり、ジーパンにティーシャツ姿の人がいたり。しかし、ここも男性の方がずっと多い。女性は男性の三分の一か四分の一以下だろう。

 

 その後、バスでメッカ方向へ。1時間ほど高速を飛ばすと右側に標識が見えた。その標識の下のほうに赤で「FOR NON MUSLIM」とあり、右に曲がるように指示がある。そこから先はイスラム教徒のみが入れる地域だということだ。ただし、少なくとも現在では、イスラム教徒以外の人間が紛れ込んでも厳しく検査されることもなく、ひどい処罰を受けることもないそうだが、もちろん、ほかの宗教を尊重する必要がある。

 そのまま引き返して、ふたたびアラビアモールで休憩して、空港へ。

 空港はごった返していた。リヤド行きの便の搭乗手続きの窓口は長蛇の列。一人が二つも三つものスーツケースを持っている。多くの客がバスケットボールが入る程度の大きさの同じデザインの箱を持っているが、それはメッカ近くのザムザムの泉で取れた聖水だとのこと。この聖水は航空会社によっては、機内持ち込みの制限から除外されるという。子ども連れも多く、しかも窓口がもたもたしていて、なかなか進まず時間もかなりかかった。

 実際に搭乗する際も大混乱。なんだかよくわからないが、チェックポイントでとどめられて何やら手続きをやり直している人も何人もいる。乗り込んでからも混乱は続いた。私の席にすでに別の人が座っていて、どこうとしない。近くの席のツアー・メンバーも同じように、ほかの人がすでに座っていて困っていた。どうやらあちこちでそのようなことが起こっているらしい。しかも、私の隣の席の現地の女性に、英語で、「夫が遠くの席に座っているので席を代わってくれ」といわれた。また、CAさん(西洋人にしか見えない女性。CAは多国籍らしいので、実際にヨーロッパ、もしかしたら東欧の人かもしれない)にも、こちらは別の席に代わってくれないかといわれた。なんだかよくわからなかったが、隣の席の女性の要望に従った。そんなことがあちこちで起こっているらしくてまさに混乱。

 あまり飛行機に乗りなれない人がたくさんいるのかもしれない。そうした中、子どもがあちこちで泣き叫んだり、大人同士が大声で話していたり、歩きまわったり、荷物の出し入れでがたがたやっていたり。阿鼻叫喚というかカオスというか。こんな騒がしい飛行機に初めて乗った。離陸してしばらくして、やっといくぶん静まった。

 この不自然に静かで小ぎれいなサウジアラビアという国の中で初めて生活感にあふれる猥雑さをみた。それもまた極端だった。きっとこれがサウジアラビアの人々の家庭内の状態なのだろう。家庭内ではこのようにふるまっており、きっと生活感にあふれているのだろう。ところが、家の外では静かによそよそしくしている。それがサウジアラビアなのだと思った。

 ドバイで乗り換えて、その後、9時間かけ、28日17時ころに成田到着。その後、コロナ関係のさまざまな登録をして、外に出た。くたびれた。

 

  • 全体のまとめ

 サウジアラビアは途方もなく不自然な社会だったというのが、私の総括だ。

 繰り返し書いたが、都市全体が清潔で近代的で小ぎれいでおしゃれ。ただ、生活感がなく、いかにも不自然。ふつうの国にはあるはずの猥雑さが見られない。しかも、自前の技術ではないのだろうが、石油の力で最先端の快適さを手に入れている。女性が不自由であることは外から出はうかがい知れないが、男性が薄着でいるところを見ると、女性が黒服でおおわれているのは快適であるはずがない。家にいて出窓から外を見ているのが幸せなはずがない。

 ただ、そんな女性も打ちひしがれているのではなく、ショッピングを楽しんでおり、飛行機の中で見たように家庭生活を普通に営んでいる。これがサウジアラビアの現代の姿だと思った。

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