2023年2月23日から28日にかけて、クラブツーリズムの3泊6日の弾丸ツアーに参加した。クラブツーリズムのカタログをパラパラめくるうち、サウジアラビアのツアーを見つけて参加を決めたのだった。新型コロナウイルス以後最初の海外旅行。そして、もちろん妻の死後の初めての海外旅行。
サウジアラビアは長い間、観光客を受け入れていなかったが、2019年に受け入れを開始。ところが、すぐに新型コロナウイルスの感染が広まって、事実上ほとんど日本からの観光客は訪問しなかったという。今年に入ってから本格化しているようだ。
(なぜだか、私の技術ではこのブログに写真を挿入できなくなったので、文章だけの旅行記になる)
・3月23日
成田空港に集合。22時30分発の便で、20時集合だったが、早めに手続きを終えて、さて夕食でもとろうかと空港内のレストランを探すと、ほぼすべてがすでに閉まっていた。入国審査をしたら、ゲート付近にレストランがあるのかと思って行ってみたが、そこもなし。お土産物屋でおにぎりを食べてしのいだ。きっとコロナのために採算が合わずに今の状態になっているのだろうが、夜の客も多いのだから、何とかならないものか。
飛行機に乗り込んでしばらくして、1日目は終わり。
・3月24日
12時間かけてドバイに到着。朝7時発のリヤド行きに乗り継ぎ。1時間半ほどでリヤドに到着した。
キング・ハーリド国際空港は白い現代的な建物で清潔感にあふれている。ドバイでも見かけたが、さすがにこちらは目だけを出して全身黒づくめの服(アバヤと呼ぶらしい)で歩く女性が多い。だが、もちろん、顔を出している女性もいる。ただ、やはりほとんどの女性がスカーフ(ヒジャブ)をしている。男性は白い服(トーブと呼ぶらしい)に赤みがかった布(シュマッグ)をかぶって、黒い輪っか(イガール)で頭に固定しているというスタイルの人が多い。どうやらこれが男性の正装のようだ。もちろん、日本人の同じようなシャツにズボン姿の男性も多い。頭に布をかぶらずに、白い服だけのカジュアルな服装の人も多くいる。歩いているのは、確かに男性の方が圧倒的に多い。
外に出て車乗り場に行くと、青空の下にモスクが見える。その横には公園があって緑の木が続いている。とても清潔な雰囲気を感じる。気温は30度くらい。夜は15度前後、昼間は30度前後というのがこの時期の気温らしい。
ツアーは私を加えて10名。添乗員付き。ツアーのメンバーの平均年齢はおそらく70歳は超えているだろう。80歳を超えている方もいたと思う。ご夫婦で来られた方を含めて女性は3人。あとで知ったが、多くの方がすでに100か国以上を旅している、まさに旅の達人といえるような人たちだった。45か国しか旅したことのない私はまさにひよっこ。
バスでそのまま観光。きわめて的確に仕事をしてくれる添乗員さん(私たちとそれほど年齢差のない、かなりベテランの方)と現地ガイドさん(サウジの男性らしい服装の中年男性)の案内で行動。
都市をバスで通りながら感じるのは、ともかく現代的な洒落た建物が多いことだ。遠くには奇抜なデザインの巨大な建物が数多く見える。上海やドバイの雰囲気に似ている。しかも、全体的に清潔さを強く感じる。ゴミが落ちていない。街の汚れがない。ポスターや宣伝のビラなどもない。ただ、緑が圧倒的に少ない。空港周辺には緑が見えたが、それ以外では、木々はほとんど見えない。道路は舗装されているが、空き地にはむき出しの土の場所も多い。ところが、そのような場所の多くは何らかの工事がなされている。重機が見える。
要するに一言で言うと、まさに超現代的な大都市が、今まさに作られているという感じ。ドバイのような都市になろうとしているようだ。
道路には車があふれている。ときどき汚れた車、塗装のはがれた車もあるが、全体的には真新しいきれいな車が多い。砂漠地帯ではすぐに土ぼこりがすると思うが、そのわりには車は汚れていない。私が東京で乗っている車(めったに洗車しない!)よりもずっときれいな車たちだ。トヨタなどの日本車も多いが、それと同じほどヒュンダイやKIAの車が目立つ。もちろんヨーロッパ車もかなり見かける。車間距離が短く、ウィンカーを出さないまま車線変更する車も多いが、混乱なくすいすいと進んでいく。何よりも静かさを感じる。こんなにぎりぎりの運転をしているのに、クラクションを鳴らす人はいない。町全体がとても静か。
最初に世界遺産ディライーヤ見学。15世紀にサウード家が建設し、18世紀に都として栄えた地区だ。現在、発掘が進み、宮殿跡などの復興がなされている。土産物屋などがきれいに整備されたところから見学。
その後、アルファイサリヤ・タワーのショッピングモールにも出かけた。ドバイや上海のショッピングモールと同じような雰囲気。真新しく清潔でセンスの良い建物に高級ブランド店が並んでいる。ただ客はそれほどいない。
アルラジのグランド・モスクを見学。巨大なモスク。これも、私たちの持っている印象とは異なり、清潔に整えられている。突然、コーランの祈りの音が大音響で聞こえ、人々が清潔な服を着て三々五々、モスクに入っていくのが見えた。車できている信者も多そうだ。ガイドさんもその間、しばらく場所を離れて祈りに行った。
どこをみても人が少ない。金曜日(キリスト救国の日曜日にあたるらしい)のせいかもしれないというが、ともかく人影を見ない。道路には車が走っているが、歩いている人影もめったに見ない。がらんとした雰囲気。超現代的な豪華な建物が並んでいるが、人気がない、という印象を強く受ける。
その後、キングダム・センターのリヤドで最も高いという302メートルのビルに行って、スカイブリッジの展望台に上った。さすがにここには観光客が大勢いて、列を作ってエレベータに乗って上がった。
高層ビルから見るリヤドは、全体に薄茶色の世界。建物も道路も薄茶色に見える。やはり何よりも緑の少なさに驚かされる。東京などとはまったく異なる光景だ。空気がかすんでいるのも砂のせいだろう。
中心部に巨大な地区が建設されており、建設中の状態が見える。その周囲には個人の住宅が広がっているが、建物のほとんどが白茶色。碁盤目状というほどではないが、かなり整然とした街並みに同じような色の低層の建物が立ち並んでいる。そして、その向こうの果てには砂漠が見える。まさに砂漠の中に建てられた巨大な人工的な都市。
その間にレストランで昼食。男性客と女性を含む家族客は場所が異なるとのこと。日本のマクドナルドのような雰囲気の店で、ケバブの類を中心にした肉料理。なかなかおいしかった。洗練された味。
その後もリヤド観光をして、夕方、ホテルに到着。夕食はホテルにて。これもなかなかおいしかった。基本は羊と鶏の料理のようだ。
初日のサウジアラビアの印象。
ともかく清潔。もっと猥雑な街かと思っていた。石油で潤っている国であることは知っていたが、これまで私のみたアラブ人街のような猥雑さを想像していたが、全く予想外だった。
ショッピングモールのすべてのトイレ、駅などのすべてのトイレに清掃員が常駐しているようだ。客が入るとすぐに掃除をする。ときに紙タオルを渡してくれる。道路にも清掃員を多く見かける。観光地では、道路について食べ物の汚れなどを取る清掃員が何十メートルかごとにいる。公園の草取りをしている人もいる。そして、その清掃員は顔つきが中東の人ではない。アフリカ系だったり、もう少しアジアっぽかったり。外国人労働者がそのような仕事についている。
なお、こちらのトイレは男性も個室になっている。多くの人がスカート状のトーブを着ているために下半身をはだける必要があるせいだろう。そのため、男性トイレが混んでいてなかなか大変。レストランのトイレなどはさすがに担当者を常駐しているわけにはいかないので、あまりきれいではない。
私は1995年に北朝鮮旅行をしたことがある。その時、ピョンヤンをみて「なんと人工的な都市だろう。まるで映画の書割だ」と思ったのだったが、今回も同じような印象を受けた。もちろん、1995年北朝鮮と違って、こちらはもっともっと高層ビルが立ち並んでいるが、人工的で生活臭がまったくないのは、北朝鮮とよく似ている。
人があまり歩いていない。スーパーや小売店が見えない。ワイワイと騒いでいる人がいない。レストランも静か。アルコール類が完全に禁止され(観光客もアルコール類は一切持ち込むことができない)、女性が姿を見られるのを避ける社会では、どうしてもこうなるのだろうか。
もう一つ気づいたことがある。
音楽がほとんど聞こえない!
ふつう、空港やお店、レストランでは音楽がかかっている。ショッピングモールでも小さな音でも音楽が聞こえる。作業員がラジオで音楽を聴きながら働いている姿もあちこちで見る。ヨーロッパでは日本ほどあちこちで音楽は垂れ流されないが、それでも道を歩けば、音楽が耳に入る。ところが、サウジアラビアではまったくの静寂。二度だけ、観光地でアラブ風の音楽が聞こえてきたが、それだけだった。ただ、コーランの声だけは、時間ごとに聞こえる。
ホテルはセントロ・ワハ・バイ・ロタナ。満足というほどではないが、贅沢は言わない。まずまず快適。
2月25日
リヤド市内観光。
まずは、ディラ・スークに出かけた。スークというのは、市場のことで、トルコ語のバザールにあたるらしい。前日にみた新市街のショッピングモールとは異なって、もっと庶民的な店だという。ファッションの店、香料の店、絨毯の店などが並ぶ。間口の狭い店が並んでいる。インドなどの途上国で見られるような作りの店なのだが、しかし、ここも清潔感があふれている。途上国と全く異なる。むしろ日本のアーケードなどのある商店街の雰囲気。しかし、それよりももっと清潔で整理されている雰囲気といってよいだろう。きれいに整理されて商品が並べられている。これらの店の店主はサウジアラビア人だというが、働いている人の多く、とりわけ下働きをしているのは外国人労働者だという。黒づくめの女性も歩いているが、人はそれほど多くなく、ごった返しているという雰囲気はない。音楽はまったくかかっていない。通る客は、もちろん黒い服を着た女性もいるが、男性が圧倒的に多い。日本の市場では女性の方が多いと思うが、やはりアラブ世界では外に出ているのは多くが男性だ。
床に座って食べるサウジアラビア式の昼食(これもなかなかおいしかった)をとってから、マスマク城を見学。オスマン帝国に支配されていたリヤドを現在の王室につながるアブロゥル・アジズが取り返した要塞で歴史博物館を兼ねている。イスラム以前、イスラム以後のそれぞれの文化、歴史を伝える器具が展示されていた。
その後、砂漠ポイントへ。高速を走る。しばらくたつと左右に空き地が見えるようになり、荒涼とした野原が続くようになる。1時間ほど走っただろうか。目的地に到着。本格的な砂漠かと思っていたら、むしろ砂漠体験遊技場という感じの場所だった。テントが並び、遊技場がある。リヤドに暮らす人々は、かつての砂漠生活を体験するため、ここにきて疑似砂漠体験をするのだという。そのような場所が広がっている。砂漠に沈む夕日をみて、ホテルに戻った。
2日目の印象
ともかく静かで清潔。砂漠の中に人工的に作られた大都市。生活臭がない。きっと女性たちは部屋の中に閉じこもって料理をしたり、音楽を楽しんだりしているのだろう。だが、家の外ではそれが現れない。よそよそしくて現代的な街になっている。
2月26日
朝の9時に出発して、空港に向かい、国内線でジェッダへ。ジェッダは紅海沿いの都市でメッカへの入り口になっている。
ジェッダ行きの飛行機の中に、バスローブのような白のタオル地のような布だけを身にまとった裸に近い男たちが何人もいた。これが巡礼の正式の服装らしい。日本のお遍路さんスタイルのようなものなのだろう。それにしても、日本人の目から見ると、バスローブ姿で街を歩き、飛行機に乗るなんてなんということだろうと思ってしまう。
ハッジという大巡礼の時期ではないが、それ以外の時期に巡礼を行う信者も多いという。子どもを何人もつれた家族も多い。ほとんどが中東の顔をした人たちだが、ヨーロッパ人としか思えない人、アジア系の人(たぶん、インドネシア、マレーシアの人だろう)も大勢いる。アジア系の人は団体客が多い。さすがにそのような人はバスローブのような恰好はしていない。
リヤドを出発して、陸地を見下ろすと、まさに荒野が続く。ところどころに山があり、ちょっとした草木が生えているが、全体的には不毛の荒野。砂漠といってよいのかもしれない。
リヤドはまさに砂漠の真ん中のオアシスにできた都市であり、海水を真水に変える技術によって都市圏を増やしていった人工の街だということがよくわかる。言い換えれば、無尽蔵といってよい砂漠地帯を持ち、これから都市を増やしていけるのがサウジアラビアという国なのだろう。ただ、石油はそのうち枯渇するか、何らかの形で現在ほどの価値を持たなくなると考えられるので、その時どうするのか。それを見越して都市化を進めているのだろうが、果たしてそれは可能なのか。そんなことも考えてしまう。
ジェッダ到着。空港は、リヤドに比べればこじんまりしているが、こちらも清潔で感じがいい。ただ巡礼客にあふれており、バスローブにしか見えない服装の人々があちこちで行列を作り、人並みができている。
とはいえ、観光バスに乗って外に出ると、やはりこちらも人影はあまり多くなく、静かで落ち着いている。
バスで空港付近のショッピングモールであるアラビアモールを見物。高級ブランド店や様々ん店の集まるモール。ここもそれほどの客はいない。他人事ながら、これでやっていけるのだろうかと心配になるほど。私たちにもなじみの世界的ブランドも見かけた。映画館もあってアメリカ映画も上映されている。ただ日本のブランドは、ダイソーしかなかったようだ(私はダイソーに気づかなかった。ツアーのメンバーに後で話を聞いた)。100円ではなく、ほぼ300円にあたる均一料金だったという。大きなスーパーがモール内にあった。整然と商品が並べられており、野菜やジュース、肉、魚、香料などが大量に並べられている。ヨーロッパのスーパーと似ているが、魚介類は真空パックで袋詰めにされており、においが漂うことはない。そして、もちろん音楽などまったくかかっていない。
ほかの市場などと比べて、このような近代的なモールは女性客もかなり歩いているが、このようなモールの客は進歩的というのか、あまり信仰心の強くない人が多いのか、顔を出した人が多い。スカーフもかぶっていない女性もかなりいる。男性に至ってはジーパン姿の人もいる(ジェッダの現地ガイドさんはまさにTシャツにジーンズだった)。
その後、紅海に海辺に建てられたフローティング・モスクに行った。ここもまたきれいに整備された海辺。ゴミひとつなく、清掃員があちこちに配備されている。セキュリティの担当者も大勢いて、海辺を巡回し、海に近づきすぎている人がいると注意をしている。
日本の海辺だと、海鳥がいて、ゴミがあって、魚の死骸があって、単なる潮風といえないような臭気がするものだが、ここは海浜公園ともいうべき場所であって、完璧に整備されている。そのそばに白く美しいモスクがある。
中に入らせてもらった。質素ではあるが、きれいな内部でじゅうたんが敷き詰められ、壁にはアラベスク模様のタイルがはめられている。
モスクの横から紅海に沈む夕日を鑑賞。美しかった。
その後、レストランで海鮮料理。エビ、イカ、白身の魚のフライ、蒸したムール貝、それにポテトと味のついた米。とてもおいしかった。一皿に大量に料理がのっているので、三、四人で分けて食べるのかと思ったら、それが一人前。デザートも大きなアイスクリームとチョコレートケーキ。高齢者ばかりのツアーであるためもあって、完食者はなし。おそらくほとんどの人が半分も食べていないと思う。
ホテルに入った。ほかのメンバーは特に問題がなかったようだが、私の部屋はシャワーは水がほんの少し暖かくなった程度のお湯で、洗面所にタオルもコップも洗面道具もなかった。しかも、冷房が効いており、室温は19℃だった。もちろん、エアコンはすぐに消したが、寒かった。若いころから貧乏旅行ばかりしていたので、このような目にあうのには慣れているし、担当者を呼んで面倒なことをするよりも早く寝たいと思ったので、我慢して長袖を引っ張り出して、着たまま寝た。
2月27日
朝9時に出発して、ジェッダの旧市街へ。
これまで真新しい都市ばかり見てきて、ちょっと古い街を見たいと思っていた。猥雑な雰囲気を見たいと思っていた。やっと念願がかなったと思った。
旧市街の建物の特徴として、出窓があるということだった。女性たちが外を見ることができるように、しかし、外からは女性が見えないようにするための出窓だという。美しく細工されていたり、緑色に採食されていたりする出窓が並んでいた。
そのような旧市街の中に歴史あるアル・シャフィー・モスクがあり、19世紀から栄えた商家ナシーフ・ハウスがある。近くの由緒あるコーヒーショップで休憩。アラビアコーヒー(コーヒー豆を使っているようだが、ほかの薬草も混じっているようで、コーヒーの味は薄い。おちょこのようなカップで数回に分けて飲むのが礼儀のようだ)などを飲んだ。
旧市街こそは猥雑なのかと思ったが、やはりここもそうではない。リヤドの店ほどには上品ではなく、狭い間口の店が並んでいる。肉屋があり、靴屋があり、洋服屋がありだが、比較的小ぎれい。日本の商店街よりももっと小ぎれいな印象。外国人労働者と思われる人が重い荷物を運んだりしているが、その人たちもさほど猥雑な感じはない。行きかう人々も白い民族服の人もいたり、ジーパンにティーシャツ姿の人がいたり。しかし、ここも男性の方がずっと多い。女性は男性の三分の一か四分の一以下だろう。
その後、バスでメッカ方向へ。1時間ほど高速を飛ばすと右側に標識が見えた。その標識の下のほうに赤で「FOR NON MUSLIM」とあり、右に曲がるように指示がある。そこから先はイスラム教徒のみが入れる地域だということだ。ただし、少なくとも現在では、イスラム教徒以外の人間が紛れ込んでも厳しく検査されることもなく、ひどい処罰を受けることもないそうだが、もちろん、ほかの宗教を尊重する必要がある。
そのまま引き返して、ふたたびアラビアモールで休憩して、空港へ。
空港はごった返していた。リヤド行きの便の搭乗手続きの窓口は長蛇の列。一人が二つも三つものスーツケースを持っている。多くの客がバスケットボールが入る程度の大きさの同じデザインの箱を持っているが、それはメッカ近くのザムザムの泉で取れた聖水だとのこと。この聖水は航空会社によっては、機内持ち込みの制限から除外されるという。子ども連れも多く、しかも窓口がもたもたしていて、なかなか進まず時間もかなりかかった。
実際に搭乗する際も大混乱。なんだかよくわからないが、チェックポイントでとどめられて何やら手続きをやり直している人も何人もいる。乗り込んでからも混乱は続いた。私の席にすでに別の人が座っていて、どこうとしない。近くの席のツアー・メンバーも同じように、ほかの人がすでに座っていて困っていた。どうやらあちこちでそのようなことが起こっているらしい。しかも、私の隣の席の現地の女性に、英語で、「夫が遠くの席に座っているので席を代わってくれ」といわれた。また、CAさん(西洋人にしか見えない女性。CAは多国籍らしいので、実際にヨーロッパ、もしかしたら東欧の人かもしれない)にも、こちらは別の席に代わってくれないかといわれた。なんだかよくわからなかったが、隣の席の女性の要望に従った。そんなことがあちこちで起こっているらしくてまさに混乱。
あまり飛行機に乗りなれない人がたくさんいるのかもしれない。そうした中、子どもがあちこちで泣き叫んだり、大人同士が大声で話していたり、歩きまわったり、荷物の出し入れでがたがたやっていたり。阿鼻叫喚というかカオスというか。こんな騒がしい飛行機に初めて乗った。離陸してしばらくして、やっといくぶん静まった。
この不自然に静かで小ぎれいなサウジアラビアという国の中で初めて生活感にあふれる猥雑さをみた。それもまた極端だった。きっとこれがサウジアラビアの人々の家庭内の状態なのだろう。家庭内ではこのようにふるまっており、きっと生活感にあふれているのだろう。ところが、家の外では静かによそよそしくしている。それがサウジアラビアなのだと思った。
ドバイで乗り換えて、その後、9時間かけ、28日17時ころに成田到着。その後、コロナ関係のさまざまな登録をして、外に出た。くたびれた。
サウジアラビアは途方もなく不自然な社会だったというのが、私の総括だ。
繰り返し書いたが、都市全体が清潔で近代的で小ぎれいでおしゃれ。ただ、生活感がなく、いかにも不自然。ふつうの国にはあるはずの猥雑さが見られない。しかも、自前の技術ではないのだろうが、石油の力で最先端の快適さを手に入れている。女性が不自由であることは外から出はうかがい知れないが、男性が薄着でいるところを見ると、女性が黒服でおおわれているのは快適であるはずがない。家にいて出窓から外を見ているのが幸せなはずがない。
ただ、そんな女性も打ちひしがれているのではなく、ショッピングを楽しんでおり、飛行機の中で見たように家庭生活を普通に営んでいる。これがサウジアラビアの現代の姿だと思った。
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