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N響&ヤルヴィのチャイコフスキー 凄い!

 2023426日、19時からサントリホールでNHK交響楽団の定期演奏会(Bプログラム)を聴いた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。曲目は、前半にシベリウスの交響曲 第4番、後半に、ピアノのマリー・アンジュ・グッチが加わって、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲と、チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」。

 シベリウスの第4番は、実はこの作曲家の交響曲の中で最も苦手な曲だ。おもしろさがよくわからない。第3番までと第5番以降、作風が変化するが、その中間にあって、後期の作風が十分にこなれていない気がする。パーヴォ・ヤルヴィで聴くとおもしろくなるのではないかと期待したが、やはりあまりおもしろくなかった。

 ただ、いかにもシベリウスらしい素晴らしい音が聞こえてくる。しばしば音そのものに酔った。ただ、それだけだった。N響(ゲスト・コンサートマスターは篠崎史紀)は切れの良い見事な音を出した。

 ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」は、録音も含めて初めて聴いた。とてもおもしろい曲だと思う。パガニーニのカプリース第24番の自由な変奏と言えるだろう。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が繰り返される。確かに、この第24番のメロディそのものは「怒りの日」の変奏と言えそうだ(サン=サーンスの「死の舞踏」と同じように)。マリー・アンジュ・グッチの超越技巧もみごと。バリバリ弾きこなし、しかも小柄な若い女性であるせいか剛腕の音ではない。細身のスマートで繊細な音。とても良かった。

「フランチェスカ・ダ・リミニ」は素晴らしかった。昔々、小学生のころ、同じころにクラシック好きになった友人がこの曲のレコードを持っていた(当時、広く読まれていた雑誌リーダーズダイジェストが販売したレコード集にこの曲が含まれていた)ので、借りてよく聴いたものだ。ヤルヴィの棒さばきはまさに名人技、N響がいかにもチャイコフスキーらしい情念の塊のような激しい音をぶつける。激しい音だが、少しも濁らない。しかも哀愁に満ちた美しいメロディが続く。さすがチャイコフスキー、さすがヤルヴィ、さすがN響。必ずしもチャイコフスキー好きではない(それどころか、曲によっては拒絶反応が起こる)私も素直に感動した。

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都響&小泉のメンデルスゾーンみごと

 2023426日、東京芸術劇場で東京都交響楽団の定期演奏会を聴いた。14時開始のコンサート。指揮は小泉和裕、曲目は前半にヴェルディの「運命の力」序曲と、金川真弓がソリストに加わって、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 ホ短調、後半にメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。とても良い演奏だった。

 小泉の指揮はまさに熟成の味わい。少しの小細工もなく自然に音楽が展開し、しかもまるで絵画のように画面を自然に展開して、大きく盛り上がっていく。「運命の力」は、一つ間違うと大袈裟で肩に力の入ったものになりがちだが、まったくそんなことはなく、スケール大きく、まさしく運命の力を感じさせる。

 ヴァイオリン協奏曲では、金川のヴァイオリンの音色にうっとりした。若いヴァイオリニストなのに、人生の深みを感じさせるような音色とでもいうか。メンデルスゾーンのこの曲はロマンティックにもできるし、さわやかにもできる。だが、金川の音色は抑制されており、様々な感情が含まれている。そのような音で、しかも切れがよく躍動的。カデンツァの部分など、聴衆を引き付ける力を持っている。

「スコットランド」もまさに小泉らしい演奏。ちょっとした手の動きでがらりと音楽の表情が変わり、絵画的に光景を描いていく。都響の音色も豊かで、しみじみとした美しさが広がっていく。といいつつ、ただ、もう少し目覚ましいことをしてくれると、もっとおもしろくなるのになあ・・・と思わないでもなかった。やはり、どうしても玄人受けで少々地味になってしまう。もちろんこれがこの指揮者の持ち味であり、魅力であると知っているのだが、あとほんの少し俗受け狙いをしてもいいのではないかと思ったのだった。

 しかし、とても良い演奏なのは間違いない。とても感動したのだった。

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ウルバンスキ&東響の「新世界」 圧倒的名演だと思った!

 2023423日、オペラシティコンサートホールで東京交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はクシシュトフ・ウルバンスキ、曲目は、前半にメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢 」序曲と、ピアノのヤン・リシエツキが加わってショパンのピアノ協奏曲第2番、後半にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。

 素晴らしい演奏だった。とりわけ「新世界より」は圧倒的な名演だと思った。

「真夏の夜の夢 」序曲は冒頭の弦の弱音の美しさに驚いた。その後も、しなやかでシャープで躍動的で、しかもダイナミックな音楽が繰り広げられていく。

 ショパンの協奏曲については、リシエツキの音にも酔った。このピアニストの音の美しさは東京春音楽祭のブラームスの五重奏曲を聴いて知っていたが、改めて聴き惚れた。芯の強い輝きのある音で、きわめて知的に構築していく。ショパンだからと言って情緒的にはならない。このピアニスト、只者ではない。・・・とはいえ、実は私はショパンをほとんど聴かない。協奏曲の第2番もほとんどなじみがないのに、あらためて気づいた。だから、実は演奏がどうだという資格はない。

 ソリストのアンコールはショパンの夜想曲第20番とのこと。叙情にあふれるが、決して情緒に流されない見事な演奏。素晴らしいと思った。ただ、繰り返すが、私はショパンに関してまったく門外漢なので、私と同じ感想をほかの人が持つかどうか自信がない。

 後半の「新世界」は、冒頭からしなやかでシャープで繊細で躍動感にあふれた演奏だった。フレージングが独特で新鮮に聞こえる。ズバッズバッと音楽に切り込んでいく雰囲気がある。一つ一つの楽器、一つ一つのメロディが生きているのを感じる。

 第2楽章は言葉をなくす美しさだった。イングリッシュホルンの有名なメロディも素晴らしかったが、そのあとの静寂の弦の音の重なりが本当に美しい。シルクの手触りとでもいうか。第3楽章のスケルツォの躍動感も素晴らしく、第4楽章のダイナミックな音の運びも圧倒的。計算しつくされ、完璧に音楽をコントロールしている。ウルバンスキのタクトはかなりわかりやすいのではないか。客席から見ても、どのようなフレーズにしたいのかがわかるような素振りだ。オーケストラ・メンバーもそれをしっかり読み取って、指揮者の意図を的確に演奏しているように見える。終楽章の音のうねりは見事だった。たくさんの楽器の音が重なりながら、少しも音が濁らず、透明感にあふれたまま躍動した。

 私は興奮した。感動した。ウルバンスキはすでに巨匠だと思った。

 この数日続けて素晴らしい演奏にあたっている。幸福感を覚える。

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藤原歌劇団「劇場のわがままな歌手たち」 アガタ役の押川浩士に感嘆!

 2023422日、テアトロ・ジーリオ・ショウワで藤原歌劇団公演「劇場のわがままな歌手たち」をみた。一般に「劇場の好都合、不都合」というタイトルで上演されているオペラだ。私はDVDでこのオペラをみたことがあったが、実演を見るのは初めて。

 あるオペラ座で、歌手たちがわがままを言っていがみ合い、ついには一人の歌手の母親アガタ(バスで歌われる!)がしゃしゃり出てめちゃくちゃにしてしまう。そんな破天荒なオペラ。一つ間違うと、上滑りしてしまうところ、とてもおもしろくみることができた。指揮は時任康文、演出は松本重孝。合唱は藤原歌劇団合唱部、管弦楽はテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ。

 アガタ役の押川浩士がまさに怪演。しっかりと歌い、演じて、本当に楽しかった。めちゃくちゃに歌っているように思えて、しっかり計算されつくした歌。見事。

 そのほか、作曲家の大石洋史、台本作家の和下田大典、興業主の坂本伸司、プローコロの久保田真澄、劇場歌手の持木弘など男性陣が特に充実。いずれも音程よく、しっかりした声で歌う。プリマドンナの坂口裕子、第二ソプラノの中桐かなえ、専属歌手の𠮷村恵も大健闘。

 オーケストラも十分にドニゼッティの世界を作ってくれた。若いメンバーだと思うが、頼もしい。演出については、これまでにDVDで見た上演よりも、私はずっと笑えた。

 ドニゼッティのオペラは他愛ないものが多いが、娯楽オペラとしては実に楽しい。声の妙技は味わえるし、大人のウィットも味わえる。藤原歌劇団がこのようなオペラを取り上げてくれるのはとてもうれしい。

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METライブビューイング「ローエングリン」 ただただ感動するばかりの音楽!

 METライブビューイング「ローエングリン」(2023318日上演)をみた。指揮はヤニック・ネゼ=セガン、演出はフランソワ・ジラール。

 まず、ネゼ=セガンのあまりに雄弁な指揮に圧倒される。様々な楽器の音が強くうねって聞こえてくるが、しっかりと全体のコントロールができている。その音で「ローエングリン」の神秘的で英雄的で悪魔的で、時に官能的な世界を作り上げていく。聴く者としては、ただそのうねりに身をゆだね、感動に浸ることになる。私は2011年にザルツブルク音楽祭でこの指揮者の力量を初めて知ったのだったが、それから十数年、ものすごい指揮者になったものだと思った。ただ、オーケストラが強すぎるためもあって、合唱のセリフがほとんど聞き取れない(まあ、ワーグナーの場合、どの上演でもそんなものだが)のは気になった。

 さすがMETというべきか、歌手陣も最高度に充実している。タイトル・ロールのピョートル・ベチャワ。近年のローエングリン歌いとしては、フォークトやカウフマンを上回るのではないかと思う美声とエネルギー。インタビューの中で「経歴30年」と語っていたのでびっくり。若く見えるし、私がこの歌手を知ったのはたかだか10年ほど前なので若い歌手だとばかり思っていたら、50代後半らしい。

 もうひとり目立ったのは、やはりオルトルートのクリスティーン・ガーキー。まさに悪魔的な力を聴かせてくれた。エルザのタマラ・ウィルソンも清純な歌でこの役にふさわしい美声だが、ガーキーが相手では、こりゃたじたじだな!とは思った。

 ハインリヒのギュンター・グロイスベックもさすがの歌唱。テルラムントのエフゲニー・ニキティン(プーチンとの関係はどうだったのだろう?)も見事。そして、伝令役の歌手(日本版のパンフやネットに歌手名の記載がない)もとても良かった。多くの上演のように軍人風に歌うのではなく、人間味あふれた歌い方。演出家または指揮者による指示なのかもしれないが、とても興味深く思った。ともかく、すべての歌手が本当に素晴らしい。音楽に関しては、私はただただ感動するばかりだった。

 演出については、合唱団が衣装のマントを変えることによって、白や赤や黒に即座に変化させる仕掛けには感嘆した。状況に応じ、音楽に応じて即座に舞台の雰囲気が変わる。しかも、それによって合唱団の気持ちを表す。ただ、ずっと地底のようなところで物語が展開し、穴から月や空が見えることの意味については理解できなかった。もしかして、ウクライナに端を発する第三次世界大戦で地球が崩壊したのちの世界を描き、「東からの攻撃」に備えて団結しようというメッセージが含まれるのかな?とも思ったが、あまり自信はない。

 なお、私はこれを昨日(2023421日)の午前開始の上映を東銀座の東劇でみた。その後、かつしかシンフォニーヒルズに向かって、昨日このブログに書いたネマニャ・ラドゥロヴィチとドゥーブル・サンスの演奏を聴いたのだった。5時間のライブビューイングの後のコンサートはなかなかハードだった。しかも、昨日も書いた通り、先週、短期入院しており、3つのコンサートのチケットを無駄にした後の久しぶりのオペラ映画とコンサートだった。時間の長さもさることながら、音楽の充実ぶりを含めて、3回分の欠席のリベンジができたと思った。

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ネマニャはやっぱり凄かった!

 2023421日、かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホールで、ネマニャ・ラドゥロヴィチ presents ドゥーブル・サンスを聴いた。

 ドゥーブル・サンスは、ネマニャ・ラドゥロヴィチが結成した弦楽アンサンブルで、ヨーロッパで活動している。2005年のナントでネマニャのヴァイオリンを聴いて驚嘆、わたしはそれ以来、大ファンになって現在に至る。ドゥーブル・サンスの今回の公演は、ちょっとした手違いがあってチケットを買いそびれ、その後、あれこれ雑用が重なったために今回はあきらめようかと思っていたが、知り合いに強く誘われて、直前になってやはり聴くことにした。聴いてよかった。感動した。

 ネマニャの音は以前にもまして研ぎ澄まされてきた。音程がぴたりと合ってゆるぎなく、しかも繊細にして強靭。その音でスケール大きく、天空に切っ先鋭くデモーニッシュと言えるほど大胆に音楽を描いていく。それだけでもぞくぞくするほど素晴らしい。聴く者はまさにこの音の虜になり、魂の乱舞の世界に入り込む気になる。(ネマニャは松葉杖姿で登場。足を痛めている様子。骨折だろうか。痛々しい姿だったが、出てくる音は、まったくそのようなことは感じさせなかった!)

 ところが、アンサンブルもまた、ネマニャの音のように繊細で鋭くて躍動的。まさにネマニャの音を弦楽アンサンブルとして拡大したかのような精度。それでもって「四季」(ただし、春・冬・秋・夏の順だった)を演奏するので、シャープで生き物のように躍動感にあふれており、ちょっと手を触れると、そのものすごい魔力と生命力のために、血が噴き出しそうな気さえする。その中でネマニャが超絶技巧を聴かせる。こんな「四季」を聴いたことがない!

 セドラーの「日本の春」は、以前にも聴いたことがある。セドラーはネマニャの友人の作曲家で、この曲は震災を題材にしたもので、平和で穏やかだった日本の自然が震災の被害を受けながらも立ち直って再び豊かな景色を見せる様子を描く。ただ、日本の情景を描く旋律が、やはり私の耳には日本的というよりも中国的に聞こえて、違和感をぬぐえない。

 後半は、そのセドラーの編曲によるリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」。弦楽アンサンブルをバックにしたヴァイオリン協奏曲版の「シェヘラザード」といった趣。シェヘラザードのモティーフの音がまずあっというほど美しい。リムスキー=コルサコフはオーケストレーションの名手なので、オリジナルの色彩感は圧倒的なのだが、弦楽アンサンブルでも見事に色彩的なのに驚いた。様々な音色が交錯する。そこにネマニャのあまりに美しいヴァイオリンが切り込んでいく。オリジナル・ヴァージョン以上に雄弁。終曲の躍動感は圧倒的だった。自然に体が揺れ動いて、演奏と一緒になって世界が躍動する。凄い!

 アンコールはトニー・ミシュナ&ジョゼフ・コロンボの「アンディフェランス」と「竹田の子守歌」とモンティの「チェルダーシュ」。「チェルダーシュ」以外は私にはあまりなじみのない曲だったが、ホール全体を巻き込む力を持っている。心の底から感動した。

 実は、先週、命にかかわらない病気のために入院し、金曜日に手術をして日曜日に退院した。その後、人間ドックに引っかかって精密検査を繰り返していた。この1週間、少々憂鬱な時間を過ごしていた。が、切った場所の痛みもほとんどなくなり、精密検査の結果、大病でないことがわかって、今日はネマニャを聴けて気分が晴れた。やっぱりネマニャは凄いとつくづく思った。

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郷古&加藤&横坂のショスタコーヴィチに興奮

 2023411日、東京文化会館 小ホールで東京春祭室内楽シリーズ vol.3 郷古廉&加藤洋之のリサイタルを聴いた。

 曲目は、前半にブロッホの《バール・シェム》より第2曲「ニーグン」(ヴァイオリンとピアノ版)とショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ。後半に、シルヴェストロフのヴァイオリン・ソナタ《追伸》とチェロの横坂源が加わってショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番。息をのむような名演だと思った。興奮した。

 まず郷古廉のクールでシャープでクリアなヴァイオリンの音にしびれる。音程とリズムがびしっと決まって揺らぐことがない。そのような音で、きわめて知的に、そしてスケール大きく音楽を作っていく。だが、もちろん非人間的な雰囲気はまったくない。ブロッホの音楽ではリリシズムにあふれており、ショスタコーヴィチでは情念にあふれている。しかし、形が崩れない。必死にがむしゃらにかき鳴らしているのではない。奏者の内面にこもるよりはもっとスケールが大きく、宇宙的に広がりを見せるとでもいうか。

 加藤洋之のピアノも強烈な音とリリシズムにあふれており、シャープで現代的。二人の音が合わさって、とりわけショスタコーヴィチでは凄まじい世界を繰り広げた。ショスタコーヴィチの音楽はヒステリーの爆発とでも呼べるものだが、この二人が演奏すると、暗くて怨念にあふれて鬱積した狂気のショスタコーヴィチではなく、生きる情念を宇宙に向けて発散する得体のしれないエネルギーを持つショスタコーヴィチになる。

 ソナタの第2楽章は、まさに息をのむ演奏。郷古に額から汗が吹き出し、第3楽章では、汗がヴァイオリンを伝って黒服にまで滴り落ちていた。それでもまったく揺らぐことなく、びしっと決まった世界を作り出していく。

 シルヴェストロフの曲は初めて聴いた。この曲だけではなく、そもそもこの作曲家の曲は初めてだった。ウクライナ出身の作曲家としてこのところ急に名前を聞くようになったが、どうやら、それだけで済まされる作曲家ではなさそうだ。とてもおもしろかった。ただ、基礎知識なしに聴いたので、何とも言えない。

 ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲も、ソナタに劣らぬほど素晴らしい演奏だった。もうすでにヴァイオリンとピアノで世界を作り上げてしまった中に、突然、登場して、横坂さんはやりにくかったのだろう。初めは少し安定しなかったが、すぐに二人に負けじと強烈な音楽を作り出した。最終楽章のすさまじさは言葉をなくす。ここでも、クリアでスケールの大きな郷古さんのヴァイオリンが前衛として敵地に切り込み、そこにいっそう爆発的なピアノとチェロが追ってくる。興奮した。

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東京春祭「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 第三幕に興奮した!

 202349日、東京文化会館で東京春音楽祭、ワーグナー・シリーズ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(演奏会形式)を聴いた。指揮はマレク・ヤノフスキ、オーケストラはライナー・キュッヒルがゲストコンサートマスターを務めるNHK交響楽団。

 第一幕、第二幕は、正直言って、舞台なしに音楽だけ聴くのはけっこうしんどいと思った。歌手陣は最高レベルにそろっている。ヤノフスキの指揮も申し分ない。まったくスキがなく、ドラマティックで明快。しっかりした音で確信をもって音楽が進んでいく。ただ、舞台がないと笑いが起こらないし、何をしているのかわからない・・・。

 が、第三幕に入ったら、もうそんなレベルではなくなった。圧倒的な音楽だった。とりわけヴァルターの歌に名前を付けた後の五重唱のあたりからは、私は陶然となった。一人一人の歌手の力量も素晴らしいが、五重唱になるとその威力を発揮する。そして、第五場の場面展開後のヨハネ祭の場面の壮大さ、そして、ハンス・ザックスとベックメッサーとヴァルターのやり取りの音の絡みは言葉をなくす凄さ。ヤノフスキの音楽はけっして重くならない。明快でぐいぐいと音楽を推進していく。NHK交響楽団が見事に美しい音を出して、感動を高めていく。

 歌手陣では、私は何よりもエファのヨハンニ・フォン・オオストラムの美声に惹かれた。五重唱でもこの人の声がひときわ清澄だった。ハンス・ザックスのエギルス・シリンスは、実は先日、新国立劇場の「ホフマン物語」でフランス語歌唱に問題を感じたのだったが、ドイツ語でワーグナーを歌うと、水を得た魚というか、まさに確信に満ちている。ポークナーのアンドレアス・バウアー・カナバスも威厳に満ちた声でこの役にふさわしい。ベックメッサーをおなじみのアドリアン・エレートが歌ったが、さすがのうまさ。喜劇表現も見事。ヴァルターのデイヴィッド・バット・フィリップはまだ若い歌手だと思う。ちょっと癖のある発声だと思うが、高貴でとても魅力的。ダフィトのダニエル・ベーレも素晴らしい歌いまわし。マグダレーネのカトリン・ヴンドザムもなかなか美声。

 日本人歌手たちもしっかり歌った。東京オペラシンガーズも見事。まったく穴がなく、全体がそろっていた。これだけの歌手がそろうと、やはりこのオペラはものすごい説得力を持つ。

 もう一つ。舩木篤也氏による字幕も、現代的な言葉を使いながらも格調高くて、私はとても感銘を受けた。素直に音楽の世界に入り込めた。

 スタンディングオベーションが巻き起こった。ほぼ全員が立ち上がっていたのではないか。ワーグナーは最高だなあ…とつくづく思う! 

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東京二期会「平和の日」 素晴らしいオペラではないか!

 202348日、オーチャードホールで東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「平和の日」を聴いた。

 中学生のころ、つまり57年ほど前に「ばらの騎士」と「サロメ」のレコードに心をかきむしられて以来、私はリヒャルト・シュトラウスのオペラが大好きだ。その後、機会があるごとにオペラ上演や音楽ソフトに接してきた。「平和の日」をみたいとずっと思っていた。シノーポリ指揮のCDを聴いたが、やはりオペラはみないことにはどうにもならない。一生、このオペラに触れる機会はないのではないかとさえ思っていた。東京二期会がこのオペラを取り上げると知って大いに喜んだ。

 が、実を言うと、CDを聴いてあまり惹かれなかったので、今回の上演にそれほど期待していたわけではない。ドイツでもめったに上演されず、日本はこれが初演だという。上演されないのにはそれなりに理由があるはずなので、やはり音楽的に面白くないのだろうと思っていた。

 だが、素晴らしかった。なんと美しい音楽であることか! そして、なんと見事なオーケストレーション! さすがシュトラウス。なぜ、これが上演されないのか、理解に苦しむと思った。

 確かに台本は少々お粗末。シュテファン・ツヴァイクの原案だが、ナチスに追われたために、台本はほとんど素人のようなヨーゼフ・グレーゴルが担当した。言葉も詩的ではないのだろうが、話もわかりにくく、クライマックスの作り方にも難がある。登場人物が生きてこないし、対話が劇性を帯びてこない。確かにオペラとしては欠陥があると言えそうだ。そのため、ややオラトリオ的な雰囲気になってしまっている。だが、それに余りあるほど音楽は素晴らしい。

 このオペラは、ドイツの30年戦争に基づく史劇。降伏して平和を求める市民の願いを無視して、意固地に戦おうとする司令官の敗北を描いている。今、このオペラを上演すると、まるでウクライナに降伏を勧めるメッセージのように見えてしまうが、そう考えるべきではなかろう。これはむしろ、市民の反戦の願いを無視して、権力の手先として大義を貫く司令官(現代と重ね合わせると、もちろんプーチン大統領)への批判としてとらえるべきだろう。

 演奏も見事だった。日本人による演奏も、これほどまでに高レベルになったのかと改めて思った。脇役に至るまで、ほとんどすべての歌手がドイツの一流劇場にまったく引けを取らないと思う。

 その中でもとりわけ、マリア役の中村真紀が素晴らしかった。凄い歌手だと思った。この役にふさわしい強さと健気さを兼ね備え、音程がよくしっかりと声が伸びていく。マルシャリンやアリアドネやアラベラ、ことによるとサロメやクリソテミスも聴いてみたくなるような逸材だ。司令官の清水勇磨もマリアに負けぬ見事な歌声だった。この二人の掛け合いはまさに絶品。心から感動した。

 そのほか、河野鉄平、伊藤達人、石野真帆、北川辰彦、高野二郎、髙田智士、松井永太郎、倉本晋児、石崎秀和、的場正剛、前川健生はすばらしい。大島義彰の合唱指揮による二期会合唱団もよかった。

 指揮は準・メルクル、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。シュトラウス特有の雄弁な音を奏でて、壮麗な世界を作り出した。見事な演奏だったと思う。背後に映像が流され、ちょっとした演技がついた。舞台監督は幸泉浩司。それについても、私は不満はない。

 昨年、ノット指揮、東響の「サロメ」に大いに感動したのだったが、それに匹敵するほどの名演だった。 このオペラの本格的なオペラ上演をみたくなった。

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東京春音楽祭、リシエツキの加わるブラームスの室内楽に感動! 

 202345日、東京文化会館 小ホールで東京春音楽祭、ブラームスの室内楽Xを聴いた。出演は、矢部達哉、水谷晃(ヴァイオリン)、川本嘉子、横溝耕一(ヴィオラ)、 向山佳絵子(チェロ)、ピアノはヤン・リシエツキ。

 曲目は前半にブラームスの弦楽五重奏曲 第2番、後半にピアノ四重奏曲 第2番。

 前半は少し不満に思った。音楽が求心的にならずに、拡散していくのを感じた。リーダー不在で、各楽器が思い思いに音を出している感じで、一つにならない雰囲気。どれが主旋律なのか、どういうフレーズなのははっきりしない。輪郭がぼやけてしまう。もしかしたら、そのような演奏を目指したのかもしれないが、少なくとも私は納得できなかった。

 後半、ピアノのヤン・リシエツキが加わると、音楽ががぜん明確になってきた。私はピアノ曲をあまり聴かないので、このピアニストについては名前を知っている程度だったが、確かに素晴らしいピアニストだと思った。一つ一つの音がしなやかでありながら明確で輝かしい。そのような音で実に生き生きと弾きこなす。しかも、完全に音楽をリードしている。前半の弦楽五重奏曲がリーダー不在を感じたのだったが、こちらでは若いピアニストが完全に音楽をリードしているように聴こえた。リシエツキは弦楽奏者の顔、特に矢部さんの顔をたびたび見ながら合わせていく。ここまでほかの奏者と顔を合わせるピアニストを初めて見た。こうして、しなやかでメリハリがあり、自然に音楽が流れ、輝かしく、エネルギーにあふれる音楽が展開されていった。

 アンコールに、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番の終楽章。これは圧倒的に素晴らしかった。エネルギーにあふれ、ジプシー風の力が漲っている。感動した。

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戸田弥生のイザイの無伴奏ヴァイオリン 第2番の死の表現に圧倒された!

 2023年4月1日、旧東京音楽学校奏楽堂で、東京・春・音楽祭 戸田弥生によるイザイ作曲無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏を聴いた。凄まじい名演だと思った。

 まず、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第1楽章が演奏され、そのままイザイのソナタに移った。全曲の演奏が終わった後に、戸田さんご自身の口で、イザイとバッハの間に強い親近性があることから、そのようにしたことが明かされた。

 バッハの曲は、まさにプレリュードとしてのもの。魂の音楽世界に入り込むための祈りの言葉のようなものだと思う。ここで、バッハ‐イザイの世界に入り込み、この後、イザイの世界に没入していく。

 それにしても、なんとすさまじい世界であることか。スケールが大きく、ヴァイオリンの音が大きく流動する。魂の音が真剣による気合のように切り込まれる。まさに魂そのものに肉薄していく。

 とりわけ、私は第2番の表現に圧倒された。この曲は「死」がテーマだ。バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番の冒頭が引用され、そこにグレゴリオ聖歌の「怒りの日」がが重なり、その後、「怒りの日」が形を変えて現れ、まさに死がこの世界に跋扈し始める。死と真正面から向かい、それに打ちひしがれ、それに打ち勝とうとする様子が音によって描かれているとでもいうべきか。それにしてもすさまじい気迫によるすさまじい表現。死と格闘する人間の魂を見る思いがした。

 第3番も第4番も第5番も、そしてもちろん第6番も素晴らしかった。6曲全体が一つの魂の物語になっていた!

 私は戸田さんのヴァイオリンを聴くと、往年の大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティを思いだす。音楽の本質をわしづかみにし、小ぎれいにまとめるのを拒絶し、魂そのものを引き出す。戸田さんはまさにそのようにして音楽を作り出す。シゲティの音よりも戸田さんの音の方が圧倒的に美しいのだが、正直言って、時々、あまり美しくない音が戸田さんのヴァイオリンから聞こえてくることがある。だが、戸田さんはそのようなことは意に介さない。そのような表面的な音の美しさは二の次にして、音楽の本質をつかみだす。その力のすさまじさ! 私の心は戸田さんのヴァイオリンにゆり動かされた。

 私は戸田さんの大ファンなのだが、時に、息苦しくなる。もう少し「遊び」がほしいと思うことがある。あまりの集中力、あまりの気迫に押され、「ちょっと窓をあけて風を入れてほしい」と言いたくなることがある。だが、今回のイザイに関しては、最初から最後までに圧倒的な集中力に感動しっぱなしだった(ただ、聴き終わった後、どっと疲れを感じたが)。

 イザイの演奏が終わった後、戸田さんがイザイとバッハの関係、イザイがシゲティのバッハ演奏を聴いて衝撃を受けてこの曲を作ったことを話された。アンコールとして、バッハの第3番パルティータのガヴォット・アン・ロンド。安らぎの感じられる曲だが、戸田さんが弾くとこの曲もスケールの大きな魂の音楽になる。

 上野は、桜の時期の終わりを見ようとする客で大賑わい。駅から上野公園にかけて大変な人出だった。満足だった。

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