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戸田弥生のイザイの無伴奏ヴァイオリン 第2番の死の表現に圧倒された!

 2023年4月1日、旧東京音楽学校奏楽堂で、東京・春・音楽祭 戸田弥生によるイザイ作曲無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏を聴いた。凄まじい名演だと思った。

 まず、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第1楽章が演奏され、そのままイザイのソナタに移った。全曲の演奏が終わった後に、戸田さんご自身の口で、イザイとバッハの間に強い親近性があることから、そのようにしたことが明かされた。

 バッハの曲は、まさにプレリュードとしてのもの。魂の音楽世界に入り込むための祈りの言葉のようなものだと思う。ここで、バッハ‐イザイの世界に入り込み、この後、イザイの世界に没入していく。

 それにしても、なんとすさまじい世界であることか。スケールが大きく、ヴァイオリンの音が大きく流動する。魂の音が真剣による気合のように切り込まれる。まさに魂そのものに肉薄していく。

 とりわけ、私は第2番の表現に圧倒された。この曲は「死」がテーマだ。バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番の冒頭が引用され、そこにグレゴリオ聖歌の「怒りの日」がが重なり、その後、「怒りの日」が形を変えて現れ、まさに死がこの世界に跋扈し始める。死と真正面から向かい、それに打ちひしがれ、それに打ち勝とうとする様子が音によって描かれているとでもいうべきか。それにしてもすさまじい気迫によるすさまじい表現。死と格闘する人間の魂を見る思いがした。

 第3番も第4番も第5番も、そしてもちろん第6番も素晴らしかった。6曲全体が一つの魂の物語になっていた!

 私は戸田さんのヴァイオリンを聴くと、往年の大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティを思いだす。音楽の本質をわしづかみにし、小ぎれいにまとめるのを拒絶し、魂そのものを引き出す。戸田さんはまさにそのようにして音楽を作り出す。シゲティの音よりも戸田さんの音の方が圧倒的に美しいのだが、正直言って、時々、あまり美しくない音が戸田さんのヴァイオリンから聞こえてくることがある。だが、戸田さんはそのようなことは意に介さない。そのような表面的な音の美しさは二の次にして、音楽の本質をつかみだす。その力のすさまじさ! 私の心は戸田さんのヴァイオリンにゆり動かされた。

 私は戸田さんの大ファンなのだが、時に、息苦しくなる。もう少し「遊び」がほしいと思うことがある。あまりの集中力、あまりの気迫に押され、「ちょっと窓をあけて風を入れてほしい」と言いたくなることがある。だが、今回のイザイに関しては、最初から最後までに圧倒的な集中力に感動しっぱなしだった(ただ、聴き終わった後、どっと疲れを感じたが)。

 イザイの演奏が終わった後、戸田さんがイザイとバッハの関係、イザイがシゲティのバッハ演奏を聴いて衝撃を受けてこの曲を作ったことを話された。アンコールとして、バッハの第3番パルティータのガヴォット・アン・ロンド。安らぎの感じられる曲だが、戸田さんが弾くとこの曲もスケールの大きな魂の音楽になる。

 上野は、桜の時期の終わりを見ようとする客で大賑わい。駅から上野公園にかけて大変な人出だった。満足だった。

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