フリューゲルカルテットのモーツァルト 病院食のようだったが、意図的なのか?
2023年5月29日、東京文化会館小ホールで、モーツァルト協会例会、「1787年の光と影」、ハ長調 K515とト短調 K516のふたつの弦楽五重奏曲を聴いた。演奏はフリューゲルカルテットとヴィオラの磯村和英。
フリューゲルカルテットは一線で活躍する岩田恵子、ビルマン聡平(ヴァイオリン)、大森悠貴(ヴィオラ)、植木昭雄(チェロ)によって2019年に結成された四重奏団。磯村さんはもちろん、ビルマン聡平や植木さんをこれまで何度か聴いてとても良い演奏だったので、期待して出かけた。
意図的にこのような演奏にしているのだろうか。冒頭から、私は大いに疑問に思った。味付けがあまりに薄い。4月に入院をして、信じられないほど味の薄い病院食を出されて閉口した。素材の味が出ていればいいのだが、そうでもなかった。音楽を聴きながら、その時のことを思い出した。
全体の音量も小さい。メリハリはほとんどない。ただ合わせているだけに思える。ハ長調のこのおおらかでスケールの大きい雰囲気がない。ト短調の曲になると、悲しみを強調するのかと思っていたが、こちらも同じ雰囲気だった。ト短調の出だしも、あの激しい悲しみの表現があまりに控えめ。だから、ハ長調とト短調の正反対の特徴を持つこの二つの弦楽五重奏曲の対比があまり出ない。第四楽章の途中から明るく活発になるところも、その前との対比が出ない。モーツァルトの悲しみもモーツァルトの躍動感も表現されない。フレーズとフレーズの性格の違いも明確に示されない。ハ長調もト短調もずっと同じ雰囲気。アンコールはモーツァルトの弦楽五重奏曲K593。これも同じような演奏だった。
近年の演奏は対比を強調するタイプのものが多い。そうやって激しく音楽を作っていく演奏が増えている。もしかしたら、そのような味付けの濃すぎる演奏に対して、フリューゲルカルテットはノンをたたきつけて、あえて病院食にしているのだろうか。ほとんど味付けのない、最初から最後まで同じような演奏にし、音量もずっと控えめにして、「今の演奏は味付けが濃すぎる。そんなものは邪道だ。私たちのこそが本当のモーツァルトだ」と言いたいのだろうか。
だが、私はあまりこのような演奏をあまりに平板だと思った。退屈してしまった。私はこの2つの弦楽五重奏曲が大好きなだけに残念だった。
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