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ミンコフスキ&都響のブルックナー第5番  第4楽章に魂が震えた!

 2023年6月26日、サントリーホールで東京都交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はマルク・ミンコフスキ、曲目はブルックナーの交響曲第5番(ノヴァーク版)。

 久しぶりのブルックナー。大好きな作曲家だが、年齢とともに重すぎると感じるようになって、あまり積極的には聴かなくなった。

 私はブルックナーの交響曲については、クナッパーツブッシュやクレンペラーの録音で曲を知り、ヨッフムやチェリビダッケの実演に接して圧倒され、ヴァントの録音や実演を聴いて平伏してきたのだったが、ミンコフスキの演奏は、私がこれまで聴いてきた演奏とはやはりかなり異なる。いや、ヤノフスキやヴァイグレやヤングとも異なる。一言で言ってしまえば、ゲルマン的精神性とでもいうべきものがすがすがしいほどに皆無だということだろう。ヴァントの演奏に初めて接したときにも、それまでのようなおどろおどろしさがないのに驚いたのだったが、ミンコフスキはその比ではない。オーケストラの機能美というのか、音楽そのものの美が前面に出ているというか。しかも、かなり楽天的で快速!

 第3楽章まで、私は少し不満を覚えながらも、それはそれで都響の健闘は驚くべきで、濁りのない明るくてくっきりした音響を作り出していることには感心して聴いていた。そして、第4楽章。これはすごかった! それまでの不満はどこかに行ってしまった。まったくゲルマン的ではないのだが、これはこれですさまじい法悦をもたらす。音の愉悦とでもいうか。天上にまで登っていく音響の世界! 全身に感動の震えを感じた。まさに法悦! これはこれですごいブルックナーだと思った。きわめて現代的なクリアな音響。しかし、それでもやはりブルックナーらしい宗教的な音楽世界が宇宙的に広がっていく。

 このようなブルックナーの世界を作るミンコフスキも見事。それを音にした都響もさすが。何はともあれ、第4楽章については私は心の底から感動した。

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マリオッティ&東響 「ザ・グレイト」が立体的に高揚した!

 2023年6月25日、ミューザ川崎で東京交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はミケーレ・マリオッティ、曲目は、前半に萩原麻未が加わって、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番、後半にシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。

 マリオッティの指揮はロッシーニなどのオペラ映像でかなりみている。ドラマティックでしかもオーケストラを完璧にコントロールして、まさに完全燃焼タイプ。「ギヨーム・テル」だったか、序曲があまりに凄まじく、もうそれだけで満足するような演奏だった(もちろん、最後の幕まで素晴らしかった!)。そんなタイプの演奏なので、できればモーツァルトやシューベルトではない方がうれしいと思ったが、ともあれ足を運んだのだった。

 モーツァルトの協奏曲は、マリオッティの指揮についてはアクセントを強めにして、細かいニュアンスを大事にしていく。そこに萩原の優美でしなやかなピアノが重なって、すがすがしい世界が展開した。とても美しい。第二楽章も流れるよう。ただ、マリオッティ目当てに来た私からすると、もう少しインパクトが欲しいなとは思った。ピアノのアンコールはグノーのアヴェ・マリア。通俗名曲だが、このうえなく美しくしなやかに演奏。

 後半のシューベルトに関しては、まさしく名演だと思った。

 ただ実をいうと、これは私の苦手な曲だ。シューベルト自身あまり好きではないのだが、とりわけ「ザ・グレイト」は、次々と「歌」が流れ、それが延々と続くばかりで、あまりに平面的、並列的で、聴くたびに「天国的な退屈さ」だと思ってきた。

 だが、さすがにマリオッティが指揮すると、あちこちにメリハリがつき、ニュアンスが深まり、音楽が立体的、構造的になってくる。クレシェンドやスタッカートを強調し、アクセントをつけて、音楽に勢いをつけるが、それがきわめて理にかなって聴こえるので、不自然ではない。楽器を見事にコントロールし、東響から素晴らしい響きを引き出してくる。このような演奏だったら、私はけっして苦手とは感じない。第4楽章はスケール大きく高揚し、ロマンティックな感情が爆発した。

 シューベルト好きではない私が大いに惹かれて聴いたのだから、きっとシューベルト好きは興奮するだろうと思った。

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神奈川フィル「サロメ」 素晴らしかった!

 2023624日、横浜みなとみらいホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団によるリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」(セミ・ステージ形式)を聴いた。指揮は沼尻竜典。素晴らしい演奏だった。

 歌手陣もきわめて高水準。まず、最初に登場するナラボート役の清水徹太郎と小姓役の山下裕賀が見事。ナラボートと小姓がオペラの雰囲気を作るので、とても大事な役だと思うが、完璧に役割を果たしている。そして、なんといってもサロメの田崎尚美が素晴らしい。厚いオーケストラに負けずにホール中に伸びのある美しい声が響いた。銀の盆の場面の歌も迫力満点。そして、ヨカナーンの大沼徹も深みのある高貴な強い声でこの役にふさわしい。

 福井敬が急病のため代役としてヘロデを歌った高橋淳が卑小で臆病でありながら色好みというこの王の役を見事に歌った。私は実はこの歌手が大好きで、この人こそ日本最高のミーメ歌いだと思っているのだが、今回も日本歴代最高のヘロデだと思った。

 へロディアスの谷口睦美も高慢で色気のあるこの役を最高度に再現していた。この役にしては若くて美しすぎるが、なるほどこのようなヘロディアスもあっていいだろう。そのほか、わき役を歌った歌手たちも実力者たちで、まったくスキがなかった。

 そして、やはり沼尻の指揮の充実ぶりも特筆に値する。初めの音から緊迫感にあふれ、神奈川フィルの音を完璧にコントロールして、まさに縦横無尽に音楽を組み立てていった。神奈川フィルの音も私にはまったく不満はない。コンサートマスターの石田泰尚のソロもぞくぞくするような蠱惑的な音。このようなことを言うとあまりに失礼だが、神奈川フィルがこれほどまでに素晴らしい音を出すとは! 興奮して帰途に就いた。

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クロンベルク・アカデミー日本ツアーⅡ 満足!

 2023年6月17日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、クロンベルク・アカデミー日本ツアーⅡを聴いた。曲目は、前半に大江馨(ヴァイオリン)、今井信子(ヴィオラ)、アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)、ユリアス・アザル(ピアノ)によるモーツァルトのピアノ四重奏曲第2番と、ミハエラ・マルティン、毛利文香(ヴァイオリン)、今井信子、サラ・フェランデス(ヴィオラ)、アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)によるメンデルスゾーンの弦楽五重奏曲第2番、後半に毛利文香、大江馨(ヴァイオリン)、ハヤン・パク、サラ・フェランデス(ヴィオラ)、フランス・ヘルメルソン、アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)によるブラームスの弦楽六重奏曲第2番。

 モーツァルトの四重奏は、アザルの明るくて潤いがあって芯の強いピアノに弦楽器が重なって、とても心地よい演奏だった、わくわく感があり、明瞭で楽しかった。

 メンデルスゾーンについては、前回と同じように、クロンベルク・アカデミーの講師である第一ヴァイオリンのマルティンが濃厚な表現で引っ張った。前回はほかのメンバーがそれについていけず、マルティンが、ちょっと悪く言えば独り相撲を取っているような雰囲気だったが、今回は何しろ格としてマルティンに負けていない今井信子がいる。今井がしっかりと、マルティンの表現を受けて深みのある音楽を作り出していた。メンデルスゾーンの心の奥をえぐるような演奏。とてもよかった。

 ブラームスの弦楽五重奏曲は、第一ヴァイオリンが毛利文香に代わったためか、まったく違う表現になった。マルティンほど濃厚ではなく、もっと清潔で自然。音色が美しく、若々しい。ただ、やはりマルティンほど強い個性でほかのメンバーを引っ張っていくのではないので、ところどころでちょっとだけ味が薄くなる。むしろ、若くて力を出し切るような演奏。若いヴァイオリニストなのに、ブラームスの世界を無理をしないで自然体で聴かせてくれて、それでいて十分に説得力があった。3曲ともにとても高レベルで私は満足だった。

 2023年のサントリー・チェンバーミュージック・ガーデンは、私は今回で終了。全部で10公演を聴いたが、とても満足。やはり、エリアス弦楽四重奏団によるベートーヴェン・サイクルが最も充実していた。満足の2週間だった。

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エラール・ピアノの親密な音

 2023年6月16日、サントリーホールでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、「エラールの夕べ」を聴いた。エラールというのは、壮年のブラームスがクララ・シューマンから譲り受けて愛用していたフォルテピアノのメーカーだという。サントリーホール所蔵のエラール・ピアノを用いてのコンサート。出演は、佐藤俊介(ヴァイオリン)、鈴木秀美(チェロ)、スーアン・チャイ(フォルテピアノ)。古楽器意を用いての、まさにブラームスの時代を再現するようねコンサート。

 曲目はすべてブラームスの作品。前半にヴァイオリン・ソナタ第2番とチェロ・ソナタ第2番、後半にピアノ三重奏曲第3番。

 まずはフォルテピアノのやわらかい音にびっくり。ちょっとくぐもっている感じで、前面に出る音ではない。だが、確かに雰囲気がある。親密な空間を作り上げる。

 ヴァイオリン・ソナタは、佐藤俊介のヴァイオリンも穏やかでしなやか。親密さを強調した演奏だった。まさにブラームスの時代に、一般家庭で家族が演奏しているかのよう。ただ、佐藤がちょっと弦をグリスンド気味にして甘い音にしているのが気になった。これは、その時代によく使われた手法なのだろうか。私自身はもっとシャープな方が好みなのだが。

 チェロ・ソナタは、音程を取るのが大変そうだった。だが、不安定な音程をしっかりと捉えていく様もまたとても雰囲気がある。

 とはいえ、前半の二曲はまずは腕慣らしといったところ。

 後半、三つの楽器による三重奏曲。これが圧倒的に素晴らしかった。ちょっと気になったのは、席のせいかもしれないが、チェロの音がほかの楽器に比べて少し小さかった気がする。だが、古楽の名人三人による演奏はさすが。完璧に三台の楽器が寄り添いあって土台のしっかりしたブラームスの世界を作っていく。終楽章の高揚感もみごと。

 サントリー・チェンバーミュージック・ガーデンも、私は今日で9日目。実は家庭の事情で猛烈に忙しいのだが、その合間を縫ってのコンサート。コンサートが気晴らしになっているが、時間がない。よって、文章を書くのはこのくらいにする。

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クロンベルク・アカデミー日本ツアーⅠ 若々しいドヴォルジャークはとても良かった

 2023年6月15日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、クロンベルク・アカデミー日本ツアーⅠを聴いた。クロンベルク・アカデミーとは、ドイツの音楽教育機関で、優秀な講師の元、今や世界で大活躍している若手演奏家たちが学んできたという。今回は、その講師たちと教え子たちの公演ということだ。

 曲目は前半に毛利文香(ヴァイオリン)、サラ・フェランデス(ヴィオラ)、アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)の演奏でドホナーニのセレナード ハ長調 作品10と、ミハエラ・マルティン、大江馨(ヴァイオリン)、サラ・フェランデス、ハヤン・パク(ヴィオラ)、フランス・ヘルメルソン、宮田大(チェロ)の演奏でシェーンベルク「浄められた夜」、後半に大江馨、毛利文香、ハヤン・パク、ユリアス・アザル(ピアノ)の演奏でドヴォルジャークのピアノ五重奏曲第2番。なお、ミハエラ・マルティンとフランス・ヘルメルソンはクロンベルク・アカデミーの講師だとのこと。

 ドホナーニの曲については、私は曲そのものについてまったく無知であり、残念ながらあまりおもしろいと思わなかった。クリストフ・フォン・ドホナーニは大好きな指揮者だったので、その祖父である作曲家に興味を持って、一時期、CDを何枚か聴いてみたが、どれにも関心を持てなかった。このセレナードも、よくわからないまま終わってしまった。

「浄められた夜」は、私はあまり良い演奏とは思わなかった。講師である第一ヴァイオリンのミハエラ・マルティンのかなり力のこもった表現にほかの人がついていっていないように感じた。そのために、全体が一つのまとまりを作っていない。昨日まで、あまりにまとまりの良いエリアス弦楽四重奏団を聴いていたせいもあるのかもしれないが、私にはあまりにばらばらに聞こえた。とりわけシェーンベルクのこの曲は弦の音が溶け合って渦を巻いていかなければ官能も絶望も喜びも伝わらないと思う。なんだかちぐはぐ。もしかしたら、ベテランの講師陣の音楽観と、教え子たちの若々しい感性がかみ合っていないのではないかと思った。

 しかも、最後の5分くらい(5分は大袈裟かもしれないが、少なくとも3分以上続いたと思う)客席の後ろのほうで、ピピッピピッと目覚まし時計のような電子音が鳴った。曲が終わってからも鳴り続けていた。私はずっと気になって仕方がなかった。あってはならないことだが、もちろん人間にはミスがある。音源に責任のある人はすぐに気づいて止めるべきだと思う。もし本人が気づいていなかったら、近くの人が注意して止めさせるべきだと思う。

 後半のドヴォルザークのピアノ五重奏曲については、若々しい溌剌とした演奏だった。普段よく聴くこの曲の演奏はもっとしっとりして、いかにもドヴォルザークらしく郷愁にあふれたものだが、今回の演奏はそのような面は薄く、むしろ若き情熱を感じさせた。曲の冒頭に美しいメロディを奏でるチェロの宮田大のスケールの大きな強い演奏が全体を引っ張ったという面もあるだろうし、ピアノの若々しくも躍動感あるユルアス・アザルの主導によるという面もありのかもしれない。第1・2楽章の美しいメロディも決して弱々しくなく芯が強く、第3・4楽章はまるで生の賛歌のように高揚した。なるほどこのようなアプローチもある。とてもよかった。

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エリアス弦楽四重奏団ベートーヴェンサイクル最終日

 2023年6月14日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、エリアス弦楽四重奏団ベートーヴェンサイクル最終日を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番と第10番「ハープ」、後半に、「大フーガ」付きの第13番。

 前半の演奏は圧倒的だった。ハ短調の第6番は、ベートーヴェンのハ短調らしい宿命的な強い音に始まり、聴く者をぐいぐいと深い世界に導いていく。完璧に息の合った演奏で、例によって第一ヴァイオリンの音色が強靭で繊細。第2楽章は、スタッカートを強調して繊細な世界を作り出す。第3・4楽章は、深い世界を通って高揚していく。素晴らしかった。

 第10番も完成度の高いこの曲を完璧に演奏。メリハリをつけ、多少誇張した表現をするが、それぞれのフレーズのニュアンスもきわめて自然で、まったくわざとらしさがない。すべての楽器が驚くほどに一体化している。テクニックも見事。もちろん、近年流行しているような爽快に弾きまくる演奏ではなく、音楽を楽しみ、感情を豊かに表出する。とりわけ繊細に切り込んでいく第一ヴァイオリンの音に心をつかまれる。

 第13番も素晴らしかった。大フーガ以外はこの曲は2日目に続いて二度目の演奏。私はそんなに耳が良くないので、2日目との違いなどよく分からなかった。今回は同じような演奏だと思った。

 そして終楽章の大フーガ。とても良い演奏だったが、実をいうと、私の好みではなかった。前回、16番を聴いた時と同じ印象を抱いた。

 私は大フーガを、第16番と同じように、ベートーヴェンの最後の到達点だと思っている。そこは人間の感情などを超越した世界だ。それまでの曲にはベートーヴェンの様々な感情が表現されていた。喜怒哀楽という言葉では表せないような深い感情であれ、ともあれ人間の感情が描かれていた。だが、16番や大フーガは感情ではないと思う。もっと突き抜けた世界、「我」から抜け出す運動とでもいうようなものを感じる。大フーガは、もっと端的に言えば、感情から抜け出す魂の物語なのだと思う。ところが、エリアス弦楽四重奏団の演奏は、やはり人間の感情の表現のように聞こえる。どこがどのように人間の感情なのかといわれると困るが、そう聞こえるとしか言いようがない。実に複雑な感情を深く鋭く描いているとは思うのだが、やはり感情の表出に聞こえる。

 きわめて私の主観的印象だが、それがこの弦楽四重奏団の解釈なのだと思う。それはそれで素晴らしかったが、16番と大フーガだけは、もっと別の演奏のほうが好みだった。

 総括としては、エリアス弦楽四重奏団」の演奏に私は大いに感動した。16番と大フーガ以外は最高レベルの演奏だと思った。幸せな6日間だった。

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エリアス弦楽四重奏団ベートーヴェン・サイクル第5日 感動の鳥肌に襲われた!

 2023年6月12日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、エリアス弦楽四重奏団ベートーヴェン・サイクル第5日を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番と第16番、後半に第8番(ラズモフスキー第2番)。

 第6番は短調の部分と長調の部分の対比を際立たせた演奏。楽曲の作りがとてもよくわかる。しかも、その対比が不自然ではなくぐいぐいと音楽を進めていく。とりわけ終楽章は深く陰鬱な部分と明るい部分が激しく入れ替わる。とても面白い演奏だった。

 第16番は、ベートーヴェン最後の弦楽四重奏であり、ベートーヴェンが最後に達した高みの音楽だと思う。私は、この曲を、ある種、「非人間的」とでもいうか、それまでの人間主義を超越しているように思っている。ただ、エリアス弦楽四重奏団はそのことをあまり意識していないように思えた。中期の曲と同じようなアプローチだと思う。あくまでも楽器の音をベートーヴェンという人間の魂の叫びとして表現しているようだ。ちょっと私の思うこの曲とは違うが、もちろんそれはそれで見事な演奏。ベートーヴェンらしい苦悩が現れ、それに打ち勝つための戦いがあり、浮き立つ喜びがある。

 後半の第8番が、やはりことのほか素晴らしかった。4つの楽器が一つになって人生の奥深くをえぐりだす。スケールが大きく、しかも繊細。第一ヴァイオリンの音色が本当に美しい。細身で高貴で、しかも強靭。そうでありながら、最近の若い人の演奏のように、これ見よがしにシャープなテクニックを見せるものではない。人間主義に富んでいるというか、あくまでも人間の心を描こうとしているように感じられる。

 第3楽章のスラヴ風の旋律も美しく、終楽章の高揚も素晴らしい。私は最後の1分間くらい、感動の鳥肌に襲われた。

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エリアス弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクル4日目 ワクワクして叫びだしたくなった!

 2023610日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、エリアス弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクル4日目を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番、後半に第7番(ラズモフスキー第1番)。

 これまでの3日間と同様、素晴らしかった。

 ただ、今回は、後期四重奏曲が前半なので、聴く側としてはちょっと勝手が違った。これまでは、前半にややこじんまりした、親密で息の合った演奏を聴いて、その勢いで後半に入って、より密度が高くてスケールの大きな曲に進んでいったが、今回はいきなり12番。

 私としては、いきなり心の奥深くをえぐるような音楽の中に連れ込まれて、戸惑ってしまった。心の準備ができていなかったので、初めのうち少し音楽が停滞しているように感じたのだったが、きっとそれは私の側に準備ができていなかっただけだろう。第1楽章では深い思いがじっくりと描かれ、第2楽章で静かに心の奥にまで入り込む。このころから、私は音楽の中に没入できた。そして、第3楽章で躍動を遂げ、終楽章で平明で明るい境地に達する。それをエリアス弦楽四重奏団は見事に演奏。とりわけ終楽章の燃焼度は圧倒的。いってみれば、猥雑な雰囲気の残る中、躁状態になって踊りだしたくなるような音楽とでもいうか。私は心の底からワクワクして叫びだしたくなる。

 後半の第7番も素晴らしかった。第1楽章は、チェロのマリー・ビトロック(第一ヴァイオリンのサラ・ボトロックの妹さんだろうか?)の深々としてスケールの大きな音が全体を引っ張る。四人が一分の隙もなく組み合って一つの音楽を作り上げていく。陰鬱さのないベートーヴェンの開放的で明るい世界。このようなベートーヴェンも本当に素晴らしい。そして、終楽章。すさまじい速度なのだが、まったく乱れず、四つの楽器が一体となって高揚していく。ここでも叫びだしたくなるような上昇感。

 この団体の演奏を聴くごとに、そのすごさを実感。多様な表現を持った素晴らしい団体だと思う。

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葵トリオのスケールの大きなベートーヴェンのハ短調

 202369日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデン、葵トリオのコンサートを聴いた。曲目は、前半にベートーヴェンのピアノ三重奏曲第3番とドビュッシーのピアノ三重奏曲ト長調、後半にラフマニノフの「悲しみの三重奏曲」第2番(1907年版)。

 実は、私は曲目を誤解していた。どういうわけか、別の曲だとばかり思いこんでいた。実際の曲目を知ってびっくり! 

 葵トリオはスケールの大きな演奏。ヴァイオリンの小川響子の振幅の大きな躍動感あふれるヴァイオリンが魅力だ。作品1―3というベートーヴェンの初期の初々しさの残る、しかしハ短調のベートーヴェンらしさがすでに表れているこの曲を、まさにこの曲にふさわしく演奏。秋元孝介のピアノがぐんぐんと音楽を推進し、伊東裕のチェロがロマンティックにそれを支える。見事な三人の連係プレイだと思う。ただ、もう少し、ためらいがちで鬱々とした部分もあってよいような気がした。あまりにスケールが大きく、あまりに外向きな曲になっている。しかし、聴いていてとても納得する演奏ではある。

 ドビュッシーのこの曲は、おそらく私は初めて聴いた。どんな曲なのか頭に思い浮かばなかったが、ドビュッシーの曲だからきっとCDか実演かで聴いたことがあるだろうと思っていたが、まったく聞き覚えがなかった。が、それにしても、葵トリオが演奏すると、大きく振幅し、スケールが大きくなり、ドラマティックになる。なるほど、このようなドビュッシーもあっていいだろう。もしかすると、ドビュッシーの内面はこうだったのかもしれないと思った。

 ラフマニノフの「悲しみの三重奏曲」第2番は、チャイコフスキーの死を悼む曲だそうで、まさに悲しみの表現。ラフマニノフらしく深い感情を激しい音楽にして表現する。とてつもなく難しいパートをこの三人は見事に演奏。きっと名演奏なのだろうと思う。ただ、やはり私はどうもラフマニノフは苦手だ。マーラーほど大嫌いというのではないが、あまりに激しい情緒の垂れ流しにどうにもついていけない。抑制しつつ情緒を吐露すのならいいが、ラフマニノフはこれ見よがしに情緒を爆発させるので、耐えがたくなる。しかも長い!私としては少々うんざりした。

 が、演奏としては見事。葵トリオの技量に驚嘆した。

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エリアス弦楽四重奏ベートーヴェン・サイクル3日目 感動に震えた!

 202367日、サントリーホールブルーローズでエリアス弦楽四重奏ベートーヴェン・サイクル3日目を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第5番・第9番(ラズモフスキー第3番)、後半に第14番。

 初日、2日目に続いて素晴らしい演奏だった。

 第5番は、ちょっとユーモアを交えた雰囲気の演奏。あえて大袈裟な表現をして4人で心から楽しんでいる様子。それがこの曲の雰囲気にとてもあっている。このような演奏をハンガリーの団体で昔、聴いた記憶がある。その時、ちょっとジプシー的な演奏だと思ったが、今日もそんな印象を抱いた。それにしても、見事なアンサンブル。完璧に心を一つにして音楽の表情を楽器で表す。しかも、程よい温かみと鋭さを持っている。そして、第一ヴァイオリンの音色の美しさは比類ない。細身で明晰だが、とてもロマンティック。

 第9番は、第3楽章のスラヴ風のメロディがとても美しく、そして、最終楽章の凄まじい速いテンポでの音の重なりに圧倒された。凄まじい高揚感。4つの楽章が一つの物語をなしている。迷いの中から徐々に晴れて明るい世界になり、スラヴ的な哀愁を覚えたり、悲しみを覚えたりしながら、激しくも明るい世界に没入する。それを4つの楽器が一つになって行っている。

 そして、やはり第14番が圧倒的によかった。楽章の切れ目がないので、全体が緊密なつながりを持っている。それがとてもよくわかる演奏だと思った。一瞬の気のゆるみもなく、緊張感をもって音楽を進めていく。一つ一つの楽章の表情が明確にされ、しかもそれぞれがとても深みを感じさせる。魂の挑戦というか、魂の鍛錬というか。凄まじい世界を4人が作り出す。最終楽章はドラマティックに音が重なり合い、まさに圧巻。感動で身体が震えてきた。この曲でこれほど感動したのは、これが初めてかもしれない。

 この団体、本当に素晴らしい!

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エリアス弦楽四重奏 ベートーヴェン・サイクル2日目も素晴らしかった!

 202365日、サントリーホール ブルーローズでサントリ・チャンバーミュージック・ガーデン、エリアス弦楽四重奏ベートーヴェン・サイクル2日目を聴いた。曲目はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第21113番。素晴らしい演奏だった。感動した。

 第2番はチャーミングでユーモラスで親密な演奏。しなやかでウィットに富み、しかも強いところは強い。起伏があるが、とても自然。それに四人が本当に心を合わせているのがよくわかる。完璧に一つになっている。しかも、音色が美しい。とりわけ第一ヴァイオリンの細身で心の響く音が素晴らしい。

 第11番「セリオーソ」は打って変わって激しい表現。鋭利でアグレッシブでドラマティック。ベートーヴェンらしい激しい感情でぐいぐいと攻めてくる。しかもリズムがよい。最終楽章のロッシーニ的な躁状態になる部分も素晴らしかった。まさに躁状態になった。

 第13番(「大フーガ」のつかないヴァージョン)も素晴らしかった。第2番とも第11番とも異なる、もっと深遠な表現。この団体は表現の幅が広いのが特徴なのかもしれない。演奏前に、第一ヴァイオリンのサラ・ビトロックさんのトークがあり、各楽章がそれぞれ別の性格をもっており、多様な性格の曲だと説明していたが、まさにそのような演奏だった。そして、それぞれの楽章に説得力がある。心の深淵を除くようであったり、諧謔的だったり、うっとりするほど美しかったり、わくわくするほど楽しかったり。

 今日の3曲もそれぞれ異なる表現をしながらも、心を一つにして美しい音色で奏でる親密な演奏であることは共通している。凄い弦楽四重奏団だと思った。

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新国立劇場「サロメ」 指揮に不満を覚えたが、ラーモアとトマソンはとても良かった

 202364日、新国立劇場で「サロメ」をみた。

 指揮はコンスタンティン・トリンクス、演出はアウグスト・エファーディング。この演出を見るのは、5回目か6回目だと思う。2016年には、ニールンドがサロメ、ヨカナーンがグリムスレイ、シュヴァルツがヘロディアス、フランツがヘロデを歌うという最強の布陣の素晴らしい上演だったので、今回も期待していたが、私はかなりがっかりした。

 まず、トリンクスの指揮に不満を覚えた。私にはかなり弛緩しているように聞こえる。緊張感がないし、倒錯的な官能性もない。このオペラを「ばらの騎士」の延長のようにとらえ、豊饒で贅沢な絵巻物のように演奏しているのかもしれない。だが、それではこの残虐で倒錯的なこの作品の魅力がまったく出ない。ヘロデとヘロディアスが登場する前のあの素晴らしいオーケストラの部分もヴェールの踊りの部分も、これは私の大好きなオペラなのに、少しも私は反応しなかった。

 しかも、もっと私の気に障ったのは、音が異様に大きいことだ。緊迫感のない音がただ大きな音で響くから、歌手たちの声をかき消してしまう。東フィルはかなり健闘していると思うが、それが裏目に出ているのを感じる。

 歌手陣については、圧倒的に素晴らしかったのはジェニファー・ラーモア。さすがラーモア! 大歌手がこの役のために日本に来てくれたことに感謝! ヨハナーンのトマス・トマソンもさすがの歌唱。しかし、声が客席まで届いたのはこの二人だけだった。

 サロメのアレックス・ペンダは、ともかく声が聞こえてこない。オーケストラにかき消されて、ヴィブラートばかりが聞こえてくる。とりわけ高音が聞こえなかった。ヘロデのイアン・ストーレイは、この役のわりには高貴な声。それはいいのだが、やはり声が届かない。

 ナラボートの鈴木准、小姓の加納悦子、ユダヤ人の与儀巧、青地英幸、加茂下稔、糸賀修平、畠山茂らも健闘しているのだが、やはりオーケストラに負けていた。

 この分厚いオーケストラを超えて客席にまで声を届かせるのは大変だったと思う。歌手のみなさんに同情したくなる。先日の「リゴレット」は素晴らしかった。おそらく、指揮者の力量の違いによるものだろう。もっとベニーニ・クラスの指揮者がタクトを振ってくれることを願う。

 ところで、このごろ思うのだが、開演前にオーケストラが音鳴らしをしていることが多い。アメリカ式らしい。私はそれを好まない。うるさくて仕方がない。音慣らしは客の前でやるべきものではなかろうと思う。指揮者の登場の後に音が聞こえてくるほうが、神聖な気持ちで音楽に接することができてうれしい。そうではないにしても、せめて、場内のアナウンスの際は、音鳴らしをやめるべきではないか。これまで何度か経験があるが、今日も、オーケストラが大きな音を鳴らしている最中に、「演奏中の写真撮影などをご遠慮ください。・・・携帯電話をお切りください。・・・耐震設備を有しています・・・」のアナウンスがなされた。もちろん、まったくアナウンスは聞こえない。これはこれで大事な情報なので、きちんと観客に聞いてもらうべきだと思うのだが。

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エリアス弦楽四重奏団のベートーヴェンサイクル初日 親密なのにスケールが大きい!

 2023年6月3日、サントリーホールブルーローズでサントリー・チェンバーミュージック・ガーデンの初日、エリアス弦楽四重奏団によるベートーヴェンサイクルを聴いた。曲目はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1・3・15番。この団体の実演を初めて聴いたが素晴らしい弦楽四重奏団だと思った。

 音色がそろっている。まるで1本の楽器から音が出ているかのよう。ぴたりと縦の線があって、4人が心を一つにして音楽を奏でていることを強く感じる。そして、第一ヴァイオリンの音色がとりわけ美しい。音程が良くて細身で、時に鋭く、激しく音が鳴るが、決して鋭すぎない。シャープさを売り物にしているような団体とはまったく異なる。第二ヴァイオリンだけが男性、ほかは女性だが、出てくる音楽は決してひ弱ではない。特に速く演奏するわけでもなく、テンポを揺らすわけでもなく、ごく正統的な演奏だが、しなやかで柔らかみがあり、親密な雰囲気が漂って、特異な存在感がある。

 第1番は初々しくて、まさに親密さが表に出た演奏だった。若きベートーヴェンの心のひだが聞こえてくるような音楽だった。第3番も、だんだんとベートーヴェンらしさが表に出るが、バランスが良く、しなやかで、のびのびしていて、とても美しい。

 前半を聴いた時点で、とても素晴らしいと思いながら、スケールの小ささを感じていた。親密で小さくまとまっている感じ。この感じでは、後期の弦楽四重奏曲はつまらないのではないかと勝手に心配していた。

 だが、後半も素晴らしかった。いや、後半こそ素晴らしかった。同じようにアンサンブルが良く、4人がしっかりと一つの音楽を作っているが、少しもスケールの小ささを感じない。それどころか、全体が大きく躍動し、ベートーヴェンの心が躍り出てくる。第15番(作品132)は、まるでヴァイオリン協奏曲のようにヴァイオリンが活躍する曲だが、ほかの楽器がうまくヴァイオリンを導き、全体で大きな世界を作っていく。それにしても第一ヴァイオリンのサラ・ボトロックのヴァイオリンが美音で躍動して本当に素晴らしい。第3楽章のあまりに真摯な祈りの心を経て、最後は心を躍らせる。

 明日以降が楽しみだ。

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オペラ映像「ナクソス島のアリアドネ」「イタリアのトルコ人」 フェリーニへのオマージュ!

 オペラ映像を2本みた。簡単に感想を記す。

 

リヒャルト・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」2022627-29日 フィレンツェ、ペルゴラ劇場

 

 大好きなオペラなので期待してみたのだが、あまりおもしろくなかった。ダニエーレ・ガッティ指揮のフィレンツェ五月祭管弦楽団がかなりちぐはぐ。びしりと決まらない。リハーサル不足だろうか。ガッティの指揮も、なんだかもたもたしている。かなりローテンポでしっとり歌おうとするのだが、そのため音楽に推進力が生まれない。プロローグとオペラの音楽的な差もあまり感じず、かなり平板に感じた。

 歌手陣も、大物たちが出演している割にぱっとしないのを感じた。作曲家のソフィー・コッシュもアリアドネのクラッシミラ・ストヤノヴァも、名歌手なのに、妙に重い。指揮者の指示なのだろうか。

 とりわけ問題を感じたのは、ツェルビネッタのジェシカ・プラット。好きな歌手のひとりなのだが、どうもツェルビネッタらしくない。プラットが大柄だということもあるし、歌ももったりしている。

 マティアス・ハルトマンの演出は、ナクソス島を南のリゾート島に見立てたもので、派手な装飾、派手に衣装の人々が出入りする。テーマである「孤独」、「動きと停滞の対比」がまったく消えてしまっている。なぜ、リゾート地にしたのか、私は理解に苦しむ。

 

ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」20168月 ペーザロ、ロッシーニ劇場

 2016年の収録だが、発売になったばかり。素晴らしい。このオペラは、バルトーリの歌う映像をみたことがあったが、今回の映像ははるかにそれをしのぐ。

 歌手陣はみんなが最高レベル。まずフィオリッラを歌うオルガ・ペレチャツコが本当に見事な歌。高音の美しさはもちろん、色気があって、しかも清潔な歌いまわしもとてもいい。バルトーリほどの躍動感はないが、この役はこのくらいしっとりしている方がいい。まさに浮気っぽくて色気のある女性。容姿の面でも、これ以上は考えられない。

 セリム役のアーウィン・シュロットもさすがの勢いのある歌。ジェローニオのニコラ・アライモもシュロットに負けないほどの声量で、しかもこの人の芸達者ぶりはさすがとしか言いようがない。シュロットとアライモの二重唱はあっと驚くほどに楽しい。ナルチーゾのルネ・バルベラも張りのあるテノール。詩人プロスドチモを歌うピエトロ・スパニョーリもほかの名歌手たちにまったく負けていない。ザイダのセシリア・モリナーリも深みのあるアルトでとてもいい。これまた容姿的にも満足。

 フィラルモニカ・ジョアキーノ・ロッシーニを指揮するのは、スペランツァ・スカプッチという女性指揮者。躍動感にあふれており、一瞬のゆるみもなく、溌剌とした音楽を作り出す。これもとてもいい。ずっと同じように躍動感があるのだが、私が指揮者だったら、ちょっと躍動感のない部分を入れたりして雰囲気を変えると思うのだが、この人はずっと同じように突っ走る。これはこれで一つの考え方だろう。

 演出はダヴィデ・リヴェルモレ。たぶん、これは映画監督のフェデリコ・フェリーニへのオマージュだろう。オペラが始まる前に、映画のオーディションのような情景が舞台上で展開する。そして、バスローブっぽい恰好で帽子をかぶって構想を練る詩人が現れ、詩人の創作なのか、それとも目の前で繰り広げられる現実なのか曖昧なストーリーが展開する。バスローブっぽい恰好で帽子をかぶって構想を練る、というのは、フェリーニの名画「8 1/2」で映画監督(フェリーニ自身をモデルにしている)を演じたマルチェロ・マストロヤンニの格好を思い出させる。この映画はまさに、このオペラと同じように、狂言回しのような映画監督の頭の中の構想と目の前の現実が入り混じって起こる情景を描いたものだった。

 しかも、フェリーニの映画にしばしば登場したサーカスの人々や野性的な大柄な女性が現れる。最後は、「8 1/2」と同じようなどんちゃん騒ぎ。

 演出家は、このオペラの構造が、フェリーニの名画「8 1/2」と似ていることに着目して、フェリーニ仕立てにしたのだろう。そして、確かにこうすることによって、ストーリーの不自然さを緩和でき、観客をフェリーニの映画を見ているようなうきうきした気分にできる。

 ただ、私はフェリーニの映画を感動してみた人間であり、その世代の人間なので、演出意図に気づくが、イタリアでもみんなが気付くわけではなかろう。少なくとも日本人でそれに気づくのは一部の人だろうと思う。

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