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映画「サントメール ある被告」 見えない差別がアイデンティティを崩壊させる!

 フランス映画「サントメール ある被告」を見た。セネガル系フランス人アリス・ディオップの監督作品。素晴らしかった。大いに感動した。

 実話に基づくらしい。あるセネガル系の女子学生ロランスはずっと年上の白人男性と恋に落ちて子どもを産むが、生後15か月ほどで殺害する。その裁判を、同じように年の差のある白人との間の子どもをはらんでいる新進作家のアフリカ系女性ラマが傍聴する。その様子を克明に描く。サントメールというのは裁判の行われた土地の名前らしい。セリフの多くは裁判記録に基づくという。

 白人世界の中では、アフリカ系女性は激しい差別に出会う。完璧なフランス語を話し、大学でヴィトゲンシュタインを研究したいと意欲を燃やしても、白人教授はそれを真摯な学究意欲と思わず、歪んだ欲望やウソの欲求だとみなす。アフリカ女性が子どもを産んでも、黒人の血を引く子供を白人は恥に思う。白人たちは、自分たちでは善意と思いながらも見えない差別を繰り返す。では、ロランス自身は親たちと同じようにアフリカ人としてのアイデンティティを持っているかというと、まったくそうではなく、西洋の精神を持ち、親たちと距離を持っている。そして、親たちも差別の中で自分たちのアイデンティティを保てずにいる。そのような引き裂かれた状況が裁判の中で明らかになる。

 その中で、女性裁判長は真摯に真実を求め、女性弁護士はロランスの心を受け止めようとする。傍聴するラマは、白人のあまりの無理解のために、自分も子供を産むのをためらい苦しむ。だが、おぼろげながらロランスの苦しみが弁護士の言葉によって明らかになり、傍聴席にも伝わったとき、ラマも子供を産む決意をする。

 私はかつてはフランス文学の研究者を目指していた。だが、熱心な研究者ではなかった。「日本人がフランス人に混じってプルーストを研究して何の意味があるんだ。日本人がフランス人のマネをするなんて滑稽ではないか」と強く感じ、熱心に学ぶ気持ちになれなかった。日本人はアフリカ系の人ほどの差別は受けなかったと思うが、根底には、それと同じようなものをこの映画のテーマに感じた。もちろん、フランスの移民たちは、不勉強な私などよりももっとずっとのっぴきならない、文化的ねじれの中にいる。西洋の学問や文化に関心を持ったアフリカ系の人間のアイデンティティはどうあるべきか。ヨーロッパ文化の中で生きる人間は子供をどう育てればいいのか。

 映画の冒頭、アフリカ系のラマはマルグリット・デュラスのシナリオ「ヒロシマ・モナムール」(「二十四時間の情事」というあまりに愚かしい日本語題名がついている!)を題材に、ドイツ兵と情を交わした女性への集団的リンチの状況をリセ?の授業で生徒に説明する場面がある。アフリカ系の教員が、西洋文化を講義するなど現在ではありふれた情景だろうし、あるべき姿でもあるだろう。しかし、語る主体の問題意識として考えた場合、それほど簡単には割り切れない問題をはらむ。おそらく、これはヨーロッパの移民の多くが心の奥に抱える問題だろう。

 子殺しについてラマが検索している中で、パゾリーニの映画「王女メディア」の、メディアを演じたマリア・カラスが子殺しを決意する場面が映し出される。この映画は、すべての映画の中で私が最も愛する映画だ。メディアも、低い文化の地コルキスで育ったメディアが、先進の地であるコリントスで差別されて、アイデンティティを失い、その復習として子殺しを決意するという背景を持っている。

 このようなことは、これから先、世界中で起こってくるだろう。移民社会における文化的アイデンティティというのはきわめて重要な問題だと思う。

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