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映画「ふたりのマエストロ」 おもしろかったが、なぜかオペラが演奏されなかった!

 ブリュノ・シッシュ監督のフランス映画「ふたりのマエストロ」(2022)をみた。芸術的な名作というわけではないが、クラシック音楽好きの私にはとても楽しめる映画だった。

 フランソワ・デュマール(ピエール・アリディティ)とドニ・デュマール(イヴァン・アタル)。父と子で同じ指揮者の仕事をしているが、決して親子の仲は良くない。どうやら父は少し不遇のようで、息子の方は大活躍中(なにやらヤンソンス父子、ヤルヴィ父子を思い起こしてしまう。ただ、これらの実在の父子は仲が良いと聞いているが)。嫉妬なのかほかに事情があるのか、父は息子の受賞に不快感を隠さない。そして、こともあろうに、ミラノ・スカラ座の支配人は、息子に音楽監督の依頼をしようとするが、秘書の勘違いで父に依頼してしまう。父はその気になるが、事実を知った息子はどう伝えるかを悩む。もろもろの葛藤ののち、最後、スカラ座の就任公演で二人がともに指揮台に立って同時に指揮をして、見事な「フィガロの結婚」序曲を演奏することで和解する。

 息子のドニが、その息子(つまり、フランソワの孫)とピアノ連弾をする場面がある。そこで二人が心を通わせることが、最後の場面の伏線になっている。

 現実には二人の指揮者がタクトを振るということはあり得ない(ベートーヴェンの第九の初演で、耳の聞こえないベートーヴェンの横に副指揮者が立ったという有名なエピソードはあるが)し、もしそんなことになったら、オーケストラは大混乱するだろう。しかし、二人のタクトのリズムはぴたりと合って、確かにこのようなタクトだったらもしかしたら演奏は成り立つかもしれないと思わせる。とても感動的な場面。私の目には涙がにじんだ。

 劇中にクラシック音楽がかなり出てくるが、ミラノ・スカラ座(もちろん、歌劇場!)にかかわる話なのにオペラがまったくかからない。きっと意図的だろう。ドヴォルザークの「母の教えてくれた歌」、ベートーヴェンの第九の第2楽章、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、モーツァルトの「ラウダーテ・ドミヌム」、カッチーニ作とされる「アヴェ・マリア」、シューベルトの「セレナーデ」など、声楽曲、本来声楽で演奏される曲、声楽の入る部分のある曲、そしてオペラの序曲が出てくるが、オペラそのものが演奏されない。いわば、オペラの周辺のタイプの音楽ばかり。ドニは経験不足ということなので、おそらくオペラを振った経験があまりないということだろうが、それにしても、もし、ふつうにこの映画を作るとすれば、主人公がスカラ座の音楽監督に就任しようというのだから、ヴェルディやプッチーニやドニゼッティやベッリーニやロッシーニ、あるいはモーツァルトのオペラの演奏場面が出てきそうなものだ。ところが、見事にそれらが避けられている!

 なぜだろう。さっきから考えているが、答えが見つからない。

 まったく自信はないが、一つだけ仮説を思いついた。もしかしたら、シッシュ監督は、「これは実際にはありえない虚構の話なんです」という徴として、オペラを用いなかったのではないか。オペラを用いると、リアルなスカラ座の音楽監督をめぐる物語になってしまう。そうなると、最後の二人の指揮者が同時に指揮をする場面はあまりに荒唐無稽。それを避けて、あえて父と子の和解に関する、実際にはありえない寓話になるように最後の場面を作り、オペラを避けた・・・。あまり説得力はないのかもしれないが・・・。今のところ、このくらいのことしか思いつかない。

 ともあれ、楽しめたので、それで良しとしよう。

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