« 吉田志門のフォレと木下牧子の歌曲に感動! | トップページ | ネマニャのチャイコンに感動! »

オペラ映像「カーチャ・カバノヴァー」「王様の子供たち」「影のない女」

 酷暑が続いている。まさに危険な暑さ。外に出る気になれない。現在、一人暮らしなのでスーパーなどに買い物に出ているが、暑くならないうちや、少し暑さが和らいでからさっさと出かける程度。気象も政治も経済も狂っているとしか言いようがない。

 そんな中、オペラ映像を数本見たので、簡単に感想を書く。

 

ヤナーチェク 「カーチャ・カバノヴァー」 20228月 ザルツブルク音楽祭 フェルゼンライトシューレ

 

 素晴らしい上演。「カーチャ・カバノヴァー」はヤナーチェク作品の中で最も好きなオペラだ。期待してみたが、期待以上。

 まず、カーチャを歌うコリーヌ・ウィンターズに圧倒された。これまで私のみたカーチャの中で最高(と言っても、めったに上演されず、映像も少ないが)。清楚で美しい容姿と強靭な澄んだ声で、抑圧され人権を蹂躙された健気な女性を見事に歌い、演じる。以前、英国ロイヤルオペラでフィオルディリージを歌う映像を見てとてもいい歌手だと思っていたが、今回はもっと驚嘆した。ボリスを歌うデイヴィッド・バット・フィリップもきれいな声で申し分ない。そして、傲慢で抑圧的なカバニハを歌うエヴェリン・ヘルリツィウスがさすがの貫禄。憎々しいほどの演技と歌。

 バリー・コスキーの演出もとてもいい。フェルゼンライトシューレの横に広い会場の特性をうまく利用している。登場人物は全員が現代の服装。黙役の群衆が最後から最後まで舞台の奥で背を向けて立っている。その中からセリフを与えられた人物が現れて、オペラが展開していく。群衆の何人かが振り向くと、その人々は顔のほぼ全体を肌色のマスクで覆っている。人に背を向け、人の苦悩に関心を持たず、だんまりを決め込み、抑圧の側に回る、まさに物言わぬ群衆! 無言の圧力! そこで田舎の抑圧が展開される。若さにあふれるカーチャやヴァルヴァラは激しく動き回る。チホンはかなり老けているのも演出のうちか。ただ、カバニハがサディズムの性的嗜好を持っているかのように描くのはむしろ平凡な田舎での伝統的な抑圧状況から離れて説得力を欠くように思うのだが。

 ヤクブ・フルシャ指揮のウィーン・フィルも素晴らしい。精妙にして官能的で暴力的。抑圧状況を音で描く。ヤナーチェク特有のローカル色がないのが、私としては寂しいが、むしろ普遍的なものとしてこのテーマを描こうとしているのだろう。

 演奏、演出ともに最高に満足できる「カーチャ・カバノヴァ」だと思う。

 

フンパーディンク 「王の子供たち」20221013,18日 アムステルダム、オランダ国立歌劇場

 

 以前、メッツマッハー指揮、イエンス=ダニエル・ヘルツォーク演出、王様の息子をカウフマンが歌う映像をみたことがあったが、なんと、このめったに上演されないオペラまでも読み替え演出してわけのわからないストーリーにしていた。そんなわけで、今回の映像を見てやっとストーリーを理解した。ただ、寓話だということははっきりしているものの、いったい何が言いたいのかよくわからず、あれこれと辻褄が合わないストーリーではある。その点で、音楽的にも筋立て的にも、作曲者フンパーディンクの師であったワーグナーの「パルジファル」を連想させるような面があるのはおもしろい。

 演奏はとてもいい。マルク・アルブレヒトの指揮も緊張感があり、叙情性もある。歌手陣も充実している。王の息子のダニエル・ベーレは高貴な声で、まるでパルジファルのように歌う。そのうち本当にパルジファルを歌う(あるいは、すでに歌っている?)のではないか。ガチョウ娘のオルガ・クルチンスカも透明で強い声。吟遊詩人のヨーゼフ・ワーグナーも太めのしっかりした美声。その他の歌手陣もまったく穴がなく、緊密なアンサンブルを作っている。

 演出はクリストフ・ロイ。第2幕まで、登場人物の衣装はすべて白。舞台の小道具もほとんどが白。第3幕の悲劇的な冬の場面になってからは、黒い色が増えて暗い雰囲気が増してくるが、ここでも白が基調になっている。まさしく抽象的な舞台。現実ではない、架空の世界であることを浮き彫りにしたのだろう。

 フンパーディンクの意図がどこにあったかは定かではないが、少なくとも、この演出からは、正統な後継者であるべき王の子どもたちを愚かな民衆が排斥し、自ら社会を廃墟にしてしまうという寓意が浮かび上がってくる。それはそれでとても説得力がある。

 

「影のない女」 バーデン・バーデン復活祭音楽祭2023(NHKプレミアム)

 キリル・ペトレンコがベルリン・フィルを率いてのバーデン・バーデン復活祭音楽祭の「影のない女」とあっては注目しないわけにはいかない。NHKに感謝。

 とはいえ、近年のオペラ上演を観るたびに繰り返してきたことを、ここでもまた言わなければならない。演奏は見事だが、演出があまりに噴飯もの!

 ただ、演奏に関しても、私は実演を聴いた2011年のザルツブルク音楽祭でのティーレマン指揮のウィーン・フィルの演奏のほうがずっと良かったように思った。ペトレンコの指揮は確かにシュトラウスのくんずほぐれつの色彩的なオーケストレーションを最高度に美しく聴かせてくれているのだが、なんだか柔らかすぎて芯がない気がする。しなやかで官能的なのもいいが、このオペラはもっと推進力があって芯の強いものではなかろうか。

 歌手陣の歌については私に不満はない。皇后のエルザ・ファン・デン・ヘーヴァー、乳母のミヒャエラ・シュスター、皇帝のクレイ・ヒリー、バラクのウォルフガング・コッホ、バラクの妻のミナ・リザ・ヴァレラ、いずれもよく歌っている。ただ、発育の良い男性陣がスーツ姿で歌うと、まるで力士がスーツを着ているようになって、大写しで見るのはつらい。やはり力士は浴衣姿がふさわしく、恰幅の良い歌手陣はそれなりの台本に即した衣装がふさわしい。

 それよりなにより、私はリディア・シュタイアーによる演出に問題を感じる。どうやら、オペラ全体を修道院にいる、妊娠してつわりで苦しむ少女の妄想に見立てているとのことで、黙役の少女が、歌手たちに交じってずっとパントマイムをしている! 気になって音楽に集中できない。しかも、最後には、歌手たちがハッピーエンドに終わって子どもを産むことの賛歌を歌っているのに、少女は怒りに任せて土を掘り続ける。音楽の興を殺ぐこと甚だしい。それどころか、音楽を真正面から否定している。

 少女は土を掘ることによって自分が子どもを産むことの意味を探しているのだろうか。最後の場面は、「登場人物たちは子どもを産むことができた。だが、私はどうなる! 子どもを産むことのできない人、様々な事情のある人はどうなる!」という少女のプロテストを表現しているのだろうか。

 だが、いずれにしても、演出家が作曲家の音楽を邪魔して、せっかくの盛り上がりを否定してよいことにはならないだろう。いや、そもそもホフマンスタールの見事な台本があり、テーマがあるのにそれを捻じ曲げて、少女の妄想などをでっちあげる権利が演出家にあるとは思えない。もっと言わせてもらえば、このところ、黙役を主要な役にしてパントマイムをさせてオペラとは別の話をでっちあげる演出が流行しているが、それはオペラの演出を放棄して、それとは別の自分の物語を語っているだけだと私には思える。いつまで、このような演出家の愚かな暴挙を人々は許すのだろう。

|

« 吉田志門のフォレと木下牧子の歌曲に感動! | トップページ | ネマニャのチャイコンに感動! »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 吉田志門のフォレと木下牧子の歌曲に感動! | トップページ | ネマニャのチャイコンに感動! »