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沖澤のどか&京響に度肝を抜かれた!

 2023924日、サントリーホール・大ホールで京都市交響楽団東京公演を聴いた。指揮は沖澤のどか。

 沖澤のどかの演奏を聴いた多くの人が口をそろえてその素晴らしさをたたえていた。京都市交響楽団の評判も耳にしている。昨年、第九を聴きに京都まで出かけたほどだ。沖澤のどかと京響の演奏をぜひ聴きたいと思っていた。

 素晴らしい、という以上の演奏だった。驚嘆した。

 曲目は、前半にベートーヴェンの交響曲第4番。冒頭部分はふつうだと思ったが、音楽に活気が出るころから、胸のすくようなキレでぐんぐんとオーケストラを引っ張っていく。音の全てが生きているかのよう。しかも、きわめてしなやか。極端にリズムを動かしたり、何かを煽ったりしている様子はないのに音が表情を持ってくる。

 第2楽章もオーケストラから美しい音を取り出して滑らかに音楽を進めていく。構成感もしっかりしている。そして第3楽章のスケルツォは躍動、そして第4楽章は自然に高揚していく。すごいと思った。感動した。

 後半はコネソン作曲の管弦楽のための「コスミック・トリロジー」(日本初演)。もちろん初めて聴く曲で、作曲者についても全く知識はない。1970年生まれとのこと。たぶん調性のある音楽だと思う。まさに宇宙的。様々な音が蠢き、神秘で壮大な音による絵巻とでもいうか。3曲から成り、全部で40分を超す。現代曲にシンパシーを感じない私は途中、少し退屈したが、最後の「アレフ」は凄まじかった。巨大なエネルギーが発散される舞曲。ディオニュソスの祭とでも言えそう。すべての楽器がものすごいエネルギーとスピードで演奏し、それが全体を動かしていく。それをコントロールする指揮者もすごいが、オーケストラメンバーもい。度肝を抜かれた。

 沖澤のどか、恐るべし!

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ピノック&紀尾井ホール室内管弦楽団のメンデルスゾーンに感嘆!

 2023923日、紀尾井ホールで紀尾井ホール室内管弦楽団定期演奏会を聴いた。指揮はトレヴァー・ピノック。曲目はすべてメンデルスゾーン。

 最初にオラトリオ「パウロ」の序曲、次に詩篇第42番「鹿が谷の水を慕うがごとく」op.42、後半に交響的カンタータ(交響曲第2番)「讃歌」。

 実はピノックの実演は初めて聴いた。前にチケットを購入していたが、家庭の事情で聴きに行くことができなかった。以前、CDで何枚か聴いた記憶があるが、それだけ。その時も偉く鋭角的な演奏だと思ったが、今回もそう思った。クレシェンドが激しく、きびきびして明快。バシバシと音楽を進めていく。メンデルスゾーンにはとてもぴったりの演奏だと思う。オーケストラもとても精緻。木管楽器がとてもきれいだと思った。そして、「賛歌」のトロンボーンもとてもいい(ただ、このメロディ、メンデルスゾーンにしてはあまり魅力的とは思えない)。

 ソプラノのラゥリーナ・ベンジューナイテはきれいな声なのだが、私には音程が少し不安定に聞こえた。テノールのマウロ・ペーターは文句なく素晴らしかった。やわらかい声で歌いまわしもきちんとコントロールされていて、とてもいい。もう一人のソプラノの澤江衣里も、出番が少ないとはいえ、とてもきれいな声。合唱は新国立劇場合唱団。これは素晴らしかった。

「賛歌」を聴いて思ったのだが、やはりメンデルスゾーンは凄い作曲家だ。この曲はのちの「スコットランド」や「イタリア」に比べると、それほど完成度が高くはないが、豊かな旋律、深い思い、知的な構成、効果的なオーケストレーションなどに驚くところばかり。それを見事に再現していくピノックも見事だが、やはり曲がいい。メンデルスゾーンは名曲の宝庫だと思った。

 やっと涼しくなった。やっと半袖の上に上着が必要になった。このまま秋になってほしい!

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侯孝賢(ホウ・シャオシエン)の「好男好女」「憂鬱な楽園」「フラワーズ・オブ・シャンハイ」「珈琲時光」

 映画館で「少年」をみて以来、台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督に惹かれて、DVDをみつづけている。4本セットを購入。簡単な感想を記す。

 

「好男好女」 1995

 実は、私にはよく理解できなかった。1995年、まだ難解な映画がもてはやされていた時代だったといってよいのかもしれない。

 現代(1990年代)と二つの過去(1940年と1950年)が交錯して語られる。女優の梁静は映画に出演して、蒋碧玉という過酷な運命をたどった高齢の実在の女性の役を演じることになる。そこで、蒋碧玉(梁静と同じ女優が演じる)の人生が入り混じっていく。現在の女優は恋人に死なれて絶望の中にいて、無言電話に悩まされている。過去の蒋碧玉は、1940年に抗日活動に参加しようとして、仲間たちと中国が大陸に向かうが、逆に日本のスパイと疑われ拘束される。何とか誤解は解けるが、台湾に戻ってからは、1950年ころになって、今度は白色テロによって拘束され、夫を銃殺される。

 以上のようなストーリーはたどることができるのだが、過去と現在がどうかみ合っているのか、女優が何に悩んでいるのか、無言電話はいったい何なのか、いやそもそも今回もまた、ずっと暗い中で話が進むので、顔の識別が難しく、いったい誰が何で争っているのかもわからない。台湾の歴史を私が理解していないせいもあるのかもしれないが、それにしても・・・。ネットでレビューを読んでみたが、多くの人が理解できなかったと書いているので、これは私だけのことではなさそう。

 これを名画とみなすべきではないと思う。

 

「憂鬱な楽園」 1996年 

 チンピラのガオ(カオ・ジエ)は怪しい儲け話にのって、弟分のピィエン(リン・チャン)、その恋人のマーホァ(伊能静)とともにバイクで南の方へ出かける。ロード・ムービーのタイプに属すだろう。時代的にはかなり遅れてはいるが、1970年代アメリカの「イージー・ライダー」のような趣きがある。ジャームッシュも思い出す。長まわしのカメラ、演出臭さのない俳優たちの動き。筋書きのない物語とでもいうか。結局、ピィエンの親戚との騒動に巻き込まれ、車の事故を起こす。

 それにしても、これもまた誰が誰やらさっぱりわからない。映画の中盤になってやっとガオとピィエンの顔を認識できるようになった。台湾映画の特徴なのか、この監督の特徴なのか。クローズアップが少なく、画面が暗く、真正面からのショットが少ないので、登場人物の顔がはっきり映らない。家庭のテレビで見ると、どうもよく見えない!

 70歳を過ぎた今の私が見ても、この映画にはあまり共感しない。映画が作られたころ、リアルタイムにみていたら、もっと共感できたかもしれない。

 

「フラワーズ・オブ・シャンハイ」 1998

 香港映画、台湾映画に詳しくない私は、またも人物の顔の識別に苦労した。とりわけ遊女たちが果たして同一なのかどうか、常に不安に思いながらみた。だが、とても良い映画だった。

 上海の高級遊郭での物語。上海の役人である王(トニー・レオン)となじみの遊女、小紅(羽田美智子)のいざこざから別れまでの話を中心に、遊郭にやってくる客たちと遊女たちの人間模様を描く。

 遊郭内部の出来事だけが語られ、カメラは一度も外に出ていかない。租界となっている上海での出来事なのだから、遊郭の外では様々な政治的な事件が起こり、清国は滅亡に向かっているのだろうが、箱庭のような閉ざされた遊郭の中では、そんなことはおかまいなしに恋の遊戯がなされる。着飾った遊女たちの偽りの愛、心から愛が入り混じった架空の恋物語。それが美術品のような美しい映像で語られる。

 

「珈琲時光」 2004

 侯孝賢監督が小津安二郎生誕100年を記念して、「東京物語」のオマージュとして日本を舞台に日本の俳優たちを使って作った映画。

 フリーライターの陽子(一青窈)は台湾で長期滞在した後、東京に戻って、男友達である肇(浅野忠信)に協力してもらって台湾出身で戦中、戦後、日本で学んだ作曲家・江文也(こう・ぶんや)を取材している。陽子は実家に帰って、母(余貴美子)に台湾で出会った男性の子どもを孕んでいることを告白する。だが、母も父も特に口出しすることなく、日常を重ねていく。両親が東京の陽子の家を訪れるが、そこでも妊娠について特に何も言わない。古本屋の主人である肇といたわりながら生活していく。

 それだけの物語。小津の映画と同じようにローアングルのカメラワークで、笠智衆とおなじように父親役の小林稔侍は実に寡黙。陽子と肇の日常を淡々と描いていく。

 とてもいい映画だと思った。感動した。一青窈(名前だけは知っていたが、はやり歌を聴かない私は、遅ればせに今回初めてお顔を知った)と肇のあまりの自然な演技に惹かれる。日常生活の立ち居振る舞いそのままのような動き。そうであるがゆえに、とても美しい。まったく演技をしていない感じ。実際、撮影時、アドリブのように進められたらしいことが、監督インタビューで伝えられている。

 山手線、総武線、中央線、都電荒川線が繰り返し映し出される。電車の音も印象に残る。日常の中で移動しながら、自分らしさを求めている人たち。市井で生きる人たちが浮き彫りになる。陽子の母親は継母だということも後に明かされる。どうやら、陽子はかなり過酷な人生を歩んだようだが、さりげなく語られるだけで、社会の一コマとして通り過ぎていく。そうしたことが素晴らしい。しかも幸い、日本人の役者たちだから、さすがに私も顔の識別に困らない。江文也という作曲家、初めて知った。ピアノ曲がかかるが、魅力的な曲だと思った。

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オペラ映像「フィガロの結婚」「ロメオとジュリエット」「パルシファル」

 9月になっても真夏の暑さが続いている。幸い、まだ大学の後期授業は始まっていないので、週に一、二回、所要があって出かける以外は、自室でのんびりと過ごしている。新発売のブルーレイなどを購入して、いくつかのオペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」 2022111,22日 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 とびぬけた歌手はいないが、さすが英国ロイヤル・オペラ・ハウスだけあって堅実でアンサンブルのしっかりした上演。ほとんどの歌手が第一幕ではちょっと不安定だが、だんだん調子が上がってくる。フィガロのリッカルド・ファッシ、スザンナのジュリア・セメンツァート、伯爵夫人のフェデリーカ・ロンバルディはとてもよかった。伯爵のジェルマン・E・アルカンタラとケルビーノのハンナ・ヒップは、音楽的に少し魅力に欠けるが、もちろん十分に楽しめる。ほかの役の歌手たちもとても堅実。

 デイヴィッド・マクヴィカーの演出はきわめてオーソドックス。第4幕が室内にされているのを除けば、ほぼ台本に基づいている。しっかりと観客の笑いを誘い、音と仕草がぴたりと合って、なかなかいい。パッパーノの指揮はメリハリのきいた生き生きとした音楽を作り出す。

 

グノー 「ロメオとジュリエット」  20182月 バルセロナ、リセウ大劇場

 ジュリエットを歌うアイーダ・ガリフッリーナが素晴らしい。ちょっと特異な声で、なんとなく異世界の存在を思わせるところがある(だから、リムスキー=コルサコフの「雪娘」「金鶏」などがぴったり!)ので、ジュリエット役にはちょっと違和感があったが、後半、ぐんぐんと声が伸びてまったく不自然でなくなる。容姿も含めて、若々しくて可憐。この役にふさわしい。ロメオのサイミール・ピルグも強くて高貴な美声。とてもいい。そのほか、ティバルトのダビド・アレグレトがこの役にふさわしくないと感じるほどの端正で美しい声。ステファノのタラ・エロート、ローラン神父のニコラ・ウリヴィエリもしっかり歌っている。

 スティーヴン・ローレスの演出は、服装はグノーの時代に変更されているようだが、きわめてオーソドックス。ただ、第一幕から舞台奥に墓石が重ねられている。死を前にしても愛の燃焼ということが強調されている。ジュゼップ・ポンスの指揮はややおとなしめな気がする。じっくりとロマンティックではあるが、もっと燃焼がほしいと思った。

 きっとコロナ禍やウクライナ問題がなければ、アイーダ・ガリフッリーナはかつてのネトレプコのようにこの後、世界中で引っ張りだこになっていただろう。この人の歌をもっと聴きたいのだが、残念。

 

ワーグナー 「パルシファル」2023年7月25日 バイロイト祝祭劇場 (NHKプレミアム放送)

 

 マサチューセッツ工科大学教授ジェイ・シャイブによる、観客が3D眼鏡をつけて拡張現実を体現する演出だというが、テレビで放送された映像にはそれは反映されていないとのこと。第一幕が終わったとたんに激しいブーイングが聞こえるが、放送された映像ではそれほど演出は過激でなく、演奏は素晴らしいので、きっと拡張現実に対するブーなのだろう。

 なんとクンドリを歌うのはエリーナ・ガランチャ! 最後のカーテンコールでも、慣例に反してタイトルロールのアンドレアス・シャーガーではなく、ガランチャがトリとして登場する。確かに、ハリウッド映画に美人役として出演してもまったく遜色のない、しかも最高の歌を聴かせるガランチャのクンドリを見ると、なるほどクンドリはこんな役だったんだ!と心から納得する。妖艶にして高貴、孤高とさえ言える雰囲気を醸し出す。

 グルネマンツのゲオルク・ツェッペンフェルトも素晴らしい。この人の歌を聴くごとに、あんなに細身でよくもまあこんな深々としたバスの声が出せるものだと驚嘆する。細身なだけに演技も小回りが利いてとてもいい。

 パルシファルのシャーガーももちろん素晴らしいし、クリングゾルのジョーダン・シャハナン、アンフォルタスのデレク・ウェルトンもこの役を最高度に再現している。

 パブロ・エラス・カサドの指揮も文句なし。この舞台神聖祝典劇にふさわしい精妙さとワーグナーらしい強さが見事に演奏されている。無駄がなく、ドラマがぐんぐんと進んでいき、実にドラマティック。クナッパーツブッシュの指揮した昔の演奏のような厳粛さはあまりないが、それを求めても仕方がなかろう。

 演出についても私は大いに納得できた。冒頭、グルネマンツと黙役の女性が愛の行為を交わしている。また、パルジファルとクンドリの愛もほのめかされる。元の台本では、肉欲は悪とされ禁欲が称揚されるように読み取れるが、今回の演出では、最後、槍によってアンフォルタスの傷が癒やした後、パルシファルはその槍を打ち壊して、性愛を解放する。そして、パルジファルとクンドリ、グルネマンツと黙役の女性の二つの愛が成就する。

 私は演出によって本来の作品にないものをでっちあげることには我慢ならないが、魂と肉の葛藤、その合一というテーマは明らかにこの作品の中に要素としてあると思う。それを演出上の解釈として示すのは、演出の役割だと思う。

 指揮、歌手陣、演出、すべてに納得のゆく名演だと思った。昨年、NHKで放送された2022年のバイロイト音楽祭の「神々の黄昏」(このほどブルーレイも販売された)の噴飯もののひどい演出と大違い。「リング」もこのくらいの演出で上演されるのなら、なんとしてでもバイロイトにまた行きたいという気持ちになる。

  

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ヴェンツァーゴ&読響 「運命」の第3・4楽章に感動

 2023年9月16日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はマリオ・ヴェンツァーゴ、曲目は、オネゲルの交響的運動第1番「パシフィック231」、交響的運動第2番「ラグビー」、そしてヴァイオリンのヴェロニカ・エーベルレが加わってバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番。そして最後にベートーヴェンの交響曲第5番「運命」

 オネゲルの2曲は音響的にとても充実した演奏だった。私はこの作曲家にあまりなじみがないのでよくはわからないが、しっかりと音が鳴り、推進力があり、色彩的だった。読響の持ち味も存分に発揮されただろう。

 バルトークについては、しっとりした演奏だと思った。エーベルレのヴァイオリンの音色の美しさと不思議な叙情性に惹かれた。これまで私の聴いたこの曲はもっと乾いていてもっとヴィヴィッドだったような気がするが、エーベルレの優雅で美しい容姿のせいなのか、蠱惑的にすら聞こえる。ちょっとうちにあるCDを聴き返してみたいところだが、今、仮住まいにいるので、手元にCDがない。

 エーベルレのヴァイオリンのアンコールは、ニコラ・マッテイスの「アリア・ファンタジア」だとのこと。超絶技巧の指づかいをしながら、叙情的で親しみやすいメロディを浮かび上がらせる無伴奏曲だった。楽しめた。

 ベートーヴェンの「運命」については、私は第1楽章にはあまり惹かれなかった。テンポが速すぎて空回りしているように思えた。指揮者はあれこれと指示を出していたが、それが効果を発揮しているように思えなかったのは、私の錯覚か。もしかしたら、何かのアクシデントで指揮者も思いもよらぬ速さになってしまったのではなかろうかと勘繰ってしまうほどだった。だが、第2楽章以降は落ち着いてきた。じっくりと音楽が進んでいく。先日聴いたブルックナー演奏では、今どきの指揮者には珍しく「溜め」を作っているのを感じたが、ベートーヴェンではそれを感じなかった。ただ、短いフレーズごとにほんの少しテンポを速めてあおっていく雰囲気がある。テンポをいじるというよりも、時々アクセルを踏むように、勢いを増していく感じ。緊張感にあふれ、ぐんぐんと高揚していく。読響もさすがの音色。第3,4楽章は素晴らしかった。ヴェンツァーゴという指揮者、腰が低くて人のよい実務家タイプのように見えて、実は情熱家で畳み込んでいくタイプの指揮者のようだ。

 ・・・ただ、先日のブルックナーの第4番ほどには私は興奮しなかった。

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文楽「曽根崎心中」をみた 初心者の感想

 2023914日、国立劇場小劇場にて、初代国立劇場さよなら公演、文楽「曾根崎心中」、生玉社前の段、天満屋の段、天神森の段をみた。

 文楽を見るのは生まれて初めて。そもそも国立劇場に来たのも、1972年(だったと思う)以来、二度目。だからまったくの初心者。これまで何人もから、「きっとオペラ好きの樋口さんなら文楽が好きになるよ」と言われてきたが、今回、友人に誘われて、国立劇場さよなら公演でやっと重い腰を上げた。

「曽根崎心中」は、昔々、映画で見たことがある程度。そして、数日前、たまたま春風亭昇吉さんの落語で「曽根崎心中」を題材にとった「お初徳兵衛浮名桟橋」をきいたくらい。あらすじだけ予習をして、幕が開く直前に床本に目を通しただけで本番に臨んだ。

 私に鑑賞する能力があるかどうかひやひやしていたが、まあまあ太夫の語りも聞き取ることができ、わかりにくいところは字幕で補って、とてもおもしろく観ることができた。

 あまりに初心者の感想で恥ずかしい限りだが、まずはほんのちょっとした動きで人形が感情を持った人間になるのにびっくり! 首のちょっとした動き、手の動きで、感情が伝わる。それが様式美になっている! しかも、手ぬぐいを持ったり、喧嘩をしたりといった所作が実にうまくできている! せりふを持たない脇役までもが生き生きとした動きをして舞台を活気づけている。

 太夫の語りと三味線も、確かにオペラほどには精緻ではないが、見事にドラマを盛り上げる。お初の足もとで徳兵衛がお初の気持ちを理解する場面、下女の火打石に合わせて心中を決意した二人が天満屋を出る場面の音楽的高まりは素晴らしい。道行の場面もなかなかに泣かせる。

 台本は基本的に近松のものだろうが、やはりとてもよくできている。下女の登場など、まさに出色! ただ、現代の法治国家に生きる人間としては、後で考えれば、「心中しなくても、ほかに解決手段はいくらでもあるだろうに」とか、「死んでしまうくらいだったら、けしからん九平次をやっつけに行けばよかろう」などと思うのだが、人形の所作を見て、江戸の世界に入り込んでいる間はそのような疑問は起こらない。いやそもそも、お初の心の中には死への憧れがあるのだろう。死によって自らの生を浄化しようという意識なのだろう。

 まったくの初心者なので、もしかしたらまったくの的外れかもしれないが、そのようなことを考えながら文楽をみた。というか、初心者であるから、このくらいのことしか考えることができなかった。が、ともあれ、とても楽しかったから、これで満足。

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ヴェンツァーゴ&読響のブルックナー第4番 気合の演奏!

 2023912日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はマリオ・ヴェンツァーゴ、曲目は前半にスクロヴァチェフスキの交響曲(日本初演)、後半にブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(1878/80年稿・ノヴァーク版)。

 最初の曲は、指揮者としてよく知られたスクロヴァチェフスキの曲。私は指揮者としてのこの人が特に好きというわけではなかったが、もちろん何度も演奏を聴いた。とても感銘を受けたこともあったが、つまらなく感じたこともあった。さて、作曲した交響曲はどうだろうと思って臨んだ。

 なんとなく、ジョン・ウィリアムズっぽい曲かと思っていたら、まったくそんなことはなく、むしろ内向的で音の重なりと響きを重視する曲だった。しかし、さすがにオーケストレーションは見事。ただ、特に感銘を受けることはなかった。

 ブルックナーの第4番は素晴らしかった。明るめの音で、かなり快速。切れがよく力感にあふれている。昔の指揮者のような「溜め」とは少し違うが、ちょっとした間を取ってオーケストラを強く鳴らす。言ってみれば、そこで「気合い」が入る。それがびしっと決まって音楽が生きた魂になって、観客にずしんと響く。私は何度も感動に身を震わせた。しかも、そうした気合によって、複雑な構築物であるこの交響曲がとても立体的になる。

 第1楽章ではちょっともたついているような気がしたが、第2楽章から盛り上がりを見せ、第3楽章のスケルツォはまさに森の躍動があって、最高に素晴らしいと思った。第4楽章もとても良かった。読響メンバーの音が見事。金管楽器のヌケがよく厚みのある音を出していたし、木管楽器もきれいなアンサンブルで盛り上げていた。激しい音でありながら鮮明な音がホールを包んだ。

 年齢とともにブルックナーを聴く機会が減ったが、たまに聴くと本当に感動する。

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池袋演芸場で昇吉師匠の「お初徳兵衛浮名桟橋」にほろり

 2023年9月10日、多摩大学で入試にかかわる仕事を終えた後、池袋演芸場に急いで、夜の部をみた。途中からだったのが残念。

 桂蝶の治の「勘定板」、立川談幸の「船徳」、山上兄弟の奇術と続いた。いずれもおもしろかったが、私の今日の目当てはトリの春風亭昇吉師匠。昨年の5月、師匠のYOUTUBEに出演させていただいてから、一度は高座を見せていただきたいと思っていた。

 枕なしで、最初から、お初と徳兵衛の噺が始まった。実はよく知らない話だったが、聴いていくうちに既視感を覚えた。「あれれ、この話、どこかで読んだことがあるぞ。そっくり同じではないか。しかも、これを読んだのは、ごく最近だった。あれれ、登場人物も何だか、こんなふうだった。いったい、なんだっけ?」

 思い出さないまま演芸場を出て、スマホで調べてみて、思い出した。友人に誘われて、近日中に国立劇で文楽「曽根崎心中」を見に行くつもりで軽く予習していた。そうだ、この話、「曽根崎心中」そのままだった! 「曽根崎心中」を題材に初代古今亭志ん生が落語の演目に取り入れたとのこと。

 昇吉師匠はまさに本格的にこの人情噺を語った。徳兵衛が造形され、お初の表情までが見えるかのよう。景色も見える。櫓をこいでいる様子も見える。ふだんなら笑いに沸く会場も、しんみりした場面ではシーンと静まり返る。昇吉師匠の語り口に引き込まれた。

 この話は「船徳」の続編らしい。昇吉師匠に頼まれて、立川談幸さんは「船徳」を語ったとのことだった。だが、「お初徳兵衛浮名桟橋」では、笑いの要素は少なく、しかも、この噺にはハッピーエンドのヴァージョンがあるようだが、今回語られたのは心中で終わるヴァージョン。二人が再会し、思いを寄せ合うようになり、追い詰められ、心中を選ぶ心の動きが切実に伝わってくる。見事だと思った。

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藤原歌劇団「ふたりのフォスカリ」 歌手陣の充実を実感!

 

 2023年9月9日、新国立劇場オペラパレスで、藤原歌劇団公演(共催:新国立劇場・東京二期会)、ヴェルディの「二人のフォスカリ」をみた。

 私はヴェルディ好きというわけではないのだが、どういうわけか「ふたりのフォスカリ」にはかなり惹かれる。実演を見るのは初めてだが、映像では何度か楽しんできた。女声の少ない男臭いドラマであるところが私は気に入っている。

 歌手陣の充実はさすがだと思った。フランチェスコ・フォスカリを歌う上江隼人はこの役にふさわしい重厚で威厳ある歌唱。最初から最後まで声の威力は衰えなかった。ヤコポ・フォスカリの藤田卓也も素晴らしかった。強い美声が会場内をビンビンと響いた。後半、少しだけ声がかすれるところがあったが、実演ではやむを得ないだろう。ルクレツィアの佐藤亜希子は初めのうち声のカスレが目立ったが、後半改善されて、オーケストラや合唱に負けない強い声が出てきた。ロレダーノの田中大揮も見事な悪漢ぶり。憎々しげに演じてとても良かった。

 指揮の田中祐子については、オーケストラからしっかりした音を引き出して重ねていくところは見事だと思った。東京フィルハーモニー交響楽団もしっかりした音を出して、とても良かった。

 ただ、ずっと同じ表情の音楽になってしまって、私はちょっと退屈してしまった。もう少し、状況に応じて表情の異なる音楽を作り出して立体的にしてほしいと思った。歌手たちはみんなが最初から最後までずっと同じ調子で力いっぱい歌い、ピアニシモやクレシェンドの効果がない。これだと平板な音楽になる。このオペラは、短めであり、台本があまり丁寧にできていないので、登場人物の心情を音楽で表現する必要がある。ところが、ずっと同じ調子で力演されると、せっかくの力演が活きない。音楽に静かな部分があり、穏やかな部分があり、声を潜める部分があり、爆発する部分があってこそヴェルディのオペラになると思う。

 演出は伊香修吾。登場人物は現代の黒服を着ているし、フランチェスコの前にマイクが置かれる場面もあったので、時代は現代ということだろうか。しかし、それによってどのような効果があるのか、何を訴えたいのか伝わらなかった。これだと単に経費節約のためにみんなに普段着の黒服を着るように指示しただけに思えてしまう。

 とはいえ、ともかく日本人歌手のレベルの高さを実感できてとても満足だった。

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ネマニャのベートーヴェンに興奮!

 202398日、サントリーホールで、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はサッシャ・ゲッツェル、曲目は前半にネマニャ・ラドゥロヴィチの独奏でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半にコルンゴルトのシンフォニエッタ ロ長調 op.5

 先日、同じ都響&ゲッツェル&ネマニャでチャイコフスキーの協奏曲を聴いたばかりだが、今回はベートーヴェン。前回同様、素晴らしかった。指揮については、チャイコフスキーには少し違和感を抱いたのだったが、ベートーヴェンは素晴らしい。適度に重みがあり、強さがあり、スケールが大きく重心が低い。都響も素晴らしい。まさに都響サウンド! アンサンブルが美しく、音色にニュアンスがある。

 そこにネマニャの鋭くて、しかも繊細で、そのうえダイナミックなヴァイオリンが加わる。第1楽章のカデンツァから第2楽章に至るピアニシモのヴァイオリンの繊細で精妙で深遠で叙情的な音に息をのんだ。まさにネマニャの世界! ヴァイオリンの一つ一つの音にニュアンスがある。高音のピアニシモがとりわけ本当に美しい。ため息をつきたくなる。そして、それがダイナミックなフォルテの音に変化していく。そのニュアンスの変化にもしびれる。それをゲッツェルがうまくサポートして至高の世界を作り上げた。

 かつて、若きネマニャは華麗なテクニックによって作り出される情熱的で躍動的な音楽が魅力的だったが、今ではいっそう表現の幅を広げている。第3楽章は、まさに情熱と躍動。ここも素晴らしい。魂が震えた。

 ヴァイオリンのアンコールは、ボスニアの民謡らしい。ネマニャが英語で曲について少し語ったが、「ボスニア」という言葉が聞き取れた。しみじみとした曲だった。

 後半のコルンゴルトの曲は、初めて聴いた。初期の曲ということだが、後期ロマン派的で、まさにシュトラウスの晩年の曲やツェムリンスキーのような雰囲気。その中に、後年のコルンゴルトを思わせるようなちょっと映画音楽的で、ところどころジャズっぽい音が聞こえてアメリカ的な曲想が混じる。初めのうちは捉えどころのない曲だと思って聴いていたが、だんだんとオーケストラの音の美しさに惹かれていった。

 コルンゴルト自体のオーケストレーションのテクニックにも驚いたが、それをしっかりと音にするゲッツェルのテクニック、そして都響のテクニックにも驚嘆。調性音楽の極みというべき豊かな音響を楽しむことができた。

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侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の「風櫃の少年」「童年往事」「恋恋風塵」

 リバイバル公開された「少年」の衝撃が大きかったので、ソフトを購入して侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の映画を見続けている。簡単な感想を記す。

 

「風櫃(フンクイ)の少年」 1983年 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)

 素晴らしい映画。

 おそらく、1960年代。台湾の離島の寒村、風櫃に住む兵役前の少年アーチン(鈕承澤)は3人の友人と悪さを繰り返し、けんかに明け暮れている。警察沙汰を起こして、村にいられなくなり、友人二人とともに、友人の姉を頼って高雄で働き始める。紹介されたアパートで男と同棲している女性シャオシンに恋心を抱く。シャオシンの同棲相手は犯罪を起こして逮捕され、釈放を機会に高雄を離れる。アーチンとシャオシンは接近するが、別れざるを得ない。

 現状に飽き足らず、周囲と衝突を繰り返し、あまりに愚かな行動をとりながらも成長していく少年の心を初々しく描いている。閉塞的であるために憎悪を覚えがらも心の中心にある故郷の島と貧しい家族、大都会に出ての戸惑い、淡い恋。私にも覚えがある。自分を重ね合わせる人は日本人の中にも多いだろう。二人の友人の造形も見事。三人の行動は愚かしくも、懐かしい。「四季」などのヴィヴァルディやバッハのアリアなど、バロック音楽が主人公の心情を表現するのにとてもうまく使われている。

 映像は美しく、俳優たちの演技も申し分なく、まさに初々しく生き生きとした人々。とても良い映画だと改めて思った。

 

「童年往事 時の流れ」1985年 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)

 監督の自伝的作品だという。「少年」とよく似たストーリー。時代も同じころで、1960年代だろう。

 アハ(游安順)は、戦後になって広州から台湾に移住した一家の子どもで祖母や両親、五人のきょうだいとともに暮らしている。幼いころから負けん気が強く、家族を困らせている。高校生になるころには、肺病で病弱だった父は死に、母もがんに侵されて死ぬ。祖母も認知症のため一人で行動できなくなる。苦しい中、アハは不良少年と付き合い、敵対するグループとの抗争に巻き込まれ、家族や周囲に迷惑をかけ続けている。それでも家族を思い、恋をして成長していく。

 それだけの映画だが、台湾の少年たちの日常、心の機微が淡々と描かれて深く感動する。いや、それよりなにより、戦後に九州に生まれた私(私は1951年生まれだから、47年生まれのホウ監督よりも4歳年下ということになる)としては、まるで自分の子どもの頃の光景を目の当たりにするようで懐かしい。台湾が日本領土であったせいだろうが、子どもたちの服装も遊びも部屋の作りも私が子どもの頃の状況とほとんど変わらない。それだけで私は感情移入してしまう。そうやって描かれるアハの姿は、自分自身とは言わないまでも、周囲にいた友人たちの姿と重なる。

 

「恋恋風塵」 1987

 舞台は九份だという。山間の村に近所同士で兄と妹のように育ったアワンとアフン。アワンは中学を卒業すると台北に出て仕事をしながら、夜間高校に通うようになる。翌年、アフンが遅れて台北にやって来て、交流を続ける。二人は恋人同士のように心を通わせるようになる。だが、アワンは兵役に就くことになる。初めのうちは、アフンからの手紙が続くが、突然、それが途絶え、アフンがほかの男性と結婚したことが知らされる。

 兵役に出ている間に、恋人がほかの男と結婚…という出来事は世界中で起こっているだろう。だから、ごくありふれた出来事には違いない。私の印象に残っているものとしては「シェルブールの雨傘」がまさにこのようなストーリーだった。

 だが、映像美、俳優たちの動き、わき役たちの何気ないやり取り、地方と都会の生活感、モノの質感など、この映画はまさに独特。まじめで、でも少し不器用で、やさしくアフンを見守り、傷つくアワンの気持ちがとてもよくわかる。善良な家族、陳腐な教訓を語り続ける祖父、野外映画界などの村の営みなど、さりげない存在感が素晴らしい。

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ネマニャのチャイコンに感動!

 2023年9月3日、東京文化会館で、東京都交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はサッシャ・ゲッツェル。曲目は最初にリャードフの「ポロネーズ ハ長調」、次にネマニャ・ラドゥロヴィチのヴァイオリンが加わってチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。後半にチャイコフスキーの交響曲第5番。

 リャードフのポロネーズはどうということのない曲だと思った。「プーシキンの思い出に」という副題がついているが、この曲のどこがプーシキンなのかもよくわからなかった。

 ネマニャのヴァイオリンは相変わらず素晴らしかった。研ぎ澄まされた、音程のよい切っ先の鋭い音。しかも、高音はこの上なく透明で精妙。広々とした大宇宙に切っ先鋭い刀で躍動する絵を描いていくかのよう。その音で激しく躍動する音楽を作り出していく。聴く者はヴァイオリンの音がまるで自分自身のような気になって魂を揺り動かされる。私はこの人のヴァイオリンを聴くと感動し、涙が出てくる。音楽そのもののすばらしさを味わわせてくれる。

 ネマニャはコミュニケーションをとりながら音楽を進めていくが、第1楽章は、ネマニャのヴァイオリンについていけずにオケのメンバーが困っている様子が見てとれた。なんとかゲッツェルがオケをコントロールして事なきを得た感じ。第2楽章あたりから落ち着いてきて、第3楽章は息がぴったり合ってきた。間違いなくチャイコフスキーではあるが、かなり現代的なチャイコフスキーだと思う。昔ながらも感傷的なチャイコフスキーではなく、より鋭利で知的でダイナミックなチャイコフスキー。その中にリリシズムがある。心から感動した。

 ヴァイオリンのアンコールはパガニーニの24のカプリースの最後の曲(だと思う)。これまたものすごい! いったいこの人の指は何本あるの?と音を聴くだけでなく、目で見ても思ってしまうようなとてつもないテクニック。それが完璧な音程で快速に、そしてダイナミックに演奏されるので、ただただ圧倒され、音楽に身を任せるしかない。

 後半の交響曲第5番は、実はあまりおもしろいと思わなかった。きっと従来のチャイコフスキー像を改めようとしているのだと思う。感傷的で激情的なチャイコフスキーではなく、もっと知的で純音楽的なチャイコフスキー。ただ、やはりそうするとあまりおもしろくなくなる。平板になり、爆発がなくなり、叙情が淡白になる。最終楽章では都響がしっかりした美しい音を明確に鳴らして、それはそれでしっかりした音楽を作り出したが、私は物足りなさを感じた。

 今日の収穫はあくまでもネマニャ! 改めてすごいヴァイオリニストだと思った。

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