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ヴァンスカ&都響のシベリウス 素晴らしいところもたくさんあったが・・・

 20231030日、東京文化会館で東京都交響楽団定期公演を聴いた。指揮はオスモ・ヴァンスカ、曲目はシベリウスの交響曲第5・6・7番。

 意図したわけではないが、今月はシベリウスを立て続けに聴く。マケラ指揮のオスロ・フィル、高関指揮のN響、そして今回。私にはマケラ指揮オスロ・フィルの印象が強すぎて、ほかがかすんでしまった。

 読響だったと思うが、かなり前にヴァンスカ指揮のベートーヴェンの第九を聴いて感動した記憶がある。CDで出ているミネソタ菅の第九も文句なしの名演だと思う。シベリウスはヴァンスカの故郷であるフィンランドの音楽なので、きっと素晴らしいだろうと思って期待して出かけたのだったが、今回の最初の曲である第5番にはあまり心惹かれなかった。

 都響の金管の音もアンサンブルがピリッとしない。ヴァンスカの指揮も、なんだかメロディが切れ切れに聞こえる。確かに、シベリウスの曲はもともと短い旋律を重ね合わせた作りになっているわけだが、旋律と旋律が有機的につながっている感じがしない。シベリウス特有の叙情も聞こえてこない。オスロ・フィルでは、もっと有機的につながって、素晴らしい抒情が聞こえてきたのだが、今回はそうならない。ただ、音が重なり合って高まる部分になると俄然、音楽が生きてくる。ヴァンスカのシベリウスを初めて聴いたが、どうやら叙情的な部分よりも、高揚していく部分を中心に考えているようだ。そんなわけで、第5番の終楽章は素晴らしかった。

 第6番は第5番よりはアンサンブルは整ってきた。さすがに都響の音がしてきた。だが、弦楽器が十分な表情を持たないせいか、やはりメロディが切れ切れになってつながっていかない気がする。ただ、これも終楽章はぐんぐんと音が生きてきて重層的に音が重なり、みごとな高揚を聴かせてくれた。音を重層的に重ねていくテクニックは恐れ入る。わくわくするような音響を聴かせてくれた。

 第7番が最も良かった。これについても、私は「切れ切れ」という印象を抱いたが、緊密に構成され、ぐいぐいと音楽を推進していく。私としては、この曲はもっと清澄で研ぎ澄まされていると思っているのだが、そのような面は薄い。むしろ、ヴァンスカは音が重なり合って高揚していくように音楽を作っていく。この曲についても高揚していく部分は素晴らしかった。

 初めに書いた通り、私はオスロ・フィルに感動した。そのせいもあって、今回の都響のシベリウスはちょっとかすんで聞えたのだった。素晴らしいところはたくさんあったが、全体的にはあまり感動できなかった。

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ビシュコフ凄い!

 20231029日、サントリーホールでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を聴いた。指揮はセミヨン・ビシュコフ。曲目は、すべてドヴォルザークの曲で、前半に序曲「オセロ」とパブロ・フェランデスが加わってチェロ協奏曲、後半に交響曲第8番。凄い演奏だった。

 まずビシュコフの指揮ぶりに圧倒された。これはもう名人芸だと思った。何か変わったことをしているわけではない。テンポを揺らさないし、何かの楽器を強調しているわけでもない。煽っていくわけでもない。むしろテンポはまったく揺らぎがない。だから、きわめてオーソドックスな演奏だと思う。ただ、すべての音が明確に聞こえ、音の立ち上がりの切れがよく、音の重なりが絶妙に聞こえる。そして、見事に高揚していく。おそらく緻密に組み立てられ、一分の隙もないほどに計算通りの演奏なのだと思う。だが、聴いているとかなり即興的というのか、チェコ・フィルのメンバーが自主的に演奏しているように見える。それにしても、メンバーがとても楽しそうに演奏している。魔法だと思った!

 チェロ協奏曲については、ソロのフェランデスも素晴らしかった。若々しくてスケールの大きな演奏。ふくよかな音で、しかもロマンティック。オーケストラとのコミュニケーションもとてもよくて、ぴたりとはまった感じ。

 チェロのアンコールは「鳥の歌」。スペインのチェリストということで、もしかしてカザルスへのオマージュなのか。ふくよかに、そしてしみじみと演奏。他愛のない曲だが、感動的だった。

 交響曲第8番はまさにビシュコフの独壇場。昔のギュンター・ヴァントのこの上なく緻密に組み立てられた演奏を思い出した。本当に完璧! 曖昧なところがまったくなく、切れがよくびしっと音が決まる。すべての音に表情があり、楽想が重なって展開していく。ドヴォルザークらしい哀愁を帯びたメロディも本当にニュアンスにあふれている。第4楽章の高揚は見事。

 アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番。これも素晴らしい。躍動感も見事だが、それ以上に、これほど躍動しながらも、テンポがぴたりと決まっているので、気品にあふれている。音の処理が本当に美しい。興奮した。

 ビシュコフは大巨匠だと思った。ラトルもティーレマンもペトレンコもすごいと思ったが、ビシュコフはもっとすごいではないか!いつの間にこんなすごい指揮者になっていたんだ!と驚嘆した。

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清水・郷古・向山のブランチコンサート 高貴なメンデルスゾーン!

 20231025日、東京芸術劇場コンサートホールで芸劇ブランチコンサート第44回を聴いた。出演は、企画者の清水和音のほか、今回初登場のヴァイオリンの郷古廉、そしてチェロの向山佳絵子。

 曲目は、初めに、郷古と清水によるブロッホ作曲の「バール・シェム」。バール・シェムとはハシディズムというユダヤ教運動の創始者の名前だという。「懺悔」「即興」「歓喜」の3つの部分から成る。柴田克彦氏のプログラム・ノートにもある通り、鬱屈した雰囲気の曲。抑圧されてきた民族の怨念が詰まっているように感じるのは気のせいか。しかし、郷古のヴァイオリンの音があまりに美しく、伸びやかなので、しみじみとした雰囲気が広がって、鬱屈した部分が緩和されて、とても良かった。

 次に、清水のピアノと向山佳絵子のチェロにより、サン=サーンスの「白鳥」とメンデルスゾーンの「無言歌op109」。屈託のないしなやかな音で自然に美しく響かせる。これもとても良かった。

 最後に三人でメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。3人の演奏家の持ち味がダイレクトに出るのだろう。とても高貴で明るい雰囲気だった。実は初めのうちは少し不満を抱いた。ニ短調のこの曲が、妙に明るい。もっと切迫した昏い感じでいいのではないかと思った。だが、メンデルスゾーンその人も、ユダヤ人としての鬱積を持ちながらも、育ちの良さとでもいうか伸びやかな高貴さが表に出て、絶妙のバランスの曲を作っている。そう考えると、まさにこの演奏は、悲しみはひとまずしまっておいて、ロマンティックな雰囲気が表に出てくるメンデルスゾーンにふさわしいと思った。郷古ののびのびとした美音、それを支えるチェロの甘美な音、そして目まぐるしく動き回って彩をつけるピアノの音、それらがうまく重なって心地よい世界を作っている。

 郷古人気なのか、観客の、たぶん80パーセント以上が女性だった(と言っても、午前11時からのコンサートなので、高齢の女性がほとんど)。

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高関&N響 オスロ・フィルを聴いた後では「普通」に思えた

 2023年10月20日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテットが予定されていたが、体調不良のため、高関健に変更。曲目は予定通り、ニルセンの「アラジン組曲」作品34より「祝祭行進曲」「ヒンドゥーの踊り」「イスファハンの市場」「黒人の踊り」とシベリウスの交響曲第2番。

 ニルセンの曲はのっけから正体を捉えがたいというのか、なんだか予想を外されるようなリズムの曲だった。「イスファハンの市場」では楽器が四つの群に分かれて異なる旋法とテンポの音楽を同時に演奏とのことで、これまた不思議な曲。退屈はしなかったが、結局、私には何をしたいのかわからないまま終わってしまった。もちろん、曲が悪いのではなく、理解力に乏しい私のせいで十分に楽しめなかったというだけのことだが。

 シベリウスの交響曲第2番は、一昨日、マケラ指揮のオスロ・フィルのあまりに鮮烈な演奏を聴いたばかり。それに比べると、オーケストラの音も指揮もあまりに「普通」に聞こえた。もちろん最後は十分に高揚するのだが、オスロ・フィルのような生きた音が畳みかけてくるような迫力は感じなかった。魚港でとれたばかりの魚の刺身とスーパーで買った刺身のような差を感じた。もちろん、スーパーの刺身もおいしいのだが…。

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カヴァコスのフランクに興奮した

 20231019日、オペラシティ・コンサートホールで、レオニダス・カヴァコス ヴァイオリンリサイタル2023を聴いた。ピアノ伴奏はエンリコ・パーチェ。曲目は前半にラヴェル:ヴァイオリンソナタ(遺作)とプーランクのヴァイオリンソナタ、後半にドビュッシーとフランクのヴァイオリンソナタ。

 フランス系のソナタを集めたコンサートだった。フランス系の音楽には、ちょっとした揺らぎがある。色気とでもいうか。ドイツ音楽のように生真面目に演奏すると、つまらなくなる。それをカヴァコスがどのように演奏するか関心があった。素晴らしかった。

 折り目正しいというか、実に丁寧な演奏。隅々まで神経が行き届いており、テンポを揺らすこともなく、この上なく透明な美音できちんと弾く。しかし、行儀がよいというレベルの演奏ではない。ゆるぎない世界とでもいうのか、静謐で深い世界が広がっており、それが大きく高揚する。

 プーランクのソナタもドビュッシーのソナタも、諧謔というのか、ちょっと大袈裟にしておもしろく弾きたくなるような部分がある。多くのヴァイオリニストがそうしているだろう。だが、カヴァコスはそんな部分もあくまでも生真面目に演奏する。だから、ある意味で面白みがない。だが、そこでも研ぎ澄まされた深い世界が作り出される。凄い! アンコールで弾かれたラヴェルのソナタの第2楽章の「ブルース」も、スウィングしながらも透明で揺るぎのない音の世界が広がる。

 とりわけフランクのソナタは圧巻だった。興奮した。ピアノもとてもいい。カヴァコスをしっかりと理解し、見事フランス音楽を作り出している。フランスのヴァイオリニストとピアニストが演奏するような色気のある演奏ではないが、ゆるぎない音によって作曲家の心の奥から湧き出てくる内面がしっかりと聞こえてくる。少しも乱れることなく研ぎ澄まされた美音で弾いて、第2楽章と第4楽章は最高に高揚していった。私は何度も心の底から感動した。

 アンコールはラヴェルのソナタのほかに「フォーレに名による子守歌」。これもよかった。

 昨日のマケラ指揮のオスロ・フィルによるシベリウスに続いて、今日も興奮。満足だった。

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マケラ&オスロ・フィルのシベリウスの興奮 マケラ末恐ろしい!

 20231018日、東京芸術劇場でオスロ・フィルハーモニー管弦楽団演奏会を聴いた。指揮はクラウス・マケラ、曲目は前半にシベリウスの交響曲第2番、後半に同じくシベリウスの交響曲第5番。素晴らしかった。凄かった。興奮した。

 鮮烈なシベリウス! まずオーケストラが素晴らしい。管もいいが、私は弦楽器の深い音色にしびれた。まさに北欧の音! そのオーケストラからマケラは存分の力を引き出しているようだ。独特のアクセントをつけているが、それがけっして不自然ではなく、生き生きとした音楽になる。弦が強い音で重なり、シベリウス特有の大自然の広がりのような雰囲気を作り出す。フルオーケストラのフォルティシモになっても音が濁らない。全体が力感にあふれていて、それぞれの曲の終楽章の盛り上げ方など見事というほかない。しかも、弦のトレモロの部分の繊細さも素晴らしい。緊張感にあふれている。

 私は、本来は第2番はちょっと肩に力が入りすぎて大袈裟すぎる気がして、もっと明るくて自然体の第5番の方が好きなのだが、今日は第2番が特に素晴らしいと思った。無理なく最後のクライマックスに上り詰めていく感じ。私は何度も感動に震えた。第5番の終楽章もブルックナーに匹敵する法悦を感じた。

 アンコールはシベリウスの「レンミンカイネンの帰還」。これもすべての楽器を存分に鳴らし、見事にコントロールされており、まさに圧巻。オーケストラの性能と指揮者の才能をはっきりと示した。

 マケラは1996年生まれ。なんとまだ20代! 末恐ろしい!

 興奮したまま帰途に就いた。

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オペラ映像「ドン・パスクァーレ」「宝を探す男」「ファウスト」

 急ぎの原稿があったり、娘の出産(二人目の孫が先週生まれた。妻がいないので、状況によっては手伝いに行かなければならないのでは、と思っていたが、その必要もなかった)があったりで、それなりに忙しかったが、昨日からのんびりしている。世界では、ウクライナだけでなく、パレスチナが大変なことになっており、世を嘆きたい気になっている。私はもちろんパレスチナ人に同情的なのだが、それにしても、こうなるとわかっていてなぜハマスは攻撃したんだろう! 今更私が嘆いたところで仕方がないのだが。

 そんな中、オペラ映像を何本か見たので、簡単な感想を記す。

 

ドニゼッティ「ドン・パスクァーレ」20191024,30日 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 文句なしに楽しい。やはりドン・パスクァーレ役のブリン・ターフェルとノリーナ役のオルガ・ペレチャッコが最高度に充実。ターフェルは演技もうまいし、声の余裕が格別。ペレチェツコは容姿を含めて、この役にふさわしい。マラテスタ役のマルクス・ウェルバもしっかり歌っていてとてもいい。エルネストのイオアン・ホテアは丁寧に歌っているが、線の細さはいかんともしがたい。エヴェリーノ・ピドの指揮もとてもいい。音楽的にはとても満足。

 ダミアーノ・ミキエレットの演出。舞台を現代に移しているのはいいとして、黙役の老召使を登場させたり、バックに映像を映し出すことにどのような意味があるのか、私には理解できなかった。

 

シュレーカー 「宝を探す男」2022510,14日 ベルリン・ドイツ・オペラ

 名前は知っていたが、シュレーカーという作曲家のオペラを初めてみた。シュトラウスと同時代の作曲家とあって、シュトラウスのオペラからシュトラウスらしさを引いた感じの音楽とでもいうか。コルンゴルトにも似ている。でも、なかなかいい。ちょっとインパクト不足だが、官能的で耽美的。しかも、甘ったるすぎない。まったく退屈することなく音楽を聴くことができる。台本もなかなかおもしろい。

 歌手陣はそろっている。タイトルロールであるエリスのダニエル・ヨハンソンは高貴でしっかりした美声。とてもいい。エルスのエリーザベト・ストリッドも素晴らしい。道化のミヒャエル・ラウレンツも歌と演技のあまりのうまさに舌を巻くほど。代官のトーマス・ヨハネス・マイヤーもさすがの歌唱。マルク・アルブレヒトの指揮にもまったく不満はない。

 演出はクリストフ・ロイ。舞台を現代にとっているが、そこで道化や王が登場するのは、やはり違和感が残る。男たちはみんな黒っぽいスーツを着ているが、そうすると道化や王や代官の役割が曖昧になるし、エリスとエルスの位置づけもよくわからない。あえてスーツ姿にしたのだろうが、めったに上演されないオペラくらい台本通りに上演してほしいものだ。

 

グノー 「ファウスト」 20156月 トリノ、レッジョ劇場(

 かなり前の録画だが、初めて存在に気づいてソフトを入手した。悪くはないのだが、私はあまり気に入らなかった。

 ファウストのチャールズ・カストロノーヴォ。きれいな声で容姿もいいのだが、声がわざとらしく、きわめて個人的な感想かもしれないが、厚化粧した声に聞こえる。マルグリートのイリーナ・ルングも清純な声で容姿もきれいでこの役にふさわしいのだが、私には平板に聞こえる。声に余裕がなく、やっと歌っている感じがしてしまう。メフィストフェレスのイルダール・アブドラザコフは声の余裕はあるのだが、フランス語と言えないような発音で歌いまくる。フランス人はまったく聞き取れないのではないか。シエベルのケテワン・ケモクリーゼには好感を抱いた。合唱についても縦の線があっていなくて、これまた発音が不明瞭。雑な感じを抱いた。

 ジャナンドレア・ノセダの指揮については、勢いがあっていいのだが、全体が雑な感じなので、どうもオーケストラにもあまり惹かれなかった。

 ステファノ・ポーダの演出は穏当だと思った。時間の円環性を象徴するのか、鉄製に見える大きなリングがずっと舞台上に置かれている。その前でファウストの物語が展開され、最後にはマルグリットの救済が暗示される。ちょっとありふれているといえるかもしれないが、合唱団の仕草とともに色彩的な舞台に仕上がっていた。ただ、仕草に力を入れたために、肝心の合唱の歌がおろそかになったんだろうなとは思った。ともあれ、異論があるかもしれないが、私はあまり完成度の高くない上演だと思った。

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東京二期会「ドン・カルロ」 第3幕に別の作曲家の曲!!

 20231014日、東京文化会館で東京二期会オペラ「ドン・カルロ」をみた。イタリア語5幕版。

 予備知識なしで見始めたのだったが、第3幕でびっくり。初めから私の好きなフランス語5幕版とかなり違っていたのだったが、第3幕にまったく知らない音楽が聴こえてきた。しかも、どう考えてもヴェルディの曲ではない! 演出のロッテ・デ・ベアの意図だろう。幕が終わって大慌てでプログラムを読んだ。現代作曲家ヴィンクラーの「プッシーポルカ」だとのこと。反プーチンのパフォーマンスに触発されて作曲された曲らしい。というわけで、どうやら、オペラ中のフィリッポ二世の圧政をプーチンと重ね合わせての演出ということなのだろう。この音楽に合わせて子どもたちが宮廷のまねごとをしていたが、私にはその意味がわからなかった。わかりたいとも思わなかった。演出に関して保守主義の私はヴェルディのオペラにほかの人の曲を混ぜるなんて言語道断。それに、わざわざ反プーチンにかかわる音楽を入れている割には、ストレートに反圧制というメッセージはそれほど明確ではなかった。というわけで、これも噴飯ものの演出の一つといってよかろう。

 音楽的には満足できた。

 歌手陣の充実には改めて目を見張る。やはり、ドン・カルロの城宏憲が素晴らしい。しっかりした明るめの声。抜けがよく、音程もとてもいい。エリザベッタの木下美穂子もきれいな声で安定している。ロドリーゴの清水勇磨もみごと。断末魔の歌唱は素晴らしかった。エボリ公女の加藤のぞみも迫力ある声でこの役を見事に歌った。フィリッポII世の妻屋秀和も安定していた。日本人の歌手陣のレベルが上がっているのを再認識。

 指揮はレオナルド・シーニ。丁寧な指揮ぶりで東京フィルの音をしっかりとコントロールしていたが、ただもう少し劇的に盛り上げてもよかったのではないかと思う。丁寧なのはいいが、このオペラの魅力である激しい憎悪と愛のからみあい、圧政と残虐さへの怒りが表出されていなかった。

 音楽的には満足だが、演出面で???…という近年のオペラではよくある感想を、今回も持った。

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山本顕一先生の講演 私は言葉の力に感銘を受けた

 2023107日、立教大学にて、山本顕一先生を講師とする公開講演会「極北の収容所ラーゲリより来た遺書を胸に—今を生きる人たちへ伝えたいこと—」を聴いた。コーディネーターは立教大学キリスト教教育研究所(JICE)所員で名誉教授の前田一男氏。

 山本先生は、このブログにも何度か書いてきたが、辺見じゅんの名著であるノンフィクション「収容所から来た遺書」で世に知られ、先日公開された映画「ラーゲリより愛を込めて」に主人公として描かれている山本幡男氏の長男にあたる方。中世文学を研究する立教大学名誉教授だ。私は大学院時代、山本先生に教わり(と言っても、就職できなかったために仕方なしに大学院に行ったにすぎないため、まったくもって劣等生だった!)、その後も共通の趣味である音楽を通して、お世話になってきた。

 山本先生は、シベリアに抑留され、その地で亡くなったお父様のこと、そしてお父様へのご自分の気持ちを率直に話された。お父様である山本幡男はハバロフスクに抑留され、そこで文化活動を行い、様々な功績を残しながら喉頭がんに冒されて死去した。遺書を残したが、シベリアでは紙の持ち出しが禁じられていたため、山本を慕う戦友たちが長文の遺書を分担して暗記し、それを帰国後に山本の家族に伝えた。私は辺見じゅんのノンフィクションも読んで感動し、山本先生の書かれた『寒い国のラーゲリで父は死んだ』(バジリコ)も読み、そのあたりの事情はよく知っていたが、誠実な山本先生の生の声で聴くと、改めて感動する。

 辺見じゅんのノンフィクションも映画も戦友たちが暗記して伝えたことによって家族が遺書の内容を知ったことになっているが、実はその前に、シベリアのラーゲリを訪れた社会党の議員が抑留者にこっそりと原本の遺書を渡されて、すでに家族はその内容を読んでいたこと、そして、山本幡男は家庭では怒りっぽくて理不尽に厳しい父親であって、長男である山本顕一先生は父を嫌っていたこと、あまりにりっぱな遺書をもらって、内心、重荷だったこと、しかし、後に届けられた幡男の描いた絵画によって、その初々しい感受性を知って父親の気持ちを理解できるようになったこと。とても感銘を受けた。

 講演の後、98歳のシベリア抑留経験のある西倉さんという方が発言して、当時の苦労を話された。98歳とは思えない元気な声に驚いた。抑留についての語り部をなさっているという。シベリアからの引揚船を受け入れた舞鶴市の引揚記念館に東京から出向いてボランティアの語り部をしている学生さん、舞鶴市在住の語り部の中学生もその活動について語った。舞鶴市の市長さんが市の取り組みを語られた。すべての人の発言に一貫しているテーマは平和の大切さだ。抑留者はまさに理不尽な戦争の犠牲者にほかならない。

 質問者の中に、今年の1月に亡くなった詩人・天澤退二郎氏(通夜には私も列席させていただいた)の夫人である天澤衆子さんがいた。退二郎氏のお父上がシベリア抑留者であること、そして衆子さんのお父様が舞鶴の出身であることが明かされ、そのことが天澤家に大きな力を及ぼしていたことが語られた。私は大学院生のころ、衆子さんとは親しくしていた。どんどんと話題がずれ、いったい何を話しているのかわからなくなる独特の話し方(この方、昔からこんな話し方をしていたが、今は、ますますその傾向が強まっている!)。が、絶妙なところでなんとなく話がまとまる。さすが大詩人の奥様!

 私は、講演を聞きながら、「言葉の大事さ」を改めて感じていた。幡男はロシア語の達人であるためにロシア人との通訳をし、同時にシベリアに抑留されていても日本語を忘れず、日本に誇りを持つために、アムール句会を作り、日本語の壁新聞を書き、文芸活動をする。戦友たちはその幡男の遺書を暗記して、その言葉を家族に伝えようとする。辺見じゅんはそのエピソードを知ってノンフィクションを書き、それを世間に知らせ、多くの人を感動させる。そして、長男の山本先生はフランス文学の権威であり、今講演で感動的な話をしている。多くの人が語り部となって言葉によって抑留の悲惨、戦争の悲惨を語っている。詩人の奥様が独特の言葉によって気持ちを伝える。まさに言葉の力の連鎖! 言葉こそが平和を作り出す!というのが、講演を聞いた私の感想だ。

 天澤夫人と池袋駅までご一緒して帰宅した。

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