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高関&シティフィルの第九 ガサガサした感じに聞こえた

 2023年12月28日、東京文化会館で東京シティフィルハーモニック管弦楽団のベートーヴェンの第九コンサートを聴いた。指揮は高関健。私の今年最後のコンサート。ざっと数えてみると、どうやら今年ちょうど100回目のコンサートにあたるようだ。

 聴き慣れた第九とはかなり異なる演奏。速めのテンポで、古楽演奏によくあるようなタイプの演奏。あまり音を伸ばさずに早めに切り上げ、ガツンと鳴らそうとする。きっとマエストロ高関の解釈なのだと思う。それはそれでいいのだが、どうもオーケストラがそれについていけていないように感じた。アップアップした感じで、かろうじてアンサンブルを保っている様子。私は第一楽章からずっと音楽に乗ることができなかった。

 独唱者の中では、ソプラノの中江早希の声の美しさに聴き惚れた。ほかの歌手も声はとてもきれいでよく伸びていると思ったが、男声陣の音程が少し気になった。四人で歌うところなど、音があっていなかった。東京シティ・フィル・コーアの合唱も、オーケストラについていけていないせいなのか、少し雑な感じがした。

 ざわざわガサガサした感じがしてしまった。もしかして、そういう第九にしたかったのだろうか。大喝采が起こったが、私はどうにも納得できなかった。少なくとも私の好きな第九ではなかった。

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オペラ映像「ニュルンベルクのマイスタージンガ―」「リゴレット」

 2023年もあと数日。今年予定しているコンサートは、第九があと一回のみ。仮住まいのマンションで貧弱な装置を使って遠慮がちな音で音楽を聴いているが、ともあれオペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガ―」2022629日、72日 ベルリン・ドイツ・オペラ

 全体的にとても充実した上演だと思う。

 歌手陣では、この上演の最大のスターはヴァルターを歌うクラウス・フロリアン・フォークトだろうが、かつての輝きがないのが残念。もちろん悪くないし、素直な歌い方は健在で、だんだんしり上がりに調子を上げるが、前半、声の衰えを感じた。以前はもっと張りがあり、もっと自然な美しさにあふれていた。ハンス・ザックスのヨハン・ロイターもとてもいい。自在に余裕をもって歌う。ベックメッサーのフィリップ・イェーカル、エーファのハイディ・ストーバーもしっかり歌っている。

 もう一人特筆したいのは、ダーヴィトのヤーツォン・ホァン。台湾出身のテノールだが、きれいな声、そして見事な演技力。これまで見てきたダーヴィトとはまったく違うは、これはこれでこの役らしい。

 指揮はジョン・フィオーレ。あまり個性を感じなかったし、第一幕冒頭ではもたついているように聞こえるが、後半は音楽に乗って堅実にオペラを進めていく。

 最も注目するべきは演出(ヨッシ・ヴィーラー、セルジオ・モラビト、アンナ・フィーブロックの3人の名前が演出家として並んでいる)だろう。ニュルンベルクの街を、現代の学校に見立てている。寄宿学校といったところ。マイスタージンガーたちは学校の先生たち。徒弟たちはゼミ生、ほかの合唱隊は一般生徒といった感じ。唯一、ザックスが生徒に人気の先生。ポーグナーが校長、ベックメッサーを筆頭するマイスタージンガーたちは頭の固い先生たち。第二幕の大混乱が起こるのは寄宿舎内の出来事で、マイスタージンガーたちも寄宿舎の中で寝泊まりしているらしい。第三幕は学内のホールでの発表会といったところ。それなりに辻褄があっている。

 1960年代の狂気としか思えないような学則の厳しい九州の高校(何しろ、丸坊主が強制され、生徒のほとんどが「坊主頭のほうが高校生らしい」というので、それを当然と思っていた!)で圧迫感を必死にこらえて地獄の日々を送った私としてはこのアナロジーはとてもよくわかる。ぐっと卑近になり、スケールが小さくなるが、原作の思想はそのまま引き継いだ演出とは言えそうだ。

 最後、ザックスがドイツ芸術を称え、国家主義的な内容を語る部分は、舞台の明かりが揺れて、主催者がこの意見に同意しているわけではないことを示す。そして、舞台上の群衆(学生やその保護者達という想定。その中には東洋系、アフリカ系が混じっている)がツイストを踊りながら反応する。それに対してマイスタージンガーたちは渋い顔をする。つまりは、ザックスの語る内容が、グローバルで多様性を認める芸術への賛歌としては賛成であることを演出で示している。

 スケールの大きさはなくなるが、それを抜きにすれば、きわめて納得のいく演出だと思う。

 

ヴェルディ 「リゴレット」2017年 リセウ大劇場

 新発売だと思うが、5年以上前の録画。素晴らしい上演だと思う。まず、リゴレットのカルロス・アルバレスがまさにリゴレットが乗り移ったような熱演。屈折した状況の中であがく様子が痛々しいまでに伝わってくる。マントヴァ公爵のハビエル・カマレナもしっかりした美声。さすがの歌唱。貴族とは思えない容姿なのだが、それを忘れるほど力にあふれ、魅力にあふれた声。ジルダはデジレ・ランカトーレ。美しい高音で清純な乙女を見事に歌う。マッダレーナのケテワン・ケモクリーゼがとても魅力的。セクシーな容姿とそれにふさわしい強い声。四重唱は聴きごたえがある。

 指揮はリッカルド・フリッツァ。悪くないし、しっかりとドラマを盛り上げるのだが、私が貧弱な装置で聴いているせいもあるのかもしれないが、音に威力がなく、音楽を推進していかない気がする。

 演出はモニク・ワーゲマーカース。大道具・小道具も装置もほとんどない簡素な舞台で、ほとんどが四角い囲いの中で登場人物が動くのだが、貴族やその取り巻きを演じる合唱団の不気味な衣装やメイキャップや仕草によって不穏な空気を掻き立ててとても刺激的だった。これほど簡素な舞台でもこれほどまでにドラマティックにできるのは驚きだ。演出の一つの模範だと思った。

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ギルバート&都響の第九  聴き慣れた第九だった!

 20231226日、サントリーホールで都響スペシャル「第九」を聴いた。指揮はアラン・ギルバート。

 とても良い演奏だった。都響らしい精緻なアンサンブルで、美しい響き。ギルバートの指揮で力感にあふれ、躍動感があった。ギルバートは、特にヴァイオリンの音色や奏法に変化をつけることで音楽を進めているのを感じた。ある意味でとても完璧な演奏とでも言いうか。まとまりがよく、盛り上がるべきところで盛り上がり、緻密な音楽が鳴り響く。新国立劇場合唱団も素晴らしい。

 ただ、私はあまりに予想通りに音楽が進んでいくのに、ちょっと不満を抱いた。

 私はなんとなく日本人の指揮する第九には共通性があるように思う。日本人の好む第九の表現があるのかもしれない。ギルバートの指揮する演奏を聴いて、これまで聴いてきた日本人指揮者と同質のものを感じた。ギルバートは日本人の血が混じっているわけだが、もしかしたらその影響があるのかもしれない。なんとなく、これまで何度となく聴いてきた第九のとても見事な再現版だという気がしてしまった。

 歌手陣は充実していた。バスのモリス・ロビンソンは驚異的な音量。ものすごい声と言っていいだろう。テノールのミカエル・ヴェイニウスも張りがあってとてもいい。ソプラノのクリスティーナ・ニルソン、メゾソプラノのリナート・シャハム、いずれも立派な声。ただ、四人で歌う時など、それぞれがばらばらに歌っているのを感じる。まあ必ずしもまとまりがよい必要もないのだが、それにしても四人が勝手に個性を主張している。そんなわけで、そのほかの部分が勢いがあり、まとまっているのに独唱者だけはばらばらといった印象を受けた。

 もちろん悪くはない。が、もっと個性的な第九を聴きたかった。

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カウリスマキ監督の映画作品「枯れ葉」をみた

 フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督の新作「枯れ葉」をみた。カウリスマキ監督らしい佳作。

 酒びたりの労働者ホラッパ(ユッシ・バタネン)と孤独に暮らす女性アンサ。恋愛に不器用な中年の二人がカラオケバーで出会い、惹かれあって、何度かのすれ違いを経て結ばれるまでを描く。それだけの話だが、とても感動的でしみじみとして味わい深い。

 二人とも下層の肉体労働者。ホラッパの方は酒を飲みながら仕事をし、禁煙の場所でタバコを吸い、煙草を取り出しているときに、せっかくもらったアンサの電話番号をなくしてしまうなど、自業自得の面があるが、アンサは不運に見舞われて職を奪われ、孤独に暮らしている。アンサはホラッパがアルコールに依存していることを嫌っているため、いったんはホラッパは別れるが、酒を断って、紆余曲折の末、一緒に暮らそうとする。

 フィンランドの下層労働者の過酷な現実が描かれるが、カウリスマキの人間愛にあふれた視線や抽象化されてリアルすぎない描写のために、のほほんとした雰囲気が生まれて、静かで真摯な二人の愛を応援したくなる。たくさんの歌が流れて、その時々の登場人物の心象を語る。チャイコフスキーの「悲愴」の第一楽章が、二人の愛の気分を示す音楽としてたびたび現れる。これらの音楽もリアル過ぎなくするための仕掛けだろう。こうして映像はある種の寓話になっていく。

 ラジオでウクライナ戦争で犠牲になっているウクライナの市民についての報道が語られる場面が何度も出てくる。それについて登場人物はほとんど何も言及しないが、カウリスマキ監督は、戦争犠牲者への哀悼を示し、登場人物たちと同じように社会の理不尽に痛めつけられているウクライナの人々への連帯を呼びかけているのだろう。

 私は、昔、雑誌「ガロ」などで読んでいた永島慎二の漫画を思い出した。愛情にあふれた視線でのほほんとして穏やかに若者や子どもの世界を描きながらも、その問題意識は鮮烈だった。深刻にリアルに描かないだけにいっそうじっくりと社会を考える気持ちにさせられていた。そういえば、このごろあまり永島慎二は読まれていないのだろうか。残念なことだと思う。

 映画の二人は犬を従えて、秋の道を歩いていく。そこでタイトルにもなっているシャンソン「枯れ葉」(歌詞はフランス語ではなく、たぶんフィンランド語)が流れて映画は終わる。「枯れ葉」はフランス語ではfeuilles mortes。すなわち「死んだ葉っぱ」。フィンランド語でも同じのようだ。

 枯れて死んだ葉っぱの中を、二人は歩く。死にあふれた世界の中で、二人は愛をはぐくみ必死に生きようとする。それがカウリスマキ監督のメッセージなのだろう。

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デ・フリーント&読響の第九 すべてそろった名演!

 20231223日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団のベートーヴェンの「第九」演奏会を聴いた。今年の年末の最初の第九。指揮はヤン=ウィレム・デ・フリーント(かつてはフリーントではなく、フリエンドと呼ばれていた)。素晴らしかった。興奮した。

 速いテンポで、弦楽器にほとんどヴィブラートをかけない古楽奏法的な演奏でぐいぐいと音楽を進めていく。起伏が大きくドラマティック。ティンパニの音が強烈に響く。金管楽器も咆哮しているように響くところがあるが、それがとても魂に響く。古楽系の多くの演奏と同じような雰囲気だが、音楽の形が崩れず、緻密に組み立てられているので、ほかの古楽系の演奏以上に私は惹かれた。凄まじい第一楽章だと思った。何度か全身に感動の震えが来た。第二楽章もよかったが、ただ私は第一楽章ほどの衝撃は覚えなかった。第三楽章がことのほかすごかった。それぞれの楽器の表情も見事。フレーズが自然につながり、徐々に高揚していく。まったく無駄がなく、緊密に音が連なっている。ファンファーレに部分はまさに視野が突然広がる感じ。天上に突き抜けた感じがした。

 第四楽章もよかった。歌が入る前も緊張感にあふれており、「喜びの歌」がチェロで入る部分も感動的。歌手陣もよかった。バスの加藤宏隆は日本人離れした深い声。Nichtのところで指を一本上げるなどの仕草も加えてややオペラ的な歌唱。それも堂に入っている。以前から何度か聴いて凄い歌手だと思っていたが、さすがというしかない。テノールのアルヴァロ・ザンブラーノもよかった。ソプラノの森谷真理も見事な声。メゾ・ソプラノの山下裕賀は、ふだんは目立たないこのパートをとてもしなやかに歌って、これも素晴らしかった。

 そして、三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団も勢いのありながらもとても正確な歌を聴かせてくれた。指揮、オーケストラ、歌手陣、合唱とすべてがそろった名演奏だった。

 私は実はこの曲は第三楽章までは完璧だと思うが、第四楽章は、完璧な仕事が終わった後のどんちゃん騒ぎみたいなものだと思っている。祝祭感という力業で押し切っているが、あちこちにほころびがあるのを感じる。もちろんだからと言って、私はけっして嫌いではなく、大いに楽しんではいるのだが、ふだんはさほどこの部分で感動することはない。が、今日は第四楽章にも深く感動した。最後の祝祭感も最高だった。本当に興奮した。

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青木尚佳のイザイ無伴奏ソナタに圧倒された!

 2023 年 12 月 21 日、紀尾井ホールで青木尚佳~ミュンヘン・フィル コンサートマスター就任記念リサイタルを聴いた。曲目はイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲。素晴らしかった。

 今年の春、戸田弥生さんの演奏でイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲を聴いた。それも素晴らしかった。気迫に溢れ、すべての音に魂のこもった凄まじい演奏だった。私は大いに感動した。

 ところが今日の青木さんの演奏はそれとまったく違う。戸田さん流の気迫は皆無。もっと優雅でもっと流麗。そしてこの上なく美しい音。音程が的確で指のもつれも一切なく、自然に進んでいく。途切れることなく、次々とこの上なく美しい音が奏でられていく。リズムも実に的確。一般に言われる緊張感はなく、むしろ自由でのびのびした雰囲気なのだが、無駄がなく緊密なので、その意味で緊張感にあふれている。まさに完璧。

 そして、少しも誇張していないのに、そして少しも魂を込めようとしていないのに、そこから魂の叫びが確かに聞こえてくる。深い思いが、音そのものの中に含まれ、それが大気の中に漂ってくる。すごい!

 すベての曲に魅入られ、あっという間に終わった。青木さんはまさに本格派の物凄いヴァイオリニストだと思う。興奮した。ミュンヘンフィルのコンサートマスター就任はめでたいことだが、ソロ活動も活発に行なってほしいと強く思った。

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芸劇ブランチコンサート ブラームスのピアノ四重奏曲を堪能

 20231220日、東京芸術劇場コンサートホールで芸劇ブランチコンサート「これがドイツロマン派」を聴いた。曲目は、最初に小林壱成(ヴァイオリン)と清水和音(ピアノ)でシューベルトのソナチネ第2番、次に鈴木康浩(ヴィオラ)と清水でシューマンの「アダージョとアレグロ」、最後に辻本玲(チェロ)が加わってブラームスのピアノ四重奏曲第3番。

 曲のせいなのか、最初の曲は少々退屈に感じた(私はそもそもシューベルトの室内楽曲を全般的に退屈に感じる)。ヴァイオリンとピアノも少しちぐはぐさが残っているような気がした。

 シューマンの曲はとても良かった。あふれ出すロマンティックな気持ちが伝わってきた。鈴木のヴィオラの音もくっきりして芯があって、さすがだと思った。

 最後のブラームスは素晴らしかった。この四人は、全員が室内楽の名手たちではあるとはいえ、ふだんから常に一緒に演奏しているのではないと思うのだが、ぴたりと息があって、緊密なブラームスの世界を作り出した。ブラームスの室内楽の醍醐味がとてもよくわかる演奏だった。楽器の音の連なり、受け渡しが緻密に行われ、そうしながら徐々に盛り上がっていく。

 トークで、清水さんが特に「第四楽章が難しい」と強調されておられた。第1番のように、長調になって華々しくなる前に終わることを指しておられるのだと思うが、きっとこの清水さんの言葉は「華々しく終わることを期待しないで、心して聴けよ」というアドバイスだったのだろう。なるほど、これもブラームスらしい終わり方だと思う。あくまでも内省的で抑制的。爆発しないまま心の中でぐっと抑えて終わりになる。素晴らしかった。

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ほのカルテット メンデルスゾーンに感動

 20231219日、サントリーホールブルーローズで、ほのカルテットのコンサートを聴いた。大阪国際室内楽コンクール2023弦楽四重奏部門第2位記念とのこと。おそらく全員が20代の若い奏者たち。曲目は前半にハイドンの弦楽四重奏曲変ホ長調「冗談」とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番、後半にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第4番。とても良かった。4人のトークも入ったが、関西系の人が多いせいか、しゃべりがうまい! 楽しかった。

 ハイドンは素晴らしかった。「冗談」の曲だが、だからと言って、もちろん大袈裟に冗談っぽさを描き出すわけではないのに、しっかりとハイドンらしい余裕が聴こえる。明快な音で、生き生きとして、音の絡み合いがとても爽快。音程がよくシャープな音だが、エベーヌ弦楽四重奏団やベルチャ弦楽四重奏団ほどには切れの良いシャープな音ではなく、温かみというのか、ちょっと余裕のようなものがある。

 次のベートーヴェンは、実をいうと、ちょっと持て余しているように聞こえた。若々しくエネルギッシュなのはいいのだが、そして、実際に第3・4楽章のアクセント付け方など素晴らしいと思ったのだが、時に妙に力が入って空回りして、いびつになっているところを感じた。まだ若すぎて、ベートーヴェンの後期の境地を演奏するのは早すぎるのではないかと思った。

 メンデルスゾーンは素晴らしかった。このような演奏を聴けば、「メンデルスゾーンは底が浅い」などという人はいなくなるのではないかと思った。メンデルスゾーンの心の痛みをたたきつけるような音楽、しかも構成がきっちりして緊迫感にあふれている。それをこの弦楽四重奏団が余すところなく演奏する。第3楽章はこの上なくしみじみと美しく、第4楽章は高揚にしていった。感動した。素晴らしいカルテットだ!

 アンコールはエベーヌ弦楽四重奏団編曲の映画「パルプフィクション」より「Misirlou」と「津軽海峡冬景色」。とても刺激的な編曲。楽しめた。

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映画「父は憶えている」をみた

 アクタン・アリム・クバト監督によるキルギスを描く映画「父は憶えている」をみた。

 しみじみとしたいい映画だと思う。東洋系の顔立ちをしたキルギスの人々の生活を知り、イスラム教徒の生き方を垣間見ることはできたが、この映画に現在の日本で暮らす私に何かを訴える力があるかというと、それについてはあまりあるとは思えなかった。

 周囲の発展から取り残されたかのようなキルギスの小さな村。線路があるが、どうやらこの村には駅はなさそうで、ただ列車が通り過ぎるのを踏切で待つばかり。舗装された近代的な道路があるが、この村はそこから少し入ったところに位置するようだ。そんな村にロシアに働きに出たまま20年以上帰ってこなかった男ザールク(監督自身が演じている)が戻ってくる。

 ザールクは息子夫婦の家で暮らすようになるが、事故で記憶を失っており、ひとことも言葉を発しない。家族についても理解しているようには思えない。幼馴染や家族が記憶を戻そうとするが、ザールクはただ取りつかれたように村のごみを集めるばかり。夫が死んだものと思って、妻ウムスナイは村の実力者で金の力で村の人々を締め付けようとする嫌われ者の妻になっている。ウムスナイは二人の男の間で悩みぬき、聖職者に助言を求めようとするが、彼らも横暴な実力者の支配下にあって、役に立つ助言をもらえない。結局、ウムスナイは現在の横暴な夫から離れてザールクの元に戻ろうとするところで映画は終わる。

 ゴミは消費社会を象徴する。この村は、消費文明に取り残されていながら、いや、そうであるだけにいっそう雑多なゴミにあふれている。ロシアから帰ったザークルは、ある意味で消費文明に敗れ、きっとロシアでゴミ集めのような出稼ぎの仕事をしていたのだろう。ザールクはごみを集めて村をきれいにする。つまりは、消費文明の汚れを消そうとする。

 映画の冒頭と途中で、大きな根が土の上に張り出している木々が映し出される。まさに裸にされた木の根。恵まれない地域で老いてなお生き続けようとする生命体の象徴なのか。

 ただこの映画は楽天的な解決を見つけ出しているわけではない。男の記憶は戻らず、宗教はさまざまな問題を解決できず、村人が幸せになるわけでもない。この映画はそのような状況を静かに描き出している。

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府中の森芸術劇場で西本智実指揮のモーツァルト「レクイエム」を聴いた

 20231216日、府中の森芸術劇場どりーむホールで西本智実指揮、イルミナートフィルハーモニーオーケストラによるモーツァルトのレクイエムを聴いた。「うたうまち府中プロジェクト ウィーンフェスティバル」の一環ということらしい。

 知人に誘われて出かけたのだったが、実は、合唱が「うたうまち府中合唱団」というアマチュアなので、あまり期待していなかった。が、とても良かった。良い演奏だった。

 合唱団はおそらく300人を超していると思う。かなり高齢の方もおられて、メンバーの何人かの足元がふらつく場面もあった、第一ヴァイオリン6名の小規模オーケストラに300人ほどの大合唱なので、やはりバランスはよくない。木管楽器の音などかき消されて聴こえてこない。ただ、合唱団はかなりの迫力だった。もちろん、プロの一線の合唱団に比べるとシャープさに欠けるし、音程も完璧ではない気がするが、アマチュア合唱団としては驚くべき精度だと思う。きれいな声が聞こえ、音程もかなりしっかりしている。この団体のレベルの高さ、市民の熱意を強く感じた。

 もちろん西本さんの名前はたぶん20年以上前から知っていたが、実演を聴くのは初めてだった。もっとスタンドプレーの指揮をする人だとばかり思っていたら、合唱団に無理のないテンポでわかりやすい指揮をしてしっかりと全体をまとめている印象を受けた。しかもそうしながらモーツァルトの音楽を進めていく。見事な手腕だと思う。ただ、やはりあまりの大所帯の合唱団で、しかも反応がシャープでないのせいで、独自の解釈は示せていなかったように思うが、それは致し方ないだろう。ともあれ、舞台上のすべての人が現在持っている力を存分に発揮できるように見事に工夫した指揮だったとはいえるだろう。

 独唱陣が素晴らしかった。とりわけソプラノの髙橋美咲は美しい澄んだ声が素晴らしい。また、テノールの松原陸の自然な声でありながらも音程の良い張りのある美声にも感嘆した。アルトの奥野恵子、バスの村松恒矢も安定していた。

 観客の多くが、合唱団として歌っている方の関係者のようで、終演後、合唱団が舞台からはけていくとき、観客席から舞台の知人を見つけて手を振る人が多かった。美しい光景だと思う。このような日常的なコンサートが行われ、ときどき日本有数の団体、世界的な団体が来る・・・それが理想的な音楽環境だと思う。私は府中市民ではないが、府中市がうらやましくなった。

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文楽教室で「傾城恋飛脚」の新口村の段をみた

 202312月9日、シアター1010(足立区文化芸術劇場)で、文楽鑑賞教室 / 社会人のための文楽鑑賞教室をみた。演目は「団子売」、そして、文楽の魅力についての解説の後「傾城恋飛脚」の新口村の段。

 実はこのところ文楽に親しんでいる。と言っても、まだ入り口を通り越していない状態で、右も左もわからない。今回の教室も、「へえ、そうなの!」と初めて知ることが多い。が、NHKエンタープライズの文楽のシリーズDVDはこれまで17セットみてきた。実演を見るのは、先日に続いて二度目。

 とてもおもしろかった。とくに「傾城恋飛脚」の新口村の段はみごとだった。これは、DVDの「冥途の飛脚」に含まれていたものとあらすじはほぼ同じだった。なかなかに泣かせる話。父親の実の息子への愛情が描かれる。

 前半は語りは豊竹睦太夫、三味線は鶴澤清馗、後半は豊竹藤太夫と鶴澤燕三。私はまだ聞く耳を持っていないので、ただ感心して聴いていただけ。人形遣いも見事だと思ったが、もちろん所作について判断する力はない。

 ともあれおもしろかった。今はDVDをみても、ともあれすべておもしろい。もう少し鑑賞力がついてから、いくらかこのブログにも感想を書こうと思う。

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春風亭昇吉独演会 「芝浜」に引き込まれた

 2023年12月6日、渋谷区総合文化センター大和田・伝承ホールで春風亭庄吉の独演会を聴いた。とてもおもしろかった。いや、それ以上に見事な芸だと思った。

 昇吉さんのYOUTUBEで拙著を紹介していただいて以来、師匠の噺を聴きたいと思ってきた。師匠に対して失礼を承知で言わせてもらうと、ぐんぐんと力をつけているのが素人にもよくわかる。私は見たことがないのだが、今や昇吉さんはテレビ番組「プレバト」で大人気とのこと。今日のお客の中にも、落語にはほとんどなじみがなくテレビで昇吉さんのファンになったという方がかなりいそうな気がした。

 春風亭昇りんさんの前座(「前座」という言葉を使っていいのかちょっと不安だが)もとてもおもしろかったが、やはり昇吉さんは一味違う。3つの演目。ひどい宿に泊まる噺(聴いたことはあるような気がするが、タイトルは知らない)と新作と「芝浜」。席を自分で選択したわけではなかったが、最前列の中心に近い席だった。

 初めの二つの演目では、明るく楽しく、軽いノリで話した。スピード感、明るさ、実に見事。ところが、後半の「芝浜」になると、同じ人と思えないほど雰囲気が異なる。着物の色も変えて、舞台に登場したときから人情噺の世界を作り出す。言い換えれば、滑稽話も人情噺も実に達者ということを示してくれている。そのために、このような三演目を選んだのだろう。

 やはり、私は「芝浜」がおもしろかった。人物造形、情景描写も見事。間の取り方、視線などもさすがとしか言いようがない。顔の表情、視線の置き方、細かい息遣いまで計算されつくしているのがよくわかる。私は特に目の表情に圧倒された。目の表情で人物を使い分ける。ぐいぐいと引き込まれた。

 昇吉さんの人情噺はとくに素晴らしい。9月に池袋演芸場で「お初徳兵衛浮名桟橋」を聴いたが、それもしっとりとして見事だった。もっとこの人の人情噺を聴きたいと思った。

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メイエ&東響のモーツァルト クラリネット協奏曲を堪能

 2023122日、ミューザ川崎シンフォニーホールで、モーツァルト・マチネを聴いた。演奏は東京交響楽団、指揮はポール・メイエ。

 曲目はすべてモーツァルトの名曲。オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」序曲と、メイエが「吹き振り」してクラリネット協奏曲、そして交響曲第41番「ジュピター」。

 メイエの指揮については、かなり穏当で、育ちの良い音楽というか、たたずまいが上品で安定した音楽だった。「コシ・ファン・トゥッテ」序曲では溌溂とし、「ジュピター」ではしなやかでスケールが大きく、最終楽章はダイナミック。ただ、予想した通りの音が出てくるので、とても良いのだが、多少物足りないといえなくもない。メイエが全体をしっかりと把握しており、楽器の良さも引き出しており、東響のメンバーもしっかりと良い音を出している(それにしても、クラリネット奏者はメイエの指揮だと緊張するだろうなあと思った!)のだが、「うーん、ふつう・・・」と思ってしまう。

 クラリネット協奏曲については、さすがに素晴らしかった。クラリネットの音は本当に素晴らしい。気品にあふれ優美でしかも深みがある。音の刻みがとても正確で切れが良いのだが、全体的に優雅なので、それが冷たく響かず、むしろ気品を高める。クラリネットの楽器が持つ様々な表情(深く沈潜したり、ちょっとおどけた感じだったり、叫び声のようだったり)を見事に聴かせてくれた。さすがだと思った。

 ただ、これも指揮については何もしていない感じ。リハーサルでしっかり指示をしていたのかもしれないが、ほとんどメンバーのほうは向かず、手もほとんど動かさず、ずっと客席を向いてクラリネットを吹いている。コンサートマスターの小林壱成さんに任せきりなのだろうか。

 12月の午前中、気品にあふれて深みがありながらも躍動感にあふれるモーツァルトを聴けて、ともあれ幸せ。

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