映画「父は憶えている」をみた
アクタン・アリム・クバト監督によるキルギスを描く映画「父は憶えている」をみた。
しみじみとしたいい映画だと思う。東洋系の顔立ちをしたキルギスの人々の生活を知り、イスラム教徒の生き方を垣間見ることはできたが、この映画に現在の日本で暮らす私に何かを訴える力があるかというと、それについてはあまりあるとは思えなかった。
周囲の発展から取り残されたかのようなキルギスの小さな村。線路があるが、どうやらこの村には駅はなさそうで、ただ列車が通り過ぎるのを踏切で待つばかり。舗装された近代的な道路があるが、この村はそこから少し入ったところに位置するようだ。そんな村にロシアに働きに出たまま20年以上帰ってこなかった男ザールク(監督自身が演じている)が戻ってくる。
ザールクは息子夫婦の家で暮らすようになるが、事故で記憶を失っており、ひとことも言葉を発しない。家族についても理解しているようには思えない。幼馴染や家族が記憶を戻そうとするが、ザールクはただ取りつかれたように村のごみを集めるばかり。夫が死んだものと思って、妻ウムスナイは村の実力者で金の力で村の人々を締め付けようとする嫌われ者の妻になっている。ウムスナイは二人の男の間で悩みぬき、聖職者に助言を求めようとするが、彼らも横暴な実力者の支配下にあって、役に立つ助言をもらえない。結局、ウムスナイは現在の横暴な夫から離れてザールクの元に戻ろうとするところで映画は終わる。
ゴミは消費社会を象徴する。この村は、消費文明に取り残されていながら、いや、そうであるだけにいっそう雑多なゴミにあふれている。ロシアから帰ったザークルは、ある意味で消費文明に敗れ、きっとロシアでゴミ集めのような出稼ぎの仕事をしていたのだろう。ザールクはごみを集めて村をきれいにする。つまりは、消費文明の汚れを消そうとする。
映画の冒頭と途中で、大きな根が土の上に張り出している木々が映し出される。まさに裸にされた木の根。恵まれない地域で老いてなお生き続けようとする生命体の象徴なのか。
ただこの映画は楽天的な解決を見つけ出しているわけではない。男の記憶は戻らず、宗教はさまざまな問題を解決できず、村人が幸せになるわけでもない。この映画はそのような状況を静かに描き出している。
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