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カウリスマキ監督の映画作品「枯れ葉」をみた

 フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督の新作「枯れ葉」をみた。カウリスマキ監督らしい佳作。

 酒びたりの労働者ホラッパ(ユッシ・バタネン)と孤独に暮らす女性アンサ。恋愛に不器用な中年の二人がカラオケバーで出会い、惹かれあって、何度かのすれ違いを経て結ばれるまでを描く。それだけの話だが、とても感動的でしみじみとして味わい深い。

 二人とも下層の肉体労働者。ホラッパの方は酒を飲みながら仕事をし、禁煙の場所でタバコを吸い、煙草を取り出しているときに、せっかくもらったアンサの電話番号をなくしてしまうなど、自業自得の面があるが、アンサは不運に見舞われて職を奪われ、孤独に暮らしている。アンサはホラッパがアルコールに依存していることを嫌っているため、いったんはホラッパは別れるが、酒を断って、紆余曲折の末、一緒に暮らそうとする。

 フィンランドの下層労働者の過酷な現実が描かれるが、カウリスマキの人間愛にあふれた視線や抽象化されてリアルすぎない描写のために、のほほんとした雰囲気が生まれて、静かで真摯な二人の愛を応援したくなる。たくさんの歌が流れて、その時々の登場人物の心象を語る。チャイコフスキーの「悲愴」の第一楽章が、二人の愛の気分を示す音楽としてたびたび現れる。これらの音楽もリアル過ぎなくするための仕掛けだろう。こうして映像はある種の寓話になっていく。

 ラジオでウクライナ戦争で犠牲になっているウクライナの市民についての報道が語られる場面が何度も出てくる。それについて登場人物はほとんど何も言及しないが、カウリスマキ監督は、戦争犠牲者への哀悼を示し、登場人物たちと同じように社会の理不尽に痛めつけられているウクライナの人々への連帯を呼びかけているのだろう。

 私は、昔、雑誌「ガロ」などで読んでいた永島慎二の漫画を思い出した。愛情にあふれた視線でのほほんとして穏やかに若者や子どもの世界を描きながらも、その問題意識は鮮烈だった。深刻にリアルに描かないだけにいっそうじっくりと社会を考える気持ちにさせられていた。そういえば、このごろあまり永島慎二は読まれていないのだろうか。残念なことだと思う。

 映画の二人は犬を従えて、秋の道を歩いていく。そこでタイトルにもなっているシャンソン「枯れ葉」(歌詞はフランス語ではなく、たぶんフィンランド語)が流れて映画は終わる。「枯れ葉」はフランス語ではfeuilles mortes。すなわち「死んだ葉っぱ」。フィンランド語でも同じのようだ。

 枯れて死んだ葉っぱの中を、二人は歩く。死にあふれた世界の中で、二人は愛をはぐくみ必死に生きようとする。それがカウリスマキ監督のメッセージなのだろう。

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