映画「葬送のカーネーション」 意味不明の荒涼たる世界の生と死のまじりあい
トルコ映画「葬送のカーネーション」をみた。2022年のベキル・ビュルビュル監督。
老人と10歳前後の女の子が車の後ろの座席で移動しているところから始まる。そして、徐々に二人が棺をもって冬の荒野地域を移動しようとしていること、どうやら車に乗せてもらったのはヒッチハイクだったらしいこと、車から降ろされた後は、棺を徒歩で運んだり、トラクターに乗せてもらったり、洞窟を探して夜を過ごしたりして、国境に向かおうとしていること、二人は祖父と孫らしく、祖父はトルコ語を理解できない様子であること、どうやら棺の中の遺体は少女の祖母らしいこと、祖母が故国に埋められることを望んでいたために祖父が遺体を運ぼうとしていたことなどがわかってくる。そして、遺体を段ボール箱に入れかえてトラックに乗せてもらって国境にたどり着くが、そこで中身が遺体だと発覚して警察にとどめられ、祖父の強い抗議にもかかわらず、その土地に埋葬される。祖父は故国に帰ることを願い、そのまま孫をトルコに置いて、国境を一人で超える。
ずっと老人が苦労して棺を運ぶ様子が描かれる。トルコのそこそこ善良な人々がそれを手助けしたり、途中で放り出したりする。それだけの映画だ。説明がほとんどないので、観客はちょっとしたことを手がかりに推測していくしかない。しかも、少しずつしか真実は明かされない。観客はずっと様々なことに疑問を抱いたままだ。
しかも、最後まで老人の故国はなんという国なのか(たぶん、シリアなのだろうが)、なぜ老人はトルコに来たのか、決して親しげに見えない老人と孫との間に何があったのかも明かされない。子どもの描いた絵や、国境付近で難民らしい人々が見えることから、どうやら内戦が起こって子どもの両親は戦争で殺され、祖父と祖母は命からがらトルコに逃げたらしいことは推測できるが、それも断定はできない。老人は洞穴の中で寝ている間に、貨物列車の脇で目を覚ました夢を見る。だが、その意味もよくわからない。
私がこの映画を見て、最も興味を引かれたのは、何よりもこの「わからなさ」だった。二人を車に乗せる人々は、観客にも老人と孫にも意味不明の内輪の話を長々とする。とりわけトルコ語を介しない老人にはすべてが意味不明の世界だ。そのような不確定で意味不明の世界の中で生と死がまじりあう。老人はきっと孫を寒さから守るためだろう、棺から遺体を取り出して、そこに孫を寝かせたりする。二人にとってこの世界は死にあふれている。そうした世界を、観客も一緒になって味わう。
祖母の墓に孫が描いた祖母の絵とともにカーネーションを飾ることから「葬送のカーネーション」という日本語タイトルがつけられているが、原題は「クローブを一つまみ」という意味だという。クローブ(丁子)は臭い消しとして使われる植物で、たしかに老人が車を運転する女性にもらったクローブを棺に入れる場面がある。しかも、カーネーションはクローブの香りがするとのことで、トルコ語ではクローブと同音異義だという。
考えてみると、カーネーション=クローブは死を悼む花であると同時に臭い消しであり、生の世界と死の世界をつなぐものなのだろう。私が、よく理解できないながら、この映画をとてもおもしろいと思い、最後まで惹かれて見続けたのは、きっとこの生と死をつなぐ冬の荒涼とした世界での孤独な人間の営みを見る思いがしたからだと思った。
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