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東京二期会「タンホイザー」 堅実な指揮と歌手陣の充実に満足

 2024年2月28日、東京文化会館で東京二期会公演「タンホイザー」をみた。

 2021年にアクセル・コーバーの指揮でこのプロダクション(フランス国立ラン劇場との提携)の公演が予定されていたが、コーバーはコロナ禍の中で来日できず、たまたま日本滞在中だったヴァイグレが指揮して素晴らしい演奏をしたのだった。そして今回、予定されていたコーバーが来日。

 コーバーの指揮はきわめてオーソドックス。慌てず焦らずじっくりと丁寧に音楽を作っていく。少しも煽ったりもせず、地味に確実に。だから、序曲やヴェヌスベルクのバレーの部分は少々おとなしめ。しかし、徐々に盛り上げていく。読響もそれにこたえて、初めは抑え気味ながら、だんだんとみごとに精妙な音を出し、切れの良いドラマティックな音を増やして、しっかりとした構築性のある音楽を作り出していた。歌とタイミングがかすかにずれる場面もかなりあったが、初日だから仕方がないだろう。第三幕ではドラマティックで魂をゆすぶるような音楽になっていった。最後には私は大いに感動した。素晴らしい指揮者だと思う。ただ、欲を言えばもっともっと陶酔的であってほしかったのだが、それはないものねだりだろう。

 歌手陣も充実していた。やはり唯一の海外から参加のタンホイザーを歌うサイモン・オニールが素晴らしい。ちょっと独特の声。確かジョン・ヴィッカーズがこんな声だったような気がするが、確かめたわけではない。最後まで強靭な声で見事にタンホイザーの苦悩を歌った。ヴォルフラムの大沼徹もまったく引けを取らない歌唱と演技。体格的にもオニールよりも長身で、しかもスタイルがよいのが日本人としてはうれしい。「夕星の歌」も余裕をもってしなやかに歌って見事だった。エリーザベトの渡邊仁美もとてもよかった。豊かな声量で声のコントロールも見事。ヴェヌスの林正子も、清純な声ながらうまくこの役を歌っていた。ヘルマンの加藤宏隆も素晴らしいバスの声。この役にふさわしい。ひと昔前の日本人のワーグナー公演では考えられなかったほどの高レベルで、みんなが世界に通用するといって間違いないと思う。

 そのほか、牧童の朝倉春菜も、この難しい歌をしっかりした音程で歌ってとてもチャーミングだった。高野二郎、近藤圭、児玉和弘、清水宏樹も見事な歌唱。二期会合唱団もさすがの歌唱。まったく穴のない演奏だった。

 キース・ウォーナーの演出については、よくわからないところが多かった。どうやらタンホイザーとヴェヌスの間に子どもがいるという設定のようだが、それにどのような意味があるのかわからなかった。第三幕は舞台上に紙が散らばっており、ヴォルフラムはその紙を読みながら「夕星の歌」を歌っていた。これはヴォルフラム自身の気持ちを歌っているのではなく、誰かの詩を少し改めて歌っているということなのだろうか? 意味不明としか言いようがない。もちろん、私の理解不足なのかもしれないが。第一幕から最後まで舞台中央に円筒形の梯子のようなものがぶら下がっており、最後、タンホイザーはそれを上って救いの道に進む。ちょっと安易な感じがしないでもない。エリーザベトに恋して揺れ動くヴォルフラムにかなり焦点を当てた演出でもあった。

 ともあれ、日本人歌手の充実ぶりを確認し、コーバーの堅実な指揮が聴けて私としてはとても満足。だが、それにしても客が少なかった。三分の一も入っていなかったのではないか。とてもいい上演だったのに、あまりにもったいない!

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オペラ映像「さまよえるオランダ人」「サムソンとデリラ」「ロメオとジュリエット」

 暖かくなったり寒くなったり。そのせいかもしれない。軽い風邪を引いた。のどが痛いと思いながら宅配便の配達員に対応しようとして、声が出ないことに気づいた。医者に診てもらったところ、コロナでもインフルエンザでもなく、単なる風邪だとのこと。今はだいぶ回復している。

 オペラ映像を数本見たので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」2022716日 ブルガリア、パンチャレヴォ湖音楽祭

 期待しないで購入したが、思った以上に出来は良くない。ソフィア国立歌劇場の上演したワーグナーのブルーレイディスクが何枚か発売され、もしかしたらめっけものかもと思ってこれまでみてきたが、やはりどれもはるか世界の水準に達していない。今回もやはり、はっきり言ってかなりひどい。

 まず、この場所の音楽的環境について疑ってしまう。野外オペラなので、ある程度は仕方がないが、それにしても信号のような音が入るところがあった。また、花火のような音も続く。音楽に耳を傾ける環境ではない。

 演奏そのものもほめられたものではない。オーケストラ(ソフィア国立歌劇場管弦楽団)の精度がよくない。よれよれの音を出す。いやいやそれ以上に合唱(ソフィア国立歌劇場合唱団)となると、日本のアマチュア合唱団の多くがこれよりも上手なのではないかと思えるほど。音があっていない、音程のおかしな団員がたくさんいる。ロッセン・ゲルゴフの指揮も、歌手と合わせるのに精いっぱいという感じ。

 歌手陣もレベルが高くない。その中では、ゼンタのラドスティーナ・ニコラエワが最も健闘。細かい声の処理が少し雑だが、全体的にはしっかりと歌っている。マリー役のアレクサンドリーナ・ストヤノヴァもしっかりと歌ってとてもいい。ダーラントを歌うクルト・リドルは往年の名歌手だが、さすがにすでに70歳を過ぎて、第二幕のアリアは途中で声が出なくなっている。オランダ人のマルクス・マルクヴァルトも前半は検討しているが、音程が怪しく声が出なくなる。エリックのコスタディン・アンドレーエフはひとり大時代的な歌いまわしでオーケストラを無視して朗々と歌うが、声の処理も甘い。

 プラメン・カルタロフの演出も、何しろ湖畔での野外劇ということで制約があるとはいえ、湖畔に組み立てられた、まるで目をかたどったようなステージで物語が進むだけで、少なくとも私は特に感銘を受けない。こんなものをお金を取って売っていいのだろうかと疑ってしまった。

 

サン=サーンス 「サムソンとデリラ」2022610,19日 ロイヤル・オペラ・ハウス

 近いうちに、「サンソンとダリラ」と呼ばれるようになると思うが、ともあれ従来の呼び方に基づいておく。

 前半はかなり抑え気味。もしかして、パッパーノはフランスものが苦手?と思っていたが、あの有名なデリラのアリアあたりからパッパーノらしさが全開。デリラのむんむんとした色気とサムソンの魂の葛藤がぐいぐいと音楽を引っ張り始める。なるほどこのようなつくり方もあるなあ!と感心した。

 デリラはエリーナ・ガランチャ。今やこの役はこの人以外は考えられないほど。妖艶で強靭で美しい歌と容姿。申し分ない。サムソンはソクジョン・ベク。注目の韓国人歌手だ。リリックな美声。ただ、サムソン役としてはちょっとリリックすぎる気がする。もう少し強靭さがほしい。ダゴンの大祭司を歌うウカシュ・ゴリンスキはあまり声が出ていない。

 演出はリチャード・ジョーンズ。兵士が抑圧されている人々を占領者たちが監視し、虐め、いたぶっている現代のどこかの場所が舞台になっている。今、これを見ると、だれもがガザ地区を連想するだろう。台本では抑圧されているのはユダヤ人だが、現代の国際社会ではユダヤ人が抑圧する側に回っている。それを明らかに暗示している。

 

グノー 「ロメオとジュリエット」 (NHK/BSで放送)2023年6月23・26日パリ・バスティーユ

 

 全体的にはとても良い上演だと思う。ただ、冒頭に歌うキャピュレット家の若者たちの歌が硬いために聴く側としてはなかなかエンジンがかからない。初めに歌う歌手の出来は全体の印象を決定づけると強く感じる。

 主役格は見事。ロメオのバンジャマン・ベルネームはサイレント時代のハリウッドスターを思わせるような端正な容姿と端正な歌いっぷり。生真面目なロメオを作り出す。派手さはないが、素晴らしい。ジュリエットのエルザ・ドライシヒも可憐で清純な声がとてもいい。容姿の面でも十分にジュリエットに見えるし、表情や仕草がとてもリアルで、真剣に恋をする少女をうまく演じている。ただ、私にはときどきほんのかすかに音程がふらつくような気がするのだが、どうなのだろう。まあ、それでも十分に感動できる。キャピュレットのロラン・ナウリもさすがの歌唱。ロレンスのジャン・テトジェンも安定した美声。

 指揮はカルロ・リッツィ。グノーらしい、優美でロマンティックな要素を表に出して、とても良い指揮だと思う。もっとイタリア・オペラ風にバリバリ演奏するのかと思っていたが、そうでなく、しっかりとグノーを演奏してくれた。

 演出はトマ・ジョリ。新しい解釈はないと思うが、豪華絢爛な舞台装置の中で映画的でリアルな演技がなされて、ドラマとしてとても自然。

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諏訪内&メイエの内省的なモーツァルトのクラリネット五重奏曲!

 2024219日、紀尾井ホールで、国際音楽祭NIPPON 2024 諏訪内晶子プロデュース 室内楽プロジェクトを聴いた。

 曲目は、最初に鈴木康浩(ヴィオラ),イェンス=ペーター・マインツ(チェロ)によるベートーヴェンの「2つのオブリガート眼鏡付きの二重奏曲」。どうやら眼鏡をかけたヴィオラとチェロの奏者のために作曲したということらしい。とてもおもしろい曲だった。

 次に、諏訪内晶子のほか,ベンジャミン・シュミット(ヴァイオリン),ポール・メイエ(クラリネット)が加わってモーツァルトのクラリネット五重奏曲。

 諏訪内のリードによるものだろう。高貴で内省的な演奏だった。メイエの吹くクラリネットの音が深い感情を含み、それが流麗に歌われる。第2楽章の諏訪内の第一ヴァイオリンとメイエのクラリネットの静かで繊細な掛け合いは圧巻だった。大げさに語ろうとせず、こぼれ出てくるような人生の哀歓。素晴らしかった。改めて、これは本当に名曲だと思う。俗な言葉で言うと、本当に「泣けてくる」ような曲だ!

 後半は、諏訪内のヴァイオリンと秋元孝介のピアノでパガニーニの2曲。初めに「ロッシーニの『エジプトのモーゼ』による、いわゆる「モーゼ幻想曲」。次に、クライスラーの編曲による「ラ・カンパネラ」。いずれも、もちろん超絶技巧曲で、諏訪内のテクニックは見事。諏訪内のヴァイオリンはあくまでも美しく高貴さを失わないところがすごい。ピアノの方はメリハリが強く、バリバリ弾くが、ヴァイオリンは乱れることがない。パガニーニなんだからもっと乱れてもいいではないかと思うのだが、そうはしないのが諏訪内さんだろう。

 最後は、諏訪内が抜け、ベンジャミン・シュミットが第一ヴァイオリンを弾き、コントラバスの池松宏が加わって、シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」。モーツァルトとシューベルトの違いという以上に、第一ヴァイオリンが諏訪内からシュミットに代わったための違いもあるのだろう。モーツァルトがとても内省的であくまでも美しかったのに対して、「ます」のほうは切れがよく、バリバリと演奏していく感じ。シュミットの持ち味なのだろう(昔、シュミットの演奏によるバッハの無伴奏曲のCDを好きで聴いたものだが、かなり切れの良い演奏だった)。ただ、私としては、諏訪内さんが入ってくれる方がうれしかった。ちょっとシューベルトらしい内省的な雰囲気が欠けている気がした。

 プレトークと演奏の間に舩木篤也さんが「音楽の都ウィーン」について語っていた。確かに、ウィーンは実は国際都市であり、周囲のたくさんの国から音楽家たちが集まって様々な音楽が演奏されていた。その雰囲気を味わうことができた。

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女流義太夫を楽しんだ

 2024年2月18日、蕨市立文化ホールで、女流義太夫第21回公演をみた。

 このところ、文楽に親しんでいる。ところが、国立劇場が休館中のため、なかなか機会がない。知人に女流義太夫の公演があり、人間国宝の三味線弾きが出演すると聞いて、足を運んでみた。

 プログラムは、最初に、「妹背山婦女庭訓」の花渡しの段を、浄瑠璃・竹本綾一、三味線・鶴澤津賀寿(人間国宝)。確かに、三味線は素晴らしいと思った。これまで、DVDをみたり、東京の国立劇場や大阪の国立文楽劇場で公演をみたりしてきた。どれも素晴らしい上演で、太夫も三味線も人形遣いも素晴らしかった。だから、特に三味線に注目することはなかった。ところが、浄瑠璃が少し未熟なところに人間国宝の三味線が聴こえると、これは凄い! びしりと音が定まってドラマを推進していく。間の取り方も見事。音そのものもとても美しい。ほとんど初めて三味線の音の鮮烈さに心を奪われた。

 竹本孝矢さんのレクチャーがあって、拍子木や文楽の段の初めの口上などについて説明があり、客を含めて口上の練習などをした。

 後半のはじめは「絵本太功記」の妙心寺の段、浄瑠璃は竹本土佐子、三味線は鶴澤弥々。とても格調高い浄瑠璃と三味線だった。ただ浄瑠璃の声が小さかったがもう少し大きな声だったら、もっと心を動かされただろう。

 最後に「仮名手本忠臣蔵」の道行旅路の嫁入の段。浄瑠璃は竹本越里・竹本京之助・竹本寿々女、三味線は鶴澤駒治・鶴澤津賀榮・鶴澤津賀佳。三味線については凄い迫力。浄瑠璃もよかったが、ただ西洋音楽になじんだ人間からすると、三人の声が協和音にならないところがあって気になった。

 女流義太夫の実演を目にするのは初めての経験だった。文楽初心者なので右も左もわからないが、ともあれ楽しめた。

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芸劇「美しきエレーヌ」 最高に楽しかった!

 2024217日、東京芸術劇場でコンサートオペラ、オッフェンバック 喜歌劇「美しきエレーヌ」(演奏会形式)を聴いた。とても充実した演奏だった。最高に楽しかった。

 演奏会形式だが、ある程度の扮装はして、土屋神葉という若い役者さんによる日本語の語り(エロス=キューピッドの役を演じつつ、人物や物語を紹介するという趣向)がついての演奏。とても分かりやすく、堅苦しくなくてとてもうまいやり方だと思った。この方、私は初めて知ったが、朗読などで活躍している人らしい。今後も活躍の幅を広げてほしいものだ。こうした語りも含めて、佐藤美晴の構成演出だというが、実に見事。

 ザ・オペラ・バンドというオーケストラの音にもびっくり。得体のしれない楽団かと思っていたら、とんでもない。素晴らしく切れの良い美音。それもそのはず、コンサートマスターの長峰高志さんをはじめ、N響などでよく見ていた(あるいは、今も見ている)顔があちこちに。超一流オーケストラではないか! 指揮の辻博之も、歯切れがよくメリハリが効いた演奏で素晴らしい。ザ・オペラ・クワイアの合唱も、手ぶり、身振りが入って音楽的に見事なだけでなく視覚的にも楽しめた。

 歌手陣もきわめて高水準。やはり何よりも、エレーヌの砂川涼子が素晴らしい。エレーヌという絶世の美女役を歌うのに、視覚面でこれほど違和感のない歌手は稀有というしかない。声の面でも清澄にして気高く、しかもここぞという時には強い声が出る。パリスの工藤和真も高音の威力に圧倒された。ほかの人たちもとても良かったが、この二人が図抜けていると思った。

 メネラオスの濱松孝行、アガメムノンの晴雅彦、オレステスの藤木大地、カルカスの伊藤貴之、アイアスIの反中洋介、アイアスIIの堀越俊成、いずれも音程がよく、声が伸びていた。時にマイクを使っているせいもあったかもしれないが、全員が無理のない発声だった。

 やはりオッフェンバックのオペレッタは楽しい。何はともあれ、浮世のわずらわしさ、人生の悲しさ、生きる辛さをしばし忘れさせてくれる。まさに躁状態になる。こんな体験はめったにできない。私はオッフェンバックのオペレッタが大好きなのだ!

 ただ、この「美しきエレーヌ」もそうだが、「地獄のオルフェ」も、オリジナルのまま上演すると現代の日本ではあまりにわかりにくく、無駄が多くなる。今回のようなやり方がこれからのオッフェンバックのオペレッタ上演の参考になるのではないか。

 オッフェンバックのオペレッタはまだまだたくさんある。何らかの形で日本でも上演してくれるとこんなうれしいことはない。

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ちょっと思ったこと

 盛山文部科学大臣は旧統一教会の人と出会ったことを覚えていないと語って、そんなはずはないと非難されている。大臣を擁護するわけではないが・・。

 私は、人と会って、それについてまったく覚えていなかったことが何度かある。雑誌記者に「前にお目にかかってインタビューしたことがあります」と言われて、インタビューの場所や内容を教えてもらっても、まったく覚えていないことがあった。記事を見て、たしかに私がしゃべったことになっており、写真もあるので、じゃあきっとそのようなことがあったのだろうと思った。

 20年ほど前、本が売れて週に何本もインタビューをされていた。多いときには、1日に3つのインタビューを受けたことがあった。そのころのインタビューの半分くらいについては覚えていない気がする。

 予備校や大学の授業の中でしゃべったこと、本の中に書いたこともろくに覚えていない。後で人に聞いたり本を読んだりして、驚くことがたくさんある。間違いなく感動して聴いたコンサートでさえ、覚えていないことがある。

 だから、大臣が会見についてまったく覚えていないということも、ありえないことではないと思う。私がぼけ老人というわけではないと思う。忙しいとどうしてもそうなると思う。

 ついでに言うと、私も盛山大臣と同じ昭和20年代生まれだが、私もまたハグなんて、相手が男女にかかわらず、一度もしたことがない。「ハグをした」と言われると、私がそんなことをしたはずがないと思うだろう。

 繰り返すが、もちろん盛山大臣を擁護するつもりはまったくない。統一教会の人間と懇意にしているだけで、覚えていようといまいと批判してよいと思う。が、「覚えているはずだ」と非難されているのを見ると、私としては同情したくなる。

 逆に言うと、私以外の人々は、それほどに何年も前のことをはっきり覚えているのだろうかと疑問に思う。そんなに自信をもって過去をすべて把握しているといえるのだろうか。私にはむしろ多くの人が自分についてすべて把握している気でいることのほうが不思議でならない。

 

 もう一つ気になっていること。20244月から運送業武者の働き方改革のために、宅配便が遅れるといわれている。まだ、4月になっていないが、その状況が起こっているのではないか。

 雪の日だったから、26日だったと思うが、午前中にアマゾンで購入したものが届く予定だった。夕方まで待って届かず、出かける用があったので、8日の午前中に再配達を依頼した。雪だから仕方がないだろうと思った。ところが、それも届かなかったので、同じ日の夕方にまた延期した。が、それでも届かず、結局、確実に自宅にいる時となると数日先になってしまって、その品物を買う意味がなくなるのでキャンセルした。快くキャンセルに応じてくれたので助かった。

 佐川急便も同じように、午前中指定なのに、14時になっても届かなかった。ヤマト運輸も同じようなことがあった。私としては早く届けてくれる必要は必ずしもない。むしろ、指定した時間通りに届いてほしい。何とかならないだろうか。

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山田&ラムスマ&読響 すべて良かったが、特にイザイのアンコールとフランクの交響曲に興奮

 2024213日、サントリーホールで読売日本交響楽団第670回名曲シリーズを聴いた。指揮は山田和樹。曲目は、前半にリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、シモーネ・ラムスマのヴァイオリンが加わってブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番、後半にフランクの交響曲ニ短調。素晴らしい演奏だった。興奮した。

 まず、「ドン・ファン」の語り口のうまさに驚嘆。とてもおもしろく、楽しく音楽を展開し、ここぞというところで華やかな音を響き渡らせる。飽きさせず、華美になりすぎず、しかし華やかでダイナミック。指揮も見事、オーケストラもさすが。

 ラムスマの加わる協奏曲もよかった。小細工のないスケールの大きなヴァイオリンの音。完璧な音程で凛とした音楽を作っていく。初めからロマンティックな感情を前面に出すのではなく、慌てずに徐々に盛り上げて、第2楽章、第3楽章と徐々にロマンティックな感情を盛り上げていく。そして、激しく高揚していく。オーケストラも見事につけて本当に素晴らしかった。

 ヴァイオリンのアンコールはイザイの無伴奏ソナタ第2番の第4楽章。「怒りの日」のメロディが繰り返し出てくる曲。これはことのほかすごかった! 音程のよいスケールの大きな音で、時にかすかに、時にがなり立てるように死の音が響く。不気味であると同時に、いかにも人間臭い。感動した。

 後半のフランクの交響曲も素晴らしかった。きっとこの曲は楽器のバランスが難しいのだと思う。華やかになりすぎるとフランク特有の深みがなくなってしまう。だが、渋くなりすぎてブラームスのようになると、色彩的な魅力が薄れてしまう。華やかで色彩的でロマンティックで、しかも深い人生観のようなものが刻み込まれている。そんな音楽を山田和樹は見事に再現してくれた。オーケストラも実に見事。イングリッシュ・ホルンもとても美しかった。私は第一楽章後半と最終楽章後半で感動に魂が震えた。恍惚としたといってもいいかもしれない。

 すべての曲に満足。実は久しぶりに山田和樹の指揮を聴いたが、やはり素晴らしい。もっと聴きたくなった。

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オペラ映像「アマールと夜の訪問者」「ラ・ファヴォリート」「女の手管」

 それなりに忙しくしているが、その中で何本かオペラ映像をみたので簡単な感想を記す。

 

メノッティ 「アマールと夜の訪問者」(ドイツ語版)20221217,18日 ムジークテアター・アン・デア・ウィーン、ミュージアム・クォーター

 タイトルは知っていたが、初めてこのオペラをみた。夢幻劇とでもいうか。簡単に言うと、障害のある子供アマールのもとに東方の三博士がやって来て障害を治す・・・という奇跡の物語。

 演出はステファン・ヘアハイム。原作では少年は病を治してもらったお礼に三博士とともに旅をするはずだが、今回の演出では、少年は死んで、昇天した少年が三博士と行動を共にすることになっている。ただ、このオペラになじみのない私としては、それにどのような意味があるのかよくわからなかった。寓意があるのだろうか。オリジナルのオペラの寓意もよくわからないし、ヘアアイムの意図もよくわからない。

 アマールを歌うのは、ウィーン少年合唱団の日本人団員、石嶋天風。きれいな声で音程もいいが、声に威力がないのが残念。あえてこのような歌い方をしているのだろうか。アマールの母のシャミリア・カイザー、三人の博士の歌手陣はとても安定。マグヌス・ロドガール指揮のウィーン交響楽団もまったく不満はない。

 

ドニゼッティ 「ラ・ファヴォリート」20221115,18日 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 歌手陣についてはとてもレベルの高い上演だと思う。レオノールのアンナリーザ・ストロッパは容姿もこの役にふさわしく、声も伸びている。図抜けているとまではいかないが、十分に役に入り込んで美しく歌っている。フェルナンのハビエル・カマレナは容姿の面では損をしているが、歌は相変わらず見事。伸びのある美声で愛の悲しみを歌う。アルフォンス11世のフロリアン・センペイも、この権力によって愛人を占有しようとする国王の嫌味なところと誠実さをうまく歌ってとてもいい。バルタザールのエフゲニー・スタヴィンスキーはもしかして少し不調なのかもしれないが、あまり声が出ていない。とはいえ、十分に聴かせてくれる。イネスのカテリーナ・ディ・トンノは、ちょっと軽率で、しかしかわいげのある役をうまく歌っている。

 ヴァレンティナ・カラスコの演出はかなりオーソドックスだと思うが、宮廷の着飾った貴婦人たちにかなり高齢の女性たち(たぶん平均年齢70歳くらい?)を使っている。宮廷の表面のみのきらびやかさを強調しているのだろうか。

 これまた私が今、仮住まいで使っている貧弱な装置のせいかもしれないが、リッカルド・フリッツァ指揮のドニゼッティ歌劇場管弦楽団に勢いを感じない。もう少しよい装置を使えるようになったら、もう一度聞きなおしてみる必要がありそう。

 

チマローザ 「女の手管」2022106,8,9日 フラーヴィオ・ヴェスパジアーノ劇場(レアーテ音楽祭ライヴ)

 

 チマローザの珍しいオペラ。ストーリーは他愛ないが、オペラとしてはなかなかおもしろい。同時代のパイジェッロなどとよく似た雰囲気。ロッシーニからロッシーニらしさを引いたような感じとでもいうか。

 演奏については、十分に鑑賞には耐えるが、素晴らしい演奏というわけではない。オーケストラはアレッサンドロ・デ・マルキ指揮のテレージア管弦楽団。古楽器の集団。ちょっと生硬な感じがしてしまう。もう少し自然に流れないものか。

 歌手陣もあまり高レベルではない。ベッリーナのエレオノーラ・ベロッチ、ドン・ロムアルドのマッテーオ・ロイ、レオノーラのアンジェラ・スキザーノはなかなかいい。だが、ドン・ジャンパオロのロッコ・カヴァルッツィとエルシーリアのマルティーナ・リカリは少し声が弱く、フィランドロ役のヴァレンティーノ・ブッツァは音程が不安定に私には聞こえる。なぜこの人が主役格を歌っているのか私には納得できない。

 チェーザレ・スカルトンの演出は、かなり意図的だと思うが、あえて18世紀的。簡素な舞台に、18世紀の衣装で現れる。だが、動きがとてもきびきびしていて、動きがリズミカル。演出面ではとても楽しめた。

 まだまだこれからの若い人たちの作り上げたオペラ公演といったところ。チマローザのオペラを知るにはとてもありがたい映像だった。

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文楽「艶容女舞衣」、そして小澤征爾さんの訃報!

 2024年2月9日、日本青年館ホールで文楽公演をみた。

 第一部は、「二人三番叟」と「仮名手本忠臣蔵」の山崎街道出合いの段、二つ玉の段、 身売りの段、早野勘平腹切の段。第二部は、「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の酒屋の段と「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」の廓噺の段。

 まったくの初心者なので、文楽について何かを語る資格はない。やっと太夫の語りを聞き分けられるようになり、好きな太夫とそうでもない太夫ができてきた。三味線については、ちょっとだけ違いがわかるようになってきたが、それだけ。人形遣いについては、すべての動きのあまりの巧みさに驚嘆しているだけで、その巧拙についてはまったくわからない。

「仮名手本忠臣蔵」のお軽と勘平の話はとてもよくできていて、とても感動的だと思うのだが、私はそれよりも「艶容女舞衣」のほうがずっと好きだ。恋に溺れた一人の男のために、周り中が不幸になっていくが、すべての登場人物が善人で、他人への思いやりを持っているためにあえて冷たく当たったり、意地を張ったりしながら、何とか不幸を受け止めようとする。その健気さに感動する。竹本三輪太郎と鶴澤清友、竹本錣太夫と竹澤宗助、豊竹呂勢太夫と鶴澤清治のそれぞれ語りと三味線はいずれも素晴らしかった。なお、「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平腹きりの段の太夫は豊竹呂太夫だった。4月に豊竹若太夫を襲名することになっている。これが最後の呂太夫としての出演だろうと思う。さすがの語りだと思った。身売りの段の竹本織太夫もとても良かった。

 初心者ながら、文楽はとてもおもしろいと思う。もう少し見続けてみたい。

 なお、自宅に帰ってから、小澤征爾さんの死去のニュースを知った。新日フィルの演奏で昔何度か演奏を聴いた。松本まで出かけてサイトウキネンも聴いた。ブラームスの交響曲やベートーヴェンの第九、演奏会形式の「エレクトラ」などにとても感動したのを覚えている。もちろん、CDもかなり持っている。ただ実を言うと、後年の表面をきれいに磨き上げるような演奏はあまり好きではなかった。勢いがあって、少しの破綻があっても突き進むような、若いころの音楽づくりのほうが好きだった。とはいえ、日本のクラシック音楽のレベルの高さを世界に知らせ、多くの人の感動を与えてきた稀代の大指揮者だったのは間違いない。近年、タクトを触れない状況を伝え聞いていたので、からだがよくないのだとは思っていたが。合掌。

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新国立劇場「ドン・パスクワーレ」 ドニゼッティの世界を堪能した

 202428日、新国立劇場で、ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」をみた。とても良かった。心から楽しめた。

 やはりドン・パスクワーレ役のミケーレ・ペルトゥージが圧倒的に素晴らしい。この歌手、私は音楽ソフトでかなりみているが、良かったり悪かったりだった。が、今回、実演で聴くと凄い! 圧倒的な声量で自在に歌いまわす。声の演技も軽妙でもあり、声そのものに深みもある。マラテスタを歌うのは上江隼人。このブログで、たびたび「日本人勢も引けを取らない」と書いてきたが、今回はそのレベルではない。まさに世界の第一線で活躍している人の歌。見事だった。とりわけ、第三幕の早口の混じるペルトゥージと上江の二重唱は圧巻。エルネストのフアン・フランシスコ・ガテルは、最初のころ、声のかすれを何度か感じたが、その後持ち直して、とてもきれいな声を聴かせてくれた。ノリーナのラヴィニア・ビーニもきれいな、声量のある声でチャーミングに歌った。新国立劇場合唱団もとてもよかった。

 指揮はレナート・バルサドンナ。適度な表現を加えてとても音楽の語り口がうまい。ただ、ちょっと地味な音楽の作り方だと思った。もう少し盛り上げてくれると嬉しい。

 ステファノ・ヴィツィオーリの演出はきわめてオーソドックス。たぶん原作に設定されている通りの時代の衣装、(確かめたわけではないが)おそらく台本通りの仕草。中央に据えた小屋を広げたり畳んだりして、ドン・パスクワーレの書斎や外の光景を作り出す仕掛けはとてもおもしろかった。

 序曲の間はずっと幕が閉まったままで、音楽を十分に味わうことができ、その後も台本に書かれている(と思われる)通りに舞台が進んでいく。私がオペラに親しみ始めたころにはこれが当然だったが、これほどオーソドックスなのは久しぶりだった。私のようなオールド・ファンにはこのような演出はありがたい。たまにこれほどオーソドックスだとむしろ新鮮に感じる。ともあれ、とても満足。ドニゼッティの肩の凝らないオペラの世界を堪能した。

 とはいえ、ドン・パスクワーレは70歳だという。私より年下ではないか! このオペラのテーマを言葉を選ばずに言うと、「年寄りは若い女と結婚しようなどと思わずに、おとなしく死んで行け」ということ。私はこれから先、若い女性と再婚することはきっとないだろうし、おもしろいオペラなので堅いことを言う気はないが、「もう少し年寄りにも希望を与えてくれよ」と言いたくなる。観客の半分くらいは高齢者なんだから!

 そういえば、この頃、私がオペラを見ながら、自分と重ね合わせてしんみりしてしまう役は、「セヴィリアの理髪師」のバルトロだったり、「ワルキューレ」第三幕のブリュンヒルデに対するヴォータンだったり、「ドン・カルロ」のフィリッポ二世だったり、「ばらの騎士」のファニナルだったりする。うーん、トシだ!!

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新鋭とベテランのブラームスのピアノ五重奏曲に感動

 202427日、東京芸術劇場で、芸劇ブランチコンサート〜清水和音の名曲ラウンジ〜を聴いた。「新鋭とベテラン」というタイトルで、まだ桐朋音大在学中のヴァイオリニスト石川未央とベテランたちの演奏。曲目は、前半に石川と清水和音(ピアノ)でクライスラーの「美しきロスマリン」「愛の悲しみ」「愛の喜び」。とても率直なヴァイオリンだと思う。小手先の表現などなしにまっすぐに音楽をつくる。勢いがあってとてもいいし、そうであるがゆえにそこからチャーミングさが湧き出てくる。特に「愛の喜び」がよかった。沸き立つような音楽だった。この人はこのような若々しい表現を得意にするのかもしれない。

 後半は大江馨(第一ヴァイオリン)、佐々木亮(ヴィオラ) 辻本玲(チェロ)が加わってブラームスのピアノ五重奏曲。これもとても良かった。

 清水のリーダーシップのおかげなのか、全体がしっかりとまとまっており、破綻なく、しかしけっして「安全運転」ではないエネルギーにあふれた世界が広がっていく。あまり大袈裟な表現はないが、かっちりした構成の中で強くて深い音で音楽が作られるので、情感にあふれ、力が迸る。第2楽章については、実はちょっとリリシズムに欠けるかなと思った。もう少し濃厚な表現をしてもいいのではないかと思った。だが、第3楽章のジプシー的な音楽の躍動感、そして最終楽章の高揚は素晴らしかった。ブラームスの室内楽は楽器がきっちりと重なり合い、伝えあって本当に緊密。それを5人の演奏家が見事に再現してくれた。力のある5人が集まると、これほどまでに勢いがあってまとまりのある深い世界を作り出せるのかと改めて驚く。感動した。

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新国立劇場「エフゲニー・オネーギン」 名演だった!

 2024年2月3日、新国立劇場で「エフゲニー・オネーギン」をみた。素晴らしかった。新国立劇場の歴史の中でもベストの部類に属す名演だと思った。

 まず指揮のヴァレンティン・ウリューピンがとてもよかった。東京交響楽団から繊細でチャイコフスキーらしい憂いのあるしっかりした音を引き出していた。音楽がドラマティックで溌剌としているために、ちょっと若々しすぎる気がしないでもないが、考えてみると、これは間違いなく若者の恋と悲劇の物語なのだから、これでいいだろう。私自身の好みとしては、とりわけ第一幕はけだるく憂鬱な雰囲気であってほしいのだが、今回の上演では、悲劇の前触れのような含みのある音。なるほどこんな第一幕があってもいいと思った。その後も盛り上がりもとても良かった。最後のオネーギンの絶望もしっかりと伝わった。オーケストラのコントロールも見事。東響も見事な音! 木管楽器にしびれた。

 歌手陣もみんなが揃っていた。オネーギンのユーリ・ユルチュクは余裕のある声で世をすねた陰のある役をうまく歌っていた。最後の渇望はみごとだった。タチヤーナのエカテリーナ・シウリーナも芯のある澄んだ声で声量も豊か。手紙の場面は素晴らしかった。チャーミングな容姿なのだが、なんとなく第三幕で高貴な貴婦人に見えないのが残念だった(もしかしたら赤のドレスが似合わないのかもしれない)が、声に関しては十分に貴婦人だった。レンスキーのヴィクトル・アンティペンコもこの役にふさわしい抒情的なテノールで決闘の場面はしみじみとして見事。オリガのアンナ・ゴリャチョーワも、ちょっと男っぽくておきゃんなこの役をうまく歌っていた。アルトでおきゃんな役を歌うのは難しいと思うのだが、初めて納得してこの役をみた。グレーミン公爵のアレクサンドル・ツィムバリュクは深々とした余裕のある美声でしみじみと老年の恋を歌って素晴らしかった。

 ラーリナの郷家暁子、乳母の橋爪ゆかも外国人勢にまったく引けを取らぬ歌唱と演技。トリケの升島唯博は演出のせいかもしれないが、過剰な演技だと思った。

 冨平恭平の合唱指揮による新国立劇場合唱団もとてもよかった。ただ、最初の合唱(合奏団は舞台には現れなかった)でテノールのソロの音程が少し不安定だったのが気になった。音楽面で気になったのは、それだけで、ほかは満足だった。

 演出はきわめてオーソドックス。新しい解釈はほぼないと思う。ただ、合唱団が音楽に合わせて顔を大きく動かすなどの大きな動きをして不穏な雰囲気を出していた。また、決闘の場面では、オネーギンは的を外そうとしたのにたまたま銃弾が当たってしまったという設定にしていた。また、オネーギンの側の介添え人は事情がわからないまま連れてこられた酔っ払いであって、決闘と気づいてあわててやめさせようとして、レンスキーの死に動揺するという演出だった。オネーギンの心情を示すのにうまい演出だと思った。

 全体的にとても満足。大いに感動した。私はけっしてチャイコフスキー好きではないのだが、このオペラは中学生のころから(つまり、ほぼ60年前から!)大好き。満足だった。

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