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東京春音楽祭「トリスタンとイゾルデ」 男性的でダイナミックな演奏!

 2024年3月30日東京文化会館 大ホールで東京春音楽祭、「トリスタンとイゾルデ」(演奏会形式)を聴いた。指揮はマレク・ヤノフスキ、管弦楽はNHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ベンジャミン・ボウマン)。素晴らしい演奏だった。

 先日、新国立劇場で、大野和士指揮の都響の名演奏を聴いたばかりだったが、こちらもそれに劣らない。ただし、正反対のタイプの演奏だといえるだろう。大野指揮は、スローテンポで精妙で官能的でしなやかでとろけるようだったのに対して、ヤノフスキ指揮は豪快で快速でドラマティックで男性的な激しく盛り上がる演奏。指揮によってこんなにも違うものかと改めて認識すると同時に、どちらのタイプの演奏でも最高の感動を与えるこの楽劇の凄さも改めて感じた。明るめの明快な音を重ねて、迸るような情熱を感じさせる。私は何度も感動に震えた。

 歌手陣も充実していた。とりわけ、男性陣はとてもそろっていた。トリスタンのスチュアート・スケルトンは、もしかしたら少し不調だったのかもしれない。私が気付いただけで5音ほど声がかすれた。さかんに水を飲んでいたところを見ると、本人も大いに気にしていたのだろう。しかし、そうであったとしても、さすがの歌唱。張りのある見事な声。クルヴェナールのマルクス・アイヒェの美声は厚いオーケストラを圧して凛凛と響いた。素晴らしい。マルケ王のフランツ=ヨゼフ・ゼーリヒもこの役にふさわしい貫禄のある声。この3人の凄さに圧倒されるばかりだった。現在の世界最高の歌手陣だと思う。

 イゾルデのビルギッテ・クリステンセン、ブランゲーネのルクサンドラ・ドノーセもとてもよかったが、男性陣に比べるとちょっと力不足だった。クリステンセンの「愛の死」は少し苦しかった。あと少しの声量がほしいと思った。日本人勢もしっかりと脇を固めていた。メロートの甲斐栄次郎、牧童の大槻孝志、舵取りの高橋洋介、水夫の金山京介、いずれも音程のよいしっかりした声。東京オペラシンガーズの合唱もとても声が伸びていて素晴らしかった。

 ・・・ただちょっとショックなことがあった。第一幕の途中で、後ろの席の人に、私の身動きを注意されたのだった。どうも私は音楽に合わせて体を揺り動かしていたらしい。もちろん、まったく意識していなかった。むしろ、私は音もたてず身動きもせず、模範的な聞き方をしていると思っていた。

 ほかの曲の場合はそんなことはないと思うが、どうも私はワーグナーを聴く時、とりわけ「トリスタンとイゾルデ」を聴く時、身体を揺り動かす癖があるようだ。私は50年以上前から、家で陶酔しながら「トリスタンとイゾルデ」のレコードを聴いてきた。それ以来、100回以上(ことによると200回、いや300回以上)この楽劇を聴くたびに身体を揺り動かしていたのだろう。それが癖になっていて、実演を聴く時も、からだ全体で陶酔して聴くようになっているのかもしれない。反省! 先日、新国立劇場で「トリスタンとイゾルデ」を見て感動したのだったが、もしかしたらその時も私は身体を揺り動かして、後ろの席を人を不快にしていたのだろうか。これから気を付けたい。もし、これまで私が迷惑をかけた人がいたら、この場を借りて謝りたい。それにしても、改めて、自分の過失についてはなかなか気づかないものだと痛感する。

 とはいえ、演奏は本当に素晴らしかった。そして、「トリスタンとイゾルデ」は本当に名作だとまたまた思った。

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東京春祭 ショスタコーヴィチの3つのソナタ 満足して聴いた!

 2024329日、東京文化会館小ホールで東京春音楽祭でショスタコーヴィチの室内楽を聴いた。

 曲目はチェロの上野通明によるチェロ・ソナタニ短調、ヴァイオリンの周防亮介によるヴァイオリン・ソナタ ト長調、ヴィオラの田原綾子によるヴィオラ・ソナタ ハ長調。ピアノはすべて北村朋幹。

 とても良い演奏だった。まず、北村朋幹が素晴らしい。シャープでダイナミックでヴィヴィドな音。ショスタコーヴィチの室内楽は、抑圧されていたものが噴き出してヒステリックに爆発する…といった演奏になりがちで、それが魅力ではあるのだが、今日の演奏を聴くと、まったくそうではなかった。心の中にあるマグマのようにたまった生のエネルギー、しかもわくわくするような快活なものではなく、醜いもの、不分明のものも入り混じったエネルギーの爆発に思えた。もちろん、快活で明るくはないが、決して陰湿ではない。

 弦楽器の奏者たちも、見事なテクニックと音楽性。上野のチェロはおおらかな感じがあって叙情性が表に出ており、不思議な情緒があった。周防のヴァイオリンの第2楽章の凄まじい表現に圧倒された。ヴィオラ・ソナタはベートーヴェンの「月光」や「英雄」などを思わせるモティーフが出てくる不思議な曲だが、田原のヴィオラは内に秘めた思いが一層こもって聞こえた。ただ、最終楽章、「長いなあ・・・!」と思った。もちろん、演奏家に責任はまったくないのだけど。

 ただ、私はショスタコーヴィチ愛好者ではない。これらの曲も、これまで数回聴いたことがある程度。したがって、これ以上のことは言えない。ともあれ、とても満足して聴いたのだった。

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中野りなのヴァイオリン 率直な演奏に感動、しかし、ちょっと不満

  2024323日、旧東京音楽学校奏楽堂で中野里奈のヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノはルゥォ・ジャチン。東京春音楽祭の一環。

 中野りなさんの名前だけは聞いた覚えはあったが、演奏を聴くのはこれが初めて。東京春音楽祭に抜擢されたのだから、きっと良いに違いないと思い、しかも演奏機会の多くないサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番が曲目に含まれているために、聴いてみたいと思ったのだった。

 19歳の、まさについこないだまで中学生か高校生だったような清楚なお嬢さんに見えたが、最初の曲、シューマンのヴァイオリン・ソナタ 第1番の冒頭のヴァイオリンの音にびっくり。思い切りの良い、凄みのある音。そのような音で率直に強く弾く。そうなると、シューマンらしい夢想的な雰囲気は薄れるが、強い思いは迫ってくる。そして私のようなシューマンのあまりに濃厚なロマンティックな雰囲気を好まない人間には、このような表現は好ましい。ぐいぐい引き込まれた。これはこれで十分にロマンティックな世界が伝わる。ピアノのルゥォ・ジャチンも中野と同じようなかなり強い音で、率直に演奏。

 次にパガニーニのロッシーニの「タンクレディ」の「こんなに胸騒ぎが」による序奏と変奏曲。見事なテクニック。ひけらかすわけでなく、やすやす弾きこなしてすがすがしい。歌心もあってとてもいい。

 後半は、まずは中野ひとりでパガニーニの「24のカプリース」から第4番と第24番。実は、私はこの演奏はちょっと不満に思った。率直すぎる! もう少し、こけおどしというか、なにかしら大向こうをうならせるようなところがほしい。こんなに生真面目に演奏すると、パガニーニの良さが出ない。いや、いっそのことバッハのように弾いてもそれなりの深みが出るとは思うのだが、そうもなっていない。何を表現したいのかわからないような演奏だと思った。

 次に、ルゥォ・ジャチンのソロでショパンのスケルツォ 第2番。とてもよかった。男性的な強い音で激しく弾きこなす。ダイナミックで躍動的。ショパンがけっして好きでない私も大いに惹かれて聴いた。

 最後に私の目当てのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ 第1番。これも率直な演奏。思い切りのよい音でズバリとひいて見事な世界を作り出していく。気高く清潔でスケールが大きい。ただ、残念ながら私の好きなサン=サーンスではなかった。率直すぎる! フランス的な屈折というのかエスプリというのか、そんなものがなく、あまりに屈託がない。それはそれで魅力的なのだが、得も言われぬ香りがしない。まっすぐすぎる。あと少しひねくれたところがほしいなあと思った。

 とはいえ、これだけのテクニックと音楽性を持った若い女性の登場にとてもうれしくなった。次々と才能ある若者が登場して、こんなうれしいことはない。

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新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」 感動に打ち震えた

 2024320日、新国立劇場で「トリスタンとイゾルデ」をみた。素晴らしかった。私は、すべての歌劇・楽劇の中でこの「トリスタとイゾルデ」が最も好きなので、東京で生活するようになった1970年以来、これまで東京近辺で上演されたすべての「トリスタンとイゾルデ」の上演をみてきたし、バイロイトやベルリンでも何度かみてきたが、その中でもトップレベルの上演だったと思う。

 まず大野和士指揮の東京都交響楽団が素晴らしい。冒頭の音からして実に精妙。官能的でしなやかで魂の震えを音に移し替えたかのよう。私は前奏曲だけで十分に感動した。これほどまでに神経の行き届いた緊張感あふれる前奏曲を日本のオーケストラで聴けるとは思っていなかった。見事!

 歌手陣も全員がとてもよかった。前奏曲が終わって村上公太の水夫の歌声で始まったが、このゆっくりした声が楽劇全体の方向性を決めたかのような気がした。音程がよく、精妙で心を揺さぶるような声だった。

 トリスタンのゾルターン・ニャリはとても自然な発声。無理なくきれいな声を出す。ヘルデンテノールとは言い難いやさしい声だが、トリスタンにはこのような声の方がふさわしい。第3幕での力演でもまったく声が崩れなかった。イゾルデのリエネ・キンチャも威力のある美声。第2幕は抑え気味だったが、「愛の死」はまさに絶唱。細かいところまでコントロールされた声で歌い切った。クルヴェナールのエギルス・シリンスも威力のある声。この役にしては立派すぎるほどの声だが、昔気質の堂々たる従者といった感じ。ブランゲーネの藤村実穂子も全盛期とまったく変わらぬ張りのある声。マルケ王のヴィルヘルム・シュヴィングハマーも、この役にしては声も外見も若すぎるが、堂々たる貫禄のある声。

 デイヴィッド・マクヴィカーの演出はかなりオーソドックスと言えるのではないか。前奏曲が演奏されている間に大きな月が出る。それがそのまま全幕を通して背景に見える。第3幕の後半、月は赤く色を変えるが、きっとこれは太陽ではなく、月のままなのだろう。つまり、3つの幕を通して、ずっと夜という設定。台本では、第2幕は夜だが、第1幕と第3幕は昼間のはずなので、これは演出上の意図ということになる。「夜」ということを強調したかったのだろう。

 ただ、水夫やマルケ王の家来をダンスの人たちが演じていたが、果たして意味があったのだろうか。私には余計にしか思えなかった。

 改めて、この楽劇を奇跡の作品だと思った。台本も文学作品として非の打ち所がないと思う。整合性にも問題がないし、披瀝される思想もきわめて説得力がある。私は一つ一つのセリフに心打たれる。音楽については、これはもうずっと陶酔しっぱなしというしかない。それを大野は本当に見事に音にしていた。感動した。何度魂が感動にうち震えたことか!

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葵トリオ ブラームスの第1番に感動

 2024319日、紀尾井レジデント・シリーズ I、葵トリオの演奏を聴いた。曲目は前半にクララ・シューマンのピアノ三重奏曲ト短調とロベルト・シューマンのピアノ三重奏曲第3番ト短調、後半にブラームスのピアノ三重奏曲第1番。

 クララの曲は、美しい旋律にあふれている。クララの高貴な人格があらわれるような音楽だと思う。とりわけ、ヴァイオリンの小川響子が美しい旋律を際立たせてみごと。ただ、やはり夫ロベルトやブラームスのようには音楽が豊かに広がらずに、盛り上がっていかない傾向があるのは、致し方ないだろう。

 その点ロベルトの曲は、いかにも彼らしくロマンティックで夢幻的。そして、悪く言えばやはり偏執的な気配が濃厚。葵トリオはシューマンのわかりにくさもそのままに激しく表現していく。旋律がくっきりと浮かび、和音が強く響く。それぞれの楽器が鮮明で生き生きとしている。そのために音楽が生きてくる。

 後半のブラームスはとりわけ素晴らしかった。感動した。やはりブラームスの曲そのものが別格だと思う。きっと秋元孝介のピアノがリードしているのだろう。勢いがあり、ピアノがひっぱって音楽を推進していく。ピアノの音一つ一つが生命にあふれている。伊東裕のチェロも豊かに歌い、しっかりと下支えする。第1楽章、終楽章も勢いがあってよかったが、第3楽章のリリシズムも素晴らしかった。

 アンコールのシューマンのピアノ三重奏曲第2番第3楽章もしっとりしたとても良い演奏。満足だった。

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ホーネック&菊池 常識人のヴァイオリンに思えた

 2024318日 、東京文化会館小ホールで東京春音楽祭のひとつ、ライナー・ホーネック(ヴァイオリン)と菊池洋子(ピアノ)のデュオ・リサイタルを聴いた。ホーネックはウィーンフィルのコンサートマスターとして知られ、近年は指揮もしている。きっと素晴らしい演奏を聴かせてくれるだろうと期待して出かけた。曲目は前半にモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第34K.378とシューベルトのヴァイオリン・ソナタ イ長調 D574、後半にコルンゴルトの「から騒ぎ」op.11 より 4つの小品とブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番。

 最も良かったのはモーツァルトだった。率直で思い切りがよく、とてもすっきりとしたすがすがしい演奏だった。菊池のピアノの音の美しさにほれぼれした。モーツァルトにふさわしい汚れのない、わくわくするようなピアノの音。

 シューベルトは、ロマンティックな感興に少し欠けている気がした。コルンゴルトの「空騒ぎ」という曲は初めて聴いたが、とてもおもしろかった。ただ、これもシューベルトと同じように、ちょっと中途半端な気がした。菊池のピアノはいい。だが、ヴァイオリンにあと少しの個性がないように思う。清潔に、うまく弾いているのだが、それだけの感じがする。ふつうの常識人の奏でるヴァイオリンの音楽とでもいうか。音楽に酔わせてくれない。

 ブラームスについても同じように感じた。ブラームスの晩年の深い思いがヴァイオリンの音に伝わっていない。終楽章は盛り上がったのだが、それでもやはりブラームスのやるせない感情、諦観を交えた情熱、人生の深い思いといったものが伝わらない。平明に、ただ音を強めているだけの感じがする。

 アンコールはクライスラーの曲を中心に合計7曲の大サービスだった。だが、これも私には不満だった。もう少しクライスラーらしくウィーン的な情感を込めて歌うのか、それともウィットを効かせるのか、あるいはテクニックを聴かせるのか、何をしようとしているのかよくわからない。お行儀のよい常識人の音楽だった。

 アンコールの一つが、前半のシューベルトのソナタの最終楽章だった。きっと前半の演奏に不満があったのだろう。確かに、アンコールでの演奏のほうがずっとドラマティックでよかった。だが、それでもちょっと味気ないシューベルトだった。

 ホーネックはオーケストラのヴァイオリニストとしては超一流なのだろうが、自分の表現を強く押し出す人ではないようだ。ちょっと不満だった。

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ジャコ&読響 「皇帝」とブラームス第4番に興奮!

 3月16日には、私が学院長を務めるMJ日本語教育学院で最初の卒業式が行われた。コロナ禍の最中に開校した日本語学校なので外国人がなかなか来日できず、今回卒業したスリランカから来た二人が最初の生徒だった。日本語学校に二人だけの生徒ということで苦労したこともあっただろう。だが、教員たちの手厚い教育を受けて無事に専門学校に入学。素晴らしい卒業式だった。

 3月17日には、拙著「凡人のためのあっぱれな最期」を題材にした講座が幻冬舎ビルで行われ、拙著の内容についてお話した。まったく人格者ではないのに、死を前にしてもまったく動じず、最後まで明るくあっけらかんとふだん通りの生活をした妻がなぜそのように死を迎えることができたのかについて、私の考えをお話しした。参加者は真剣に耳を傾けてくださり、質疑にも加わってくださった。

 そして、今日、2024年3月17日、東京芸術劇場で読響日曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はマリー・ジャコ。

 曲目は前半にアレクサンドル・メルニコフのピアノが加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、後半にブラームスの交響曲第4番。素晴らしかった。興奮した。

 マリー・ジャコの名前は、今脚光を浴びている若い女性指揮者として知っていたが、音楽を聴くは初めて。「皇帝」の最初の音に驚いた。低弦のしっかりした実に骨太の音。ゴチック風というのか、輪郭ががっしりした音造り。しかし、もちろんそこから聞こえてくる管楽器などはとても繊細。

 メルニコフのピアノも一つ一つの音がしっかりとした芯をもっており、実に繊細。華美にならず、豪快すぎもせず、ジャコとともに構成のしっかりした中に繊細でしなやかでな音楽を作り出していく。メルニコフの個性なのだろう、きわめて内向的な音楽づくり。外面的に華美にならず、じっと自分の心の中に耳を傾ける感じ。しかし、そこはベートーヴェン。スケールは大きく、深く盛り上がる。ああ、なんという美しい音!と思える部分が何度もあった。

 第2楽章などえも言われぬピアノの美しさ。第3楽章も次第次第に盛り上げていくが、押しつけがましくないのがいい。私は数年前にルイージ指揮のN響の演奏で、メルニコフの弾くモーツァルトの20番の協奏曲を聴いて、あまりに繊細であるのにちょっと辟易した記憶がある。が、今回はそんなことはない。十分にスケールが大きい。素晴らしかった。

 ピアノのアンコールはブラームスの幻想曲集作品116の第2曲「間奏曲」とのこと。ブラームス晩年の肩の力の抜けた音楽を、しなやかに演奏。これもよかった。

 後半はブラームスの交響曲第4番。これも実に骨太な音楽。私のようなオールド・ファンが、まさにカラヤン登場以前に好んで聴いていたような音楽の雰囲気がある。ベームやコンヴィチュニーやカイルベルトやクレンペラーがこんな感じだったと思いだす。しかし、そうはいっても、現代の若い女性なので、昔の大指揮者のように武骨ではなく、一つ一つの楽器の音が美しく、ういういしくて繊細でしなやか。骨太の構成の中に自然に音楽が流れ、要所要所は大きく盛り上がる。第1楽章冒頭も素晴らしかったし、最後も素晴らしかった。第3楽章から第4楽章の盛り上がりに興奮した。読響もしっかりとタクトに基づいて精妙な音、凄みのある音を出していた。

 女性指揮者の活躍が目覚ましい。これからもこのように才能ある女性指揮者が次々と現れるのだろう。楽しみだ。

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バッティストーニ&東フィルの「カルミナ・ブラーナ」 良かったが、期待ほどではなかった

 2024313日、東京オペラシティコンサートホールで、東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はアンドレア・バッティストーニ。曲目は、前半にレスピーギのリュートのための古風な舞曲とアリア第2組曲、後半にオルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」。

 レスピーギのこの曲は初めて聴いた。「リュートのため」とタイトルにあるが、もともとリュートは使われていないとのこと。バロック的な雰囲気と近代的な雰囲気がないまぜになってとてもおもしろい。4つの部分にそれぞれ雰囲気の異なったオーケストレーションがなされていて、それもおもしろい。楽しめた。

 が、なんといっても、目当ては「カルミナ・ブラーナ」。バッティストーニの「カルミナ・ブラーナ」はきっとすごいだろうと期待してやってきたのだった。

 第1曲「おお、運命よ」の合唱から、ダイナミックで振幅の大きなつくり。切れがいいし、躍動感もある。合唱もしっかりと声が出ているし、東フィルも大健闘。木管も金管もしっかりと音を出している。

 が、どういうわけか、私は盛り上がりを感じなかった。

 生真面目すぎるのかな?と思った。意識的なのか、そもそもそんなものなのか、歌手もオーケストラ団員も合唱団員もあまりに生真面目な顔。そうなると、この諧謔に富み、笑い出したくなるような箇所のたくさんある音楽が炸裂しない。「丸焼きにされる白鳥の歌」のあたりから少しユーモアが出てきたが、もっと初めから出してもよかったのではないか。この曲は、躍動して爆発して、過酷な運命もなんのその、エネルギーとユーモアで世界をぶっ飛ばそうという音楽なのだと思う。もっとわくわくドキドキした音楽であってほしい。もうちょっと理性をなくして子どもの心になっていいのだと思う。バッティストーニがダイナミックに、そしてエネルギッシュに演奏しながらも、まだそんなエネルギーが欠けていると思った。

 とはいえ、第3部になると大きく盛り上がって、わくわく感が高まってきた。最後の2曲は圧巻。初めからこうであってほしかった。

 ソプラノのヴィットリアーナ・デ・アミーチスは本当の素晴らしい声。深みがあり、しなやかさがあり、しっとりして、しかもチャーミング。バリトンのミケーレ・パッティも余裕のある見事な声。カウンターテナーの彌勒忠史も大健闘。新国立劇場合唱団も世田谷ジュニア合唱団もみごと。

 とても良い演奏だった。ただ、私はもっと炸裂した「カルミナ・ブラーナ」を期待してたのだった。

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バングラデシュ旅行

 2024年3月5日から9日まで旅行代理店のツアーを利用して、バングラデシュ旅行に出かけた。ツアーと言っても、参加者は私一人。現地ガイドが案内してくれる。

 まだ母の体調がすぐれないので長い旅行には行けない。そのため、毎回、弾丸旅行になるがやむを得ない。バングラデシュには以前から興味を持っていた。40年以上前だっただろうか、報道カメラマンだった叔父が仕事でバングラデシュに出かけたことがある。帰ってすぐに印象を聞くと、「この世の地獄だった」と一言しゃべっただけだった。何があったのか、何を見たのかくわしく聞かなかったが、強烈な印象を受けたようだった。そのころから、私も観光してみたいとずっと思っていた。これまで何度か計画しつつ、ちょっと恐れをなして先に延ばしていたが、いよいよ思い立った。

 写真をアップする技術を持たないので、文字だけの印象記をここに書く。弾丸ツアーの印象なので、表面しか見ていないのは承知だが、それでも一応は書くことに意味があると思う。

 

3月5日

 キャセイパシフィック航空で成田空港を午後に出発し、香港経由でダッカへ。ダッカに到着したときには、深夜の24時を過ぎて、6日になっていた。

 ちょっと古ぼけた空港。最近、イスラム圏にも旅行に行っているので慣れてきたが、女性たちはほぼ全員がヒジャブを着用。男たちのほとんどが髭を生やしているが、ここでは、ヒジャブはピンクだったり、花模様だったり。真っ黒で目だけ出している女性もいるが、決して多くない。それが先日訪れたサウジアラビアとの大きな違いだ。

 深夜なので閑散とした空港かと思っていたら、荷物引き取り所あたりは多くの人が行き来している。いくつものスーツケースをカートに積んでいく現地の人たちがたくさんいる。その中に、私の名前を紙に書いている男性がいた。ガイドさんかと思ったら、どうやらその特定のいくつかの旅行会社を通じてやってきた日本人を空港の外まで案内する係の人ということらしい。ともあれ、ガイドさんに無事あえそうなので安心。荷物を受け取り、ほんの少しだけ両替。貧しい国にもたびたび出かけているので、慣れているとはいえ、紙幣のあまりの汚さに呆れた。決して潔癖症ではない私も手に持つのをためらうような汚さ!空港内だというのに、蚊がたくさん飛んでいる。

 

 荷物を受け取った後、男性について空港の外に出て現地ガイドさんと運転手さんと顔を合わせた。空港の外に出てびっくり。空港内にも人が多かったが、空港の建物の外は深夜なのに、車はぎっしり、人もごった返している。旅行業者の人というより、家族を出迎えに来た人たちなのだろう。空港の建物の周囲は繁華街の雑踏のようになっていた。どうやら、ラマダン(断食)が近づいているために、多くの移動があるとのこと。

 それほど暑くはない。20℃くらいだろう。昼間は30℃くらいになるようだった。

 ガイドさんは、日本語は完璧ではないが、誠実そうなので安心した。さすがに深夜なので、車は少なく、そのまま30分ほどでホテル到着。あまり良いホテルではなかったが、やむを得ないだろう。

 

3月6日

 朝8時半に車(トヨタ・プレミオ)でホテルを出発。前夜ホテルに到着したのは2時くらいになっていたので、結構つらかった。

 ダッカからまずはバハルプールに向かい、その日のうちに、ガンジス川を国境にしてインドの対岸にあるバングラデシュ第4の都市ラジシャヒに向かうという日程。

 まず、朝のダッカの街の様子に驚いた。これから先、どこに行っても驚くことになるが、なんという人の多さ! 路地を抜けて大通りに出ても、また路地に入っても、どこもかしこも人がいる。すいすいと車の進める道路は、ダッカ市内にはめったにない。

 大通りでは歩道を通勤・通学の人たちだろう。大勢が歩いている。道路にはサイクルリキシャ(要するに自転車の人力車)、三輪タクシー(オートバイの後ろに客席をつけたもの)があふれ、歩道脇にそれらの待合場所などがある。歩道上には小さな屋台もあって、そこに人が集まって何かを食べたり飲んだりもしている。道路わきはお菓子の袋やポリ袋や紙類が散乱。日本で海岸に打ち付けられたゴミの山がよく報道されるが、すべての道がそのような状態にある。

 

 道路は大渋滞。ただ、ガイドさんによると、今日は人が少ないとのこと。

 バスが通る。真新しいバスもないではないが、日本だったら10年前から廃車になっていただろうと思えるような老朽化し朽ち果てたようなバスが大半。しかも、それらのバスの壁面は傷だらけ。傷なんてものではない。もとの塗装が見えないくらい傷でおおわれているものもある。バスはインド製のようだ。トラックもインド製らしい。乗用車は9割が日本製。圧倒的にトヨタが多い。乗用車は比較的きれいだが、トラックなどはすべてが、よくこれで動いているなと思うほどのものがほとんど。

 信号がない! 車線そのものはあるようだが、それを誰も守っていない。3車線のはずなのに5列くらいになって走っている。乗用車のほか、リキシャや三輪タクシーも割り込んでくる。だから交差点ごとに大混乱が起きる。渋滞している車の間を人が通り抜けて横断する。しかし、これもガイドさんによれば、今日はまだとても空いているという。

 ダッカを出て国道をひた走る。やっと渋滞から解放される。いたるところで工事中。道路の拡張工事のようだ。国道はもちろん舗装はされているが、りっぱな舗装とは言い難い。道路の両端は水がたまったりゴミがたまったり。周囲は水田が広がっているところも多い。手作業で田植えをしている様子も見えた。

 基本的に広めの片側1車線の道がほとんどだが、いったい交通法規はどうなっているのか? 平気で逆走してくる車がかなりあるが、どうもそれが許容されている雰囲気がある。ともあれ、田舎道ではトラクターや自転車、三輪タクシー、トラック、バス、乗用車が行きかう。さすがに渋滞はしていないが、いたるところ工事中。国道の横に、線路があり、列車が通っている。

 私の車の運転手さんは、猛スピードで運転。次々と追い抜いていく。ずっとクラクションを鳴らし続けている。クラクションは存在確認のようだ。「これから追い抜くぞ」「ここに車がいるんだぞ、気を付けろ」「おいおい、危険だぞ」というようなニュアンスでクラクションを鳴らす。無謀とも思える運転だが、周囲をしっかり見きわめたうえでの運転なので安心していられる。

 

 バハルプールの仏教遺跡に到着。野原の中に赤茶けたレンガ色の仏教遺跡がある。ソーマプラ僧院といい、十字型の建物になっており、中央に塔がある。インドネシアのボロブドゥール寺院を少し小さくした感じ。周囲に滞在していた仏僧の宿舎跡がある。僧院の表面には様々な動物の塑像がある。8世紀から9世紀、この地域はこの時期、仏教が栄えたという。ただ、その後、イスラム教徒によって塑像の多くが破壊されたという。

 赤茶けた朽ちた建物が雲一つない青空の下に広がり、この喧騒の国の中で静かにたたずむのは、とても美しいと思った。

 

 その後、クスンバモスクを経て、ラジシャヒ到着。ホテルは静かなところにあった。さすがにこの都市の郊外はそれほど渋滞していない。

 ホテル内でガイドさんとともに夕食。昼もカレー、夜もカレー。ここにはカレー以外の選択肢はほとんどない。すでに一日にして、私の胃は悲鳴を上げ始めた。カレーは大好きだった。今も好きでたまに食べる。そして、バングラデシュのカレーもとてもおいしい。しかし、私はカレーを食べると数時間、胃がもたれる。2回続いたら、途端に食欲がなくなった。おいしいのはわかっているが、食べられない!

 

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 早朝、6時20分にガイドさんと待ち合わせをして、ホテルから5分ほど歩いてポッダ川(インドで、ガンジス河と呼ばれている河)の日の出を見に行った。日の出そのものを見るのかと思っていたら、すでには夜は明けていたので、正確には夜明け後の川をみたことになる。

 

 河の道沿いにはみすぼらしい住居が並んでいる。廃材のような木と錆びたトタン板を打ちつけて家の形にしている。廃墟に見えるが、立派に人が住んでいる。土間で人は料理をしたり、作業をしたりしている。牛を飼っている家もあった。女性がミルクを絞っていた。

 ここにはヒンドゥー教徒が多く暮らしているらしいが、イスラム教徒もいるという。バングラデシュでは人口の八割を占めるイスラム教徒も少数派のヒンドゥー教徒、キリスト教徒、仏教徒と衝突を起こさずに平和に共存していると、ガイドさんは強調した。

 確かにガイドさんはイスラム教徒だが、ヒンドゥー教徒にも親しく声をかけ、相手も楽しそうに話に乗ってくる。少なくとも、ガイドさんにはまったく差別意識はなさそうだった。

 ポッダ河は海のような広大な河だった。向こう岸が見えるが、そこはインド領土。そこに朝日が美しく出ている。散歩している人が何人かいる。日本と同じようにジョギングしている人もいる。川岸は海岸のように砂や石が広がっており、そこにところどころ低木が生えている。ここにもあちこちにゴミがたまっている。小さな舟が数隻あったが、どうやらこれは漁のための舟というよりは、たまに観光客が楽しむためのものらしい。

 河畔には早朝から店も出ていた。バナナや野菜、果物を売っている。不潔なテーブルに汚れ切ったバケツや皿があり、そこに果物や野菜が並べられている。ハエがたかっている。地元の老人が数人でしゃべりながらチャイを飲んだり、タバコを吸ったりしている。見るからにみすぼらしい恰好をしている。ガイドさんにチャイを勧められたが、さすがにここで何かを食べたり飲んだりしようという気にはなれない。

 ダッカの下町の店も多かれ少なかれこのように不潔でみすぼらしい店がほとんどだったが、この川べりの店は今回の旅の中でも最も不潔な店だった。

 

 8時半に車で出発。ラジシャヒの街もダッカと同じようなすさまじい人込み。ホテルの周囲は静かだが、少し行くと、リキシャと三輪タクシーでごった返している。あいかわらず、道路の脇はゴミだらけ。

 ラジシャヒから出る前に郊外でガススタンドに寄った。私が移動する車はトヨタだったが、ガス仕様とのことで、この都市にはスタンドは一箇所しかないという。4つのホースで注入するが、それぞれの前に10台以上が列を作っている。注入時には車に乗っている人は、安全のためか全員が外に出てワイワイガヤガヤ。注入までに1時間以上かかった。

 

 その後、また国道を通って、ボグラ県にあるプティアに到着。四角い池の周囲をヒンドゥー教の寺院が林立している。12世紀に広まり、いったんイスラム勢力に押された後、16世紀に再びベンガル地方ではヒンドゥー教の勢力が増した。その時期にこれらの寺院が作られた。この村は本当に素晴らしかった! まるでおとぎの国。

 まず白い屋根に赤いレンガの小さな寺院に惹かれた。その横に、屋根が三つ連なる赤いレンガの繊細なアニク寺院が並んでいる。それぞれの壁面はテラコッタの装飾がなされており、本当に美しい。そのほか、北のほうに白い大きなシヴァ寺院が建っている。

 日本語が完璧とは言えないガイドさんの話を聞いても、その内容が頭に入らないので、帰ってから本を調べようと思っていたが、日本では本は出ていないようだ。こんな美しい村の、こんな美しい寺院群なのに、ほとんど知られていないようだ。残念。

 

 その後、サリー機織り工場によって見学。きっと見学というのは名前だけで、サリーを買わされるのだろうと思っていたら、まったくそんなことはなく、ひたすらに暑い工場の中、機織りの機械を使って働く男たちを見ただけだった。どの店でも男性店員ばかりだったが、この工場も働いているのは男性ばかり。

 その後、ダッカのホテルへ向かった。18時ころに到着するという話だったが、大渋滞。ダッカに入ってしばらくしてから、ぱったりと車は動かくなって、1時間に2キロくらいのスピードになった。

 

 それにしても、私の乗る車の運転手さんの技術にびっくり! こんなに運転の上手な人にこれまで出会ったことがない! ひっきりなしにリキシャや三輪タクシーが割り込んでくるし、歩行者が渋滞を縫って道路を渡っていくが、運転手さんは見事にかわし、しかも自分もバスや車の列にほんのちょっとしたすきを見て割り込む。さすがにここは曲がれないだろうと思われるような場所も数センチの余裕で曲がり切る。しかも、うしろからの割り込みも含めてすべて予測しているようで、あらゆる動きに余裕がある。凄い! ただ、ほとんどずっとクラクションを鳴らしっぱなし。

 ホテルに戻ってからだと遅くなるので、途中のホテル近くのレストランに20時前に着いて食事をした。私がずっと食欲をなくし、昼間もほとんど何も食べなかったのを気にして、ガイドさんが中華の店に連れて行ってくれた。ほんの少しでいいという私の願いを聴いてくれて、五目焼きそばを注文してくれた。おいしかった。やっと少し食欲が出た。本当にカレーの連続はつらい!

 

 

38

 3泊5日の弾丸旅行の最終日。

 ホテルをチェックアウトしてオールド・ダッカ市内観光。まずは18世紀に造られたというスターモスク(タラ・モスジッド)を見た。星のしるしがあちこちにある。風格のある美しいモスクで、お祈りの時間をさけて見物したので、人がちらほらいる程度。壁面は花やアラベスク模様のタイルが敷き詰められていたが、中には明治時代の日本から輸入された富士山を描いたものも含まれていた。

 その後、ヒンドゥのダケッシュリ寺院。シヴァ神の男性のシンボル(でかい!)など飾られていたが、基本的にはヒンドゥ教徒たちの生活の場のようだった。おなかを出したサリー姿の中年女性たちが何人もいて、結婚式のような儀式が行われていた。イスラム教徒も見物に来ている人がいるようだった。

 その後、市民の憩いの場である広大な公園、ラールバーグフォートでのんびりした。ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの子アザム=シャーにより、1678年に建立されたという。愛嬢ビビパリの霊廟があり、周辺が公園になっている。日本の日比谷公園や駒込の六義園などを思わせる。イスラム教徒に限らず、ほかの宗教の人もやって来て子どもづれで楽しんでいた。様々な花が咲き、とても美しい。入場料は、外国人は400タカ、現地人は5タカとのこと。一日中ゆっくりできる様子だった。

 ラールバーグフォートを出て、少しだけリキシャに乗った。40年ほど前、マレーシアで乗って以来のリキシャ。路地を行き来しただけだった。女性や老人が一人で道端に座り込んで野菜や果物を売っている。その前に人がいて買い物をしている。向こうからリキシャがやってくる。そうした人たちを避けて走る。路地でも危険を感じた。広い道に出るのはあまりに怖い。よくもまあ、あの大渋滞の中をリキシャが走っているものだと感心した。

 

 その後、ニューマーケットへ。市民が日常的に買い物を行う市場で、敷地の奥の方に広い大きな建物があり、その周囲には回廊状に衣料品、食べ物、日常器具などのたくさんの小さな店が軒を並べている。広い建物の中も同じように小さな店が並んでおり、そこにも大勢の買い物客が押し寄せている。それにしても人の多さよ! イスラム社会の金曜日は、私たちの社会の日曜日にあたる。人気の店の前など、身動きが取れないほどの人込みのところもある。通勤ラッシュの時間帯に新宿駅のホームを歩いている感じ。店の店員はほぼ全員が男。客のほうは8割がたが女性。時間になると、お祈りの時間を知らせるアナウンスがあり、大勢の男たちが併設されたモスクに向かう。コーランの言葉が流れる。それでも客はひっきりなしに歩いている。

 いったん外に出て、歩道橋から下をみた。いやはや、ニューマーケットの外の大通りも車と人でごった返していた。見渡す限り、人や車が目に入る。「デモの参加人数10万人」などという報道が海外でなされ、おびただしい数に人が広場に集まっている写真を見ることがあるが、そんな感じで、見渡す限り人や車で覆われている。そして、絶え間なくクラクションが鳴り、人声が聴こえ、時にコーランの放送が聴こえる。

 なんという混沌、なんという喧噪。これがバングラデシュだと思った。

 

 帰りの飛行機は深夜に出発予定で、午後は自由行動の時間になっており、夜の9時半に車が迎えに来てくれることになっていたが、やはり私のような老人が、まったく言葉も文字も地理もわからない都市を一人でうろうろするのはかなり危険。どうしようかと迷っていたら、ガイドさんから自宅に招かれた。言葉に甘えて訪れた。

 ガイドさんは10数年前に日本に来て日本語学校で学んだ後、レストランで働いていたという。写真を見せてもらったが、とんでもなく美しい奥様と中学生くらいのお子さん二人、そしてお母様と暮らしているとのこと。残念ながら、ほかの家族の方は出かけていてお会いできないとのことだった。

 ガイドさんの住まいは、閑静な(といっても、バングラデシュにおいての話ではあって、日本と比べると十分に騒々しいが)住宅街のマンションだった。閑静な住宅街だというのに、子どもたちがサッカーをしたり、クリケットをしたりして騒いでいる。こんなに道路で子供が遊んでいるのを久しぶりに見た。

 ガイドさんの部屋は異様にきれいに片付いていた、そしてとても趣味の良い部屋だった。客間でしばらく休憩させてもらったが、大理石を思わせるような白のスレートの床、いくつものソファを備えたとてもいい部屋だった。

 9時ころに近くにおみやげ物を買いに出た。夜だというのに、まだ人がいっぱい。魚も売っている。鯉などの大きな魚がそのまま台に載せられている。ダッカの生ものの店はどこもそうだが、もちろんハエがたかっている。子どもたちがまだサッカーをしていた。

 予定通りに車が来て、空港に向かい、香港経由で帰国した。

 

 

・交通

 私は、訪れた国の民度を測る指標として、渋滞の状況、交通ルール順守、クラクションの状況などの交通事情を考えている。バングラデシュは、これまで私が訪れた国の中でも最下位に属するといってよいだろう。40年ほど前のバンコクもすさまじいと思ったが、それ以上のひどさ。インフラが整備されていないために大渋滞が起こり、だれも交通法規を守っていない状況。車間距離もごく短い。大渋滞の場合が多いので車間距離どころではない(場合によっては数センチの間隔で時速2キロくらいで走っているところも多い)。

 バンコクはその後、公共交通網ができて渋滞は解消され、見違えるようになった。今、ダッカは電車ができ、地下鉄も工事中。きっとダッカもバンコクのようになるだろう。

 

・女性

 店の店員のほとんどは男性。ホテルなどでも圧倒的に男性が多い。現在の首相は女性なのだが、まだまだ女性の社会進出は十分ではなさそうだ。女性は消費者としてマーケットを訪れているが、働いている様子を見ることは難しい。きっとどこか女性の仕事とされているものがあってそこに女性が集まっているのだろうが、観光客にはそれは見えない。

 ただし、顔を黒い服ですっぽりかぶった人は少数で、スカーフをかぶっただけの人が多い。しかも、それは色とりどりでかなり派手。

 ところで、ダッカ市内で渋滞のため、車が止まっていると、着飾った女性がいくつもの車の窓をたたいて何やら話している。これまでも何度か物乞いがそのようにしてやってきたが、様子が違う。ガイドさんに聞いてみたら、それはトランスジェンダーの人で女性の格好で物乞いをしているとのこと。ガイドさんによれば、この国ではトランスジェンダー(ガイドさんは「おかま」と呼んでいた)はそのようにして生きていくのだという。ちょっとこれについては帰って調べてみようと思った。

 

・祈り

 イスラム社会では一日に5回、定められた時間にお祈りをすることが求められているようだが、バングラデシュではそれほど厳格ではないようだ。ガイドさんは、移動中は時間になっても仕事をつづけ、食事などの前に祈りに行くことにしていた。ほとんどの人がそのようにしているようだった。なお、祈りについても女性はモスクの奥には入れず、一部の制限された地域で祈るしかないとのことだった。

 金曜日はイスラム教の聖なる日だとのことで、大きなモスクの前では、中に入り切れない人々が道路で祈りをささげていた。それもまた大渋滞の原因になっていた。

 

・人懐こいガイドさん

 ガイドさんによれば、バングラデシュには宗教対立はないとのこと。もちろん、ガイドさんは多数派のイスラム教徒なので、ヒンドゥー教徒の差別の実態などを知らないのだろうと思う。ネットで調べても、宗教対立があることがすぐにわかる。そして、どうやらヒンドゥー教徒は貧しい地域に大勢住んでいる様子がわかる。

 とはいえ、私がこれまで見てきたインドネシアやスリランカほどには宗教対立は根深くないのではないかという印象を得た。

 ガイドさんは異様なまでにコミュニケーション力のある人だった。誰にでも話しかけ、だれともすぐに打ち解ける。明らかなヒンドゥー教徒にもふつうに話しかけ、相手も愛想よく対応していた。同じ建物に二つの宗教が同居しているのも見かけた。

 

・日本びいき

 かつてトルコに行って、「日本人だ」というと大歓迎された。バングラデシュはそれ以上だった。

 どうやら外国人そのものが珍しいようで、観光で寄った田舎町では、通りかかる人から握手を求められた。7、8人に「一緒に写真を撮ってくれ」と言われた。そんなとき、「ジャパニーズ?」と聞かれる。ときどき、「チャイニーズ? ジャパニーズ?」と聞かれる。「ジャパニーズ」と答えると、にっこりとして嬉しそうにする。「こんにちは」「ありがとう」などと日本語を口にされる。日本人というだけで人気者になる。

 日本はバングラデシュにかなりの援助をしている。そのためにあって日本びいきなのだろう。

 

・物価

 物価は日本人にとってはかなり安い。水のポットボトルやチャイなどは10タカか20タカ(1タカは1.2円くらい)で買えるが、バングラデシュの世帯当たりの平均月収が4万円強ということらしいから、実はいろいろなものが高い。ナツメヤシ500グラムを買おうとしたら、高級なもので600タカだった。輸入品なのかもしれないが、収入からすると異様に高い。

 

・観光客

 観光客は少なかった。大きな団体には一つも出会わなかった。日本人には家族連れらしい小グループ二つと顔を合わせただけだった。欧米人もときどき見かける。どこにも大勢で押しかけている中国人の姿がまったく見えない。ホテルも少なく、しかも設備はあまり良くない。まだまだ観光は産業として成り立っていない。

 

・総まとめ

 叔父は「この世の地獄」と語っていた。何か大きな出来事を目撃したのだと思うが、今、私が見ると、この国はもちろん地獄ではない。最貧国であることは間違いない。ものすごい数の人が集まって大混乱しており、混沌としてエネルギーにあふれている。そして、ガイドさんやガイドさんと話をする人々の様子を見ていると、本当に明るくて善良な人ばかり。私が育った1950年代の田舎の人々の人情と重なるところがあった。

 そして、何よりもプティアのヒンドゥー寺院の美しさに打たれた。ぜひまた、あの寺院群を見に行きたいと思う。

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新国立劇場オペラ研修所修了公演「カルメル会修道女の対話」 感動した!

 202433日、新国立劇場中劇場で、新国立劇場オペラ研修所修了公演、フランシス・プーランク作曲「カルメル会修道女の対話」をみた。感動した。

 指揮はジョナサン・ストックハマー、演出・演技指導はシュテファン・グレーグラー。

 抑えた、しかし真摯な表現が不可欠で、しかもフランス語の発音がしっかりしていなければこのオペラにならないので、楽しみにしながらも一抹の不安はあった。何しろ研修生で、このかなり難しいオペラをしっかりと演じることができるのだろうか。

 が、実際にみて、とてもよかった。ブランシュの冨永春菜は、臆病さを克服してギロチンに立つ修道女をみごとに歌った。声の演技も見事。マダム・ド・クロワシーの前島眞奈美は初めのうちは音程が下がり気味だったが、すぐに持ち直して、後半見事に劇的に歌った。ダム・リドワーヌの大髙レナとマリー修道女長の大城みなみはともに誇り高い修道女を堂々と演じて素晴らしかった。コンスタンス修道女の渡邊美沙季もチャーミングで、みんなが同じ修道服を着て同じような態度でいる中で個性を目立たせてとてもよかった。

 男性陣もよかった。ド・ラ・フォルス侯爵の佐藤克彦、騎士の城宏憲も見事。

 ジョナサン・ストックハマーの指揮する東響フィルハーモニー交響楽団も大健闘。初めのうちはちょっと雑さを感じたが、すぐに精妙な音になって、第三幕は素晴らしかった。

 簡素な舞台。きっとギロチンに変貌するんだろうなと思われる櫓が初めから舞台上にあるが、それが幕に応じて異なる役割を果たし、人物がとても整理されて登場する。すっきりしていてわかりやすい。

 このオペラ、修道女ばかりが出て、人物の見分け、聴きわけが難しく、もう一つよくわからないところがある(昔々、フランス語の勉強をしていたころ、ベルナノスのこの原作をフランス語で読んで、あれこれと歴史的なことも調べた覚えがあるが、今ではすっかり忘れてしまった! 今度翻訳で読み返してみよう!)が、ともあれ、第三幕は心を揺さぶられる。そして、プーランクのオペラ作曲家としての手腕に圧倒される。ともあれ満足!

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