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ジャコ&読響 「皇帝」とブラームス第4番に興奮!

 3月16日には、私が学院長を務めるMJ日本語教育学院で最初の卒業式が行われた。コロナ禍の最中に開校した日本語学校なので外国人がなかなか来日できず、今回卒業したスリランカから来た二人が最初の生徒だった。日本語学校に二人だけの生徒ということで苦労したこともあっただろう。だが、教員たちの手厚い教育を受けて無事に専門学校に入学。素晴らしい卒業式だった。

 3月17日には、拙著「凡人のためのあっぱれな最期」を題材にした講座が幻冬舎ビルで行われ、拙著の内容についてお話した。まったく人格者ではないのに、死を前にしてもまったく動じず、最後まで明るくあっけらかんとふだん通りの生活をした妻がなぜそのように死を迎えることができたのかについて、私の考えをお話しした。参加者は真剣に耳を傾けてくださり、質疑にも加わってくださった。

 そして、今日、2024年3月17日、東京芸術劇場で読響日曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はマリー・ジャコ。

 曲目は前半にアレクサンドル・メルニコフのピアノが加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、後半にブラームスの交響曲第4番。素晴らしかった。興奮した。

 マリー・ジャコの名前は、今脚光を浴びている若い女性指揮者として知っていたが、音楽を聴くは初めて。「皇帝」の最初の音に驚いた。低弦のしっかりした実に骨太の音。ゴチック風というのか、輪郭ががっしりした音造り。しかし、もちろんそこから聞こえてくる管楽器などはとても繊細。

 メルニコフのピアノも一つ一つの音がしっかりとした芯をもっており、実に繊細。華美にならず、豪快すぎもせず、ジャコとともに構成のしっかりした中に繊細でしなやかでな音楽を作り出していく。メルニコフの個性なのだろう、きわめて内向的な音楽づくり。外面的に華美にならず、じっと自分の心の中に耳を傾ける感じ。しかし、そこはベートーヴェン。スケールは大きく、深く盛り上がる。ああ、なんという美しい音!と思える部分が何度もあった。

 第2楽章などえも言われぬピアノの美しさ。第3楽章も次第次第に盛り上げていくが、押しつけがましくないのがいい。私は数年前にルイージ指揮のN響の演奏で、メルニコフの弾くモーツァルトの20番の協奏曲を聴いて、あまりに繊細であるのにちょっと辟易した記憶がある。が、今回はそんなことはない。十分にスケールが大きい。素晴らしかった。

 ピアノのアンコールはブラームスの幻想曲集作品116の第2曲「間奏曲」とのこと。ブラームス晩年の肩の力の抜けた音楽を、しなやかに演奏。これもよかった。

 後半はブラームスの交響曲第4番。これも実に骨太な音楽。私のようなオールド・ファンが、まさにカラヤン登場以前に好んで聴いていたような音楽の雰囲気がある。ベームやコンヴィチュニーやカイルベルトやクレンペラーがこんな感じだったと思いだす。しかし、そうはいっても、現代の若い女性なので、昔の大指揮者のように武骨ではなく、一つ一つの楽器の音が美しく、ういういしくて繊細でしなやか。骨太の構成の中に自然に音楽が流れ、要所要所は大きく盛り上がる。第1楽章冒頭も素晴らしかったし、最後も素晴らしかった。第3楽章から第4楽章の盛り上がりに興奮した。読響もしっかりとタクトに基づいて精妙な音、凄みのある音を出していた。

 女性指揮者の活躍が目覚ましい。これからもこのように才能ある女性指揮者が次々と現れるのだろう。楽しみだ。

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