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藤原歌劇団「チェネレントラ」 楽しかった!

 2024427日、昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワで藤原歌劇団公演「チェネレントラ」をみた。演出はフランチェスコ・ベッロット。2018年の再演。今回の指揮は鈴木恵里奈。

 とてもレベルの高い上演だった。ただ、はじめのうちはかなりテンポが遅く、ロッシーニらしい快活さに欠ける気がした。指揮の鈴木は、丁寧に音楽を作っているのはいいが、ちょっと丁寧すぎると思った。だが、だんだんと音楽に表情が生まれ、活気が出て、ロッシーニの音楽になっていった。第一幕の後半からは私はぐいぐいとオペラの世界に引き込まれていった。

 ベロットの演出は、みんなが知る「シンデレラ」の物語に合わせて、魔法使いやら靴やら12時の失踪などが登場してサービス満点。アンジェリーナが父や姉たちを許して、寛大な心を絵本を読む子供に伝えようというメッセージが伝わる。細かい動きもとてもセンスがよく、ストーリー上の不自然なところを上手につじつま合わせをしている。見事。

 歌手陣では最も輝かしい声で観客をひきつけたのは、ドン・ラミーロの小堀勇介だろう。しっかりした音程、輝かしい声、まさに和製フローレスだと思った。ドン・マニーフィコの押川浩士も、初めのうちこそほんの少し音程が怪しかったが、どんどんと調子を上げてすばらしかった。演技も見事。とても楽しめた。ロッシーニのオペラにこのような歌手が一人いると、全体が生きてくる。

 アンジェリーナの但馬由香も健闘。ただ、まだ訴える力が弱い。これから表現力をつけてくるだろう。クロリンダの楠野麻衣、ティーズベの米谷朋子もしっかりと歌ってドラマを盛り上げた。ダンディーニの岡 昭宏は強い声で歌う時にはとても良かったが、弱音や低音では音程が少し怪しくなったのが残念。アリドーロの久保田真澄は声量は凄いが、声のコントロールが不十分に感じた。

 合唱は藤原歌劇団合唱部。演技も含めてとても説得力がある。テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラもしっかりとしたアンサンブルだった。

 やはりロッシーニは楽しい。わくわくしてくる。満足だった。

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ヴァイグレのベートーヴェン交響曲第4番、そして新しい生活のこと

 2024426日、サントリーホールで読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。曲目は前半にブラームスの「大学祝典序曲」と、ロザンネ・フィリッペンスが加わってコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲、後半にベートーヴェンの交響曲第4番。素晴らしい演奏だった。

 かなり地味な演奏。こけおどしはなく、味付けも濃くない。ただ、しっかりと鳴らすべきところは鳴らし、要所要所で音楽を活発にして、生きた音楽を作り上げていく。

 とは言いつつ、「大学祝典序曲」はちょっと私には燃焼不足だった。もうちょっと派手にやってくれていいのになあと思った。しなやかで、弦に勢いをつけ、構成を明確にした演奏だと思った。

 コルンゴルトの協奏曲はとてもよかった。フィリッペンスは官能的すぎない、かなり清潔な音。ヴァイオリニストによってはもっとずっと甘く、エロティックなほどに演奏するが、節度をわきまえ、高貴なロマンを作り出す。まさにこの人の容姿そのままの演奏だと思った。こうすることで、ユダヤ人ということで辛苦をなめたコルンゴルトの叙情が伝わる。

 ヴァイオリンのアンコールはエネスクのルーマニア民謡風の曲。超絶技巧でありながら田園風で、ユーモラス。それを実に清楚に演奏する。とても気持ちのよい演奏!

 後半のベートーヴェンがことのほか素晴らしかった。これもまた外連味のない、オーソドックスな演奏だと思う。ただ音楽に静かな活気が漲っている。ちょっとした音楽の動きの中にわくわく感があり、それが実に論理的に展開されていく。焦らず慌てず、音楽が徐々にスケール感を増し、最後に大きく高揚する。ただし、あくまでも節度を守り、しなやかに抑制的に盛り上がる。これぞ名人の音楽。読響もヴァイグレの指揮を的確に理解して、要求通りの音を出しているのだと思う。しみじみと素晴らしいと思った。

 なお、私の近況を報告する。家の建て替えのためにしばらく仮住まいで暮らしていたが、今月の22日に本来の住所に戻り、娘の家族と二世帯住宅での生活を始めた。仮住まいは山手線の駅から歩いて5分ほどで何においても便利だったが、私の住まいは多摩地区の駅から徒歩20分の郊外。娘の家族と顔を合わせて暮らすことができ、大きな音で音楽を聴けることはありがたい。ただ、本と音楽ソフトだけで300に近い段ボール箱を新しい家に運び込んだので、まだまだ整理が追い付かない。家の中に段ボール箱が散乱している。いったい、いつになったら落ち着いて日常生活が送れることやら!

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ベルリン・フィルメンバーによる室内楽 フックスのクラリネットに感嘆!

 2024420日、東京文化会館小ホールで東京春音楽祭「ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽」を聴いた。

 出演はアレクサンダー・イヴィッチ(ヴァイオリン)、オラフ・マニンガー(チェロ)、ヴェンツェル・フックス(クラリネット)、オハッド・ベン=アリ(ピアノ)。

 曲目は、初めにベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」。あまり良い演奏とは思わなかった。一人一人がばらばらに演奏しており、音楽に表情がない。特にヴァイオリンとピアノがそっけない。とりわけ、このニックネームのもとになったとされる第2楽章があまりにそっけない。無理やり幽霊っぽく演奏する必要はないが、もう少し何らかの表情がほしい。不満を感じたまま終わった。

 次はクラリネットとチェロとピアノによるブルッフの「8つの小品」op.83より第1・2・5・7曲。フックスのクラリネットが入るだけでぐんと表情が豊かになった。とても雄弁なクラリネット。しみじみとした情感や強い思いが音に現れる。嘆きの歌になり、悲しみの歌になり、心からの喜びの歌になる。クラリネットという楽器は人間の喜怒哀楽を表すのにとても適した楽器だとつくづく思う。ただ、私はピアノの音がちょっと雑な感じがするのだが・・・。

 後半は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第4番「街の歌」(クラリネット、チェロ、ピアノ版)。このヴァージョンを初めて聴いた。ヴァイオリンの代わりにクラリネットの表情豊かな音が出てくると、とても人間的になる感じがする。心の奥の思いがじかに伝わる。とても良い演奏だった。

 最後にヴァルター・ラブル作曲のクラリネットとヴァイオリン、チェロ、ピアノのための四重奏曲変ホ長調。この曲が作品1だという。この作曲家の名前を今回、初めて知った。シュトラウスよりも少し若い世代の作曲家で、ブラームスがこの曲を絶賛したという。なるほど、これは確かに名曲だと思った。シュトラウスよりもずっと古典的な作風で、美しいメロディにあふれ、とても論理的にできている。次にどのような展開になるのか、初めての曲なのに見当がつく。ただ、それがつまらないわけではなく、しっかりと美しいメロディにあふれ、あっと驚く飛躍もある。メロディの雰囲気としては、ブラームスよりもドヴォルザークに近いかもしれない。クラリネットが活躍し、躍動し、美しく展開する。とても楽しめた。

 私の今年の東京春音楽祭は、これでおしまい。今回もとても充実していた。来年が待ち遠しい。

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東京春音楽祭 「エレクトラ」 名演だった!

 2024418日、東京文化会館大ホールで東京春音楽祭、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「エレクトラ」(演奏会形式)を聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。素晴らしい演奏だった、名演だと思う。

 最初に登場した日本人の女性たち(中島郁子・小泉詠子・清水華澄・竹多倫子・木下美穂子・北原瑠美)がしっかり歌って盛り上げた。エレクトラのエレーナ・パンクラトヴァは強靭な声、クリソテミスのアリソン・オークスは清純な声、クリテムネストラの藤村実穂子は迫力ある声、オレストのルネ・パーペは気品ある声、エギストのシュテファン・リューガマーはこの役にふさわしい強い声。いずれも巨大なオーケストラをものともせずに歌った。

 ヴァイグレの指揮も、ちょっとこの楽劇としては柔らかめでしなやかすぎるといえなくもないが、この複雑な音を縦横無尽に鳴らし、官能的に、そしてロマンティックに、そしてときに轟音によって残酷な人間の性を描き出した。読売日本日本交響楽団のメンバーも実に見事。このオーケストラらしい威力のある音を出した。

 ただ残念ながら、私は公演の前、まったく食欲がないのに無理をしてサンドウィッチを食べたら吐き気がして来て、むかつく胃を我慢しながら聴かなければならなかった。楽しめなかった。せっかくの名演奏だったのに!

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おとなしいブルックナーのミサ曲第3番と、男性的ではないブラームスの弦楽四重奏曲

 2024413日、東京春音楽祭の二つのコンサートに出かけた。まずは、14時から、東京文化会館大ホールで、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」とブルックナーのミサ曲第3番。指揮はローター・ケーニヒス、管弦楽は東京都交響楽団。

「ジークフリート牧歌」はしなやかで、まさに牧歌的な良い演奏だった。牧歌的とはいえ、時にぐいぐいと強くて深い音になる。ただ、私はワーグナー好きだが、この曲は初めて聴いた50数年前から退屈に思ってしまう。今日も少々退屈だった。

 ブルックナーのミサ曲第3番は、ハンナ=エリーザベト・ミュラー(ソプラノ)、オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)、ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)、アイン・アンガー(バス)、合唱は東京オペラシンガーズによる演奏。演奏はとてもよかった。歌手陣は全員がすべて素晴らしい。私は特にミュラーの美声に酔った。合唱もよかった。指揮もしっかりとツボを押さえていた。都響もこのオーケストラらしい深みのある響き。ただ、もう少しブルックナーらしい信仰の爆発のようなものがほしいと思った。私は、おそらく30年ぶりくらいにこの曲を聴いたので実は記憶が定かでないのだが、もっと爆発的なところのある曲だったような気がする。なんだかおとなしいなあ…と思って聴いたのだった。

 

 18時からは東京文化会館小ホールでブラームスの弦楽四重奏曲全曲演奏。出演は周防亮介、小川響子(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、向山佳絵子(チェロ)。

 第1番は周防が第一ヴァイオリンを務めての演奏。正直言って、まとまりの良くない演奏だった。めいめいが勝手に演奏している感じで、一緒に一つの音楽を作り上げている様子がない。誰がリードしているのかわからない。周防のヴァイオリンの音色はとてもきれいなのだが、ほかの奏者とかみ合わない。ちょっと不満だった。

 第2番は、第一ヴァイオリンが小川響子に交代しての演奏。小川は体を大きく動かして感情豊かに演奏し、ほかの奏者をリードする。そのおかげで全体が一つの音楽に向かうようになった。第2番は曲もいいが、演奏もとてもよかった。川本も強い思いのヴィオラがとてもよかった。向山のチェロは安定感があり、ロマンティック。終楽章は特に勢いがあった。

 第3番は再び周防が第一ヴァイオリン。まとまりは、第2番よりも少し悪くなった気がするが、第1番よりはずっといい。周防の音色は素晴らしい。良い演奏だった。

 ただ、どうしても女性的なブラームスになってしまう。ブラームスらしい低音のどっしりした骨太の中に抑制されたロマンティックな感情が入りこむ音楽ではなく、美しい音の絡みあいによって盛り上がっていう音楽になる。それはそれでよいのだが、私としてはやはり男性的なブラームスのほうが好きだ。

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パーペの深い歌声に心を打たれた

 2024410日、東京文化会館小ホールでルネ・パーペ(バス)とカミッロ・ラディケ(ピアノ)のリサイタルを聴いた。1997年のバイロイト音楽祭だったと思う。初めてパーペの名前を知り、その豊かな太い声に驚嘆したのを覚えている。その後、何度となくパーペの歌を聴いてきた。今回、久しぶりにパーペの歌を聴いたが、相変わらずすごかった!

 最初にモーツァルトの「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」。モーツァルトがフリーメーソンのために書いた最後期の曲だ。冒頭の声の凄さにびっくり。なんと深くて美しい声。明瞭な発音による端正な歌いぶりだが、まったく堅苦しくなく、自然でふくよか。表現の幅が広くて、無理なく音楽が展開していく。低音のフォルテの威力もすさまじい。ピアノもぴったりついていうことなし。

 2曲目は、ドヴォルザークの「聖書の歌」。昔、好んで聴いていたが、久しぶりにこの曲を聴いた。ドヴォルザークの真摯な信仰が伝わってくる歌曲集だが、パーペが歌うといっそう深みが増す。チェコ語はもちろんまったくわからないが、声の響きがとても美しい。ささやくようなピアニシモの音からフォルテシモまで、すべてが明瞭でそのダイナミックレンジの性能の良さに驚いてしまう。しかも、徐々に信仰心が盛り上がり、最後に高みに上る。曲の組み立ても意識しているのだろう。パーペはきわめて知的に、そして感動的に歌った。

 後半は、まずクィルター作曲の「3つのシェイクスピアの歌」。1877年生まれのイギリスの作曲家だという。この作曲家の曲を初めて聴いた。親しみやすい曲だが、イギリス音楽にあまり理解のない私としては、おもしろいとは思わなかった。

 最後にムソルグスキーの「死の歌と踊り」。実演で初めて聴いたが、これは凄い曲だと思った。ちょっと狂気じみたところがある。最初の歌はシューベルトの「魔王」を思い出すような母と死神との対話が語られる。まさに生と死の乱舞の世界が繰り広げられた。それをパーペは凄味のある声で歌う。ムソルグスキーの歌曲は、CDは持っており、一度はざっと聴いたが、それほど注目してこなかった。もっとしっかりと聴いてみようと思った。

 アンコールは最初にシュトラウスの「献呈」。バスによるこの歌は初めて聴いたが、これはこれで地下から地上へと湧き出てくるようなわくわく感があってとてもよかった。次にシベリウスの「安かれわが心よ」。要するに「フィンランディア」に出てくるメロディの曲。最後に、パーペは、「たぶんシューマン」と言っていたが、ネットで調べたところ、「若者のための歌のアルバム 作品79より21曲子供の見守り」とのこと。しっとりとしてとてもよかった。

 ところで、「聖書の歌」を聴くといつも思うのだが、最後の曲は、日本人としては「雪やこんこ」を思い出してしまう。ブラームスの「四つの厳粛な歌」の最初の曲も「コガネムシ」にそっくり。ブラームスとドヴォルザークのいわば師弟の代表的な男性のための宗教的な歌がいずれも日本の唱歌にそっくり。きっとこれは偶然ではないと思う。その昔、どこかのサークルで宗教的な歌曲が演奏されており、それを聴いた日本の作曲家が影響を受けて唱歌を作ったのではないかと思うのだが、確証が得られずにいる。

 私はしばらくパーペを聴いていなかったが、久しぶりに聴くとやはり凄まじい。感動した。

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「ニーベルングの指環」ガラ・コンサート 圧倒的なワーグナーの世界!

 2024年4月7日、東京文化会館大ホールで、東京春音楽祭、「ニーベルングの指環」ガラ・コンサートを聴いた。指揮はマレク・ヤノフスキ、管弦楽はNHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスターはウォルフガング・ヘントリヒ)。曲目は、前半に「ラインの黄金」のフィナーレと「ワルキューレ」第一幕のフィナーレ、後半に「ジークフリート」の第2幕のフィナーレと「神々の黄昏」のフィナーレ。

 東京春音楽祭の素晴らしい演奏が続いているが、今回もまた実に素晴らしかった。まず、ヤノフスキのN響がとても美しい音でダイナミックにワーグナーの世界を作り出していた。快速で明るめなので、おどろおどろしさはあまりない。きびきびしてドラマティック。無駄がなく、音を明確に積み重ねて高揚につなげていく。いつものヤノフスキらしい演奏なのだが、「指環」にぴったりというか、実に立体的にスケール大きく聞こえる。何度も興奮した。

 歌手陣も充実していた。「ラインの黄金」では、やはりヴォータンのマルクス・アイヒェとローゲのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーが圧倒的。フリッカの杉山由紀とフローの岸浪愛学も健闘していたが、声の伸びでやはりかなりの差がある。ラインの娘たち(冨平安希子・秋本悠希・金子美香)はちょっとアンサンブルが雑だった。

「ワルキューレ」は、ジークムントのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーとジークリンデのエレーナ・パンクラトヴァの二人の声に圧倒されるばかりだった。二人とも、巨大なオーケストラに巻き込まれない強靭な声の持ち主で、壮大で官能的な「春」を歌い上げた。パンクラトヴァはスケールが大きく、おおらかでとてもいい。私は何度も陶然としたのだった。二人の掛け合いもぴたりと息が合い、オーケストラともぴたりと合っているのを感じた。

 後半の「ジークフリート」は、「森のささやき」のオーケストラが実に美しく、緑の中で息づく動植物の生命を感じさせるような音楽だった。ジークフリートのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーはきかん坊のような雰囲気をうまく出していた。森の鳥を歌う中畑有美子はちょっとヴィブラートが強すぎて、私の考える自然の鳥の雰囲気とは少し違っていた。

「神々の黄昏」の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、ブリュンヒルデのエレーナ・パンクラトヴァの圧倒的な歌に酔いしれた。この歌手、実演や録音で何度か聴いたことがあったが、こんなに圧倒的な歌手だったとは! ただ、実はちょっと歌いまわしが一本調子というのか、もう少し表現のニュアンスが欲しい面もあるが、声の威力についてはまさに文句なし。大オーケストラにまったく負けずに「ニーベルングの指環」の大団円を歌い切った。

 この公演に不満があるとすると、ちょっと短かったこと! 正味1時間とちょっとだったのではないか?「ワルキューレ」の第三幕のフィナーレや「神々の黄昏」の「ジークフリートの葬送」などが含まれていてもよかっただろうに! あっというまに終わってしまって残念だった! ともあれ、圧倒的なワーグナーの世界を堪能した。

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ディオティマ弦楽四重奏団 シャープで精妙!

 202446日 、東京藝術大学奏楽堂でディオティマ弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。とはいっても、私が聴いたのは、シェーンベルクの弦楽四重奏曲の全曲など、休憩時間を入れて6時間のこのコンサートの終わりの2時間ほど。、全部聴くつもりでチケットを購入したのだったが、倦怠感を覚えて億劫になってしまい、いつまでも家でごろごろしていた。夕方になって、「浄められた夜」だけでも聴きたいと思って出かけたのだった。

 そんなわけで、私が聴いたのは、弦楽四重奏曲第2番からだった。

 ディオティマ弦楽四重奏団は昨年も聴いたことがあるが、記憶通りのシャープで細身の精妙な音。音程が異様なほどによく、アンサンブルが完璧。近寄ると切れるようなシャープさとでもいうか。この音によって官能的で知的で研ぎ澄まされた世界を作り上げる。

 第2番はソプラノ独唱がついている。歌うのは先日見事な「詩人の恋」や「四つの最後の歌」を聴かせてくれたレネケ・ルイテン。ゲオルゲの詩を明晰な声で歌った。これ以上は考えられないほどの演奏だと思った。最終楽章の最後の音が静まる際の静けさが素晴らしかった。

 そのほか、プレスト ハ長調、スケルツォ ヘ長調のあと、ヴィオラの安達真理とチェロの中実穂が加わって「浄められた夜」。これも同じような演奏。音程がよく細身でシャープで精妙。くすぐるような音で官能的で繊細な叙情世界を作り上げていく。弦が絡み合い、支えあい、動き回りながら、夜の官能的な世界を盛り上げていく。それが途方もなく美しい。

 こんなことなら最初から全部聴けばよかったとは思ったが、そうしたらそうしたで、きっと疲れ果てていただろう。私には2時間だけで十分だった。

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戸田&エル=バシャの凄まじいクロイツェル

 2024年4月5日、旧東京音楽学校奏楽堂で東京春音楽祭、戸田弥生(ヴァイオリン)&アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)のリサイタルを聴いた。曲目は、すべてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタで、前半に第3番と第7番、後半に第9番「クロイツェル」。

 この二人は日本でもたびたび演奏してきた。CDもリリースしている。まさに名コンビだと思う。格調高く知的なエル=バシャのピアノと凄まじい集中力で音楽の本質をえぐり出す戸田のヴァイオリン。二人の音楽が重なって相乗効果をもたらす。

 第3番は屈託なく始まり、だんだんと強く、深く、そして激しくなっていく。その様子がおもしろかった。が、実を言うと、この曲ではこの二人の持ち味は十分にいかせないと思った。第7番の冒頭から、まさに二人の本領発揮。戸田の強い音によってぐいぐいと観客の魂をつかむ。荒々しいといえるほどの音。化粧によって表面を磨いた音ではなく、魂をわしづかみにするような音。第2楽章は打って変わって少し甘美になる。しかし、戸田の音は表面を飾らない。そして、激しく高揚する第3楽章。ヴァイオリンは激しく魂を描き、ピアノはしっかりとゆるぎなく、しかし歌心を秘めながら土台を作る。

 後半の第9番「クロイツェル」が、やはり圧倒的に素晴らしかった。これもまた最初のヴァイオリンの音で観客をまさにベートーヴェンの宇宙に巻き込む。その後は、息もつかせぬほどの集中力で緊張感あふれる世界を作り出す。第2楽章では変奏ごとに異なるリリシズムを聴かせてくれる。そして、第3楽章。ピアノの美しい音の上で、ヴァイオリンがスケール大きく流動し、切り込み、魂の躍動を描く。そして、このなかに交響曲第5番や第9番のような、苦悩の中の歓喜が聴こえてくる。そうか、これは歓びに向かって必死に手を差し伸べようとしている音楽だったんだ!と思った。凄い! こうだから、この二人の演奏はこたえられない! 何度、魂が震えたことか。

 アンコールはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」の第3楽章。これもとてもよかった。満足。

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ルイテンの「四つの最後の歌」にしびれた!

 202444日、東京文化会館小ホールで、東京春音楽祭歌曲シリーズ、レネケ・ルイテン(ソプラノ)とトム・ヤンセン(ピアノ)のリサイタルを聴いた。

 曲目は、前半にシューベルトの「春に」と「すみれ」、シューマンの「詩人の恋」、後半にはシュトラウスの歌曲集「乙女の花」と「四つの最後の歌」。ルイテンの歌はBDのオペラでいくつかみたことがある。とても魅力的な歌手だと思っていたが、期待以上のすばらしさだった。ピアノのトム・ヤンセンはかなり高齢の方で、最初は元気がないかな?と思ったのだったが、じっくりしっとりと地味ながら美しい伴奏をしてくれた。

 ルイテンは、清澄な声で音程がよく、詩の味わいを見事に表現する。一つ一つの音、一つ一つの言葉が考え抜かれ、磨き抜かれて、完璧にコントロールしているのがとてもよくわかる。ニュアンス豊かで、表現の幅が広いので、音楽が聴く者の心にしみる。

 シューベルトでは、この作曲家の晩年の曲に特有の切羽詰まった孤独感がひたひたと伝わってきた。「詩人の恋」も歌による感情をニュアンス豊かに表現する。私がドイツ語を解しないせいもあるかもしれないが、ふだんは男性が歌うこの歌曲集にまったく違和感を覚えない。一人の繊細な心の捉えた恋の物語が伝わってくる。

 後半はことのほか素晴らしかった。この人は本質的にシュトラウス歌いなのだと思う。どの歌も本当に素晴らしい。やはり私は「四つの最後の歌」にしびれた。文字通り、しびれた! 

 何を隠そう、「四つの最後の歌」は、私の最も好きな歌曲集だ。シュトラウスは大好きな作曲家なので好きな曲はたくさんあるが、その中でもこの曲は別格だ。おそらく、発売されたすべてのCDを所有している。ひところ私が死んだら葬式ではジェシー・ノーマンの歌うこの曲のCDをかけてくれるように妻に頼んでいたほどだ(妻が先に死んでしまったので、この約束は反故になってしまった)。

 ルイテンは、最晩年のシュトラウスの様々な感情の入り混じるニュアンス豊かな音楽を本当に見事に表現して、死を前にした諦観と生への執着が入り混じる感情を描き出した。とりわけ、「九月」の、オーケストラ版のヴァイオリン・ソロにあたる部分の後の歌唱は本当に感動的だった。

 私はこれまで、シュヴァルツコップによってシュトラウス歌曲のすばらしさを知り、ジェシー・ノーマンによってよりいっそう感動を深めてきたのだったが、ルイテンはシュヴァルツコップほど技巧に傾きすぎず、ノーマンほど声の威力を用いず、もっと自然にもっと清らかに歌いながら、知的に、そして高貴に深い思いを表現する。素晴らしいリート歌手だと思った。

 アンコール3曲はいずれもシュトラウスの歌曲。「明日」「献呈」「夜」。いずれも最高の歌唱だった。とりわけ、「献呈」はシュトラウスの歌曲がプログラムに取り上げられるリサイタルの定番のアンコール曲だが、それにしても華やかな盛り上がりが素晴らしい。1960年代、大分市在住の高校生だった私は、シュヴァルツコップ初来日の際の福岡公演をはるばる聴きに行き、その時もこの曲かアンコールで歌われて、感動の涙を流したのを覚えているが、その時に劣らぬほどに感動した。

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オペラ映像「セヴィリャの理髪師」「キアラとセラフィーナ」「ルサルカ」

 今年は遅い花見。東京春音楽祭のついでに上野公園を歩いたり、現在の仮住まいから行きやすい川べりを散歩したりして、少しだけ桜を見た。

 オペラ映像を数本見たので、簡単に感想を記す。

 

ロッシーニ 「セヴィリャの理髪師」20219月 ウィーン国立歌劇場

 全体的に大変レベルの高い上演。すべてがそろっている。素晴らしいと言っていいだろう。ただ実は私としてはちょっとだけ不満。なぜかというと、アルマヴィーヴァ伯爵のフアン・ディエゴ・フローレスがやや不調。第一幕は本当に彼らしくない。第二幕になってだいぶ持ち直すが、それでもこの人特有の輝かしい声は出てこない。ふつうの「上手な歌手」のレベルにとどまっている。

 ロジーナのヴァシリサ・ベルジャンスカヤはとても魅力的な声と容姿と演技で、十分に楽しめるのだが、ちょっとだけ声をコントロールできていないところがある。第一幕にアリアの後半、少し声が伸びない。

 フィガロのエティエンヌ・デュピュイとバルトロのパオロ・ボルドーニャはともに素晴らしい。豊かで生き生きとした声、軽妙な演技、いずれも大満足。ドン・バジーリオを歌うのはイルダール・アブドラザコフではないか。愛嬌のある笑顔のバジーリオは珍しいが、これはこれで不気味な味を出している。この三人は言うことなし。

 ベルタは私の好きな役なのだが、オーロラ・マルテンスはこの不思議な役を自分のものにしているとは思えない。

 指揮はミケーレ・マリオッティ。この人らしい生き生きとしてリズムにあふれた演奏。ヘルベルト・フリッチュの演出は、ほとんど舞台装置をなくし、色彩的な垂れ幕と華美な衣装と頭の上に高々と盛り上がった髪(バルトロの髪は顔の2倍くらいある。ロジーナは顔と同じくらいの髪!)、大袈裟な漫画的な演技でおもしろく見せようとしている。一つのやり方だと思うが、第二幕になったら、あまりの大袈裟な動きをうるさく感じ始めた。

 

 

ドニゼッティ 「キアラとセラフィーナ」2022124日 ベルガモ、ドニゼッティ音楽祭

 ドニゼッティの初期のオペラ。このなかなかおもしろいオペラを知ることができた点では、とてもありがたいし、もちろん十分に楽しめるのだが、あまり良い演奏とは言えないと思う。歌手陣では、キアラのグレタ・ドヴェーリはとても素晴らしい。張りのある美しい声で自在に歌い、外見的にもこの役にふさわしくとてもチャーミング。ドン・メスキーノのピエトロ・スパニョーリはしっかりした歌だった。

 だが、セラフィーナのファン・ジョウは高音はとてもきれいだが、全体的にコントロールが甘い。ドン・ラミーロのヒョンソ・ダヴィデ・パクもピカロのンファン・ダミエン・パクも声が伸びず、音程もしっかりしていない。演出意図がよくわからなかったが、キアラのグレタ・ドヴェーリ以外はまるで道化師のように真っ白の化粧をして顎を突き出すような扮装をしている。

 セスト・クアトリーニ指揮のオーケストラ・リ・オリジナーリも、私にはかなりもたついている気がする。古楽器のオーケストラのせいもあるのだろうが、もう少しドニゼッティらしく生き生き溌剌としてほしいが、こもった感じがする。

 それにしても、アジア系(しかも、どうやら韓国系?)の人が主要な役に3名を占め、合唱団の中にもアジア系の顔の人が大勢いる。何か事情があるのだろうか。それとも今どきのイタリアのオペラの合唱団はどこもこのような状態なのだろうか。日本人としては、わが同国人はどうしたのか!と言いたくなる。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」 2022101416日 トゥールーズ・キャピトル劇場(NHKにて放送)

 NHKBSで放送されたもの。ステファノ・ポーダの演出については見どころはあるのだろうが、演奏面では、私はあまり納得できない。いや、演出も、ここまでやらなくていいのでは?と思う。

 水の精の話なので水が出てくるのはよいとしても、それにしてもほぼ全幕、プールというか温泉の浴場というか、そんな場所に設定して、歌手たちが水につかったり、時には水の中にもぐったりして歌う必要が果たしてあるのか。みんなが水浸しになっている。湯気が出ていないところを見ると、かなり温度は低そう。みんな寒くてガタガタ震えているのではないか。そのせいかもしれないが、全員あまり声が出ておらず、なんだか銭湯の中で歌っているように音がこもっている。見た目には、水が美しく、それ以外の場面も視覚的には満足できるが、間違いなく音楽を犠牲にしている。

 ルサルカのアニタ・ハルティクは、声はきれいだと思うが、私には音程が不安定としか思えない。声も出ていない。王子のピョートル・ブシェフスキも声はきれいなのだが、オーケストラと音の合わないところが多いような気がする。外国の王女のベアトリス・ユリア=モンゾンはまったく色気も愛嬌もない仏頂面の中年女性として描かれているが、演出家の指示なのだろうか。ヴォドニクのアレクセイ・イサエフとイェジババのクレア・バーネット=ジョーンズはこの中では声が出ていると思う。

 ランク・ベアマンの指揮するトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団も、私にはあまり魅力的に聞こえなかった。あちこちに負担をかける演出のために音楽がすんなりと流れていかないのを感じた。スローテンポでしみじみと歌わせようとしていることはよくわかるが、むしろ苦しそうに思えた。

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