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イザイ協会「イザイとドビュッシー」 ドビュッシーの弦楽四重奏曲に感動!

 2024年5月30日、大田区民ホール・アプリコ大ホールで日本イザイ協会主催、「イザイとドビュッシー」を聴いた。出演は、戸田弥生(ヴァイオリン)、池田菊衛(ヴァイオリン)、磯村和英(ヴィオラ)、佐藤晴真(チェロ)、野原みどり(ピアノ)。イザイとドビュッシーの交流を中心にして、トークを交えながら演奏された。堪能した! 

 曲目は、前半にチェロとピアノにより、ドビュッシーの「美しい夕暮れ」(編曲:ハイフェッツ)とイザイの「ポエム・エレジアク」(クニャーゼフ編曲)。しっとりとしたとても良い演奏だったが、「ポエム・エレジアク」に関していうと、イザイはやっぱりヴァイオリンのほうがいいなと思った。会場にもよるのかもしれないが、チェロの音が埋もれてしまって引き立たない気がした。

 ピアノソロによる、ドビュッシーの「レントより遅く」と「喜びの島」。特に「喜びの島」に感動した。野原のピアノの音がとても美しい。美しいだけでなく、輝くようで強靭。しかも色彩的。ドビュッシーの香りにあふれている。

 その後、戸田のヴァイオリンが加わって、イザイの「2つのマズルカ」。たぶん、この曲を初めて聴いたと思うが、とてもよかった。ずっと名演奏家として活躍したためだろう、無伴奏ソナタもそうだが、イザイの作曲した曲には時代を超えた普遍性のようなものがある。そこに繊細だが深い思いのこもった音楽が沸き上がる。それを戸田のヴァイオリンが見事に音にしていく。野原のピアノもぴたりと合って素晴らしい。

 後半はまず、東京クヮルテットのメンバーだったお二人が加わって、ドビュッシーの「月の光」の弦楽四重奏版(編曲:森円花)。ベテランお二人の音を見事に生かした、とても魅力的な編曲だった。月の光が見える!!

 東京クヮルテットは、実は私は残念ながら、1980年代だったか90年代だったかに、2回しか実演を聴いていない。すでに創設メンバーではなかった。ベートーヴェンだったが、とても良い演奏で、日本人中心でこれほど高いレベルの室内楽が演奏されるようになったと感慨にふけった記憶がある。今では、外見はちょっとお年を召した気がしたが、演奏はまったく年齢は感じさせない。素晴らしかった。

 最後は、ドビュッシーの弦楽四重奏曲ト短調。これはすさまじい演奏だった。戸田の第一ヴァイオリンが全体を強くリードしていく。思いのこもった激しい演奏だが、けっして大袈裟に表現するわけではない。魂のこもった音を抑制的に演奏しているために、いっそう深みが出る。ふだんはとりとめがないという気がしてしまう第3楽章の深いリリシズムに感動した。最終楽章も大きく高揚。実はこの曲、私の好みの曲ではないのだが、これはすさまじい名曲だと初めて思った!

 日本イザイ協会の精力的な活動に脱帽。魅力的なプログラムを用意してくれることに感謝する。それにしても、知れば知るほどイザイは魅力的な音楽家だ。

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モンテカルロ・フィル&山田&藤田  素晴らしかったが・・・

 2024527日、サントリーホールでモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を聴いた。指揮は山田和樹。曲目は前半にベートーヴェンの「コリオラン」序曲と、ピアノの藤田真央が加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、後半にベルリオーズの幻想交響曲。藤田ファンのためだろう、観客の80パーセント以上、もしかしたら90パーセント近くが女性かもしれない。異様な雰囲気だった。

「コリオラン」序曲は久しぶりに聴いた。好きな曲だが、山田指揮のモンテカルロで聴くと、これまで聴いた演奏とまったく雰囲気が異なる。これまで聴いてきたこの曲は、ハ短調の、まさに運命と戦うような悲愴で痛々しい音楽だったが、今日はもっとしなやかでもっと膨らみがあり、豊かさがある。山田の語り口のうまさに脱帽。ここぞというところでオーケストラは全開になり、または勢いづき、または優しく歌う。その切り替えが実に巧み。モンテカルロ・フィルはとてもしなやかで美しい音。おしゃれな女性団員が何人もいて、見た目にもエレガントだが、演奏も色彩的でしなやかで豊かなニュアンスがある。木管がとても美しい。ただ、「この曲をこんなに上手に演奏していいのかな・・・」という、無理やりの不満を感じてしまう。昔、カラヤンに感じていたような不満だ。

 藤田が加わっての協奏曲は、ちょっと印象が違った。藤田の音楽なのだろう、もっと率直でもっと躍動的。そしてピアノのタッチはこの上なく繊細で軽やか。ただし、この演奏も、私がこれまで聴いてきたハ短調の巨大な音楽ではない。もっと若々しく、生気にあふれ、生命に満ちている。藤田人気がよく理解できる。第一楽章のカデンツァは聞いたことのなかった。矢代昭雄の手になるとあとでX(旧ツイッター)で知った。なるほど! 新鮮で、確かに言われてみれば矢代昭雄のピアノ協奏曲と似た雰囲気のある音楽だった。

 ソリスト・アンコールはブラームスの8つのピアノ小品より「カプリッチョ」とのこと。躍動感と、即興的な雰囲気にあふれたとてもいい演奏だった。

 後半の「幻想」は、まさに山田の独壇場とでもいうべきもの。絵画的と言えるのではないか。風景が目に見えるよう。フレーズのニュアンスもわかりやすく、躍動感にあふれている。あの退屈な第三楽章も、けっこう楽しんで聴けた(私はいつも第3楽章では退屈と闘う。家で聴く時には、コーヒータイムになる)。第4楽章、第5楽章は大きなドラマ展開で見事。

 ただ、無理やりにケチをつけるようだが、「こんなにうまくていいのかなあ」と思ってしまう。ベルリオーズの狂気のようなものが薄れてしまって、「幻想」が娯楽大作のようになってしまっている。これはもっとおどろおどろしくて、得体が知れなくて、狂気にあふれた音楽ではなかったのか。

 アンコールはビゼーの「アルルの女」のファランドール。最後の、二つのテーマが合体するところはまさに壮観!

 ちょっと疑問には感じたが、ともあれ、素晴らしいオーケストラと、あまりに巧みな指揮、そして躍動感のあるピアノに触れた満足。

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レオンハルツベルガー 「ばらの騎士」オクタヴィアンのモノローグに感動

 2024523日、武蔵野市民文化会館小ホールでマヌエラ・レオンハルツベルガー(メゾ・ソプラノ)のリサイタルを聴いた。とてもよかった。

 曲目は、前半にリスト、シューベルト、ドヴォルザークの歌曲、後半にオペラやオペレッタのアリア。声そのものがとても美しく、音程もよく、声量も豊か。この歌手、私は今回初めて名前を知ったが、素晴らしい歌手だと思う。ただ、まだちょっと若いというのか、味わいの深さがほんの少し足りない気がする。それぞれの作曲家の境地があまり伝わってこず、どうしても優等生的な歌い方になってしまっている。とりわけ、ドヴォルザークの「ジプシーの歌」でそれを感じた。かつて私が愛聴していたジェシー・ノーマンの歌と比べてあまりに淡白。まあ、もちろん、この若くて将来有望な歌手をノーマンと比べて高い要求をするのは酷というものだが。ただ、大歌手と比べたくなるほど、とても素晴らしい若手歌手だということは間違いない。

 後半のオペラ、オペレッタもとても楽しかった。前半に比べてのびのびと楽しく歌っている感じ。「こうもり」の オルロフスキー侯爵のクープレも楽しかったし、「ばらの騎士」のオクタヴィアンのモノローグはとりわけ感動的だった。

 アンコールはシューベルトの「音楽に寄す」とコルンゴルトの「幸せの願い」。これらもしっとりと歌ってとてもよかった。

 ただ実は、みどり・オルトナーのピアノはちょっと丁寧さに欠ける気がした。もう少しデリケートであったらもっと感動しただろうと思った。楽しい音楽の時には盛り上がってよかったが、しっとりした音楽ではリリシズムが伝わってこなかった。

 会場で十数年ぶりに、偶然、旧友と再会。旧交を温めた。

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アスミク・グリゴリアン 最高のソプラノ!

 2024年5月17日、東京文化会館で、アスミク・グリゴリアン ソプラノ・コンサートを聴いた。伴奏はカレン・ドゥルガリャン指揮の東京フィルハーモニー交響楽団。

 グリゴリアンは、映像ソフトやCDでサロメ、ゼンタ、イェヌーファ、ルサルカ、クリソテミスなどを聴き、そのたびに圧倒されてきた。一昨年の東京交響楽団による「サロメ」の実演でも圧倒的だった。次々と大型新人歌手が現れるが、この人はその中でも別格。

 指揮者はアルメニアの人らしい。グリゴリアンはアルメニアに起源をもっているとのこと(父親のゲガム・グリゴリアンはロシアで活躍する大テノールだったが、アルメニア出身だったようだ)なので、この指揮者を選んだのだろう。

 曲目は、前半にドヴォルザークの「ルサルカ」から「月に寄せる歌」、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」から「タチアーナの手紙の場」、「スペードの女王」から「もうかれこれ真夜中...ああ、悲しみで疲れ切ってしまった」、アルメン・ティグラニアンの「アヌッシュ」から「かつて柳の木があった」。最後の曲はアルメニアの作曲家のアルメニア風の音楽のようだ。

 いずれも言葉をなくす凄さ! 完璧に声をコントロールして最高の声を出す。音楽をよく知っているというのか、聞かせどころを知っているというのか、ここぞというところで最高の効果を及ぼす声。観客の心をぐいとつかむ。私はマリア・カラスの実演を聴いたことはないが、録音で聴くカラスの歌を思い出す。グリゴリアンは少しレパートリーは異なるが、同じように観客の心をつかみ、声だけで観客を感動に震わせる。

「月に寄せる歌」は健気でどこまでも美しく、タチアーナの歌は狂わしいばかりに恋心にあふれている。

 後半はもっとすごかった。リヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」のクリソテミスのモノローグ 「私は座っていることもできないし、飲んでいることもできない」、そして、「サロメ」の最後の部分。これまた言葉をなくす凄さ。シュトラウス好きの私としては、これほどのクリソテミスとサロメを生きている間に実演で聴けるとは思わなかった!というレベル! 陶然となった。一音一音に心が反応してしまう。これほど役を自分のものにし、声を完璧に出し、オーケストラに負けない声量で歌いきる歌手はいないだろう。

 私がこれまで実演を聴いたソプラノの中で、最も圧倒的だと思ったのはジェシー・ノーマンだったが、グリゴリアンはもっと若々しい女性的な声で、オペラの役にふさわしい声でありながら、ノーマンに負けない声の威力を持っている。これまで聴いてきた最高のソプラノだと思った。

 指揮のドゥルガリャンは決して悪い指揮者ではないと思うのだが、ただちょっと残念なのは、この指揮者はあまりシュトラウスを得意にはしていないようで、「サロメ」の「七つのヴェールの踊り」などのオーケストラの部分はちょっと緊張感が不足しているのを感じた。この最高の歌手にふさわしい最高の指揮で聴きたいと思った。

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ハーン&ヘフリガー 盛り上がらないブラームスだった

 2024年516日、東京オペラシティ・コンサートホールでヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)とアンドレアス・ヘフリガー(ピアノ)のデュオコンサートを聴いた。曲目はブラームスのヴァイオリン・ソナタ全3曲。

 ヒラリー・ハーンは好きなヴァイオリニストのひとりだ。実演を何度か聴いたし、CDもかなりの数持っている。怜悧という言葉がぴったりの知的で鋭く、静かに燃える演奏に私は惹かれてきた。今回、ブラームスのソナタだということで大いに期待して出かけた。しかも、ピアノはアンドレアス・ヘフリガー。レコードで親しんだエルンストの息子さん。1970年代(?)にエルンストの「詩人の恋」(?)の実演を東京で聴いた記憶もある。

 3曲ともに、かなりのスローテンポ。ゆっくりと、じっくりと、一つ一つの音をいつくしむように演奏する。以前よりも穏やかで暖かい音になったような気がするが、相変わらずの美音。すーっと鋭い線で空中に描いたような音。それだけでうっとりする。丁寧に音楽と進めていく。

 ただ、第2番になっても、後半の第3番になっても、どの楽章もゆっくりと同じような雰囲気で弾くので、私としては少々退屈してしまった。私がこれまで聴いたハーンのヴァイオリンは、確かに情熱的に高揚するというような演奏ではなかったが、怜悧に燃え上がったような気がする。私は、ハーンが弾くと、ブラームスの抑制した情熱がどのような音になって表れるのかを楽しみにしていたのだった。だが、いつまでも燃え上がらない。じっくりとゆっくりと美音が続く。だが、それだと私としては少々物足りない。私がブラームスの室内楽に求めているのは、心の奥の方で抑制されながらも燃え上がる情熱なのだが、それが聞き取れない。

 もしかしたら、ハーンはブラームスのソナタに合わないのではないかと思った。少なくとも、私の好きなブラームスのソナタにならない。

 第3番の終楽章ではかなり高揚したが、それでもやはりきわめて冷静。確かにこれがハーンの魅力ではあるが・・・。

 アンコールは、ハーンが紙を見ながら日本語で曲名を紹介。ただ、残念ながらよく聞き取れなかった。あとで表示を見たところ、ウィリアム・グラント・スティル作曲の「マザー&チャイルド」とのこと。しっとりとした音楽だった。

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竹澤&津田のシュトラウスのソナタに感激

 2024年5月15日、浜離宮朝日ホールで「浜離宮ランチタイムコンサート」を聴いた。演奏は竹澤恭子(ヴァイオリン)、ピアノ伴奏は津田裕也。曲目は、前半にモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第25番ト長調とブラームスのヴァイオリン・ソナタ 第2番、後半にクララ.シューマンの3つのロマンスとリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ。

 モーツァルトはのびやかで無理のない音楽づくり。モーツァルトらしい自然な美しさが広がった。ブラームスについては、竹澤さんご自身がトークで、「ブラームスが幸せだったころの作品」と語っていたわりには深みがあり、時に葛藤を感じさせる音楽。ただ、全体的には明るい音調でまとめてとても説得力ある音楽にしていた。

 クララ作曲のロマンスもとてもロマンティックで魅力的。小曲に、クララの長所が特に現れるような気がする。竹澤さんの演奏もとてもよかった。

 が、圧倒的に素晴らしかったのは、最後に演奏されたシュトラウスのソナタだ。一般には、若書きの、やっと大家の兆しが表れ始めた、肩に力の入った曲として扱われるが、どうしてどうして。竹澤は、まさに堂々たる作品として弾いた。まさしく壮麗。たった2台の楽器で大オーケストラのような効果を出し、単にこけおどしではなく、しっかりと中身のある音楽にして聞かせてくれる。後年のシュトラウスの傑作群にまったく引けを取らない。竹澤のヴァイオリンのテクニックも素晴らしいが、津田のピアノも負けていない。超絶技巧におぼれず、しっかりと構築し、最終楽章はスケール大きく大交響曲が終結するかのよう。

  アンコールはロベルト・シューマンの3つのロマンスから、最も有名な第2曲。これもしっとりしていてとても良かった。

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オペラ映像「コリントの包囲」「チャロデイカ」

 現在の家に引っ越してから2週間以上たつ。やっと、段ボール箱がほぼなくなり、それなりにもののありかが大体わかるようになり、日常生活を支障なく送れるようになった。まだまだ必要なものが見つからずにあちこちを必死に探すことがあるが、それもだいぶ減ってきた。

 最近購入の大型テレビ(といっても55型だが)でオペラを2本見たので、簡単な感想を記す。

 

ロッシーニ 「コリントの包囲」20178月 ぺーザロ、アドリアティック・アリーナ

 全体的にはとてもレベルの高い上演だと思う。ロベルト・アバドの指揮はきびきびしてドラマティック。歌手陣も充実している。中でも素晴らしいのは、もちろんパミーラのニーノ・マチャイゼ。張りのある美しい声、この役にふさわしい容姿。クレオメネのジョン・アーヴィン、ネオクレスのセルゲイ・ロマノフスキーもしっかりした声。ただ、なかなかいいといったレベルではある。肝心のマオメット2世は、声の圧力と、いかにも暴力的な演技はとても魅力的なのだが、フランス語があまりにめちゃくちゃ。一人だけフランス語に聞こえない! フランス語のオペラなのだから、さすがにこれはまずいだろう!

 カルルス・パドリッサの演出。水の大型容器を使って造形している。水が貴重なギリシャを舞台にして、ギリシャとトルコの水をめぐる争いを連想させ、容器の青色で美しい世界を作り出している。

 私は、ロッシーニに関しては、オペラ・セーリアよりもオペラ・ブッファのほうが圧倒的に好きなのだが、もちろん、セーリアもドラマティックでとてもわくわくする。

 

チャイコフスキー 「チャロデイカ」20221230日 フランクフルト歌劇場

 実演はもちろん映像も含めて、今回初めてこのオペラをみたと思う。音楽もとても魅力的。ストーリーもなかなかおもしろい。ただ台本には大いに問題がありそう。この内容だったら、なにも3時間以上かける必要はないと思った。だらだらとセリフが続く。

 演奏については本当に素晴らしい。圧倒的なのは、やはりクーマを歌うアスミク・グリゴリアン。完璧な声のコントロール、そしてここぞという時の強く芯のある美声、表現の幅、そして魅力的な演技と容姿、どれをとっても素晴らしい。チャイコフスキーまでもこんなに見事に歌うなんて! ただワーグナー、シュトラウス好きの私としては、イタリアオペラやロシアオペラを歌う前に、ワーグナー、シュトラウスのほかの役を歌ってほしいというのが切なる願いだ! この人のエリーザベトやエルザやジークリンデやイゾルデやクンドリやマルシャリンやアラベラやアリアドネやマドレーヌを観たい、聴きたい!

 ユーリのアレクサンドル・ミハイロフも見事な声。棒立ちに近い演技だが、これは朴訥で飾らない人物像を描くための演出なのだろうか。悪役であるイェフプラクシア公妃のクラウディア・マーンケも声はもちろん、揺れ動く心理を表現してとても魅力的。私のような高齢者から見ると、とても肉感的で美しい。ニキータ公子のイアン・マクニールもこの役にふさわしい。ただ、マムイロフ役のフレデリック・ヨストの声が不安定なのが気になる。

 ヴァレンティン・ウリューピンの指揮もとてもいいと思う。知らない曲なので何とも言えないが、十分にチャイコフスキーらしい甘美で情熱的な雰囲気にあふれている。演出はヴァシリー・バルハトフ。強く生きようとする女クーマを狼にたとえているのだろう、たびたび狼の姿が映し出される。舞台を現代のロシアに移されているが、それほどの違和感はなく、すんなりと現代社会のひとりの女性の悲劇としてみることができる。

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新居由佳梨リサイタル 超絶技巧の中からメロディを浮かびださせる!

 2024512日、座間市立市民文化会館ハーモニーホール座間で、新居由佳梨ピアノ・リサイタル 2024 in ZAMAを聴いた。

 新居さんとは10年以上前に知り合い、その後、何度かお仕事をご一緒させていただいた。多摩大学でクラシック音楽のコンサートを企画・運営するゼミを受け持っていた時期、何度か演奏をお願いしたことがある。今回、久しぶりに聴かせてもらった。

 曲目は、前半にシューベルトの即興曲集第3番、クライスラー作曲、ラフマニノフ編曲の「愛の悲しみ」、ショパンのノクターン第2番、ショパンのバラード第1番、後半に ヨハン・シュトラウス2世のメロディをパラフレーズしたグリュンフェルト作曲の「ウィーンの夜会」、メンデルスゾーン作曲、リスト編曲の「歌の翼に」、プーランク作曲の「愛の小径」、リスト作曲の「愛の夢第3番」、グノーの原曲をリストがパラフレーズした「ファウスト・ワルツ」、アンコールにドビュッシーの「月の光」。新居さんご本人がMCを加えながらの演奏。演奏する音楽と同じように、感じがよくて優美で、しかし、しっかりと自己主張をする語り。

 タイトルだけ見ると、親しみやすい「歌」が並んでいるが、その実、リストだったり、グリュンフェルトだったりがパラフレーズしたり、編曲したりした超絶技巧の曲ばかり。

 しかも、新居さんの演奏は、超絶技巧をひけらかすのではなく、超絶技巧の中から美しいメロディを浮き立たせようとする。前半を聴く間は、「もっとメリハリをつけると、超絶技巧が引き立つのに・・・」と思いながら聴いていたが、聴き進むうち、このように奥ゆかしく音楽の美しさを表に出していくのが新居さんの音楽のあり方だと納得。時に優美に、時に激しく、幅広い表現によって音楽の持つ魅力を音にしていく。激情的な部分もあくまでも美しく、理性的な抑制が効いている。そして、何よりも一つ一つの音の粒立ちが美しい。

 やはりこの人はフランスものが合っている。プーランクの、フランス語の抑揚をそのまま音楽にしたような、柔らかくてしなやかで、曲線的な表現が素晴らしい。また、グノーのメロディに基づくワルツも、感情をそのままたたきつけるのではなく、もっと洗練させて描く様子がとてもいい。

 こんなことを言うのは大変おこがましいが、若いころから新居さんを知っているだけに、「ああ、とてもいいピアニストになったなあ」と思ったのだった。

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映画「悪は存在しない」 ラストを私なりに解釈してみた

 濱口竜介監督のベネチア映画祭銀獅子賞受賞作「悪は存在しない」をみた。途中までは納得してみていた。そこまでは、ある意味、とてもよくできたふつうの映画だった。

 長野県とみられる山間の寒村。水は澄んでおり、鹿や鳥が立ち寄り、村人は豊かな自然の中で生きている。ところがそこにグランピング場(気軽にキャンプのできる場所)の建設計画が持ち上がる。企業に委託された芸能事務所の男性・高橋と後輩の女性・黛が企業側の代表として説明会にやってくるが、住民の反対にあってたじたじとなる。何とか折り合いをつけようとして、村の中心的な人物である便利屋の巧(たくみ)に接触する。巧やその娘である小学生の花(はな)と行動をともにするうちに、二人の芸能事務所のメンバーは自然の豊かさに目覚めていく。

 芸能事務所の社長も、コロナ禍を生き延びるために会社の方針で仕方なくこの種の仕事に力を入れている。グランピング場を計画している企業もすでに補助金をもらう都合上、時間をかけるわけにはいかない。そして、だれもがそれなりに現地の住民のことも考えている。確かに、「悪は存在しない」。そうした状況を映画は丁寧に描く。私が名前を知っている役者、それどころか顔を知っている役者は出演していない。そうであるがゆえに一層映像がリアルに感じられる。人間の生きる姿、自然のありようが存在感にあふれて描かれている。

 ところが、最後の10分ほどだろうか。突然話が展開し、何が起こったのかわからなくなる。映像は幻想的になり、極端に説明が省かれる。

 花が行方不明になる。村が総出で探すが、なかなか見つからない。翌朝(?)、巧は手負いの鹿に襲われて(?)絶命した(?)花を発見。芸能事務所の高橋は巧と行動を共にしていたが、高橋が倒れている花のもとに駆け寄ろうとすると、巧は突然、高橋を襲って殺そうとする(?)。いったんは息を吹き返した(?)高橋が喘ぎながら倒れる(?)ところで映画は終わる。

 いったい何が起こったのだろう。巧はなぜ高橋を殺そうとしたのだろう。

 多様な解釈が可能だと思う。濱口監督は、おそらく自由に解釈できるようにあえて作っているのだろう。私なりにあれこれ考えてみた。

「悪は存在しない」というタイトルがヒントになりそうだ。

 確かに、高橋をはじめ都会から来た人たちにもそれぞれの事情があり、みんなが悪人というわけではない。だが、悪は存在しないとみなして、それを許容していたら、なし崩し的に自然が破壊されてしまう。自然の中で育ち、人と動植物の媒介をしていた少女・花の死は、そのような「悪は存在しない」「仕方がない」というそれぞれに人間の都合による言い訳で自然を壊してきた結果なのではないか。

 高橋に代表される都会人は、根は善良ではあるが、なびきやすく、自分に甘い。そのような態度こそがすべてを壊してきた。自然の中で生きる巧自身もチェーンソウを使い、車を使って自然を汚している。映画の中では、自然に反する音、たとえば鹿を撃つ銃声や空を飛ぶ飛行機の音がしばしば強調される。

 しかし、同時に「悪は存在しない」ということは、「善悪は存在しない」「善も存在しない」ということになる。

 多くの人が自然を「善」とみなしている。自然は美しく、素晴らしく、良いものだと考えている。環境保護の考えの中ではそのような文脈で自然は語られる。だが、実際にはそうではない。自然は災害を起こすし、自然の世界は弱肉強食で善悪は通用しない。映画の中で、繰り返し木々が映されるが、そこで響くオルガンの音楽はけっして美しいものではない。不協和音にあふれ息苦しく、暗いエネルギーにあふれた音だ。

 花が鹿に殺されたのも、そのような善ではない自然の中でのことだった。「悪は存在しない」、そもそも善もない、冷徹でエネルギッシュな生命の論理で動いている。だから、その中で花が死んでも仕方がない。そもそも、まさにその名前の通り、この少女は花のような存在なのだ。

 結局、巧は、自分の都合で自然を破壊していった人間たちに怒り、同時に、様々なものを破壊し、人間を殺すこともある自然の論理に気づいたのではないか。だからこそ、娘の死を契機に自然の論理を体現して、自然を壊そうとする高橋を殺したのではないか。巧は「悪は存在しない」「善悪は存在しない」「存在するのは、決して美しくない自然の理不尽な論理だ」と思い知り、それを実行したのではないか。

 私なりの解釈を書いてみたが、まだまだよくわからない部分がいくつもある。私に読み取れていない寓意もたくさんありそう。そのわからなさも含めて、確かにこれはとても良い映画だった。

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ラ・フォル・ジュルネ東京2024年 3日目(5月5日)

オリヴィエ・シャルリエ(ヴァイオリン)、萩原麻未(ピアノ)、エルミール弦楽四重奏団(弦楽四重奏)によるショーソン作曲の「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール」

 ショーソンのこの曲を聴くのは二度目だと思う。なかなかの名曲だとは思うが、いかにもショーソンらしく、耽美的で官能的。しかも、かなりとりとめがない。このタイプの曲は、私はけっして嫌いではないのだが、40分ほどこれをやられると正直言って辟易してくる。初めのうちは心地よく聴いていたが、途中から苦しくなってきた。

 演奏についてはとてもよかった。シャルリエは相変わらずの美音で深いわいの音楽を作り出す。萩原は超絶技巧の演奏をこともなげに繰り広げる。若い弦楽四重奏団もしっかりしたアンサンブル。

 

リヤ・ペトロヴァ (ヴァイオリン)、ナタナエル・グーアン (ピアノ)によるドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ、フランクのヴァイオリン・ソナタ イ長調

 

 これはすさまじい演奏だった。感動の涙を流した。

 ペトロヴァはソフィア生まれの若い女性ヴァイオリニスト。往年の大女優ダニエル・ダリュー(と言っても、わかる人はごく少ないと思うが)を思わせる美しい容姿。その演奏は、まさにすでに完成されている。これまた往年の女流ヴァイオリニストであるジネット・ヌヴーのような独特の息遣いによって音楽を作っていく。一つ一つの音も細身で美しく、しかも表現の幅が広くて、官能的にも情熱的にもなる。流麗にして知的。ヴァイオリンが律動しながら歌を歌う。聴く者の心を捉えて放さない。凄い! グーアンのピアノもとてもよかった。潤いがあり、歌があり、深みがある。

 ドビュッシーのソナタも端正で高貴で流麗。チャーミングに聴かせてくれた。フランクのソナタに関しては、最初から虜になった。第2楽章の凄まじいこと! 流動的で官能的なのに高貴。この上なく美しい音が伸びていく。最終楽章も情熱が燃え滾るが、そこに高貴な節度が保たれている。

 心から感動した。

 

エルミール弦楽四重奏団によるヴェーベルンの弦楽四重奏のための緩徐楽章と、アブデル・ラーマン・エル=バシャのピアノが加わってのシューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調

 エルミール弦楽四重奏団はアンサンブルもよく、音程もしっかりしている。このごろ多いバリバリと弾きまくるタイプの若いグループではなさそう。もう少しロマンティック。そのためもあってか、ヴェーベルンはちょっと中途半端な気がした。もっと鋭利に演奏するほうがこの作曲家にふさわしいと思うが。シューマンに関しても、私はエル=バシャと弦楽四重奏団の息があっていないように感じた。ちょっと不満だった。

 今年のラ・フォル・ジュルネでは9つの有料公演を聴いた。これまで合計で530の有料公演に行ったことになる。素晴らしい演奏が今年もいくつかあった。うれしいことだ。

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ラ・フォル・ジュルネ東京2024年 2日目(5月4日)

 ラ・フォル・ジュルネ東京2024年の2日目。3つのコンサートを聴いた。

 

オリヴィエ・シャルリエ(ヴァイオリン)、エマニュエル・シュトロッセ(ピアノ)

 ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ ト長調、エネスクのヴァイオリン・ソナタ第3番「ルーマニアの民俗様式で」。

 素晴らしい演奏だった。シャルリエは細身で鋭いながらも甘美で深みのある音色。シュトロッセはクールで現代音楽的なタッチ。その二人が味のあるラヴェルとエネスクを演奏。ラヴェルのソナタについては、諧謔的に演奏することのできるこの曲をかなり生真面目に演奏。それがかえってラヴェルの音楽の純粋で高貴でありながらも遊び心にあふれる精神が浮かび上がる。最終楽章は大きく盛り上がって不思議な情熱の世界に導いた。

 エネスクのソナタも、まさにルーマニアの田園風景への郷愁を掻き立てるような音楽。強い思いがみなぎっているのを感じた。シャルリエもシュトロッセもまさに名手だと思った。

 

・天羽明惠 スカンディナビアの国民楽派の歌曲

 デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの作曲家の歌曲を集めたコンサート。ハイセ、ペッテション=ベリエル、ステンハンマル、ラングストレム、シベリウス、グリーグなどの作曲家の曲が楽しいトークとともに紹介された。天羽さんの表現力は誰もが認める通り。いくつもの言語の様々な表情の歌を聴かせてくれた。

 知らない作曲家の歌曲を歌ってくれたのはとてもうれしい。それぞれにとても魅力ある歌曲だった。個人的には、シベリウスにはもっともっと名歌曲がたくさんあるのに、さらっと通り過ぎてしまったのが残念。それにせっかくだから、トイヴォ・クーラの歌曲も歌ってほしかった。しかし、それはないものねだりに過ぎない。

 

トリオ・オウオン「偉大な芸術家の思い出に」

 トリオ・オウオン(オリヴィエ・シャルリエ、ヤン・ソンウォン、エマニュエル・シュトロッセ)によるチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」。素晴らしかった。

 独特の含みのある音色のシャルリエ、ロマンティックな弦を響かせるソンウォン、現代音楽的なアプローチをするシュトロッセ。その三人が力いっぱいに演奏。感情過多にならず、思い入れをしすぎずに、しかしロマンティックに演奏。第1楽章の痛切なメロディもさることながら、第二楽章の変奏曲のそれぞれの掛け合いがとてもおもしろかった。まったく隙がなく音と音が絡み合い、深い世界を作り出した。最後の3つほどの変奏は圧巻だった。魂が震えた。このトリオ、すごい!!

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2024年ラ・フォル・ジュルネ東京 5月3日

 東京国際フォーラムで今年もラ・フォル・ジュルネ東京が始まった。コロナでいったん中断、その後、規模を縮小しての開催。今年のテーマは「オリジン」。

 私は2005年にラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが初めて開催されたとき、「アンバサダー」という立場でこの音楽祭にかかわったため、それ以来、フランスでも日本でも、かなりたくさんのコンサートを聴いてきた。昨年まで有料公演だけで521のコンサートを聴いたことになる。今年は、円安の影響だろう、海外からのオーケストラは参加せず、外来演奏家の数も少ないが、それでも十分に盛況のようだ。

 今日は三つのコンサートを聴いた。簡単に感想を書く。

 

・トリオ・オウオン

 トリオ・オウオンはオリヴィエ・シャルリエ(ヴァイオリン)、ヤン・ソンウォン(チェロ)、エマニュエル・シュトロッセ(ピアノ)の3人が2009年に結成したピアノ・トリオ。いずれもラ・フォル・ジュルネではおなじみのベテラン演奏家だ。

 初めにスメタナのピアノ三重奏曲ト短調。素晴らしかった。「わが祖国」を名曲と思えない私は、スメタナをあまり聴いてこなかったが、これは名曲だと思った。演奏も情熱にあふれ、覇気があり、リリシズムがある。シャルリエの音色はまさにいぶし銀。人生を知った男の深い思いがこもっている。ソンウォンのチェロも折り目正しくもロマンティック。シュトロッセのピアノも勢いがある。

 次にドヴォルザークのピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」。こちらも、ドヴォルザーク特有の親しみやすく憂いのあるメロディとドゥムキーの舞曲の軽快なリズムがうまく重なってとても良かった。私はシャルリエの音色に心惹かれる。

 

アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団 齋藤友香理(指揮)

 曲目は、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番 ハ短調。

「フィガロ」序曲については、もう少し躍動感がほしいと思ったが、神奈川フィルもしっかり演奏。

 ベートーヴェンの協奏曲については、エル=バシャのピアノは折り目正しく格調高い。しかも、エネルギーにもあふれていて素晴らしい。が、私は齋藤の指揮に問題を感じた。一言で言って、メリハリがベートーヴェン的ではない。少なくとも私の考えるベートーヴェンではない。のっぴりして、ふにゃふにゃして聞こえる。柔和でしなやかなのはいいのだが、構成感がなく平板になるので、私にはかなり退屈に思えた。

 

辻彩奈(ヴァイオリン)、兵庫芸術文化センター管弦楽団、クリスティアン・アルミンク(指揮)

 初めにワーグナーの「ジークフリート牧歌」。しなやかで柔和で、しかも立体感のある演奏。とても良かった。ただ、やはり私にはこの曲は退屈。もう少しどうにかならないかと思ってしまう。

 辻をソリストに加えてのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調はとてもよかった。辻の演奏は、少し前のような挑戦的な激しさが影を潜め、もっと穏やかでしなやかになっているのを感じた。音色の美しさが際立ち、高音が特に素晴らしい。第3楽章は明るくてワクワクする雰囲気。ただ、ホールが大きすぎてヴァイオリンの音がじかに届かない感じがあるが、これは致し方ないところだろう。久しぶりにアルミンクの指揮を聴いたが、とても好感を持った。オーケストラからとてもニュアンス豊かな音を引き出していた。

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