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オペラ映像「ルサルカ」「当惑した家庭教師」「女の手管」「ロンドンのイタリア女」

 オペラ映像を数本見たので、感想を記す。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」202332,7日 英国ロイヤル・オペラ・ハウス

 これは超名演! グリゴリアンのルサルカを目当てに購入したのだったが、まずオーケストラの最初の数小節の音に圧倒された。なんと精緻でぴたりと決まった音だろう! リズムに揺るぎがない。腰のすわった静謐な音。そこからひたひたと感動を盛り上げていく。近年のセミョン・ビシュコフの驚くべき魔法のタクト! すごい指揮者になったものだ!

 歌手陣も最高度に充実。なんといってもルサルカのアスミク・グリゴリアンがあまりに素晴らしい。魂が震える! この上なく美しくコントロールされた声。ひたむきさ、そして悲嘆が伝わってくる。容姿についてもこの役にぴったり。王子のデイヴィッド・バット・フィリップも実に美しい声。演技は、あまりに一本調子なので何とかしてほしいが、ともかく歌は素晴らしい。水の精のマシュー・ローズ、外国の公女のエマ・ベル、イェジババのサラ・コノリー、そして、皿洗いのホンニー・ウー(アジア系の女性)も文句なし。

 演出はアン・イー&ナタリー・アブラハミ。ルサルカは人間に生まれ変わる際、背中のヒレ(?)を切り取られて、大きな傷が残る。その痛々しさを心の傷として具象的に描く。とても説得力がある。それ以外はかなり原作に即したわかりやすい演出。

 全体的に本当に素晴らしい上演だが、やはり何といってもグリゴリアンとビシュコフがすごい! 感動した。

 

ドニゼッティ 「当惑した家庭教師」 20221117,20,26日 ベルガモ、ドニゼッティ音楽祭ソチャーレ劇場

 ドニゼッティの初期のオペラ。厳しい父親に育てられたエンリーコは秘密の結婚をしているが父には内緒でいる。エンリーコに相談を持ち掛けられた家庭教師の活躍を描く他愛のないオペラ。しかし、音楽的にはとても楽しい。オペラ・ブッファとしてよくできている。

 ドン・ジューリオのアレッサンドロ・コルベッリと家庭教師グレゴーリオのアレックス・エスポージトの二人が圧倒的。新旧のオペラ・ブッファのビッグ・ネームの共演というべきだろう。コルベッリは声こそ輝きを失っているが、巧みな歌いまわしは見事。エスポージトは今が最も声の出る時期なのだろう。素晴らしい声。この二人に関しては言うことなし。

 それ以外の歌手陣は、ドニゼッティ劇場財団が運営するマスタークラスの研修生から抜擢されたということで、将来活躍する人たちだろうが、今のところはまだかなり弱い。エンリーコのフランチェスコ・ルチイは輝かしい声だが、音程がかなりふらついている。ジルダのマリレーナ・ルータもレオナルダのカテリーナ・デッラエレも歌が堅い。とはいえ、若々しくてとても好感が持てる。

 ヴィンチェンツォ・ミッレタリの指揮するドニゼッティ歌劇場管弦楽団は健闘している。演出はフレンチェスコ・ミケーリ。時代を未来にとって、登場人物は宇宙服のようなものを着ている。イタリアらしい斬新な色使いで、まさに超時代的に描く。飽きずに見ることができる。

 

チマローザ 「女の手管」 2022106,8,9日 フラーヴィオ・ヴェスパジアーノ劇場(レアーテ音楽祭ライヴ)

 チマローザの珍しいオペラ。アレッサンドロ・デ・マルキ指揮によるテレージア管弦楽団という古楽器のオーケストラの演奏。歌手陣はみんな若い。チェーザレ・スカルトンは、めったに上演されないオペラにふさわしく、簡素でありながら、おそらく台本にかなり忠実。きびきびしていてとても好感の持てる演奏と演出だ。

 女性陣、すなわちベッリーナのエレオノーラ・ベロッチ、エルシーリアのマルティーナ・リカリ、レオノーラのアンジェラ・スキザーノがとてもいい。男性ではドン・ジャンパオロのロッコ・カヴァルッツィとドン・ロムアルドのマッテーオ・ロイ(個性派俳優の滝藤賢一にとても似ているように私には見える)がとぼけた面白い味を出している。ただ、主役格のフィランドロを歌うヴァレンティーノ・ブッツァが私には音程が不確かに思えた。

 チマローザのオペラとしてはあまり傑作ではないと思う。ストーリーは、高額な遺産の条件に見知らぬ男と結婚することを強いられた女性が計略によって愛する男性と結婚するまでの混乱を描くもので、なかなか面白い。音楽も流麗で自然で、とても美しい。ただ、それだけで終わっている感がある。モーツァルトのオペラから、ぞっとするような美しいところをカットして、何でもないところをつなげたような感じとでもいうか。それなりには楽しめるが、「チマローザは素晴らしい」という気持ちにはならなかった。

 

チマローザ 「ロンドンのイタリア女」 20211030日、115日 フランクルト歌劇場

 もう一本、チマローザのオペラをみた。こちらは文句なしに楽しめた。まず、レオ・フセイン指揮のフランクフルト歌劇場管弦楽団のしなやかで生き生きとした音楽に惹かれる。モーツァルトに引けを取らない躍動感と美しさ。わくわくしてくる。R.B.シュラザーによる演出もシンプルだが、とてもおもしろい。舞台を現代(と言っても、20世紀末の雰囲気)にとって、ほとんど道具立てもないが、人物の動きと斬新なデザインだけで楽しませてくれる。

 歌手陣も素晴らしい。アレスピンのユーリ・サモイロフは伸びのある自然なバリトンの声がほれぼれするほど。ブリランテ夫人のビアンカ・トニョッキはまさに芸達者で、声も張りがあってとてもいい。スメルスのテオ・レボウ、ドン・ポリドーロのゴードン・ビントナーも軽妙な演技としっかりした声で文句なし。ヒロインのリヴィアを歌うアンジェラ・ヴァローネは、容姿はハリウッド女優並みの美しさだが、歌の方はほかの歌手陣よりも少し劣る気がする。ちょっと歌が堅い。だが、音程の良い清楚な声はとてもこの役にふさわしい。まだ若いので、きっとこれからぐんぐんと力をつけてくるのだろう思う。

 このオペラはなかなかの傑作だと思う。「チマローザのオペラはおもしろい」と心底思った。

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井上&服部&N響のショスタコーヴィチ 妖精の縦横無尽の舞い

 6月29日、サントリーホールでNHK交響楽団演奏会を聴いた。指揮は井上道義。曲目は服部百音のソロが加わって、ショスタコーヴィチのヴァイオリン第1番と第2番、そして、それに挟まれるようにしてロッシーニの「ブルスキーノ氏」序曲。

 服部のヴァイオリンは表情豊かでうねりがあり、繊細で妖艶さがあり、しかも生き生きとして溌剌。超絶技巧をやすやすとこなし、ショスタコーヴィチ特有の激しい情熱を見事に作り出していく。ロマンティックな要素と激情的な要素がうまく入り混じって、不思議な魅力を作り出す。異世界から妖精が飛び出して、自分の思いをさらけ出して縦横無尽に踊りまくっているかのよう。素晴らしいと思った。音楽に酔った。

 ただ、私としては音の小ささが気になる。素晴らしい演奏なのだが、しばしばオーケストラにかき消される。これまで私の聴いてきた録音や実演はもっともっとヴァイオリンの音が大きく、もっとスケールが大きく、もっと激情的だった。ところが服部の演奏は、繊細なのはいいのだが、音が小さいために爆発力がない。これは惜しいと思った。

 井上の指揮は、ショスタコーヴィチの不気味でエネルギッシュで一筋縄ではいかない世界を作り出して、見事。N響(コンサートマスターは、マロこと篠崎さん)も濁らない鮮烈な音で見事に指揮に答えている。

 ショスタコーヴィチはロッシーニを愛し、自作の中でしばしばロッシーニを引用したり、オマージュと言えるようなメロディを作り出したりしている。そのために、今回、「ブルスキーノ氏」序曲を曲目に選んだのだろう。これは弓で弦楽器の板の部分をたたく奏法を多用している曲だが、その奏法を強調して演奏。ロッシーニとしては、かなりいびつでででこぼこした演奏になっていた。が、きっと井上はショスタコーヴィチの聴いたロッシーニを再現したかったのだろう。まさにショスタコーヴィチ風のロッシーニ。

 井上道義は今年限りで指揮をやめると宣言している。残念なことだ。繊細でありながらも大胆で奇怪。時に激しい爆発を聴かせてくれる。こんな魅力的な音楽を作り出してくれる指揮者は唯一無二だ。まだ余力があるのにやめるとすると、こんな残念なことはない。

「指揮者をやめるって言ったのは冗談だよ。君たち、真に受けてたの?」と言って臆面もなく指揮を続けてくれたらうれしいと、今日聴いたほとんどに人は思ったに違いない。

 

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英国ロイヤル・オペラ・ハウス来日公演「リゴレット」  デュピュイ、シエラ、カマレナ凄い!

 2024年6月25日、神奈川県民ホールで英国ロイヤル・オペラハウス来日公演「リゴレット」をみた。今日はマチネということで、ほかの日よりも3割引きほどの料金だった。円安の影響で外来演奏家のコンサートのチケットの高騰に苦しんでいるので、このような配慮はありがたい。

 指揮はアントニオ・パッパーノ、演出はオリヴァー・ミアーズ。この演出による上演は映像で見た記憶があるが、もちろん実演をみるのは初めて。さすがに素晴らしい。堪能した。

 パッパーノの実演を聴くのも、バイロイトでの「ローエングリン」以来かもしれない。切れの良い躍動感ある演奏。瞬発力があるので、ここぞというところでツボを外さない。オーケストラも精妙な音を出す。

 三人の主役の歌手がなんといっても圧倒的。とりわけタイトル・ロールのエティエンヌ・デュピュイには驚嘆した。リゴレット役としてはちょっと声が高貴すぎる気がするが、こんなリゴレットもあっていいだろう。娘を思う父親の心、そして復讐心、いずれもとても格調高く歌いあげた。ジルダのネイディーン・シエラもスケールの大きな声と演技。高音が清純で美しい。これまで何本かの映像を見て素晴らしいと思ってきたが、今回初めて実演を聴いて凄さを実感。マントヴァ公爵のハヴィエル・カマレナも、姿かたちは「アポロンのよう」には見えないが、声は文句なし。輝かしくて張りがあって、侯爵にふさわしい。今、この役を歌うとしたら、この三人しか考えられないほど。

 そのほか、マッダレーナのアンヌ・マリー・スタンリーも色気のある容姿と演技もさることながら、声もとてもよかった。四重唱はとりわけ素晴らしかった。それ以外の歌手陣もぞろっている。スパラフチーレのアレクサンデル・コペツィは、声の迫力ももちろん、まさに殺し屋の風格。合唱も見事。

 演出はかなり穏当だった。特に新しい解釈はないと思う。第一幕はティツィアーノのヴィーナス(だと思う)が後ろに大きく掲げられていた。その意図がよくわからなかった。

 しかし、復讐や呪いを表に出して生々しい人間ドラマを見せつけるというよりは、もっと抽象化して普遍的な人間の姿を見せてくれるような演奏と演出だった。ヴィーナスのそのような演出意図を示していたのかもしれない。

 

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コバケン&ブダペスト響のチャイコフスキーに圧倒させられた!

 2024年6月24日、武蔵野市民文化会館で、ハンガリー・ブダペスト交響楽団の演奏を聴いた。指揮は、かつてこのオーケストラを指揮してブダペスト指揮者コンクールに優勝して世界に知られるようになった小林研一郎。曲目は、優勝時のコンクール曲だったというロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲と、亀井聖矢が加わってのリストのピアノ協奏曲第1番、後半にチャイコフスキーの交響曲第5番。マエストロがマイクを手にして、コンクールの出来事を話してから演奏に入った。

 全体的にはオーケストラの精度はあまり高くないと思う。アンサンブルはちょっと雑な気がする。だが、弦がとてもきれいで、まとまるときにはしっかりとまとまる。味のある魅力的なオーケストラだと思った。

「セヴィリアの理髪師」はわりとふつうの演奏だったが、最後ではさすがの盛り上がり。まさに「コバケン節」。リストの協奏曲は、指揮とピアノの亀井との音楽性の違いを強く感じた。亀井はかなり理性的な演奏を好むピアニストのようだ。バンバンと情熱的に弾くというよりは緻密に組み立てて繊細に演奏しようとしている。ちょっと緊張気味なのか、前半不発に思えた。が、徐々に調子が出てきて、第3楽章は盛り上がった。ただ、私としてはもっと自在に演奏してもよいのではないかと思った。指揮が自由なのに対して、ピアノは窮屈な感じがしてしまった。

 ソリストのアンコールは「ラ・カンパネッラ」。大向こうをうならせるというタイプではなく、知的に構築して繊細に音楽を展開して、最後に盛り上げようという演奏。説得力のある解釈だと思う。ただ、やはり、もう少し自在に弾いてもいいのではないかという感想を抱いた。まだ若いせいか、遠慮がちな気がした。

 後半のチャイコフスキーについては、まさにコバケン健在を示すものだった。第三楽章までは、この指揮者にしては抑え気味。おや、さすがの炎のコバケンもちょっとお年を召してしまったかな? と思ったが、第四楽章の途中、ティンパニの連打を合図にしたように白熱した演奏になった。オーケストラのちょっとした乱れなど何のその、ものすごいエネルギーで押しまくり、観客を興奮に導く。私の好きなタイプの演奏ではないのだが、やはりこれほどの熱演を聴くと心の底から感動する。チャイコフスキーの世界が爆発し、陰鬱な世界から最後には解放され、華々しいファンファーレになる。その盛り上がりはすさじかった。

 アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番。コバケンさんのトークが入り、初めにノーマルな演奏を少しだけ示してから、「私は日本人なので、日本人的に演奏したい。コバケン流のハンガリー舞曲」とのことで演奏が始まった。実は私は、ノーマルなほうがずっと好みだ。コバケン流の演奏は、情がこもりすぎて、まさに演歌的。が、これも、ここまで情熱的に演奏されると納得してしまう。コバケンの熱意というか、魂というのか、そのようなものに感動する。やはり小林研一郎は唯一無二の指揮者だと納得して聴いた。

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山形交響楽団さくらんぼコンサート ブラームスの二重協奏曲に感動

 20240620日、東京オペラシティコンサートホールで山形交響楽団のコンサート(さくらんぼコンサート)を聴いた。山形交響楽団の評判はずっと前から聞いていたが、実際の演奏を聴くのは初めて。評判通りの演奏だった。指揮は阪哲朗。

 曲目は、前半にモーツァルトの「魔笛」序曲とミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」K.317、後半にニキシュの「ファンタジー(オペラ 「ゼッキンゲンのトランペット吹き」 のモチーフによる)」とブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲。

 まず「魔笛」序曲のオーケストラの精度に驚いた。金管を中心に時代的な楽器が含まれているようで、独特の音がする。そして、勢いのある生き生きとした音。阪の指揮も爽快で、しかも構成感が見事。自然に音楽が流れ、ここぞというときにしっかりと楽器が鳴る。モーツァルト特有の美しい旋律と「魔笛」らしい不思議な雰囲気がぴたりと重なり合っている。素晴らしかった。

 ただ、次の「戴冠式ミサ曲」は、私はあまり感動できなかった。合唱団は山響アマデウスコア。山形から大挙してやってきたとのことだが、音量に頼りすぎる気がした。ずっと大声で歌っているために、合唱が一本調子になり、どの部分も元気に歌っているだけの音楽になってしまっていた。しかも、耳を澄ますとなんだかきれいにハモっていない。悪く言うと、精度の低さを物量で補っている感がある。きっと阪も合唱団の力量をわかったうえでこのような音楽の運びにしたのだろうが、私は少し退屈してしまった。

 とはいえ、四人の独唱者(7ソプラノ:老田裕子、アルト:在原泉、テノール:鏡貴之、バリトン:井上雅人)はとても良かった。とりわけソプラノの老田は音程の良い澄んだ声で素晴らしかった。

 後半のニキシュの曲は、私には面白くなかった。はっきり言って、「つまらない曲」だと思った。ニキシュの名前は、もちろん指揮者としてずっと昔からよく知っているが、少なくともこの曲で判断する限り、私には作曲家としての才能は感じられない。卑俗で他愛のないメロディ、あまりに単純なオーケストレーション! 

 最後のブラームスの二重協奏曲には感動した。私は高校生の頃からこの曲がかなり好きなのだが、めったに演奏されない。演奏されても、あまり感動することがなかった。ところが、今日の演奏は見事。まずヴァイオリンの辻彩奈とチェロの上野通明の息がぴたりと合っている。お互いに補い合い、重なり合い、協力して音楽を進めていく。親友だったヴァイオリニストのヨアヒムと仲たがいして、それを修復するためにブラームスが、交響曲として作曲中だったこの曲を、急遽、二人の友情を示すようなヴァイオリンとチェロの二重協奏曲に改めたといわれているが、それが良くわかる演奏だった。阪の指揮も見事。ブラームスらしい、厚みのある、そしてきわめて構成のしっかりした音楽が作り出されていく。緊密に構築され、のびやかであたたかい。この曲は、もうそれだけで十分に名演奏になる。ここでも、山形交響楽団の音はとても美しい。「魔笛」ほどには精度が高くなかったが、それでも見事に盛り上げた。

 ソリストのアンコールは「魔笛」のパパゲーノのアリアのヴァイオリンとチェロの二重奏。誰の編曲だか知らないが、ヴァイオリンとチェロが見事にパパゲーノのアリアを作り出した。とても楽しかった。

 さくらんぼコンサートとのことで、配布されたプログラムに当たりの券がついていたらさくらんぼをもらえることになっていたようだが、私はハズレだった。10人に一人の割合で当たったらしい。残念! 会場で山形物産展のようなことも行われていた。このようなローカル色あふれるコンサートもとてもいい。

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芸劇ブランチコンサート ドヴォルザークのピアノ四重奏曲を楽しんだ

 2024619日、東京芸術劇場でブランチコンサートを聴いた。出演は、郷古廉(ヴァイオリン)、佐々木亮(ビオラ)、向山佳絵子(チェロ)、清水和音(ピアノ)。曲目は、モーツァルトのピアノ四重奏曲第2番K493とドヴォルザークのピアノ四重奏曲第2番変ホ長調。

 モーツァルトのほうは、私はあまり惹かれなかった。忙しい演奏者たちなので、もしかしたらあまり合わせる時間が取れなかったのでないかと思った。それぞれの奏者の技量はしっかりしているのだが、何をしたいのかよくわからない。清水のピアノがリードするが、ほかのメンバーがそれに納得しているように聞こえない。簡単に言うと、あまり味のない演奏だった。

 後半のドヴォルザークはとてもよかった。私がこの曲の実演を聴くのはこれが初めて。おそらく録音でも数えるほどしか聴いたことがない。が、こうして聴くと、やはりとても良い曲。四人の演奏も素晴らしい。郷古の研ぎ澄まされ、くっきりした美音、佐々木の静かに歌う音、向山のしっとりとして芯の強い音(ただ、もしかしたら、私の席のせいかもしれないが、チェロの音がほかの楽器よりも聞き取りにくかった)、清水の推進力のある美音。それらが相まって、ドヴォルザークの世界を作り上げた。トークで清水が語る通り、この曲は第2楽章がとても美しい。叙情的に、そしてきわめて精緻に演奏。終楽章も楽器が緻密に絡み合って大きく盛り上がった。

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エルサレムSQ&小菅優のドヴォルジャークに興奮

 2024614日、サントリーホール、ブルーローズでサントリーホール・チェンバーミュージックガーデン、エルサレム弦楽四重奏団を中心とする演奏を聴いた。曲目は前半にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番とベン゠ハイムの弦楽四重奏曲第1番、後半にピアノの小菅優が加わって、ドヴォルジャーク(私は、ふだんはドヴォルザークという表記を用いるのだが、プログラムにならってここではこのような表記にする)のピアノ五重奏曲第2番。素晴らしかった! とりわけ、ドヴォルジャークは素晴らしかった。興奮した。まだ興奮している。

 まず、エルサレム弦楽四重奏団が素晴らしい。完璧なアンサンブルで、しかも一人一人のテクニックも見事。きっと第一ヴァイオリンのアレクサンダー・パヴロフスキーがリードしているのだろう、緊張感にあふれ、構成感のしっかりした音楽が作られていく。メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番は、ややもすると平板になったり、あるいは逆に情緒的になったりするところを、強い音で深い思いをえぐりながらも、構成が崩れないので、ベートーヴェンの中期作品にも迫る説得力を持っている。第一ヴァイオリンの音色が言葉を失うほどに美しい。すべての音が生きており、ぐいぐいと推進していく。しかも、ホモフォニックではなく、ポリフォニックな演奏だといえるだろう。主旋律を強調するのでなく、すべての楽器が同等に絡み合う。メンデルスゾーンはバッハを研究していたことを思い出すような演奏だった。

 ベン゠ハイムという作曲家の曲を初めて聴いたが、これもなかなかおもしろかった。19世紀末に生まれ、1984年に亡くなったユダヤ人作曲家とのこと。「ユダヤ的」と言ってよいのかどうかわからないが、「泣き」というのか、「怨念」というのか、そのような思いがあふれ出るような部分があった。私の好みではないが、それはそれでおもしろい。

 後半のドヴォルジャークがあまりに素晴らしかった。この曲は私の好きな曲なのだが、こんな名演は実演でも録音でも聴いたことがない! 

 美しく、心ひそかに思いにふけるような音楽だと思って、これまで好んで聴いていたが、「そうか、こんな曲だったのか!」と初めて思い当たった。痛々しいまでに激しい思いのこもった音楽だった! 小菅優のピアノが激しく、強く、痛々しく、あらんかぎりの感情を音にする。しなやかでありながらも芯の強い音。一つ一つの音も本当に美しい。弦楽四重奏も小菅のピアノに負けずに、一つ一つの楽器が、この曲でもポリフォニックに響いて、重層的な音楽を作り上げる。

 第一楽章はまさに痛々しさを引きずりながら心の奥をえぐり、ロマンティックな思いを抱きながらあがいているかのような演奏。第2楽章はもっと甘美になり、苦しい思いの中で憧れを追い求める。第3楽章で快活になり、最終楽章で歓びが爆発する。わくわくした思いがあふれ出す。私は第1・2楽章ではともに泣きたい気持ちになり、第3楽章では一緒に踊りたい気持ちになり、最終楽章では喜びに叫び出したい気持ちになった。

 アンコールはショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲のスケルツォ(ヴィオラのオリ・カムが日本語で紹介!)。これも、躍動感にあふれ、ショスタコーヴィチらしい諧謔と韜晦にあふれた素晴らしい演奏!

 一昨日、ウェールズ弦楽四重奏団の、ベートーヴェンの「大フーガ」なのに微温的で、淡々と弾かれるばかりで何事も起こらない演奏にがっかりしたのだった(もちろん、もしかすると、通好みのウェールズ弦楽四重奏団の演奏を味わう耳を私が持っていないのかもしれないが)。今日は満足。満足どころか、これほど興奮したのは久しぶりだったような気がする。やっぱり音楽はこうでなくっちゃ。こんな演奏にときどき出会うから、コンサート通いはやめられない。

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ウェールズ弦楽四重奏団ベートーヴェンチクルス 私の最も嫌いなタイプの演奏だった!

 2024612日、サントリーホールブルーローズで、サントリーホール・チェンバーミュージックガーデン、ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の2日目を聴いた。演奏はウェールズ弦楽四重奏団。曲目は前半に第6番、後半に第13番大フーガ付き。

 以前、この団体の演奏を聴いてかなり退屈した記憶がある。だから今回も実はあまり期待してはいなかった。とはいえ、毎年、サントリーホール・チェンバーミュージックガーデンでは目覚ましいベートーヴェンの弦楽四重奏曲が演奏される。今回は全曲すべてを聴くのは見送ったが、もしかしたらと思って、2日目に出かけたのだった。が、やはり私の最も嫌いなタイプの演奏だった。

 最初から最後まで、ゆっくりと丁寧に、静かに平和に穏やかに演奏される。意図的にスケールを小さくした音楽。繊細に演奏しようとしているのだろう。どの楽章も、第13番の「カヴァティーナ」のような雰囲気。ピアニシモを強調し、ここぞというところではテンポをぐっと落として、かすかに聞こえるような繊細な音にする。フレーズとフレーズの対比なども強調せず、激しい表現と静かな表現の対比も示さない。きっと、「今のベートーヴェン演奏は大袈裟にしすぎている。もっと楽譜通りに演奏しよう」という主張なのだろうと思う。

 しかし、こうすると、一本調子になると私は思う。楽章と楽章の差もはっきりしない。ずっと静か。ベートーヴェンらしい荒々しさはまったくない。一本調子なので、何らかのメッセージも伝わらない。しかも、しばしばテンポを落とすので、形が崩れて構築性が弱まる。きわめて柔和でおとなしくて、情緒的な演奏。ベートーヴェンらしい激しい主張がなく、晩年に到達した境地も示されない。先日、クララ・シューマンの曲を聴いたが、今日もまるでクララ・シューマンを聴いたような気になった。第6番がそんな調子だったが、さすがに13番はもっとベートーヴェン的だろうと思ったのだったが、こちらも大差なかった。ただ、確かにカヴァティーナだけはとてもよかった。

 このような演奏をすることにどのような意味があるのだろうか。このメンバーはどのような主張をしようとしているのだろうか。疑問だらけだった。きっと、それなりの主張があり、それに賛同される方も多いのだとは思うが、私は退屈でたまらなかった。

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ダネルSQのヴァインベルクの四重奏にびっくり!

  2024610日、サントリーホールブルーローズで、サントリーホールチェンバーミュージックガーデン、ダネル弦楽四重奏団を中心とするコンサートを聴いた。曲目は、前半にプロコフィエフの弦楽四重奏曲第2番とヴァインベルクの弦楽四重奏曲第6番ホ短調、後半にピアノの外山啓介が加わってショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲ト短調。私にはあまりなじみのない曲ばかりのコンサート。以前、ダネル弦楽四重奏団の演奏を聴いて圧倒された記憶があったので、ともあれチケットを購入したが、私に楽しめるかどうか、ちょっと心配して会場に出かけた。

 まず、ダネル弦楽四重奏団のあまりに超絶技巧のエネルギッシュな演奏に圧倒された。これらの難曲をものすごい速度で、しかも正確に、からだ全体を使った凄いエネルギーで弾きまくる。曲もすごいが演奏もすごい。プロコフィエフの曲は、第二次世界大戦のさなか、コーカサス地方に疎開していた時に作曲したとのこと。なるほど、民俗舞曲風で、全体が激しいリズムにあふれている。まさしく太鼓の音や足音が聞こえてきそう。プロコフィエフらしい躍動感にあふれる音楽だった。

 ヴァインベルクのこの曲は初めて聴いた。ショスタコーヴィチを意識しているのだろう、まさにショスタコーヴィチ風。ショスタコーヴィチの激しい部分だけを取り出してつなげたような雰囲気。息もつかせぬような激しい感情が吹き荒れ、楽器は躍動し、楽器同士が絶妙に重なり合い、つなぎあって嵐のような雰囲気をつくる。曲もすごいが、これをものすごいエネルギーで正確に演奏する四人はあまりにすごい(ヴァイオリン:マルク・ダネル/ジル・ミレ、ヴィオラ:ヴラッド・ボグダナス、チェロ:ヨヴァン・マルコヴィッチ)。いわゆる現代曲をあまり聴かない私は、ただ圧倒されて聴くばかりだった。

 後半にショスタコーヴィチ本人の曲だと疲れると思ったが、後半のピアノ五重奏曲は、肩の力を抜いた曲だったので、ともあれ安心した。とはいえ、なんといってもショスタコーヴィチなので、一筋縄ではいかない。感情が入り組み音楽が入り組み、明るさと絶望感のようなものが入り混じっている。が、深刻にならないので救いがある。

 とても楽しめた。第3楽章のスケルツォはとてもおもしろかった。特にショスタコーヴィチ・ファンというわけではない私も、この曲は何度か聴いた記憶はあり、特にこのスケルツォは印象に残っていた。この人らしい魅力的なスケルツォ。それを5人は見事に演奏。アンコールでもこの部分を演奏。

 私にはなじみの薄い曲のコンサートだったが、ダネル弦楽四重奏団の演奏のおかげで存分に楽しませてもらった。

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ヴォーチェ弦楽四重奏団&波多野のドビュッシーが素晴らしかった

  202467日、サントリーホールブルーローズでチェンバーミュージック・ガーデンの一環で、ヴォーチェ弦楽四重奏団を中心としたコンサートを聴いた。ただし、ヴァイオリンのサラ・ダイヤンが体調不良とのことで、代わりに、コンスタンス・ロンザッティ(元ディオティマ弦楽四重奏団)が演奏。チェロ奏者も変更になっていた。

 曲目は、前半にドビュッシーの弦楽四重奏曲ト短調と現代作曲家バルメール(会場に来ておられた)の「風に舞う断片」、後半にメゾ・ソプラノの波多野睦美が加わってドビュッシー作曲(バルメール 編曲)の「抒情的散文」の3曲とラヴェルの弦楽四重奏曲。

 素晴らしい演奏だった。ドビュッシーの弦楽四重奏曲は、先日、戸田弥生さんを第一ヴァイオリンとするメンバーで名演奏を聴いたばかりだったが、まったく趣の異なる演奏だった。戸田さんらの演奏は劇的な魂の動きを描き出し、情熱的に燃え上がっていたが、今回の演奏はあくまでもフランス的で、重くならない。激しく盛り上がるというわけでもない。そうでありながら、緊張感にあふれ、深い思いにあふれている。戸田さんが第一ヴァイオリンを務める演奏と同じように第3楽章が緊張感にあふれていたが、しかし、こちらはここでもずっとしなやかで柔らかい音。うーん、なるほどこれがフランス的演奏か!

 バルメールの曲は、弦をこする音がまさに風を描くかのよう。あちこちに風が舞い、木々が反響し、人の心が舞うような音楽。おもしろく聴くことができた。

 波多野がくわわってのドビュッシーの歌曲も素晴らしかった。この歌曲集は、ピアノ伴奏では何度か聴いたことがあったが、もちろん弦楽四重奏ヴァージョンは初めて。弦楽器だけなのにとても色彩的。それにしても波多野の発音が美しい。私にわかる限り完璧なフランス語で、ヴィブラートの少ない澄んだ声で音程正しく歌う。細かいところまで神経が行き届いており、言葉の美しさがそのまま伝わる。言葉の内容も深く理解しているのを強く感じる。素晴らしい歌だと思った。

 最後はラヴェルの弦楽四重奏曲。ただ、実は第2楽章までは素晴らしいと思って聴いていたのだが、後半、少し緊張感が途切れたように感じた。ドビュッシーほどには感動しなかった。もしかしたら、私の方がちょっとついていけなくなっただけかもしれないが。最後の盛り上がりに欠けたような気がした。

 とはいえ、いかにもフランス的な弦楽四重奏団の演奏を聴くことができて、とてもよかった。大変満足。

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葵トリオ スメタナのピアノ三重奏曲に圧倒された!

 202466日、サントリーホール ブルーローズでサントリーホール・チェンバーミュージックガーデン、葵トリオによるコンサートを聴いた。曲目は、前半にベートーヴェンのピアノ三重奏曲第4番「街の歌」とフォーレのピアノ三重奏曲ニ短調、後半にスメタナのピアノ三重奏曲ト短調。世界の第一線のピアノ三重奏団だということをはっきりと示してくれる名演奏だった。

 スケールが大きくくっきりとして勢いのある演奏。3人の個性がうまく釣り合っている。大きな身振りでロマンティックに演奏する小川響子のヴァイオリン、エネルギッシュで推進力のある秋元孝介のピアノ、しなやかで理性的な伊東裕のチェロ。その三つの楽器が相乗効果で最高の音楽を作り出す。

 ベートーヴェンの「街の歌」では活気あふれる気分がすばらしかった。フォーレのトリオでは特に第2楽章で小川のヴァイオリンが大きくうねってひたひたとした感情の高まりを描き出した。圧巻はスメタナのトリオだった。

 スメタナについては、「モルダウ」を聴いてつまらないと思い、「わが祖国」全曲を聴いて退屈だと思い、「売られた花嫁」の映像を見てまずまずと思ってきた。これまでスメタナの音楽を本気で聴いたことがなかった。先日のラ・フォル・ジュルネで初めてピアノ三重奏曲を聞いてびっくり。力感にあふれ、ロマンティックで劇的な名曲ではないか。グリーグのピアノ協奏曲のような雰囲気があって、ちょっと大袈裟すぎる気がしないでもないが、ともあれ引き込む力を持っている。これまでスメタナを軽視してきた自分を恥じた。

 小川のヴァイオリンの牽引力がすさまじい。スケール大きく、ロマンティックに音楽に作っていく。それを秋元のピアノや伊東のチェロが支えて、まったく形が崩れることがない。強い情念にあふれ、しかし、決して感情におぼれずに音楽が構築されていく。素晴らしかった。

 アンコールはマルチヌーのピアノ三重奏曲第1番の第2楽章とラヴェルのピアノ三重奏曲の第2楽章。マルチヌーについては、初めて聴く曲で戸惑うばかりだったが、ラヴェルのほうはまさに名演。

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堤&小山のベートーヴェン  音楽が息をしている!

 202464日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、堤剛&小山実稚恵のベートーヴェンの作品選の2日目を聴いた、曲目はチェロ・ソナタ第4番、モーツァルトの『魔笛』より「恋人か女房か」による12の変奏曲、そして、チェロ・ソナタ第5番。

 小山さんとの共演が阿吽の呼吸であることを伝える堤さんの簡単なトークで始まった。ベートーヴェンの前期のチェロ作品を演奏した61日の演奏は本当に素晴らしかった。そして、今回も素晴らしかった。ただ、13時開始のせいか、第4番のはじめのうちはちょっと集中力が欠ける気がした。しかし、だんだんと熱が入って来て、第2楽章からは二人の息がぴたりと合って、初日の後半と同じようにいぶし銀の素晴らしい演奏が繰り広げられた。

 ソナタの間に演奏された「魔笛」の変奏曲もとてもチャーミングでよかった。ソナタでは味わえないような、そして、ベートーヴェン本人の作品では垣間見ることのできないような、屈託のない音楽。お二人の演奏も、そのようなベートーヴェンの境地を見事に描きでしていた。

 第5番のソナタもとても良い演奏だった。まさに晩年のベートーヴェンの境地。最終楽章のフーガはまるでジャズのように響き、そこに自由な高みが見えてくる。若い演奏家たちのようにシャカリキになるのではなく、まさに自然体の自由さ。音と音が自然に絡み合い、高みに上っていく。まさに阿吽の呼吸を楽しんでいる。音楽が息をしている!

 アンコールは、前回に続いて三善晃の歌曲。しっとりしてとてもよかった。

 先日、書いた通り、私のコンサート通いの出発点だった堤剛のベートーヴェンの全ソナタ演奏を聴くことができて、とても幸せだった。

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オペラ映像「ラインの黄金」「ワルキューレ」「こうもり」「ドン・カルロ」

 オペラ映像を数本見たので、簡単に感想を記す。

 ワーグナー 「ラインの黄金」202210月 ベルリン国立歌劇場

 バレンボイムが振る予定だったが、体調不良のためにティーレマンに代わったベルリン国立歌劇場の「ニーベルングの指環」チクルス。

 演奏は素晴らしい。まずティーレマンが圧倒的。緻密で力感にあふれており、ドラマティックに音楽が進んでいく。歌手陣もすべてが充実している。やはり、ヴォータンのミヒャエル・フォッレが予想通り見事な歌いっぷり。余裕があり、凄味がある。ヴォータンらしい気品はあまり感じられないが、それは演出のせいだろう。アルベリヒのヨハンネス・マルティン・クレーンツェルもとても深みのある歌。演技もみごと。ローゲを歌うのはなんとロランド・ヴィラゾン。かつての輝きのある声は失われているが、ローゲを歌うのにはぴったり。ミーメのステファン・リューガメーア、ファーゾルトのミカ・カレス、ファーフナーのペーター・ローゼ、フリッカのクラウディア・マーンケ、いずれもまったく文句なし。

 ただ、やはりディミトリ・チェルニャコフの読み替え演出が最大の問題だろう。どうやら、舞台はなにかの研究所らしい。ヴォータンは研究所長で、ワルハラという新しい研究所を建設したという設定らしい。神々は研究所の研究員。アルベリヒはここで脳波を試験されている妄想癖のある人間。ラインの娘たちは研究所の助手。ラインの黄金などはすべてアルベリヒの妄想でしかないようで、実際には舞台上に現れない。

 巨人たちは研究所建設にかかわったガラの悪い建設会社のボス、ニーベルングの国は研究所の地下にあり、その住人である小人たちは、コンピュータ機器を製造する作業員たち。アルベリヒが大蛇になったりカエルになったりするのも、巨人たちがフライアの前に黄金を積み重ねるのも、すべて妄想とみなされて、舞台上ではそのようなことは一切起こらない。要するに、神話的要素は徹底的に排除されている。どうやら、研究所ですべてが起こり、神々=研究所員たちが、建設会社(=巨人族)や下請けの作業員(小人族)を従え、妄想にかられた巨人族や小人たちを飼いならしている。そんな物語が展開される。

 それなりに辻褄は合っているが、それにしても、これでは話の改変以外のなにものでもない! とても残念。

 

ワーグナー 「ワルキューレ」 202210月 ベルリン国立歌劇場

「ラインの黄金」の続き。実は、注文の関係上、「ワルキューレ」が先に届いたので、こちらからみたのだった。後で「ラインの黄金」をみて、いくらかつながりは理解できた。

 演奏面では、こちらも指揮のティーレマンが素晴らしい。伝統的で重厚だが、メリハリがあり緻密で躍動的。申し分ない。歌手陣については、ウォータンのミヒャエル・フォッレとブリュンヒルデのアニヤ・カンペが圧倒的。二人とも凄いエネルギーで声量豊かに美しい芯のある声で歌う。演技の面でもまったく不満はない。この二人は本当にすごい歌手だ。カンペは容姿も含めてこの役にふさわしい。

 フリッカのクラウディア・マーンケもふてぶてしくも魅力あふれる熟女を見事に歌っている。フリッカがまさに息づいている! ジークムントのロバート・ワトソンは声に輝きがなく、低音の音程もかなり怪しい。なぜこの人が抜擢されたのか疑問に思う。

 ジークリンデのヴィダ・ミクネヴィチウテは歌についてはとてもいいが、最後、少しコントロールが甘くなったような気がする。演出意図だと思うが、情緒不安定でエクセントリックなジークリンデという設定らしく、可憐なジークリンデを見慣れている私からすると、ちょっと感情移入しづらい。フンディンクのミカ・カレスは悪くないが、印象が薄い。

 ディミトリ・チェルニャコフの演出は神話性を完璧に排除している。ジークムントはどうやら脱走犯、フンディンクは警官という設定。第二幕は「ラインの黄金」で舞台となった研究所のウサギの飼育実験場が舞台。第三幕は研究所内の講堂なのだろうか。ブリュンヒルデは火に包まれず、したがってもちろん炎の中に横たわることもない。ヴォータンとブリュンヒルデはローゲの出現、火の出現を期待するが、それは現れず、二人はあきらめてブリュンヒルデは離れていく。はてさて、この後「ジークフリート」でどのように話が展開するのか。ともかく最後まで見てみないと演出意図はわからない。

 それにしても、ここまでストーリーを変えると、ワーグナーの楽劇ではなくなってしまうと思うのだが・・・。

 

ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇「こうもり」 2023年12月28・31日 バイエルン国立歌劇場 (NHK/BSで放送)

 豪華絢爛な舞台。とても楽しい上演だった。演出はバリー・コスキー、指揮はウラディーミル・ユロフスキ。かなり快速の、ちょっとガサツなオーケストラ。ただ、これはこれで活気があっていい。

 ロザリンデのディアナ・ダムラウが予想通り、圧倒的な凄さ。「チャルダッシュ」などは躍動感にあふれていながらも、十分に喜劇的でおもしろい。アデーレのカタリナ・コンラディもしっかりした美声。素晴らしい。アイゼンシュタインのゲオルク・ニグル、ファルケのマルクス・ブリュックもとてもしっかり歌っている。オルロフスキー公を歌うカウンターテナーのアンドリュー・ワッツもこの役にふさわしい得体のしれない味を出してとてもいい。フランクのマルティン・ヴィンクラーの芸達者ぶりには驚く。アルフレートのショーン・パニカーは若い黒人歌手でとてもきれいな声だが、ちょっとこの屈折した役をするには歌がストレートすぎる。これから力を出してくる人だろう。

 第三幕前半はこれまで見た舞台とはかなり異なる。フロッシュのセリフがかなり異なり、見事なタップダンスを披露する。そのようなエンターテイナーなのだろうか。とはいえ、オペレッタで硬いことを言っても仕方がない。ともあれ、楽しい。それで十分。

 

ヴェルディ「ドン・カルロ」(1884年ミラノ4幕版) ミラノ・スカラ座 202312月7日

 NHK/BSで放送されたもの。スカラ座が総力を挙げた上演だと思う。大スターたちの共演。指揮はリッカルド・シャイー。演出はルイス・パスクワル。豪華絢爛で、時代的な要素をふんだんに取り入れ、ベラスケスの絵画をそのまま舞台に移したような雰囲気がある。そのためだろう、宮廷人の中に何人かの、芥川が「侏儒」と呼んでいる人が配されている。

 ミラノ4幕版とのことで、私がこれまで見てきたものとあちこちでつながり方が異なるが、シャイーがこの版を推しているらしい。それはそれでしっかりとまとまっている。

 歌手陣はきわめて高いレベルで充実。私がその中で図抜けていると思うのは、エボリ公女のエリーナ・ガランチャだった。役柄の迫力という点もあると思うが、強い声が素晴らしい。演技も見事。ネトレプコもさすがだが、年齢とともに声が重くなった(ワーグナーなどを歌うために意識的にそのようにしたのか?)せいか、かつてのようなエリザベッタらしい澄んでいながらも強い声が薄れたように思った。ドン・カルロのフランチェスコ・メーリ、ロドリーゴのルカ・サルシ、フィリッポニ世のミケーレ・ペルトゥージ、いずれも伝説の歌手たちに比べるとちょっと線が細いが、現在最高の歌手であることに間違いない。大審問官のパク・ジョンミンも凄味がある。

 全体的には素晴らしい上演で、それぞれの歌手の聞かせどころで大いなる感動を味わうことができた。

 それにしても、歌手陣、合唱隊の中にも東洋系が目立つ。とりわけ、韓国系の歌手に大活躍が目に付く。日本人歌手の活躍を期待しているのだが。

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堤剛&小山実稚恵 いぶし銀のベートーヴェン!

 202461日、サントリーホールブルーローズで、サントリーホールチェンバーミュージックガーデンの初日、オープニングコンサートを聴いた。出演は堤剛(チェロ)と小山実稚恵(ピアノ)。曲目はすべてベートーヴェン。前半にチェロ・ソナタ第1番と『ユダス・マカベウス』の主題による変奏曲とチェロ・ソナタ第2番、後半にモーツァルトの『魔笛』より「愛を感じる男の人たちには」による変奏曲とチェロ・ソナタ第3番。

 堤さんは80歳を超えている。さすがに指の動きは以前に比べると迅速ではなく見える。が、指がついて行かない部分も含めて、音楽としてまったく違和感がない。音程はしっかりしており、音楽の起伏が自然で、構成感があって、抑制されるつつも歌心がある。バリバリ弾かないところが一つの説得力となって、大人の音楽が繰り広げられていく。凄いと思った。一つ一つの音を念を押しながら先に進んでゆく丁寧な音楽。そこにしみじみとした味わいが生まれ、いぶし銀の光沢ができる。ひいき目でもなんでもない、バリバリ弾く演奏より、こちらの演奏のほうがずっといいではないか!

 小山さんのピアノも素晴らしかった。堤さんのテクニックを理解したうえで、その音楽性を生かしながら、しかも自分の音をしっかりと出しながらフォローしていく。ベテランにしか作り出すことのできない音楽だと思った。

 実は私には堤さんに大きな思い入れがある。

 私のコンサート歴の出発点は堤さんだ。小学生のころ、レコードを聴いてクラシック音楽に夢中になった私は、大分市の地域のデパートの小さなホールでのコンサートに母につれていってもらったことはあったが、それは地域の無名の音楽家の「発表会」に近いものだった。私が最初に本格的なコンサートを聴いたのは、1963年か64年、別府の国際観光会館でのNHK交響楽団の公演だった。私は小学生だったか、中学生だったか。大分県にプロのオーケストラがやってくるなど数年に一回しかない。私は親にねだって、隣の別府市まで父のオートバイに乗せてもらって出かけた。指揮は岩城宏之、曲目は前半にカバレフスキーの組曲「道化師」とドヴォルザークのチェロ協奏曲、後半にチャイコフスキーの「悲愴」。そのとき、チェロを弾いたのが、世界のいくつかのコンクールで上位入賞を果たしていた堤剛だった。

 その時の感動は今も忘れない。レコードでクラシックに夢中になっていたが、生のオーケストラは格別だった。その後、しばらく私は堤さんがチェロを弾く姿を真似たものだ。今でも、私のエアー・チェロの腕前は大したものだと思う。

 当時、堤さんは20歳そこそこ。あれから60年たって、今も素晴らしい音楽を聴かせてくれている。感慨を覚えずにはいられない。

 やはり、後半の第3番のソナタが圧倒的だった。しみじみとした演奏。衒いもなく、こけおどしもなく、音そのものを楽しみ、内面から自然の音楽が湧き出てくるかのよう。そうでありながら、まぎれもなくベートーヴェンの不屈の精神のようなものが聴こえてくる。

 涙が出そうになった。6月4日、残りのソナタが聴ける。楽しみだ。

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