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オペラ映像「ラインの黄金」「ワルキューレ」「こうもり」「ドン・カルロ」

 オペラ映像を数本見たので、簡単に感想を記す。

 ワーグナー 「ラインの黄金」202210月 ベルリン国立歌劇場

 バレンボイムが振る予定だったが、体調不良のためにティーレマンに代わったベルリン国立歌劇場の「ニーベルングの指環」チクルス。

 演奏は素晴らしい。まずティーレマンが圧倒的。緻密で力感にあふれており、ドラマティックに音楽が進んでいく。歌手陣もすべてが充実している。やはり、ヴォータンのミヒャエル・フォッレが予想通り見事な歌いっぷり。余裕があり、凄味がある。ヴォータンらしい気品はあまり感じられないが、それは演出のせいだろう。アルベリヒのヨハンネス・マルティン・クレーンツェルもとても深みのある歌。演技もみごと。ローゲを歌うのはなんとロランド・ヴィラゾン。かつての輝きのある声は失われているが、ローゲを歌うのにはぴったり。ミーメのステファン・リューガメーア、ファーゾルトのミカ・カレス、ファーフナーのペーター・ローゼ、フリッカのクラウディア・マーンケ、いずれもまったく文句なし。

 ただ、やはりディミトリ・チェルニャコフの読み替え演出が最大の問題だろう。どうやら、舞台はなにかの研究所らしい。ヴォータンは研究所長で、ワルハラという新しい研究所を建設したという設定らしい。神々は研究所の研究員。アルベリヒはここで脳波を試験されている妄想癖のある人間。ラインの娘たちは研究所の助手。ラインの黄金などはすべてアルベリヒの妄想でしかないようで、実際には舞台上に現れない。

 巨人たちは研究所建設にかかわったガラの悪い建設会社のボス、ニーベルングの国は研究所の地下にあり、その住人である小人たちは、コンピュータ機器を製造する作業員たち。アルベリヒが大蛇になったりカエルになったりするのも、巨人たちがフライアの前に黄金を積み重ねるのも、すべて妄想とみなされて、舞台上ではそのようなことは一切起こらない。要するに、神話的要素は徹底的に排除されている。どうやら、研究所ですべてが起こり、神々=研究所員たちが、建設会社(=巨人族)や下請けの作業員(小人族)を従え、妄想にかられた巨人族や小人たちを飼いならしている。そんな物語が展開される。

 それなりに辻褄は合っているが、それにしても、これでは話の改変以外のなにものでもない! とても残念。

 

ワーグナー 「ワルキューレ」 202210月 ベルリン国立歌劇場

「ラインの黄金」の続き。実は、注文の関係上、「ワルキューレ」が先に届いたので、こちらからみたのだった。後で「ラインの黄金」をみて、いくらかつながりは理解できた。

 演奏面では、こちらも指揮のティーレマンが素晴らしい。伝統的で重厚だが、メリハリがあり緻密で躍動的。申し分ない。歌手陣については、ウォータンのミヒャエル・フォッレとブリュンヒルデのアニヤ・カンペが圧倒的。二人とも凄いエネルギーで声量豊かに美しい芯のある声で歌う。演技の面でもまったく不満はない。この二人は本当にすごい歌手だ。カンペは容姿も含めてこの役にふさわしい。

 フリッカのクラウディア・マーンケもふてぶてしくも魅力あふれる熟女を見事に歌っている。フリッカがまさに息づいている! ジークムントのロバート・ワトソンは声に輝きがなく、低音の音程もかなり怪しい。なぜこの人が抜擢されたのか疑問に思う。

 ジークリンデのヴィダ・ミクネヴィチウテは歌についてはとてもいいが、最後、少しコントロールが甘くなったような気がする。演出意図だと思うが、情緒不安定でエクセントリックなジークリンデという設定らしく、可憐なジークリンデを見慣れている私からすると、ちょっと感情移入しづらい。フンディンクのミカ・カレスは悪くないが、印象が薄い。

 ディミトリ・チェルニャコフの演出は神話性を完璧に排除している。ジークムントはどうやら脱走犯、フンディンクは警官という設定。第二幕は「ラインの黄金」で舞台となった研究所のウサギの飼育実験場が舞台。第三幕は研究所内の講堂なのだろうか。ブリュンヒルデは火に包まれず、したがってもちろん炎の中に横たわることもない。ヴォータンとブリュンヒルデはローゲの出現、火の出現を期待するが、それは現れず、二人はあきらめてブリュンヒルデは離れていく。はてさて、この後「ジークフリート」でどのように話が展開するのか。ともかく最後まで見てみないと演出意図はわからない。

 それにしても、ここまでストーリーを変えると、ワーグナーの楽劇ではなくなってしまうと思うのだが・・・。

 

ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇「こうもり」 2023年12月28・31日 バイエルン国立歌劇場 (NHK/BSで放送)

 豪華絢爛な舞台。とても楽しい上演だった。演出はバリー・コスキー、指揮はウラディーミル・ユロフスキ。かなり快速の、ちょっとガサツなオーケストラ。ただ、これはこれで活気があっていい。

 ロザリンデのディアナ・ダムラウが予想通り、圧倒的な凄さ。「チャルダッシュ」などは躍動感にあふれていながらも、十分に喜劇的でおもしろい。アデーレのカタリナ・コンラディもしっかりした美声。素晴らしい。アイゼンシュタインのゲオルク・ニグル、ファルケのマルクス・ブリュックもとてもしっかり歌っている。オルロフスキー公を歌うカウンターテナーのアンドリュー・ワッツもこの役にふさわしい得体のしれない味を出してとてもいい。フランクのマルティン・ヴィンクラーの芸達者ぶりには驚く。アルフレートのショーン・パニカーは若い黒人歌手でとてもきれいな声だが、ちょっとこの屈折した役をするには歌がストレートすぎる。これから力を出してくる人だろう。

 第三幕前半はこれまで見た舞台とはかなり異なる。フロッシュのセリフがかなり異なり、見事なタップダンスを披露する。そのようなエンターテイナーなのだろうか。とはいえ、オペレッタで硬いことを言っても仕方がない。ともあれ、楽しい。それで十分。

 

ヴェルディ「ドン・カルロ」(1884年ミラノ4幕版) ミラノ・スカラ座 202312月7日

 NHK/BSで放送されたもの。スカラ座が総力を挙げた上演だと思う。大スターたちの共演。指揮はリッカルド・シャイー。演出はルイス・パスクワル。豪華絢爛で、時代的な要素をふんだんに取り入れ、ベラスケスの絵画をそのまま舞台に移したような雰囲気がある。そのためだろう、宮廷人の中に何人かの、芥川が「侏儒」と呼んでいる人が配されている。

 ミラノ4幕版とのことで、私がこれまで見てきたものとあちこちでつながり方が異なるが、シャイーがこの版を推しているらしい。それはそれでしっかりとまとまっている。

 歌手陣はきわめて高いレベルで充実。私がその中で図抜けていると思うのは、エボリ公女のエリーナ・ガランチャだった。役柄の迫力という点もあると思うが、強い声が素晴らしい。演技も見事。ネトレプコもさすがだが、年齢とともに声が重くなった(ワーグナーなどを歌うために意識的にそのようにしたのか?)せいか、かつてのようなエリザベッタらしい澄んでいながらも強い声が薄れたように思った。ドン・カルロのフランチェスコ・メーリ、ロドリーゴのルカ・サルシ、フィリッポニ世のミケーレ・ペルトゥージ、いずれも伝説の歌手たちに比べるとちょっと線が細いが、現在最高の歌手であることに間違いない。大審問官のパク・ジョンミンも凄味がある。

 全体的には素晴らしい上演で、それぞれの歌手の聞かせどころで大いなる感動を味わうことができた。

 それにしても、歌手陣、合唱隊の中にも東洋系が目立つ。とりわけ、韓国系の歌手に大活躍が目に付く。日本人歌手の活躍を期待しているのだが。

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