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エウリカカルテットのベートーヴェン 正統派の若々しい演奏に感動

 2024731日、東京文化会館小ホールでエウレカカルテットのベートーヴェン・ツィクルスVol.5を聴いた。曲目はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第10番「ハープ」と第12番。

 エウレカカルテット(廣瀬心香、森岡聡、石田紗樹、鈴木皓矢)は各地のオーケストラで活躍する若手の実力派が結成した弦楽四重奏団。私は一度だけ彼らの演奏を聴いて感銘を受けた記憶がある。今回、ベートーヴェン・ツィクルスに足を運んだ。素晴らしい演奏だった。

 明るくて明快な音。若々しい音と言ってよいだろう。アンサンブルがとてもいい。四人が音質をそろえ、きわめてバランスよく音楽を進めていく。小細工をしない正統派の音楽だと思う。誇張することもなく、徒に煽ることもしない。若々しい演奏とはいっても、それを売りにして元気いっぱいに演奏するわけでもない。もちろん、テンポに細工も加えない。だが、テンポよく音楽が進み、息が合って音が重なっていく。だからこそ、自然でありながら緊迫感にあふれた音楽が作られていく。中期から後期のベートーヴェンの宇宙が作り出される。

 第10番の第3楽章の高揚、第4楽章の変奏のニュアンスもとてもおもしろかったが、私は第12番の演奏に特に惹かれた。冒頭から実に深みのある響き。第2楽章の叙情的な緊張感も見事。終楽章のベートーヴェンの晩年の境地を語るような明るい音がとても印象的に響く。

 とても好感を持った。感動した。ただ、私は素人なので、具体的にどうすればいいのかわからないが、世界を代表する弦楽四重奏団になるには、あと少しの独自のものが必要だろうと思った。正統派のとても良い演奏で、素晴らしいと思うのだが、あと少し魂を震えさせるものが欠けている。もう少し凄味のようなものがあるともっと飛躍できるだろう。

 今日は、昼間に吉田志門と碇大知の歌曲を聴き,夕方はエウリカカルテット。若手の実力派演奏を楽しんだ。世界に踏み出していける才能だと思う。頼もしく思った。

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吉田志門&碇大知デュオコンサート シュトラウスと山田の歌曲に感動

 2024年7月31日、フィリアホールで、吉田志門&碇大知デュオコンサートを聴いた。「ベルリンからの挨拶」とのタイトルのついたリサイタルで、ベルリンで暮らし、ベルリンRIAS室内合唱団に所属するテノール歌手である吉田志門がベルリンにまつわるリヒャルト・シュトラウスと山田耕筰の歌を歌う。私は昨年だったか、武蔵野市民文化会館で吉田の歌う「美しき水車小屋の娘」を聴いて驚嘆。今回、リサイタルが開かれると知ってあわててチケットを入手したのだった。今回も素晴らしかった。

 ランチタイムコンサートとのことで開始が11時30分。歌手にとっては午前中にコンサートはつらいだろう。だが、最初の曲、シュトラウスの「セレナーデ」から、持ち味の柔らかい声で確かな音程で見事に歌った。次の「愛の讃歌」は高音が少し苦しかったが、時間から考えるとやむを得ないだろう。「何も」は持ち直してとても良かった。無理のない発声でしなやかに自然に歌う。

 次にシュトラウスの歌曲集「商人の鑑」から5曲。吉田さんの軽妙な解説ののちに歌われた。私は、昔シュライヤーの録音したCDを聴いていたが、実演は初めて。シュトラウスが楽譜出版社とのトラブルを題材にして描いた歌曲(後年の「私オペラ」とでも呼びたくなるような「インテルメッツォ」を彷彿とさせる、いわば「私歌曲」)を吉田はとても軽妙に、しかし感動的に歌う。碇のピアノも抒情的でとても美しい。歌とぴったり合っている。

 山田耕筰の「待ちぼうけ」「かやの木山の」「鐘が鳴ります」も、日本語の自然な発声、詩の意味をとらえた歌いまわしが素晴らしい。同じ旋律でも見事にニュアンスを変えて歌う。「待ちぼうけ」はまるで歌による変奏曲! 

 山田耕筰の「城ヶ島の雨」は初めて聴いた。よく知られている梁田貞作曲のものとは雰囲気の異なる抒情的な曲。繊細でしなやかな吉田の歌いまわしも美しい。しっとりとした雨の風景が目に浮かぶ。素晴らしいと思った。「松島音頭」もおもしろい曲。陽気な曲もとてもよかった。

 そのあと、シュトラウスの「やさしき幻影」「金色に包まれて」、山田の「赤とんぼ」「たたへよ、しらべよ、歌ひつれよ」。アンコールは山田の「からたちの花」、シュトラウスの「どうして秘密でいられよう」「明日」。私は、「やさしき幻影」「からたちの花」と「明日」に特に心惹かれた。この二人の演奏は、歌われているこの場所にとどまることなく、もっとその先、もっとずっと遠くのほうまで包み込むような抒情的な雰囲気にあふれている。「からたちの花」の単純な音の中にあふれる抒情、「明日」の微妙で複雑な感情に深く感動した。

 吉田志門は、日本で初めての世界的テノールではないかと私は思っている。これから先の活躍が楽しみだ。

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群響の家庭交響曲 健闘しているが、とりとめのなさを感じた

 

 2024年7月28日、上田市のサントミューゼ大ホールで群馬交響楽団上田定期演奏会 -2024-を聴いた。ずっと昔から群馬交響楽団の噂は聞いていたが、実は今まで実演を聴いたことがなかった。前々から聴いてみたいと思っていた。その群響が飯森範親の指揮でコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とリヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲を演奏するという。これは聴いてみないわけにはいかないと思って、機会を利用して上田まで出かけた。

 初めてのホールだったが、音のまとまりもよく、地味な曲であるにもかかわらず、客もかなり入っており、このホールの活動ぶりに驚いた。良いコンサートをしばしば催しているのがポスターでもわかった。さすがの文化都市。

 最初の曲は、モーツァルトの6つのドイツ舞曲。まずは腕試しといったところ。モーツァルトにしてはちょっと武骨な曲。田舎の踊りを思わせる。次に、マルク・ブシュコフのヴァイオリンが加わってコルンゴルトの協奏曲。ブシュコフは切れのある音程の良い音で繊細に演奏。飯森指揮のオーケストラは官能的で色彩的な音でそれを支えていく。とてもいい演奏なのだが、ブシュコフのヴァイオリンはちょっと真面目過ぎて表現の幅が狭いのを感じる。もっと手を変え品を変えて、オーケストラに負けずに官能的に演奏してほしいのだが、いつまでも優等生的。オーケストラも、官能的で色彩的だとはいえ、できればもっとしなやかで、もっと鮮明であってほしい。いわゆるヌケがよくない。

 ソリストのアンコールはバッハの、確か無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の「アンダンテ」。これも同じような印象だった。

 家庭交響曲には、私は高校生のころから、クレメンス・クラウス指揮、ウィーンフィルのレコードでなじんでいたが、「英雄の生涯」や「ドン・キホーテ」などと違って、音楽を聴いても何が起こっているのかを捉えることができず、結局、「とりとめがない」という気がして好きになれなかった。今、実演を聴くと、もしかするとシュトラウスの音楽に納得できるかと期待した。

 が、やっはりとりとめなかった。しかも、しばしば音が大きくなるが、どうも盛り上がらない。楽団員の健闘ぶりはわかるが、これも、ヌケがよくなく、音がときどき濁って重くなる。もちろん、時にシュトラウス特有の豪華で豊かな音色にうっとりすることはあったが、とりとめのなさを感じて、音楽に酔って高揚する気持ちにはならなかった。

 上田でこのようなコンサートを楽しむことができてとてもうれしかったが、少し不満を抱いた。

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オペラ映像「トゥーランドット」「ルスランとリュドミラ」「皇帝の花嫁」

 暑い日が続いている。気温が35℃を超すと、外に出るのも命がけ。外出は暑い時間帯を避けて、できるだけ室内で過ごしている。春に新しい家に荷物を運び入れたわけだが、その際、NHKの番組を録画しただけでみた記憶のないオペラの映像が何本も出てきた。それを含めて、数本見たので、感想を書く。

 

プッチーニ 「トゥーランドット」 2023年12月7・8・13日、ウィーン国立歌劇場

 つい先ごろ放送されたもの。私はプッチーニ嫌いなので、「トゥーランドット」もあらすじさえもよく知らない。最後にこの曲の全曲を聴いたのは、1970年代か80年代のFM放送だと思う。が、今回、なんとアスミク・グリゴリアンがトゥーランドットを歌うというではないか。カラフをカウフマンが歌うというではないか。それがNHKで放送されるというではないか。プッチーニ嫌いだなどとは言っていられないと思って、録画してみた。

 が、やっぱり感動のしどころがわからない。「それがどうした?」と思ってしまう。が、それはともかくやはり歌手は凄い。グリゴリアンの声の伸び、自然で、癖がなくて、それでもまっすぐに強い声が伸びていく。演技も見事、容姿も見事。本当にこの人は別格だ! カウフマンはかなり癖の強い声だが、知的で伸びのある声と歌いまわしは素晴らしい。リューのクリスティーナ・ムヒタリヤンも二人の主役に引けを取らない。

 演出はクラウス・グート。中国色のまったくない、無機質で明るく、しかし不気味な舞台。ただ、もともとこのオペラに詳しくない私は、演出意図などまったく理解できない。指揮はマルコ・アルミリアート。これについても私には何も語る資格はない。

 正直言って、オペラについてはさっぱりわからないけれど、歌手がすごい!と思って、ただびっくりして最後まで見たのだった。

 

グリンカ 「ルスランとリュドミラ」 201111月、モスクワ、ボリショイ劇場

 長い間見ないまま放っておいた録画。録音は、昔、FM放送で聴いたことがあったような気がするが、映像は初めてみる。実演もみたことがない。序曲はよく知っているが、内容も今回初めて知った。

 オペラとしては、現在からみるとそれほどおもしろいものではない。音楽的にはおもしろいところはいくつもあるが、あまりに冗長なので、かなり退屈する。2時間ほどに縮めてほしい気になる(3時間20分ほどだった)。

 この上演は、全体的にはかなり高レベルだと思う。ルスランのミハイル・ペトレンコとリュドミラのアリビナ・シャギムラトワはとてもいい。ラトミールのユーリ・ミネンコはしっかりしたカウンターテナーの声、ファルラーフのアルマス・シュヴィルパも安定している。ただ、白魔術師フィンのチャールズ・ワークマンが私には音程が不安定に聞こえる。

 ウラディーミル・ユロフスキという指揮者、けっして嫌いではない(時々、感動する!)のだが、リズムにムラのようなものを感じて、ときどき落ち着かない気がする。今回もそのような印象を抱いた。

 ドミートリ・チェルニャコフの演出は、このオペラの退屈さを何とか弱めようと懸命になっているように思える。美女たちがおおぜい登場、全裸の女性も現れる。奇術をする集団も出てくる。そして、舞台のデザインはきわめて現代的。お洒落に処理をしている。それなりに面白く見たが、本来のこのオペラの味を伝えたかというとかなり疑問に思う。

 ともあれ、グリンカのオペラを知るにはよいソフトだった。

 

リムスキー=コルサコフ 「皇帝の花嫁」2018年11月、ボリショイ劇場

 NHKBSで放送されたが、どうやらその時、みる時間がなかったようだ。私は近年、リムスキー=コルサコフのオペラ作曲家としての真価を知ったのだが、これが放映されたとき、まだ私はそれを知らなかったのかもしれない。上演のレベルも高いが、その前に、このオペラはまさに傑作! チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」と並ぶロシア・オペラの傑作だと思う。台本も実によくできている。むしろ、あまりに無駄なく論理的に展開していくのがこのオペラの限界なのかもしれないが、ともかく目を見張るような手際の良さ。音楽も美しく、健気なマルファ、悪漢グリャズノイ、復讐に取りつかれたリュバーシャにもそれぞれ感情移入ができる。最終幕はまさに大団円!

 グリャズノイのエリチン・アジゾフ、リュバーシャのアグンダ・クラエワは強い声で主役を食っている。「ローエングリン」のオルトルートとテルラムントを思い出すような歌と演技。マルファのオリガ・セリヴェルストワは歌が堅く、表現の幅が狭いが、清純なこの役をしっかりとこなしている。周囲に支えられた感はあるが、立派にヒロインを歌っている。マリファの恋人イワン・ルイコフを歌うイリヤ・セリヴァノフは20代に見える若者。若者らしくていいが、声が不安定。ボメーリイ のロマン・ムラヴィツキーはこの卑劣な小物のドイツ人を見事に造形している。演技力に脱帽。その他の歌手たちも実に見事に役を歌っている。ボリショイ合唱団もさすが。

 指揮はトゥガン・ソヒエフ。しっとりと、しかししっかりと抒情と悲劇を歌い上げる。無駄に盛り上げることなく、ひしひしと悲劇を伝える。ユリヤ・ペヴズネルの演出はきわめてオーソドックス。ちゃんと時代的な衣装で登場人物が現れ、台本通りの行動をとる。わかりやすくてとてもありがたい。

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新国立劇場オペラステュディオ、サマー・リサイタル2024 若手の演奏を楽しんだ

 2024年7月25日、新国立劇場小劇場で、新国立劇場オペラステュディオ、サマー・リサイタル2024を聴いた。研修生たちの公演だ。私は、これからのオペラ界を支えていく若手歌手が参加する研修所の公演を楽しみにしている。今回もとても楽しめた。

 キャスリーン・ケリーがピアノ2台(石野真穂・高田絢子)とヴァイオリン(増田加寿子)を指揮する。指揮にもう少し情感がほしいと思ったが、様々な制約があるだろうから、これ以上求めるのは酷というものだ。

 モーツァルト『魔笛』、カールマン『伯爵令嬢マリツァ』、ニコライ『ウィンザーの陽気な女房たち』、リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』、チャイコフスキー『イオランタ』『エウゲニ・オネーギン』、カバリェーロ『アフリカの女』、ヘギー『スリー・ディセンバーズ』、アダモ『若草物語』、ヨハン・シュトラウス世『こうもり』などの一場面。

 音程がふらつき、声が出ていないまだまだ力不足を感じる歌手も何人かいた。だが、『ばらの騎士』の元帥夫人の大竹悠生、オクタヴィアンの後藤真菜美、『エウゲニ・オネーギン』のタチャーナの冨永春菜、『スリー・ディセンバーズ』の野口真瑚と松浦宗梧、『若草物語』の後藤真菜美はとてもよかった。また『若草物語』は全員(牧羽裕子・島袋萌香・谷菜々子)の声がそろってとても美しかった。ただ、ほかの演目では,音程の不安定な歌手が混じっているためにうまくハモらないところが多かったのは残念だった。

 今回、英語の新しいオペラ『スリー・ディセンバーズ』と『若草物語』を聴けて幸運だった。私は音楽に関してはきわめて保守的なので、新作オペラにはあまり関心がないのだが、これらはとてもいい音楽だと思った。

 ともあれ、これから活躍する若手の演奏を聴くのは楽しい。きっと、全員がこれからもっともっと技術を磨いて活躍するようになるのだろう。楽しみだ。

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エッティンガー&東フィル ブルックナーらしいブルックナーに感動!

 2024年7月24日、東京オペラシティコンサートホールで東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はダン・エッティンガー、曲目は、前半に阪田知樹が加わってモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調、後半にブルックナーの交響曲第4番(ノヴァーク版)。素晴らしかった。感動した。

 モーツァルトの協奏曲は、モーツァルトの短調の曲に特有の、いや、それにもまして深い感情を込めた響きで始まった。そこに阪田のピアノが重なる。オーケストラは細かいニュアンスを込め、時に強い音で激しい感情を表現する。音楽に勢いがあり、生命力がある。それに重なるピアノはむしろ平明に聞こえる。だが、それが素晴らしい。ピアノの平明な、しかし気高く悲しい音が浮かび上がる。モーツァルトの短調をこんなに平明に演奏できるなんて、すごいことだと思う。モーツァルトの曲にふさわしい悲劇的な、しかしロマンティックになり過ぎない音楽になった。阪田知樹のピアノはこれまで室内楽で何度か聴いたことがあったが、素晴らしいピアニストだと改めて認識した。

 後半のブルックナーも素晴らしかった。久しぶりにブルックナーらしいブルックナーを聴いたと思った。先日聴いたノット指揮の東響の第7番の交響曲のような、私に言わせるとかなりマーラー的なブルックナーではなく、正真正銘、私のようなオールド・ファンがなじんだブルックナーの音楽! 先日のノットの演奏では、長い休止に入るブロックごとの音楽が並列的な連続に感じられるが、エッティンガーの演奏はブロックが立体的に重なって、まるで大伽藍のような構築物を作り上げていく。大きな息遣いで宇宙的で峻厳で宗教的。音のバランスや音響の美しさという面では東響のほうが上だったかもしれないが、私は今回のほうに圧倒的に深く感動した。ブルックナーはこうでなくっちゃ!

 エッティンガーの指揮は、かなり分析的だと思う。ブルックナーの音楽はこんなにいじられると壊れてしまいそう…と思うほど。しかし、それが十分に効果を発揮する。第2楽章など、フレーズごとに、楽器ごとにニュアンスを変えてつなげていき、クライマックスに導く。その巧みさにも脱帽。細かいところまで神経の行き届いた演奏だった。第3楽章以降は、大きな起伏を作ってまさにブルックナーの宇宙を作り上げた。終楽章には私は大いに興奮した。

 観客は満席には程遠かった。それほどの熱狂的な喝采ではなかった。だが、私は素晴らしいと思った。まだちょっと若さを感じ、深い息遣いが不足する気がするが、私の大好きなタイプのブルックナー演奏であることは間違いない。この人の指揮するブルックナーをもっと聴いてみたい。

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ノット&東響のブルックナー7番 ちょっとマーラーっぽい?

 2024720日、サントリーホールで東京交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はジョナサン・ノット、曲目は前半にラヴェルの「クープランの墓」(管弦楽版)、広範にブルックナーの交響曲第7番(ノヴァーク版)。とてもいい演奏だった。

「クープランの墓」は、フランス音楽にしては硬質な音で、かなりてきぱきと音楽が展開していく。しかし、繊細にして緻密。これがノットと東響の音なのだろう。満足だった。

 ノットのブルックナーの交響曲は評判が高いのはよく知っているが、私は初めて聴くと思う。ノットはマーラー指揮者という先入観があって、これまで敬遠してきた。が、そうもいっていられないので、これを機会に聴くことにした。

 が、先入観かもしれないが、やはりかなりマーラー的だと思った。私はずぶの素人なので、どこがどうなのかまったくわからないのだが、私が50数年前から慣れ親しんできたクナッパーツブッシュやヨッフムやヴァントの演奏のような質実剛健にして重厚で立体的で宗教的な雰囲気が薄い。もっと軽みがあり、音が精妙。マーラーのように展開していく。マーラー好きにはいいのだろうが、私は大のマーラー嫌いなので、どうしても違和感を覚える。

 それでも、やはりさすがの棒さばき。細かいミスは何度かあったようだが、オーケストラも精妙で力のある音を出し、ぐんぐんと高揚していく。私も第3楽章あたりからは気持ちが躍動していった。終楽章は感動。ただ、私の席のせいなのか、ティンパニの音があまりに大きく、特に第1楽章の最後の部分はほかの楽器がティンパニの音にかき消されていた。それはそれでとても迫力のあるティンパニではあったが。

 ともあれ、マーラー臭いなあと思いながらも、最後にはしっかりと感動し、満足して帰ったのだった。

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清水和音&三浦文彰のベートーヴェン 美音だが、ちょっと上品すぎない?

 2024年7月15日、サントリーホールで、清水和音、三浦文彰によるベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会第2回を聴いた。曲目はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3・6・7番。

 清水人気なのか三浦人気なのか、今回もまた圧倒的に女性客が多い。このところ、そのような場面にしばしば遭遇する。

 前半に第3番と第6番。第3番は、正直言ってあまりおもしろくなかった。さりげなく始まって、さりげなく終わってしまった。私の耳が慣れないせいか、初めのうちピアノの粒立ちが良くなく、きちんと音が聞こえなかった。二人とも自分勝手に演奏している感じで、かみ合わなさを感じた。第6番になってからは、息があってくるのを感じた。

 三浦のヴァイオリンは研ぎすまされた美音。小細工はせず、誇張もせず、美しい音と正確な音符によって音楽を作っていこうということだろう。清水のピアノもそれに合わせて、むしろ淡々と音楽を進めていく。

 後半の第7番も同じ雰囲気だった。気品にあふれ、自然に音楽が流れる。しかし、やはり私は少々不満だった。やはりベートーヴェンはもっと高揚するように作っているのではないか。二人の奏者が全力でぶつかり合うように、ベートーヴェンは作っているのではないか。今回の演奏はちょっとおとなしすぎ、上品すぎはしないか。これまで清水和音がピアノ伴奏をする室内楽演奏に私はたびたび感動してきたが、今回にかぎって私はまったく感動できなかった。

 アンコールはポンセ作曲、ハイフェッツ編曲の「エストレリータ」。ベートーヴェンとは打って変わって、ちょっと官能的な曲。ただこれももう少し味をつけてもよいように思った。

 きっと二人の奏者は意図的にこのような演奏にしているのだろうが、私としては音楽を聴くからにはもっと高揚したい。ベートーヴェンの激しい魂にじかに触れたい。その意味で少し不満の残るコンサートだった。

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ヴィンツォー&読響のドヴォルザークに感動!

 2024713日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団定期公演を聴いた。指揮はカタリーナ・ヴィンツォー(これまでウィンコールと表記されることが多かったと思う)、曲目は、前半にドヴォルザークの序曲「謝肉祭」と、マチュー・デュフォーのフルートと景山梨乃のハープが加わってモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲、後半にドヴォルザークの交響曲第8番。ヴィンツォーの指揮は初めて聴いた。素晴らしいと思った。

 メリハリのはっきりした推進力のある演奏だと思う。かなりフレーズごとの表情の違いを強調していくが、それぞれのフレーズの表情を見事に描き、力感にもあふれ、歌わせるメロディも美しく、しかもそれを立体的に組み立てていくので、とても自然に音楽が作られていく。指揮者の動きもわかりやすく、オーケストラは即座にタクトに反応する。それもまた心地よい。特に新しい解釈はないと思うが、とても説得力がある。興奮しながら聴いた。

「謝肉祭」は見事にオーケストラを掌握。鳴らせ方も見事。金管がもたつくところはあったが、ライブでは致し方ないだろう。モーツァルトの協奏曲は、ソリストをたててきれいな音で自然な音楽にしていた。デュフォーのフルートはとても高貴で美しい。ハープもきれいなのだが、ちょっと遠慮しているのか、私の席のせいなのか、フルートに比べて音が小さすぎる気がした。

 ソリストのアンコールはグルックの「精霊の踊り」のフルートとハープ版。これも協奏曲と同じ印象だった。フルートは高貴な音、ハープもきれいな音なのだが、どうも同等に絡まない。私はあまり感動できなかった。

 ドヴォルザークの交響曲第8番は正真正銘、素晴らしかった。この曲は、演奏によっては統一感が危うくなることがある。かなり演奏の難しい曲だと思う。だが、ヴィンツォーはしっかりと統一を作って破綻がない。要所要所で大きく盛り上げ、聴く者を感動に導く。第1楽章の熱気も素晴らしく、第3楽章のスラブ的な雰囲気も美しい。終楽章は親しみやすいメロディが変奏され大きく高揚する。みごと。読響もさすがというしかない。私は何度か深く感動に震えた。

 次々と才能豊かな女性指揮者が出てくる。突然みんなが才能を開花したはずがないのだから、間違いなく、これまでこのような才能がありながら、それを発揮できる場が限られていたということだろう。こんな才能がこれまで埋もれてきたなんて、音楽界にとってどれほど大きな損失だったことか!

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歩行者の見えない国ブルネイ 旅行メモ

 2024年7月1日から5日にかけて、ブルネイ旅行に出かけた。これまで何度か利用した旅行代理店のツアーに参加。と言っても、参加者は私と30代の息子の二人だけの個人ツアー。初めは私一人が計画していたが、ちょうど時間の空いた息子が興味をもって同行することになったのだった。

 ブルネイに行きたいと思ったのは、ただ単にまだ行ったことがなかったから。これまで、北朝鮮やブータンを含むアジア地域のほとんどの国に出かけた。このところ、サウジアラビア、パキスタン、バングラデシュなどのイスラム国になじんでいるので、「アジア地域にあって石油を算出する豊かな小さなイスラム教の王国ブルネイ」をみてもいいなという気になったのだった。

 ガイドさん(日本国籍を持つ60代の女性だが、ご両親は中国系だという。日本語も完璧、ほかの様々な言語に通じて、しかも社会事情にも明るい!)に連れられて、市内を回った。少々疲れて「旅行記」を書く気力がないので、メモを記す。

 

  • 訪れた場所

・トゥトン地区文化保護ツア (ココナッツオイルの精製工場や伝統家屋、サゴヤシの加工工場などを見学)

 伝統家屋はとても興味深かった。高床式で、ボートで近くの川に行き来する。まさにジャングルとの共存。

・カイポン・アイール(水上集落)

 ブルネイ川に浮かぶ集落。コンクリートの杭を打ってその上に家を建てて13千人ほどが暮らしているという。涼しくて虫やネズミが来ないということでこのような生活を行っているらしい。ほとんどの人はボートで陸地に行き、そこから車で職場に通う。国王らが陸地に移住させようとしているらしいが、多くの人がそれを拒否しているという。壮観だった! 

・旧モスク

 第28代の国王のモスク。1958年完成。簡素だが、優美で美しい。

・新モスク 

 現国王が建設した壮大なモスク。

・ロイヤルレガリア/王室資料館

 第二次大戦中、ブルネイ知事に任命された木村強と国王の友情物語をガイドさんに話してもらった。

・イスタナ・ヌルル・イマン/王宮

 

 

・ヤヤサンショッピングモール

地方都市のやや大きめのスーパーという感じ。

・マングローブリバーサファリ

 ボートで水上集落を抜け、海の方に向かってマングローブの林をみた。野生のワニが見え、テングザルの遊ぶ姿が見えた。

・エンパイアホテル

 南シナ海に沈む夕日をみた。美しかった。

 

  • 国についての感想

・空港の規模は日本の地方の空港(私になじみの場所で言えば、大分空港)よりも少し大きいくらいで、清潔に保たれている。

・昼間の気温は30度前後。雨が降った後だったようで湿気が多い。

・申告すればアルコールの持ち込みも許されるとのことだったので、ウィスキーの小さな瓶を息子と二人で飲むために持ち込んだら、空港でかなり面倒な手続きをしなければならなかった。アルコール類を国内に入れたくないようだ。

・豊かな国と言われているが、人々の服装に関してはそれほど豊かには見えない。サウジアラビアは見るからに裕福そうな人が大勢いたが、こちらはみんな安っぽい服を着ているように見える。きわめて庶民的でのどか。

・車の運転マナーは日本よりはよいと思う。きちんと車間距離をあけて整然と運転する。私が横断歩道を渡ろうとすると、みんながとおしてくれる。車は、日本車が8割程度。金持ちの国と聞いていたが、ドイツの高級車などはめったに見かけない。ほとんどが日本の中級車。警笛はほどんど鳴らさない。静かな運転。

・道路などの社会インフラが整備されている。電柱も少ない。道路も清潔で、ほかの東南アジアの国のようにごみが散乱していない。物音もしない。無駄な音楽もかかっていない。どこもとても静か。

・緑が多い。まさにジャングルの中にできた都市。ホテル付近を歩いたら、ホテルから200メートルほどのところはジャングルのようになっており、川が流れており、そこには「ワニに注意」の看板があった!

・近代的な建物が並んでいる。すべてが清潔で、公園なども整備されている。サウジアラビアでも同じように感じたが、こちらはもっと自然で庶民的な感じ。建物もサウジアラビアのように巨大だったり、斬新なデザインだったりせず、きわめてオーソドックスな建物で、高さも5、6階建てが多い。

・イスラム国であり、住人の7割以上がイスラム教徒のはずなのに、それほどモスクが見えない。サウジアラビアやバングラデシュやパキスタンでは、少し歩くとモスクが目に入ったが、めったに見かけない。人口が少ないせいか。コーランの声が聞こえたのは数回だけだった。

・厳格なイスラム国家かと思ったら、そうでもない。ヒジャブをつけていないイスラム教徒らしい女性も多く見かける。家族に見えるのに、つけている女性とそうでない女性が混じっている。

・道路だけではない。お店もとても清潔。市場や屋台にも行ったが、そこも異様なほど清潔。ほかの東南アジアの国のようにハエがたかることもない。においが充満していることもない。残飯なども見当たらない。きっとゴミ掃除の仕事をしている人がいるのだろう。

・歩行者が見当たらない。道路がある。街並みがある。たくさんの車が日本の都市と同じように行きかっている。停車している車も多い。ところが、人が歩いていない! たまに人影をみるのは、車とお店の間を歩いている人だけ。道路に人がいない! 歩道も整備されていない。ガイドさんに尋ねてみると、どの家にも車が何台かあって、どこに行くにも車を使うとのこと。電車はなく、バスもめったにない。バスに乗っているのは限られた貧しい人だけとのこと。こんなに歩行者のいない国は初めて! 

・テレビはチャンネルが2つで、一つが国営放送。もう一つが宗教放送。エンタメと言えるようなものは皆無とのこと。

・食事は、日本国籍のガイドさんが上手に選んでくれているためかもしれないが、とても日本人の口に合っていて、おいしい。辛すぎない。

・すべての施設には国王と皇后の写真が飾られている。それは義務とのこと。ただ、国民は心から国王夫妻を尊敬しているようだ。

・観光産業がまだ整備されていないようで、観光客にもあまり出会わない。モスクなどの観光地に行っても、数人の客しかいない。

・総人口からして当然かもしれないが、人が少ない。どこもガラガラ。お店にも、一部の人気レストランを除いて、客はほどんどいない。これで成り立つのだろうかと心配になる。

 

  • 不思議の国の状況

・ブルネイの人口は40数万人、国土は日本の三重県と同じくらい。

・この国に税金がないことはよく知られている。そして、教育費ゼロ、医療費ゼロ。一人当たりGDPは日本を超えている。ただし、少しそこに誤解があるようだ。

・この国で暮らしている人は、①黄色のカードを持つブルネイ国民(基本的にマレー系)でイスラム教徒、②赤色のカードを持つ永住権を持つ人々(華人など)でイスラム教徒とは限らない、③緑色のカードを持つ外国人労働者の3種類の分けられるという。明らかに一級、二級、三級に国民を分けていることになる。すべて税金は無料らしいが、つける仕事や福祉の内容、教育費、医療費については、カードの色によって異なる。したがって、国籍を持つ人は経済的な心配なしに生きていくことができる。

・ガイドさんによると、国籍を持つ人々は将来が安定しているので、仕事の意欲を持たないという。永住権を持つ人たちが努力してのし上がろうとし、経済を握っているという。東南アジアのいくつかの国の華僑や欧米のユダヤ人のような状況なのだろう。

・このような差別の中にいるので、第二級・第三級の市民が不満を持ちそうだが、とりあえず生活は十分に成り立っており、第一級の人たちも穏やかなので、争いは起こらず、ほとんどが満足して生きているという。

・イスラム教徒以外は豚を食べてよいのだが、この国ではほかの人々も豚を食べるのを遠慮しているという。だから、この国ではほとんど豚は食べられないようだ。多くの人が、イスラム教に合わせることにそれほど不満を持っていないという。

・治安はよく、まず物が盗まれることはないらしい。犯罪も少ないという。

・ただし、楽しみがあまりに少ないので、多くの人々が国境を越えてマレーシアに行って酒を買ったり、カラオケを楽しんだりしているらしい。

・外国人労働者は、様々な国からくるが、同じイスラム圏のバングラデシュ、インドネシア、マレーシアからくる人が多いという。その人たちが単純労働を行っている。

・絶対王政の国なので、国王についての批判は許されないのかと思ったら、かなり自由に批判をしているらしい。王室のスキャンダルなどもふつうに話題にされているようだ。

 

  • まとめ

 とても良い国だと思った。ちらっと、「これから先、こんなところに移住するのもいいな」とも思った。楽しみがないのはちょっと辛いが、日本から音楽や映画のソフトや機器を持ち込めば、寿命が尽きるまで十分楽しんで生きていけるだろうと思った。穏やかで暮らしやすそう。若いうちは、こんな国では我慢できないと思うだろうが、老後はいいかもしれない。

 それにしても、石油や天然ガスによる経済的な裏付けがあるとはいえ、なぜ、このような王政が成り立っているのか、なぜ対立が起こらず平和でいられるのか謎だと思った。もう少し内情を知ってみないと納得できない。

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