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オペラ映像「ファウスト博士」「グロリア」「アルフレッド大王」「アイーダ」

 首都圏はやっと常軌を逸した暑さから普通の暑さに戻った。だが、まだ外出するのはなるべく避けたい。数本、オペラ映像をみたので感想を記す。

 

ブゾーニ 「ファウスト博士」2023214日 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場

 ドイツで活躍したイタリア系作曲家としてブゾーニの名前は知っていたが、このオペラはみるのも聴くのも初めて。とてもおもしろいオペラだった。

 もちろんゲーテの「ファウスト」と同じようにファウスト伝説に基づくが、原作はゲーテではなく、むしろシェークスピア時代のクリストファー・マーロウの戯曲「フォースタス博士」(昔、筑摩文学大系で読んでとてもおもしろいと思った記憶がある)に基づいてブゾーニ自身が台本を書いたという。動きがなくて、ずっと問答が続くのでオペラ台本としては上出来とは言えないが、それはそれで特殊な魅力を持っている。

 ブゾーニはリヒャルト・シュトラウスとほぼ同時期の作曲家だが、ヒンデミットなどを思わせる作風だと思う。かなり先鋭的で、表現主義的と言ってもよいのではないか。この物語にふさわしい悪魔的で幻想的な雰囲気を持っている。

 まずプロジェクションマッピングを活用したダヴィデ・リヴェルモーレの大胆な演出に驚く。舞台全体がめらめらと燃え上がるなど、壮大な世界を作り出している。そこに同じスーツを着てブゾーニの顔写真を顔に当てた合唱団などが現れ、不気味な雰囲気を作り出す。ただ、序曲の後、おそらくは元台本にはないであろう俳優たちの喋りが5分間ほど入るが、それは余計だろう。黙役が大勢出て、あれこれのことをするが、それも私はあまり好ましいこととは思わない。私は演出家がオリジナルの台本にはないセリフや人物を加えるのは、サッカーでハンドを使うようなひどい反則であって、オリジナルを否定して演出家が自己主張したいだけの行為だと思うのだが! 

 ファウストを歌うディートリヒ・ヘンシェルはすさまじい力演。ずっと出ずっぱりで見事に歌いきる。メフィストフェレスはダニエル・ブレンナという若いテノール。ミーメのような声質のテノールなのだが、ときどき音程が曖昧になり、演技も未熟に感じる。この役だったらもっと怪しい雰囲気の人物像を作り出せる歌手にすべきだと思う。パルマ公爵夫人のオルガ・ベスメルトナは魅力的。

 コルネリウス・マイスターの指揮するフィレンツェ五月祭管弦楽団は文句なく素晴らしい。鮮烈な音を重ねて、微妙な世界を作り出している。

 

チレア 「グロリア」 2023215,17,19日 カリアリ歌劇場

 チレア最後のオペラ。私はこのオペラの存在を知らなかった。今回、初めて聴いた。

 14世紀の教皇派と皇帝派の勢力争いの板挟みになって翻弄される女性を描く。90分ほどのオペラで、踏み込み不足の感がある。話がトントン拍子に進んでいき、登場人物にあまり感情移入できない。音楽的にもきれいなメロディがふんだんにあるが、私はあまり魅力を感じなかった。

 グロリアを歌うのはアナスタジア・バルトリ。きれいな声と恵まれた容姿なのだが、演技は棒立ちで、歌も、演技と同じように感情がこもらない。だから、悲劇的な最期も、そんなにほろりとしない。こんなに素質に恵まれているのにもったいないと思ってしまった。リオネットのカルロ・ヴェントレは英雄的な美声、バルドのフランコ・ヴァッサッロは悪役にふさわしい迫力のある声。この二人については申し分なかった。

 フランチェスコ・チッルッフォの指揮するカリアリ歌劇場管弦楽団は健闘していると思う。しっかりと音を出し、切れもよい。ただ、音が濁っているように感じるところがあった。演出はアントニオ・アルバネーゼ。初めてみるオペラなので何とも言えないが、妥当な演出で、うまく整理されており、わかりやすかった。私に特に不満はない。

 

ドニゼッティ 「アルフレッド大王」20231119日 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 ドニゼッティの初期のオペラ。デーン人の攻撃を受けながら、王妃とともにイングランドを守り抜く大王を描く。失敗作とされていた作品らしい。台本があまりにありきたりで何の山場なく話が進んでいく。確かに、台本に難がある。それに比べれば、音楽はさすがにとてもよくできている。ただ、ほかの傑作オペラほどに魅力的かというと、さほどでもない。

 歌手陣は充実している。とりわけ、アマーリアのジルダ・フィウメが美しい声で自在に歌って素晴らしい。迫力ある声、叙情的な声など表現の幅が広い。アルフレッドのアントニーノ・シラグーザはかつての輝きは少し失われて、声のかすれるところがあるが、相変わらずの美声。エドゥアルドのロドヴィコ・フィリッポ・ラヴィッツァ、アトキンスのアドルフォ・コッラード、エンリケッタのヴァレーリア・ジラルデッロもとてもいい。

 演出はステファノ・シモーネ・ピントル。これはセミステージと呼ぶべきだろう。登場人物は仕草をつけ、背景に現代の戦争や紛争の映像がプロジェクションマッピングによって現れるが、扮装をしている人は少なく、合唱団はほとんど全員、主要な登場人物もスーツやドレス姿で楽譜を手にして歌う。コッラード・ロヴァーリスの指揮によるドニゼッティ歌劇場管弦楽団は、特に難はないが、それほど魅力的な音を出しているとはいいがたい。

 

ヴェルディ 「アイーダ」 2022103,6,12日 ロイヤル・オペラ・ハウス

 「アイーダ」にしては、壮大さのない、悪く言えばスケールが小さくて小粒のオペラ、よく言えば、大味ではない、繊細な人間ドラマになっている。

 ロバート・カーセンの演出は、舞台を現代に移しており、ピラミッドのあるエジプトの話しという雰囲気はない。エジプト人たちは機関銃を持った迷彩服姿。第3幕では墓碑の前で歌われるが、墓碑にはスラブ系と思われる名前が書かれている。最終幕は、軍法会議の場、そして最後は、ミサイル庫の中でアイーダとラダメスは平安を求めながら死に向かう。ロシアとウクライナの戦争が重ねあわせられている。アイーダとラダメスは両国に挟まれて苦しむ現代の国民ということだろう。

 アイーダのエレナ・スティヒナは繊細で美しい声。ラダメスのフランチェスコ・メーリは高音を見事な弱音で歌う。エジプト王のシム・インスンは、東洋系であるせいか、まるで中国の主席という雰囲気で、声もあまり深々としていない。アモナズロのリュドヴィク・テジエは父親の愛を抑制して歌う。アムネリスのアグニェシュカ・レーリスは前半は、敵役として憎々しげに歌うが、最後にはほろりとさせる。まさに、昔々の壮大な王族のドラマというよりも、戦争に苦しむ現代人のオペラ。パッパーノの指揮は前半は抑え気味で、後半に激しく盛り上がる。さすが、パッパーノ。オーケストラの音は緻密で美しい。

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アントネッロの「リナルド」 バロック・オペラの楽しみを知った!

 2024817日、サイトリーホールで、第53回サントリー音楽賞受賞記念コンサート、ヘンデルのオペラ「リナルド」をみた。指揮、リコーダーは濱田芳通。バロック・オペラで近年、しばしば上演されているのと同じような、セミステージ形式。扮装をした人物がオーケストラの周囲で演技をしながら歌う。天皇陛下が臨席されておられた。

 バロック・オペラに明るくない私は前もって予習していったのだが、版の事情などあるのだろうが、私がブルーレイディスクで見たものと、かなり音楽も異なり、ストーリーも違いがあった。もう少しバロック・オペラになじんだら、これらのことについて調べてみたい。

 演奏に関しては、管弦楽のアントネッロとそれを指揮する濱田芳通は素晴らしいと思った。古楽器の魅力を完璧に伝えている。生き生きとした音楽。歌心もあり、躍動感もある。

 歌手陣については、私はカウンターテナーの数人に特有の音程の不安定さを感じた。もちろん、リナルドの彌勒忠史はかなり安定しているが、それでも私は不自然さを感じる。エウスタツィオの新田壮人、魔法使いの眞弓創一はだんだん調子が上がってきたとはいえ、出だしはかなり不安定だった。ゴッフレードの中嶋俊晴は最後まで不安定で声が出ていないと思った。カウンターテナーは裏声を使うので、きっと音程がとりにくいのだろうが、近年の欧米のカウンターテナーのような安定がほしいと思う。

 それに対して、裏声を使わない歌手たちはみんな素晴らしかった。アルミレーナの中川詩歩は美しい声で朗々と響く。アルミーダの中山美紀は迫力ある美声で、この人も高音が美しい。アルガンテの黒田祐貴は深みのあるバリトンで、演技も見事。セイレーン2の山際きみ佳は軽やかでチャーミングな声。

 演出は中村敬一。漫画的な動きやギャグっぽいものを取り入れて、笑いの要素を強調している。オペラ本来の流れを壊すような気がして、私自身はあまり笑えなかったが、大きな笑いが起こっていた。このオペラの中にモーツァルトの「魔笛」のような雰囲気を見つけて笑いを加えるのもわからないでもない。一つの解決法だとは思う。私自身は少し疑問を抱くが、バロック・オペラに疎いので自信をもって語ることはできない。少なくとも、多くの人にこのオペラを心から楽しませるにはうまい手だとは思った。

 とてもおもしろいストーリー、そして美しい音楽、素晴らしい歌手たちの声を堪能した。バロック・オペラ、なかなかおもしろい!

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プラッソンのラストコンサート フォーレのレクイエムに涙した

 2024年8月13日、東京オペラシティ・コンサートホールで、東京二期会プレミアムコンサート2024ミシェル・プラッソン日本ラストコンサート Au revoir!を聴いた。指揮はミシェル・プラッソン、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、合唱は二期会合唱団。オルガンは石丸由佳。曲目は前半にラヴェルの「マ・メール・ロワ」と「ダフニスとクロエ」第2組曲、後半にフォーレの「レクイエム」。90歳を超すプラッソンの日本最後の公演。素晴らしかった。

 東フィルは見事にフランスの音を出した。精妙にして繊細。ラヴェル特有の、しなやかでありながらも芯の強い硬質の音を出す。プラッソンも完全にオーケストラを把握している。全体的にゆっくりと音楽を進めるが、弛緩しない。「マ・メール・ロワ」は音の絡みが鮮明。「ダフニスとクロエ」はラヴェルのオーケストレーションの腕前を堪能。合唱も効果的。管楽器の美しさにうっとりした。

 前半も素晴らしかったが、やはり私の目当てはフォーレの「レクイエム」だ。最初のうちはオーケストラが少しまとまりに欠けるところはあったが、だんだんと静かで深い祈りの心が広がっていくのがわかった。小森輝彦のバリトン独唱も素晴らしい。力むことなく静かに祈りの心を歌う。「サンクトゥス」あたりから本当にこのレクイエム特有の、心の奥底で静かに祈りをささげるような音楽が聞こえてきた。大村博美のソプラノも、音程のたしかな美声で、清澄にして信仰にあふれている。最終曲「天国にて」は私の大好きな曲。涙なしには聴けない。なんという美しい音楽だろう。なんという天国的な音楽だろう。天上を魂が浮遊している! プラッソンはフォーレの祈りを見事に音にしていく。

 プラッソン自身が客席に向かって英語で何事か語って(声が小さかったので、「ヴェリー・ショート」という言葉以外聞き取れなかった)、アンコールは「ラシーヌ賛歌」。昔、よく「レクイエム」とカップリングされていた小曲。これも素晴らしかった。

 プラッソンにはCD初期の時代からなじんできた。実演もたびたび聴いた(いつだったかのブログに「プラッソンを初めて聴く」と書いたことがあるが、後で調べたら、それ以前にも聴いていた!)。ドイツ音楽好きの私にとってプラッソンは、最も好きな指揮者というわけではなかったが、フランス音楽を聴きたいときには、この指揮者を選ぶことが多かった。プラッソンの録音によって、私はグノーやマスネやドリーブのオペラを知った。最後の来日公演でフォーレの「レクイエム」を聴くことができて幸せだった。

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オペラ映像「ジークフリート」「リナルド」「仮面舞踏会」

 猛暑が続いている。セミリタイアの私の今の身分では、特に今の時期は無理に外に出る必要がない。自宅でごろごろしていることが多い。オペラ映像を数本みたので、簡単に感想を記す。

 

ワーグナー 「ジークフリート」 202210月 ベルリン国立歌劇場

 先日から見続けている、2022年のベルリン国立歌劇場の「ニーベルングの指環」の3作目。これまでと同じように、ティーレマン指揮の演奏は最高。ディミトリ・チェルニャコフの演出は意味不明。

「ワルキューレ」に引き続き、舞台は何かの研究所という設定。その片隅にミーメの部屋があり、ジークフリートが暮らしている。そこにさまよい人(ヴォータン)が現れるが、「ワルキューレ」では、ヴォータンはこの研究所の所長らしかったが、今回は、かなり老けた様子で、おそらくすでに引退して、ヌシのように研究所内をうろつく老人といったところ。ジークフリートは子供のように行動するが、第一幕、刀を溶接する際、大事にしていたらしいおもちゃを焼き尽くして、大人の仲間入りをする。第二幕では、アルベリヒは歩行器を使って歩く老人として登場。ミーメやヴォータンとのやり取りはまさに手足の不自由な老人どうしの喧嘩。ジークフリートは研究所に実験を受けに来た若者ということだろうか。白衣を着た女性(のちに、森の小鳥の歌を歌う)に導かれて、実験室をうろつく。ファフナーは精神疾患の患者として登場。もちろん、大蛇の姿ではなく、ただふつうにジークフリートと格闘して敗北。ジークフリートは白衣を着た研究所の所員(森の小鳥)に導かれて外に出ようとするが、いつまで行っても研究所から出られない。第三幕、ブリュンヒルデは火に包まれておらず、「睡眠ラボ」で眠っている。迷い込んだジークフリートがブリュンヒルデを起こして愛を交わす。・・・うーん、なんのこっちゃ!

「ワルキューレ」に引き続き、さすらい人のミヒャエル・フォッレとブリュンヒルデのアニヤ・カンペが圧倒的。この二つの役を歌った伝説の大歌手たちと肩を並べるのではないか。カンペの細くてしなやかな美声でありながらも強靭。しかも女性的魅力も併せ持っている。ジークフリートのアンドレアス・シャーガーはひところよりも声の輝きが弱まった気がするが、十分にこの役を歌っている。ミーメのシュテファン・リューガマー、アルベリヒのヨハネス・マルタン・クレンツレはまさにこの役に最適。ファーフナーのピーター・ローズ、エルダのアンナ・キスユディット、森の小鳥のヴィクトリア・ランデムも申し分ない。そして、もちろんクリスティアーン・ティーレマンの指揮も緻密にして躍動的。目をつむって音楽だけを聴く方がずっと感動できると思う。

 

ヘンデル 「リナルド」(1718年ナポリ版、セキによる再構築スコア、比較校訂版) ヴァッレ・ディトリア音楽祭 2018

 本来のヘンデルのオペラそのものではないらしい。バロック・オペラにあまりなじんでいない私としては、詳しいことはよくわからない。が、ともあれ、とても楽しむことができた。かなり入り組んだストーリーだが、うまく整理されているのでわかりやすい。音楽はとても雄弁。親しみやすく美しい歌がたくさんある。

 演出はジョルジョ・サンガーティ。本来のキリスト教徒と異教徒の争いを、ロックスタイルの人々の争いに重ねあわされているらしい。私はまったくわからず、ただロックっぽい服をみんな着ているなあ、と思ってみただけだったが、見る人が見れば、それぞれの人物が有名なロックスターを連想させるらしい。

 演奏に関しては、これ以上は考えられないほどの充実ぶり。ファビオ・ルイージの指揮するラ・シンティッラ管弦楽団という古楽器オーケストラが見事。おいおい、ルイージはこんなこともできるのか!と思ってしまう。リナルドのテレサ・イェヴォリーノ、アルミーダのカルメラ・レミージョ、ゴッフレードのフランシスコ・フェルナンデス=ルエダ、アルミレーナのロリアーナ・カステッラーノ、アルガンテのフランチェスカ・アシオーティ、エウスターツィオのダーラ・サヴィノワ、いずれも申し分のない音程の良い美声。とりわけ、イェヴォリーノとレミージョが素晴らしい。

 長いオペラだったが、まったく退屈しないでみられた。

 

ニールセン 「仮面舞踏会」(ドイツ語版)2021122,4日 フランクルフルト歌劇場

 ヴェルディの「仮面舞踏会」ではない。ニールセンの珍しいオペラ。私はこの映像で初めてこのオペラを知った。デンマークでは人気のオペラだという。

 実はニールセンは好きな作曲家ではない。おそらく交響曲は全曲聴いたことがあるとは思うが、どれもそれほどおもしろいとは思わなかった。そして、このオペラもまた、あまりおもしろいとは思わなかった。

 青年レアンダは、親の決めた婚約者がいるのに、仮面舞踏会に参加して、そこで出会った女性と恋に陥ってしまう。そこに、レアンダの両親の不仲と仲直りがからむ。結局、新しい恋の相手こそが婚約者だったことでめでたしめでたしで終わる。ありがちな喜劇。ただ、そのわりに音楽は軽妙ではない気がする。活気はあるが、これと言って特徴のない音楽がずっと続いていく感じがして、私は残念ながら魅力を感じない。

 ただ、歌手陣は全員が素晴らしい。歌がうまいだけでなく、容姿を含めてまさにその役にふさわしい。レアンダのマイケル・ポーターはしっかりした美声。召使のヘンリクを歌うリヴィウ・ホレンダーは歌のうまさもさることながら、まさに芸達者。レオノーラのモニカ・ブツコフスカはこの役にふさわしい雰囲気。父親イェロニムスのアルフレート・ライター、母親マグデローネのスーザン・ブロックともに見事。

 指揮はティトゥス・エンゲル。しっかりとまとめている。演出はトビアス・クラッツァー。現代の若者劇に仕立てており、とてもおもしろい。

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周防亮介のイザイ  とてつもない演奏!

 202488日、トッパンホールで周防亮介イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏を聴いた。素晴らしかった。感動した。第1番は少し硬かったが、第2番からは、すごいこと、すごいこと! 

 第1番の最初の音の激しさに驚いた。これまで聴いた周防の音から、もう少し線の細い美音を予想していた。だが、太くて激しい美音! 様々な感情をたたきつけるようだが、それがこの上なく美しい音で奏でられる! そうした美音でスケール大きく弾く。フレーズごとの雰囲気をそれほど大きく変えない。しかも、ものすごい緊張感! 一つ間違うと一本調子になってしまうような演奏だといってよいだろう。だが、フレーズごとに細かいニュアンスの違いと美音によって観客はぐいぐいと引き込まれる。

 第2番の「怒りの日」の凄まじさに圧倒された。恐ろしい死の形相が現れる。それがさまざまに形を変え、沈潜していく。第3番のバラードも、美音による心の叫びにほかならない。低音も高音もフォルテもピアニシモも深みのある美しい音! しかも、テクニックも見事。それぞれの曲の最終部分の高揚も素晴らしい。あまりの高揚に叫びだしたくなる。

 後半の第456番も、私には同じアプローチに思えた。フレーズによって雰囲気を大きく変えないのと同じように、ソナタのそれぞれの曲の雰囲気の違いもあまり変えていないように思えた。いずれも同じようなアプローチであるからこそ、求心的になり、すべての曲が同一方向を向いて、一つの世界を作り上げていく。

 周防亮介。姿かたちの変容に驚いてきたが、その音楽性の飛躍にも驚いた。いつの間にかとてつもないヴァイオリニストになっていた!

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小泉&都響のブラームス 円熟の極み!

 202481日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京都交響楽団の演奏会を聴いた。指揮は小泉和弘。曲目は前半にモーツァルトの交響曲第40番、後半にブラームスの交響曲第1番。素晴らしい演奏だった。

 まさに円熟。何もひけらかさない。なにも誇張しない。無理やりのところはまったくない。基本的にいつものスタイルで前かがみになって両手を動かすだけ。その動きによってオーケストラの音楽に勢いが生まれ、歌が生まれ、高揚が生まれる。タメを作って大きく鳴らすところはあるが、それもきわめて自然。それなのに、ぐいぐいとオーケストラを引っ張り、観客を感動させる。

 モーツァルトのほうは、私はもう少しだけ「悲しみ」を強調してもよいのではないかと思って聴いていた。かなり抑え気味の演奏だった。もちろん、音楽に勢いがあり、音色は美しく、音の絡まリは素晴らしい。都響サウンド言うべき、しなやかで潤いのある音の重なり。構成感もしっかりしていて、きわめて理にかなった音楽の展開。ただ、あまりに自然すぎ、あまりに理にかないすぎていると思った。が、終楽章でまさに小林秀雄が言うような「悲しみの疾走」になった。なるほど、このような展開にしたかったのか!と思った。抑え気味にして、最後にひそかに悲しみが疾走していく。

 ブラームスの方は最初からティンパニが大きく鳴り、悲劇的な要素を前面に押し出す。しかし、これもまったく誇張はない。なるほど、ブラームスはこう書いているのだろう。いかにもブラームスらしい重心の低い安定した演奏。木管は美しく、金管はどっしりし、弦楽器は抑制しながらのロマンティックな思いを語る。そして、それらのバランスがとてもいい。まさにいぶし銀の世界。すべての音が安定し、安定した中で高揚し、情熱が静かに高まっていく。そして、大きく爆発していく。それが唐突感なく、作り上げられていく。

 久しぶりにオーソドックスな小泉のモーツァルトとブラームスの超名曲を聴きたいと思って足を運んだのだったが、いやいや、期待以上に素晴らしかった。もちろん以前から素晴らしい指揮者だとは思っていたが、この円熟はただごとではない。大指揮者にこのようなことを言うのはあまりに失礼だとは承知しているが、なんだかもう一段高いレベルに到達したように思った。まさに巨匠だと思った。

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