2024年10月14日から23日まで、イギリス、アイルランドに旅行した。イギリスは1986年、2000年につづいて3回目。24年ぶりということになる。アイルランドは初めて。
この10年ほど、母の容態がよくなく、いつ何が起こっても不思議はない状態なので、海外旅行に行ってもアジア地域、しかも5日前後の日数にしていたが、母の状態も安定。息子がロンドンに滞在しているので、大学が学園祭で休講になるこの時期を狙って出かけたのだった。ただ、出発直前に母の体調が悪くなったのでひやひやしながらの旅行だったが、母も持ち直し、ともあれ無事に帰ってこられた。息子があちこち案内してくれて、楽しい旅行になった。
すでに10月24日(帰国の翌日だった)に東京文化会館でみた「影のない女」についての感想をアップしたので、時間的に前後するが、旅の簡単な報告をここに記す。これまで同様、私の技術不足のせいで、このブログに写真を載せることができない。残念だが。
10月14日
13時0 5分羽田出発。
ヒースロー空港で、滑走路に別の飛行機が現れたということで、着陸やり直し。しかし、大きな動揺なく着陸。ヴィクトリア駅付近のホテル。雰囲気があって清潔。この値段だったら、日本では豪華ホテルのはずだが、イギリスでは普通のホテル。
15日
朝、早く目が覚めたので、ハイドパークを散歩。ぽつりぽつりと散策する人がいる。気温は10℃前後。晴れていて気持ちがいい。
その後、息子が来てくれてロンドンを案内してくれた。バッキンガム宮殿の前を通って、ナショナルギャラリーへ行き、レンブラントなどの絵を鑑賞。その後、ウォーターストーンという書店見物。書店は、一つの美術館のよう。空間をぜいたくに使って、色彩美しく展示されている。ただ、日本文学も日本史もスペースは少ない。当然のことではあるが、ヨーロッパが知的関心の対象であって、それ以外は旧植民地であった地域がこちらの人の関心であることがよくわかる。ただその中に、村上春樹の数冊があり、柚月麻子の「バター」は平積みになっていた。
フォートナム&メイソンというデパートでちょっとしたおみやげ物を買って、バスでウェストミンスター寺院へ。入場料が1人30ポンド。今の価格では6000円。2人分払って、なんと12,000円!
堂々たる建築物で、その威容はさすがなのだが、フランスやイタリアの寺院と比べてどうも俗っぽく感じる。装飾が簡素で機能的というか。
24年ぶりのロンドンだが、全体的な印象は変わらない。以前もパリよりもずっと整然としているという印象を抱いていたが、今回もそう思った。2階建てのバスが走り、機能的に都市が動いている。
外国に行って最も気になるのは、公共交通網の切符の買い方、乗り方だが、クレジットカードでバスや地下鉄にそのまま乗れるのもありがたい。グーグルマップで交通経路を調べ、その通りに乗ればどこにでも行くことができる。私は、ドコモを使用しているので、「そのままギガ」を契約。ありがたいことに、海外でも自由にスマホが使える。
以前来た時も、「アングロサクソンの国と言われるわりには有色人種が多い」と思ったが、今回はそのレベルではない。ロンドンのどこを歩いても、白人は半分以下の比率という感じ。東洋系が多い。昔は東洋系と言えば、定住している中国系らしい人以外は日本人だったが、今は、様々な国の出身者がいるようだ。本当にさまざまな言語が聞こえてくる。まさにグローバル社会!
16日
大英博物館を訪れて、アフリカと日本の展示物を中心に見た。英国から見た世界が良くわかる。あえて植民地主義とは言わないが、どうしてもヨーロッパ中心の地理、ヨーロッパ文化がスタンダードであって、アフリカ、アジアは、それなりに魅力的な、しかし未開の文化という扱い。しかももちろんかつて英領であった地域が中心。
お昼は中華街を歩いて、中華の店で北京ダックなどを食べた。おいしかったが、高い!
夕方、コヴェントガーデンの英国ロイヤル・オペラ・ハウスで「フィデリオ」をみた(これについては別に感想を書く予定)。劇場の周辺は市場になっており、オープンスペースのレストランがたくさんあった。映画「マイ・フェア・レディ」でオードリー・ヘプバーンが歌ったうす汚れた市場(他は吹替だったが、ここで歌ったのだけはヘプバーン自身だったといわれている)があるのではないかと思っていたが、さすがにもうきれいに整備されたようだった。
17日
ひとりでロンドン出発のツアーに参加して、ウィンザー城、ストーンヘンジ、バース観光。
ヴィクトリア・コーチ・ステーションで7時半に集合、エヴァンエヴァンズ社の観光バスで出発することになっていたが、日本語ガイドツアーのはずなのに、日本人らしい人が数人しか見当たらないので心配になった。結局、日本人は7人、他の国の人が20数名の総勢30人前後のツアーだった。ガイドさんは、おそらく70代のイギリス人女性。英語の発音はとてもきれいで流暢。日本語はたどたどしい。英語で説明した後、その三分一くらいの時間で日本語で話す。ずっと語りが続くので、私としては少々煩わしかった。
ウィンザー城はウィンザー家の居城。清潔できれいに整備されており、歴史から現在までの王族の生活ぶりがわかる。城からの見晴らしが絶景。ただ、ヴェルサイユ宮殿などに比べると、かなり簡素で、宗教性が薄いのを感じた。衛兵交代式をみることができた。金色や赤色の兜をかぶったトロンボーン中心の楽隊の後、大きな黒い帽子、赤い軍服、黒いズボンの兵隊が行進。道路わきは観光客の人だかり。
1時間以上バスに乗って、次はストーンヘンジ。
施設の入り口から行列を作ってシャトルバスに乗り込み、数分して降ろされ、野原を歩いて、ストーンヘンジの石が見えてくる。観光客が取り巻く中、青空の下に十数個の石が見える。日本の神社などにもありそうな石たちなのだ、5000年ほど前からここにあるとすると、これは確かにただごとではない。どうやってこれらの石が運ばれたのか、これにどのような意味があるのか、まだ不明だと言う。ただ、単なる石なので、観光客としては、とりわけ感動するものはなかった。
再び1時間ほどかけて、今度はバースへ。バースと日本語で呼んでいるが、要するにBath、つまり「お風呂」。温泉が出て、ローマ時代のお風呂が作られ、それによって発展した街。中世の佇まいがあちこちに残っており、歩くだけでも落ち着く。ローマ時代の浴場に入った。日本語の音声ガイドなどがついて建物の中を見て回った。映像などでローマ時代が再現されている。
ただ、カルカッソンヌやモン・サン・ミシェルなどと比べると、これもいかにも簡素。ごてごてしたフランスやイタリアの建築物よりもずっと機能的なのを強く感じる。
高速道路を通って、2時間半ほどかけてロンドンに戻った。左右に牧場が広がり、満月が見えた。
18日
午後、ヴィクトリア駅から列車でカンタベリーへ。1時間半ほどで到着。綺麗で乗り心地の良い郊外電車。カンタベリー・イースト駅で降りて10分ほど歩いてカンタベリー大聖堂に到着。途中から大聖堂の屋根が見えてその方向に歩いた。
素人なので、建築様式などについてはまったくわからないが、シャルトル大聖堂に行った時のことを思い出した。同じような佇まいの静かな街。威容を誇る大聖堂。
大聖堂の中を見物。厳かで壮大で静か。
19日(ロンドン→ダブリン)
息子とダブリン一泊旅行を予定していた。
ヒースロー空港のアイルランドの航空会社Aer lingus の搭乗手続きは大混乱。担当者2人が搭乗手続きをしていたが、モタモタしていてなかなか進まない。
1泊だけなので荷物は預けずに、手荷物だけにしたが、セキュリティにひっかかって大変だった。アラームが鳴ったということで、別のところに連れて行かれ、バッグの中を荷物の一つ一つ、空のバックの各部分に何度もスキャナーのような機械をあて、それを分析機にかける。私は手動タイプのお尻洗浄機を持ち歩いているが、それを出されて、「これは何か」と聞かれて返事に困った。が、ともあれ、何度やってもアラームが鳴る。なぜアラームが鳴るのか担当者にもわからないとのことで、結局、責任者のような人が来て、私のパスポートを見ながら何かの書類に書きつけていたが、ともあれ通してもらえた。
ダブリン空港に無事到着。ただ、着陸から30分ほど、タラップや移動用のバスが到着せず、飛行機の中に閉じ込められたままだった。アイルランドでは、イギリスに比べてこの種の不手際を感じることが多かった。
アイルランドを訪れるのは初めて。私にとっては、オスカー・ワイルド、ジェームス・ジョイス、サミュエル・ベケットの祖国。そして、ワーグナーの様々な作品の素材になった国。それ以外にはほとんど知識がない!
タクシーで市内のホテルに。晴れていて気持ちが良い。緑の多いきれいな道路。ただ道はかなり渋滞していた。
ホテルでも、予約がうまく伝わっておらず、チェックインにかなりの時間を要した。
荷物を置いて早速食事。ホテル近くのバルト海料理の店で食べた。たまたまかもしれないが、イギリスでそれまで食べたどこよりもおいしかった。値段もロンドンの3分の2くらい。日本の2倍くらい。安いと思うようになってしまった。
まずは、ダブリン城をめざすことにした。
マルボロ・ストリートを歩き、目についたプロ大聖堂を見ながら、先に進んだ。
ひょいと見ると、不思議な大きな塔があったので、その方向に歩いた。
それはダブリンの尖塔と呼ばれるもので、2002年に設立された高さ120メートルの金属製の尖塔。そのすぐ横に円形のモニュメントがあり、人だかりができていた。円形のモニュメントがディスプレイ面になっており、そこは映像が映し出されていた。その映像はニューヨークのもので、ニューヨークと映像でつないで友好の象徴にしようとして作られたものだと言う。ところが不適切な使用がなされたためしばらく中止され、今年になって再開されたとのこと。
それにしてもこの国はイギリスの影響を強く受けながら、英国には強い敵愾心を抱き、アメリカに好意を抱いているのを感じる。アメリカに渡ったアイルランド人が多いこともその理由だろう。空港にもアメリカ国籍の人間を優遇するような標記があった(どんなものだったか忘れた!)。きっとイギリスとアイルランドは、日本と韓国のような関係なのだろう。
オコンネル通り(もちろん、アイルランド解放の英雄ダニエル・オコンネルにまつわる名称だろう)を歩いた。ダブリンの中心的な通りのようだ。広い通りで左右にはデパートや様々なお店が並んでいる。土曜日だったので、人出も多くごった返している。本当にいろんな人種の人たちがいる。東洋系も多い。インド系アフリカ系も見かける。
ロンドンとはかなり雰囲気が異なる。ちょっとうらぶれた感じがする。ロンドンほど高級な店がなく、ロンドンほど近代的な建築物がない。せいぜい、5階建て、6階建ての建物。むしろ私は、40年以上前に歩いた東ヨーロッパの国や、数年前に旅行したイルクーツクの街並みを思い出した。
あちこちをトラムが走り、ちょっと古ぼけた建物が左右に並び、普段着の人々が歩いている。なんだか少し街の色が薄い気がする。
英国国教会とカトリックの違いもあるのかもしれない。英国とは異なる、フランスの裏町を歩いているような気分になる地区もある。もう少し厳密に考えてみなければわからないが、直感的には、やはりイギリスと大陸の中間のような感じがする。
オコンネル橋を通ってリフィー川を渡って川沿い歩いた。よどんだ川。川辺の道にも商店やレストラン、パブが並んでいる。だが、いずれも年代を帯びた雰囲気。10分ほど歩いたところにダブリン城があった。
ダブリン城は1204年に初めに建てられ、その後、改修されて現在に至る。イギリスによるアイルランド支配の象徴だと言う。石畳の中庭はとても美しく、どこから見える灰色の石造りの城は、とても赴きがあった。
その後、私の最も好きなアイルランド作家であるオスカー・ワイルド記念館の方向に行こうとしているうち、トリニティ・カレッジ・ダブリンの構内に入っていることに気づいた。要するにダブリン大学ということらしい。とても雰囲気のある大学。日本の国立大学の雰囲気にとてもよく似ている。芝生が広がり、校舎と校舎を結ぶ静かな道を学生たち、そしてもしかしたら周辺住民や観光客?も歩いている。
歩いてオスカー、ワイルド記念館に行った。ワイルドの生涯を解説する短い映画を見て何かを見物。ワイルドの生涯、そして同性愛に関するスキャンダルなどを解説した動画だった。
バスでホテルに戻って休憩。その後、夕方からテンプル・バーに歩いて中に入ろうとしたが、ものすごい人だかり。お店の中も大きな音を立てて、大勢の人が大声で喋りながら飲んでおり、中に入る雰囲気ではない。少し歩いてリーフィ川沿いのパブに入った。ここも大きな音楽がかかり、お客さんが大声で喋っていてゆっくりできない。ギネスをいっぱいだけ飲んで外に出た。
ホテルに戻って、ホテルのレストランで夕食。フィッシュ・アンド・チップスを頼んだ。おいしかった。イギリスとは段違いにおいしい!
20日(ダブリン→ロンドン)
気温は10℃ほどだったが、かなりの強風。体感的にはかなり寒かった。
中央郵便局(1916年、アイルランド独立の義勇軍司令部がおかれた場所)、クライストチャーチ(地下礼拝堂のある大聖堂。聖人の心臓、猫とネズミのミイラなどがあった)、
聖パトリック大聖堂(13世紀建造)をみた。聖パトリック大聖堂の前の広場では市が立てられており、テントの下にパンや雑貨品、絵画などが売られていた。
歩道を歩いているとき、ショルダーバッグに異変を感じてふと振り向くと、中東系に思われる40歳前後の男女四人がすぐ後ろを歩いており、男の一人が私のバッグの中に手を突っ込んでいた。すぐに払いのけたら、男は笑いながら何かを言って遠ざかっていった。きっと「たまたまぶつかっただけだよ」とでも言っているのだろう。金目のものはすべて身に着けており、バッグには常備薬や筆記用具、ティッシュペーパー、ガイドブックくらいしか入っていない。男もきっとがっかりしただろう。こちらは私と、私と同じくらいに腕力に自信のない息子の二人。衝突しても勝ち目がないので、そのままにした。
午後には郊外までバスで行って、キルメイナム刑務所(アイルランド独立のための闘士が入獄していた)をみた。館内ツアーに参加したら、ガイドさんの言葉が不思議な節回しの英語でまったくと言っていいほど聞き取れなかった。途中でめげて退出。
台風並みの強風になったので、欠航になるのではないかと心配して早めに空港に行った。19時のヒースロー行きは1時間ほど遅れたが、ともあれ離陸。無事ヒースロー到着。
ロンドンの後半の宿は、ファランドン駅付近のビジネスホテル風のホテル。それなりに快適だが、設備はそこそこ。しかし、このくらいの値段を出せば、日本では高級ホテルに泊まれる。
21日
昔、ヴァレリー・ラルボーの短編を読んで、チェルシーという地域が気になっていたので、ひとりでスローン・スクエア駅まで地下鉄で行き、周辺を歩き回った。おしゃれな裏通りを歩き回るうち、ハロッズが目に入った。有名なデパートではないか! 中に入ってみたら、高級ブランド品が並んでいて、これは私の立ち入るところではない。が、うろうろしているうち、地下にお土産物コーナーがあることに気づいた。孫たちにお土産を買った。
その後ホテルに戻ろうとしたが、Google マップでよく似た名前の別のホテルを指定したようで、まったく違う場所に導かれた。しかも悪いことに、「そのままギガ」がこの時に限って「圏外」になってしまい、しばらく動きが取れなかった。
30分ほどで回復。昼過ぎにようやくホテル到着。
15時に息子と合流。ベイカー街のシャーロック・ホームズ博物館見物。ロンドン・ブリッジ、タワー・ブリッジ、ロンドン搭など、定番の観光地を歩いた。これまでの二度の旅行でも見たはずだが、覚えがない。
ロンドン最後の夜、息子と二人で日本料理店・池田で食事。外国でこんなにおいしい寿司が食べられるのか!と驚くほどおいしかった。翌々日には、私は日本に帰るので、行きつけの安くておいしいすし屋に行けば五分の一、あるいはことによると十分の一くらいの料金で同じくらいおいしい寿司を食べられると思ったが、私の旅行に付き合ってくれた息子への感謝の気持ちとしてごちそうすることにした(もっとも、息子のほうは、ホームシック気味だったところに私が訪れたので、これ幸いと日本語で話しまくり、ついでにすっと食べたいと思っていた日本食を食べるのに私の財布を利用したということなのかもしれないが)。
22日~23日
早朝にヒースロー空港に行き、9時40分の日航機で日本へ。日本時間、23日午前7時過ぎに無事、帰国。
今回の旅行で感じたこと
・2014年を最後にフランス、ドイツにも行っていないので、今のほかのヨーロッパの国がどのような状況なのかわからないので、ロンドン独特の状況を語ることができない。大した発見をすることはできなかった。
・悲しい話だが、まずは日本人の誰もが最初に驚くのは物価の高さだろう。何もかもが高い! 日本経済の低迷、円安(1ポンドが約200円だった!)などが原因だろうが、それにしても! すべてのものが日本の3倍から4倍。レストランに行って、パスタなどでも1品10ポンド以下のものはほとんどない。飲み物などをつけると、20ポンド、つまり4000円くらいになる。しかもまったくおいしくない!
・グローバル化がはなはだしい。かつてはさまざまな人種の人がいるとはいえ、ロンドンではみんなが英語を話していたような気がする。ところが、今は、観光地でないところを歩いていても外国語が普通に聞こえてくる。隣の人、あるいは携帯電話で母語で話している。ほとんどの人が2か国語を使っているのだろうが、もしかしたら母語しかできない人もいるのかもしれない。
・レストランでのこと。隣の席で若い二人が盛んにしゃべっていた。一人はおそらくネイティブ、もう一人は中東出身。ふつうに流暢にしゃべっているが、中東出身らしい人の英語の発音は、私が聴いてもかなりおかしなものだった。そう思って聞くと、聞こえてくる英語の発音がかなりひどい。もはや、「きれいな英語」である必要はなくなっているのかもしれない。
・以前に比べて掃除が行き届いているように思った。世界中で清潔意識が高まっている。もしかしたら、コロナの影響?
・グローバル化が進んでおり、どこに行っても様々な人種。ただ、ロイヤル・オペラハウスに行くと、もちろん私を含めて有色人種も大勢いるが、圧倒的に白人の比率が高くなる。クラシック音楽は白人文化だということなのだろう。
・以前ロンドンを訪れた時、あちこちで日本人観光客に出会った。時期によるのかもしれないが、今回は、バッキンガム宮殿やホームズ博物館のような定番の箇所で数人見かけるくらいだった。中国人、韓国人観光客には大勢出会った。円安のせいもあるのかもしれないが、日本人は外国旅行を控えている? 両替のお店をのぞいてみたが、円のレートが出ていないお店が多かった。日本の存在感が薄れている。
・個人的なことだが、このトシで英語圏を一人で動き回るのはつらいと思った。英語圏では、英語を話すのが当然という前提で話しかけられる。ほかの国では、外国語として英語で話しかけられるので、いまのところ、まあどうにかなる。私の英語力とフランス語力は20歳代をピークにして、今や底を打っている。
・クレジットカードとスマホがあれば、迷わずに目的地に到着できる。キャッシュレス化しているので、現地の現金に換える必要もない、私は英国ポンドとアイルランドのためのユーロに換金して出かけたが、まったく現金は使わなかった。
・あいかわらずイギリスは食べ物がまずい。よく言われることであるし、私自身、これまでのロンドン滞在で十分に体験していたが、今も変わらないのにショックを受けた。グローバル化のためにいくらか改善されていると思ったのだが、相変わらず味がない。エスニック料理だともっとおいしいのかもしれない。
・ダブリンは、明らかにロンドンと雰囲気が異なる。単に小都市と大都市の違いを超えて、宗教の違い、歴史の違いがあるのだと思う。だが、知識を十分に持たない私にはどう違うのは分析的にとらえることはできない。
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