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福生市民会館「こうもり」 楽しかった!

 2024年12月28日、福生市民会館大ホールで、当会館の音楽監督・又吉秀樹氏の監修によるオペレッタ「こうもり」(ピアノ伴奏・日本語上演)をみた。

 先日のコンサートでこの公演のチラシをもらった。又吉さんの人脈なのだろう、歌手陣が豪華。これは福生まで行かずばなるまいと思ったのだった。

 ピアノ伴奏は河原忠之。序曲の冒頭部分では、まだ指が温まっていなかったのだろう、ミスタッチが目立ったが、すぐに立て直し、このオペレッタにふさわしい雰囲気を作り出した。さすがというしかない。巨匠の手腕というべきだろう。

 演出は吉野良祐。又吉さんの発案なのかもしれないが、ご当地ギャグをふんだんにいれた、元の台本からしばしば離れる日本語台本。途中、子どもたちの合唱団が登場して、別の曲(「ヘンゼルとグレーテル」?)を歌ったり、舞台上にいた大人の合唱団が日本の合唱曲を歌ったりと、かなり自由な出入りのある上演だった。いずれも福生市民中心の団体のようだ。

 オペレッタなので硬いことを言っても仕方がない。なかなか楽しい。ただ、「十人十色」という言葉が頻出し、「多様性」を強調する台本だったが、このオペレッタのどこに多様性のテーマがあるのかよくわからなかった。むしろ、性的少数者を表現しているとみられるオルロフスキーを子どもに演じさせて、そうしたテーマを薄れさせているように思えた。それにしても、なぜ、オルロフスキーを子どもにしたのか、私には納得できなかった。セリフ回しについては、驚くべき才能の少年だったが! 

 歌手陣はまさに日本を代表する名歌手たち! 日本語なので、むしろ歌いにくかっただろうが、みんな見事に克服している。アイゼンシュタインの大沼徹は素晴らしい。楽しんで歌っているのがよくわかる。声が伸びて、音程も完璧。肩の力を抜いた演技もおもしろい。ロザリンデの田崎尚美も豊かな声量で、チャルダーシュも迫力満点。アルフレードの中島康晴も、しっかりした美声でこの役にふさわしい。

 そのほか、ファルケの大川博、フランクの三戸大久、オルロフスキー(代理)の吉田連、アデーレの肥沼諒子、ブリントの高橋淳。いずれも見事。とりわけ、ブリントの高橋さんの絶妙の演技に脱帽。そして、フロッシュをなんと又吉さんご自身が演じた。ユーモアのセンスのある方だけに観客をうまくのせて舞台を楽しくした。高橋さんや又吉さんのような芸達者な人が脇を固めてこそ、オペレッタは生きてくる!

 又吉さんが音楽監督に就任して、福生市民会館はこれからクラシック音楽の企画を進めていくという。「こうもり」はまさに又吉さんお得意の演目だったわけだが、これからの手腕が問われることになるだろう。楽しみだ。私としては、福生がオッフェンバックやレハールなどのオペレッタの聖地になってくれるととてもうれしいのだが・・・。

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ルイージ&N響の第九に興奮!

 2024年12月23日、サントリーホールで、NHK交響楽団第9特別演奏会を聴いた。

 第九の始まる前に、中田恵子のオルガンで、バッハのトッカータとフーガ ヘ長調が演奏された。第九の前にオルガン演奏がなされることが増えているが、鍵盤楽器にあまり関心のない私としては、「第九だけでいいのになあ」といつも思っている。

 第九の指揮はファビオ・ルイージ。今年は、アンジェリコ指揮の読響、ワタナベ指揮の東フィルとも、私は不満を覚えたのだったが、ルイージ&N響は圧倒的名演だった。感動した! 興奮した! さすがというべきだろう。

 ルイージらしいというか、シャープで力感にあふれた演奏。かなりの快速だが、オーケストラがしっかりと鳴って、一つ一つの音に生命力があるので、心の中にグイッと入り込む。すべての音が完璧にコントロールされているのを感じる。構成感もがっしりしており、推進力もすさまじい。小細工は一切ない。あまりに理にかなっており、しかもベートーヴェンの心の奥をえぐって聴かせてくれる。

 第1楽章はまさに深い苦悩の奥を覗き見た雰囲気がある。最後の部分も圧倒的な盛り上がりを聴かせてくれた。第2楽章は躍動する。躍動するが、音が濁らない。第3楽章も天上を上昇していく雰囲気。清澄にして美しい。第4楽章のレチタティーヴォの部分も、まさに楽器同士が対話をしているかのよう。

 バス・バリトンのトマス・トマソンの独唱は少し個性的だった。ちょっと酔っ払ったような雰囲気を感じたが。これでよかったのだろうか。これまで実演や音楽ソフトでこの人の生真面目な歌唱を聴いてきたが、少し雰囲気が違った。テノールのステュアート・スケルトンはワグネリアンらしい張りのある声。みごと! ソプラノのヘンリエッテ・ボンデ・ハンセンとメゾ・ソプラノの藤村実穂子も素晴らしかった。合唱やオーケストラに埋もれることなく、ビンビンと響く。冨平恭平合唱指揮による新国立劇場合唱団も今回はバランスが取れ、声もしっかり出ている。

 いやいや、歌手陣も素晴らしいが、第4楽章でもオーケストラが圧倒的! 私は、この第九という曲、第3楽章まで音楽として完璧! そこで真面目な音楽はひとまず終わって、その後、反省会が開かれ、どんちゃん騒ぎの宴会になるのが第4楽章だと思っている。今回もその通りだと思ったのだが、ルイージの指揮では、第4楽章もそれ以前と同じようにすさまじい集中力で鳴り続ける。凄い! 折り目正しく熱狂する宴会になった!

 最後まで興奮した。今年も第九に心から感動できた。

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ケンショウ・ワタナベ&東フィルの第九 第2楽章まではとてもよかった!

 20241220日、オペラシティコンサートホールで、東京フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン『第九』特別演奏会を聴いた。指揮はケンショウ・ワタナベ。

 ケンショウ・ワタナベは日本生まれで子どものころにアメリカに移り住んだらしい。ネゼ=セガンのアシスタントを務め、今後、世界的な活躍が期待されているという。ネゼ=セガンは私のひいきの指揮者の一人なので、ぜひ聴いてみたいと思ったのだった。

 第九の前に演奏された「フィデリオ」序曲は、冒頭のフレーズの勢いにぐっと来た。その後も、エネルギッシュで初々しい。とてもよい演奏。ただ、東フィルの音にまとまりがなく、ちょっと不安を覚えた。

 第九については、第2楽章までは素晴らしいと思った。正統派だと思う。無理なことは少しもしない。自然な流れの中に、時々ハッとするような強い音、あるいは美しい音が響く。音のまとまりもよく、内声部も美しい。溌剌として初々しく鮮烈。それ以上の踏み込んだ表現がなされないという不満はないでもないが、これだけオーケストラをコントロールしているのはたいしたものだと思った。先日聴いたアンジェリコと読響の演奏より私はずっと惹かれた。

 第3楽章も、美しい音の重なりで静寂の中に天国的な高まりを聴かせてくれたが、肝心のホルンのソロの部分で音が出ずに崩壊! なんてことだ! その後、ちょっとぎくしゃくした。第4楽章に入って持ち直したかに見えた。レチタティーヴォの部分は知的に、繊細に進めてなかなか良かった。が、歌が入ってから、またまたおかしくなってしまった。

 バリトンの上江隼人はオペラの悪役のような歌い方。まるで「トスカ」のスカルピアではないか。ちょっと違和感を抱いた。テノールの清水徹太郎も、オペラ的な歌いまわし。指揮者の指示だろうか。ソプラノの吉田珠代、アルトの花房英里子ともに実力を発揮しているようには聞こえなかった。いや、一人一人は悪くないと思うのだが、4人のバランス、合唱(三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団)とのバランスがよくなく、バタバタになってしまった。この指揮者、まだ合唱の扱いに慣れていないのだろうか。最後の方は苦し紛れにめいめいが勝手に歌っているように聞こえた。

 演奏終了後、最初に指揮者はホルンに立たせようとしたようだったが、ホルンのメンバーは立たなかった。失敗はしたが、指揮者は努力を称えて立たせようとし、ホルン奏者たちは遠慮したのか、それとももっと険悪な気持ちでのやりとりだったのか気になった。私は後ろの方の席だったので表情はわからなかった。

 ところで、第九の演奏会はふだんの演奏会と客層がかなり異なる。先日の読響の第九では、第1楽章の終わりで拍手が起こり、さすがにもう大丈夫だろうと思ったら、第2楽章の終わりにもまた同じくらいの大きさの拍手が聞こえた。今日は、私の前の席に高校生くらいの男の子が座っており、第1楽章が始まったころから大きく体を動かして居眠りを始めた。まあ、それはいいとして、横にいるお母様らしい人がそれを気にしてたびたびお子さんの方に顔を向けて注意をしたり、起こそうとしたり。私としてはそちらの方が気になった。

 また隣の席の高齢(と言っても、私よりも年下かもしれない)の男性は指揮者が登場してもまだスマホに何やら書き込んでいたので、私がやめるように注意しなければならなかった。その後、演奏中も膝に置いたダウンジャケット(かな?)をいじっており、それがかさかさ音のする生地なので、私としては大いに気になった。こんなことまでマナーを呼びかけるのはなかなか難しいなあ・・と思ったのだった。

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アンジェリコ&読響の第九 若々しいが、がさつに思えた

 2024年12月17日、サントリーホールで読売日本交響楽団の第九演奏会を聴いた。

 第1部は大木麻理によるオルガン独奏。第2部はフランチェスコ・アンジェリコ指揮によるベートーヴェンの交響曲第9番。今季初めての第九。

 端的に言って私の好きな演奏ではなかった。全体的に快速。第1楽章は、かなり個性的というか攻撃的というか。テンポを激しく変えて、鋭く迫ろうとする。が、私にはあまりに不自然に聞こえる。音のまとまりもよくなく、音楽が自然に高揚しない。第2楽章は第1楽章よりも自然に流れたが、音に切れがなく、妙にうるさく感じられた。第3楽章は私の求める繊細さがなく、野放図な感じ。第4楽章になってやっと、私は音楽に乗ることができた。ただ、それでも力任せのようなものを感じて、音楽に浸ることはできなかった。

 独唱陣はとてもよかった。バスのエギルス・シリンスはさすがの安定した歌唱。素晴らしい。テノールのダヴィデ・ジュスティはかなりオペラ風の歌いまわし。少し違和感がある。ソプラノの中村恵理、メゾ・ソプラノの清水華澄もとてもよかった。合唱は新国立劇場合唱団(合唱指揮=水戸博之)。声がよく出ていたが、指揮者の指示だと思うが、少しがなり立てすぎているように思った。

 若々しくて、少々がさつな第九、というのが、私の大まかな印象だ。今日はちょっと残念。ただ、会場は沸いていたので、私の耳がついていけなかったのかもしれない。

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ノット&東響「ばらの騎士」(演奏会形式) 至福の時!

 2024年12月13日、サントリーホールで、東京交響楽団 特別演奏会「ばらの騎士」(演奏会形式)を聴いた。圧倒的な名演だった一昨年の「サロメ」、昨年の「エレクトラ」に続く演出監修サー・トーマス・アレン、指揮ジョナサン・ノット、東京交響楽団によって演奏されるのはリヒャルト・シュトラウスの楽劇の演奏会形式のシリーズ。今年もまた圧倒的に素晴らしかった。至福の時を味わった。

 最高の歌手陣! 元帥夫人を歌うミア・パーションは歌も仕草も気品にあふれ、美しい強い声で、しかも繊細に、まるでリートを歌うように元帥夫人の複雑な心境を歌う。オックス男爵のアルベルト・ペーゼンドルファーは深々とした声で愛嬌あるがさつ者を歌う。第二幕の幕切れは圧巻! マルクス・アイヒェの歌うファニナルは、まさに憎めない成り上がり貴族。滑稽で、しかし人情味あふれている。これほどまでに存在感のあるファニナルは初めて聴いた。この三人のベテランはさすがの歌唱。現在、これ以上に歌える歌手がそれほどいるとは思えない。

 オクタヴィアンのカトリオーナ・モリソンもベテランに劣らず素晴らしかった。近いうちにワーグナーのヒロインを歌うようになるだろう。余裕のある声。超大型新人といったところ。ゾフィーのエルザ・ブノワも可憐で高音が美しい。この人もこれから世界中で主要な役を歌うのだろう。

 日本人歌手も、ヴァルツァッキの澤武紀行、マリアンネの渡邊仁美、アンニーナの中島郁子、公証人・警部の河野鉄平、テノール歌手の村上公太も健闘。

 ノットの指揮はかなり硬質だと思う。シュトラウスらしく豊穣で官能的というわけではない。生真面目で硬質な音で、かなり高速。きびきびと音楽が進んでいく。しかし、東響の音が色彩的で濁りがなく、反応がとても良いので、自然に音楽が高まっていく。私としては、もう少し豊潤で遊びがあるほうが好みなのだが、このような生真面目なアプローチもとても魅力的だと思った。シュトラウスの音楽が緻密に組み立てられているのがよくわかる。

 第3幕の三重唱とそのあとの愛の二重唱は言葉をなくす素晴らしさ! 別にこの三人のだれに対しても感情移入するわけではないのだが、この部分を聴くと涙なしにはいられない。「ばらの騎士」のこの第三幕後半と、トリスタンとイゾルデ」のいくつか部分を聴くと、私は中学生、高校生のころから現在に至るまで、至福の心持になる。今回もそれを味わうことができた。

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パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィル 圧倒的なジュピター!

 2024129日、東京オペラシティ コンサートホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィル管弦楽団公演を聴いた。

 曲目は、前半にシューベルトのイタリア風序曲D591と樫本大進のソロでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。1800年前後のウィーンの音楽。素晴らしかった。

 シューベルトの序曲は、まさにロッシーニ風。ただ、そこはやはりシューベルトなので、ロッシーニほどにはあっけらかんとはいかない。だが、ういういしくてなかなかいい。ドイツ・カンマーフィルは躍動感にあふれ、音楽の喜びに満ちた音を出す。

 ベートーヴェンの協奏曲は、当初、ヒラリー・ハーンがソリストに予定されていたが、体調不良とのことで樫本大進に変更。ハーンが目当てだったので、ちょっと残念。

 しかし、樫本大進ももちろんハーンに引けを取らない。きりりとした切れの良い美音による堂々たるベートーヴェンだった。衒うことなく、細かいところにまで神経を注いで、実に格調高い。第2楽章は弱音が繊細でことのほか美しかった。ヤルヴィの指揮するドイツ・カンマーフィルは強い音でヴァイオリンを支える。時に激しい音が響き、音楽を深く推進していく。第3楽章も無理なく自然に盛り上がって、とてもよかった。

 ソロのアンコールは、バッハの無伴奏ソナタ第3番の「ラルゴ」。ただ、この演奏については、私は樫本がこの曲によって何を訴えようとしているのかとらえきれなかった。

 後半の「ジュピター」は素晴らしいの一言。低音がしっかりとして、音の輪郭を明確に作り出しているのを感じた。第2、第3楽章もロココ風のところは微塵もなく、男性的でバロック風。アクセントが強く、鳴らすところは鳴らす。テンポもしばしばいじっている。だが、音楽の要求に沿っているので、まったく不自然さは感じない。自家薬籠中の物にしているとでもいうべきか。最終楽章の音の洪水は圧倒的だった。まさに音楽の喜悦!!

 アンコールはシベリウスの「悲しきワルツ」。途中、テンポが遅くなり、かすかな音になって、まるで音楽が止まるかのようだったが、このはかなくも美しいワルツを静かさを保ちながらも華やかに聴かせてくれた。パーヴォは顔も父上のネーメにますます似てきたが、この芸風、まさにネーメだと思った。以前のパーヴォは力に任せ、躍動感とダイナミックなリズムで音楽を推進していく面があったが、今回、細かい指示でオーケストラをコントロールして、ニュアンス豊かな音楽を作り出していた。アンコールにとりわけそれを感じた。かつてネーメの演奏を聴いて、この「悲しきワルツ」と同じような印象を持ったことを思い出した。

 ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマーフィルの演奏を久しぶりに聴いたが、やはり格別。満足だった。

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オペラ彩公演 オペレッタ「こうもり」を楽しんだ

 2024年12月7日、和光市民文化センターサンアゼリア大ホールで、オペラ彩第41回定期公演 オペレッタ「こうもり」をみた。

 オペラ彩は、1984年から埼玉県を中心に活動する特定非営利活動法人。41回にわたって自主公演を続けてきた。理事長の和田タカ子さんと少しだけお話したが、今回もまた、指揮を予定していた天沼裕子さんが体調不良で降板するなど、大変なことの連続だったという。これまで、これほどのレベルのオペラ公演を続けてこられるには並大抵のご苦労ではなかっただろう。今回も驚くほどの水準の「こうもり」が仕上がっていた。大いに感心し、大いに楽しんだ。

 指揮は上野正博、オーケストラはN響で活躍した永峰高志がコンサートマスター。輪郭のはっきりした明確な音を刻んで、わくわくした愉快な世界を作り出していく。初めのうち歌手陣とかすかにタイミングがずれるところがあったが、すぐに解消された。歌手陣は歌も演技も達者な人がそろっている。

 アイゼンシュタインの石塚幹信は本当に芸達者で声量があって見事にこの役を演じた。ロザリンデの牧野元美も声量豊かな美声で容姿も美しい。チャルダーシュは見事だった。フランクの佐藤泰弘は、これまた声量豊かで朴訥とした味わいを出してとてもおもしろい。ファルケの村田孝高は、ちょっと音程の不安定を感じたが、声量があって堂々たる歌。アデーレの奥村さゆりは、少し声は小さいが精妙な歌いまわしが魅力的。オルロフスキーの泉関洋子は演技面ではちょっと棒立ちだと思ったが、声に威力があり、歌いまわしも、この不思議な役を見事に歌っていた。特筆するべきは、フロッシュの武井雷俊だろう。芸人はだしの軽妙な語りで会場の笑いを誘っていた。

 合唱には一般市民や高校生も加わっているという。夜会に出席する紳士淑女を演じていたが、しっかりと役割を果たしていた。見事!

 演出は直井研二。オーソドックスな舞台。歌はドイツ語だが、セリフは日本語。アドリブを加え、つじつまを合わせてわかりやすくするようにセリフを加えたり、削ったりしている。第三幕前半のフロッシュの登場する部分は大胆なカットをしている。それが成功している。舞台に立ち慣れない人々をうまく演技指導して、パーティの場面など、少ない人数でも違和感なく作る手腕には驚く。

 楽しい音楽、おもしろいストーリー、見事な演技。オペラを初めてみる客も多かったようだが、皆さんがとても楽しんでいる様子がよくわかった。最後は大喝采。

 日本中で市民オペラが上演されている。どの団体も難題にぶつかりながら、驚くべき成果を上げているようだ。これから先、ますます困難が押し寄せるだろうが、ぜひとも頑張ってほしい。今回は、オペラ彩の活動をみて、とても頼もしく思ったのだった。

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小中陽太郎先生の葬儀、そして青木尚佳リサイタル

 2024年12月3日、小中陽太郎先生がお亡くなりになって、本日12月6日、中目黒教会で葬儀が執り行われた。

「ベ平連」で活躍する小中先生のご様子を高校生の時にテレビで目にしていた。ところが、それから40年ほど後、私が多摩大学で仕事をするようになってから、小中先生と知り合う機会を得た。私に対しても、気さくに話してくださった。しかも、先生は、東大仏文出身なので、先生の同級生に、一応はフランス文学を学んでいた私にとっての先生筋に当たる方が多く、そのうえ奥様はかつて音楽を専門になさっていた方だった。ご夫婦で私のゼミの主催するコンサートにおいでくださったこともある。何かイベントがあると、小中先生から呼び出しがかかり、何気なくいくと、突然、みんなの前で話をするように指名されたりして、途方に暮れたこともあった。楽しい食事を何度もご一緒した。

 話術の達人であり、コミュニケーションの達人だった。それも、単に「感じがいい」というのではなく、深い教養に基づいて多様な価値観を理解なさっているので、即座に深いところまで理解したうえでのコミュニケーションだった。しなやかで自由な精神。先生は、「翔べよ、源内」という、平賀源内を主人公にした小説を書かれているが、その自由で奔放でしなやかな源内の姿はそのまま小中先生のお姿だった。小中先生は、この欲と悪意にまみれた社会をしなやかに翔んで見せてくれた。

 フェイスブックでたびたびやり取りをしていた(タイプミスや誤変換が多く、しばしば判読に苦労した!)が、数年前、突然、連絡が途絶えた。体調がよくないという話を聞いて、心配していた。ネットニュース訃報に接したのだった。またも尊敬する人が亡くなった!

 初めてのキリスト教の教会で葬儀。交際の広い方なので、大勢の方がこられていた。いつもと勝手が違うので戸惑ったが、小中先生らしい、親しみにあふれた葬儀だった。祈祷をなさった牧師さんも小中先生と家族ぐるみで親しくなさっておられたとのこと。音大生だというお孫さんがフォーレの「レクイエム」の「ピエ・イエズ」を歌われた。合掌。

 その後、一休みして、紀尾井ホールで紀尾井レジデント・シリーズ III、青木尚佳のヴァイオリン・リサイタル“Fantasy”を聴いた。

 シェーンベルクの幻想曲 op.47、シューベルトの幻想曲ハ長調 D934、シューマン:幻想曲ハ長調 op.131(クライスラー編)、サン=サーンスの幻想曲 op.124、サラサーテのカルメン幻想曲 。要するに、Sで始まる作曲家の「幻想曲」を集めたリサイタルだ。ピアノ伴奏はボリス・クズネツォフ、ハープは早川りさこ。

 ファンタジー。まさに想像力を発揮して気ままに作り出される音楽。小中先生の葬儀の後にふさわしい。ただ、どれもとてつもなく技術的に難しそう!

 ヒラリー・ハーン(近々、日本で公演する予定だったが、体調不良で来日しないらしい。残念!)を思わせるような怜悧な弓さばき。音程の良いシャープな音。縦横無尽に弾き、そこからスケールの大きなクリアな世界が広がっていく。シェーンベルクの無機的ながらも自由で広がりのある世界に驚嘆、シューマンの夢幻的な躍動感にも酔った。サラサーテのカルメン幻想曲の最後の超絶技巧もすさまじかった。どこまでもクリアでゆがみがない。きりりと引き締まった無限の宇宙を見ているような気になった。


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鈴木優人&読響  あまりにエネルギッシュなレクイエム

 2024123日、サントリーホールで、読売日本交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は鈴木優人、曲目は前半にベリオの「シンフォニア」、後半にモーツァルトのレクイエム(鈴木優人補筆校訂版)。

「シンフォニア」を実演で聴くのは初めて。その昔、おそらくCDなるものが発売され始めたばかりのころだったと思う。当時まだ「現代音楽」に関心を持っていた私はブーレーズ指揮のCDを買って何度か聴いた。それ以来だから、40数年ぶりにこの曲を聴いたことになる。正直言って、なんとなく・・・しか覚えていなかった。が、とてもおもしろい曲。様々な音楽(マーラーやらドビュッシーやらラヴェルやら。ベートーヴェンも?)から引用され、レヴィ・ストロースらの文章の断片が語られる。

 とても良い演奏だった。鈴木の指揮ぶりは圧巻。見事にオーケストラをコントロールし、読響も見事に華麗な音を出す。ベルリンRIAS室内合唱団のメンバー(その一人は吉田志門さん)の語りも、よくぞこんな語りができるものだと圧倒される。音の重なりも濁らない。

 ただ、やむを得ないと思うのだが、私の席のすぐ近くに「音響」担当の有馬純寿さんがいて、スコアをめくりながら何やら機械をいじっておられた。気になって音楽に集中できなかった。

 後半の「レクイエム」もなかなかの演奏だった。私はこれまで、鈴木優人指揮、バッハ・コレギウム・ジャパンのレクイエム(鈴木優人補筆校訂版)は何度か聴いている。また聴きたくなったのだった。

 ソプラノのジョアン・ランは艶のある美声、テノールのニック・プリッチャードもとてもいい。メゾ・ソプラノのオリヴィア・フェアミューレン、バスのドミニク・ヴェルナー、そして、ここでもベルリンRIAS室内合唱団もさすがとしか言いようがない。

 鈴木の指揮はエネルギッシュ。オーケストラも合唱も強く激しく奏でる。かなりテンポも速い。まさに若々しい演奏と言っていいだろう。BCJの演奏よりもエネルギーを感じた。とてもよい演奏ではある。モーツァルトがこの曲を作曲したのは、死ぬ直前だとしても35歳(だったかな?)。だから、このような若々しい演奏であっても、もちろん問題ない。

 が、70歳を過ぎてかなり元気をなくしている私としては、このあまりにエネルギッシュなレクイエムについていけなかった。もう少し、死者を悼むような祈りの心がほしい。もう少ししみじみとした気持ちになりたい。しかも、エネルギッシュな演奏がずっと続くので一本調子になっているのを感じた。

 アンコールは全員で「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。これはしんみりとした良い演奏だった。

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